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各種戦艦」(2023/09/20 (水) 18:01:55) の最新版変更点

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#CONTENTS ---- **ドイツ巡戦のシャルンホルスト級の各艦の名前は、一番艦では「国民皆兵制(シャルンホスト)をしく」という記述をプロイセン年表で見つけましたが、この制度のドイツ語が「シャルンホルスト」という意味なのでしょうか? >また、2番艦の名前の由来をお願いします。 1番艦「シャルンホルスト」、2番艦「グナイゼナウ」ともナポレオン時代の プロイセン参謀本部に所属した軍人の名前から取られています。 あと、この名前がつけられたのは第一次世界対戦の1914年11月1日に チリで行われたコロネル沖海戦に参加した装甲巡洋艦の2隻にから命名 されたそうです。 ちなみにこの戦いで艦隊を率いたシュペー中将は、ポケット戦艦 「アドミラル・グラーフ・シュペー」の命名の由来になりました。 #right(){(2:104)} **日本海軍の(未製)50cm砲搭載艦「尾張」「紀伊」という艦名について以前から疑問に思っていたのですが、本当にこれで良いのでしょうか? >「紀伊」はともかく、「尾張」は「終わり」に通じるということで、没になりそうだと思うのですが。 帝国軍艦銘々伝という本があって、そちらに詳しく書かれているのですが、 漏れは持ってない(買おうと思っているうちに返本されてしまった)ので、 うろ覚えですが、進水式の時点で初めて正式に艦名が決定します。 それまでは予定艦名となっていたかと。 確か海軍部内で2案作って、軍艦(菊の御紋章付)の場合、天皇陛下に 裁可していただき、進水式の時点で発表するはずです。 従って、進水もしていない艦が「紀伊」であったり、「尾張」であったりという のはあくまでも、便宜上の仮称艦名で、実際の進水式の時点では変わって いる可能性があると言うことです。(確か別の艦名があったような…) #right(){(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)} これは戦後に有名な軍事小説家が勝手につけた名前が当時の軍事少年の心に刻まれ、大和級戦艦4番艦の名前は「紀伊」である。というのが定説になってしまったようです。 よって50センチ砲搭載艦の名前はおろか大和級4番艦の名前すら決まっていません。 #right(){(10:582)} **長門級以前の日本戦艦の艦橋についてですが NAVAL HOLIDAY期のあいだに塔状艦橋に改装する計画はなかったのでしょうか? 戦艦の改装には極めて資金、時間がかかります。 勿論、建造にも時間が掛かります。 Q.E.級はK.G.V級建造と並行する形でパイロットモデル的な改装が行われました。 しかし、ロイヤル・ソヴェリン級は改装は殆ど行われていません。 ニューメキシコ級も恐らくノースカロライナ級建造のための試作と考えられます。 翻って我が国は、軍縮条約で対英米比率を下げられたこともあり、その質を 高めるために、1920年代後半から30年代前半に掛けて戦艦の改装を行っています。 そして、新戦艦建造は30年代後半からです。 結局、大和級のパイロットモデルには金剛級の比叡しか残ってませんでした。 しかも、日中戦争の泥沼で戦費が多大となり、改装から僅か数年で再改装と言うのは出来なかったでしょう。 日中戦争が無く、太平洋戦争の開戦が5年遅れていたら、比叡と同じく大和級に準じた改装が為された可能性があるでしょうが (特に扶桑級と金剛級辺り)、少なくとも塔状の艦橋に改装されたかは極めて疑問です。 #right(){(22:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **なんでキングジョージⅤ型戦艦の主砲は4連装:連装なんでしょうか。 本当は4連装3基12門だったんですが、防御に欠陥が見つかりまして それを補強するために二番砲塔を連装に変更しました。 #right(){(23:382)} **横須賀の記念艦「三笠」はビッカース社で建造された本物がそのまま保存されてるのですか? 一応、船体は実物そのもの。 だけど、内装はほぼ後から再現されたもの。 今でこそ、大事にされてるけど戦時中は鉄を戦争用に持っていかれたり荒れ放題だったそうです。 しかも戦後は船内がキャバレーだった事もあります。 見るに見かねたアメリカの士官が提案して、 元から三笠を大事にしたいという人達と協力しあった事もあって戦後、きちんと保護され今の形になりました。 #right(){(29:739)} **トルコ海軍に所属していた、ヤウズ・スルタン・セリムの1941年の改造後の基本スペックと武装に関して知りたい >あと、この艦の乗組員の錬度はどの程度だったのでしょうか? >それとこの艦のトルコにおける評価とトルコ軍内の位置づけは、どのようなものだったのでしょうか? ヤウズ・スルタン・セリムは1936年にヤウズと改名されています。 1927~30年にかけてイズミドにおいて、仏製の射撃指揮装置の設置、機関修理・重油専焼缶への換装を行い、27knotを出しています。 1938年に小改装、1941年に後部マストの撤去と対空火器の増設を行っています。 トルコでは周辺諸国、特にギリシャ、ソ連に対する示威兵力として用いられていました。 (このため、ソ連は戦後、黒海艦隊にイタリアから引き渡されたジュリオ・チュザーレ級戦艦を配備していました) 退役時は記念艦という声もあったみたいですが、経済情勢から破棄されたようです。 基準排水量22,734トン、寸法186×29.6×8.2m、軸馬力不明、速力27.1knot、兵装:11inch(28.1センチ)連装砲×5、 5.9inch(15センチ)単装砲×10、3.5inch(88ミリ)高角砲×6、50センチ魚雷発射管×2に加え、40ミリ砲×12、 20ミリ砲を8ミリ機銃の代わりに4門搭載。乗員1300名 #right(){(32:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **ヴァンガードってなんか戦艦っぽいしたことあるの? 特になにも。 1947年に王室を乗せて南アフリカへ、1949年に地中海艦隊に配属され、 そのまま練習艦となりました。 あとは本国で旗艦任務に就いていただけです。 #right(){(32:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **金剛級の45/36連装砲塔ですが、これを50/30Ⅲ連装に替える事が出来るんですか? 多分無理。12インチ3連装で重量は16インチ連装に匹敵する。 また、一発あたり威力が激減するのでほとんどの場合で無駄になることでもある。 #right(){(39:334)} **八八艦隊計画で有名な13号艦ですが、もし破産覚悟で計画を遂行した場合、 >18インチ砲を八門積んで5万トンを切って速度30ノットというのが当時、技術的に建造できたのでしょうか? 第13号艦級 八八艦隊計画最後のこのクラスは、主砲が46cm砲という、世界最大のものであった。 主砲からわかるように、このクラスは後の「大和」級戦艦のプロトタイプともいえる存在であったが、計画倒に終わってしまった。 なお速力は「大和」級よりも速い30.0knであった。 もっとも装甲は「大和」級のほうがはるかに上であったが、それでもなお有力な戦艦になったであろう事は容易に想像できる 艦種 巡洋戦艦 艦名 No Data 完成年 No Data 排水量 N:常備 S:基準 T:公試 T:英トン(1.016メートルトン) t:メートルトン N 47500T 長さ(垂線間長)WL:水線長 約850' WL 約900' 幅(水線最大幅)UW:水線下最大値 101'-0" 平均吃水 32'-0" 主罐 ロ号艦本式 X14 主機械 技本式オールギヤードタービン X4 軸数 4 機関出力(HP) 150000 速力(Kn) 30.0 航続距離(Kn-Miles) No Data 燃料搭載量 C:石炭 O:重油(t) No Data 乗員 No Data 備砲(cm/口径長) AAG:高角砲 MG:機銃 I,II,III,IV:単装,連装,三連,四連 46/45 II X4,14/50 I X16,12/45 II AAG X4 魚雷発射管(cmX) 61 X8 水線部甲鈑最大厚(厚さ-種類-取り付け角) 13"-VC-約15 航空機 なし 射出機 なし 備考 計画時 八八艦隊計画第13艦、第13号艦級1番艦。ワシントン条約のため起工されなかった。主砲口径からわかるように、このクラスの船が大和のプロトタイプと言えるものである。 #right(){(40:868)} **日本の戦艦の速力は竣工後の改装工事によって戦艦(というか船舶全般?)の速力を向上させる事はできなかったのでしょうか? 速度を上げるためには、機関部を交換しないとだめ 缶室を改装するためには、甲板はずして装甲はずしてとエラク手間がかかる、金もかかる 日本の戦艦は同時期の他の戦艦に比べて元々速度が速く(戦略思想から) 中途半端に速度を上げるために莫大な改装費ついやして、旧式艦をグレードアップするなら すなおに新型艦建造した方がいい。 と考えたんだろう。 #right(){(42:817)} **第一次世界大戦後も保有を認められ第二次世界大戦でも艦砲射撃で活躍した独逸の前弩戦艦シュレスヴィヒホルシュタインの最期 シュレスヴィヒ・ホルシュタインは1944年12月18日、ゴーテンハーフェンで 修理中英軍の爆撃を受け大破擱座、翌45年ソ連軍のダンツィヒ地区への 攻勢開始後の3月21日同地で自沈、1950年6月に解体されました。 #right(){(46:811)} **ソ連戦艦マラートってどうやって沈められたっけ? ソ連の戦艦「マラート」は1941年9月23日にレニングラードのクロンシュタット湾で ルーデルに撃沈されましたが、このときルーデルが投下した1トン爆弾は 一番砲塔の前に着弾したそうです。43年5月31日着底状態のままペトロハブロフスクと改名し、 損害を受けた一番砲塔を撤去して砲台として着底状態で砲撃を実施しました。 第二次世界大戦後に再浮揚し砲術練習艦ヴォルコフと改名、1950年11月28日から1952年まで在籍し 53年に解体されたと言われています。 #right(){(51:名無し軍曹)} **どうして、ヴァンガード級は40センチ砲じゃなく、R級の38センチ搭載してたの? 単純に余っていたから。 ヴァンガードの建造は、余っていた38センチ連装砲塔を流用して戦時急速建造できる戦艦、 として行われた(結局戦争にはほとんど間に合わなかったけど(苦笑 あと、ヴァンガードの38センチ連装砲塔はR級のものではなく、 空母に改装されたカレイジアスとグローリアスの”ハッシュハッシュ・クルーザー” 時代の砲塔を取り外して保管しておいたもの。 #right(){(51:447)} もともと、軽巡「カレイジャス」と「グローリアス」を空母へ改装するとき、 外した四基の砲塔を流用して戦艦一隻組み上げようという発想から建造されたのが ヴァンガード。 急造戦艦だったからね、中途半端というか平凡な艦だったことは否めない。 #right(){(51:449)} 結果的に戦時急造艦となってしまいましたが、 ヴァンガード級はもともと極東艦隊向け高速戦艦であり、 主砲にR級の砲塔を流用することまで決定していました。 少なくとも2隻が計画されています。 ですからヴァンガードの本質はシンガポールあたりに来襲する日本艦隊に対抗するための リサイクル戦艦です。マジで。 #right(){(51:469)} **湾岸戦争の時戦艦って主砲発射したんでしょうか 派手にぶっ放しております。 参加したのはBB-63ミズーリとBB-64ウィスコンシン。目標はカフジとクウェート市内でした。 #right(){(54:212)} **北欧の保有している海防戦艦ってどれくらいの性能、そして戦歴は? 北欧4国(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド)が所有した海防戦艦は 水深の浅いバルト海での防衛戦を想定して建造した物で、およそ3.000~8.000㌧の小排水量で 前弩級戦艦に近い性能と十分な装甲を持っていました。 海防戦艦に分類できる艦は四ヶ国合わせて14~5隻建造されましたが、代表的な艦の簡単な スペックと戦歴を挙げておきます。 フィンランド海防戦艦 ★イルマリネン Ilmarinen(同型艦ヴァイナモイネン) ・満載排水量4,000㌧ *武装25.4cm砲×4(連装砲2基)・10.5cm連装砲×4基 1931年進水 41年9月20日フィンランド湾で触雷により沈没 デンマーク海防戦艦 ★ニールス・イウエル Niels Iuel ・満載排水量4,320㌧ *武装15cm砲×10・450mm魚雷発射管×4基 1918年7月進水 1935-36改修 43年8月スウェーデンに退避中ドイツ軍により被爆 44年「KMノルドランド」と改名士官学校生練習艦に 45年5月連合軍により被爆 52年スクラップ スウェーデン海防戦艦 ★スベリーゲ Sverige(同型艦ドロットニング=ビクトリア グスタフⅤ) ・満載排水量8,000㌧ *武装28.3cm/45口径砲×4(連装砲2基)・15.2cm/50口径砲×8 1915年5月進水 58年スクラップ ノルウェー海防戦艦 ★エイズボルト Eidsvold ・満載排水量4,233㌧ *武装20cm砲×2 1899年1月進水 1940年4月9日ナルヴィク沖で独駆逐艦に撃沈される #right(){(54:名無し軍曹)} **なんで戦艦河内は前部主砲は45口径で、後部は50口径なの? 河内級には主砲塔が6基あり、前後部の2基が50口径、 舷側の4基が45口径でした。 これは、艦首尾方向の砲力を強化しようとしたためです。 当時の軍令部長東郷平八郎の意見に基づくものでした。 当然のことながら、これによって砲により射撃特性が 異なってしまいました。 河内級は、弩級艦に分類されていますが、そういう意味では 本来の弩級艦とは異なる存在といえるでしょう。 #right(){(55:142)} **出来た時から旧式扱いだったのなら扶桑・山城を高速戦艦にする話は無かったのですか? 条約のため勝手な改造はできない。 条約終了後は新型艦のためドックがふさがっていた。 #right(){(62:365)} **独戦艦ティルピッツは、敵に向けて主砲を放ったときはありますか? 1943年9月8日に、シャルンホルスト及び駆逐艦9隻を率いてスピッツベルゲン島の 陸上設備を砲撃しています。 