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#contents ---- **WWIIの米軍機ってなんでプロペラの付根んとこのカバー(スピンナーって言うんですか?)が小さいのですか? WW2の米軍機でも、液冷機にはでかいスピナーついてるよ。 空冷機の場合、スピナーつけないほうがエンジンの冷却に良いからつけてないみたい。 F4Fの試作機はスピナーついてたけど、冷却不足で外したそうな。 #right(){(20:571)} **A1スカイレーダーって単座だけど、航法はどうしてたの?一人で天測? いわゆる地文航法でした 天測機材は積んでいません #right(){(21:648)} **第二次大戦当時の米軍機(グラマン等)の燃料タンクの防弾装備等について御教示くださいませんか? うろ覚えですけんど、燃料タンクを生ゴムで覆います。 弾が命中した場合、穴が空きますが、ガソリンと生ゴムとが化学反応を起こして、その漏れを防ぎます。 第二次大戦初期のF2A、TBDなどはそういうのが装備されていなかったようです。 余談だけど、コンドームでおなじみ岡本理研は、1943年に防弾タンク工場を足利で作っていたそうな。 #right(){(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **第二時大戦中、日本本土に飛来し、非戦闘民への機銃掃射や爆撃を行ったアメリカの小型戦闘機で、複座になっている機種の名を教えて下さい。 日本本土に飛来した戦闘機というと、 硫黄島から飛来する米陸軍のP-51若しくは 空母から発進した米海軍のF-6F、F-4Uになりますが何れも単座機です。 複座機なら艦上爆撃機のヘルダイバーか雷撃機のアベンジャーではないかと思います。 #right(){(40:741)} **P-47って防弾装備が充実していたので重さゆえに空中戦で不利になることはなかったのですか。 インタークーラー付きのターボチャージャーが入ってます。 防弾は必要十分、頑丈で急降下も得意、お察しのとおりビッグパワーなので一撃離脱に徹する限り、それなりに強いと。 ただ重い上に燃料も少ししか積めず、長距離侵攻はきつい。 #right(){(44:812)} **P51って大馬力エンジン付けてるから高性能なのかと思ったら、1500馬力位しか無いみたいなんですけど、どうしてそれであんなに高性能なんですか? P51に積まれたV-1650-7は離昇馬力は1490ですが、 戦闘時には1510だせます。 FW190は離昇馬力が1700ですが、空中では1500。 五式戦などの金星も離昇馬力が1500で、実用は1250ぐらい。 つまりマーリンエンジンのみの特殊事情なのですが たいていのスペックは「離昇馬力」しか書いてないので 「P51は1500馬力なのに高性能」と勘違いする人が多いのです。 #right(){(45:810)} **イギリスに供給されたP-51ってアメリカ版よりもかなり性能悪かったっていうのは本当でしょうか? P-51自体がイギリスの援助要請が元で開発された。 カーチス社のP-40をノースアメリカン社で生産する交渉の途中で、 「同じエンジンでP-40より高性能の機体を同じ期間で提供する」との 申し出が行われた。その結果、120日で試作が行われたのが「ムスタングⅠ」。  コレに米軍が与えた型番がP-51。高高度性能がヘタレのアリソンエンジンを 二段二速加給器付きのイギリス製マーリンに変更したのが、P-51B/C/D。  排気タービンは最初から付いてない。P-38に関しては排気タービン が外されて供与されてる。 #right(){(62:867)} 最初のP-51A(Mustang Mk.I)の開発の経緯は、英国武器購入使節団がノース アメリカン社にカーチス社のP-40のライセンス生産を打診したことが切っ掛けです。 その搭載エンジン(アリソンV-1710)を用いて、独自の戦闘機を開発し、これが Mustang Mk.Iとして採用されました。 ただ、元々のエンジンに過給器が付いていなかったので、高空性能が極めて悪く、 7500m以上では操縦困難で、上昇力も悪いものでした。 それでも、今までの英国戦闘機よりも性能が良いので、量産されていました。 1942年4月に英空軍は英国製RRマーリンを搭載したMustangXを試作し、その機体が 驚異的な性能を示したので、米国で量産中のパッカードマーリンを搭載したものを米国も発注しました。 これがP-51B以降の系譜に繋がっていきます。 アリソン搭載のP-51はその後、地上攻撃機に転用され、米国ではA-36急降下 爆撃機として採用され、北アフリカ、地中海、イタリア戦線で活動しています。 #right(){(62:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} アリソンには1段1速の機械式過給機があったはず #right(){(62:904)} **戦争体験者が、「グラマンの機銃掃射…」という具合に、戦闘機の代名詞のように「グラマン」を使うことが多いようですが、どうして「グラマン」の通り名が広まったのでしょうか? MustangとかLightningというよりも、Grummanの方が言いやすかった為と思われます。 加えて、艦載機として日本にやってくるので、余りにも目に付きやすかったでしょうし。 #right(){(66:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} Mustang Lightningは陸上戦闘機でしょう。もともとは太平洋の島々 に配備されていたわけで本土への集中攻撃はあまりできなかったわけです。 それに対してグラマンは戦争末期には空母十数艦にそれぞれ300機 以上が配備されていたわけで、数が桁違いだったためだと思われます。 #right(){(66:147)} **P-51ムスタングの主翼はアルミ粉塗って仕上げがしてますが、何か利点があるのですか? アルミ粉をドープに混入して銀色にした航空機があるのは、胴体なんかの 金属製部品と色を統一するためじゃないかい? #right(){(67:628} 剛性面の話は、貴方の書かれてるとおりなんですが、残念ながら今回の 質問に関しては、全く別の理由が存在します。 当時の加工技術では、平滑仕上げられないことが原因です。 例えば、軍用機の速度試験で無線機や武装を外した話はよく聞きますが 特に高速を売り物にした機体はパテで表面を仕上げ直すとこまでやった 例があります。 P-51の場合、本当に平滑に仕上げないと「層流翼の効果が出ない」と 考えられたためとされてます。 (本当にそこまでやる必要があったかどうかは私には判りません) #right(){(67:652} アルミニウム・ドープについて 紫外線により羽布が劣化するので、紫外線の遮断する目的でアルミニウム粉末が加えられています ドープ塗装について詳しく知りたいのなら、 『航空機整備作業の基準 AC.43-1B/2A』 日本航空技術協会 発行 をお勧めします(第三版の方には詳しく書かれていません) #right(){(67:名無し整備員 ◆T8Jo8csczo} **WW2アメリカ戦闘機のPとFの違い教えてください 「P」は「Pursuiter」(追撃機)の頭文字を取ったもので、戦前から第2次大戦中の 米陸軍航空隊の使用した戦闘機を表す記号です 1945年から「F」に変わりました 米海軍航空隊は創設以来、一貫して戦闘機に「F」を当てはめています #right(){(69:898)} WW2大戦のアメリカ陸軍の戦闘機は、 pursuer(追撃機)の頭文字を取って、P-XXと機種番号を決定してました。 海軍は、fighterの頭文字を取って、FXX。 戦後、陸軍航空隊が空軍として独立。 海空共通の命名規則に統合され、戦闘機の機種記号はFで統一されました。 #right(){(69:902)} ちなみに最初の「F」は戦闘機、次の数字はある製造会社が作った何番目の戦闘機か 数字の次の記号は製造会社(この場合はグラマン) 「-」の後の数字は何番目の改良かを、それぞれ意味する #right(){(69:904)} >戦後、陸軍航空隊が空軍として独立。 >海空共通の命名規則に統合され、戦闘機の機種記号はFで統一されました。 ちょっと誤解を招く表現になっているが。 空軍の独立は1947年、三軍の航空機命名法統一は1963年で、お互い関係ないからね。 #right(){(69:906)} **何でダグラスXBTDデストロイヤーは実戦部隊に配属されなかったの? >あと性能教えて 不採用になったのは、SBDの改良に優先順位を置かれて、開発に僅かな人員しか充当できなかったこと、 発注されてから21ヶ月遅れで原型の複座型XSB2Dが初飛行しています。 また、この初飛行の翌日に海軍はこの機体を13機発注しましたが、その直後に艦上攻撃機と艦上 爆撃機を一体化した単座攻撃機構想を打ち出し、SB2Dの存在価値が無くなりました。 Douglasでは、XSB2D-1をこの仕様に改めてBTD-1として開発を始めましたが、その後、海軍からXBT2D の受注を受け、なおかつ、その機体が優秀だったために、発注はキャンセルされています。 蛇足ですが、その後この機体を生かすために、混合動力機が試作され、XBTD-2が製作されましたが、 ジェットエンジンを使わないと、322km/hの鈍足機となるために、試作中止となりました。 Length : 11.76m Wing Span : 13.72m All-Up Weight : 8,228Kg Engine : Wright R-3350-14 (2,300hp) X 1 Max Speed : 554Km/h Crew : 1 Aramament : 20mm Machine Canon X 2, Weapon Load : 4,200lb #right(){(70:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦時の対ソ連のレンドリース品の中にC-47を初めとする輸送機の類は含まれていたんですか? ソ連は大戦前にDC-3のライセンス獲得して国内生産している。 リスノフLi-2ってのがそれ。5000機近く造ったらしい。 #right(){(78:683)} C-47は国内でリスノフLi-2として生産されていました。 ついでに、PBYも初期型を購入して、GSTと言う名称で生産されています。 輸送機については、含まれていなかったような。 #right(){(78:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **A-26という飛行機は16000mまで上昇できるでしょうか? 当時の飛行機の上昇限度は10000m~12000mてところです。 A-26は6000mでの巡航を想定してたらしいですが、16000はとても無理。 #right(){(82:81)} **F4Fワイルドキャットの、面白い話を教えてください。 オモシロエピソードは「F4F-1は複葉機だった」じゃダメ? #right(){(83:892)} **B-29とかB-17って、対空防御で味方の爆撃機とか戦闘機を誤射してしまうなんてことはなかったんでしょうか? 誤射とはちょっと違うが、B-17ではボックス編隊を崩した下位機が 上のB-17が落とした爆弾に水平尾翼をへし折られて墜落した有名な事例が 世傑にたしかへし折られた直後の写真が掲載されていたと思う #right(){(85:909)} 映像の世紀では動画がでてたよん #right(){(85:海の人 ◆STEELmK8LQ)} **F8Fは模擬戦でP-80相手に散々な結果だったという話を見たのですが、ドイツのMe262の場合は米英軍機を圧倒したという話は聞きません。 >何故このような違いが出たのでしょうか? >Me262とP-80はそれ程性能が違うのですか? 別に米英のレシプロ戦闘機はMe262と互角に戦ってたってデータも無いよ。 離着陸の間を奇襲したり、不意をついて一撃離脱するくらい。 #right(){(88:33)} Me262は世界初のジェット戦闘機で、ジェット機の空戦術はまだ試行錯誤の段階だったと言う事実があります。 ドイツのジェットパイロットで、レシプロ機の癖を捨てきれず、 不利な格闘戦を挑んで、連合軍機に撃墜された例も数多くあります。 模擬空戦の結果は、戦訓を冷静に分析した米軍が、 ジェット機のより効果的な戦術を編み出したことによるものでしょう。 大戦後半の米軍機は、ジャイロ内蔵の照準器や、Gスーツをすでに採用しており、 Me262の高速性も、圧倒的な優位とはなりませんでした。 Me262の信頼性の低さも、同機が活躍できなかった理由でしょう。 何よりも連合軍は、兵力の面でも、パイロットの技倆の面でも、ドイツを上回っていました。 #right(){(88:38)} **P-47サンダーボルトのターボって胴体のカナーリ後部に搭載されてますよね。 >こんなに配管を長くしたらスロットルレスポンス悪くなるんじゃないかと思うけど、問題にはならなかったの? サンダーボルトは自重が大きく、「神に誓っていう、こいつはどうしても上昇しようとしない」と愚痴られたようです。 したがって、スロットルレスポンスがどうこう言われるほど、余裕ある使い方をされていなかったのでは、と思われ。 つまり、戦闘時にはフルスロットルばかり、と。 #right(){(90:517)} 逆にエンジンのすぐ傍に置いて熱制御に失敗したりもしているからねえ。 優先順位の問題。 #right(){(90:519)} **朝鮮戦争でP-51も参戦していたようですが、Mig-15とまともに戦えたのでしょうか? ジェット機相手に、レシプロ機はまともに上空を占位すること出来ず 一方的な戦いになる。 例外として、スカイレーダーがMig-15撃墜したとか B-29の防御火網が撃墜したとの例もあるが、あくまでも例外 #right(){(91:605)} 韓国内の飛行場がジェット機の運用に適さ無かったため、 モスボール状態にあった2線級兵器を引っ張り出したに過ぎません。 まともに戦えません。 #right(){(91:606)} P-51やF4Uは、主に対地支援に駆り出された クリムゾンスカイ―朝鮮戦争航空戦 光人社NF文庫 ジョン・R. ブルーニング (著), John R.,Jr. Bruning (原著), 手島 尚 (翻訳) F‐86セイバー空戦記―朝鮮上空の死闘 光人社NF文庫 ダグラス・K. エヴァンズ (著), Douglas K. Evans (原著), 手島 尚 (翻訳) ここら辺がお勧め #right(){(91:608)} **太平洋戦争では、B-17による水平爆撃ってどの程度の命中率があったんでしょうか? >航行中の艦船に対するものと、飛行場などの固定物に対するものでは全然違うと思うので、宜しければ双方教えて下さい 実際には、運動している艦船に対する水平爆撃の命中率は皆無といっても差し支えありません。 (実践した例もそれなりにあるようですが、やはりほぼ命中していません。) これはB-17に限った話ではないのですが・・・ #right(){(92:568)}※後半のスキップ・ボミングの記述は間違いがあるので記載せず **P-38、51等の「P」は何を表すのでしょうか? P 追撃機 #right(){(94:133)} **B-25(大戦中は陸軍所属ですねよ?)はどうやって空母から打ち出したんですか? >専用特設カタパルト? 自力で発艦してます。 #right(){(98:30)} B-25は飛行甲板を目いっぱい使って(合成風力も)、カタパルト無しに発艦しました 二次大戦においてカタパルトは補助的なもので、艦上機等もカタパルト無しに 自力+合成風力によって発艦します。 #right(){(98:33)} **日本軍はアメリカ軍の戦闘機にどんなコードネームを付けていたんでしょうか? 日本軍は特に米軍機にコードネームを付与していたということは無いと 思います。ただ、日本独特の呼び方はありました。 例 F4Uコルセア:シコルスキー F6Fヘルキャット:グラマン P38ライトニング:目刺し 他にもあったような気がする... #right(){(98:513)} >なんでコルセアはロシア風なんだろうか? 製造会社の正式社名がヴォート・シコルスキーだから。 シコルスキーは亡命ロシア人。 なお、ヴォート社とシコルスキー社は大戦のちょっと前に合併、大戦中に再び分離。 #right(){(98:518)} **バニーガールのイラストがペイントされてる戦闘機(爆撃機?)の名前を教えて下さい。 エノーラ・ゲイ #right(){(99:431)} 「バニーガールのイラスト」とかは一般に「ノーズ・アート」と呼ばれています。 ノーズアートだけ集めた写真集とかもあるほどです。 で、そのノーズアートですけど、ぶっちゃけ大抵の米軍爆撃機・戦闘機に描かれていました。 ただし、戦闘機は機首が細いので、恋人やお母ちゃんの名前を書いてる程度が多かったようです。 んなわけで、本格的なお姉ちゃんの裸を描いてたのは爆撃機が多く、 特に機首が平面で生産数が多かったB-24リベレーターに傑作が多かったように思います。 私が知ってる中で、ノーズアートの一番の力作は、同機に描かれた、Dragon and his tail.だと思います。 (これは既にノーズだけじゃないんだけどね #right(){(99:481)} **P-40Nウォーホークってどう?評価や人気は高いの? 連合国の馬車馬でしょうね。 さほど高性能ではなくとも、機数を揃えられて、稼働率も良く、頑丈であると。 人気は他の戦闘機とかと比べると可成り地味ですけどね。 #right(){(99:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 評価や人気が「誰に」高いのか、を明らかにしていただけないと答えにくいです。 つまり、当時のパイロットの評価か、敵側から見た評価か、現代の視点で見た評価か、 によって違うのでその部分は回答不能です。 現代の目から見ると、作りは頑丈だけど、高空性能は悪いし、速度も運動性も平凡ってとこですね。 生産国であるアメリカ陸軍では専ら対地攻撃などの雑務に使ってましたし。 ソ連や英国などの連合国へ供与された数が多いと言えば、押して知るべしでしょうね。 #right(){(99:833)} **B-24が最も目立った作戦というのは無いのでしょうか? B-24はほぼ全戦線で活躍している。投弾量はB-17より大きいし。 太平洋戦線では本土空襲こそないが、長大な航続力を生かし、日本軍を苦しめている。 兵器として重要なのは役に立ったかどうかで、目だったかどうかではない。 どうしても派手な活躍を知りたいというのなら、「プロエスティ」「爆撃」でぐぐれ。 #right(){(100:791)} B-24もB-17と共にヨーロッパ戦線における爆撃隊の主力として活躍してますよ。 ハイライトといえるかどうかは判りませんが、プロエシュチ油田爆撃のエピソードが有名。 #right(){(100:792)} B-24の場合、通常の爆撃任務に加え、対潜任務でも大活躍したことを申し添えておきます。 #right(){(100:795)} **P-38って本当にゼロ戦のカモだったのでしょうか? ゼロ戦相手に格闘戦やろうとしたP-38は鴨だった ペロハチが一撃離脱に徹した場合、鴨はA6M #right(){(101:263)} **水上機型のグラマンF4Fは存在した? フロートつきのF4Fはありますです。 エド社製のフロートを付けた型がF4F-3Sという非公式名称をつけられました。 二機が改装され、1943年2月28日に初飛行したとのことです。 #right(){(111:611)} **P-51をターボプロップにしたエンフォーサーとかいう攻撃機があったと思うんですが、あれはセールス的に成功したんでしょうか? 確か、Piperが作った機体だと記憶していますが、売れませんでした。 