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#contents ---- **レシプロ戦闘機で一番速いのは? 現時点では、F8Fベアキャット改「レアベア」ではなかったかと 850.263km/n 21 aug 1989 Grumman F8F-2 "Rare Bear" pilot: Lyle Shelton #right(){(51:604-605)} **飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしいですけどその他の飛行機は過給器の変速をするときにクラッチ操作というのしていましたか? クラッチ操作という表現が適当なのかどうかはわからないが、レバーで切り替え操作をする P-51なんかは高度計と連動させて、半自動(下降の時のみ)で切り替えていたらしい>操縦マニュアルより #right(){(57:147)} 航空機用レシプロエンジンの過給器について 「零戦の構造上級篇」 http://www5d.biglobe.ne.jp/~cocoro/sub50.htm 過給機 ・ 過給機による圧力上昇を段と呼び、 ・ 直列に入れる過給機の数(インペラ)によって ・ 1段、2段、多段過給機に分かれ駆動速度により、 ・ 1速、2速、可変速過給機に分かれている。 >>146 飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしい 「1016 マーリンエンジン」 http://www.warbirds.jp/ansq/1/A2001016.html ・ 無段変速過給器(フルカン継手) 「75 フルカン継ぎ手とトルコンとは違うものなのでしょうか?」 http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000075.html ・ 流体継ぎ手の出力トルクは入力軸と等しいため, ・ 回転数の減少分はそのまま動力の損失になります ・ (半クラッチの状態)。 「トルコン」と言うより、流体を使ったところの、何らかの、 「クラッチ」と考えた方が、良いのではないでしょうか?。 #right(){(57:175)} **P-3Cのソノブイ積載本数は? 52本+予備(たしか12本)。これは最大値で実際に搭載する数はもっと少ないと思う #right(){(57:904)} **第二次大戦頃の戦闘機の風防って防弾ガラスなんでしょうか プレクシグラスと呼ばれる透明な合成樹脂でできたものが多かったはずです。 防弾ガラスはその内側のコクピット正面や後頭部あたりに別に設置されていました。 #right(){(58:209)} そう言う戦闘機も有ったようです。多用すると重たくなり不利でしょうね。 「フォッケウルフ Fw190A-8」 多彩な武装 http://www.skynet-1.com/kuni/kuni007.html ・ 思い出すのは「短兵を持して接戦す」という言葉だ。 ・ 空の白兵戦であろう。 ・ そのため100mまで肉薄する必要があり、 ・ その間猛烈に撃たれる。 ・ 承知と風防は前が50mmと30mm、横も30mmの防弾ガラスで、 ・ 座席は5mmの防弾板で囲まれていた。 ・ たとえ仲間が撃墜されても密集編隊を崩さず、 ・ B-17のコンバット・ボックスに突撃する。 日本の戦闘機は、座席の後ろの上部分が「防弾ガラス」が有ったようです。 #right(){(58:216)} **同調式機関銃の歴史を教えてください ドイツのフォッカーE.Ⅰが同調式機関銃を本格的に搭載した最初の機体だったと思います。 同調式機関銃が登場するまでは、プロペラに防弾鋼板を取り付けたり、 弾丸をうまく跳ね返すように樋のようなパーツを取り付けたりしていました。 また、プロペラの回転半径の外から射撃するために複葉の上の翼にレールを取り付けて 機銃を据え付けたり、イギリスでは「プッシャー式」といってコックピットの後方に エンジンとプロペラを取り付け、前方に機銃を置く機体形式が一般的でした。 