これが唯一の敵への発砲です。 #right(){(63:名無し軍曹)} **ドイツの軍艦、Mプロジェクト、Pプロジェクトについて教えてください P-Class(O,P,Q) 1937年に開始されたもので、ポケット戦艦の発展型です。 排水量:30,500~35,720t 寸法(全長・全幅・喫水):246.00~256.50x30.00x9.60~11.20m 機関:3軸推進(MAN社製2ストローク24サイクルディーゼルx8+           Brown-Boveli Turbine(Wagner缶x4)(中央軸))     ディーゼルのみ:116,000shp=27.0kt/h、3軸176,000shp=33.4kt/h 装甲:装甲帯7~4inch、甲板2inch、主砲塔8.25~2inch、副砲塔5.5inch、司令塔7.75~3inch 武装:38cm/47 C34連装砲×3、150mm/48連装砲×3、105mm/65 C33連装高角砲×4、37mm/83連装機関砲 C33×4,     20mm C38機関砲×20、53.3cmTT×6、航空機4機。 M-Class(M~R) Nuremberg、Leipzigの後に計画されたもので、これらは後にSP1級偵察巡洋艦に継承されていきます。 排水量:7,800~10,400t 寸法(全長・全幅・喫水):178.00~183.00x17.00x5.40~7.30m 機関:3軸推進(MAN社製2ストローク12サイクルディーゼルx4(中央軸)+           Wagner Turbine(Wagner缶x4))     3軸16,500shp=35.5kt/h 装甲:装甲帯2~1.25inch、甲板0.75~1.25inch、砲塔3.25~0.75inch、司令塔0.75~4inch 武装:150mm/55 C28連装砲×4、88mm/76連装高角砲×2、37mm/83連装機関砲 C33×4,     20mm C38機関砲×Some、53.3cmTT×8、航空機2機。 #right(){(64:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ビスマルクとティルピッツは同型なのに搭乗人員数があんなに違うのはなぜなんですか? 就役後に、Leipzigより撤去した21in四連装魚雷発射管を2基、対空砲火の 強化として、20mm機関砲を58門追加搭載されているためその操作要員が 必要になったものと思われます。 #right(){(67:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **80年代に現役に復帰したアイオワ級の砲弾や砲身は再生産したのですか? 今じゃ失われた技術なので、昔のまま。ただ、炸薬は交換したらしいです。 #right(){(72:764)} 予備砲身が残っていました。 砲弾を再生産したかは判りません。 #right(){(72:765)} **QE級戦艦の「クイーン・エリザベス」という名前ですが、これは16世紀のエリザベスIから取ったのでしょうか? 艦名は間違いなくエリザベス1世から取ったと思います。 他にエリザベス女王といえば先年亡くなられたエリザベス皇太后がおられましたが、 「クイーン・エリザベス」が就役した1915年には彼女はまだエリザベス・バウズ=ライアン という名前でしたから。 人気の秘訣はあんがい艦名かも。「エリザベス女王」「勇敢な」と比べると、 「戦争を軽蔑する」「バーラム(人名)」「マレーヤ(地名:マレー)」ですからね……。 #right(){(76:551)} エリザベス1世はスペインの無敵艦隊を撃破して、 英国を世界一の海軍国に仕立て上げた女王だからね。 当時世界一の豪華客船に、七つの海を制した女王の 名を冠したのは当然とも言える。 #right(){(76:621)} **ドイツのポケット戦艦って、フッドやレナウンのような高速かつ大火力な巡洋戦艦に遭遇した場合はどうするつもりだったのでしょうか? 但し、巡洋戦艦といえど、隻数は少ないですから、容易に位置は推定できます。 遭遇したら、運が悪かったと言うことですね(苦笑。 #right(){(78:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ビスマルクは完成したときから旧式な戦艦という話を聞いたのですがこれはなぜなのでしょうか? 前後の話が不明なので何とも答えようがありませんが、  1. 戦艦の時代が終わり、空母の時代に差し掛かっていたのにも関わらず、    未だに戦艦に固執したこと。  2. 幾ら砲身長が長く、高初速な砲を搭載していたとは言え、40cmまたは46cm    砲が実用化された今日では、時代遅れの感は否めないこと。 のいずれかではないかと愚考しますが。 #right(){(78:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 別にそんな事は無いけど?。 典型的な「新戦艦」だろ。  まぁ、完成した時には戦艦そのものが「旧式兵器」だった訳だけど。 潜水艦を10隻追加してた方が役に立っただろう。 開戦時の航洋型Uボートの数はわずかに27隻。 #right(){(78:56)} **トイレは「長門」が始めから和式で、これが初めだそう。 >兵隊達は和式に慣れていたので、長門以前の戦艦は和式以外だとうまく用を足せなかった? 高橋猛氏の「めしたき」シリーズで、霧島の便所が洋式(足が見えるよう 扉の下が高めに切ってある)という描写がありました。というわけで、 多分洋式なのでしょう。 もっとも同シリーズで輸送艦に便乗すると、海の上に渡した穴あき板が トイレだったという話もありましたが。 #right(){(79:421)} もともと輸入艦艇なので全部洋式だったのだけど、>420さんが言うように田舎から 出てきた兵隊などは、どうやって腰掛けるかすら判らずに洋式便器にまたがって 用を足したり(手前に落ちるので便器が汚れる)、そもそも排便すらできずに便秘で 身体をこわすものまで現れて、国産化されてからは一部和式になったそうで。  実際、海自の艦艇も5対1くらいで和式大便器が混ざってますです。  ちなみに戦後供与されたPFでは、大便所はコンパートメントを貫いて一本の 水路が流れていて、そこを常時海水が流れているだけだったものだから 満員の時など、前の人の出したものがコンニチハする状態だったとか(笑)  フネががぶると、水路から水があふれて・・・ぎゃ~ #right(){(79:海の人●海の砒素)} **戦艦ビスマルクの主砲の尾栓ってネジ式だったのですか? >ドイツは水平板式ばかり、でもこの方式は分離装薬が使えないという話を聞いたことがありますが・・・・ あの映像は他の戦艦のものを流用したもので、ビスマルクの映像ではありません。 おっしゃる通りビスマルクの砲尾の閉鎖機は水平鎖栓式閉鎖機を使用していました。 ドイツのでは大口径砲にも薬莢式装薬と鎖栓式閉鎖機を使用しており、これは 鎖栓式閉鎖機のほうが製造が簡単だという理由だとされています。 (単にクルップが薬嚢式のほうに開発に失敗しただけともいわれていますが。) ちなみに、ねじ式の尾栓は隔螺式(かくらしき)といいます。 #right(){(80:名無し軍曹)} **戦艦ネルソン級の真ん中を高くするという主砲配置にはどのような利点があるのでしょうか? >ネルソンの主砲塔は前から低高低という順番で並んでいるため、せっかく全部の砲塔が前を向いているのに、 >これだと三番砲塔の前方射界が大きく制限されてしまいます。 > >初期案の中には低低高という配置案もあり、ある程度目標までの距離があれば、 >こちらなら前方に全火力を向けることができそうでが、なぜこちらが選ばれなかったのでしょうか。 恐らく低低高の場合重心が後ろになりすぎると言う事が問題になったと思われます。 低高低の方が安定した状態だったのでは? #right(){(84:639)}      □□□==  □□□==|| □□□== →前 ―――――――――――――――  □□□==   || □□□==□□□== →前 ――――――――――――――― 低低高だと、低高低よりもヴァイタルパートがごく僅かに長くなるので、 装甲重量が若干かさんでしまうと考えられたのではないかと。 ネルソン級はワシントン軍縮条約下で建造された唯一の英国戦艦で、 排水量を条約で定められた35000トン以内に納めることが設計の段階で 求められていたから、重量切り詰め策の一環というのもあったかもしれない。 実のところ大した効果は無かったんじゃないかとも思えるが。 あとは重心とか、艦橋前部(特に下のほう)の視界確保とかじゃなかろうか。 実際問題、主砲の前部集中配置は砲架構造の制限や安定性の問題から 遠距離射撃や斉射に困難がつきまとったし、そちらの仰るとおり三番砲塔の 射界・射角が著しく制限されていたのは事実。後方が完全な死角になることも 設計上の重大な欠点だった。 英海軍も分かってたと見えて、ネルソン級二隻は戦後早々に除籍されますた。 #right(){(84:642)} **戦艦アレクサンドルⅢ世がどういう船かが分かりません インペラトリッツァ・マリーヤ級三番艦 スペックは本から引き写すのが面倒なんでネームシップでぐぐってちょ 1917年6月28日竣工 1918年9月、ドイツ軍が捕獲 終戦後、英国軍の管理下へ 1919年10月17日、白衛軍に引渡し 1920年、内戦敗北によりビゼルタに脱出、同地で仏官憲に武装解除を受ける この後はパス #right(){(84:801)} Imperator AlexanderIIIは、帝政ロシア海軍の弩級艦で、>801で書かれているように、 1911年の建艦計画で20,000t級20.5ktを発揮する戦艦として計画されましたが、トルコの 戦艦Reshandje級に対抗するために14inch砲搭載戦艦に計画が変更されました。 ところが、手法の開発が間に合わず、12inch砲装備の戦艦となりました。 1917年のロシア革命に於いてはまだ艤装中であり、2月革命で帝政が終わったので、 Volyaと改名されています。 1918年4月29日にウクライナが独立した際、その国旗を掲げ、Bolshevikの海軍艦艇と 戦闘を行い、セヴァストポリを去りました。 9月にセヴァストポリに戻りましたが、ドイツに鹵獲され、11月にセヴァストポリに進駐した 白衛軍支援の英国軍に引き渡されています。 1919年4月にトルコのイズミードに移動中、赤軍に鹵獲されますが、10月17日にウランゲリ 将軍が指揮し、クリミア半島を基盤とする白衛軍に引き渡されます。 この時にGeneral Alekseevと改名されますが、1920年、白衛軍は英国、フランスなどの支援 諸国に見捨てられ、11月にクリミア半島から最後の白衛軍が去ります。 で、ビゼルタに入港しますが、当時この地はFranceの領土でした。 そして、Franceは白衛軍を最後まで支援した国の一つで、歴史的にも関係は深いです。 中立国への入港と言うことで、武装解除され、抑留されますが、1924年10月29日までロシア帝国 海軍旗を掲げ、最後のロシア帝国戦艦となりました。 その後、白衛軍の資力が尽き、競売に掛けられました。 ソ連も現状調査に来ますが、破損状況の悪さから引き取りは拒否され、Franceに於いて、1937年 に解体されています。 スクラップのうち主砲は比較的程度が良かったので、残されていたようです。 蛇足ながら、Franceが解体したAustria-Hungary二重帝国の戦艦の主砲も砲台に使用されています。 ついでに、Imperator AlexanderIIIのスペックは、 排水量:22,600t 全長:167.8m×全幅:27.3m×喫水;8.4m 機関:Brown-Curtiss turbine 4軸 Yarrow boiler×20 26,500shp 速力:21kt/h、重油搭載量:720t、石炭:3,000t 装甲:装甲帯:102mm~267mm、砲塔:305mm、バーベット:203mm、司令塔:305mm、     デッキ部:76mm 武装:305mm/52口径三連装砲塔×4、130mm/55口径単装砲×18、75mm高角砲×8、     47mm速射砲×4、機関銃×4、457mm魚雷発射管×4 同型艦:Imperatritsa Maria(1915.7.6竣工、1916.10.20喪失)      Imperatritsa Ekaterina Velikaya(旧名EkaterinaII)(1915.10.18竣工、1918.6.18撃沈) #right(){(84:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **湾岸Ⅰで現役使用されたアイオワの大型艦砲は、近代化によって飛距離・命中精度とも大幅に性能向上されていたのでしょうか? >現代の艦砲はWW2と比較して、 圧倒的な飛距離と正確性を持っている 訳では有りません。 >アイオワの大型艦砲は、やはり近代化によって飛距離・命中精度とも大幅に 性能向上されて いませんでした。 #right(){(87:369)} 誘導砲弾の開発計画とか、あることはあったんですけどね。 #right(){(87:ゆうか ◆9a1boPv5wk)} **アメリカのアイオワ級4隻は、大戦中どのような戦績を残したのでしょうか? アイオワIowa級は主として上陸支援射撃で活躍しており, 対艦攻撃で目立った戦果は挙げておりません.  ネーム・シップの竣工が1943年だしね. #right(){(88:消印所沢@FAQ屋 ◆z3kTlzXTZk)} 太平洋戦争でのIOWA級は対艦戦闘はせずに、対地支援を行いました。 また、さらに重要だったのが、空母機動部隊の対空プラットフォームとしての役割です。 特に最高速度が30ノットに達するIOWA級は4隻とも空母機動部隊に配属されています。 #right(){(88:897)} **ガンダムSEEDにアークエンジェルという船が出てきますが実在の軍艦におなじ名前がついているものってありますか イギリス戦艦ロイヤル・サブリンがソヴィエトにレンタルされた時、借りた方は アルハンゲリスクと呼んでいました。ロシア語でアークエンジェルの意味です。 #right(){(93:677)} **戦艦伊勢と扶桑では、どのくらいの設計の共通性があるのでしょうか? 伊勢は改扶桑級とも言われている通りに設計自体は結構変わっている。 共通箇所は主砲の門数くらいで後は改良が行われている。 扶桑と伊勢の写真か模型を見れば大体分かると思う。 #right(){(95:570)} 主砲は同型(装填方式は違うが)、舷側水線装甲板は同じ(防御部分は改正されているが)。 #right(){(95:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2米戦艦はレーダー射撃だから超正確という話を聞いたのですがこれって本当なのですか? まぁ、状況によっては肉眼よりも正確、といったところでしょうか。 差が無いわけではないが、特殊な状況を除いて、致命的な差異は無いと考えてかまわないでしょう。 #right(){(96:982)} サマール沖海戦みたいに、護衛駆逐艦が煙幕焚けば 結構違ってくるみたい。 #right(){(96:985)} 第3次ソロモン海戦において、戦艦ワシントンが霧島に対し17キロでレーダー射撃、 16in砲弾を75発発射し9発が命中、命中率12%は光学照準機の時代には考えられない数字。 #right(){(96:986)} 第3次ソロモン海戦は夜戦。 レーダー射撃の利点の一つに、調子の悪いときと良いときの差があまりない ってこともある。 光学照準だと、操作員の体調とか精神集中の度合いがもろに命中率に跳ね返 ってくるのだ。 米軍の射撃の命中率は、海戦ごとの極端な差は無い。 #right(){(96:990)} **ダンケルク級って最後まで高角砲装備してなかったんですか? 副砲が高角砲を兼ねてます。 つまり両用砲。 #right(){(98:ゆうか ◆9a1boPv5wk)} **アイオワ級の戦艦には舵が4枚あると聞いたのですが本当でしょうか? アイオワ級の舵は2枚。 それは、ダブルスケグ(並んだ2組のスクリューシャフトを露出させず それぞれ整流カバーで覆う方式)を勘違いしてるのでは。 #right(){(99:125)} **金剛、扶桑、山城の母港はどこでしょうか? 金剛  横須賀→佐世保(ロンドン条約締結頃) 扶桑  呉 山城  横須賀 #right(){(102:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)} **戦艦ポチョムキンついて基本的なスペック(全長、武装、乗員数など)を、教えていただけないでしょうか。 クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー級でどうぞ #right(){(107:80)} もう誰か回答済みだろうけど、 クニャージ・ポチョムキン・タウリチェフスキー(クニャージは公爵) 常備排水量12582トン、全長115.36m、全幅22.25m、最大喫水8.23m 出力10600馬力、速力16.6ノット、航続力10ノットで3400海里 主砲40口径305mm連装砲2基、副砲45口径152mm単装砲16基 補助砲11ポンド(75mm)単装砲14基、3ポンド(47mm)単装砲6基 381mm水中発射管5門 装甲水線229mm、甲板76mm、砲塔254mm、司令塔229mm、乗員750名 以上世界の艦船増刊「ロシア/ソビエト戦艦史」より #right(){(107:82)} Potemkin(ポチョムキン)が正しい綴りです。 クニャージ・ポチョムキン・タウリチェフスキー→パンテレモン→ ポチョムキン→ボレツ・ザ・スヴォボドゥと三度改名 大体三笠と同時期の戦艦で武装はほぼ同等、速度がやや遅く、大きさは一回り小型です。 #right(){(107:83)} **戦艦ヴァンガードの主砲について、よく15インチの42口径長だからショボイという見解を目にしますが、 >あの時代としてはそんなに見劣りするものだったんでしょうか? この手の評価はいつも割れるので、主観的な意見しかお答えできません。 戦艦の寿命は長いので、全く持って使えないってわけではないと思います。 ただ、元々、未成艦の流用ですし、新鋭戦艦の主砲としては見劣りするのは事実だと思います。 #right(){(108:734)} **戦艦ニュージャージーの艦首についてるアンテナらしきマストはなんなんでしょうか? 確か、無線のアンテナだったかと思います(ちとうる覚え。 で、こういった戦艦の射撃は、近年では陸上目標への艦砲射撃が主でしたので、 艦首に指向して発砲する訳でもなく、右舷か左舷に指向して全門発砲が主となり、 別に艦首にアンテナがあっても、問題ない訳です。 #right(){(111:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **キングジョージⅤ級の主砲はなぜ35.6cmなんでしょうか。 >当時の他国の新鋭戦艦(ビスマルクやリシュリュー、ノースカロライナ級など)の主砲は38cmや >40.6cmであったのに対して不利ではなかったのかと。 第二次ロンドン条約の制限。 1936年にワシントン・ロンドン条約が失効した後に英米仏で結んだ条約。 米は大和級に対する回答が無かった事を理由にエスカレーション条項を適用。 ノースカロライナの備砲を14インチ4連装*3から16インチ3連装*3に変更したが、 英は間に合わなかった。 #right(){(114:214)} **ドレッドノートですが、装甲に関しては特に変化はなかったのでしょうか? 英国最後の前弩級艦であるKing Edward VIIの場合、装甲にはクルップ鋼とニッケル鋼を用い、 装甲帯には8~9インチのものを採用し、バルクヘッドが8~12インチ、バーベット部が12インチ、 砲塔が8~12インチ、副砲塔が5~9インチ、砲廓部が7インチ、司令塔が12インチ、 甲板部が1~2.5インチです。 一方のDreadnoughtは、装甲に全てクルップ鋼(合金とそうでないもの)を用いています。 装甲帯が8~11インチ、但し、後部が4~6インチ、バルクヘッド部は11インチ、バーベット部が 4~11インチ、砲塔は3~11インチ、司令塔は8~11インチ、甲板は4~0.75インチ。 若干薄目になっていますが、計画時は、対抗出来る艦が大型巡洋艦クラスになることが考えら れていましたので、僅かに8インチ防御しか考慮されていませんでした。 但し、艦の重要部には艦の上部31フィート分を石炭庫とし、この石炭で間接防御をするよう、 考慮されていました。 余談ですが、最初この艦の主兵装は、10インチに成る予定でしたが、計画進行中に12インチ砲が 採用されます。 B案では12インチ砲8門(連装砲塔4基)でしたが、最終的に12門(連装砲塔6基)となりました。 その配置も、D案では158.5mの艦に前後部に並列に砲塔2基と一段甲板を上げて残りを前後部に1基宛 配備するもので、E案では167.6mの艦に背負い式に前後部に3基ずつ砲塔を搭載した案、D1案で152.4m の艦に前後に1基ずつ、艦中央部に4基を集中配備したもの、G案では167.6mの艦に前後部に1基、中央 に離して左右両舷に2基ずつ配置したものなどが考えられていました。 #right(){(121:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本軍の戦艦の方位盤というのは主砲と何が連動しますか。種々の小さな砲までですか? 方位盤は主砲用、副砲用、高角砲用、さらには、後部射撃指揮所と、それぞれ用意されてるし、 副砲用や、高角砲用でもデータを主砲に渡して射撃も可能。 #right{(520:334)} **1992年まで米軍がミズーリを現役で持ってたそうだけど、何で太平洋戦争当時で既に時代遅れだった戦艦なんか使ってたの? 朝鮮戦争でも湾岸戦争でも出てるよ。 対艦兵器としての戦艦は廃れても上陸する側の対地兵器としては、 圧倒的な火力と砲弾自体はミサイルよりも安いという事で戦艦は 使える兵器だったし、その大きさを利用してハープーンとトマホークも積めた。 アメリカ軍くらい圧倒的な航空優勢と海上優勢があったからこそだけど。 でも、結局そのアメリカ軍からも潜水艦等からの護衛必要で護衛用の船という コストの問題と古くてこれ以上近代化出来ないし(゚⊿゚)イラネ って言われて除籍。 #right{(541:152)} **伊勢型戦艦は扶桑級が駄目過ぎて急遽設計変更をして建造されたものだそうですが、どの辺りを直したのでしょうか? 扶桑型戦艦の最大の欠点は、3番・4番砲塔が後部缶室を挟んで間隔を置いて 配置されていたために、一斉射撃時に爆風が船体全部を覆ってしまうことでした。 特に艦橋構造物に対する影響を抑えるために伊勢型では缶室と砲塔の位置を見直して、 3番・4番砲塔は艦橋から離して缶室群の後方に背負い型に配置することで 爆風の影響の軽減を図っています。 また副砲の発射速度の維持を図るために扶桑型の15.2cm砲から14cm砲へと 変更を行っています。 #right(){(555:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **アメリカの退役戦艦をどこかの国が買いたいという話はなかったの? 第二次大戦前になりますが、ギリシャ海軍が、自国発注の戦艦をドイツに掻っ攫われたために、 トルコとの軍事バランスが取れず(トルコには弩級巡洋戦艦があった)、種々奔走の末、米国から 前弩級艦を2隻購入しています。 後、アルゼンチンの弩級艦は、米国が建造したものですが、第二次大戦後、戦艦は廃れて、 アルゼンチン、ブラジル、チリの三国には、仲良く、Brooklyn・Saint Louis級軽巡洋艦が其其2隻 引き渡されています。 #right(){(347:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **伊勢型航空戦艦は後方射撃は出来るのですか? >呉空襲の際、伊勢型戦艦は後部マストが邪魔で後部主砲で有効な射撃が出きず >主砲と高角砲の死角の後方から敵大型爆撃機の攻撃を受けて撃破されたと聞いたのですが 主砲は対空射撃には使われない。しかも空襲してきたのは艦載機であって大型爆撃機なんて来てない。 さらに後部甲板には噴進砲や機銃が増設され、むしろ前側より対空射撃能力は高い。 以前は対空射撃と回避運動で生き残った伊勢・日向だが、最後は燃料が無くて動けなかったのが大破着底した原因。 #right(){(571:596)} **日本がイギリスに発注した戦艦・金剛は当時のイギリス戦艦のモンキーモデル的な戦艦だったんでしょうか? 金剛型はライオン型のモンキーモデルではないよ。 戦艦は巨額の建造費がかかる為、おいそれと新機軸を盛り込みにくい。 また、とんがりすぎると得てして余裕がなくなり、結果的に長く使える艦ではなくなる為、攻守のバランスがとれた設計をする。 さて金剛型はライオン型のテストベッドみたいなもので、その後就役したライオン型は手堅くまとめた為、イギリス議会から「他国の為に建造した戦艦の方が性能が良いのはイカン」と問題になったほど。 #right(){(577:457)} **戦艦(大和とかアイオワとか)で一番北までいったのは、どんな戦艦ですか ソ連戦艦Arkhangelskではないか、と。 コラ半島、Murmansk、Arkhangelskを根城にしていましたし。 #right(){(307:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **排水量の計算において、燃料や弾薬ともに水の量の積載量も細かく決まっています。軍艦にはそれほど多くの水が搭載されていたのですか? >たとえば、大和や長門だと、何トンぐらいの水が搭載されていたのでしょうか? んじゃ長門の方だけ答えてあげましょ。 船体(Hull) 11,904t 艤装(Fitting) 1,843t 甲鈑(Armour) 8,168t 防御板(Protect plate) 6,005t 固定斉備(Perm. equip) 506t 一般斉備(Consum. equip) 523t 砲熕(Guns) 6,814t 水雷(Torpedoes) 58t 電気(Electric) 513t 航空(Aircraft) 52t 機関(Machinery) 2998t ※ 缶水227tを含む 燃料(Oil) 3,000t 燃料(Coal) 33t 軽質油(Gasoline) 20t 潤滑油(Lubricat Oil) 31t 予備缶水(Res. Water) 120t バラスト(Ballast) 162t ※ 水圧タンク水 不明(unknown) 158t 合計 42,700t これが公試状態つまり燃料と水2/3状態です。 出典は『日本帝国海軍全艦船 1868-1945 第1巻 戦艦・巡洋戦艦』 この本はいささかお高いですが、東京の書泉では見本の立ち読みもできます。 (長年置いてあるんでかなり悲惨な状態ですが) もちろん図書館を漁っても良いでしょう。 それ以外でも大和なら細かい重量配分載せてる文献は少なくないですから、そっちはご自分で調べてみてください。 #right(){(650:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)} **リシュリュー級戦艦2番艦のジャン・バールの機関出力はどれ位強化されてたの 手元資料では、Richelieuが150,000shp、Jean Bartが165,000shpです。 ちなみに、速力は前者が30kts、後者が32kts、重油搭載量は前者が6,796tに対し、 後者が6,476tと少なくなっています。 #right(){(288:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **長門級、扶桑級、伊瀬級、金剛級に共通してみられる副砲ですが、第二次世界大戦において廃止等の検討がされていたのでしょうか? >また、防御上問題とならなかったのでしょうか? 伊勢、日向に関しては、航空戦艦への改装時に構造物追加の代償重量 として、副砲が全部撤去されています。 同様に、扶桑、山城についても、航空戦艦に改造が検討された際、副砲 撤去が考えられていました。 防禦に関しては特に問題が無い、金剛なんかだと寧ろ副砲の撤去は攻撃力の 低下に繋がると言うことで検討されませんでした。 (平時が続いて、戦艦の改装が行われれば、代償重量の点で副砲の撤去が  進んだかも知れませんが) #right(){(279:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **キングジョージⅤ級の主砲はなぜ35.6cmなんでしょうか。 >ビスマルクやリシュリュー、ノースカロライナ級などの主砲は38cmや40.6cmであったのに対して不利ではなかったのかと。 本来、Washington条約では、1931年以降、艦齢超過の主力艦については代艦建造が認められています。 しかし、この条約制限の排水量で所要の防御を施し、速力を十分に取ろうとすると、主砲口径の限界は356mm が精一杯でした。 