もう一つ、F-51D(P-51)の廃棄機から再生した機体を、Cavalier社がF-51Dとして製作して いますが、こちらは、1967年に米空軍の発注でMAP供与機として生産、ボリビア、 ドミニカなど中南米の小国空軍に供与されました。 元々、この会社はF-51Dを購入して、複座に改造してスポーツ機として製造していた会社でした。 これから発達した自社開発機が、MustangIIとして試作され、 これら中南米の小国空軍に改造キットとして売られています。 この機体は、複座、固定式翼端増槽を持ち、動力はRR Merlin620に強化、 翼下には各種武装を吊下げられます。 また、これを更にRR Dart Mk.510に換装したのが、Turbo MustangIIIとなっていますが、 こちらは売れませんでした。 再生機としては他に主にWWII末期~朝鮮戦争時代に生産されたDouglas B-26を、 この機体をビジネス機に改造していたOn-Mark社で再生し、 米空軍がベトナムで使用したB-26Kがあります。 こちらはそこそこ売れました。 余程のことがない限り、わざわざ戦時中の余剰機を使用して改造するよりも、 戦後に生産された中古機を購入した方がまだマシでしょうし、 また、大国の傘下に入れば、ひも付きで或程度の新鋭機が供与されますから、 余程経済的に困窮している国でない限り、こうした機体を購入することは無いと思います。 #right(){(113:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **アメリカのB-17爆撃機の下部球形銃座など、どうやっても弾薬が内部に収まりそうにないものがよくあります。 >あれらは、弾薬はどこに収められていてどのように銃本体に給弾されているのでしょうか? 航空機用機銃の装填は手動で出来ないものは圧搾空気を用いるか、油圧で装填します。 ttp://www.warbirds.jp/ansq/12/A2003646.html ドイツのMG151/20は電気装填式です。 B-17爆撃機の下部球形銃座は銃座の外に弾倉があります。 #right(){(114:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **ぺろ8の由来って、P-38→Pろ8→ぺろ8から来てるんですか? >それとも、当時のゼロ戦パイロットたちの間で、「8機くらいぺろりといける」と言われていたからですか? アメリカの戦闘機が”P-**”という番号が付くのは知られていたので、 そのPに”ペろっと”という形容詞を合わせてP-38だから 「ぺろっと食える(3)8」というのが由来のよう。  別に 3 と ろ をかけたわけではないようだ。 #right(){(115:848)} 一度「南方進攻航空戦1941-1942」(大日本絵画)をごらんになることをお勧めします 日本機が「ぺロっと食った」P-38の正体は実はハドソンなどのロッキード製双発機だったのです。 戦場の誤認というやつで、これが結果的に山本五十六の撃墜に結びつきます。 #right(){(115:854)} **B-17の後期型の機首銃塔は、誰が操作しているのですか? >2連装M-2 12.7㍉機関銃を装備した、油圧装填機構付の電動機首回転銃座が追加された。 >照準は回転銃座の回転機構と同期しているが、自動計算照準でない。 >回転銃座は、爆撃手席の下側にあり、爆撃手が操作する。 #right(){(121:453)}※リンク先のサイト消滅 >自分自身を撃たない用にする何らかの安全装置があったのでしょうか? 背面の動力銃座は電気的に射界を制限していた記憶が。 撃てなくなったら尾部銃座にお任せってことで。 #right(){(121:455)} ノルデン爆撃照準器を使うから爆撃照準の妨げにはならない。 どんな案配かと言えば映画「メンフィスベル」とか記録映画を見なされ。 #right(){(121:482)} **WW2の米軍機は、P-38、B-29、F6Fと、Fシリーズだけハイフン「 - 」が付いてないのですが、なぜでしょうか? >現在はF-15、F-22等付いてますが・・。 当時海軍と陸軍では制式名の命名則が異なっていた、 ハイフンなしは海軍式で、会社別(番号の後のアルファベットで識別)に番号が振られた。 だからグラマンのF4FとヴォートのF4Uの様に同じ番号でも違う機体が有る。 ハイフンがついてないのは1962年の名称統合前の米海軍機。 この次期の米海軍機でも、たとえば哨戒機のPV-1のようにサブタイプを示す数字の前には ハイフンがつく 米陸軍航空隊や米空軍の機はずっと機種記号の後にハイフンがついてる #right(){(575:138,155)} **日本が購入したセバスキー2PA-B3戦闘機の戦果は? >昭和12年に日本海軍はアメリカからセバスキー2PA-B3複座戦闘機を25機ほど購入していますけれど >これらは中国戦線に投入して敵機撃墜や基地破壊等の記録に残る戦果を出したのでしょうか? >最高速度500キロ、航続距離4000km前後、余裕のある機体設計は当時の単発戦闘機としては上々かと思うのですが その高速と長大な航続距離に期待して1937年に購入、装備して、S号戦闘機と言う名称で準制式機の 扱いで、第12航空隊に配備されましたが、He-112よりも更に運動性が悪く(上まぁ、日本海軍の戦闘機 乗りは一撃離脱より巴戦信奉者が多かったので当然ですが)、操縦性は最悪という判定を下され、 援護用には全く使用されず、2機が2年後に朝日新聞社に、1機が東京日日新聞社に払い下げされて います。 東京日日新聞の機体は、1941年に爆発して大破、朝日の機体も、神風号の飯沼飛行士が操縦中に 胴体着陸をするなどして、戦争前までに全て喪われました。 そして、残りの機材は仕方ないので、陸上偵察機として使われた後、内地に於て操縦学生の訓練機や、 整備学生の整備機材として使われました。 ちなみに、こいつを購入して霞ヶ浦で試験をした時、大仰角の急激な運動をすると必ず猛烈な不意自転が 生じたのですが、この機体に付いてきたセバスキー社のテストパイロットは、この現象は、高速機で必ず 発生する『スナップロール』と言うものだ、と丁寧に「解説」されたそうです。 この頃までに、日本海軍の操縦安定性に関する研究は、世界に比肩するくらいまでに至っていたのですが…。 #right(){(356:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **F8Fは捕獲した零戦の影響受けて作られたって言う人と、捕獲したFw190の影響受けたって言う人がいるけど、どっちが正しいんでしょうか? >wikipediaではFw190の影響と書いてありました。 零戦に関しては「これに格闘戦でやりあえるようなものを」と FW190に関しては「極端に絞ったスリムな機体に大馬力エンジンを積む」というコンセプトを それぞれ参考にしたということで、どちらの影響も受けているというのが正しいところでは。 どっちか一方だけではなくて。 #right(){(474:93)} どちらも参考にしていない。その両説ともその両機種が好きな人間が流したデマであると言う説 もあります。 単に、開発時に手に入る優秀なエンジンを使い、F4Fしか使えない小型軽量な空母で運用可能な 戦闘機を目指したらああなっただけ。と言う話です。 つまり、Fw190や零戦など眼中に無くても、大馬力エンジンに軽量な機体を組み合わせる発想に 辿り着ける理由はあったことになります。 #right(){(474:138)} **P-51の長所として航続距離がありますが、これはボディ内部の空間に余裕があるということですか? 1.空力的に洗練されているので自ずと巡航速度が速くなり飛行距離が稼げる。 2.短期間に設計しなければならなかったので軽量化を後回しにした結果、頑丈で   機内・機外とも燃料搭載量が多い。 3.層流翼と言う空気抵抗を増やさずに厚翼を採用出来る方式を採用したので翼内   燃料が増やせる。 1補足  護衛対象の爆撃機も高速化したことも忘れてはいけない。 2補足  作戦行動中はあまり使わないが長距離フェリー用のタンクが機内にある。  軽量化が後回しにされたのでD型あたりまで加速が悪い。 3補足  それがために中低速域の運動性が低い。 #right(){(350:262)} **P-38は単発戦闘機とタメ張れるくらい強かったの? >BoBの例を見るまでもなく双発戦闘機は単発戦闘機には敵わないんじゃないの? 格闘戦だけが戦闘機の戦い方ではありません。 どんな機体も本来の性能を生かす戦い方をすれば良いのです。 てか最初から双発エンジンの馬力にものを言わせた高速戦闘+大航続力の遠距離戦闘機として 双発戦闘機は誕生した。 だがこの頃の航空機の進化はものすごいスピードだったのは知ってるよね? あっという間に単発戦闘機の性能が双発戦闘機を追い抜いちゃったんだ。 世界大戦が始まったのはちょうど単発・双発戦闘機の優位が逆転した時期と重なる。 ドイツの戦闘機Bf110は一番不幸な時期に誕生した戦闘機なんだよ。 その後再び双発戦闘機も大馬力エンジンの恩恵を受け直し、一定の地位を取り戻す。 アメリカのライトニングやイギリスのモスキートなんかがそう。 ドイツに至っちゃジェット戦闘機にまで昇華させてしまった。 ただし「一定の」地位でしかない。 すでに単発戦闘機の能力は、双発戦闘機が果たすべき任務のほとんどをこなすことができるようになっていたから。 ジェットの時代に入ると信頼性其の他の理由から双発が主流になっていくけどね。 #right(){(345:413,418)} **B-17の下部銃座には飛ぶ前に地上で潜りこまなければならないの? B-17の下方ボール型銃座は飛行中に乗り込める てか、下方に引き出してからでないと乗り込めないので地上で乗り込むほうが難しい 名作「頭上の敵機」には当時の実写フィルムが使われていて、下方銃座への乗り込み方がよくわかる てか、銃手は大男の俳優が演じているのに突然小柄な兵士に変身するのでびっくりする ブックオフで1000円以下で入手可能だから、これ以上恥を書く前に一回みとくといい #right(){(568:740)} **F8Fは一定以上のGが加わると翼の端を吹っ飛ばしてGを軽減させるというのは本当? break-away wingtip。 爆索とマイクロスイッチが折りたたむ部分にセットされ、 5G以上かかるか、他の翼端の爆索が作動するとこっちも発火するように作られている。 これによって両方の翼端が同時になくなってバランスがとれるようになる。 http://www.findarticles.com/p/articles/mi_qa3897/is_199808/ai_n8826530/pg_4 #right(){(343:787)} **P-38は他国のように複座式として開発されていたら、屠竜等のように鈍足になり対爆撃機用戦闘機として使用されていたんでしょうか? 元々P-38はターボチャージャーと大火力を備えた 高高度迎撃戦闘機として設計・開発された。 あの特徴的な形状もその目的に特化したもの。 他国の双発戦闘機と違って自国外の領空を長距離 飛行することを考えてないので航法士の類は 不要なため、単座で設計されている。 「本来の」目的には使われなかったので、実際には 長距離戦闘機や地上攻撃機として活躍したけどね。 ちなみにP-39”エアラコブラ”やP-47”サンダーボルト”も 設計当初のコンセプトはそれ(高高度性能の高い重武装 迎撃機)だったりする。 P-38は複座型も一応作られた。 評価はイマイチだったが。 #right(){(600:554)} **現在でもPー47やPー51は可動機がたくさんあると聞きましたが、メンテナンスはどうしているんでしょうか? 向こうは砂漠の飛行機の墓場に手を入れたら飛ばす事が出来る機体が沢山有ります。 それを払い下げてレストアして飛ばしている他の方のレスにも書かれている南部空軍なんて楽しい連中も居ます。また、エアレースが盛んで使用する機体のほとんどが、大戦機ですね。 グリフォンやワスプ等のエンジンを魔改造してコントラのペラを着けたモンスターが低空飛行をするシーンは凄いよ。 YouTubeでリノのエアレース等で検索したら見れますよ。 #right(){(601:不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk)} **A-1 スカイレーダ採用時に不採用になった機種名を誰か教えてください 1944年の時期ならば、Curtiss BTC、Martin BTM、Douglas BT2D、Kaiser-Fleetwings BTKの 4機種が発注され、Curtissは完成遅れで放棄、MartinはBT2Dの保険として149機発注(後のAM)、 Kaiser-Fleetwingsは小型で搭載量が小さかったので不採用となりました。 #right(){(308:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **写真でSDBの風防を開けてガッツポーズしてるものを見たんですが開けて飛んでも問題ないの? スライド式キャノピーは問題なし。米海軍機はF3Hぐらいまで原則として離着陸時はオープンにしていた程. ホップアップ式になってからは不可能だが。 #right(){(637:637)} **P47サンダーボルトで、12.7㎜機銃が採用されたのは何故でしょうか? >対地攻撃を主任務とする戦闘爆撃機だから、威力で勝る20㎜機銃の方が良い様に思えますが? それは結果的にそういう運用をされたというだけで 計画段階のP-47は高高度戦闘機です。 何のためにターボ付けてると思う? P47に任務を奪われて、活躍の場が無かったP63(´・ω・`)カワイソス Pー47が開発された頃には戦闘機で機関砲を翼内に装備するという発想は アメリカ軍にはない。 そもそも12.7mmでも「大口径」という意識の時代の設計だから(Pー47の 設計は戦前だ)。 まぁ戦争があと1年ぐらい続いてたら20mmX4のバージョンとか作ったかもな。 #right(){(299:377-384)} **F4Uってなんであんなに後にコックピットあんの? >そして逆ガル翼ってあんまり使われてないけどなんで? コクピットの前にはでかいエンジンと主翼取り付け部がある。 ガルウィングがポピュラーでないのは、高出力艦載プロペラ機みたいに、ペラをでかくして しかも足回りを頑丈にしたいという強い要求がない限り、複雑な形態分、重くなり、 製造に時間がかかり、空力的には曲がった主翼のためロール時に安定が悪くなる。 揚力についても効率が悪くなるため、同じサイズなら翼面荷重が増し、翼面荷重を 同じにしようとすると、サイズが増えて重量も増え、その分翼面荷重が… でかい燃料タンクもな。 http://www.fiddlersgreen.net/aircraft/Vought-Corsair/IMAGES/Corsair-cutaway.jpg #right(){(651:492-493)} **B-29やB-17は数百機単位での作戦をちょくちょく行っていましたが、指揮をするような機体は空中に存在していたのでしょうか? >地上管制部からの誘導で纏まって動いているだけですか? 大きいもので百数十機程度の「梯団」をいくつか組みますのでこれが一番大きな作戦単位になります。 梯団の指揮機は作戦中止を含めた権限を自分の梯団に対して持っています 全面的な中止となると、地上からの交信によります。 戦況を判断して現地で命令を下せる権限が及ぶ最大値が、百数十機毎の梯団ということです。 #right(){(653:474)} **P51のPは何のPですか? Pursuit aircraft(追撃機)のP #right(){(286:635)} **B-29の護衛であるP-51が役に立たなかった、足を引っ張ったと言う話を聞いたのですが本当なのでしょうか? >今まで硫黄島を占領するまで護衛が付けられなかったから、B-29損失が多かったと思っていたのですが。 ルメイの誤解。 P-51を伴う場合は当然その航法を助けて誘導してやらねばならないが、 それが手間だっただけ。 実際はP-51を伴うことが出来るようになったので昼間中高度精密爆撃が可能になり、 その恩恵は非常に大きい。 硫黄島からとは言え、B-29でもギリギリのところだったから単発戦闘機のP-51では 航続距離的にきつかった模様。天候不良で護衛が出来ずに引き返したり墜落したケースもあったし。 ただ、末期の防空体制はザルだったから、そうなればP-51は足手まといにしかならんな。 無論、その防空体制を崩壊に導くまでは必要だった訳だが。 #right(){(286:612-613)} **メンフィス・ベルが最初にミッション25回クリアしたってのはガセ? メンフィス・ベルと同じ頃にに25回を達成しそうな機が数機あった。 この中で最初のがベルで、ワイラーの記録映画で大々的に宣伝され 有名になった。 でも、ヘルズエンジェル号など、第8空軍内でもっと早く達成していた機が あった、という話はいくつか聞いたことがある。 #right(){(284:200)} **B-17Gは機種の左右と下部の3箇所に機銃がありますが、機首には爆撃手と航法士の2人しかいません。 >資料を見ると爆撃手が機首下の銃座を担当するとあります。そうなると航法士1人で左右の銃座を担当していたのでしょうか? 爆撃手、航法士が担当になっていますが、他の誰か、例えば副操縦士なんかが 稀に担当する場合もあります。 確か、Memphis Bell辺りに記述があったような。 #right(){(284:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2の米軍機は1機あたり何時間ぐらいで作られたんでしょう? 1機当たりの生産に必要とされる延べ労働時間数の記録がありまして、単位は時間です。                             1943年1月   1944年1月  B-17(Boeing Seattle工場)            35,400     18,600  B-24(Consolidated Valtee San Diego工場)  24,800     14,500  B-25(North American Ingulwood工場)     14,800     10,700  C-54(Douglass Santa Monica工場)      142,100     62,600  P-38(Lockheed Burbank工場)          14,800     9,600 手元ですぐ見つかる資料はこんなもん。 #right(){(131:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **B-29の後継機のB-36はなぜあんなに機銃が少ないんですか? B-36のみで侵攻することを考えていた初期のタイプ(Dぐらいまで)は針ねずみのごとく 機銃を装備しているよ ただし、抵抗を減らすため格納式なので通常は見えないけどね 実戦部隊に配備された後期型は後方銃座ぐらいしか残してないけど、これは重量軽減対策と 運用方法の変化、つまりB-36の侵攻の前にB-47やF-84Fなどが核爆弾でソ連側の戦闘機の 基地や対空砲火を全滅されることになっていたからだ もちろん、米空軍としても実際にこう都合よく話が進む、なんて甘い期待はしてなくて、 いわゆる寄生戦闘機各種(B-36の爆弾槽に吊るしたり、主翼端に結合したり、ワイアで 曳航したり)の試作検討や、長距離侵攻(護衛)戦闘機の試作なんかをやってみた(全部 失敗w ‬#right(){(134:23)} **F6FとF4U、性能面でも生産数でも大して変わりがないのに、戦後F6Fがさっさと退役してF4Uだけが攻撃機として長く使われたのはなぜ? 元々は、米海軍の40年代に於ける次期主力戦闘機は、陸軍の機体を凌ぐものとして、1938年2月1日に仕様書を提示します。 