しかし、いずれの方法も根本的な解決にはなりませんでした。 この問題を解決すべくドイツ軍ではオランダ人の飛行機技術者アントニー・フォッカーに 同調装置とそれを搭載する戦闘機の開発を依頼します。フォッカーはこれに応えて シュパンダウ7.7mm機銃をプロペラと同調させる装置を組み込んだフォッカーE-1を 1915年に開発しました。 この機体はその装置と機動性を優先させた単葉式のスタイル・さらに高名な マックス・インメルマン中尉のようなパイロットに恵まれたこともあって多くの連合軍 戦闘機を撃墜し、連合軍はこれを”フォッカーの懲罰”と呼んだほどでした。 1916年になってようやく墜落した機体の調査から同調装置の存在を知った連合軍でも 同調装置付きの機体が多数就役することになります。 #right(){(108:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **英軍機の胴体の符号について教えて下さい。 胴体の中隊符号のことなら、国籍マーク左側のアルファベット2文字が中隊を示し、 右側のアルファベット1文字が中隊中の個々の機体を表しています。 なお、アルファベットの"I"と"C"は紛らわしいので使っていません。 開戦後、中隊だけで用いられていましたが、実戦訓練部隊、機種転換部隊にも使用が 拡大し、また、中隊数も増えたため、アルファベット2文字の組合せが不足し、アルファ ベット1文字と数字の組合せ、次いで、使用されていなかった"I"と"C"も使われ、最終的に 1桁の数字とアルファベット1文字も出現します。 但し、2桁数字は出ていません。 なお、連隊長搭乗機は連隊が数個中隊より成っていたため、中隊符号が用いられず、 多くの場合、連隊長の頭文字が用いられました。 これは1938年9月から使用が開始され、1939年9月に一度改訂、そのまま1951年まで 使用されていますが、符号に関しては中隊ごとに幾度か変更されています。 余談ながら、海軍機は、尾翼に所属空母か陸上基地のアルファベットを付けています。 1文字は空母、2文字なら陸上基地を表します。 例えば、中隊符号としては…。 (1938~1939) KA(第9中隊)、NQ(第43中隊)、FZ(第65中隊)、TW(第90中隊)、NJ(第207中隊)、RL(第603中隊) (1939~) JX(第1中隊)、MG/XU(第7中隊)、PH(第12中隊)、FT(第43中隊)、US(第56中隊)、EY(第78中隊)、 SR(第101中隊)、JU(第111中隊)、ZM/NS(第201中隊)、GX/NH/6U(第415中隊)、Z9(第519中隊)、 UF(第601中隊)、NG(第604中隊)、FY(第611中隊)、AJ/YZ/KC(第617中隊) (1937~46) A(空母アーク・ロイヤル)、M(マルタ)、O(空母オーシャン)、GP(ゴスポート) (1945~55) A(空母インドミタブル)、J(空母イーグル)、R(空母グローリー)、W(空母ウォーリア)、 FD(フォード)、HF(ハルファ) #right(){(270:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **戦闘機の照準器は敵機の翼幅か何かを入力しておくと射撃ポイントを教えてくれるらしいが、どんな風な仕組なの? 以下、坂本 明著「世界の傑作機別冊 飛行機雑学大百科」P39-41より引用。  光学式照準器は、基本的にリフレクターに写し出されたサイティング・イメージの目盛りと、  それを通して見える敵機の大きさからパイロット自身が敵機との距離を判断し、射撃を行うもので、  見越し角や風による弾の偏向などの要素は計算されない。(中略)  そこで照準器内にジャイロを組み込み、照準を付けるだけで距離や見越し角を加えて照準が行える、  より高度な装置が出現した。アメリカのK-14ジャイロ式光像照準器やドイツのEZ42  (この装置は角速度を検出して見越し角を計算する方式だった)などがそれである。  