また、1937年に延長される第二次条約は、結果的に日本とイタリアが参加しなかったのですが、この時に主砲 口径は356mm以下と規定されています。 ただ、1937年3月までに両国が参加しない場合は、主砲口径を406mmまで拡大することが認められていました。 しかし、工事進捗の関係上、1940年には英独開戦が予想され、主砲口径の拡大とそれに伴う設計変更をする 暇が無かったので、そのまま工事が進められ、356mmで完成しています。 なお、その後のLion級は406mm砲を搭載する予定でした。 #right(){(114:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドレッドノートですが、装甲に関しては特に変化はなかったのでしょうか? 英国最後の前弩級艦であるKing Edward VIIの場合、装甲にはクルップ鋼とニッケル鋼を用い、 装甲帯には8~9インチのものを採用し、バルクヘッドが8~12インチ、バーベット部が12インチ、 砲塔が8~12インチ、副砲塔が5~9インチ、砲廓部が7インチ、司令塔が12インチ、 甲板部が1~2.5インチです。 一方のDreadnoughtは、装甲に全てクルップ鋼(合金とそうでないもの)を用いています。 装甲帯が8~11インチ、但し、後部が4~6インチ、バルクヘッド部は11インチ、バーベット部が 4~11インチ、砲塔は3~11インチ、司令塔は8~11インチ、甲板は4~0.75インチ。 若干薄目になっていますが、計画時は、対抗出来る艦が大型巡洋艦クラスになることが考えら れていましたので、僅かに8インチ防御しか考慮されていませんでした。 但し、艦の重要部には艦の上部31フィート分を石炭庫とし、この石炭で間接防御をするよう、 考慮されていました。 余談ですが、最初この艦の主兵装は、10インチに成る予定でしたが、計画進行中に12インチ砲が 採用されます。 B案では12インチ砲8門(連装砲塔4基)でしたが、最終的に12門(連装砲塔6基)となりました。 その配置も、D案では158.5mの艦に前後部に並列に砲塔2基と一段甲板を上げて残りを前後部に1基宛 配備するもので、E案では167.6mの艦に背負い式に前後部に3基ずつ砲塔を搭載した案、D1案で152.4m の艦に前後に1基ずつ、艦中央部に4基を集中配備したもの、G案では167.6mの艦に前後部に1基、中央 に離して左右両舷に2基ずつ配置したものなどが考えられていました。 #right(){(121:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **アメリカは対金剛級にアイオワ級を作ったという話は本当でしょうか? アイオワはまさしく高速戦艦となった金剛対策です。 当初予定では3隻(比叡の現役復帰は考慮外)の金剛に対して、ローテで同数を確保できるよう4隻。 両洋艦隊計画で懐事情に余裕ができたためさらに2隻が追加されました。 東洋艦隊へのPOW&レパルス派遣は、つまり対抗可能な艦が日本には長門級2隻しかなく(大和は未完成)、 日本最強の2隻を派遣すれば米太平洋艦隊に対し戦力比が大きく劣勢に傾くというジレンマをもたらすためのものです。 ちなみに当初予定ではネルソン級やR級といった低速戦艦を4~5隻派遣という案でしたが、 チャーチルの「少数精鋭」との鶴の一声で上記2隻に変更されました。 さらに空母インドミタブルも随伴予定でしたが、座礁事故の修理のため派遣が遅れ、 マレー沖海戦で両戦艦はエアカバーなしで戦うことになりました。 #right(){(124:ゆうか ◆9a1boPv5wk)} **レイテ海戦時の戦艦 伊勢、日向に「12サンチ30連装噴進砲」という対空ロケットが積まれていたみたいですが。 マリアナ海戦時の戦訓により、急遽開発され、レイテ海戦時に主な空母や戦艦に 搭載されていました。 実戦で使った結果ですが、次発装填に2~4分も要するので、会敵時には1回のみ の発射となり、28発の斉射は不可能で、2回以上の発射に分けないといけなかっ たり、操作員は防火服の着用を義務づけられたり、また、発射時の猛烈な白煙の為、 他の対空火器の照準が付けられなくなったり、燃焼がまちまちで爆発のタイミングが 掴めないなど、実用に際しては、走りながら考えると言う手法を採ったので、有効とは 言えませんでした。 その後、日本の空母は壊滅状態となったこともあり、これらの対空ロケットは、地上戦 用とか対潜用に転用されています。 #right(){(131:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **金剛を作る時、何でイギリスは15inMK1で作ってくれなかったのですか? >出し惜しみ? 金剛が建造された時期には、まだイギリスにさえ13.5in砲しかない時代だ。 むしろ14in砲を装備させてもらえたのは、まだイギリスにさえないようかなりの大盤振る舞い。 金剛は1912年竣工、初めて15in砲装備したクイーンエリザベス級竣工は1915年。 時期的に金剛はライオン級やタイガーと同期。 #right(){(俺初質スレ433:184)} **第二次世界大戦前にイタリアがソ連に提案したと言われている16インチ砲戦艦について教えて下さい オブイェークトやなかった、設計番号"UP41"のことだと思います。 1930年代に、ドイツの再軍備に脅威を抱いた「我らが輝ける太陽」スターリン元帥閣下が抱いた、 主力艦16隻から成る野心的な建艦計画を決意しました。 しかし、国内にはこの様な大艦を設計する能力が不足しており、海外にそれを求めた結果、Genoaの Ansaldoが注文を受けて(当時、ソ連とイタリアは友好関係にあり、イタリアの設計で、Kirov級巡洋艦、 駆逐艦Tallinnなどが建造されていました)、設計を行ったのが"UP41"です。 その基本設計は、同社で建造中のLittorio級戦艦に準じ、外観、装甲の張り巡らし方は同じだったりします。 この設計は、第二次世界大戦でおじゃんになりました。 排水量:42,000~42,672tt(満載時50,000t~50,800t) 寸法:248.9m×35.5m×9.0m 機関:タービン4基、ボイラー8基、4軸 177,500shp 装甲:装甲帯部(335~145mm)、バルクヘッド(350~145mm)、上甲板(55mm)、    主甲板(65mm)、砲塔(400~145mm)、バーベット部(350mm)、    副砲塔(180~90mm)、艦橋(335~200mm) 武装:40.6cm三連装砲塔×3(前部2基、後部1基)、    180mm三連装砲塔×4(主砲塔脇に2基づつ)、    100mm連装高角砲×12(平甲板に各6基)、    45mm四?連装機関砲×12?、13.2mm連装機関銃×12 #right(){(251:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **金剛は他の同型艦より頑丈だったそうですが。 >金剛級戦艦の近代改装時に他の同型艦は簡単に穴が空くのに、イギリスで建造された金剛だけが頑丈で、 >なかなか穴が空かなかったという話を聞きましたが 鉄鋼の生産技術が今と違って格段に低かったのが影響しています。 転炉、電気炉を用いた製造と平炉を用いた製造の違いとか、不純物の除去が上手くいかないとか…。 例えば、日本製鋼所室蘭製鉄所(今の新日鐵室蘭)で生産した大型鋼塊(110t乃至80t)のうち、 使用に耐えうるモノは、28本中、わずか5本という状態でした。 とりあえず、日本製鋼所設立にはヴィッカースとかアームストロングが大株主として進出していた のですが、彼の国から招聘した技師にも、成績不良なのがいる訳で、結果的に技術移転はした ものの、余り質が良くないと言う状況にありました。 基本的には同じモノを製造しているはずなのですがね。 #right(){(170:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **水爆実験で29000トンのネヴァダが沈まず39000トンの長門が沈んだっていうのは……もしかして長門ってヘタレ? 長門は適切なダメコンを行えば沈没にはいたらなかったようです。 B実験の結果、長門は右舷艦尾後方にわずかな破孔を生じ、横に5度傾斜しました。 このため米海軍の救難隊は左舷艦首を切り裂いて注水し、傾斜を止めようとしています。 しかし、残留放射能が予想外に強く艦内での作業はできませんでした。 こうして被爆後5日目の深夜に誰にも見取られず沈没にいたったのです。 昭和60年に読売新聞社が行った調査では、長門の船体の損害は極めて少なく、 艦内に十数人の応急員がいれば間違いなく沈没に至らなかっただろうと言う結論でした。 これに対して爆心の近くで沈没したアーカンソーの艦底には広範囲にわたって陥没が 認められています。 ネヴァダの爆心からの距離や損傷状況がわからないのでなんとも言えませんが、 単純にへたれ呼ばわりはちとかわいそうかと。 #right(){(189:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **アイオワ級戦艦4隻のうち、アイオワだけが記念艦になっていないのは何故なのですか? アイオワが現在も予備役に留め置かれている理由は、米国議会の一部で 戦艦の持つ火力支援能力についていまだに高い関心があったからです。 米国上院軍事委員会と下院安全保障委員会は1996年に米海軍に対して 95年までに除籍された戦艦の中から2隻を海軍籍に入れて必要な後方支援 能力と共に保持することを勧告し、米海軍はこれに従って アイオワとウィスコンシンを98~99年に予備役に復役させました。 またGAO(会計検査院)は1999年に海軍が対地火力支援任務を実行するための 現在および将来のコストの査定の分析のリポートを提出しましたが、 その中には新しい兵器システムが艦隊に利用可能になるまで2隻の戦艦を 再就役させるべきかどうかに関する質問も含まれていました。 この中では、海軍は戦艦の運用に必要な既存の後方支援(技術マニュアル、 修理・交換部品、および大砲)を保有しており、数カ月以内に16インチ砲の 弾薬と推進剤の生産は再開することができるとされました。 さらに、2つの海軍造船所には、戦艦を補修する能力があるとされました。 しかし、高い運用経費と多数の乗組員がいないことから、海軍は2003年~2008年の内に 海軍が開発中の地上火力支援用の砲とミサイルが運用上の能力を達成するまで 艦籍上で戦艦を維持するが、戦艦を再就役させることは無いとの結論に達しています。 2000年にウィスコンシンはノーフォークの"National Maritime Center"に 引き取られており、アイオワも2001年にカリフォルニア州のスーザン・ベイに 移動して、現在はサンフランシスコ湾で計画中とされる博物館に引き取られました。 #right(){(204:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}※アイオワも記念艦になったため一部修正 **扶桑級は、砲塔を減らしてその重量分を速度や防御に当てようという改装案は出なかったの? 攻撃力減らしてまで防御増やすとかどうかしてる 速度にしても機関換装とか、わざわざそんな手間のかかる改装は戦時中にはできない 戦前なら空母は主力でないし、そんなに高速戦艦の需要はない しかも砲塔減らしてまで速度を増すとか、戦前ならまずあり得ない #right(){(俺初質スレ2050:10)} >攻撃力減らしてまで防御増やすとかどうかしてる ノースカロライナ級 #right(){(俺初質スレ2050:13)} そうするとアメリカの14インチ戦艦に火力で負けることになる 隻数は向こうの方が多いし、軍縮条約のため自軍の隻数を増やすことも望めないのでそれは困る 砲数減らさんでも第二次改装でそれなりの速力・防御力を持たせられてるし #right(){(俺初質スレ2050:14)} そもそも、アメリカの14インチ砲搭載戦艦より3ノット以上上回ってるんだから、 速力増やす必要性がない。 #right(){(俺初質スレ2050:15)} **ビスマルクの艦砲はレーダー射撃ができ、88mmの対空砲とかも対空レーダーが連動していたんでしょうか? そもそもドイツのレーダー技術は、英米に比べるとかなり見劣りするレベル ビスマルクのレーダーは索敵用で、射撃管制に使えるような精度はない #right(){(俺初質スレ20501:18)} ビスマルク追撃戦の時にビスマルクを追走してた重巡が、ビスマルクのレーダーレンジに 入ったり出たりを繰り返して、圧迫をかけたのは有名なな話。 つまりそのころには、英米のほうがレーダーで優位にたってた。 #right(){(俺初質スレ20501:18)} **三笠は超弩級だろ? >三笠は超弩級ですよ。 >ドレッドノートと同時期の船で砲門数は上回ってるんですから 本気で間違えているようなので、教えます。 弩級戦艦(正確にはド級戦艦)の「ド」は1906年に就役した英戦艦ドレッドノートのことを指します ドレッドノートはそれまでの戦艦を一気に旧式艦にした画期的な戦艦で、 これ以降、各国はドレッドノートの特徴を継承した戦艦を建造します。 これらがド級戦艦というものです。 さらに、ドレッドノートよりも艦体や砲が大きい戦艦も登場し、 これらがド級を超えるということで超ド級戦艦と呼ばれました。 ドレッドノートの4年前に完成した戦艦三笠は、ドレッドノートの特徴をもっていませんので 前ド級戦艦と呼ばれます。 >ドレッドノートと同時期 4年前に完成してます。そのため前ド級と呼ばれます >砲門数は上回ってるんですから ド級の条件の一つは同一の大口径をそろえ中間口径や小口径の砲を廃止したり減らしたことで 長距離での弾着修正をしやすくしたことだが         ド級   三笠 12インチ砲 10門   4門 6インチ砲   0門  14門 3インチ砲  27門  20門 どうみても三笠はド級の条件を満たしていません (軍事板FAQ作成本部2) ----