この時、Grummanが提出したのはF5F、他にBellがP-39の海軍型FLで参加し、Voughtの設計陣はV-143試作戦闘機(日本に 輸入され、一部の機体の参考になった)から発達したR-1830を搭載したV-166Aと、R-2800を使用するV-166Bを提出し、 1938年6月30日、Grumman、Bellを抑えて、V-166Bが採用されました。 でもって、V-166Bは初飛行後、海軍の予定通り、陸軍の機体以上の速度で、400マイルを越えた最初の戦闘機となりました。 しかし、欧州の戦訓から各種の改修、特に防弾装備などの搭載で、重量増となります。 また、逆ガル翼の採用がネックとなって、空母での使用は不適当となりました。 ただ、大戦中も本命はこちらですから、地道に改良が行われています。 一方で、米海軍は保険として、GrummanにR-2600を搭載したF6Fを開発させていました。 偶々、F4Uの実用化が思わしくなく、F6FにR-2800を搭載した型をテストしたところ、とりあえず、 日本機を凌ぐ性能を示したため、これを量産化します。 ただ、発動機の出力の割に機体が大きく、重量が重いため、性能的には凡庸でした。 このため、性能向上が図られて、F6F-5に常用高度の高いR-2800-18Wを搭載したF6F-6が試作 されますが、この時には、F7F、F8Fと言った後継機の試作が進み、生産が開始されるところでした ので、結果的に二重投資を避ける意味で、保険だったF6Fは退役の方向に進みます。 ところが、大戦が終了して余剰機が増え、F4Uの改修の方が新型機の生産よりも安く済むため、 F4Uは改修されながら、長く用いられた、と。 詳しくは米国公文書館の資料でも当たってください。 #right(){(205:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **B-17改造の無人遠隔操作爆弾「アフロディーテ」とはどんな物なのでしょうか 「アフロディーテ」は正式にはBQ-7誘導爆弾と言いまして、耐用時間超えた中古のB-17に 約9トンの爆弾と無線操縦装置を積み込んだ機体です。 離陸する際は2名の操縦員が搭乗し、離陸した後に操縦員はパラシュートで脱出して 他の機体の誘導によって目標に突入すると言う代物です。 1944年に25機が改造され、8月から翌年1月までに15機が使用されています。 余談ですが、ケネディ大統領の兄のジョセフ・ケネディ海軍大尉はこの誘導爆弾の 実験にかかわっており、44年8月12日に実験に使用したPB4Y-1が離陸後に 爆発して死亡しています。 #right(){(206:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **B32の詳しい情報求む 元々は、VLRとしてR-40Bの仕様書を各社に提示したものが始まりで、 Douglas、Boeing、Lockheed、Consolidatedが応募に応じたもの。 このうち、Douglas XB-31はエンジンが試作できていない理想主義的な機体で 選に漏れ、Lockheed XB-30はL-049 Constellationの爆撃機型で、お座なり。 残ったのがBoeing XB-29、Consolidated XB-32の二機種。 本命はXB-29であったが、早急な実戦化を望む軍が革新的な手法に依らず、 堅実な設計のXB-32も平行して発注した。 条件では、1942年6月に初号機領収だったが、与圧室、砲塔の不具合に手間取り、 1942年9月7日初飛行。(B-29よりは2週間早い) 1943年7月2日に2号機、11月9日に3号機が飛行したが、これらは双垂直尾翼の 試作機であった。 これらのうち、1943年5月1日に1号機は墜落して失われ、方向安定性不良、与圧 構造の操縦室の不具合、遠隔操作砲塔の不具合などが続出。 垂直尾翼は、B-24Nと同じような単垂直尾翼となり、与圧は廃止、砲塔はB-24と 同じ、Emerson砲塔が装備された。 1943年3月の300機を筆頭に、全部で練習機型を含んで、1500機の発注が為され たが、実際は爆撃機型が75機、練習機型が40機で生産が終了している。 実戦は、1945年5月29日のルソン島マンタテトに対する日本軍空爆が初出撃、他に 台湾、中国に対する数機の爆撃Mission、東京への偵察など併せて19回の出撃を 行っており、東京では二機の戦闘機を撃墜している。 #right(){(WWⅡ爆撃・攻撃・雷撃機について論じる:眠い人 ◆gqikajhtf2)} **日本軍が鹵獲してフクちゃんのノーズアートをつけたB-17の画像を探しています ネットでは見れませんが、光人社の日本軍鹵獲機秘録のP.84に写真はあります。 #right(){(70:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} こちらにありました http://www.warartcolors.com/maker_custom/few/custom2013_14.html #right(){(軍事板wikiFAQ作成本部6:565)} **マッカーサーが厚木に来た時に乗っていた飛行機は何ですか? DC4(C54)輸送機 #right(){(俺初質スレ436:601)} *B-29 **B-29には空中給油機型があるってきいたんだけど? B-29に空中給油機型はあります。 但し、B-29に受油設備そのものはない。 朝鮮戦争で旧式化を露呈した機体ですが、多数製造された上、機体のキャパシティも 大きかったので、ホース式の給油装置を取り付けたKB-29Mが92機、フライングブーム 式の給油装置を取り付けたKB-29Pが116機(試作機YKB-29J1機含む)、3ホース式 タンカーとして試作されたYKB-29Tが1機改造されています。 KB-29Mに関しては、KC-97シリーズが実用化されるまでのストップギャップとしての 機能を持ってました。 このほか、英国でもワシントンKMk.1として少数機が、ソ連でもTu-4の空中給油機型 が少数機改造されています。(これらはいずれもB-29そのものとその派生型です) #right(){(8:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)} **B-29の相手が他の国(アメリカ・イギリス・ドイツなど)の戦闘機などだとしたらどのような展開になったでしょうか。 アメリカと英国については重爆撃機を迎撃する目的を持った機体はありません。 何しろ交戦国が重爆撃機を装備してないですからね。 特に高高度からの爆撃であれば、ほとんどお手上げでは? 高高度で十分な性能を有するP-51では火力不足で重爆の相手は苦しいでしょうし。 一方ドイツについてはMe262がカタログデータ通りの能力を発揮すれば 充分迎撃可能でしょう。 大戦最後期に登場したTa-152Hあたりでも迎撃可能でしょうね。 重爆相手の迎撃戦は敵の護衛戦闘機をかわす能力と、高高度まで上昇する能力 さらに重爆を撃破できるだけの大火力が必要になります。 これらの能力をすべて満たすのはやはりジェット機でしょうね。 #right(){(21:962)} 英国の場合、ドイツの高々度偵察機対応でSpitfireのMk.7が開発されています。 気密室を撤去していますが、Mk.8もそこそこの性能を持っています。 ただ、気密室付きの高々度双発戦闘機はものにならなかったので、 夜間戦闘は苦労したかも知れませんね。 後は、ミーティア、バンパイアがどれだけ高々度性能を有するかでしょうか。 ソ連はPe-2Iが気密室付の高々度戦闘機として開発されていましたが、 あまりモノにはならなかったようです。 #right(){(21:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **サイパンまでB-29はどうやってもってきてたのですか。 「B-29日本爆撃30回の実録」にたしかハワイから空輸したと 書いてあったように記憶しています。 #right(){(22:582)} **第二次大戦で日本軍は何機ぐらいB-29を撃墜したのか教えてください 詳しい内容は調査中ですが、日本爆撃に飛び立ったB-29のうち 未帰還機は200機を越すそうです #right(){(27:555)} **当時の日本人がB-29のことを「モロトフのパンかご」と呼んでいたことは事実だったのでしょうか? 本当です。 米軍がB29で投下したE46集束焼夷弾のことをそう呼んでいたそうです。 集束焼夷弾を最初に使ったのがソ連の空軍であったので「モロトフのパン籠」と 俗称されたとのことです。 AN-M69・6ポンド焼夷爆弾を四十八個集束したものがE46・500ポンド集束焼夷弾で、 親子焼夷弾とも呼ばれました。 #right(){(58:名無し軍曹)} **B-29が搭載していたリモートコントロール式の12.7㎜機銃はどうやって目標に標準をつけたのですか? マークⅠアイボール、つまり目玉で、照準器を使って、照準していました(尾部銃座のみ、直接照準でした)。 銃座は、照準器に追従するようになっていた、と思います。 #right(){(61:176)} 銃座近くにある透明ドームの中に、双眼鏡型の照準機があってそれで狙います もちろん視差の影響は大きく、アメリカの技術力を持ってしてもちゃんと命中 するようにするまでの開発は困難を極めたといわれます #right(){(61:177)} **B-29の生還率ってどれくらいですか? 日本空襲の場合、当初の高高度精密爆撃を行っていたころは5~6パーセント台の 損失が出ていました。 特に昭和20年2月10日の群馬県の中島飛行機・大田製作所への爆撃の際には 118機出撃した中で損失は12機、この他に29機が被弾し損失率は10パーセントに達しました。 しかし、ルメイ少将が夜間低高度での無差別焼夷弾爆撃戦法を採用したことや、 2月の艦上機の来襲、更に4月に入ってのP-51の随伴により損失率は大幅に低下しており、 わずか1~1.5パーセントほどになっています。 特に7月以降は日本が本土決戦を控えて迎撃機の温存策をとったためほとんど損害がない 出撃もありました。 大戦中にB-29は延べ33.000機が出撃し、このうち戦闘で失ったのは450機あまり。 出撃に対する損失率は1.38パーセントとなっています。 #right(){(85:名無し軍曹)} **当時の対B-29主力兵器であった飛燕や対空砲火に,本当にB-29を撃墜する力があったのでしょうか? >調べてみると当時日本には800門しか対空砲が無かったとか。では、どうやって全長30M幅50Mもあって100機で編隊を組んで日本中を爆撃する能力のある飛行機を,300-400機も落としたのでしょうか? >飛燕の根性体当たりで撃沈したとか、神業的な戦果はよく見るのですが...それだけじゃ数百機も落とせませんよね? 爆撃機迎撃は、戦闘機の性能じゃなくてシステムで落とすんです。 高々度精密爆撃をするだけなら日本の対空砲火、戦闘機の相手ではなかったのですが、低空絨毯爆撃をするようになると被害が結構増すようになります。 高々度でも、戦闘機の護衛が無いので、創意工夫によっては迎撃機の餌食になる場合もありましたが。 それに、日本の高射砲部隊は一般に思われてるよりずっと優秀でした。損害の過半数は高射砲によるものです。 また、低空絨毯爆撃、特に白昼爆撃では、迎撃機も、硫黄島陥落後に戦闘機の護衛が付くまでは結構活躍していました。 さらには、サイパンから長躯出撃するので、損傷を与えただけでも、基地に帰り着けない場合も多々あったようです。 あとですね、体当たり攻撃は思っているほど実行されてないらしいですよ。 ドイツ本土防空戦と比べれば、むしろ、300-400しか落とせなかった事の方が不思議に思えるようになるよ。 初期のシュバインフルト爆撃なんぞでは,連合軍爆撃機は20%も落とされてる。一日で60機が落とされた勘定だ。 B-17は総出撃数291.058ソーティーに対して、損失数は4.688機だそうだ。 ドイツ空襲にはB-29は参加していないので、単純に比較はできないがな. 全体では対独戦で連合軍は1万4000機ほど重爆を失ってる。 (眠い人 ◆gQikaJHtf2,名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他) **エノラ・ゲイ号は広島に原爆を落とした後急旋回して爆風を避けましたがこれはどうしてでしょう。 >素人目にはそのままガーッと全速力で直進した方がいいと思うのですが。 原爆は自由落下で落下するので、エノラゲイが原爆投下ボタンを押したのは相生橋のかなり前方になります。 そのまま直進すると、爆弾と同じ方向に進むことになってしまい、爆発地点に突っ込んでいく様になってしまいます。 爆風などの予想被害をなるべく避けるために急旋回を採用しました。 #right(){(5:897)} **B-29の偵察機型であるF-13の「F」って何の略ですか? photographic recon(写真偵察機) Pを使わなかったのは、既に戦闘機(pursuiter)の記号として使われていたから。 #right(){(94:892)} **B-29を現代戦に使えるでしょうか? 残念ながらフライアブルなB-29ってあんまり残ってないのよ。 #right(){(95:79)} **B-29の初撃墜、誰が何処で何を使って撃墜したのか、教えて下さい。 1944年7月の満州鞍山製鉄所爆撃の時に屠龍が初撃墜を果たしている それ以前にビルマで隼13機が単機のB-29を発見、襲撃して撃墜を報告したが このときは実は胴体に4ヵ所ほど穴が開いただけで、逆に尾部銃座によって 隼1機が撃墜された模様(隼1機が未帰還になったが日米とも撃墜は公認していない) #right(){(103:13)} **家にあった古い航空機の本を見ていたんですが、そこにB-29が載っていました。 >何気なく見ていると写真の説明の所に「南部連邦空軍所有機」とありました。 >南部連邦空軍て何ですか? Air Forceを名乗っていますが民間組織です。 https://www.commemorativeairforce.org/home へどうぞ。 #right(){(103:252)}※リンク修正 **B-29爆撃機は,その機銃で何機の日本陸海軍機を撃墜しているのでしょうか? >けっこうな数になると思うのですが。 撃墜確実679機・不確実撃墜454機・撃破763機…のようです(私の数え間違いがなければ) 成都駐留部隊の戦果は含まず、マリアナ駐留部隊のみです。 当然ながら、日本軍の記録とは大きく食い違うことは承知して下さい。 過大/過小申請・申請漏れ・援護戦闘機隊との重複申請などもあることも念頭に置いて下さい。  月別(特に4~6月は旬間)の概要は以下の通り。              撃墜  不確実撃墜  撃破 昭和19年11月     7      18     10 昭和19年12月     46      49     39 昭和20年1月     114     61     115 昭和20年2月     71      59     125 昭和20年3月     7       3      12 昭和20年4月     165     113     189   上旬         60     42     59   中旬         25     11     23   下旬         80     60     107 昭和20年5月     131     82     109   上旬         66     38     47   中旬         34     38     46   下旬         31      6     16 昭和20年6月     136     69     164   上旬         108    57     142   中旬         0      1     0   下旬         28     11     22 昭和20年7月      2      0      0 #right(){(「米軍資料 日本空襲の全容(訳:小山仁示)」より引用,鷂 ◆Kr61cmWkkQ)} **空襲前に、八丈島あたりでB-29の編隊レーダーで探知したり、警備艇で無線連絡したりして、早期に避難をしなかったの? 無理。B-29は一度富士山を目標にしてまっすぐ、飛んで来た後で、それぞれ爆撃目標に向かう、というコースで飛ぶ。 八丈島上空では、まだどの都市が爆撃目標になるのかわからない。 #right{(357:233)} **脱出したB-29のパイロットが、日本の竹槍や猟銃を持った民間人と交戦した例は、あったんでしょうか? 「交戦」はともかく、リンチにあって死傷した例はたくさん。 日本軍のパイロットがアメリカ人と間違えられて殺された例もある。 #right{(363:759)} **B-29のような大型爆撃機を迎撃する場合、戦闘機が狙う場所はどの部分ですか? 基本的に狙うのはコックピットか主翼の付け根とされています。 このために海軍の昼間戦闘機隊などでは直上方からの攻撃を主としていました。 また、B-29は爆弾倉内に増加タンクを装備しているという情報が伝わったため、 (実際は未装備)これを狙って後下方から斜め銃で爆弾倉を狙うという方法もとられました。 #right{(513:328:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **B-29って、機首の操縦席が大きい上にガラスも沢山ありますよね。そこをを狙えば、簡単に撃墜できなかったんでしょうか? 操縦席を狙うってのは弱い機銃で爆撃機を落す手段としてよく用いられるが、あくまでも苦肉の策。 何故なら、必然的に進路が交差し合う反航戦になるから。 この状態だと相対速度で機銃の威力が上がる反面、射撃の機会が非常に限定されてしまう。 #right(){(553:307)} **東京大空襲では、おおむね300機のB-29が投入されましたが、仮にこれを迎撃しようと考えた場合、何機の零戦が必要になるでしょうか? 実際に、零戦が迎撃に飛び上がって、戦果が上がったかどうかは知りません。 東京大空襲は夜でした。 夜間戦闘機の方が使いやすいです。 アメリカは、日本の夜間戦闘機が貧弱だと考えて、それまでの昼間爆撃を夜間爆撃に変更しました。 機関銃も尾部以外を下ろしました。 #right(){(561:霞ヶ浦の住人 ◆5rkfJsjgEM)} 零戦だろうと月光だろうと、まず夜間に離発着できる技量の高い搭乗員が足りません。 どうせまともな機上レーダーは無いので、戦闘機そのものが単座であるか複座である かは重要ではないのです。雷電も鍾馗も夜間迎撃に使われています。 つか、機上レーダーが無ければ地上の誘導に従って接敵したあとは、探照灯の照射 で捕捉する、あるいは敵編隊より高位に陣取ってから地上の火災に浮かび上がるシ ルエットを捕捉するしかないので、夜間戦闘機の方が使いやすいなんでのは嘘。 #right(){(561:ふみ)} **B-29の爆撃目標は工場、住宅地、基地(飛行場や軍港)これ以外に何か爆撃目標はありましたか? 爆撃、ではないけれどB29は日本各地の港やその沖合、主要航路に航空投下機雷を撒いて廻っていた。 これは戦略爆撃以上に日本にダメージを与えている。 あと、飛行場や軍港といった純軍事設備への爆撃はB29は意外とやっていない。 それらはむしろ海軍の空母機動部隊の搭載機が行っていた。 自分の故郷の都市の郊外で、沼地だったところを干上げて住宅地を造成してたら機雷がいくつも見つかったことがある。 海でもなんでもないところでなんで?と皆思ったが、ちょっと離れたところは港だったので、投下位置を誤ったか風で 投下したものが流れたか、という結論だった。 最初は対ドイツ戦と同様に、高々度からの軍需工場などへの爆撃だったけど、効果がイマイチだったんで、 イギリス軍みたいに民間人を狙う夜間低空無差別爆撃に。 あとは他の人も書いてるように機雷の投下。爆撃ではないが、B-29の写真偵察専用型であるF-13というにも来ていた。 #right(){(565:378,386)} **日本を空襲している時に撃ち落したB-29の機体の破片を全国から集めて研究していたって等の話はないんですか? 排気タービンやら、与圧室やら、エンジンやら色々集めていましたが、  「日本の技術力でこんなもの出来ないよね」「そだね」 で終わってます。 #right(){(336:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **カーチス・ルメイは、回想録の中で「日本には夜間戦闘機はなかった、夜間空中戦で撃墜されたB-29はほとんど存在しない」と書いていますが >実際には、日本の夜間戦闘機隊は昼間戦闘機隊を上回るほどの戦果を挙げています。なぜ誤解したんでしょう? 彼の「夜間戦闘機」のイメージはドイツのナハトイェーガーだから。 そういう意味ではあのような夜間戦闘機はほとんど日本は持ってなかったわけで。 あと米軍は月光に代表される斜め銃装備戦闘機の存在をよく理解せず、大半を 「高射砲によるもの」として処理してた。 なので尚更「夜間戦闘機に墜とされたB-29はない」という認識になっている。 #right(){(333:359)} **日本の航空機はB-29の高度に届かないから防空は困難だった? B-29が高度1万メートル以上の上昇限度ギリギリを飛ぶのは 爆弾を積まない高高度偵察くらいであって、 高高度爆撃といっても8000メートル前後での進入だった。 そして8000メートルでは爆撃の精度が低すぎて 指揮した爆撃飛行団司令官は更迭されている。 そのため主にB-29の進入高度は夜間は2000メートル前後、 昼間は6000メートルという低中高度が主であって、 日本の迎撃機でも到達できない高さではなかった。 米軍側の資料では 太平洋戦争中に配備されたB-29の総数は約1500機。 うち日本本土爆撃で失われたものが約500機、 そのうち半数が戦闘機により撃墜されたとしている。 配備数の3分の1の損害というのはけして少なくはないし 米戦略爆撃調査団は、日本側の資料調査と関係者への尋問によって 日本が保有する迎撃機は最高でも25%しか迎撃に使用されず、 大半が温存されたと結論している。 従って、迎撃により戦力を投入すれば、それ以上の戦果を挙げえた可能性は少なくない。 B-29搭乗員の出撃当たりの死亡率は2%~3%で、 これはドイツ本土爆撃の死亡率と大差なく、搭乗員の士気が保てるギリギリの線だった。 #right(){(590:57,54)} **「B-29は目標地点に近くなると爆撃手が操縦した」というのを何かで読んだんですが、本当でしょうか? >恐らく高度や速度から投下タイミングを計るには専門の技術が必要だからだとは思うんですが…。 http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/bombing/intro/norden.htm にあるようにB-29にはノルデン照準器というのがついていました。 これは、爆弾を落としたいところを爆撃手が照準器のスコープ内に捕らえておけば 飛行機は自動操縦で最適な投下点に誘導され、最適なタイミングで爆弾が自動投下されます >高度や速度から投下タイミングを計るには専門の技術 これは、計算である程度割り出すことができ、ノルデン照準器は原始的なコンピューターみたいなものです 目的は機長や爆撃手の名人芸に頼ることなく平均的に高い爆撃精度を得るためです。 #right(){(329:39)} **朝鮮戦争でのMiGの脅威って誇張? B29の損害は34機。そのうち空中戦で撃墜されたものは16機だけ。 という感じの数字だが、これには「帰還はしたけど損傷が酷くて廃棄」というのはカウントされていない。  マリアナからはるばる海を越えて帰還しなければならなかった太平洋戦争と違い、緊急着陸できる 飛行場がすぐ近くに確保出来た朝鮮戦争の統計のマジックと言うヤツである。  「帰還後廃棄」になった機体を含めると損害は10倍近いらしい。 #right(){(133:397)} **朝鮮戦争のときB-29が次々MiGの餌食になってあまりの被害の多さにB29の鴨緑江付近への出撃が禁止になったって話は本当? 微妙に違う。「撃墜」に至らず、大破してかろうじて生還したがスクラップ、という機体が多かったのだ。 これは日本の基地と朝鮮の戦場の間の距離が、太平洋戦争中のサイパンと日本本土の距離に比べ、ずっと近かったから。 #right(){(599:777)} **B-29をヨーロッパに投入しなかったのはなぜ? 対独戦がほぼ見通しが立ってB-17とB-24だけで十分と考えられたのと、 当初生産の立ち上げに時間がかかって対日戦用の機数を確保するのがやっとだった事 だったと思います。 #right(){(100:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} 開発スケジュールが遅れて、対独戦に間に合わなかったから。 B-29の量産が軌道に乗った頃には、ドイツはB-17とB-24があれば十分という状況になっていた。 B-17やB-24の航続距離では、どのみち対日爆撃は荷が重いので、太平洋戦線はB-29だけに任せて、 B-17とB-24を欧州に重点配備した方が資源の有効活用という考えもあった。 #right(){(100:306)} B-17を上回る高高度性能を誇るB-29を太平洋戦線で使えば、被害を少なく出来ると考えたからです 欧州戦線では高高度でも平気で迎撃してくるので、タフで信頼性の高いB-17が好まれました #right(){(100:307)} 実戦投入された頃には欧州方面の戦略爆撃はあらかたカタがついてたから。 それに、1944年の夏以降ならフランスにも飛行場が作れるから、それこそ 超長距離爆撃機の必要性はない。 余談だがフランスから出撃できるようになったあとはB-25などの双発中型爆撃機が ドイツ国内の幹線道路と鉄道、それに運河水運を徹底的に攻撃し、ドイツ国内の 物流態勢をほぼ壊滅させた。 それまでは大型4発爆撃機は都市戦略爆撃に手一杯、単発(P-38とか含む)の戦闘爆撃機は 地上支援に忙しく、そういった「精密な爆撃が必要だが小さな目標なので高空からの 爆撃では効果が低い」戦略目標を効果的に破壊する手段がなかったのでそれらは 見逃されていた状態で、ドイツの戦略輸送体制は毎日毎晩戦略爆撃されてるにも かかわらず健在だったが、これによってドイツは国内の物資輸送はおろか部隊の移動 すら満足に出来ない状態に追いこまれる。 更に付け加えておくと「終戦のその日まで、空襲で破壊されてもその日のうちに 復旧する態勢を保ち続けた」と国鉄関係者が自慢する日本の鉄道網は、これら双発 中型爆撃機が日本本土への空襲にほとんど参加できなかったために維持できたという ところが大きい。 >でもドイツでB-17って大損害出してたのに? B-24だってランカスターだって大損害を出してるよ。 確かに莫大な損害を出したが、それでも相手に与えたダメージの方が でかかったからいいのだ(戦死したクルーには悲惨な話だが)。 B-17/24、ランカスターに替わる新型は待望されたが、それでも 新型を泥縄式に投入して現場が混乱するよりは、大損害を出してでも 現在の態勢で徹底的に集中攻撃する方が戦略としては正しいと判断され、 それは実際そうだった。 あくまでも計算上だが、戦略爆撃の継続を断念させるには、出撃機の被撃墜機 が作戦参加機の30%を越えたかどうかが分水嶺となる、と言われていた。 イギリスの統計だと1作戦あたりの戦略爆撃機の被害は3~7%で、この数字には 程遠い。 でもイギリスの対独戦略爆撃作戦では、約9000機の戦略爆撃機が失われ 搭乗員6万名が未帰還(戦死)している。 #right(){(327:283-287)} **P-51が護衛につくようになってからの中高度で飛来するB-29は爆弾搭載量を増やすために機銃を廃止したんですか? 別に、P-51云々の前から前上方の2挺は廃止されています。 最初は高々度精密爆撃に加え、戦闘機の脅威などが考えられていますが、 その後の調査で、夜間の場合は2個程度の戦隊しか夜戦能力が無いとされた 為、東京空襲では弾薬無しで行い、以後の空襲では探照灯攻撃(対空火器を 無力化するのに必要な手段)のために尾部銃にだけ弾薬200発を準備すること になりました。 後に、地上と低高度目標の為に、下層を飛ぶ爆撃機には、下面の砲塔に若干の 弾薬を装備しています。 #right(){(319:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本軍の戦闘機が撃墜したB-29はいずれも低高度ですか? >6千メートル~1万メートルの高度のB-29を墜としたことはあるんですか? 何度か実例はあります。 大部分が体当たりでの戦果だったりはしますが。 97戦が満州で高度6000m付近を飛ぶB-29を撃墜した例がある 米軍も認めている #right(){(319:353,354)} **東京大空襲に参加したB-29爆撃機325機のうち、爆弾を落とさなかった46機には、どんな任務が与えられていたのでしょうか? >wikipediaに「・・・B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は・・・」と書かれているのですが 偵察機や先導機もあるが、作戦に参加した爆撃機が全てミッションをこなせたわけでは なかったので。 エンジン不調で爆弾捨てて引き返した機、そのまんま墜落しちゃった機、 後発だったので煙や火災で目標が確認できず、「適当に爆弾捨てちゃれ」という選択を せず投弾せずに離脱した機(この場合は帰途洋上に爆弾は捨てる)、ごく少数だが 投弾前に撃墜された機、というのがあり、それらは作戦参加機の1割程度あった。 ちなみにこのとき(東京大空襲)だけそれらの比率が高いわけではなく、この当時の 爆撃というのは大概そんなもの。 ただ、B-29はエンジンをはじめ意外と設計に無理が多く(急いで開発、生産したので)、 不調の発生率が高くはあった。 作戦任務第40号、ミーティングハウスNo.2(いわゆる東京大空襲)において、米軍は325機のB-29を投入しました。 うち、第一目標(東京市街地)を279機(86%)、第二目標0機、最終順位目標を5機、臨時目標を5機、がそれぞれ爆撃しました。 加えて、26機が無効果出撃とされ、効果的な爆撃を行わなかったと判定されました。(これで計325機となります) おそらく、このことを指しているのだと思われます。 第一目標に86%が到達というのは、他の作戦とくらべて、特に変わった数値ではありません。 #right(){(307:151-158)} **B-29の銃座は担当が決まっていたの? >決まってなければ以下のサイトの撃墜数も信用できませんね。 >US Bomber Gunner Aces of WW2 >http://jpgleize.perso.neuf.fr/aces/ww2usgun.htm B-29の銃塔操作は通常 前上部を爆撃手が、後上部を上部銃手が、 そして下部2基の銃塔を敵機の来襲方向に併せて左右の側方銃手が操作します。 なお、射撃指揮所の管制担当の判断により、各銃塔から制御を取り上げて別の銃手に渡すことがあります。 多くの場合は爆撃手から上部銃手に引き渡すパターンです。逆もないわけではありません。 また下部銃塔を操作する側方銃手の一方が操作しているとき、反対側からより大きな脅威が迫ってきていればそちらに制御をまわします。 と、いうわけで、どの銃を誰がどの敵に射っているかは基本的に明確になっています。 全ての銃塔にガンカメラが装備されているので「何時、誰が射ったか」わかるため、撃墜判定も可能です。 #right(){(655:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)} **B-29は余所の国なら失敗作って聞いたんですが、そう言われるくらいの駄目な点って何? エンジンが非常にオーバーヒートしやすく、被弾しなかったのにエンジンが焼きついてオーバーホールはしょっちゅう。 酷い時は帰還できなかったケースもあった。当然、稼働率も悪くて、アメリカの生産力がなければとても運用できない代物だった。 これは高速性能を叩き出すためにエンジンのカウリングがタイトで冷却効率が悪かったのが要因。 本当は設計し直さなきゃいけないような欠陥だけど、戦争に間に合わせるために開発も生産もギリギリだったから、 上記のように運用でカバーした #right(){(658:80)} 誰がどんな意図で言ったのかは不明がだ、他所の国なら失敗作となる要素は他にもある。 B-29の開発期間は5年と見積もられていた。このとおりに時間をかけていたら当たり前だが 戦争そのものに間に合わない。実際は3年で開発したが、アメリカ以外であれば時間切れで すなわち失敗作になる。開発スケジュールも強行軍であったが予算措置も同様であった。 試作機も完成していない時点で量産計画にゴーサイン。30億ドルの大博打と言われた。そん なカネが出せない国であればやはり戦争に間に合わないわけで、すなわち失敗作となる。 工場建てて量産するけど不具合続出で引き渡せない機体が溜まる。軍が受領しなきゃ部隊 編制も訓練もできない。とにかく最初の100機をよこせと、工員と技術者をかき集めてボーイ ングに送り、真冬の屋外で昼夜かまわず改修作業を行った。バトルオブカンザスと呼ばれた 無茶も、広汎な工業の裾野があってのことで、これができなければ戦争に間に合わず、やは り失敗作となる。 #right(){(658:ふみ ◆Y.QUKJBduY)} **B-29のエンジンって、構造欠陥があったそうですが、そんなに危ないものだったんですか? 大戦中のR-3350は離昇時に火災事故が発生しやすく、メーカー名のWrighte ngine(「正しい」エンジン) ならぬWrong engine(「間違った」エンジン)とか Flamethrowers(火炎放射器)なんてあだ名が付くほどだった。 試作2号機のXB-29も、着陸前にエンジン火災が原因で、工場に墜落し30人以上の死亡者を出す惨事となった。 量産されてからも戦時のため、たくさん用意して交換しながら使っていたが、後に改良されている。 メインの資料は世傑のB-29。 >B29Aの生産数が1000機強、エンジンの生産数が6000基強で、1機に4基のエンジンだから >予備エンジンをたくさん用意して対応したというのは事実? 根本的に誤解があると思うが、B-29Aと言うのは、B-29最初の生産型じゃないし、機数も 多くない。 主力は無印B-29. B-29 ボーイング・ウイチタ製1,634機、ベル・マリエタ製357機、マーチンオマハ製532機 B-29A ボーイング・レントン製1,119機 B-29B ベル・マリエタ製311機 総計3,953機。生産数は本によって違うから約4,000機。 基本的には全部R3350だからそれを考えればその理論は成り立たないな。 B-29は1942年に初飛行して翌年10月にはAFFに引き渡しが始まってる。 多くの新機構を取り入れた大型機にしては驚異的なスピードだから 熟成が足りず多くのトラブルが出たが、話題になっている エンジンについては、もともとR3350は開発時期は結構古いが、トラブルが多く 一時開発が棚上げされていた物。だが熟成が進みエンジン自体は1945年半ばには 運転時間が当初の3倍ぐらいまでの信頼性が増し、戦後は信頼あるエンジンとされた。 多くのトラブルを抱えたのはターボコンパウンドバージョン。 B-29固有のトラブルとしては空気抵抗軽減の為のエンジンカウリングが冷却に問題ありで 高高度で加熱しやすく、軽量化のためにエンジンカウリングにマグネシューム分の多い材質 だったので、燃えやすく発火が多かったのは事実。 対策としてエンジン側の改良とともに、カウリング材質変更と戦闘行動高度の見直しを行った。 1945年春以降のB-29の爆撃高度が下がったのは戦術の変更とともに、機体側の問題をクリアする目的もあった。 ここまでで分かるように、朝鮮戦争時はエンジン側の改良、機体の改良、日本本土爆撃に比べて短い距離・高度など 運用面でも負担がすくないから、エンジン発火で多くの機体が失われたとか、作戦に支障があったなどの 報告はない。 #right(){(660:491-529)} **B-29の初撃墜、誰が何処で何を使って撃墜したのか、教えて下さい 1944年7月の満州鞍山製鉄所爆撃の時に屠龍が初撃墜を果たしている それ以前にビルマで隼13機が単機のB-29を発見、襲撃して撃墜を報告したが このときは実は胴体に4ヵ所ほど穴が開いただけで、逆に尾部銃座によって 隼1機が撃墜された模様(隼1機が未帰還になったが日米とも撃墜は公認していない) #right(){(103:13)} **日本軍ってB-29の存在・性能をいつから知ってたんですか? B-29の存在そのものは、別に秘密にされていたわけではないので、開発当初から、 アメリカの新聞には普通に載ってました。 日本の情報機関も、馬鹿ばかりではないので、中立国を経由するなどして、 アメリカのマスメディアのチェックぐらいはやってます。 したがって、日本がB-29の存在を知ったのは、「日米開戦前」です。 B-29の生産体制については、1943年12月にはほぼ正確な数字をつかんでおり、 具体的な性能についても、1944年の3月までには情報を入手しています。 ただし、絶対国防圏の策定がなされたのは1943年の9月ですので、 これの決定にB-29の性能を考慮に入れる余裕はなかったはずです。 #right(){(189:928)} **B29の機銃座ってどうなってるのでしょうか? >射撃手が何処にいるのか解らない。 後部胴体の両側にバブルウィンドーがありますが、その部分に 銃手が乗っています。 機関銃座は、全部遠隔操作になっています。 前部機銃座はコクピット近辺に銃手が、後部は前述の通り、そして尾部に 銃手が居ます。 いずれも、気密室内からの遠隔操作で、直截撃つ訳ではありません。 >遠隔操作って相当命中率悪そうですが、これは威嚇のためなので問題なしですか? >あと、どうやって手元と連動させてたんでしょうか? 確か相当命中率は良かったはずですよ。 **幻の攻撃機のスカイパイレートの性能を教えてください Douglas XTB2D-1 Skypirate(Canncelled Attacker ) Length : 14.0m Wing Span : 21.40m All-Up Weight : 15,770Kg Engine : Plat & Whittney R-4360 Wasp Major (3,000hp) X 1 Max Speed : 548Km/h Crew : 2 Aramament : 12.7mm Machine Gun X 7, Weapon Load : 1,800Kg #right(){(70:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 前上方、前下方銃座は、爆撃手席にある射撃指揮装置で操作、後上方 銃座は、その前のバブルキャノピー内にある射撃指揮装置で操作、後下 方は左右両側方のバブルキャノピー内にある射撃指揮装置で操作し、尾 部銃座は尾部銃手席にある射撃指揮装置で操作します。 まず射撃手は、光像式サイト内に投影されたレチクルに目標を補足します。 すると、前部銃座は前部の、後部、尾部銃座は後部の計算機が射撃に必要な 距離、風速、気温を解析し、角速度を検出して目標への見越し角を計算、 銃座を遠隔操作で目標に向け、目標の未来位置に射撃します。 レチクルから目標を外さない限り、外れることはなかったようです。 #right(){(WWⅡ爆撃・攻撃・雷撃機について論じる:眠い人 ◆gqikajhtf2)} ----