ジャイロ式光像照準器MkIIcでは、正面のスパンスケール(目盛り部分)を動かし目標の幅をセット、  リフレクターに投影されたレチクル(6個のひし形サークル)に目標を合わせ、スロットルレバーに付いた  スイッチを動かしてレチクルの直径と目標の幅を一致させるだけで、見越し角を計算した照準が行えた(K-14も同じ)。  ジャイロ式照準器の原理としては、  (1)機体の方向と一致する固定された照準  (2)ジャイロつきの照準。ジャイロによって機体の運動や姿勢に影響されず常に一定の姿勢を保つ、基準となる照準  の2つの照準が取り付けられているものと考える。  ・自機と目標が一直線上に並ぶような飛行航路上にある場合は(1)と(2)の照準は合致し、発射した弾は目標に命中する。  ・旋回して逃げようとする敵機を追って自機も旋回しながら攻撃を加える場合、(1)の照準で敵機を補足して   射撃を行っても見越し角が考慮されていないので弾は命中しない。そこで、(2)の照準によって敵機を補足する。   (2)はジャイロによって常に一定の姿勢を保つようになっているので、(2)の照準器を基準にして(1)の照準線が   どれだけ傾いているかを検出すれば必要な見越し角が分かる。  ・見越し角を考慮した射撃のタイミングは、原理的には(1)と(2)の照準が合致した時になる。   (2)の照準に敵機を補足しつつ、(1)の照準が(2)に合致するように自機を操作していくと、   敵機の未来位置へ機体が向いていくことになり、発射した弾は命中する。 #right(){(265:52)} **レシプロ機の最高速度はどうやって決まるの? 理論上最高速度は 【出力(馬力)の3乗】÷(【機体前方投影面積】×【空気抵抗係数】×【大気密度】) に比例する。 一般的に空冷機は液冷機より前方投影面積、空気抵抗係数共に悪く(大きく)、また 設計年次の新しい機種の方が空力理論の進歩により空気抵抗係数は小さい傾向がある。 大柄な機種が小柄な機種より前方投影面積が大きいのは当然(大馬力エンジンを 積み易いのと相反するが)。 大気密度は高度が高いほど小さいが、それに伴いエンジン出力も悪化する。 出力悪化は過給機によって補う事が可能だが、過給機の性能・特性により どれくらいの高度で最高速に達するかは機種によって異なる。最高速時の 出力はスペック上の最大出力とは異なるので、最大出力のみから最高速を 類推する事はあまり意味が無い。 #right(){(231:43)} **複葉機が軍用として最後に正式採用された国と機種名を教えていただけませんでしょうか? 初飛行は1933年ですが、1945年以後に生産、配備されたもので、フランスがLicense生産した、 SNCAN-Stampe S.V.4C練習機があります。 これは、フランス陸海空三軍で、700機以上が1950年代末まで使用されました。 ちなみに、ベルギー空軍でも1945年以後にTiger Mossと交代で使用されています。 東側なら、1955年に少数生産された、An-2Fで、双垂直尾翼を採用し、胴体上面の砲塔に、手旋回 の12.7mm機関銃UBTか、23mm機関砲NS-23を装備したものです。 ソ連空軍がほんの少数配備しました。 中国製An-2である運-5は、1957年から生産されていますから、これを新機種と捉えるなら、最後の 複葉機として採用されたものは、中国製の運-5ではないでしょうか。 #right(){(227:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **密封式の風防は当初パイロットから嫌われてたそうですが、なぜでしょう? 九六艦戦の3型で、密封式の風防の評判が悪くてじきに廃止されたと書いてあります >そのわりに、12試艦戦が出てきたときは風防に文句をつけた様子がほとんどないのですが。 視界が悪くなるから。当時の日本のキャノピーは枠が多い。 12試艦戦は坂井三郎氏の本を読むと文句は出まくってたらしい。 でも、開放式では速度が出ないので密閉式とされた。 #right(){(218:163)} イタリアのG.50やソ連のI-16なんかでも、密閉式にしたのに、半密閉式に変更したり しています。 