#CONTENTS ---- **ドイツ巡戦のシャルンホルスト級の各艦の名前は、一番艦では「国民皆兵制(シャルンホスト)をしく」という記述をプロイセン年表で見つけましたが、この制度のドイツ語が「シャルンホルスト」という意味なのでしょうか? >また、2番艦の名前の由来をお願いします。 1番艦「シャルンホルスト」、2番艦「グナイゼナウ」ともナポレオン時代の プロイセン参謀本部に所属した軍人の名前から取られています。 あと、この名前がつけられたのは第一次世界対戦の1914年11月1日に チリで行われたコロネル沖海戦に参加した装甲巡洋艦の2隻にから命名 されたそうです。 ちなみにこの戦いで艦隊を率いたシュペー中将は、ポケット戦艦 「アドミラル・グラーフ・シュペー」の命名の由来になりました。 #right(){(2:104)} **日本海軍の(未製)50cm砲搭載艦「尾張」「紀伊」という艦名について以前から疑問に思っていたのですが、本当にこれで良いのでしょうか? >「紀伊」はともかく、「尾張」は「終わり」に通じるということで、没になりそうだと思うのですが。 帝国軍艦銘々伝という本があって、そちらに詳しく書かれているのですが、 漏れは持ってない(買おうと思っているうちに返本されてしまった)ので、 うろ覚えですが、進水式の時点で初めて正式に艦名が決定します。 それまでは予定艦名となっていたかと。 確か海軍部内で2案作って、軍艦(菊の御紋章付)の場合、天皇陛下に 裁可していただき、進水式の時点で発表するはずです。 従って、進水もしていない艦が「紀伊」であったり、「尾張」であったりという のはあくまでも、便宜上の仮称艦名で、実際の進水式の時点では変わって いる可能性があると言うことです。(確か別の艦名があったような…) #right(){(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)} これは戦後に有名な軍事小説家が勝手につけた名前が当時の軍事少年の心に刻まれ、大和級戦艦4番艦の名前は「紀伊」である。というのが定説になってしまったようです。 よって50センチ砲搭載艦の名前はおろか大和級4番艦の名前すら決まっていません。 #right(){(10:582)} **長門級以前の日本戦艦の艦橋についてですが NAVAL HOLIDAY期のあいだに塔状艦橋に改装する計画はなかったのでしょうか? 戦艦の改装には極めて資金、時間がかかります。 勿論、建造にも時間が掛かります。 Q.E.級はK.G.V級建造と並行する形でパイロットモデル的な改装が行われました。 しかし、ロイヤル・ソヴェリン級は改装は殆ど行われていません。 ニューメキシコ級も恐らくノースカロライナ級建造のための試作と考えられます。 翻って我が国は、軍縮条約で対英米比率を下げられたこともあり、その質を 高めるために、1920年代後半から30年代前半に掛けて戦艦の改装を行っています。 そして、新戦艦建造は30年代後半からです。 結局、大和級のパイロットモデルには金剛級の比叡しか残ってませんでした。 しかも、日中戦争の泥沼で戦費が多大となり、改装から僅か数年で再改装と言うのは出来なかったでしょう。 日中戦争が無く、太平洋戦争の開戦が5年遅れていたら、比叡と同じく大和級に準じた改装が為された可能性があるでしょうが (特に扶桑級と金剛級辺り)、少なくとも塔状の艦橋に改装されたかは極めて疑問です。 #right(){(22:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **なんでキングジョージⅤ型戦艦の主砲は4連装:連装なんでしょうか。 本当は4連装3基12門だったんですが、防御に欠陥が見つかりまして それを補強するために二番砲塔を連装に変更しました。 #right(){(23:382)} **横須賀の記念艦「三笠」はビッカース社で建造された本物がそのまま保存されてるのですか? 一応、船体は実物そのもの。 だけど、内装はほぼ後から再現されたもの。 今でこそ、大事にされてるけど戦時中は鉄を戦争用に持っていかれたり荒れ放題だったそうです。 しかも戦後は船内がキャバレーだった事もあります。 見るに見かねたアメリカの士官が提案して、 元から三笠を大事にしたいという人達と協力しあった事もあって戦後、きちんと保護され今の形になりました。 #right(){(29:739)} **トルコ海軍に所属していた、ヤウズ・スルタン・セリムの1941年の改造後の基本スペックと武装に関して知りたい >あと、この艦の乗組員の錬度はどの程度だったのでしょうか? >それとこの艦のトルコにおける評価とトルコ軍内の位置づけは、どのようなものだったのでしょうか? ヤウズ・スルタン・セリムは1936年にヤウズと改名されています。 1927~30年にかけてイズミドにおいて、仏製の射撃指揮装置の設置、機関修理・重油専焼缶への換装を行い、27knotを出しています。 1938年に小改装、1941年に後部マストの撤去と対空火器の増設を行っています。 トルコでは周辺諸国、特にギリシャ、ソ連に対する示威兵力として用いられていました。 (このため、ソ連は戦後、黒海艦隊にイタリアから引き渡されたジュリオ・チュザーレ級戦艦を配備していました) 退役時は記念艦という声もあったみたいですが、経済情勢から破棄されたようです。 基準排水量22,734トン、寸法186×29.6×8.2m、軸馬力不明、速力27.1knot、兵装:11inch(28.1センチ)連装砲×5、 5.9inch(15センチ)単装砲×10、3.5inch(88ミリ)高角砲×6、50センチ魚雷発射管×2に加え、40ミリ砲×12、 20ミリ砲を8ミリ機銃の代わりに4門搭載。乗員1300名 #right(){(32:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **ヴァンガードってなんか戦艦っぽいしたことあるの? 特になにも。 1947年に王室を乗せて南アフリカへ、1949年に地中海艦隊に配属され、 そのまま練習艦となりました。 あとは本国で旗艦任務に就いていただけです。 #right(){(32:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **金剛級の45/36連装砲塔ですが、これを50/30Ⅲ連装に替える事が出来るんですか? 多分無理。12インチ3連装で重量は16インチ連装に匹敵する。 また、一発あたり威力が激減するのでほとんどの場合で無駄になることでもある。 #right(){(39:334)} **八八艦隊計画で有名な13号艦ですが、もし破産覚悟で計画を遂行した場合、 >18インチ砲を八門積んで5万トンを切って速度30ノットというのが当時、技術的に建造できたのでしょうか? 第13号艦級 八八艦隊計画最後のこのクラスは、主砲が46cm砲という、世界最大のものであった。 主砲からわかるように、このクラスは後の「大和」級戦艦のプロトタイプともいえる存在であったが、計画倒に終わってしまった。 なお速力は「大和」級よりも速い30.0knであった。 もっとも装甲は「大和」級のほうがはるかに上であったが、それでもなお有力な戦艦になったであろう事は容易に想像できる 艦種 巡洋戦艦 艦名 No Data 完成年 No Data 排水量 N:常備 S:基準 T:公試 T:英トン(1.016メートルトン) t:メートルトン N 47500T 長さ(垂線間長)WL:水線長 約850' WL 約900' 幅(水線最大幅)UW:水線下最大値 101'-0" 平均吃水 32'-0" 主罐 ロ号艦本式 X14 主機械 技本式オールギヤードタービン X4 軸数 4 機関出力(HP) 150000 速力(Kn) 30.0 航続距離(Kn-Miles) No Data 燃料搭載量 C:石炭 O:重油(t) No Data 乗員 No Data 備砲(cm/口径長) AAG:高角砲 MG:機銃 I,II,III,IV:単装,連装,三連,四連 46/45 II X4,14/50 I X16,12/45 II AAG X4 魚雷発射管(cmX) 61 X8 水線部甲鈑最大厚(厚さ-種類-取り付け角) 13"-VC-約15 航空機 なし 射出機 なし 備考 計画時 八八艦隊計画第13艦、第13号艦級1番艦。ワシントン条約のため起工されなかった。主砲口径からわかるように、このクラスの船が大和のプロトタイプと言えるものである。 #right(){(40:868)} **日本の戦艦の速力は竣工後の改装工事によって戦艦(というか船舶全般?)の速力を向上させる事はできなかったのでしょうか? 速度を上げるためには、機関部を交換しないとだめ 缶室を改装するためには、甲板はずして装甲はずしてとエラク手間がかかる、金もかかる 日本の戦艦は同時期の他の戦艦に比べて元々速度が速く(戦略思想から) 中途半端に速度を上げるために莫大な改装費ついやして、旧式艦をグレードアップするなら すなおに新型艦建造した方がいい。 と考えたんだろう。 #right(){(42:817)} **第一次世界大戦後も保有を認められ第二次世界大戦でも艦砲射撃で活躍した独逸の前弩戦艦シュレスヴィヒホルシュタインの最期 シュレスヴィヒ・ホルシュタインは1944年12月18日、ゴーテンハーフェンで 修理中英軍の爆撃を受け大破擱座、翌45年ソ連軍のダンツィヒ地区への 攻勢開始後の3月21日同地で自沈、1950年6月に解体されました。 #right(){(46:811)} **ソ連戦艦マラートってどうやって沈められたっけ? ソ連の戦艦「マラート」は1941年9月23日にレニングラードのクロンシュタット湾で ルーデルに撃沈されましたが、このときルーデルが投下した1トン爆弾は 一番砲塔の前に着弾したそうです。43年5月31日着底状態のままペトロハブロフスクと改名し、 損害を受けた一番砲塔を撤去して砲台として着底状態で砲撃を実施しました。 第二次世界大戦後に再浮揚し砲術練習艦ヴォルコフと改名、1950年11月28日から1952年まで在籍し 53年に解体されたと言われています。 #right(){(51:名無し軍曹)} **どうして、ヴァンガード級は40センチ砲じゃなく、R級の38センチ搭載してたの? 単純に余っていたから。 ヴァンガードの建造は、余っていた38センチ連装砲塔を流用して戦時急速建造できる戦艦、 として行われた(結局戦争にはほとんど間に合わなかったけど(苦笑 あと、ヴァンガードの38センチ連装砲塔はR級のものではなく、 空母に改装されたカレイジアスとグローリアスの”ハッシュハッシュ・クルーザー” 時代の砲塔を取り外して保管しておいたもの。 #right(){(51:447)} もともと、軽巡「カレイジャス」と「グローリアス」を空母へ改装するとき、 外した四基の砲塔を流用して戦艦一隻組み上げようという発想から建造されたのが ヴァンガード。 急造戦艦だったからね、中途半端というか平凡な艦だったことは否めない。 #right(){(51:449)} 結果的に戦時急造艦となってしまいましたが、 ヴァンガード級はもともと極東艦隊向け高速戦艦であり、 主砲にR級の砲塔を流用することまで決定していました。 少なくとも2隻が計画されています。 ですからヴァンガードの本質はシンガポールあたりに来襲する日本艦隊に対抗するための リサイクル戦艦です。マジで。 #right(){(51:469)} **湾岸戦争の時戦艦って主砲発射したんでしょうか 派手にぶっ放しております。 参加したのはBB-63ミズーリとBB-64ウィスコンシン。目標はカフジとクウェート市内でした。 #right(){(54:212)} **北欧の保有している海防戦艦ってどれくらいの性能、そして戦歴は? 北欧4国(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド)が所有した海防戦艦は 水深の浅いバルト海での防衛戦を想定して建造した物で、およそ3.000~8.000㌧の小排水量で 前弩級戦艦に近い性能と十分な装甲を持っていました。 海防戦艦に分類できる艦は四ヶ国合わせて14~5隻建造されましたが、代表的な艦の簡単な スペックと戦歴を挙げておきます。 フィンランド海防戦艦 ★イルマリネン Ilmarinen(同型艦ヴァイナモイネン) ・満載排水量4,000㌧ *武装25.4cm砲×4(連装砲2基)・10.5cm連装砲×4基 1931年進水 41年9月20日フィンランド湾で触雷により沈没 デンマーク海防戦艦 ★ニールス・イウエル Niels Iuel ・満載排水量4,320㌧ *武装15cm砲×10・450mm魚雷発射管×4基 1918年7月進水 1935-36改修 43年8月スウェーデンに退避中ドイツ軍により被爆 44年「KMノルドランド」と改名士官学校生練習艦に 45年5月連合軍により被爆 52年スクラップ スウェーデン海防戦艦 ★スベリーゲ Sverige(同型艦ドロットニング=ビクトリア グスタフⅤ) ・満載排水量8,000㌧ *武装28.3cm/45口径砲×4(連装砲2基)・15.2cm/50口径砲×8 1915年5月進水 58年スクラップ ノルウェー海防戦艦 ★エイズボルト Eidsvold ・満載排水量4,233㌧ *武装20cm砲×2 1899年1月進水 1940年4月9日ナルヴィク沖で独駆逐艦に撃沈される #right(){(54:名無し軍曹)} **なんで戦艦河内は前部主砲は45口径で、後部は50口径なの? 河内級には主砲塔が6基あり、前後部の2基が50口径、 舷側の4基が45口径でした。 これは、艦首尾方向の砲力を強化しようとしたためです。 当時の軍令部長東郷平八郎の意見に基づくものでした。 当然のことながら、これによって砲により射撃特性が 異なってしまいました。 河内級は、弩級艦に分類されていますが、そういう意味では 本来の弩級艦とは異なる存在といえるでしょう。 #right(){(55:142)} **出来た時から旧式扱いだったのなら扶桑・山城を高速戦艦にする話は無かったのですか? 条約のため勝手な改造はできない。 条約終了後は新型艦のためドックがふさがっていた。 #right(){(62:365)} **独戦艦ティルピッツは、敵に向けて主砲を放ったときはありますか? 1943年9月8日に、シャルンホルスト及び駆逐艦9隻を率いてスピッツベルゲン島の 陸上設備を砲撃しています。 これが唯一の敵への発砲です。 #right(){(63:名無し軍曹)} **ドイツの軍艦、Mプロジェクト、Pプロジェクトについて教えてください P-Class(O,P,Q) 1937年に開始されたもので、ポケット戦艦の発展型です。 排水量:30,500~35,720t 寸法(全長・全幅・喫水):246.00~256.50x30.00x9.60~11.20m 機関:3軸推進(MAN社製2ストローク24サイクルディーゼルx8+           Brown-Boveli Turbine(Wagner缶x4)(中央軸))     ディーゼルのみ:116,000shp=27.0kt/h、3軸176,000shp=33.4kt/h 装甲:装甲帯7~4inch、甲板2inch、主砲塔8.25~2inch、副砲塔5.5inch、司令塔7.75~3inch 武装:38cm/47 C34連装砲×3、150mm/48連装砲×3、105mm/65 C33連装高角砲×4、37mm/83連装機関砲 C33×4,     20mm C38機関砲×20、53.3cmTT×6、航空機4機。 