#contents ---- **WWIIの米軍機ってなんでプロペラの付根んとこのカバー(スピンナーって言うんですか?)が小さいのですか? WW2の米軍機でも、液冷機にはでかいスピナーついてるよ。 空冷機の場合、スピナーつけないほうがエンジンの冷却に良いからつけてないみたい。 F4Fの試作機はスピナーついてたけど、冷却不足で外したそうな。 #right(){(20:571)} **A1スカイレーダーって単座だけど、航法はどうしてたの?一人で天測? いわゆる地文航法でした 天測機材は積んでいません #right(){(21:648)} **第二次大戦当時の米軍機(グラマン等)の燃料タンクの防弾装備等について御教示くださいませんか? うろ覚えですけんど、燃料タンクを生ゴムで覆います。 弾が命中した場合、穴が空きますが、ガソリンと生ゴムとが化学反応を起こして、その漏れを防ぎます。 第二次大戦初期のF2A、TBDなどはそういうのが装備されていなかったようです。 余談だけど、コンドームでおなじみ岡本理研は、1943年に防弾タンク工場を足利で作っていたそうな。 #right(){(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **第二時大戦中、日本本土に飛来し、非戦闘民への機銃掃射や爆撃を行ったアメリカの小型戦闘機で、複座になっている機種の名を教えて下さい。 日本本土に飛来した戦闘機というと、 硫黄島から飛来する米陸軍のP-51若しくは 空母から発進した米海軍のF-6F、F-4Uになりますが何れも単座機です。 複座機なら艦上爆撃機のヘルダイバーか雷撃機のアベンジャーではないかと思います。 #right(){(40:741)} **P-47って防弾装備が充実していたので重さゆえに空中戦で不利になることはなかったのですか。 インタークーラー付きのターボチャージャーが入ってます。 防弾は必要十分、頑丈で急降下も得意、お察しのとおりビッグパワーなので一撃離脱に徹する限り、それなりに強いと。 ただ重い上に燃料も少ししか積めず、長距離侵攻はきつい。 #right(){(44:812)} **P51って大馬力エンジン付けてるから高性能なのかと思ったら、1500馬力位しか無いみたいなんですけど、どうしてそれであんなに高性能なんですか? P51に積まれたV-1650-7は離昇馬力は1490ですが、 戦闘時には1510だせます。 FW190は離昇馬力が1700ですが、空中では1500。 五式戦などの金星も離昇馬力が1500で、実用は1250ぐらい。 つまりマーリンエンジンのみの特殊事情なのですが たいていのスペックは「離昇馬力」しか書いてないので 「P51は1500馬力なのに高性能」と勘違いする人が多いのです。 #right(){(45:810)} **イギリスに供給されたP-51ってアメリカ版よりもかなり性能悪かったっていうのは本当でしょうか? P-51自体がイギリスの援助要請が元で開発された。 カーチス社のP-40をノースアメリカン社で生産する交渉の途中で、 「同じエンジンでP-40より高性能の機体を同じ期間で提供する」との 申し出が行われた。その結果、120日で試作が行われたのが「ムスタングⅠ」。  コレに米軍が与えた型番がP-51。高高度性能がヘタレのアリソンエンジンを 二段二速加給器付きのイギリス製マーリンに変更したのが、P-51B/C/D。  排気タービンは最初から付いてない。P-38に関しては排気タービン が外されて供与されてる。 #right(){(62:867)} 最初のP-51A(Mustang Mk.I)の開発の経緯は、英国武器購入使節団がノース アメリカン社にカーチス社のP-40のライセンス生産を打診したことが切っ掛けです。 その搭載エンジン(アリソンV-1710)を用いて、独自の戦闘機を開発し、これが Mustang Mk.Iとして採用されました。 ただ、元々のエンジンに過給器が付いていなかったので、高空性能が極めて悪く、 7500m以上では操縦困難で、上昇力も悪いものでした。 それでも、今までの英国戦闘機よりも性能が良いので、量産されていました。 1942年4月に英空軍は英国製RRマーリンを搭載したMustangXを試作し、その機体が 驚異的な性能を示したので、米国で量産中のパッカードマーリンを搭載したものを米国も発注しました。 これがP-51B以降の系譜に繋がっていきます。 アリソン搭載のP-51はその後、地上攻撃機に転用され、米国ではA-36急降下 爆撃機として採用され、北アフリカ、地中海、イタリア戦線で活動しています。 #right(){(62:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} アリソンには1段1速の機械式過給機があったはず #right(){(62:904)} **戦争体験者が、「グラマンの機銃掃射…」という具合に、戦闘機の代名詞のように「グラマン」を使うことが多いようですが、どうして「グラマン」の通り名が広まったのでしょうか? MustangとかLightningというよりも、Grummanの方が言いやすかった為と思われます。 加えて、艦載機として日本にやってくるので、余りにも目に付きやすかったでしょうし。 #right(){(66:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} Mustang Lightningは陸上戦闘機でしょう。もともとは太平洋の島々 に配備されていたわけで本土への集中攻撃はあまりできなかったわけです。 それに対してグラマンは戦争末期には空母十数艦にそれぞれ300機 以上が配備されていたわけで、数が桁違いだったためだと思われます。 #right(){(66:147)} **P-51ムスタングの主翼はアルミ粉塗って仕上げがしてますが、何か利点があるのですか? アルミ粉をドープに混入して銀色にした航空機があるのは、胴体なんかの 金属製部品と色を統一するためじゃないかい? #right(){(67:628} 剛性面の話は、貴方の書かれてるとおりなんですが、残念ながら今回の 質問に関しては、全く別の理由が存在します。 当時の加工技術では、平滑仕上げられないことが原因です。 例えば、軍用機の速度試験で無線機や武装を外した話はよく聞きますが 特に高速を売り物にした機体はパテで表面を仕上げ直すとこまでやった 例があります。 P-51の場合、本当に平滑に仕上げないと「層流翼の効果が出ない」と 考えられたためとされてます。 (本当にそこまでやる必要があったかどうかは私には判りません) #right(){(67:652} アルミニウム・ドープについて 紫外線により羽布が劣化するので、紫外線の遮断する目的でアルミニウム粉末が加えられています ドープ塗装について詳しく知りたいのなら、 『航空機整備作業の基準 AC.43-1B/2A』 日本航空技術協会 発行 をお勧めします(第三版の方には詳しく書かれていません) #right(){(67:名無し整備員 ◆T8Jo8csczo} **WW2アメリカ戦闘機のPとFの違い教えてください 「P」は「Pursuiter」(追撃機)の頭文字を取ったもので、戦前から第2次大戦中の 米陸軍航空隊の使用した戦闘機を表す記号です 1945年から「F」に変わりました 米海軍航空隊は創設以来、一貫して戦闘機に「F」を当てはめています #right(){(69:898)} WW2大戦のアメリカ陸軍の戦闘機は、 pursuer(追撃機)の頭文字を取って、P-XXと機種番号を決定してました。 海軍は、fighterの頭文字を取って、FXX。 戦後、陸軍航空隊が空軍として独立。 海空共通の命名規則に統合され、戦闘機の機種記号はFで統一されました。 #right(){(69:902)} ちなみに最初の「F」は戦闘機、次の数字はある製造会社が作った何番目の戦闘機か 数字の次の記号は製造会社(この場合はグラマン) 「-」の後の数字は何番目の改良かを、それぞれ意味する #right(){(69:904)} >戦後、陸軍航空隊が空軍として独立。 >海空共通の命名規則に統合され、戦闘機の機種記号はFで統一されました。 ちょっと誤解を招く表現になっているが。 空軍の独立は1947年、三軍の航空機命名法統一は1963年で、お互い関係ないからね。 #right(){(69:906)} **何でダグラスXBTDデストロイヤーは実戦部隊に配属されなかったの? >あと性能教えて 不採用になったのは、SBDの改良に優先順位を置かれて、開発に僅かな人員しか充当できなかったこと、 発注されてから21ヶ月遅れで原型の複座型XSB2Dが初飛行しています。 また、この初飛行の翌日に海軍はこの機体を13機発注しましたが、その直後に艦上攻撃機と艦上 爆撃機を一体化した単座攻撃機構想を打ち出し、SB2Dの存在価値が無くなりました。 Douglasでは、XSB2D-1をこの仕様に改めてBTD-1として開発を始めましたが、その後、海軍からXBT2D の受注を受け、なおかつ、その機体が優秀だったために、発注はキャンセルされています。 蛇足ですが、その後この機体を生かすために、混合動力機が試作され、XBTD-2が製作されましたが、 ジェットエンジンを使わないと、322km/hの鈍足機となるために、試作中止となりました。 Length : 11.76m Wing Span : 13.72m All-Up Weight : 8,228Kg Engine : Wright R-3350-14 (2,300hp) X 1 Max Speed : 554Km/h Crew : 1 Aramament : 20mm Machine Canon X 2, Weapon Load : 4,200lb #right(){(70:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦時の対ソ連のレンドリース品の中にC-47を初めとする輸送機の類は含まれていたんですか? ソ連は大戦前にDC-3のライセンス獲得して国内生産している。 リスノフLi-2ってのがそれ。5000機近く造ったらしい。 #right(){(78:683)} C-47は国内でリスノフLi-2として生産されていました。 ついでに、PBYも初期型を購入して、GSTと言う名称で生産されています。 輸送機については、含まれていなかったような。 #right(){(78:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **A-26という飛行機は16000mまで上昇できるでしょうか? 当時の飛行機の上昇限度は10000m~12000mてところです。 A-26は6000mでの巡航を想定してたらしいですが、16000はとても無理。 #right(){(82:81)} **F4Fワイルドキャットの、面白い話を教えてください。 オモシロエピソードは「F4F-1は複葉機だった」じゃダメ? #right(){(83:892)} **B-29とかB-17って、対空防御で味方の爆撃機とか戦闘機を誤射してしまうなんてことはなかったんでしょうか? 誤射とはちょっと違うが、B-17ではボックス編隊を崩した下位機が 上のB-17が落とした爆弾に水平尾翼をへし折られて墜落した有名な事例が 世傑にたしかへし折られた直後の写真が掲載されていたと思う #right(){(85:909)} 映像の世紀では動画がでてたよん #right(){(85:海の人 ◆STEELmK8LQ)} **F8Fは模擬戦でP-80相手に散々な結果だったという話を見たのですが、ドイツのMe262の場合は米英軍機を圧倒したという話は聞きません。 >何故このような違いが出たのでしょうか? >Me262とP-80はそれ程性能が違うのですか? 別に米英のレシプロ戦闘機はMe262と互角に戦ってたってデータも無いよ。 離着陸の間を奇襲したり、不意をついて一撃離脱するくらい。 #right(){(88:33)} Me262は世界初のジェット戦闘機で、ジェット機の空戦術はまだ試行錯誤の段階だったと言う事実があります。 ドイツのジェットパイロットで、レシプロ機の癖を捨てきれず、 不利な格闘戦を挑んで、連合軍機に撃墜された例も数多くあります。 模擬空戦の結果は、戦訓を冷静に分析した米軍が、 ジェット機のより効果的な戦術を編み出したことによるものでしょう。 大戦後半の米軍機は、ジャイロ内蔵の照準器や、Gスーツをすでに採用しており、 Me262の高速性も、圧倒的な優位とはなりませんでした。 Me262の信頼性の低さも、同機が活躍できなかった理由でしょう。 何よりも連合軍は、兵力の面でも、パイロットの技倆の面でも、ドイツを上回っていました。 #right(){(88:38)} **P-47サンダーボルトのターボって胴体のカナーリ後部に搭載されてますよね。 >こんなに配管を長くしたらスロットルレスポンス悪くなるんじゃないかと思うけど、問題にはならなかったの? サンダーボルトは自重が大きく、「神に誓っていう、こいつはどうしても上昇しようとしない」と愚痴られたようです。 したがって、スロットルレスポンスがどうこう言われるほど、余裕ある使い方をされていなかったのでは、と思われ。 つまり、戦闘時にはフルスロットルばかり、と。 #right(){(90:517)} 逆にエンジンのすぐ傍に置いて熱制御に失敗したりもしているからねえ。 優先順位の問題。 #right(){(90:519)} **朝鮮戦争でP-51も参戦していたようですが、Mig-15とまともに戦えたのでしょうか? ジェット機相手に、レシプロ機はまともに上空を占位すること出来ず 一方的な戦いになる。 例外として、スカイレーダーがMig-15撃墜したとか B-29の防御火網が撃墜したとの例もあるが、あくまでも例外 #right(){(91:605)} 韓国内の飛行場がジェット機の運用に適さ無かったため、 モスボール状態にあった2線級兵器を引っ張り出したに過ぎません。 まともに戦えません。 #right(){(91:606)} P-51やF4Uは、主に対地支援に駆り出された クリムゾンスカイ―朝鮮戦争航空戦 光人社NF文庫 ジョン・R. ブルーニング (著), John R.,Jr. Bruning (原著), 手島 尚 (翻訳) F‐86セイバー空戦記―朝鮮上空の死闘 光人社NF文庫 ダグラス・K. エヴァンズ (著), Douglas K. Evans (原著), 手島 尚 (翻訳) ここら辺がお勧め #right(){(91:608)} **太平洋戦争では、B-17による水平爆撃ってどの程度の命中率があったんでしょうか? >航行中の艦船に対するものと、飛行場などの固定物に対するものでは全然違うと思うので、宜しければ双方教えて下さい 実際には、運動している艦船に対する水平爆撃の命中率は皆無といっても差し支えありません。 (実践した例もそれなりにあるようですが、やはりほぼ命中していません。) これはB-17に限った話ではないのですが・・・ #right(){(92:568)}※後半のスキップ・ボミングの記述は間違いがあるので記載せず **P-38、51等の「P」は何を表すのでしょうか? P 追撃機 #right(){(94:133)} **B-25(大戦中は陸軍所属ですねよ?)はどうやって空母から打ち出したんですか? >専用特設カタパルト? 自力で発艦してます。 #right(){(98:30)} B-25は飛行甲板を目いっぱい使って(合成風力も)、カタパルト無しに発艦しました 二次大戦においてカタパルトは補助的なもので、艦上機等もカタパルト無しに 自力+合成風力によって発艦します。 #right(){(98:33)} **日本軍はアメリカ軍の戦闘機にどんなコードネームを付けていたんでしょうか? 日本軍は特に米軍機にコードネームを付与していたということは無いと 思います。ただ、日本独特の呼び方はありました。 例 F4Uコルセア:シコルスキー F6Fヘルキャット:グラマン P38ライトニング:目刺し 他にもあったような気がする... #right(){(98:513)} >なんでコルセアはロシア風なんだろうか? 製造会社の正式社名がヴォート・シコルスキーだから。 シコルスキーは亡命ロシア人。 なお、ヴォート社とシコルスキー社は大戦のちょっと前に合併、大戦中に再び分離。 #right(){(98:518)} **バニーガールのイラストがペイントされてる戦闘機(爆撃機?)の名前を教えて下さい。 エノーラ・ゲイ #right(){(99:431)} 「バニーガールのイラスト」とかは一般に「ノーズ・アート」と呼ばれています。 ノーズアートだけ集めた写真集とかもあるほどです。 で、そのノーズアートですけど、ぶっちゃけ大抵の米軍爆撃機・戦闘機に描かれていました。 ただし、戦闘機は機首が細いので、恋人やお母ちゃんの名前を書いてる程度が多かったようです。 んなわけで、本格的なお姉ちゃんの裸を描いてたのは爆撃機が多く、 特に機首が平面で生産数が多かったB-24リベレーターに傑作が多かったように思います。 私が知ってる中で、ノーズアートの一番の力作は、同機に描かれた、Dragon and his tail.だと思います。 (これは既にノーズだけじゃないんだけどね #right(){(99:481)} **P-40Nウォーホークってどう?評価や人気は高いの? 連合国の馬車馬でしょうね。 さほど高性能ではなくとも、機数を揃えられて、稼働率も良く、頑丈であると。 人気は他の戦闘機とかと比べると可成り地味ですけどね。 #right(){(99:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 評価や人気が「誰に」高いのか、を明らかにしていただけないと答えにくいです。 つまり、当時のパイロットの評価か、敵側から見た評価か、現代の視点で見た評価か、 によって違うのでその部分は回答不能です。 現代の目から見ると、作りは頑丈だけど、高空性能は悪いし、速度も運動性も平凡ってとこですね。 生産国であるアメリカ陸軍では専ら対地攻撃などの雑務に使ってましたし。 ソ連や英国などの連合国へ供与された数が多いと言えば、押して知るべしでしょうね。 #right(){(99:833)} **B-24が最も目立った作戦というのは無いのでしょうか? B-24はほぼ全戦線で活躍している。投弾量はB-17より大きいし。 太平洋戦線では本土空襲こそないが、長大な航続力を生かし、日本軍を苦しめている。 兵器として重要なのは役に立ったかどうかで、目だったかどうかではない。 どうしても派手な活躍を知りたいというのなら、「プロエスティ」「爆撃」でぐぐれ。 #right(){(100:791)} B-24もB-17と共にヨーロッパ戦線における爆撃隊の主力として活躍してますよ。 ハイライトといえるかどうかは判りませんが、プロエシュチ油田爆撃のエピソードが有名。 #right(){(100:792)} B-24の場合、通常の爆撃任務に加え、対潜任務でも大活躍したことを申し添えておきます。 #right(){(100:795)} **P-38って本当にゼロ戦のカモだったのでしょうか? ゼロ戦相手に格闘戦やろうとしたP-38は鴨だった ペロハチが一撃離脱に徹した場合、鴨はA6M #right(){(101:263)} **水上機型のグラマンF4Fは存在した? フロートつきのF4Fはありますです。 エド社製のフロートを付けた型がF4F-3Sという非公式名称をつけられました。 二機が改装され、1943年2月28日に初飛行したとのことです。 #right(){(111:611)} **P-51をターボプロップにしたエンフォーサーとかいう攻撃機があったと思うんですが、あれはセールス的に成功したんでしょうか? 確か、Piperが作った機体だと記憶していますが、売れませんでした。 もう一つ、F-51D(P-51)の廃棄機から再生した機体を、Cavalier社がF-51Dとして製作して いますが、こちらは、1967年に米空軍の発注でMAP供与機として生産、ボリビア、 ドミニカなど中南米の小国空軍に供与されました。 元々、この会社はF-51Dを購入して、複座に改造してスポーツ機として製造していた会社でした。 これから発達した自社開発機が、MustangIIとして試作され、 これら中南米の小国空軍に改造キットとして売られています。 