曰く、風を感じることが出来ない(速度を感覚的に把握していたのと、計器の信頼性が 低かったので)、また、視界が悪い(特に初期の頃はプレキシガラスの品質が悪く、中 から外を見たら、湾曲して見えたりする。外界が見えないのは戦闘機としては致命的)、 開放式に慣れていたパイロットが多かった。 と言うことで、風防は嫌われました。 12試艦戦の場合は、最大速度が上がっていましたから、風防を装備しないと、自分の 身が危ないと言うことがあります。 後、風防をスライドさせて開けておく芸当も出来ましたし…。 ちなみに、ソ連の高速戦闘機のLaGG-3なんか、出現当初、密閉式風防が嫌われて 開放式に変更しましたが、50km/h速度が低下したそうです。 #right(){(218:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **「紅の豚」のワンシーンでの「豚が雲を引いた!」ってシーンですが、あれは飛行機雲とは違いますよね? そうですね あなたの言う飛行機雲はコントレールと呼びます この場合のポルコが引いたのはヴェーパーと呼ばれるもので 翼の端で翼下面の空気が上面へと流れ込むことによって起こる 渦によりできるものです F-1のウィングの端にできるあれと原理的には同じです で、何がすごいかと言うとそれは翼上面と下面の気圧差が極めて 大きい時つまりコントロールを失う寸前の限界に近い旋回をしなければ まず曳かれないのです 現在の電子制御で飛ぶ飛行機ならともかく一切が人の手によって コントロールされるレシプロ機でその領域での飛行を続けることは かなりの腕前が必要とされます 飛行機が急挙動すると翼端に渦が出来る。 これがヴェーパートレイル。 あの時代の飛行機だとすげーミシミシ逝ってるだろうし、 放置すると翼端失速とかしてきりもみが水平きりもみして墜落する。 つまり「豚がヴェーパートレイル引くほど急挙動してるぜ!」 って意味。 #right(){(211:232-235)} **プロペラ機のプロペラが扇風機の羽よりずっと細いのは何故なのでしょうか  プロペラに関する一般的な事柄として ・プロペラは主翼のアスペクト比と同様に細い方がプロペラ効率が上がります。 ・同じ直径ならばブレード幅が広いほうが吸収馬力が上がります。(主翼面積同様) ・同じブレードでもプロペラ枚数が増えるとプロペラ効率が下がります。 ・でもプロペラ枚数が増えた方が吸収馬力が上がります。  プロペラ直径に制約がある場合、吸収馬力を増やしたい時は、少々効率が低下しても翅数を増やすかブレードを広くする事になります。 (例えばエンジンを換装した場合とか) 例えば、「雷電」の様にプロペラの共振防止のために根元部分が幅広のペラに換装したもものの プロペラ効率そのものは悪化したという話もあります。 この場合、「エンジンとプロペラの共振」という問題は抑制された→性能向上      「プロペラ効率の低下」→飛行性能は低下(したかもしれない)      総合的には性能向上  という風に性能が変化している訳です。 末期のレシプロ戦闘機は大馬力を推進力に変換するためにプロペラ周りの設計に腐心しています。 ペラそのものの大直径化・ブレードの多板化・二重反転ペラなど。 また、ペラのブレードの形状については、空力的・構造的な問題があります。 簡単に言うと、扇風機のファン状のペラでは重量・抵抗が大きすぎて効率が悪すぎるのです。 例えば周速の低い根元近くでは幅広の形状では抵抗が増加し、ペラそのものの回転の足かせになります。 また、逆に先端近くでは周速が上がって音速近くになるのでできるだけ薄い翼型にしたいのですが ブレードそのものの強度の問題からそうもいきません。 これらの関係からプロペラブレードの形状は細長くなっていくのです。 また、この様な問題が限界に達したためにプロペラ→ジェットへの転換が起こったとも言えます。 直径数十センチのファンでは多少の効率や重量は無視されますが、航空機用の直径数メートルのペラでは重要な問題です。 #right(){(205:76-78)} ---
