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#contents ---- **Bf110駆逐戦闘機の駆逐対象が戦闘機か爆撃機かでもめていたのですが、開発時の目的はどうだったのでしょうか。 目的 爆撃機駆逐 結果 戦闘機駆逐 実際、夜戦と考えれば悪い機体でない。    ボーファイターほど万能でないが、魚雷搭載くらい不可能でない。 #right(){(5:740)} **某ゲームでJu87Dは1.5t爆弾を装備できますがこれって史実でもホントに出来たのでしょうか? Ju87Dは最大塔裁量1800Kgだよ。 もっともそれだけ積むのは試験時くらいだと思うが。 #right(){(11:219)} **ドイツ機のスピナーに書いてある渦巻き模様って なにか意味のあるものだったんでしょうか? 1944年7月20日に、戦闘機・駆逐機・地上攻撃機・偵察機のスピナーを 白、黒の渦巻き模様に塗れとの命令が出されました。 理由は敵味方識別のためです。 それ以前に白黒に塗られた物も多くあり、この日から正式な物になりました。 制定されるまでは、さまざまな色で塗られており末期の日本海軍のように 先端だけ違う色にしているのもあってエース機の個性にもなってました。 #right{(13:258)} **bf109はGの次がKですが、HIJはどこに行ったんですか? Bf109Hは高高度戦闘機の試作型 Iはスペイン向けE型の公式名称 Jは記憶がはっきりしませんが、Me209Jとの混同を避けるために使用されなかったはずです #right(){(17:434)} **TA152は当時のレシプロ最高性能機と考えてよろしいでしょうか? 当時のドイツ空軍では最高性能になるでしょうか。 Fwはフォッケウルフ社の略号で、クルトタンク技師は、同社の主任設計者でした。 Fw-190も当然彼の作品の一つです。 その後、1941年頃には航空機設計者も略号として使用されるようになり、 Taと言う記号が彼の設計した機体には付いています。 この辺、メッサーシュミットと同じで、彼の初期の傑作機Bf-109はバイエルン航空 機会社の略号Bfが付いていますが、その後Meが彼の設計した機体の略号になりました。 Me-262なんて言うのは代表的な例ですね。 #right(){(20:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **ドイツのbf109と日本陸軍飛燕は同じエンジンなのになんで航続距離があんなに違うんですか? 単純に燃料タンクの容量。 Me109は胴体の400㍑タンク1基のみ。これに対して飛燕(キ61 I 丁)は、 第1燃料タンク <翼内左右> 170㍑×2 第2燃料タンク <翼内中央> 160㍑×1 第3燃料タンク <胴体> 95㍑×1 落下タンクも前者の300㍑タンク1個に対して後者は200㍑タンク2個。 #right(){(38:名無し軍曹)} **フィーゼラーシュトルヒの座席配置ってどうなってましたか? Fi-156は縦列配置。 Fi-256と言う試作機があって、これは五名乗り。 1943-44に掛けて二機が製作された。 #right(){(34:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **Fw190のキャノピーはどうやって開くのか 胴体と同じ幅のキャノピー? 単純に後ろずらしてるだけで、胴体後部 は窄まってるから、ずらすとキャノピーの下と胴体は隙間が出来てる。 #right(){(46:103)} **二次大戦中のドイツ機のコードネームは? ドイツ機にはコードネームはありませんでした。 日本の場合、呼称体系が独特だった上、世界に向けての宣伝もしていなかった ので、連合国がコードネームを付与して識別していました。 戦車も同様だったはずです。 #right(){(48:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツが作ろうとしていた、1000×3計画って本当にあったの? それはフォッケウルフ社が英国攻撃用に開発しようとした高速短距離爆撃機です。 1000キロの爆弾を積み、時速1000キロで航続距離1000キロを目指したところから この計画名がつきました。 検討段階で終わったので、機体の計画番号はありません。 機体案は3種あり、A案とB案は後退翼+ポッド方エンジンという戦後の定番になった形態でしたが、 ラジカルなC案は翼端が真下に折れ曲がったデルタ翼で、機首が機体の前に突き出したポッド型で 非常に特徴的でした。 #right(){(57:名無し軍曹)} **メッサーシューミットの初の軍用機って爆撃機? 軍用機という意味なら、Bf-108Taifun連絡機です。 #right(){(57:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **メッサーシューミットBf109のK-14型ってどんな戦闘機だったんですか? 