M-Class(M~R) Nuremberg、Leipzigの後に計画されたもので、これらは後にSP1級偵察巡洋艦に継承されていきます。 排水量:7,800~10,400t 寸法(全長・全幅・喫水):178.00~183.00x17.00x5.40~7.30m 機関:3軸推進(MAN社製2ストローク12サイクルディーゼルx4(中央軸)+           Wagner Turbine(Wagner缶x4))     3軸16,500shp=35.5kt/h 装甲:装甲帯2~1.25inch、甲板0.75~1.25inch、砲塔3.25~0.75inch、司令塔0.75~4inch 武装:150mm/55 C28連装砲×4、88mm/76連装高角砲×2、37mm/83連装機関砲 C33×4,     20mm C38機関砲×Some、53.3cmTT×8、航空機2機。 #right(){(64:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ビスマルクとティルピッツは同型なのに搭乗人員数があんなに違うのはなぜなんですか? 就役後に、Leipzigより撤去した21in四連装魚雷発射管を2基、対空砲火の 強化として、20mm機関砲を58門追加搭載されているためその操作要員が 必要になったものと思われます。 #right(){(67:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **80年代に現役に復帰したアイオワ級の砲弾や砲身は再生産したのですか? 今じゃ失われた技術なので、昔のまま。ただ、炸薬は交換したらしいです。 #right(){(72:764)} 予備砲身が残っていました。 砲弾を再生産したかは判りません。 #right(){(72:765)} **QE級戦艦の「クイーン・エリザベス」という名前ですが、これは16世紀のエリザベスIから取ったのでしょうか? 艦名は間違いなくエリザベス1世から取ったと思います。 他にエリザベス女王といえば先年亡くなられたエリザベス皇太后がおられましたが、 「クイーン・エリザベス」が就役した1915年には彼女はまだエリザベス・バウズ=ライアン という名前でしたから。 人気の秘訣はあんがい艦名かも。「エリザベス女王」「勇敢な」と比べると、 「戦争を軽蔑する」「バーラム(人名)」「マレーヤ(地名:マレー)」ですからね……。 #right(){(76:551)} エリザベス1世はスペインの無敵艦隊を撃破して、 英国を世界一の海軍国に仕立て上げた女王だからね。 当時世界一の豪華客船に、七つの海を制した女王の 名を冠したのは当然とも言える。 #right(){(76:621)} **ドイツのポケット戦艦って、フッドやレナウンのような高速かつ大火力な巡洋戦艦に遭遇した場合はどうするつもりだったのでしょうか? 但し、巡洋戦艦といえど、隻数は少ないですから、容易に位置は推定できます。 遭遇したら、運が悪かったと言うことですね(苦笑。 #right(){(78:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ビスマルクは完成したときから旧式な戦艦という話を聞いたのですがこれはなぜなのでしょうか? 前後の話が不明なので何とも答えようがありませんが、  1. 戦艦の時代が終わり、空母の時代に差し掛かっていたのにも関わらず、    未だに戦艦に固執したこと。  2. 幾ら砲身長が長く、高初速な砲を搭載していたとは言え、40cmまたは46cm    砲が実用化された今日では、時代遅れの感は否めないこと。 のいずれかではないかと愚考しますが。 #right(){(78:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 別にそんな事は無いけど?。 典型的な「新戦艦」だろ。  まぁ、完成した時には戦艦そのものが「旧式兵器」だった訳だけど。 潜水艦を10隻追加してた方が役に立っただろう。 開戦時の航洋型Uボートの数はわずかに27隻。 #right(){(78:56)} **トイレは「長門」が始めから和式で、これが初めだそう。 >兵隊達は和式に慣れていたので、長門以前の戦艦は和式以外だとうまく用を足せなかった? 高橋猛氏の「めしたき」シリーズで、霧島の便所が洋式(足が見えるよう 扉の下が高めに切ってある)という描写がありました。というわけで、 多分洋式なのでしょう。 もっとも同シリーズで輸送艦に便乗すると、海の上に渡した穴あき板が トイレだったという話もありましたが。 #right(){(79:421)} もともと輸入艦艇なので全部洋式だったのだけど、>420さんが言うように田舎から 出てきた兵隊などは、どうやって腰掛けるかすら判らずに洋式便器にまたがって 用を足したり(手前に落ちるので便器が汚れる)、そもそも排便すらできずに便秘で 身体をこわすものまで現れて、国産化されてからは一部和式になったそうで。  実際、海自の艦艇も5対1くらいで和式大便器が混ざってますです。  ちなみに戦後供与されたPFでは、大便所はコンパートメントを貫いて一本の 水路が流れていて、そこを常時海水が流れているだけだったものだから 満員の時など、前の人の出したものがコンニチハする状態だったとか(笑)  フネががぶると、水路から水があふれて・・・ぎゃ~ #right(){(79:海の人●海の砒素)} **戦艦ビスマルクの主砲の尾栓ってネジ式だったのですか? >ドイツは水平板式ばかり、でもこの方式は分離装薬が使えないという話を聞いたことがありますが・・・・ あの映像は他の戦艦のものを流用したもので、ビスマルクの映像ではありません。 おっしゃる通りビスマルクの砲尾の閉鎖機は水平鎖栓式閉鎖機を使用していました。 ドイツのでは大口径砲にも薬莢式装薬と鎖栓式閉鎖機を使用しており、これは 鎖栓式閉鎖機のほうが製造が簡単だという理由だとされています。 (単にクルップが薬嚢式のほうに開発に失敗しただけともいわれていますが。) ちなみに、ねじ式の尾栓は隔螺式(かくらしき)といいます。 #right(){(80:名無し軍曹)} **戦艦ネルソン級の真ん中を高くするという主砲配置にはどのような利点があるのでしょうか? >ネルソンの主砲塔は前から低高低という順番で並んでいるため、せっかく全部の砲塔が前を向いているのに、 >これだと三番砲塔の前方射界が大きく制限されてしまいます。 > >初期案の中には低低高という配置案もあり、ある程度目標までの距離があれば、 >こちらなら前方に全火力を向けることができそうでが、なぜこちらが選ばれなかったのでしょうか。 恐らく低低高の場合重心が後ろになりすぎると言う事が問題になったと思われます。 低高低の方が安定した状態だったのでは? #right(){(84:639)}      □□□==  □□□==|| □□□== →前 ―――――――――――――――  □□□==   || □□□==□□□== →前 ――――――――――――――― 低低高だと、低高低よりもヴァイタルパートがごく僅かに長くなるので、 装甲重量が若干かさんでしまうと考えられたのではないかと。 ネルソン級はワシントン軍縮条約下で建造された唯一の英国戦艦で、 排水量を条約で定められた35000トン以内に納めることが設計の段階で 求められていたから、重量切り詰め策の一環というのもあったかもしれない。 実のところ大した効果は無かったんじゃないかとも思えるが。 あとは重心とか、艦橋前部(特に下のほう)の視界確保とかじゃなかろうか。 実際問題、主砲の前部集中配置は砲架構造の制限や安定性の問題から 遠距離射撃や斉射に困難がつきまとったし、そちらの仰るとおり三番砲塔の 射界・射角が著しく制限されていたのは事実。後方が完全な死角になることも 設計上の重大な欠点だった。 英海軍も分かってたと見えて、ネルソン級二隻は戦後早々に除籍されますた。 #right(){(84:642)} **戦艦アレクサンドルⅢ世がどういう船かが分かりません インペラトリッツァ・マリーヤ級三番艦 スペックは本から引き写すのが面倒なんでネームシップでぐぐってちょ 1917年6月28日竣工 1918年9月、ドイツ軍が捕獲 終戦後、英国軍の管理下へ 1919年10月17日、白衛軍に引渡し 1920年、内戦敗北によりビゼルタに脱出、同地で仏官憲に武装解除を受ける この後はパス #right(){(84:801)} Imperator AlexanderIIIは、帝政ロシア海軍の弩級艦で、>801で書かれているように、 1911年の建艦計画で20,000t級20.5ktを発揮する戦艦として計画されましたが、トルコの 戦艦Reshandje級に対抗するために14inch砲搭載戦艦に計画が変更されました。 ところが、手法の開発が間に合わず、12inch砲装備の戦艦となりました。 1917年のロシア革命に於いてはまだ艤装中であり、2月革命で帝政が終わったので、 Volyaと改名されています。 1918年4月29日にウクライナが独立した際、その国旗を掲げ、Bolshevikの海軍艦艇と 戦闘を行い、セヴァストポリを去りました。 9月にセヴァストポリに戻りましたが、ドイツに鹵獲され、11月にセヴァストポリに進駐した 白衛軍支援の英国軍に引き渡されています。 1919年4月にトルコのイズミードに移動中、赤軍に鹵獲されますが、10月17日にウランゲリ 将軍が指揮し、クリミア半島を基盤とする白衛軍に引き渡されます。 この時にGeneral Alekseevと改名されますが、1920年、白衛軍は英国、フランスなどの支援 諸国に見捨てられ、11月にクリミア半島から最後の白衛軍が去ります。 で、ビゼルタに入港しますが、当時この地はFranceの領土でした。 そして、Franceは白衛軍を最後まで支援した国の一つで、歴史的にも関係は深いです。 中立国への入港と言うことで、武装解除され、抑留されますが、1924年10月29日までロシア帝国 海軍旗を掲げ、最後のロシア帝国戦艦となりました。 その後、白衛軍の資力が尽き、競売に掛けられました。 ソ連も現状調査に来ますが、破損状況の悪さから引き取りは拒否され、Franceに於いて、1937年 に解体されています。 スクラップのうち主砲は比較的程度が良かったので、残されていたようです。 蛇足ながら、Franceが解体したAustria-Hungary二重帝国の戦艦の主砲も砲台に使用されています。 ついでに、Imperator AlexanderIIIのスペックは、 排水量:22,600t 全長:167.8m×全幅:27.3m×喫水;8.4m 機関:Brown-Curtiss turbine 4軸 Yarrow boiler×20 26,500shp 速力:21kt/h、重油搭載量:720t、石炭:3,000t 装甲:装甲帯:102mm~267mm、砲塔:305mm、バーベット:203mm、司令塔:305mm、     デッキ部:76mm 武装:305mm/52口径三連装砲塔×4、130mm/55口径単装砲×18、75mm高角砲×8、     47mm速射砲×4、機関銃×4、457mm魚雷発射管×4 同型艦:Imperatritsa Maria(1915.7.6竣工、1916.10.20喪失)      Imperatritsa Ekaterina Velikaya(旧名EkaterinaII)(1915.10.18竣工、1918.6.18撃沈) #right(){(84:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **湾岸Ⅰで現役使用されたアイオワの大型艦砲は、近代化によって飛距離・命中精度とも大幅に性能向上されていたのでしょうか? >現代の艦砲はWW2と比較して、 圧倒的な飛距離と正確性を持っている 訳では有りません。 >アイオワの大型艦砲は、やはり近代化によって飛距離・命中精度とも大幅に 性能向上されて いませんでした。 #right(){(87:369)} 誘導砲弾の開発計画とか、あることはあったんですけどね。 #right(){(87:ゆうか ◆9a1boPv5wk)} **アメリカのアイオワ級4隻は、大戦中どのような戦績を残したのでしょうか? アイオワIowa級は主として上陸支援射撃で活躍しており, 対艦攻撃で目立った戦果は挙げておりません.  ネーム・シップの竣工が1943年だしね. #right(){(88:消印所沢@FAQ屋 ◆z3kTlzXTZk)} 太平洋戦争でのIOWA級は対艦戦闘はせずに、対地支援を行いました。 また、さらに重要だったのが、空母機動部隊の対空プラットフォームとしての役割です。 特に最高速度が30ノットに達するIOWA級は4隻とも空母機動部隊に配属されています。 #right(){(88:897)} **ガンダムSEEDにアークエンジェルという船が出てきますが実在の軍艦におなじ名前がついているものってありますか イギリス戦艦ロイヤル・サブリンがソヴィエトにレンタルされた時、借りた方は アルハンゲリスクと呼んでいました。ロシア語でアークエンジェルの意味です。 #right(){(93:677)} **戦艦伊勢と扶桑では、どのくらいの設計の共通性があるのでしょうか? 伊勢は改扶桑級とも言われている通りに設計自体は結構変わっている。 共通箇所は主砲の門数くらいで後は改良が行われている。 扶桑と伊勢の写真か模型を見れば大体分かると思う。 #right(){(95:570)} 主砲は同型(装填方式は違うが)、舷側水線装甲板は同じ(防御部分は改正されているが)。 #right(){(95:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2米戦艦はレーダー射撃だから超正確という話を聞いたのですがこれって本当なのですか? まぁ、状況によっては肉眼よりも正確、といったところでしょうか。 差が無いわけではないが、特殊な状況を除いて、致命的な差異は無いと考えてかまわないでしょう。 #right(){(96:982)} サマール沖海戦みたいに、護衛駆逐艦が煙幕焚けば 結構違ってくるみたい。 #right(){(96:985)} 第3次ソロモン海戦において、戦艦ワシントンが霧島に対し17キロでレーダー射撃、 16in砲弾を75発発射し9発が命中、命中率12%は光学照準機の時代には考えられない数字。 #right(){(96:986)} 第3次ソロモン海戦は夜戦。 レーダー射撃の利点の一つに、調子の悪いときと良いときの差があまりない ってこともある。 光学照準だと、操作員の体調とか精神集中の度合いがもろに命中率に跳ね返 ってくるのだ。 米軍の射撃の命中率は、海戦ごとの極端な差は無い。 #right(){(96:990)} **ダンケルク級って最後まで高角砲装備してなかったんですか? 副砲が高角砲を兼ねてます。 つまり両用砲。 #right(){(98:ゆうか ◆9a1boPv5wk)} **アイオワ級の戦艦には舵が4枚あると聞いたのですが本当でしょうか? アイオワ級の舵は2枚。 それは、ダブルスケグ(並んだ2組のスクリューシャフトを露出させず それぞれ整流カバーで覆う方式)を勘違いしてるのでは。 #right(){(99:125)} **金剛、扶桑、山城の母港はどこでしょうか? 金剛  横須賀→佐世保(ロンドン条約締結頃) 扶桑  呉 山城  横須賀 #right(){(102:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)} **戦艦ポチョムキンついて基本的なスペック(全長、武装、乗員数など)を、教えていただけないでしょうか。 クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー級でどうぞ #right(){(107:80)} もう誰か回答済みだろうけど、 クニャージ・ポチョムキン・タウリチェフスキー(クニャージは公爵) 常備排水量12582トン、全長115.36m、全幅22.25m、最大喫水8.23m 出力10600馬力、速力16.6ノット、航続力10ノットで3400海里 主砲40口径305mm連装砲2基、副砲45口径152mm単装砲16基 補助砲11ポンド(75mm)単装砲14基、3ポンド(47mm)単装砲6基 381mm水中発射管5門 装甲水線229mm、甲板76mm、砲塔254mm、司令塔229mm、乗員750名 以上世界の艦船増刊「ロシア/ソビエト戦艦史」より #right(){(107:82)} Potemkin(ポチョムキン)が正しい綴りです。 クニャージ・ポチョムキン・タウリチェフスキー→パンテレモン→ ポチョムキン→ボレツ・ザ・スヴォボドゥと三度改名 大体三笠と同時期の戦艦で武装はほぼ同等、速度がやや遅く、大きさは一回り小型です。 #right(){(107:83)} **戦艦ヴァンガードの主砲について、よく15インチの42口径長だからショボイという見解を目にしますが、 >あの時代としてはそんなに見劣りするものだったんでしょうか? この手の評価はいつも割れるので、主観的な意見しかお答えできません。 戦艦の寿命は長いので、全く持って使えないってわけではないと思います。 ただ、元々、未成艦の流用ですし、新鋭戦艦の主砲としては見劣りするのは事実だと思います。 #right(){(108:734)} **戦艦ニュージャージーの艦首についてるアンテナらしきマストはなんなんでしょうか? 確か、無線のアンテナだったかと思います(ちとうる覚え。 で、こういった戦艦の射撃は、近年では陸上目標への艦砲射撃が主でしたので、 艦首に指向して発砲する訳でもなく、右舷か左舷に指向して全門発砲が主となり、 別に艦首にアンテナがあっても、問題ない訳です。 #right(){(111:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **キングジョージⅤ級の主砲はなぜ35.6cmなんでしょうか。 >当時の他国の新鋭戦艦(ビスマルクやリシュリュー、ノースカロライナ級など)の主砲は38cmや >40.6cmであったのに対して不利ではなかったのかと。 第二次ロンドン条約の制限。 1936年にワシントン・ロンドン条約が失効した後に英米仏で結んだ条約。 米は大和級に対する回答が無かった事を理由にエスカレーション条項を適用。 ノースカロライナの備砲を14インチ4連装*3から16インチ3連装*3に変更したが、 英は間に合わなかった。 #right(){(114:214)} **ドレッドノートですが、装甲に関しては特に変化はなかったのでしょうか? 英国最後の前弩級艦であるKing Edward VIIの場合、装甲にはクルップ鋼とニッケル鋼を用い、 装甲帯には8~9インチのものを採用し、バルクヘッドが8~12インチ、バーベット部が12インチ、 砲塔が8~12インチ、副砲塔が5~9インチ、砲廓部が7インチ、司令塔が12インチ、 甲板部が1~2.5インチです。 一方のDreadnoughtは、装甲に全てクルップ鋼(合金とそうでないもの)を用いています。 装甲帯が8~11インチ、但し、後部が4~6インチ、バルクヘッド部は11インチ、バーベット部が 4~11インチ、砲塔は3~11インチ、司令塔は8~11インチ、甲板は4~0.75インチ。 若干薄目になっていますが、計画時は、対抗出来る艦が大型巡洋艦クラスになることが考えら れていましたので、僅かに8インチ防御しか考慮されていませんでした。 但し、艦の重要部には艦の上部31フィート分を石炭庫とし、この石炭で間接防御をするよう、 考慮されていました。 余談ですが、最初この艦の主兵装は、10インチに成る予定でしたが、計画進行中に12インチ砲が 採用されます。 B案では12インチ砲8門(連装砲塔4基)でしたが、最終的に12門(連装砲塔6基)となりました。 その配置も、D案では158.5mの艦に前後部に並列に砲塔2基と一段甲板を上げて残りを前後部に1基宛 配備するもので、E案では167.6mの艦に背負い式に前後部に3基ずつ砲塔を搭載した案、D1案で152.4m の艦に前後に1基ずつ、艦中央部に4基を集中配備したもの、G案では167.6mの艦に前後部に1基、中央 に離して左右両舷に2基ずつ配置したものなどが考えられていました。 #right(){(121:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ドレッドノートの装甲防御に関しては前弩級戦艦と比べて特に目新しいものは無いはず。 舷側に石炭庫を設けて間接防御に当てたことや、水面下の横隔壁に水防扉を 設けずに水防性の強化を図ったのが目新しいくらい。 防御に関してはむしろドイツ海軍のほうが積極的で、区画の細分化による水防対策の 徹底化はドレッドノートの計画を耳にしてドイツが建造したナッソー級から 始まってました。 防御に関して革新的といえるのは、いわゆる超弩級戦艦の中で、米国が建造した ネヴァダ級(1916年完成)です。ネヴァダ級は三連装主砲を米艦として始めて採用し、 同時に集中防御方式を採用して防御重量軽減と防御部分の装甲強化を図っています。 水雷防御隔壁は英国のクイーン・エリザベス級(1915~16年完成)で初めて設けられ、 重油タンクと組み合わせることで魚雷爆発力の吸収を図っています。 装甲防御に関して真に改革が図られたのは1916年のジュットランド沖海戦の戦訓を 取り入れて建造されたポスト・ジュットランド型戦艦で、集中防御方式の強化・ 水平方向の防護の強化(特に主砲塔の防御改善)などに力を入れることになりました。 #right(){(121:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **日本軍の戦艦の方位盤というのは主砲と何が連動しますか。種々の小さな砲までですか? 方位盤は主砲用、副砲用、高角砲用、さらには、後部射撃指揮所と、それぞれ用意されてるし、 副砲用や、高角砲用でもデータを主砲に渡して射撃も可能。 #right{(520:334)} **1992年まで米軍がミズーリを現役で持ってたそうだけど、何で太平洋戦争当時で既に時代遅れだった戦艦なんか使ってたの? 朝鮮戦争でも湾岸戦争でも出てるよ。 対艦兵器としての戦艦は廃れても上陸する側の対地兵器としては、 圧倒的な火力と砲弾自体はミサイルよりも安いという事で戦艦は 使える兵器だったし、その大きさを利用してハープーンとトマホークも積めた。 アメリカ軍くらい圧倒的な航空優勢と海上優勢があったからこそだけど。 でも、結局そのアメリカ軍からも潜水艦等からの護衛必要で護衛用の船という コストの問題と古くてこれ以上近代化出来ないし(゚⊿゚)イラネ って言われて除籍。 #right{(541:152)} **伊勢型戦艦は扶桑級が駄目過ぎて急遽設計変更をして建造されたものだそうですが、どの辺りを直したのでしょうか? 扶桑型戦艦の最大の欠点は、3番・4番砲塔が後部缶室を挟んで間隔を置いて 配置されていたために、一斉射撃時に爆風が船体全部を覆ってしまうことでした。 特に艦橋構造物に対する影響を抑えるために伊勢型では缶室と砲塔の位置を見直して、 3番・4番砲塔は艦橋から離して缶室群の後方に背負い型に配置することで 爆風の影響の軽減を図っています。 また副砲の発射速度の維持を図るために扶桑型の15.2cm砲から14cm砲へと 変更を行っています。 #right(){(555:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **アメリカの退役戦艦をどこかの国が買いたいという話はなかったの? 第二次大戦前になりますが、ギリシャ海軍が、自国発注の戦艦をドイツに掻っ攫われたために、 トルコとの軍事バランスが取れず(トルコには弩級巡洋戦艦があった)、種々奔走の末、米国から 前弩級艦を2隻購入しています。 後、アルゼンチンの弩級艦は、米国が建造したものですが、第二次大戦後、戦艦は廃れて、 アルゼンチン、ブラジル、チリの三国には、仲良く、Brooklyn・Saint Louis級軽巡洋艦が其其2隻 引き渡されています。 #right(){(347:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **伊勢型航空戦艦は後方射撃は出来るのですか? >呉空襲の際、伊勢型戦艦は後部マストが邪魔で後部主砲で有効な射撃が出きず >主砲と高角砲の死角の後方から敵大型爆撃機の攻撃を受けて撃破されたと聞いたのですが 主砲は対空射撃には使われない。しかも空襲してきたのは艦載機であって大型爆撃機なんて来てない。 さらに後部甲板には噴進砲や機銃が増設され、むしろ前側より対空射撃能力は高い。 以前は対空射撃と回避運動で生き残った伊勢・日向だが、最後は燃料が無くて動けなかったのが大破着底した原因。 #right(){(571:596)} **日本がイギリスに発注した戦艦・金剛は当時のイギリス戦艦のモンキーモデル的な戦艦だったんでしょうか? 金剛型はライオン型のモンキーモデルではないよ。 戦艦は巨額の建造費がかかる為、おいそれと新機軸を盛り込みにくい。 また、とんがりすぎると得てして余裕がなくなり、結果的に長く使える艦ではなくなる為、攻守のバランスがとれた設計をする。 さて金剛型はライオン型のテストベッドみたいなもので、その後就役したライオン型は手堅くまとめた為、イギリス議会から「他国の為に建造した戦艦の方が性能が良いのはイカン」と問題になったほど。 #right(){(577:457)} **戦艦(大和とかアイオワとか)で一番北までいったのは、どんな戦艦ですか ソ連戦艦Arkhangelskではないか、と。 コラ半島、Murmansk、Arkhangelskを根城にしていましたし。 #right(){(307:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **排水量の計算において、燃料や弾薬ともに水の量の積載量も細かく決まっています。軍艦にはそれほど多くの水が搭載されていたのですか? >たとえば、大和や長門だと、何トンぐらいの水が搭載されていたのでしょうか? んじゃ長門の方だけ答えてあげましょ。 船体(Hull) 11,904t 艤装(Fitting) 1,843t 甲鈑(Armour) 8,168t 防御板(Protect plate) 6,005t 固定斉備(Perm. equip) 506t 一般斉備(Consum. equip) 523t 砲熕(Guns) 6,814t 水雷(Torpedoes) 58t 電気(Electric) 513t 航空(Aircraft) 52t 機関(Machinery) 2998t ※ 缶水227tを含む 燃料(Oil) 3,000t 燃料(Coal) 33t 軽質油(Gasoline) 20t 潤滑油(Lubricat Oil) 31t 予備缶水(Res. Water) 120t バラスト(Ballast) 162t ※ 水圧タンク水 不明(unknown) 158t 合計 42,700t これが公試状態つまり燃料と水2/3状態です。 出典は『日本帝国海軍全艦船 1868-1945 第1巻 戦艦・巡洋戦艦』 この本はいささかお高いですが、東京の書泉では見本の立ち読みもできます。 (長年置いてあるんでかなり悲惨な状態ですが) もちろん図書館を漁っても良いでしょう。 それ以外でも大和なら細かい重量配分載せてる文献は少なくないですから、そっちはご自分で調べてみてください。 #right(){(650:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)} **リシュリュー級戦艦2番艦のジャン・バールの機関出力はどれ位強化されてたの 手元資料では、Richelieuが150,000shp、Jean Bartが165,000shpです。 ちなみに、速力は前者が30kts、後者が32kts、重油搭載量は前者が6,796tに対し、 後者が6,476tと少なくなっています。 #right(){(288:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **長門級、扶桑級、伊瀬級、金剛級に共通してみられる副砲ですが、第二次世界大戦において廃止等の検討がされていたのでしょうか? >また、防御上問題とならなかったのでしょうか? 伊勢、日向に関しては、航空戦艦への改装時に構造物追加の代償重量 として、副砲が全部撤去されています。 同様に、扶桑、山城についても、航空戦艦に改造が検討された際、副砲 撤去が考えられていました。 防禦に関しては特に問題が無い、金剛なんかだと寧ろ副砲の撤去は攻撃力の 低下に繋がると言うことで検討されませんでした。 (平時が続いて、戦艦の改装が行われれば、代償重量の点で副砲の撤去が  進んだかも知れませんが) #right(){(279:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **キングジョージⅤ級の主砲はなぜ35.6cmなんでしょうか。 >ビスマルクやリシュリュー、ノースカロライナ級などの主砲は38cmや40.6cmであったのに対して不利ではなかったのかと。 本来、Washington条約では、1931年以降、艦齢超過の主力艦については代艦建造が認められています。 しかし、この条約制限の排水量で所要の防御を施し、速力を十分に取ろうとすると、主砲口径の限界は356mm が精一杯でした。 また、1937年に延長される第二次条約は、結果的に日本とイタリアが参加しなかったのですが、この時に主砲 口径は356mm以下と規定されています。 ただ、1937年3月までに両国が参加しない場合は、主砲口径を406mmまで拡大することが認められていました。 しかし、工事進捗の関係上、1940年には英独開戦が予想され、主砲口径の拡大とそれに伴う設計変更をする 暇が無かったので、そのまま工事が進められ、356mmで完成しています。 なお、その後のLion級は406mm砲を搭載する予定でした。 #right(){(114:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドレッドノートですが、装甲に関しては特に変化はなかったのでしょうか? 英国最後の前弩級艦であるKing Edward VIIの場合、装甲にはクルップ鋼とニッケル鋼を用い、 装甲帯には8~9インチのものを採用し、バルクヘッドが8~12インチ、バーベット部が12インチ、 砲塔が8~12インチ、副砲塔が5~9インチ、砲廓部が7インチ、司令塔が12インチ、 甲板部が1~2.5インチです。 一方のDreadnoughtは、装甲に全てクルップ鋼(合金とそうでないもの)を用いています。 装甲帯が8~11インチ、但し、後部が4~6インチ、バルクヘッド部は11インチ、バーベット部が 4~11インチ、砲塔は3~11インチ、司令塔は8~11インチ、甲板は4~0.75インチ。 若干薄目になっていますが、計画時は、対抗出来る艦が大型巡洋艦クラスになることが考えら れていましたので、僅かに8インチ防御しか考慮されていませんでした。 但し、艦の重要部には艦の上部31フィート分を石炭庫とし、この石炭で間接防御をするよう、 考慮されていました。 余談ですが、最初この艦の主兵装は、10インチに成る予定でしたが、計画進行中に12インチ砲が 採用されます。 B案では12インチ砲8門(連装砲塔4基)でしたが、最終的に12門(連装砲塔6基)となりました。 その配置も、D案では158.5mの艦に前後部に並列に砲塔2基と一段甲板を上げて残りを前後部に1基宛 配備するもので、E案では167.6mの艦に背負い式に前後部に3基ずつ砲塔を搭載した案、D1案で152.4m の艦に前後に1基ずつ、艦中央部に4基を集中配備したもの、G案では167.6mの艦に前後部に1基、中央 に離して左右両舷に2基ずつ配置したものなどが考えられていました。 #right(){(121:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **アメリカは対金剛級にアイオワ級を作ったという話は本当でしょうか? アイオワはまさしく高速戦艦となった金剛対策です。 当初予定では3隻(比叡の現役復帰は考慮外)の金剛に対して、ローテで同数を確保できるよう4隻。 両洋艦隊計画で懐事情に余裕ができたためさらに2隻が追加されました。 東洋艦隊へのPOW&レパルス派遣は、つまり対抗可能な艦が日本には長門級2隻しかなく(大和は未完成)、 日本最強の2隻を派遣すれば米太平洋艦隊に対し戦力比が大きく劣勢に傾くというジレンマをもたらすためのものです。 ちなみに当初予定ではネルソン級やR級といった低速戦艦を4~5隻派遣という案でしたが、 チャーチルの「少数精鋭」との鶴の一声で上記2隻に変更されました。 さらに空母インドミタブルも随伴予定でしたが、座礁事故の修理のため派遣が遅れ、 マレー沖海戦で両戦艦はエアカバーなしで戦うことになりました。 #right(){(124:ゆうか ◆9a1boPv5wk)} **レイテ海戦時の戦艦 伊勢、日向に「12サンチ30連装噴進砲」という対空ロケットが積まれていたみたいですが。 マリアナ海戦時の戦訓により、急遽開発され、レイテ海戦時に主な空母や戦艦に 搭載されていました。 実戦で使った結果ですが、次発装填に2~4分も要するので、会敵時には1回のみ の発射となり、28発の斉射は不可能で、2回以上の発射に分けないといけなかっ たり、操作員は防火服の着用を義務づけられたり、また、発射時の猛烈な白煙の為、 他の対空火器の照準が付けられなくなったり、燃焼がまちまちで爆発のタイミングが 掴めないなど、実用に際しては、走りながら考えると言う手法を採ったので、有効とは 言えませんでした。 その後、日本の空母は壊滅状態となったこともあり、これらの対空ロケットは、地上戦 用とか対潜用に転用されています。 #right(){(131:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **金剛を作る時、何でイギリスは15inMK1で作ってくれなかったのですか? >出し惜しみ? 金剛が建造された時期には、まだイギリスにさえ13.5in砲しかない時代だ。 むしろ14in砲を装備させてもらえたのは、まだイギリスにさえないようかなりの大盤振る舞い。 金剛は1912年竣工、初めて15in砲装備したクイーンエリザベス級竣工は1915年。 時期的に金剛はライオン級やタイガーと同期。 #right(){(俺初質スレ433:184)} **第二次世界大戦前にイタリアがソ連に提案したと言われている16インチ砲戦艦について教えて下さい オブイェークトやなかった、設計番号"UP41"のことだと思います。 1930年代に、ドイツの再軍備に脅威を抱いた「我らが輝ける太陽」スターリン元帥閣下が抱いた、 主力艦16隻から成る野心的な建艦計画を決意しました。 しかし、国内にはこの様な大艦を設計する能力が不足しており、海外にそれを求めた結果、Genoaの Ansaldoが注文を受けて(当時、ソ連とイタリアは友好関係にあり、イタリアの設計で、Kirov級巡洋艦、 駆逐艦Tallinnなどが建造されていました)、設計を行ったのが"UP41"です。 その基本設計は、同社で建造中のLittorio級戦艦に準じ、外観、装甲の張り巡らし方は同じだったりします。 この設計は、第二次世界大戦でおじゃんになりました。 排水量:42,000~42,672tt(満載時50,000t~50,800t) 寸法:248.9m×35.5m×9.0m 機関:タービン4基、ボイラー8基、4軸 177,500shp 装甲:装甲帯部(335~145mm)、バルクヘッド(350~145mm)、上甲板(55mm)、    主甲板(65mm)、砲塔(400~145mm)、バーベット部(350mm)、    副砲塔(180~90mm)、艦橋(335~200mm) 武装:40.6cm三連装砲塔×3(前部2基、後部1基)、    180mm三連装砲塔×4(主砲塔脇に2基づつ)、    100mm連装高角砲×12(平甲板に各6基)、    45mm四?連装機関砲×12?、13.2mm連装機関銃×12 #right(){(251:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **金剛は他の同型艦より頑丈だったそうですが。 >金剛級戦艦の近代改装時に他の同型艦は簡単に穴が空くのに、イギリスで建造された金剛だけが頑丈で、 >なかなか穴が空かなかったという話を聞きましたが 鉄鋼の生産技術が今と違って格段に低かったのが影響しています。 転炉、電気炉を用いた製造と平炉を用いた製造の違いとか、不純物の除去が上手くいかないとか…。 例えば、日本製鋼所室蘭製鉄所(今の新日鐵室蘭)で生産した大型鋼塊(110t乃至80t)のうち、 使用に耐えうるモノは、28本中、わずか5本という状態でした。 とりあえず、日本製鋼所設立にはヴィッカースとかアームストロングが大株主として進出していた のですが、彼の国から招聘した技師にも、成績不良なのがいる訳で、結果的に技術移転はした ものの、余り質が良くないと言う状況にありました。 基本的には同じモノを製造しているはずなのですがね。 #right(){(170:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **水爆実験で29000トンのネヴァダが沈まず39000トンの長門が沈んだっていうのは……もしかして長門ってヘタレ? 長門は適切なダメコンを行えば沈没にはいたらなかったようです。 B実験の結果、長門は右舷艦尾後方にわずかな破孔を生じ、横に5度傾斜しました。 このため米海軍の救難隊は左舷艦首を切り裂いて注水し、傾斜を止めようとしています。 しかし、残留放射能が予想外に強く艦内での作業はできませんでした。 こうして被爆後5日目の深夜に誰にも見取られず沈没にいたったのです。 昭和60年に読売新聞社が行った調査では、長門の船体の損害は極めて少なく、 艦内に十数人の応急員がいれば間違いなく沈没に至らなかっただろうと言う結論でした。 これに対して爆心の近くで沈没したアーカンソーの艦底には広範囲にわたって陥没が 認められています。 ネヴァダの爆心からの距離や損傷状況がわからないのでなんとも言えませんが、 単純にへたれ呼ばわりはちとかわいそうかと。 #right(){(189:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **アイオワ級戦艦4隻のうち、アイオワだけが記念艦になっていないのは何故なのですか? アイオワが現在も予備役に留め置かれている理由は、米国議会の一部で 戦艦の持つ火力支援能力についていまだに高い関心があったからです。 米国上院軍事委員会と下院安全保障委員会は1996年に米海軍に対して 95年までに除籍された戦艦の中から2隻を海軍籍に入れて必要な後方支援 能力と共に保持することを勧告し、米海軍はこれに従って アイオワとウィスコンシンを98~99年に予備役に復役させました。 またGAO(会計検査院)は1999年に海軍が対地火力支援任務を実行するための 現在および将来のコストの査定の分析のリポートを提出しましたが、 その中には新しい兵器システムが艦隊に利用可能になるまで2隻の戦艦を 再就役させるべきかどうかに関する質問も含まれていました。 この中では、海軍は戦艦の運用に必要な既存の後方支援(技術マニュアル、 修理・交換部品、および大砲)を保有しており、数カ月以内に16インチ砲の 弾薬と推進剤の生産は再開することができるとされました。 さらに、2つの海軍造船所には、戦艦を補修する能力があるとされました。 しかし、高い運用経費と多数の乗組員がいないことから、海軍は2003年~2008年の内に 海軍が開発中の地上火力支援用の砲とミサイルが運用上の能力を達成するまで 艦籍上で戦艦を維持するが、戦艦を再就役させることは無いとの結論に達しています。 2000年にウィスコンシンはノーフォークの"National Maritime Center"に 引き取られており、アイオワも2001年にカリフォルニア州のスーザン・ベイに 移動して、現在はサンフランシスコ湾で計画中とされる博物館に引き取られました。 #right(){(204:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}※アイオワも記念艦になったため一部修正 **扶桑級は、砲塔を減らしてその重量分を速度や防御に当てようという改装案は出なかったの? 攻撃力減らしてまで防御増やすとかどうかしてる 速度にしても機関換装とか、わざわざそんな手間のかかる改装は戦時中にはできない 戦前なら空母は主力でないし、そんなに高速戦艦の需要はない しかも砲塔減らしてまで速度を増すとか、戦前ならまずあり得ない #right(){(俺初質スレ2050:10)} >攻撃力減らしてまで防御増やすとかどうかしてる ノースカロライナ級 #right(){(俺初質スレ2050:13)} そうするとアメリカの14インチ戦艦に火力で負けることになる 隻数は向こうの方が多いし、軍縮条約のため自軍の隻数を増やすことも望めないのでそれは困る 砲数減らさんでも第二次改装でそれなりの速力・防御力を持たせられてるし #right(){(俺初質スレ2050:14)} そもそも、アメリカの14インチ砲搭載戦艦より3ノット以上上回ってるんだから、 速力増やす必要性がない。 #right(){(俺初質スレ2050:15)} **ビスマルクの艦砲はレーダー射撃ができ、88mmの対空砲とかも対空レーダーが連動していたんでしょうか? そもそもドイツのレーダー技術は、英米に比べるとかなり見劣りするレベル ビスマルクのレーダーは索敵用で、射撃管制に使えるような精度はない #right(){(俺初質スレ20501:18)} ビスマルク追撃戦の時にビスマルクを追走してた重巡が、ビスマルクのレーダーレンジに 入ったり出たりを繰り返して、圧迫をかけたのは有名なな話。 つまりそのころには、英米のほうがレーダーで優位にたってた。 #right(){(俺初質スレ20501:18)} **三笠は超弩級だろ? >三笠は超弩級ですよ。 >ドレッドノートと同時期の船で砲門数は上回ってるんですから 本気で間違えているようなので、教えます。 弩級戦艦(正確にはド級戦艦)の「ド」は1906年に就役した英戦艦ドレッドノートのことを指します ドレッドノートはそれまでの戦艦を一気に旧式艦にした画期的な戦艦で、 これ以降、各国はドレッドノートの特徴を継承した戦艦を建造します。 これらがド級戦艦というものです。 さらに、ドレッドノートよりも艦体や砲が大きい戦艦も登場し、 これらがド級を超えるということで超ド級戦艦と呼ばれました。 ドレッドノートの4年前に完成した戦艦三笠は、ドレッドノートの特徴をもっていませんので 前ド級戦艦と呼ばれます。 >ドレッドノートと同時期 4年前に完成してます。そのため前ド級と呼ばれます >砲門数は上回ってるんですから ド級の条件の一つは同一の大口径をそろえ中間口径や小口径の砲を廃止したり減らしたことで 長距離での弾着修正をしやすくしたことだが         ド級   三笠 12インチ砲 10門   4門 6インチ砲   0門  14門 3インチ砲  27門  20門 どうみても三笠はド級の条件を満たしていません (軍事板FAQ作成本部2) ----

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