#contents ---- **レシプロ戦闘機で一番速いのは? 現時点では、F8Fベアキャット改「レアベア」ではなかったかと 850.263km/n 21 aug 1989 Grumman F8F-2 "Rare Bear" pilot: Lyle Shelton #right(){(51:604-605)} **飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしいですけどその他の飛行機は過給器の変速をするときにクラッチ操作というのしていましたか? クラッチ操作という表現が適当なのかどうかはわからないが、レバーで切り替え操作をする P-51なんかは高度計と連動させて、半自動(下降の時のみ)で切り替えていたらしい>操縦マニュアルより #right(){(57:147)} 航空機用レシプロエンジンの過給器について 「零戦の構造上級篇」 http://www5d.biglobe.ne.jp/~cocoro/sub50.htm 過給機 ・ 過給機による圧力上昇を段と呼び、 ・ 直列に入れる過給機の数(インペラ)によって ・ 1段、2段、多段過給機に分かれ駆動速度により、 ・ 1速、2速、可変速過給機に分かれている。 >>146 飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしい 「1016 マーリンエンジン」 http://www.warbirds.jp/ansq/1/A2001016.html ・ 無段変速過給器(フルカン継手) 「75 フルカン継ぎ手とトルコンとは違うものなのでしょうか?」 http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000075.html ・ 流体継ぎ手の出力トルクは入力軸と等しいため, ・ 回転数の減少分はそのまま動力の損失になります ・ (半クラッチの状態)。 「トルコン」と言うより、流体を使ったところの、何らかの、 「クラッチ」と考えた方が、良いのではないでしょうか?。 #right(){(57:175)} **P-3Cのソノブイ積載本数は? 52本+予備(たしか12本)。これは最大値で実際に搭載する数はもっと少ないと思う #right(){(57:904)} **第二次大戦頃の戦闘機の風防って防弾ガラスなんでしょうか プレクシグラスと呼ばれる透明な合成樹脂でできたものが多かったはずです。 防弾ガラスはその内側のコクピット正面や後頭部あたりに別に設置されていました。 #right(){(58:209)} そう言う戦闘機も有ったようです。多用すると重たくなり不利でしょうね。 「フォッケウルフ Fw190A-8」 多彩な武装 http://www.skynet-1.com/kuni/kuni007.html ・ 思い出すのは「短兵を持して接戦す」という言葉だ。 ・ 空の白兵戦であろう。 ・ そのため100mまで肉薄する必要があり、 ・ その間猛烈に撃たれる。 ・ 承知と風防は前が50mmと30mm、横も30mmの防弾ガラスで、 ・ 座席は5mmの防弾板で囲まれていた。 ・ たとえ仲間が撃墜されても密集編隊を崩さず、 ・ B-17のコンバット・ボックスに突撃する。 日本の戦闘機は、座席の後ろの上部分が「防弾ガラス」が有ったようです。 #right(){(58:216)} **第二次大戦の頃の戦闘機って離着陸に必要な距離ってどれくらいだったのでしょうか 200~1000メートル #right(){(60:44)} **同調式機関銃の歴史を教えてください ドイツのフォッカーE.Ⅰが同調式機関銃を本格的に搭載した最初の機体だったと思います。 同調式機関銃が登場するまでは、プロペラに防弾鋼板を取り付けたり、 弾丸をうまく跳ね返すように樋のようなパーツを取り付けたりしていました。 また、プロペラの回転半径の外から射撃するために複葉の上の翼にレールを取り付けて 機銃を据え付けたり、イギリスでは「プッシャー式」といってコックピットの後方に エンジンとプロペラを取り付け、前方に機銃を置く機体形式が一般的でした。 しかし、いずれの方法も根本的な解決にはなりませんでした。 