この機体は、複座、固定式翼端増槽を持ち、動力はRR Merlin620に強化、 翼下には各種武装を吊下げられます。 また、これを更にRR Dart Mk.510に換装したのが、Turbo MustangIIIとなっていますが、 こちらは売れませんでした。 再生機としては他に主にWWII末期~朝鮮戦争時代に生産されたDouglas B-26を、 この機体をビジネス機に改造していたOn-Mark社で再生し、 米空軍がベトナムで使用したB-26Kがあります。 こちらはそこそこ売れました。 余程のことがない限り、わざわざ戦時中の余剰機を使用して改造するよりも、 戦後に生産された中古機を購入した方がまだマシでしょうし、 また、大国の傘下に入れば、ひも付きで或程度の新鋭機が供与されますから、 余程経済的に困窮している国でない限り、こうした機体を購入することは無いと思います。 #right(){(113:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **アメリカのB-17爆撃機の下部球形銃座など、どうやっても弾薬が内部に収まりそうにないものがよくあります。 >あれらは、弾薬はどこに収められていてどのように銃本体に給弾されているのでしょうか? 航空機用機銃の装填は手動で出来ないものは圧搾空気を用いるか、油圧で装填します。 ttp://www.warbirds.jp/ansq/12/A2003646.html ドイツのMG151/20は電気装填式です。 B-17爆撃機の下部球形銃座は銃座の外に弾倉があります。 #right(){(114:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **ぺろ8の由来って、P-38→Pろ8→ぺろ8から来てるんですか? >それとも、当時のゼロ戦パイロットたちの間で、「8機くらいぺろりといける」と言われていたからですか? アメリカの戦闘機が”P-**”という番号が付くのは知られていたので、 そのPに”ペろっと”という形容詞を合わせてP-38だから 「ぺろっと食える(3)8」というのが由来のよう。  別に 3 と ろ をかけたわけではないようだ。 #right(){(115:848)} 一度「南方進攻航空戦1941-1942」(大日本絵画)をごらんになることをお勧めします 日本機が「ぺロっと食った」P-38の正体は実はハドソンなどのロッキード製双発機だったのです。 戦場の誤認というやつで、これが結果的に山本五十六の撃墜に結びつきます。 #right(){(115:854)} **B-17の後期型の機首銃塔は、誰が操作しているのですか? >2連装M-2 12.7㍉機関銃を装備した、油圧装填機構付の電動機首回転銃座が追加された。 >照準は回転銃座の回転機構と同期しているが、自動計算照準でない。 >回転銃座は、爆撃手席の下側にあり、爆撃手が操作する。 #right(){(121:453)}※リンク先のサイト消滅 >自分自身を撃たない用にする何らかの安全装置があったのでしょうか? 背面の動力銃座は電気的に射界を制限していた記憶が。 撃てなくなったら尾部銃座にお任せってことで。 #right(){(121:455)} ノルデン爆撃照準器を使うから爆撃照準の妨げにはならない。 どんな案配かと言えば映画「メンフィスベル」とか記録映画を見なされ。 #right(){(121:482)} **第二次世界大戦でアメリカの戦闘機は防弾が優れていたから20mm砲でないとダメ、 >という話を聞くのですが、7.7mmや12.7mm機関銃では撃墜できないのでしょうか? 例えばパイロットを射殺すれば機体が無傷でも墜落します。 それと同じ。 当たり所次第で12.7mmや7.7mmでも十分効果があり、現にそういう撃墜戦果は多数あります。 零戦のエースパイロットの中には20mmなど不要と言い切っている方までいらっしゃいます。 それと、相手との距離や相対速度で銃弾の威力は大きく上下します。 20mm弾が他と違うのは、それが炸裂弾であり、当たりさえすれば大破壊をもたらすからです。 #right(){(123:304)} **WW2の米軍機は、P-38、B-29、F6Fと、Fシリーズだけハイフン「 - 」が付いてないのですが、なぜでしょうか? >現在はF-15、F-22等付いてますが・・。 当時海軍と陸軍では制式名の命名則が異なっていた、 ハイフンなしは海軍式で、会社別(番号の後のアルファベットで識別)に番号が振られた。 だからグラマンのF4FとヴォートのF4Uの様に同じ番号でも違う機体が有る。 ハイフンがついてないのは1962年の名称統合前の米海軍機。 この次期の米海軍機でも、たとえば哨戒機のPV-1のようにサブタイプを示す数字の前には ハイフンがつく 米陸軍航空隊や米空軍の機はずっと機種記号の後にハイフンがついてる #right(){(575:138,155)} **日本が購入したセバスキー2PA-B3戦闘機の戦果は? >昭和12年に日本海軍はアメリカからセバスキー2PA-B3複座戦闘機を25機ほど購入していますけれど >これらは中国戦線に投入して敵機撃墜や基地破壊等の記録に残る戦果を出したのでしょうか? >最高速度500キロ、航続距離4000km前後、余裕のある機体設計は当時の単発戦闘機としては上々かと思うのですが その高速と長大な航続距離に期待して1937年に購入、装備して、S号戦闘機と言う名称で準制式機の 扱いで、第12航空隊に配備されましたが、He-112よりも更に運動性が悪く(上まぁ、日本海軍の戦闘機 乗りは一撃離脱より巴戦信奉者が多かったので当然ですが)、操縦性は最悪という判定を下され、 援護用には全く使用されず、2機が2年後に朝日新聞社に、1機が東京日日新聞社に払い下げされて います。 東京日日新聞の機体は、1941年に爆発して大破、朝日の機体も、神風号の飯沼飛行士が操縦中に 胴体着陸をするなどして、戦争前までに全て喪われました。 そして、残りの機材は仕方ないので、陸上偵察機として使われた後、内地に於て操縦学生の訓練機や、 整備学生の整備機材として使われました。 ちなみに、こいつを購入して霞ヶ浦で試験をした時、大仰角の急激な運動をすると必ず猛烈な不意自転が 生じたのですが、この機体に付いてきたセバスキー社のテストパイロットは、この現象は、高速機で必ず 発生する『スナップロール』と言うものだ、と丁寧に「解説」されたそうです。 この頃までに、日本海軍の操縦安定性に関する研究は、世界に比肩するくらいまでに至っていたのですが…。 #right(){(356:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **F8Fは捕獲した零戦の影響受けて作られたって言う人と、捕獲したFw190の影響受けたって言う人がいるけど、どっちが正しいんでしょうか? >wikipediaではFw190の影響と書いてありました。 零戦に関しては「これに格闘戦でやりあえるようなものを」と FW190に関しては「極端に絞ったスリムな機体に大馬力エンジンを積む」というコンセプトを それぞれ参考にしたということで、どちらの影響も受けているというのが正しいところでは。 どっちか一方だけではなくて。 #right(){(474:93)} どちらも参考にしていない。その両説ともその両機種が好きな人間が流したデマであると言う説 もあります。 単に、開発時に手に入る優秀なエンジンを使い、F4Fしか使えない小型軽量な空母で運用可能な 戦闘機を目指したらああなっただけ。と言う話です。 つまり、Fw190や零戦など眼中に無くても、大馬力エンジンに軽量な機体を組み合わせる発想に 辿り着ける理由はあったことになります。 #right(){(474:138)} **P-51の長所として航続距離がありますが、これはボディ内部の空間に余裕があるということですか? 1.空力的に洗練されているので自ずと巡航速度が速くなり飛行距離が稼げる。 2.短期間に設計しなければならなかったので軽量化を後回しにした結果、頑丈で   機内・機外とも燃料搭載量が多い。 3.層流翼と言う空気抵抗を増やさずに厚翼を採用出来る方式を採用したので翼内   燃料が増やせる。 1補足  護衛対象の爆撃機も高速化したことも忘れてはいけない。 2補足  作戦行動中はあまり使わないが長距離フェリー用のタンクが機内にある。  軽量化が後回しにされたのでD型あたりまで加速が悪い。 3補足  それがために中低速域の運動性が低い。 #right(){(350:262)} **P-38は単発戦闘機とタメ張れるくらい強かったの? >BoBの例を見るまでもなく双発戦闘機は単発戦闘機には敵わないんじゃないの? 格闘戦だけが戦闘機の戦い方ではありません。 どんな機体も本来の性能を生かす戦い方をすれば良いのです。 てか最初から双発エンジンの馬力にものを言わせた高速戦闘+大航続力の遠距離戦闘機として 双発戦闘機は誕生した。 だがこの頃の航空機の進化はものすごいスピードだったのは知ってるよね? あっという間に単発戦闘機の性能が双発戦闘機を追い抜いちゃったんだ。 世界大戦が始まったのはちょうど単発・双発戦闘機の優位が逆転した時期と重なる。 ドイツの戦闘機Bf110は一番不幸な時期に誕生した戦闘機なんだよ。 その後再び双発戦闘機も大馬力エンジンの恩恵を受け直し、一定の地位を取り戻す。 アメリカのライトニングやイギリスのモスキートなんかがそう。 ドイツに至っちゃジェット戦闘機にまで昇華させてしまった。 ただし「一定の」地位でしかない。 すでに単発戦闘機の能力は、双発戦闘機が果たすべき任務のほとんどをこなすことができるようになっていたから。 ジェットの時代に入ると信頼性其の他の理由から双発が主流になっていくけどね。 #right(){(345:413,418)} **B-17の下部銃座には飛ぶ前に地上で潜りこまなければならないの? B-17の下方ボール型銃座は飛行中に乗り込める てか、下方に引き出してからでないと乗り込めないので地上で乗り込むほうが難しい 名作「頭上の敵機」には当時の実写フィルムが使われていて、下方銃座への乗り込み方がよくわかる てか、銃手は大男の俳優が演じているのに突然小柄な兵士に変身するのでびっくりする ブックオフで1000円以下で入手可能だから、これ以上恥を書く前に一回みとくといい #right(){(568:740)} **F8Fは一定以上のGが加わると翼の端を吹っ飛ばしてGを軽減させるというのは本当? break-away wingtip。 爆索とマイクロスイッチが折りたたむ部分にセットされ、 5G以上かかるか、他の翼端の爆索が作動するとこっちも発火するように作られている。 これによって両方の翼端が同時になくなってバランスがとれるようになる。 http://www.findarticles.com/p/articles/mi_qa3897/is_199808/ai_n8826530/pg_4 #right(){(343:787)} **P-38は他国のように複座式として開発されていたら、屠竜等のように鈍足になり対爆撃機用戦闘機として使用されていたんでしょうか? 元々P-38はターボチャージャーと大火力を備えた 高高度迎撃戦闘機として設計・開発された。 あの特徴的な形状もその目的に特化したもの。 他国の双発戦闘機と違って自国外の領空を長距離 飛行することを考えてないので航法士の類は 不要なため、単座で設計されている。 「本来の」目的には使われなかったので、実際には 長距離戦闘機や地上攻撃機として活躍したけどね。 ちなみにP-39”エアラコブラ”やP-47”サンダーボルト”も 設計当初のコンセプトはそれ(高高度性能の高い重武装 迎撃機)だったりする。 P-38は複座型も一応作られた。 評価はイマイチだったが。 #right(){(600:554)} **現在でもPー47やPー51は可動機がたくさんあると聞きましたが、メンテナンスはどうしているんでしょうか? 向こうは砂漠の飛行機の墓場に手を入れたら飛ばす事が出来る機体が沢山有ります。 それを払い下げてレストアして飛ばしている他の方のレスにも書かれている南部空軍なんて楽しい連中も居ます。また、エアレースが盛んで使用する機体のほとんどが、大戦機ですね。 グリフォンやワスプ等のエンジンを魔改造してコントラのペラを着けたモンスターが低空飛行をするシーンは凄いよ。 YouTubeでリノのエアレース等で検索したら見れますよ。 #right(){(601:不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk)} **A-1 スカイレーダ採用時に不採用になった機種名を誰か教えてください 1944年の時期ならば、Curtiss BTC、Martin BTM、Douglas BT2D、Kaiser-Fleetwings BTKの 4機種が発注され、Curtissは完成遅れで放棄、MartinはBT2Dの保険として149機発注(後のAM)、 Kaiser-Fleetwingsは小型で搭載量が小さかったので不採用となりました。 #right(){(308:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **写真でSDBの風防を開けてガッツポーズしてるものを見たんですが開けて飛んでも問題ないの? スライド式キャノピーは問題なし。米海軍機はF3Hぐらいまで原則として離着陸時はオープンにしていた程. ホップアップ式になってからは不可能だが。 #right(){(637:637)} **P47サンダーボルトで、12.7㎜機銃が採用されたのは何故でしょうか? >対地攻撃を主任務とする戦闘爆撃機だから、威力で勝る20㎜機銃の方が良い様に思えますが? それは結果的にそういう運用をされたというだけで 計画段階のP-47は高高度戦闘機です。 何のためにターボ付けてると思う? P47に任務を奪われて、活躍の場が無かったP63(´・ω・`)カワイソス Pー47が開発された頃には戦闘機で機関砲を翼内に装備するという発想は アメリカ軍にはない。 そもそも12.7mmでも「大口径」という意識の時代の設計だから(Pー47の 設計は戦前だ)。 まぁ戦争があと1年ぐらい続いてたら20mmX4のバージョンとか作ったかもな。 #right(){(299:377-384)} **F4Uってなんであんなに後にコックピットあんの? >そして逆ガル翼ってあんまり使われてないけどなんで? コクピットの前にはでかいエンジンと主翼取り付け部がある。 ガルウィングがポピュラーでないのは、高出力艦載プロペラ機みたいに、ペラをでかくして しかも足回りを頑丈にしたいという強い要求がない限り、複雑な形態分、重くなり、 製造に時間がかかり、空力的には曲がった主翼のためロール時に安定が悪くなる。 揚力についても効率が悪くなるため、同じサイズなら翼面荷重が増し、翼面荷重を 同じにしようとすると、サイズが増えて重量も増え、その分翼面荷重が… でかい燃料タンクもな。 http://www.fiddlersgreen.net/aircraft/Vought-Corsair/IMAGES/Corsair-cutaway.jpg #right(){(651:492-493)} **B-29やB-17は数百機単位での作戦をちょくちょく行っていましたが、指揮をするような機体は空中に存在していたのでしょうか? >地上管制部からの誘導で纏まって動いているだけですか? 大きいもので百数十機程度の「梯団」をいくつか組みますのでこれが一番大きな作戦単位になります。 梯団の指揮機は作戦中止を含めた権限を自分の梯団に対して持っています 全面的な中止となると、地上からの交信によります。 戦況を判断して現地で命令を下せる権限が及ぶ最大値が、百数十機毎の梯団ということです。 #right(){(653:474)} **P51のPは何のPですか? Pursuit aircraft(追撃機)のP #right(){(286:635)} **B-29の護衛であるP-51が役に立たなかった、足を引っ張ったと言う話を聞いたのですが本当なのでしょうか? >今まで硫黄島を占領するまで護衛が付けられなかったから、B-29損失が多かったと思っていたのですが。 ルメイの誤解。 P-51を伴う場合は当然その航法を助けて誘導してやらねばならないが、 それが手間だっただけ。 実際はP-51を伴うことが出来るようになったので昼間中高度精密爆撃が可能になり、 その恩恵は非常に大きい。 硫黄島からとは言え、B-29でもギリギリのところだったから単発戦闘機のP-51では 航続距離的にきつかった模様。天候不良で護衛が出来ずに引き返したり墜落したケースもあったし。 ただ、末期の防空体制はザルだったから、そうなればP-51は足手まといにしかならんな。 無論、その防空体制を崩壊に導くまでは必要だった訳だが。 #right(){(286:612-613)} **メンフィス・ベルが最初にミッション25回クリアしたってのはガセ? メンフィス・ベルと同じ頃にに25回を達成しそうな機が数機あった。 この中で最初のがベルで、ワイラーの記録映画で大々的に宣伝され 有名になった。 でも、ヘルズエンジェル号など、第8空軍内でもっと早く達成していた機が あった、という話はいくつか聞いたことがある。 #right(){(284:200)} **B-17Gは機種の左右と下部の3箇所に機銃がありますが、機首には爆撃手と航法士の2人しかいません。 >資料を見ると爆撃手が機首下の銃座を担当するとあります。そうなると航法士1人で左右の銃座を担当していたのでしょうか? 爆撃手、航法士が担当になっていますが、他の誰か、例えば副操縦士なんかが 稀に担当する場合もあります。 確か、Memphis Bell辺りに記述があったような。 #right(){(284:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2の米軍機は1機あたり何時間ぐらいで作られたんでしょう? 1機当たりの生産に必要とされる延べ労働時間数の記録がありまして、単位は時間です。                             1943年1月   1944年1月  B-17(Boeing Seattle工場)            35,400     18,600  B-24(Consolidated Valtee San Diego工場)  24,800     14,500  B-25(North American Ingulwood工場)     14,800     10,700  C-54(Douglass Santa Monica工場)      142,100     62,600  P-38(Lockheed Burbank工場)          14,800     9,600 手元ですぐ見つかる資料はこんなもん。 #right(){(131:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **B-29の後継機のB-36はなぜあんなに機銃が少ないんですか? B-36のみで侵攻することを考えていた初期のタイプ(Dぐらいまで)は針ねずみのごとく 機銃を装備しているよ ただし、抵抗を減らすため格納式なので通常は見えないけどね 実戦部隊に配備された後期型は後方銃座ぐらいしか残してないけど、これは重量軽減対策と 運用方法の変化、つまりB-36の侵攻の前にB-47やF-84Fなどが核爆弾でソ連側の戦闘機の 基地や対空砲火を全滅されることになっていたからだ もちろん、米空軍としても実際にこう都合よく話が進む、なんて甘い期待はしてなくて、 いわゆる寄生戦闘機各種(B-36の爆弾槽に吊るしたり、主翼端に結合したり、ワイアで 曳航したり)の試作検討や、長距離侵攻(護衛)戦闘機の試作なんかをやってみた(全部 失敗w ‬#right(){(134:23)} **F6FとF4U、性能面でも生産数でも大して変わりがないのに、戦後F6Fがさっさと退役してF4Uだけが攻撃機として長く使われたのはなぜ? 