二段渦巻式スーパーチャージャーを装備したDB605Lと、MW50出力増加装置 を装備し、主翼に武装を付けない高々度用軽量戦闘機Versionでした。 これで、728km/h/11,500mを発揮していますが、生産が大戦末期だったため、 2機しか生産されていません。 写真も無かったかと記憶しています(唯一の写真とされたものはその後K-6か 何かと判明したのだっけかな)。 #right(){(58:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ナチスドイツの戦闘機にはなんで鉤十字じゃなくて普通の十字だったんですか? カギ十字は国籍マークじゃないからです。飛行機に付けるのは国籍マークでないといけません。 #right(){(66:43)} >でも垂直尾翼なんかにかぎ十時入ってる機体もありますよ そりゃ主翼に国籍マークさえ入ってりゃ、その他のカラーリングは好きでんがな。 #right(){(66:45)} **スツーカの37mmカノン砲搭載型の対戦車攻撃方法はは急降下攻撃したのでしょうか? 確か緩降下で降下し、数発撃って引き上げるような感じだったかと。 #right(){(69:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 記録フィルムを見る限り速度を落としての緩降下です。 急降下だと動く目標に対してなかなか照準が付けられないし、37mm機関砲 に好ましくないGが加わって装弾不良を起こしてしまいます。 #right(){(69:875)} **Bf109シリーズの愛称、Emil、Franz、Gustav、Kurfurst等はそれぞれどういう意味の言葉なのですか? Emil,Franz,Gustavは男性のファーストネーム Kurfuerstは選挙侯(神聖ローマ帝国皇帝の選出を有する貴族の意) フォネティックコードなどと同じく、アルファベットに適当に名前を振ったものだと思われます。 神聖ローマ帝国皇帝の選出権を有する大諸侯 の方が適切かも #right(){(74:836-837)} **シュトルヒは活躍したんですか? 偵察用には結構活躍しています。 Rommel将軍がAfrica戦線でTrapを仕掛ける地区を偵察した機体で、自らも その操縦桿を握ったと言われていますし、Mussoliniの救出作戦でも、 使用されました。 戦後も、FranceとCzechoslovakiaにて生産しています。 #right(){(75:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 連絡や偵察に大活躍ですた。 ロンメル将軍もご愛用。 戦後も外国で生産されたくらいです。 #right(){(75:837)} ロンメル将軍に愛用されたこと一つ取り上げても、十分に活躍したといえますし 活躍もできなかった唯の軽飛行機を戦後フランスが生産したりしないでしょう #right(){(75:888)} **大戦中にイタリア空軍でもJu.87を使っていますが、爆弾架はイタリアの爆弾を使用できるよう改造されていたのでしょうか? 爆弾を搭載した写真は残念ながら見つかりませんでしたが、増漕はドイツ オリジナルのものでした(Ju-87R)。 機関銃に関してはそのままだったようです。 #right(){(76:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツの戦闘機の胴体に描かれている「<<」とか「~」のような記号は何を現しているのでしょうか。 >また、翼端やエンジン下部を黄色に塗る意味も教えてください 胴体国籍標識後部に書き入れているマークですが、二種類あります。 ・飛行隊(gruppe)標識 "~"の反対のマークや縦棒・横棒など ・幹部(stab)標識 航空隊や飛行隊に所属する本部小隊に配備された機体である事を示すマーク。 例)<- 航空団司令   << 飛行隊長   <  飛行副隊長 翼端やエンジン下部の黄色は東部戦線での作戦機である事を示す戦術識別帯です。 #right(){(80:名無し軍曹)} **ドイツの戦闘機Ta152ってターボ機なのですか? グリーンアロー出版「【図解】世界の軍用機史7 ドイツ空軍軍用機集」によりますと 高々度戦闘機型T152H、中低高度戦闘機型Ta152C共にアメリカ陸軍機のような 外付けタービン過給器は搭載していません。エンジンはHシリーズが登載した Jumo213Eが3速2段過給器を、Cシリーズが登載したDB603LAも過給器を 装備していますが、これはスーパーチャージャーのことでタービン過給器では無いですね。 #right(){(86:415)} Ta152のH型はJumo213Eを、Ta152CはDB603LAを搭載しており、これらは 2段3速過給機(Jumo213E)2段2速過給機(DB603LA)を装備しており、 ターボ(排気タービン)エンジンではありません。 Fw-190系列でターボを装備していたのはB型(BMW801TJ予定)C型(DB603+TK11ターボ過給機)です。 #right(){(86:名無し軍曹)} **WW2ドイツ軍機の足は短かったみたいで、ロンドン空襲でもそれが災いして結局は敗北の憂き目を見ているようですね。 >素人目には追加のタンクをつければいいだけではないのか? 1つだけいっておくと、ルフトヴァッフェの主任務は元々地上軍に対する戦術支援であって、 長距離侵攻作戦はそもそも考慮の対象外だったのです。 #right(){(91:738)} 単なる増槽程度の問題であればロンドン空襲の時にも容易に対応できたはずで、それが出来なかった という事は航続距離の問題というのはそれほど簡単に解決できないものではないかと思います。 #right(){(91:742)} 機外増槽は航続時間を延長するには有効ですが、抵抗も増加するために 航続距離を延長する効果は期待しない方が良いのです 特に当時のレベルで見ても著しく小型だったMe109の場合、機外増槽は 百害あって一利なしでしょう #right(){(91:754)} つかな、機内燃料が400リットルのBf109Eに増槽付けたって落としたら 帰ってこられなく成るだけなんだよ。 300リットルの増槽で進出して、戻ってくるのに300リットルじゃ空戦に使えるのは100リットル程度だろ。 後にE-7で対応してるけど、やらないよりマシって程度の話なの。 >単なる増槽程度の問題であればロンドン空襲の時にも容易に対応できたはずで  まぁ、乗用車のリコール程度には「容易に対応」できたでしょうな。 そんな事、戦争やりながら数日で対応できると思いますか? 「バトルオブブリテン」の期間って知ってますか? #right(){(91:770} スペイン内戦当時に既に落下式増槽タンクは使用されており、 バトルオブブリテン当時のドイツ空軍も技術者達も当然その有効性は知っていた。 なぜ、増槽タンクを使わなかったか? という歴史家たちの疑問に対して、 ドイツ空軍やドイツ航空産業界の当事者達は明確な理由を説明していない。 どうも「本気で戦っていたわけではなかった」がホントの根本的理由らしい。 日本のゼロ戦がドイツにあれば・・・というifは昔からあるが、 バトルオブブリテン当時、ゼロ戦はまだ制式採用されていないし、 他の日本軍機にしてもずば抜けて航続距離が長かったわけではない。 当時の各国の第一線機の中でドイツ軍機が航続距離で劣っていた事実もなかった。 バトルオブブリテンの後のドイツ空軍は防空戦と対地支援 つまり長大な航続距離の必要ない作戦に専念することになった。 つまり、当時のドイツ空軍用兵者にとって 航続距離の限界は当たり前の事・仕方のない事であって、 「技術者に無理強いしてでも航続距離を伸ばさなければならない」 という発想がなかったとしても不思議ではない。 #right(){(91:890)} イギリスとマトモに戦う意志が無かったと言う指摘は既に出てます。 #right(){(91:921)} **日本やアメリカの足の長い戦闘機とは根本的に何が違うのか? 1つだけいっておくと、ルフトヴァッフェの主任務は元々地上軍に対する戦術支援であって、 長距離侵攻作戦はそもそも考慮の対象外だったのです。 #right(){(91:738)} **スツーカのサイレンですが、 >1.敵を威嚇するために本当にサイレンが装着されていた。 >2.急降下制動板の出す音がサイレンのように聞こえた。 >のどちらでつか 主脚柱に木製のプロペラ付きのサイレンがありまして、それが急降下時に回転して独特の 音を発生させるわけです。目的は敵に恐怖心を与えるためです。 #right(){(103:532)} 最初はサイレンはついてなかったが、 敵の恐怖心をあおるために増設されたらしい。 #right(){(103:539)} **第二次大戦のドイツ軍なんですけど、戦車用のガソリンでドイツ軍のメッサー戦闘機とかを飛ばすことは出来るんでしょうか? 要求仕様だけで語るなら、戦車用のガソリンを戦闘機に使うのは好ましくない。 戦闘機は出力を高めるために過給も行いつつ、高圧縮比のエンジンを使う。 また、重量面でもエンジンを過度に頑丈には出来ないので異常燃焼に弱くなる。 対して戦車は、やや圧縮比を低めにして、パワーバンドの広いエンジンにする。 また、重量面での制約も(戦闘機よりは)ゆるいので、エンジンの耐久性も高めに出来る。 従って、戦闘機の方がハイオクを必要とする。 ただドイツは連合軍に比べれば低オクタンのガソリンを使ってたんだけど。 #right(){(110:286)} **ドイツ機に連合国側のコードネームはなかったのですか? >Fw190A→「Oguogu」みたいな だって同じアルファベットの国じゃない。 何でわざわざコードネームをつける必要があるんだ? #right(){(112:628)} >じゃあ米軍はMe109G-5を「えむいーぉわんずぃろないんじーふぁぁーいぶ」って呼んでたんですか? >長くないですか? Me109はどのタイプも全て「メッサー」 Fw190はどのタイプも「フォッケ」と 呼ばれていたようです #right(){(112:630)} 米パイロットは日独に関わらず、敵機はあだ名(コードネームとは別)を付けていました 家のどこかに資料が埋まっているはずですがメンドくさいので記憶で書きますと Me110はロバの一種の名前で呼ばれていたはずです #right(){(112:636)} **レイダース”失われたアーク”の一作目に、翼と胴体が一体になったみたいなドイツ軍の輸送機が登場するんですが、実在の飛行機なんでしょうか? 