この問題を解決すべくドイツ軍ではオランダ人の飛行機技術者アントニー・フォッカーに 同調装置とそれを搭載する戦闘機の開発を依頼します。フォッカーはこれに応えて シュパンダウ7.7mm機銃をプロペラと同調させる装置を組み込んだフォッカーE-1を 1915年に開発しました。 この機体はその装置と機動性を優先させた単葉式のスタイル・さらに高名な マックス・インメルマン中尉のようなパイロットに恵まれたこともあって多くの連合軍 戦闘機を撃墜し、連合軍はこれを”フォッカーの懲罰”と呼んだほどでした。 1916年になってようやく墜落した機体の調査から同調装置の存在を知った連合軍でも 同調装置付きの機体が多数就役することになります。 #right(){(108:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **英軍機の胴体の符号について教えて下さい。 胴体の中隊符号のことなら、国籍マーク左側のアルファベット2文字が中隊を示し、 右側のアルファベット1文字が中隊中の個々の機体を表しています。 なお、アルファベットの"I"と"C"は紛らわしいので使っていません。 開戦後、中隊だけで用いられていましたが、実戦訓練部隊、機種転換部隊にも使用が 拡大し、また、中隊数も増えたため、アルファベット2文字の組合せが不足し、アルファ ベット1文字と数字の組合せ、次いで、使用されていなかった"I"と"C"も使われ、最終的に 1桁の数字とアルファベット1文字も出現します。 但し、2桁数字は出ていません。 なお、連隊長搭乗機は連隊が数個中隊より成っていたため、中隊符号が用いられず、 多くの場合、連隊長の頭文字が用いられました。 これは1938年9月から使用が開始され、1939年9月に一度改訂、そのまま1951年まで 使用されていますが、符号に関しては中隊ごとに幾度か変更されています。 余談ながら、海軍機は、尾翼に所属空母か陸上基地のアルファベットを付けています。 1文字は空母、2文字なら陸上基地を表します。 例えば、中隊符号としては…。 (1938~1939) KA(第9中隊)、NQ(第43中隊)、FZ(第65中隊)、TW(第90中隊)、NJ(第207中隊)、RL(第603中隊) (1939~) JX(第1中隊)、MG/XU(第7中隊)、PH(第12中隊)、FT(第43中隊)、US(第56中隊)、EY(第78中隊)、 SR(第101中隊)、JU(第111中隊)、ZM/NS(第201中隊)、GX/NH/6U(第415中隊)、Z9(第519中隊)、 UF(第601中隊)、NG(第604中隊)、FY(第611中隊)、AJ/YZ/KC(第617中隊) (1937~46) A(空母アーク・ロイヤル)、M(マルタ)、O(空母オーシャン)、GP(ゴスポート) (1945~55) A(空母インドミタブル)、J(空母イーグル)、R(空母グローリー)、W(空母ウォーリア)、 FD(フォード)、HF(ハルファ) #right(){(270:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **戦闘機の照準器は敵機の翼幅か何かを入力しておくと射撃ポイントを教えてくれるらしいが、どんな風な仕組なの? 以下、坂本 明著「世界の傑作機別冊 飛行機雑学大百科」P39-41より引用。  光学式照準器は、基本的にリフレクターに写し出されたサイティング・イメージの目盛りと、  それを通して見える敵機の大きさからパイロット自身が敵機との距離を判断し、射撃を行うもので、  見越し角や風による弾の偏向などの要素は計算されない。(中略)  そこで照準器内にジャイロを組み込み、照準を付けるだけで距離や見越し角を加えて照準が行える、  より高度な装置が出現した。アメリカのK-14ジャイロ式光像照準器やドイツのEZ42  (この装置は角速度を検出して見越し角を計算する方式だった)などがそれである。  