元々は、米海軍の40年代に於ける次期主力戦闘機は、陸軍の機体を凌ぐものとして、1938年2月1日に仕様書を提示します。 この時、Grummanが提出したのはF5F、他にBellがP-39の海軍型FLで参加し、Voughtの設計陣はV-143試作戦闘機(日本に 輸入され、一部の機体の参考になった)から発達したR-1830を搭載したV-166Aと、R-2800を使用するV-166Bを提出し、 1938年6月30日、Grumman、Bellを抑えて、V-166Bが採用されました。 でもって、V-166Bは初飛行後、海軍の予定通り、陸軍の機体以上の速度で、400マイルを越えた最初の戦闘機となりました。 しかし、欧州の戦訓から各種の改修、特に防弾装備などの搭載で、重量増となります。 また、逆ガル翼の採用がネックとなって、空母での使用は不適当となりました。 ただ、大戦中も本命はこちらですから、地道に改良が行われています。 一方で、米海軍は保険として、GrummanにR-2600を搭載したF6Fを開発させていました。 偶々、F4Uの実用化が思わしくなく、F6FにR-2800を搭載した型をテストしたところ、とりあえず、 日本機を凌ぐ性能を示したため、これを量産化します。 ただ、発動機の出力の割に機体が大きく、重量が重いため、性能的には凡庸でした。 このため、性能向上が図られて、F6F-5に常用高度の高いR-2800-18Wを搭載したF6F-6が試作 されますが、この時には、F7F、F8Fと言った後継機の試作が進み、生産が開始されるところでした ので、結果的に二重投資を避ける意味で、保険だったF6Fは退役の方向に進みます。 ところが、大戦が終了して余剰機が増え、F4Uの改修の方が新型機の生産よりも安く済むため、 F4Uは改修されながら、長く用いられた、と。 詳しくは米国公文書館の資料でも当たってください。 #right(){(205:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **B-17改造の無人遠隔操作爆弾「アフロディーテ」とはどんな物なのでしょうか 「アフロディーテ」は正式にはBQ-7誘導爆弾と言いまして、耐用時間超えた中古のB-17に 約9トンの爆弾と無線操縦装置を積み込んだ機体です。 離陸する際は2名の操縦員が搭乗し、離陸した後に操縦員はパラシュートで脱出して 他の機体の誘導によって目標に突入すると言う代物です。 1944年に25機が改造され、8月から翌年1月までに15機が使用されています。 余談ですが、ケネディ大統領の兄のジョセフ・ケネディ海軍大尉はこの誘導爆弾の 実験にかかわっており、44年8月12日に実験に使用したPB4Y-1が離陸後に 爆発して死亡しています。 #right(){(206:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **B32の詳しい情報求む 元々は、VLRとしてR-40Bの仕様書を各社に提示したものが始まりで、 Douglas、Boeing、Lockheed、Consolidatedが応募に応じたもの。 このうち、Douglas XB-31はエンジンが試作できていない理想主義的な機体で 選に漏れ、Lockheed XB-30はL-049 Constellationの爆撃機型で、お座なり。 残ったのがBoeing XB-29、Consolidated XB-32の二機種。 本命はXB-29であったが、早急な実戦化を望む軍が革新的な手法に依らず、 堅実な設計のXB-32も平行して発注した。 条件では、1942年6月に初号機領収だったが、与圧室、砲塔の不具合に手間取り、 1942年9月7日初飛行。(B-29よりは2週間早い) 1943年7月2日に2号機、11月9日に3号機が飛行したが、これらは双垂直尾翼の 試作機であった。 これらのうち、1943年5月1日に1号機は墜落して失われ、方向安定性不良、与圧 構造の操縦室の不具合、遠隔操作砲塔の不具合などが続出。 垂直尾翼は、B-24Nと同じような単垂直尾翼となり、与圧は廃止、砲塔はB-24と 同じ、Emerson砲塔が装備された。 1943年3月の300機を筆頭に、全部で練習機型を含んで、1500機の発注が為され たが、実際は爆撃機型が75機、練習機型が40機で生産が終了している。 実戦は、1945年5月29日のルソン島マンタテトに対する日本軍空爆が初出撃、他に 台湾、中国に対する数機の爆撃Mission、東京への偵察など併せて19回の出撃を 行っており、東京では二機の戦闘機を撃墜している。 #right(){(WWⅡ爆撃・攻撃・雷撃機について論じる:眠い人 ◆gqikajhtf2)} **日本軍が鹵獲してフクちゃんのノーズアートをつけたB-17の画像を探しています ネットでは見れませんが、光人社の日本軍鹵獲機秘録のP.84に写真はあります。 #right(){(70:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} こちらにありました http://www.warartcolors.com/maker_custom/few/custom2013_14.html #right(){(軍事板wikiFAQ作成本部6:565)} **マッカーサーが厚木に来た時に乗っていた飛行機は何ですか? DC4(C54)輸送機 #right(){(俺初質スレ436:601)} *B-29 **B-29には空中給油機型があるってきいたんだけど? B-29に空中給油機型はあります。 但し、B-29に受油設備そのものはない。 朝鮮戦争で旧式化を露呈した機体ですが、多数製造された上、機体のキャパシティも 大きかったので、ホース式の給油装置を取り付けたKB-29Mが92機、フライングブーム 式の給油装置を取り付けたKB-29Pが116機(試作機YKB-29J1機含む)、3ホース式 タンカーとして試作されたYKB-29Tが1機改造されています。 KB-29Mに関しては、KC-97シリーズが実用化されるまでのストップギャップとしての 機能を持ってました。 このほか、英国でもワシントンKMk.1として少数機が、ソ連でもTu-4の空中給油機型 が少数機改造されています。(これらはいずれもB-29そのものとその派生型です) #right(){(8:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)} **B-29の相手が他の国(アメリカ・イギリス・ドイツなど)の戦闘機などだとしたらどのような展開になったでしょうか。 アメリカと英国については重爆撃機を迎撃する目的を持った機体はありません。 何しろ交戦国が重爆撃機を装備してないですからね。 特に高高度からの爆撃であれば、ほとんどお手上げでは? 高高度で十分な性能を有するP-51では火力不足で重爆の相手は苦しいでしょうし。 一方ドイツについてはMe262がカタログデータ通りの能力を発揮すれば 充分迎撃可能でしょう。 大戦最後期に登場したTa-152Hあたりでも迎撃可能でしょうね。 重爆相手の迎撃戦は敵の護衛戦闘機をかわす能力と、高高度まで上昇する能力 さらに重爆を撃破できるだけの大火力が必要になります。 これらの能力をすべて満たすのはやはりジェット機でしょうね。 #right(){(21:962)} 英国の場合、ドイツの高々度偵察機対応でSpitfireのMk.7が開発されています。 気密室を撤去していますが、Mk.8もそこそこの性能を持っています。 ただ、気密室付きの高々度双発戦闘機はものにならなかったので、 夜間戦闘は苦労したかも知れませんね。 後は、ミーティア、バンパイアがどれだけ高々度性能を有するかでしょうか。 ソ連はPe-2Iが気密室付の高々度戦闘機として開発されていましたが、 あまりモノにはならなかったようです。 #right(){(21:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **サイパンまでB-29はどうやってもってきてたのですか。 「B-29日本爆撃30回の実録」にたしかハワイから空輸したと 書いてあったように記憶しています。 #right(){(22:582)} **第二次大戦で日本軍は何機ぐらいB-29を撃墜したのか教えてください 詳しい内容は調査中ですが、日本爆撃に飛び立ったB-29のうち 未帰還機は200機を越すそうです #right(){(27:555)} **当時の日本人がB-29のことを「モロトフのパンかご」と呼んでいたことは事実だったのでしょうか? 本当です。 米軍がB29で投下したE46集束焼夷弾のことをそう呼んでいたそうです。 集束焼夷弾を最初に使ったのがソ連の空軍であったので「モロトフのパン籠」と 俗称されたとのことです。 AN-M69・6ポンド焼夷爆弾を四十八個集束したものがE46・500ポンド集束焼夷弾で、 親子焼夷弾とも呼ばれました。 #right(){(58:名無し軍曹)} **B-29が搭載していたリモートコントロール式の12.7㎜機銃はどうやって目標に標準をつけたのですか? マークⅠアイボール、つまり目玉で、照準器を使って、照準していました(尾部銃座のみ、直接照準でした)。 銃座は、照準器に追従するようになっていた、と思います。 #right(){(61:176)} 銃座近くにある透明ドームの中に、双眼鏡型の照準機があってそれで狙います もちろん視差の影響は大きく、アメリカの技術力を持ってしてもちゃんと命中 するようにするまでの開発は困難を極めたといわれます #right(){(61:177)} **B-29の生還率ってどれくらいですか? 日本空襲の場合、当初の高高度精密爆撃を行っていたころは5~6パーセント台の 損失が出ていました。 特に昭和20年2月10日の群馬県の中島飛行機・大田製作所への爆撃の際には 118機出撃した中で損失は12機、この他に29機が被弾し損失率は10パーセントに達しました。 しかし、ルメイ少将が夜間低高度での無差別焼夷弾爆撃戦法を採用したことや、 2月の艦上機の来襲、更に4月に入ってのP-51の随伴により損失率は大幅に低下しており、 わずか1~1.5パーセントほどになっています。 特に7月以降は日本が本土決戦を控えて迎撃機の温存策をとったためほとんど損害がない 出撃もありました。 大戦中にB-29は延べ33.000機が出撃し、このうち戦闘で失ったのは450機あまり。 出撃に対する損失率は1.38パーセントとなっています。 #right(){(85:名無し軍曹)} **当時の対B-29主力兵器であった飛燕や対空砲火に,本当にB-29を撃墜する力があったのでしょうか? >調べてみると当時日本には800門しか対空砲が無かったとか。では、どうやって全長30M幅50Mもあって100機で編隊を組んで日本中を爆撃する能力のある飛行機を,300-400機も落としたのでしょうか? >飛燕の根性体当たりで撃沈したとか、神業的な戦果はよく見るのですが...それだけじゃ数百機も落とせませんよね? 爆撃機迎撃は、戦闘機の性能じゃなくてシステムで落とすんです。 高々度精密爆撃をするだけなら日本の対空砲火、戦闘機の相手ではなかったのですが、低空絨毯爆撃をするようになると被害が結構増すようになります。 高々度でも、戦闘機の護衛が無いので、創意工夫によっては迎撃機の餌食になる場合もありましたが。 それに、日本の高射砲部隊は一般に思われてるよりずっと優秀でした。損害の過半数は高射砲によるものです。 また、低空絨毯爆撃、特に白昼爆撃では、迎撃機も、硫黄島陥落後に戦闘機の護衛が付くまでは結構活躍していました。 さらには、サイパンから長躯出撃するので、損傷を与えただけでも、基地に帰り着けない場合も多々あったようです。 あとですね、体当たり攻撃は思っているほど実行されてないらしいですよ。 ドイツ本土防空戦と比べれば、むしろ、300-400しか落とせなかった事の方が不思議に思えるようになるよ。 初期のシュバインフルト爆撃なんぞでは,連合軍爆撃機は20%も落とされてる。一日で60機が落とされた勘定だ。 B-17は総出撃数291.058ソーティーに対して、損失数は4.688機だそうだ。 ドイツ空襲にはB-29は参加していないので、単純に比較はできないがな. 全体では対独戦で連合軍は1万4000機ほど重爆を失ってる。 (眠い人 ◆gQikaJHtf2,名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他) **エノラ・ゲイ号は広島に原爆を落とした後急旋回して爆風を避けましたがこれはどうしてでしょう。 >素人目にはそのままガーッと全速力で直進した方がいいと思うのですが。 原爆は自由落下で落下するので、エノラゲイが原爆投下ボタンを押したのは相生橋のかなり前方になります。 そのまま直進すると、爆弾と同じ方向に進むことになってしまい、爆発地点に突っ込んでいく様になってしまいます。 爆風などの予想被害をなるべく避けるために急旋回を採用しました。 #right(){(5:897)} **B-29の偵察機型であるF-13の「F」って何の略ですか? photographic recon(写真偵察機) Pを使わなかったのは、既に戦闘機(pursuiter)の記号として使われていたから。 #right(){(94:892)} **B-29を現代戦に使えるでしょうか? 残念ながらフライアブルなB-29ってあんまり残ってないのよ。 #right(){(95:79)} **B-29の初撃墜、誰が何処で何を使って撃墜したのか、教えて下さい。 1944年7月の満州鞍山製鉄所爆撃の時に屠龍が初撃墜を果たしている それ以前にビルマで隼13機が単機のB-29を発見、襲撃して撃墜を報告したが このときは実は胴体に4ヵ所ほど穴が開いただけで、逆に尾部銃座によって 隼1機が撃墜された模様(隼1機が未帰還になったが日米とも撃墜は公認していない) #right(){(103:13)} **家にあった古い航空機の本を見ていたんですが、そこにB-29が載っていました。 >何気なく見ていると写真の説明の所に「南部連邦空軍所有機」とありました。 >南部連邦空軍て何ですか? Air Forceを名乗っていますが民間組織です。 https://www.commemorativeairforce.org/home へどうぞ。 #right(){(103:252)}※リンク修正 **B-29爆撃機は,その機銃で何機の日本陸海軍機を撃墜しているのでしょうか? >けっこうな数になると思うのですが。 撃墜確実679機・不確実撃墜454機・撃破763機…のようです(私の数え間違いがなければ) 成都駐留部隊の戦果は含まず、マリアナ駐留部隊のみです。 当然ながら、日本軍の記録とは大きく食い違うことは承知して下さい。 過大/過小申請・申請漏れ・援護戦闘機隊との重複申請などもあることも念頭に置いて下さい。  月別(特に4~6月は旬間)の概要は以下の通り。              撃墜  不確実撃墜  撃破 昭和19年11月     7      18     10 昭和19年12月     46      49     39 昭和20年1月     114     61     115 昭和20年2月     71      59     125 昭和20年3月     7       3      12 昭和20年4月     165     113     189   上旬         60     42     59   中旬         25     11     23   下旬         80     60     107 昭和20年5月     131     82     109   上旬         66     38     47   中旬         34     38     46   下旬         31      6     16 昭和20年6月     136     69     164   上旬         108    57     142   中旬         0      1     0   下旬         28     11     22 昭和20年7月      2      0      0 #right(){(「米軍資料 日本空襲の全容(訳:小山仁示)」より引用,鷂 ◆Kr61cmWkkQ)} **空襲前に、八丈島あたりでB-29の編隊レーダーで探知したり、警備艇で無線連絡したりして、早期に避難をしなかったの? 無理。B-29は一度富士山を目標にしてまっすぐ、飛んで来た後で、それぞれ爆撃目標に向かう、というコースで飛ぶ。 八丈島上空では、まだどの都市が爆撃目標になるのかわからない。 #right{(357:233)} **脱出したB-29のパイロットが、日本の竹槍や猟銃を持った民間人と交戦した例は、あったんでしょうか? 「交戦」はともかく、リンチにあって死傷した例はたくさん。 日本軍のパイロットがアメリカ人と間違えられて殺された例もある。 #right{(363:759)} **B-29のような大型爆撃機を迎撃する場合、戦闘機が狙う場所はどの部分ですか? 基本的に狙うのはコックピットか主翼の付け根とされています。 このために海軍の昼間戦闘機隊などでは直上方からの攻撃を主としていました。 また、B-29は爆弾倉内に増加タンクを装備しているという情報が伝わったため、 (実際は未装備)これを狙って後下方から斜め銃で爆弾倉を狙うという方法もとられました。 #right{(513:328:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **B-29って、機首の操縦席が大きい上にガラスも沢山ありますよね。そこをを狙えば、簡単に撃墜できなかったんでしょうか? 操縦席を狙うってのは弱い機銃で爆撃機を落す手段としてよく用いられるが、あくまでも苦肉の策。 何故なら、必然的に進路が交差し合う反航戦になるから。 この状態だと相対速度で機銃の威力が上がる反面、射撃の機会が非常に限定されてしまう。 #right(){(553:307)} **東京大空襲では、おおむね300機のB-29が投入されましたが、仮にこれを迎撃しようと考えた場合、何機の零戦が必要になるでしょうか? 実際に、零戦が迎撃に飛び上がって、戦果が上がったかどうかは知りません。 東京大空襲は夜でした。 夜間戦闘機の方が使いやすいです。 アメリカは、日本の夜間戦闘機が貧弱だと考えて、それまでの昼間爆撃を夜間爆撃に変更しました。 機関銃も尾部以外を下ろしました。 #right(){(561:霞ヶ浦の住人 ◆5rkfJsjgEM)} 零戦だろうと月光だろうと、まず夜間に離発着できる技量の高い搭乗員が足りません。 どうせまともな機上レーダーは無いので、戦闘機そのものが単座であるか複座である かは重要ではないのです。雷電も鍾馗も夜間迎撃に使われています。 つか、機上レーダーが無ければ地上の誘導に従って接敵したあとは、探照灯の照射 で捕捉する、あるいは敵編隊より高位に陣取ってから地上の火災に浮かび上がるシ ルエットを捕捉するしかないので、夜間戦闘機の方が使いやすいなんでのは嘘。 #right(){(561:ふみ)} **B-29の爆撃目標は工場、住宅地、基地(飛行場や軍港)これ以外に何か爆撃目標はありましたか? 爆撃、ではないけれどB29は日本各地の港やその沖合、主要航路に航空投下機雷を撒いて廻っていた。 これは戦略爆撃以上に日本にダメージを与えている。 あと、飛行場や軍港といった純軍事設備への爆撃はB29は意外とやっていない。 それらはむしろ海軍の空母機動部隊の搭載機が行っていた。 自分の故郷の都市の郊外で、沼地だったところを干上げて住宅地を造成してたら機雷がいくつも見つかったことがある。 海でもなんでもないところでなんで?と皆思ったが、ちょっと離れたところは港だったので、投下位置を誤ったか風で 投下したものが流れたか、という結論だった。 最初は対ドイツ戦と同様に、高々度からの軍需工場などへの爆撃だったけど、効果がイマイチだったんで、 イギリス軍みたいに民間人を狙う夜間低空無差別爆撃に。 