実在の飛行機ではありません。 ですが、「翼と胴体が一体になった」いわゆる全翼機は ドイツで研究・開発されていました。 #right(){(114:922)} **なんでフォッカーD.7がWW1最強の戦闘機って言われてんのかわかりません。 フォッカーD.7は第1次世界大戦ドイツ機の中で最良といわれる機体で、 休戦条約の条項に連合軍もすべてのD.7を引き渡すように明記してあった事は この飛行機の優秀性を証明している。 性能的には特にスパッドS.13やS.E.5aなどより優れているという事はなかったが、 低速、高高度で失速しにくく、未熟なパイロットの無理な操縦でも失速する事がないという特徴があった。 #right(){(116:946)} **Fw-190には魚雷を使用出来るように改良された型は実際に運用され、戦果を挙げた記録はあるのでしょうか。 Fw190の雷撃型としてはFw190A-5/U-14というモデルが試作されました。 これは胴体下面に魚雷懸吊用のETC502ラックを取り付け、LTF5b航空魚雷一発を懸吊しました。 その他の改造として、クリアランス確保のための尾脚柱延長と 方向安定性の低下を防ぐための垂直尾翼の増積がありました。 しかし、さすがのFw190でも重量増加が過大で実用化できませんでした。 その後もFw190F-8で同様の改良をしたサブタイプがありましたが、 何れも試作のみ実戦には参加していないと思います。 ドイツ空軍の他の雷撃機としては、Ju88に雷撃機型があったはずですが、 戦果などはちと分からないです。 そもそもルフトヴァッフェでは開戦当初雷撃機や航空魚雷を保有していませんでした。 そのため、洋上哨戒爆撃機として使用したフォッケウルフFw200はSC-250爆弾5発で 水平爆撃を行っていました。 ところが、連合国側の武装が強化されると脆弱なFw200は次第に損害を増していきました。 雷撃機の必要性を感じたドイツ空軍では、He111にF5B魚雷を搭載した雷撃機で Ⅰ./KG26(第26爆撃航空団第Ⅰ飛行隊)を編成し、ようやく対艦船攻撃に当てることが出来ました。 しかし、機数の少なさや錬度の問題、更に搭載した魚雷の問題などでなかなか 戦果は上がりませんでした。 彼らの頭上に栄光が輝いたのは1942年9月13日。この日連合軍のPQ18船団に40機のHe111で 攻撃を掛け、8隻の輸送船を撃沈しました。 残念ながらこの後は船団に戦闘機の護衛がついたことから目立った戦果は上げられ なかったようです。 その後、知られたとおりHs293誘導爆弾やフリッツX誘導爆弾による攻撃が研究されます。 これも母機の誘導が必要なため対策が練られると当初の大戦果もじきに先細りになり、 対艦船攻撃は事実上終焉を迎えました。 #right(){(117:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **戦時中のドイツの戦闘機についてるスピンナーはなんのためにるいているのですか? 機首をなめらかに成形して有害な空気抵抗を減らすため。 #right(){(120:623)} **ハインケルは自社工場防衛用にHe-100を生産したようですが、この私設防空部隊は大戦中ずっと存在してたんでしょうか? >また、「私設」と名前が付くと言うことは、ハインケル社が自分でパイロットを選抜したのでしょうか 自社工場防衛用と言うか、そもそもBf-109に替わる機体として見切り生産したものです。 しかし、結局は生産ラインの問題から、量産には至りませんでした。 生産された前量産型のD-1は、宣伝部隊で新型戦闘機He-113とされて使われた後、1940年頃 からHeinkel社所属のパイロットによって、Rostock-Marienehe工場防衛用の機体として使用され ていました。 これも、機体寿命が来てからは無くなってしまいましたが。 別に工場防空部隊の機体となったのは、Focke-WolfのFw-187です。 双発戦闘機Bf-110の対抗馬とされた機体でしたが、出現時期が遅く、生産前型のA-0が3機 追加発注されただけに留まりました。 この機体も、宣伝部隊用に使用されましたが、開戦後はBremen工場に配備され、その会社 所属のテストパイロットによって、防空戦闘に使用され、数機撃墜の記録を残しています。 こちらは、1940~41年冬にかけてノルウェーの空軍部隊に非公式貸与されて以後は、実験機材 となっています。 #right(){(349:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **He219ウーフーってどうして量産しなかったの? ・ハインケルはナチに批判的だったので冷遇されてた ・既に新型機をガンガン量産するような国力の余裕がなかった ・既存の機体を改修した夜間戦闘機でもそれなりの成果が挙がっていた #right(){(333:724)} **Bf109KやGはスペック上は速度も武装も強化されているように見えるので、なんでそれまでのEやFより悪く書かれているのか?わかりません >スペック上には現れない弱点があったんですか? まず、機体重量が大きくなりすぎ、操縦性、特に離着陸性能に問題があったかと。 また、過給器の配置が悪く、高高度性能や加速性などに問題があったのではないかと思われます。 あくまで連合国の兵器と比較してですが。 もう一つ、レシプロ機はエンジンを強化するにつれ、安定性の確保が大問題になってきます。 カタログ性能の最高速度が速くても、安定不良でその速度域では運用できない、なんて言うのでは 困ってしまいますが。 どうもメ社はそこら辺を研究するには至ってなかったみたいですね。 なお、カタログ上の最高速度は、かなり無理して空気抵抗の小さい高高度へ上がって、ゆるゆると 時間をかけて加速して初めて記録出来る数字の場合があるので、速くなったのは高高度で安定飛行 出来るようになった(空力的な仕上げでも変化する)だけで加速や上昇性能のアップに直結しない 場合があります。 #right(){(604:430)} **スツーカって、固定脚で性能に改善の余地が有りそうですが、なんで更新されずにマイナーチェンジだけで終戦まで戦い続けることになったんですか? エアブレーキ代わりになって便利なので固定脚だったと思う 脚を引っ込める機構も省けて作るときも楽、しかも頑丈で素晴らしいじゃない 戦闘機じゃないので、別に脚引っ込める必要は特にないわけで #right(){(612:764)} 固定脚だったため、機体性能の向上には限界があった。 1942年時点で既に時代遅れとも言われていたが、代替となる適当な機体が無かったこともあり、 使用が継続される。 ドイツ航空局はスツーカの延命を図り、これで開発されたのが、37mm搭載のG型、 通称、「大砲鳥」(カノーネンフォーゲル Kanonenvogel)である。 1937年7月のクルスク戦でデビューしたG型は、エースパイロットの機乗で絶大な戦果を上げたが、 同時に一般パイロットではとても使い物にならないことが判明する。 また、このころ新型戦闘機Fw190の戦闘爆撃機としての適正が極めて優秀なことが判明。 画して1943年10月には、1個中隊(ルーデル隊)を除く全てのスツーカ隊がFw190に機種変更 することが決定された。 ところが、ドイツ本土航空戦の激化などで、Fw190の数が揃わず、多くの飛行隊が1944年後半まで スツーカで戦うことを余儀なくされた。 この結果として、スツーカの生産も継続されている。 ちなみにハンス・ルーデル直率の中隊は、異様な戦果を上げ続けたため、スツーカが終戦まで使用されている。 #right(){(hismed)} **ドイツは四発重爆が作れなかったんでしょうか? アメリカのB-17をコピー生産したMe265や、B-24をコピー生産した He-178等の4発重爆撃機もありますが、少数の生産で終わっています。 He177(グライフ)という四発重爆撃機があります。 しかしHe-177は双子エンジンを搭載した上に、急降下爆撃まで可能にするという軍 の無茶な命令の為、不具合が頻発しました。 特に双子エンジンからの出火が問題で、喪失機の多くが双子エンジンの不調による ものでした。 双子エンジンを諦めて、通常の四発重爆撃機にしたHe177Bは良好な性能を示しましたが 時既に遅く、本土防空の為の戦闘機の生産を優先しなければいけない事態になっており、 ドイツの4発重爆撃機の開発は事実上ストップしてしまいました。 なお、He-177は、比較的早い時期から開発が進められ、各型あわせて1140機が生産されて いますが上記の理由により有効な戦力とはなりませんでした。 #right(){(306:321,328)} **He177は1140機ほど造られていますが、装備部隊は3個飛行隊しかありません。てことは1000機くらい余りませんか? >余った機体は何してたの? まず、試作機が8機製作され、各種試験飛行が行われ、その後更に16機が各種バリエー ション展開の為に生産されます。 最初の量産型A-0は、HeinkelのRostock工場で生産され15機生産。 次いで15機がHeinkelのOranienburg工場で生産、またWarnemundeのArad工場で、5機 が生産されました。 これらも試験に使用されています。 本格量産型は、A-1からで、これは130機が製造され、I./KG.40に試験配備されています。 次いで量産されたA-3は170機を生産、まず、I./KG.50に配備され、乗員の訓練に使用されました。 また、この飛行隊は冬期訓練で東部戦線にも派遣され、Stalingradの補給に使用されました。 A-4は高々度偵察/爆撃用ですが、これはHe-274となり、次の量産はA-5に移行し、これが261機 生産されます。 