ジャイロ式光像照準器MkIIcでは、正面のスパンスケール(目盛り部分)を動かし目標の幅をセット、  リフレクターに投影されたレチクル(6個のひし形サークル)に目標を合わせ、スロットルレバーに付いた  スイッチを動かしてレチクルの直径と目標の幅を一致させるだけで、見越し角を計算した照準が行えた(K-14も同じ)。  ジャイロ式照準器の原理としては、  (1)機体の方向と一致する固定された照準  (2)ジャイロつきの照準。ジャイロによって機体の運動や姿勢に影響されず常に一定の姿勢を保つ、基準となる照準  の2つの照準が取り付けられているものと考える。  ・自機と目標が一直線上に並ぶような飛行航路上にある場合は(1)と(2)の照準は合致し、発射した弾は目標に命中する。  ・旋回して逃げようとする敵機を追って自機も旋回しながら攻撃を加える場合、(1)の照準で敵機を補足して   射撃を行っても見越し角が考慮されていないので弾は命中しない。そこで、(2)の照準によって敵機を補足する。   (2)はジャイロによって常に一定の姿勢を保つようになっているので、(2)の照準器を基準にして(1)の照準線が   どれだけ傾いているかを検出すれば必要な見越し角が分かる。  ・見越し角を考慮した射撃のタイミングは、原理的には(1)と(2)の照準が合致した時になる。   (2)の照準に敵機を補足しつつ、(1)の照準が(2)に合致するように自機を操作していくと、   敵機の未来位置へ機体が向いていくことになり、発射した弾は命中する。 #right(){(265:52)} **レシプロ機の最高速度はどうやって決まるの? 理論上最高速度は 【出力(馬力)の3乗】÷(【機体前方投影面積】×【空気抵抗係数】×【大気密度】) に比例する。 一般的に空冷機は液冷機より前方投影面積、空気抵抗係数共に悪く(大きく)、また 設計年次の新しい機種の方が空力理論の進歩により空気抵抗係数は小さい傾向がある。 大柄な機種が小柄な機種より前方投影面積が大きいのは当然(大馬力エンジンを 積み易いのと相反するが)。 大気密度は高度が高いほど小さいが、それに伴いエンジン出力も悪化する。 出力悪化は過給機によって補う事が可能だが、過給機の性能・特性により どれくらいの高度で最高速に達するかは機種によって異なる。最高速時の 出力はスペック上の最大出力とは異なるので、最大出力のみから最高速を 類推する事はあまり意味が無い。 #right(){(231:43)} **複葉機が軍用として最後に正式採用された国と機種名を教えていただけませんでしょうか? 初飛行は1933年ですが、1945年以後に生産、配備されたもので、フランスがLicense生産した、 SNCAN-Stampe S.V.4C練習機があります。 これは、フランス陸海空三軍で、700機以上が1950年代末まで使用されました。 ちなみに、ベルギー空軍でも1945年以後にTiger Mossと交代で使用されています。 東側なら、1955年に少数生産された、An-2Fで、双垂直尾翼を採用し、胴体上面の砲塔に、手旋回 の12.7mm機関銃UBTか、23mm機関砲NS-23を装備したものです。 ソ連空軍がほんの少数配備しました。 中国製An-2である運-5は、1957年から生産されていますから、これを新機種と捉えるなら、最後の 複葉機として採用されたものは、中国製の運-5ではないでしょうか。 #right(){(227:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **密封式の風防は当初パイロットから嫌われてたそうですが、なぜでしょう? 九六艦戦の3型で、密封式の風防の評判が悪くてじきに廃止されたと書いてあります >そのわりに、12試艦戦が出てきたときは風防に文句をつけた様子がほとんどないのですが。 視界が悪くなるから。当時の日本のキャノピーは枠が多い。 12試艦戦は坂井三郎氏の本を読むと文句は出まくってたらしい。 でも、開放式では速度が出ないので密閉式とされた。 #right(){(218:163)} イタリアのG.50やソ連のI-16なんかでも、密閉式にしたのに、半密閉式に変更したり しています。 