あとは他の人も書いてるように機雷の投下。爆撃ではないが、B-29の写真偵察専用型であるF-13というにも来ていた。 #right(){(565:378,386)} **日本を空襲している時に撃ち落したB-29の機体の破片を全国から集めて研究していたって等の話はないんですか? 排気タービンやら、与圧室やら、エンジンやら色々集めていましたが、  「日本の技術力でこんなもの出来ないよね」「そだね」 で終わってます。 #right(){(336:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **カーチス・ルメイは、回想録の中で「日本には夜間戦闘機はなかった、夜間空中戦で撃墜されたB-29はほとんど存在しない」と書いていますが >実際には、日本の夜間戦闘機隊は昼間戦闘機隊を上回るほどの戦果を挙げています。なぜ誤解したんでしょう? 彼の「夜間戦闘機」のイメージはドイツのナハトイェーガーだから。 そういう意味ではあのような夜間戦闘機はほとんど日本は持ってなかったわけで。 あと米軍は月光に代表される斜め銃装備戦闘機の存在をよく理解せず、大半を 「高射砲によるもの」として処理してた。 なので尚更「夜間戦闘機に墜とされたB-29はない」という認識になっている。 #right(){(333:359)} **日本の航空機はB-29の高度に届かないから防空は困難だった? B-29が高度1万メートル以上の上昇限度ギリギリを飛ぶのは 爆弾を積まない高高度偵察くらいであって、 高高度爆撃といっても8000メートル前後での進入だった。 そして8000メートルでは爆撃の精度が低すぎて 指揮した爆撃飛行団司令官は更迭されている。 そのため主にB-29の進入高度は夜間は2000メートル前後、 昼間は6000メートルという低中高度が主であって、 日本の迎撃機でも到達できない高さではなかった。 米軍側の資料では 太平洋戦争中に配備されたB-29の総数は約1500機。 うち日本本土爆撃で失われたものが約500機、 そのうち半数が戦闘機により撃墜されたとしている。 配備数の3分の1の損害というのはけして少なくはないし 米戦略爆撃調査団は、日本側の資料調査と関係者への尋問によって 日本が保有する迎撃機は最高でも25%しか迎撃に使用されず、 大半が温存されたと結論している。 従って、迎撃により戦力を投入すれば、それ以上の戦果を挙げえた可能性は少なくない。 B-29搭乗員の出撃当たりの死亡率は2%~3%で、 これはドイツ本土爆撃の死亡率と大差なく、搭乗員の士気が保てるギリギリの線だった。 #right(){(590:57,54)} **「B-29は目標地点に近くなると爆撃手が操縦した」というのを何かで読んだんですが、本当でしょうか? >恐らく高度や速度から投下タイミングを計るには専門の技術が必要だからだとは思うんですが…。 http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/bombing/intro/norden.htm にあるようにB-29にはノルデン照準器というのがついていました。 これは、爆弾を落としたいところを爆撃手が照準器のスコープ内に捕らえておけば 飛行機は自動操縦で最適な投下点に誘導され、最適なタイミングで爆弾が自動投下されます >高度や速度から投下タイミングを計るには専門の技術 これは、計算である程度割り出すことができ、ノルデン照準器は原始的なコンピューターみたいなものです 目的は機長や爆撃手の名人芸に頼ることなく平均的に高い爆撃精度を得るためです。 #right(){(329:39)} **朝鮮戦争でのMiGの脅威って誇張? B29の損害は34機。そのうち空中戦で撃墜されたものは16機だけ。 という感じの数字だが、これには「帰還はしたけど損傷が酷くて廃棄」というのはカウントされていない。  マリアナからはるばる海を越えて帰還しなければならなかった太平洋戦争と違い、緊急着陸できる 飛行場がすぐ近くに確保出来た朝鮮戦争の統計のマジックと言うヤツである。  「帰還後廃棄」になった機体を含めると損害は10倍近いらしい。 #right(){(133:397)} **朝鮮戦争のときB-29が次々MiGの餌食になってあまりの被害の多さにB29の鴨緑江付近への出撃が禁止になったって話は本当? 微妙に違う。「撃墜」に至らず、大破してかろうじて生還したがスクラップ、という機体が多かったのだ。 これは日本の基地と朝鮮の戦場の間の距離が、太平洋戦争中のサイパンと日本本土の距離に比べ、ずっと近かったから。 #right(){(599:777)} **B-29をヨーロッパに投入しなかったのはなぜ? 対独戦がほぼ見通しが立ってB-17とB-24だけで十分と考えられたのと、 当初生産の立ち上げに時間がかかって対日戦用の機数を確保するのがやっとだった事 だったと思います。 #right(){(100:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} 開発スケジュールが遅れて、対独戦に間に合わなかったから。 B-29の量産が軌道に乗った頃には、ドイツはB-17とB-24があれば十分という状況になっていた。 B-17やB-24の航続距離では、どのみち対日爆撃は荷が重いので、太平洋戦線はB-29だけに任せて、 B-17とB-24を欧州に重点配備した方が資源の有効活用という考えもあった。 #right(){(100:306)} B-17を上回る高高度性能を誇るB-29を太平洋戦線で使えば、被害を少なく出来ると考えたからです 欧州戦線では高高度でも平気で迎撃してくるので、タフで信頼性の高いB-17が好まれました #right(){(100:307)} 実戦投入された頃には欧州方面の戦略爆撃はあらかたカタがついてたから。 それに、1944年の夏以降ならフランスにも飛行場が作れるから、それこそ 超長距離爆撃機の必要性はない。 余談だがフランスから出撃できるようになったあとはB-25などの双発中型爆撃機が ドイツ国内の幹線道路と鉄道、それに運河水運を徹底的に攻撃し、ドイツ国内の 物流態勢をほぼ壊滅させた。 それまでは大型4発爆撃機は都市戦略爆撃に手一杯、単発(P-38とか含む)の戦闘爆撃機は 地上支援に忙しく、そういった「精密な爆撃が必要だが小さな目標なので高空からの 爆撃では効果が低い」戦略目標を効果的に破壊する手段がなかったのでそれらは 見逃されていた状態で、ドイツの戦略輸送体制は毎日毎晩戦略爆撃されてるにも かかわらず健在だったが、これによってドイツは国内の物資輸送はおろか部隊の移動 すら満足に出来ない状態に追いこまれる。 更に付け加えておくと「終戦のその日まで、空襲で破壊されてもその日のうちに 復旧する態勢を保ち続けた」と国鉄関係者が自慢する日本の鉄道網は、これら双発 中型爆撃機が日本本土への空襲にほとんど参加できなかったために維持できたという ところが大きい。 >でもドイツでB-17って大損害出してたのに? B-24だってランカスターだって大損害を出してるよ。 確かに莫大な損害を出したが、それでも相手に与えたダメージの方が でかかったからいいのだ(戦死したクルーには悲惨な話だが)。 B-17/24、ランカスターに替わる新型は待望されたが、それでも 新型を泥縄式に投入して現場が混乱するよりは、大損害を出してでも 現在の態勢で徹底的に集中攻撃する方が戦略としては正しいと判断され、 それは実際そうだった。 あくまでも計算上だが、戦略爆撃の継続を断念させるには、出撃機の被撃墜機 が作戦参加機の30%を越えたかどうかが分水嶺となる、と言われていた。 イギリスの統計だと1作戦あたりの戦略爆撃機の被害は3~7%で、この数字には 程遠い。 でもイギリスの対独戦略爆撃作戦では、約9000機の戦略爆撃機が失われ 搭乗員6万名が未帰還(戦死)している。 #right(){(327:283-287)} **P-51が護衛につくようになってからの中高度で飛来するB-29は爆弾搭載量を増やすために機銃を廃止したんですか? 別に、P-51云々の前から前上方の2挺は廃止されています。 最初は高々度精密爆撃に加え、戦闘機の脅威などが考えられていますが、 その後の調査で、夜間の場合は2個程度の戦隊しか夜戦能力が無いとされた 為、東京空襲では弾薬無しで行い、以後の空襲では探照灯攻撃(対空火器を 無力化するのに必要な手段)のために尾部銃にだけ弾薬200発を準備すること になりました。 後に、地上と低高度目標の為に、下層を飛ぶ爆撃機には、下面の砲塔に若干の 弾薬を装備しています。 #right(){(319:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本軍の戦闘機が撃墜したB-29はいずれも低高度ですか? >6千メートル~1万メートルの高度のB-29を墜としたことはあるんですか? 何度か実例はあります。 大部分が体当たりでの戦果だったりはしますが。 97戦が満州で高度6000m付近を飛ぶB-29を撃墜した例がある 米軍も認めている #right(){(319:353,354)} **東京大空襲に参加したB-29爆撃機325機のうち、爆弾を落とさなかった46機には、どんな任務が与えられていたのでしょうか? >wikipediaに「・・・B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は・・・」と書かれているのですが 偵察機や先導機もあるが、作戦に参加した爆撃機が全てミッションをこなせたわけでは なかったので。 エンジン不調で爆弾捨てて引き返した機、そのまんま墜落しちゃった機、 後発だったので煙や火災で目標が確認できず、「適当に爆弾捨てちゃれ」という選択を せず投弾せずに離脱した機(この場合は帰途洋上に爆弾は捨てる)、ごく少数だが 投弾前に撃墜された機、というのがあり、それらは作戦参加機の1割程度あった。 ちなみにこのとき(東京大空襲)だけそれらの比率が高いわけではなく、この当時の 爆撃というのは大概そんなもの。 ただ、B-29はエンジンをはじめ意外と設計に無理が多く(急いで開発、生産したので)、 不調の発生率が高くはあった。 作戦任務第40号、ミーティングハウスNo.2(いわゆる東京大空襲)において、米軍は325機のB-29を投入しました。 うち、第一目標(東京市街地)を279機(86%)、第二目標0機、最終順位目標を5機、臨時目標を5機、がそれぞれ爆撃しました。 加えて、26機が無効果出撃とされ、効果的な爆撃を行わなかったと判定されました。(これで計325機となります) おそらく、このことを指しているのだと思われます。 第一目標に86%が到達というのは、他の作戦とくらべて、特に変わった数値ではありません。 #right(){(307:151-158)} **B-29の銃座は担当が決まっていたの? >決まってなければ以下のサイトの撃墜数も信用できませんね。 >US Bomber Gunner Aces of WW2 >http://jpgleize.perso.neuf.fr/aces/ww2usgun.htm B-29の銃塔操作は通常 前上部を爆撃手が、後上部を上部銃手が、 そして下部2基の銃塔を敵機の来襲方向に併せて左右の側方銃手が操作します。 なお、射撃指揮所の管制担当の判断により、各銃塔から制御を取り上げて別の銃手に渡すことがあります。 多くの場合は爆撃手から上部銃手に引き渡すパターンです。逆もないわけではありません。 また下部銃塔を操作する側方銃手の一方が操作しているとき、反対側からより大きな脅威が迫ってきていればそちらに制御をまわします。 と、いうわけで、どの銃を誰がどの敵に射っているかは基本的に明確になっています。 全ての銃塔にガンカメラが装備されているので「何時、誰が射ったか」わかるため、撃墜判定も可能です。 #right(){(655:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)} **B-29は余所の国なら失敗作って聞いたんですが、そう言われるくらいの駄目な点って何? エンジンが非常にオーバーヒートしやすく、被弾しなかったのにエンジンが焼きついてオーバーホールはしょっちゅう。 酷い時は帰還できなかったケースもあった。当然、稼働率も悪くて、アメリカの生産力がなければとても運用できない代物だった。 これは高速性能を叩き出すためにエンジンのカウリングがタイトで冷却効率が悪かったのが要因。 本当は設計し直さなきゃいけないような欠陥だけど、戦争に間に合わせるために開発も生産もギリギリだったから、 上記のように運用でカバーした #right(){(658:80)} 誰がどんな意図で言ったのかは不明がだ、他所の国なら失敗作となる要素は他にもある。 B-29の開発期間は5年と見積もられていた。このとおりに時間をかけていたら当たり前だが 戦争そのものに間に合わない。実際は3年で開発したが、アメリカ以外であれば時間切れで すなわち失敗作になる。開発スケジュールも強行軍であったが予算措置も同様であった。 試作機も完成していない時点で量産計画にゴーサイン。30億ドルの大博打と言われた。そん なカネが出せない国であればやはり戦争に間に合わないわけで、すなわち失敗作となる。 工場建てて量産するけど不具合続出で引き渡せない機体が溜まる。軍が受領しなきゃ部隊 編制も訓練もできない。とにかく最初の100機をよこせと、工員と技術者をかき集めてボーイ ングに送り、真冬の屋外で昼夜かまわず改修作業を行った。バトルオブカンザスと呼ばれた 無茶も、広汎な工業の裾野があってのことで、これができなければ戦争に間に合わず、やは り失敗作となる。 #right(){(658:ふみ ◆Y.QUKJBduY)} **B-29のエンジンって、構造欠陥があったそうですが、そんなに危ないものだったんですか? 大戦中のR-3350は離昇時に火災事故が発生しやすく、メーカー名のWrighte ngine(「正しい」エンジン) ならぬWrong engine(「間違った」エンジン)とか Flamethrowers(火炎放射器)なんてあだ名が付くほどだった。 試作2号機のXB-29も、着陸前にエンジン火災が原因で、工場に墜落し30人以上の死亡者を出す惨事となった。 量産されてからも戦時のため、たくさん用意して交換しながら使っていたが、後に改良されている。 メインの資料は世傑のB-29。 >B29Aの生産数が1000機強、エンジンの生産数が6000基強で、1機に4基のエンジンだから >予備エンジンをたくさん用意して対応したというのは事実? 根本的に誤解があると思うが、B-29Aと言うのは、B-29最初の生産型じゃないし、機数も 多くない。 主力は無印B-29. B-29 ボーイング・ウイチタ製1,634機、ベル・マリエタ製357機、マーチンオマハ製532機 B-29A ボーイング・レントン製1,119機 B-29B ベル・マリエタ製311機 総計3,953機。生産数は本によって違うから約4,000機。 基本的には全部R3350だからそれを考えればその理論は成り立たないな。 B-29は1942年に初飛行して翌年10月にはAFFに引き渡しが始まってる。 多くの新機構を取り入れた大型機にしては驚異的なスピードだから 熟成が足りず多くのトラブルが出たが、話題になっている エンジンについては、もともとR3350は開発時期は結構古いが、トラブルが多く 一時開発が棚上げされていた物。だが熟成が進みエンジン自体は1945年半ばには 運転時間が当初の3倍ぐらいまでの信頼性が増し、戦後は信頼あるエンジンとされた。 多くのトラブルを抱えたのはターボコンパウンドバージョン。 B-29固有のトラブルとしては空気抵抗軽減の為のエンジンカウリングが冷却に問題ありで 高高度で加熱しやすく、軽量化のためにエンジンカウリングにマグネシューム分の多い材質 だったので、燃えやすく発火が多かったのは事実。 対策としてエンジン側の改良とともに、カウリング材質変更と戦闘行動高度の見直しを行った。 1945年春以降のB-29の爆撃高度が下がったのは戦術の変更とともに、機体側の問題をクリアする目的もあった。 ここまでで分かるように、朝鮮戦争時はエンジン側の改良、機体の改良、日本本土爆撃に比べて短い距離・高度など 運用面でも負担がすくないから、エンジン発火で多くの機体が失われたとか、作戦に支障があったなどの 報告はない。 #right(){(660:491-529)} **B-29の初撃墜、誰が何処で何を使って撃墜したのか、教えて下さい 1944年7月の満州鞍山製鉄所爆撃の時に屠龍が初撃墜を果たしている それ以前にビルマで隼13機が単機のB-29を発見、襲撃して撃墜を報告したが このときは実は胴体に4ヵ所ほど穴が開いただけで、逆に尾部銃座によって 隼1機が撃墜された模様(隼1機が未帰還になったが日米とも撃墜は公認していない) #right(){(103:13)} **日本軍ってB-29の存在・性能をいつから知ってたんですか? B-29の存在そのものは、別に秘密にされていたわけではないので、開発当初から、 アメリカの新聞には普通に載ってました。 日本の情報機関も、馬鹿ばかりではないので、中立国を経由するなどして、 アメリカのマスメディアのチェックぐらいはやってます。 したがって、日本がB-29の存在を知ったのは、「日米開戦前」です。 B-29の生産体制については、1943年12月にはほぼ正確な数字をつかんでおり、 具体的な性能についても、1944年の3月までには情報を入手しています。 ただし、絶対国防圏の策定がなされたのは1943年の9月ですので、 これの決定にB-29の性能を考慮に入れる余裕はなかったはずです。 #right(){(189:928)} **B29の機銃座ってどうなってるのでしょうか? >射撃手が何処にいるのか解らない。 後部胴体の両側にバブルウィンドーがありますが、その部分に 銃手が乗っています。 機関銃座は、全部遠隔操作になっています。 前部機銃座はコクピット近辺に銃手が、後部は前述の通り、そして尾部に 銃手が居ます。 いずれも、気密室内からの遠隔操作で、直截撃つ訳ではありません。 >遠隔操作って相当命中率悪そうですが、これは威嚇のためなので問題なしですか? >あと、どうやって手元と連動させてたんでしょうか? 確か相当命中率は良かったはずですよ。 **幻の攻撃機のスカイパイレートの性能を教えてください Douglas XTB2D-1 Skypirate(Canncelled Attacker ) Length : 14.0m Wing Span : 21.40m All-Up Weight : 15,770Kg Engine : Plat & Whittney R-4360 Wasp Major (3,000hp) X 1 Max Speed : 548Km/h Crew : 2 Aramament : 12.7mm Machine Gun X 7, Weapon Load : 1,800Kg #right(){(70:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 前上方、前下方銃座は、爆撃手席にある射撃指揮装置で操作、後上方 銃座は、その前のバブルキャノピー内にある射撃指揮装置で操作、後下 方は左右両側方のバブルキャノピー内にある射撃指揮装置で操作し、尾 部銃座は尾部銃手席にある射撃指揮装置で操作します。 まず射撃手は、光像式サイト内に投影されたレチクルに目標を補足します。 すると、前部銃座は前部の、後部、尾部銃座は後部の計算機が射撃に必要な 距離、風速、気温を解析し、角速度を検出して目標への見越し角を計算、 銃座を遠隔操作で目標に向け、目標の未来位置に射撃します。 レチクルから目標を外さない限り、外れることはなかったようです。 #right(){(WWⅡ爆撃・攻撃・雷撃機について論じる:眠い人 ◆gqikajhtf2)} ----

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