其の内の少なくとも1機はA-012に改造され、EKdo25に配備されました。 この機体は、VJGr10に移管され、対爆撃機狩りに使用する予定でした。 A-5の量産機は、II./KG40に配備され、I./KG50が、Fw-200に換えて新型機 を配備します。 また、I./KG.4にも配備を開始し、更にI./KG100にも配備されます。 此処まで447機が生産されていますが、少数機ずつの配備、しかも制空権は連合国側に取られて しまっていたため、結構な数が地上で破壊されてしまっています。 その後、やっと、II/KG.100、III/KG100、13./KG100、III/KG.40に配備され始めます。 また、一部がKG200に配備され、最後に配備されたのが、I/II/III/KG.1です。 ついでに、1944年7月20日に行われた80機の爆撃が最後の集団使用となります。 これらを動かすのに、480tの燃料が必要だったのですが、8月以降は、燃料プラント が破壊されて、こうした燃料が調達出来なくなり、II/KG.100で少数機が1945年1月に 使用されただけになりました。 #right(){(306:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **Bf109はイギリス上空に短時間しかいられなかったそうですが、増加油槽や空港を英国本土に近づけるとか考えなかったのでしょうか? ときどき勘違いされてるが、BoBで航空機の航続距離が足りなくなったのは 当初の計画の想定外で、本来はあれで足りるはずだった。 そもそもBoBはアシカ作戦というイギリス本土上陸作戦のためドーバー海峡の 航空優勢を握る目的で発生したもの。 ただ、ドイツはこの作戦のため水上部隊や海中走行戦車などの投入を試みるが、 結局のところ失敗する。 で、仕方ないからロンドンなど内陸部の都市や拠点を主に航空戦力を用いて 叩こうとしたのがBoB後半戦。 この際、爆撃機の護衛としてBf109を初めとする戦闘機がつけられたが、 航続距離が大問題になってくるのはこれ以降。 あと増槽だけど、当時のあれは最新技術で、零戦が搭載していたこそが 特筆されるべき事柄。 航続距離が問題になった後にBf109も搭載を試みるが、燃料系統の 根本的改修が必要なため、結局のところBoBに間に合わずに終わってる。 #right(){(655:189)} **日本にフォッケウルフが試験的に輸入されていたそうですが、何時ぐらいに来てどんな試験をやったか分かりますか? 1943年1月に封鎖突破船によって輸入されました。 日本が輸入した最後のドイツ機です。 福生飛行場や所沢飛行場で試験飛行を行い、当時量産中の飛燕、鍾馗、隼、開発中の キ-84などと模擬空戦を行っています。 また、陸軍審査部、明野飛行学校の操縦士たちによって評価が行われ、加速性能と急降 下性能が非常に優れているとされ、進歩的な操縦士達には非常に好評でした。 一方、技術的なものとしては、徹底的な量産構造、艤装、各システムの作動が確実な点が 評価され、発動機関係の取り回しについては、飛燕を五式戦に変更する際の参考になりま した。 #right(){(235:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **He-115の乗員は操縦手、爆撃手、機銃手の三人でおk? 操縦士、後方爆撃手、無線士の3名で、一部の試作型については、副操縦士を 載せて4名となっています。 #right(){(297:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツのHS.126偵察機の胴体に書いてある放射状の目盛りは何の為の物なのでしょう? 後席(偵察員)から地上を見た際の偵察目標までの距離目安を示す斜線だそうです。 角度の違いによって目標までの距離を測るそうな。 #right(){(282:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **ユンカースJu52/3mってあれこれエンジン替えてるみたいだけど、搭載量はどの型も一緒なんでしょうか。 >大抵の資料には乗客17名としか書いてないし。 最初が単なるJu-52、これはJunkers L88(800hp)搭載の単発旅客機でした。 これの旅客数は15名。 この機体は6機生産され、搭載エンジンは運航地に合わせて、BMWVII(600/755hp)、 英国製のRR Buzzard(825hp)、AS Leopard(700/750hp)エンジンを採用しています。 これで、15~17名です。 その後、アルプス越えの安全確保のため三発化しJu-52/3mとなりました。 初期生産型3m de、ceは、P&W Hornetエンジン(525hp)、一機だけHispano-Suizaエン ジンを搭載した3mbe型が製造されています。 量産型では、エンジンはP&W Hornetのライセンス生産型である、BMW132A-3(525hp) を搭載し、少数がJunkers Jumo205、P&W Hornet、P&W Wasp、Bristol Pegasusを搭載 しています。 