曰く、風を感じることが出来ない(速度を感覚的に把握していたのと、計器の信頼性が 低かったので)、また、視界が悪い(特に初期の頃はプレキシガラスの品質が悪く、中 から外を見たら、湾曲して見えたりする。外界が見えないのは戦闘機としては致命的)、 開放式に慣れていたパイロットが多かった。 と言うことで、風防は嫌われました。 12試艦戦の場合は、最大速度が上がっていましたから、風防を装備しないと、自分の 身が危ないと言うことがあります。 後、風防をスライドさせて開けておく芸当も出来ましたし…。 ちなみに、ソ連の高速戦闘機のLaGG-3なんか、出現当初、密閉式風防が嫌われて 開放式に変更しましたが、50km/h速度が低下したそうです。 #right(){(218:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **「紅の豚」のワンシーンでの「豚が雲を引いた!」ってシーンですが、あれは飛行機雲とは違いますよね? そうですね あなたの言う飛行機雲はコントレールと呼びます この場合のポルコが引いたのはヴェーパーと呼ばれるもので 翼の端で翼下面の空気が上面へと流れ込むことによって起こる 渦によりできるものです F-1のウィングの端にできるあれと原理的には同じです で、何がすごいかと言うとそれは翼上面と下面の気圧差が極めて 大きい時つまりコントロールを失う寸前の限界に近い旋回をしなければ まず曳かれないのです 現在の電子制御で飛ぶ飛行機ならともかく一切が人の手によって コントロールされるレシプロ機でその領域での飛行を続けることは かなりの腕前が必要とされます 飛行機が急挙動すると翼端に渦が出来る。 これがヴェーパートレイル。 あの時代の飛行機だとすげーミシミシ逝ってるだろうし、 放置すると翼端失速とかしてきりもみが水平きりもみして墜落する。 つまり「豚がヴェーパートレイル引くほど急挙動してるぜ!」 って意味。 #right(){(211:232-235)} **プロペラ機のプロペラが扇風機の羽よりずっと細いのは何故なのでしょうか  プロペラに関する一般的な事柄として ・プロペラは主翼のアスペクト比と同様に細い方がプロペラ効率が上がります。 ・同じ直径ならばブレード幅が広いほうが吸収馬力が上がります。(主翼面積同様) ・同じブレードでもプロペラ枚数が増えるとプロペラ効率が下がります。 ・でもプロペラ枚数が増えた方が吸収馬力が上がります。  プロペラ直径に制約がある場合、吸収馬力を増やしたい時は、少々効率が低下しても翅数を増やすかブレードを広くする事になります。 (例えばエンジンを換装した場合とか) 例えば、「雷電」の様にプロペラの共振防止のために根元部分が幅広のペラに換装したもものの プロペラ効率そのものは悪化したという話もあります。 この場合、「エンジンとプロペラの共振」という問題は抑制された→性能向上      「プロペラ効率の低下」→飛行性能は低下(したかもしれない)      総合的には性能向上  という風に性能が変化している訳です。 末期のレシプロ戦闘機は大馬力を推進力に変換するためにプロペラ周りの設計に腐心しています。 ペラそのものの大直径化・ブレードの多板化・二重反転ペラなど。 また、ペラのブレードの形状については、空力的・構造的な問題があります。 簡単に言うと、扇風機のファン状のペラでは重量・抵抗が大きすぎて効率が悪すぎるのです。 例えば周速の低い根元近くでは幅広の形状では抵抗が増加し、ペラそのものの回転の足かせになります。 また、逆に先端近くでは周速が上がって音速近くになるのでできるだけ薄い翼型にしたいのですが ブレードそのものの強度の問題からそうもいきません。 これらの関係からプロペラブレードの形状は細長くなっていくのです。 また、この様な問題が限界に達したためにプロペラ→ジェットへの転換が起こったとも言えます。 直径数十センチのファンでは多少の効率や重量は無視されますが、航空機用の直径数メートルのペラでは重要な問題です。 #right(){(205:76-78)} ---

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