軍用機として開発されたのが、3m g3eで、尾橇を尾輪に変えたのが3m g4eです。 これらは民間型の構造を強化したものです。 ここまではJu-52と搭載量が変わりません。 搭載量が増えたのは3m g5eからでエンジンはBMW132T-2(880hp)に強化されました。 完全武装の兵士10名を搭載できるようになりました。 そのドア拡大型が3m g7eで完全武装の兵士18名を搭載できます。 3m g8eは更に貨物を積みやすく補助ハッチが設けられ、BMW132Z(850hp)に向上しました。 g9eでは主脚が強化され、最大離陸重量は10tから11tに増えています。 以後は、武装、防弾装備が強化されているので、大幅な性能向上はなく、寧ろ、性能は低下しています。 戦後に製造された、A.A.C.1、CASA C.352はJu-52/3mg8eとほぼ同じです。 Hispano-Suiza搭載のJu-52/3mbeは1機のみ作られました。 Romaniaの王子専用機だったそうです。 #right(){(104:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **BF109bのBってなんの略ですか? バイエルン航空機会社(Bayerische Flugzeugwerke,BFW)のBです。 この機が設計された当時はまだ会社にヴィリー・メッサーシュミットの名を冠して いませんでした。 BFW社がメッサーシュミット社と改名されたのは1938年です。 #right(){(105:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} 設計者だったウィリー・メッサーシュミット氏が1936年に社長に就任してメッサーシュミット社に名称変更した。 Bf109の開発自体は1934年から開発が始まっていたので、BFW社の名前が残ったと思われる。 最後のBの事を言っているのならAから始まる開発種別の2番目と言う事。 特に何かの略称では無い。 #right(){(105:698)} **Fw-190には魚雷を使用出来るように改良された型があると聞きました。 >この機体が実際に運用され、戦果を挙げた記録はあるのでしょうか Fw190の雷撃型としてはFw190A-5/U-14というモデルが試作されました。 これは胴体下面に魚雷懸吊用のETC502ラックを取り付け、LTF5b航空魚雷一発を 懸吊しました。 その他の改造として、クリアランス確保のための尾脚柱延長と方向安定性の低下を 防ぐための垂直尾翼の増積がありました。 しかし、さすがのFw190でも重量増加が過大で実用化できませんでした。 その後もFw190F-8で同様の改良をしたサブタイプがありましたが、 何れも試作のみ実戦には参加していないと思います。 そもそもルフトヴァッフェでは開戦当初雷撃機や航空魚雷を保有していませんでした。 そのため、洋上哨戒爆撃機として使用したフォッケウルフFw200はSC-250爆弾5発で 水平爆撃を行っていました。 ところが、連合国側の武装が強化されると脆弱なFw200は次第に損害を増していきました。 雷撃機の必要性を感じたドイツ空軍では、He111にF5B魚雷を搭載した雷撃機で Ⅰ./KG26(第26爆撃航空団第Ⅰ飛行隊)を編成し、ようやく対艦船攻撃に当てることが出来ました。 しかし、機数の少なさや錬度の問題、更に搭載した魚雷の問題などでなかなか 戦果は上がりませんでした。 彼らの頭上に栄光が輝いたのは1942年9月13日。この日連合軍のPQ18船団に40機のHe111で 攻撃を掛け、8隻の輸送船を撃沈しました。 残念ながらこの後は船団に戦闘機の護衛がついたことから目立った戦果は上げられ なかったようです。 その後、知られたとおりHs293滑空爆弾やフリッツX誘導爆弾による攻撃が研究されます。 これも母機の誘導が必要なため対策が練られると当初の大戦果もじきに先細りになり、 対艦船攻撃は事実上終焉を迎えました。 #right(){(117:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **Bf109が採用されてHe112が採用されなかったのは、政治的な理由以外にどんなことがあったのでしょうか? He-112の基本的な考え方として、従来の空戦形態からの延長線上で、格闘戦重視(複葉機並みの 機動性を狙った)としたため、翼面積をBf-109の30%増しとしました。 このため、重量もBf-109の18%増しとなってしまいました。 この結果、確かに翼面荷重はHe-112が約10%軽く出来ましたが、馬力過重はBf-109に比べ、非常に 悪い値となってしまい、これが選定の際に命取りになっています。 試作機の試験では、上昇性能が勝っているだけで、構造の複雑さと重量の過大が指摘され、V3以降は 技術主任ヘルテルによって改造が加えられましたが、Bf-109の性能を凌駕する程ではなく、Heinkelは 輸出用戦闘機として活路を見いだすことになります。 #right(){(204:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツのTa152のパワーブースターついて教えてください 笑気ガス(いわゆるニトロ)使用のGM-1か メタノール噴射(水メタ)のMW50 …しかし予定だっただけで試作機の一部装備程度らしいぞ! #right(){(俺初質スレ2049:44)} ----
#contents ---- **Bf110駆逐戦闘機の駆逐対象が戦闘機か爆撃機かでもめていたのですが、開発時の目的はどうだったのでしょうか。 目的 爆撃機駆逐 結果 戦闘機駆逐 実際、夜戦と考えれば悪い機体でない。    ボーファイターほど万能でないが、魚雷搭載くらい不可能でない。 #right(){(5:740)} **某ゲームでJu87Dは1.5t爆弾を装備できますがこれって史実でもホントに出来たのでしょうか? Ju87Dは最大塔裁量1800Kgだよ。 もっともそれだけ積むのは試験時くらいだと思うが。 #right(){(11:219)} **ドイツ機のスピナーに書いてある渦巻き模様って なにか意味のあるものだったんでしょうか? 1944年7月20日に、戦闘機・駆逐機・地上攻撃機・偵察機のスピナーを 白、黒の渦巻き模様に塗れとの命令が出されました。 理由は敵味方識別のためです。 それ以前に白黒に塗られた物も多くあり、この日から正式な物になりました。 制定されるまでは、さまざまな色で塗られており末期の日本海軍のように 先端だけ違う色にしているのもあってエース機の個性にもなってました。 #right{(13:258)} **bf109はGの次がKですが、HIJはどこに行ったんですか? Bf109Hは高高度戦闘機の試作型 Iはスペイン向けE型の公式名称 Jは記憶がはっきりしませんが、Me209Jとの混同を避けるために使用されなかったはずです #right(){(17:434)} **TA152は当時のレシプロ最高性能機と考えてよろしいでしょうか? 当時のドイツ空軍では最高性能になるでしょうか。 Fwはフォッケウルフ社の略号で、クルトタンク技師は、同社の主任設計者でした。 Fw-190も当然彼の作品の一つです。 その後、1941年頃には航空機設計者も略号として使用されるようになり、 Taと言う記号が彼の設計した機体には付いています。 この辺、メッサーシュミットと同じで、彼の初期の傑作機Bf-109はバイエルン航空 機会社の略号Bfが付いていますが、その後Meが彼の設計した機体の略号になりました。 Me-262なんて言うのは代表的な例ですね。 #right(){(20:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **ドイツのbf109と日本陸軍飛燕は同じエンジンなのになんで航続距離があんなに違うんですか? 単純に燃料タンクの容量。 Me109は胴体の400㍑タンク1基のみ。これに対して飛燕(キ61 I 丁)は、 第1燃料タンク <翼内左右> 170㍑×2 第2燃料タンク <翼内中央> 160㍑×1 第3燃料タンク <胴体> 95㍑×1 落下タンクも前者の300㍑タンク1個に対して後者は200㍑タンク2個。 #right(){(38:名無し軍曹)} **フィーゼラーシュトルヒの座席配置ってどうなってましたか? Fi-156は縦列配置。 Fi-256と言う試作機があって、これは五名乗り。 1943-44に掛けて二機が製作された。 #right(){(34:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **Fw190のキャノピーはどうやって開くのか 胴体と同じ幅のキャノピー? 単純に後ろずらしてるだけで、胴体後部 は窄まってるから、ずらすとキャノピーの下と胴体は隙間が出来てる。 #right(){(46:103)} **二次大戦中のドイツ機のコードネームは? ドイツ機にはコードネームはありませんでした。 日本の場合、呼称体系が独特だった上、世界に向けての宣伝もしていなかった ので、連合国がコードネームを付与して識別していました。 戦車も同様だったはずです。 #right(){(48:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツが作ろうとしていた、1000×3計画って本当にあったの? それはフォッケウルフ社が英国攻撃用に開発しようとした高速短距離爆撃機です。 1000キロの爆弾を積み、時速1000キロで航続距離1000キロを目指したところから この計画名がつきました。 検討段階で終わったので、機体の計画番号はありません。 機体案は3種あり、A案とB案は後退翼+ポッド方エンジンという戦後の定番になった形態でしたが、 ラジカルなC案は翼端が真下に折れ曲がったデルタ翼で、機首が機体の前に突き出したポッド型で 非常に特徴的でした。 #right(){(57:名無し軍曹)} **メッサーシューミットの初の軍用機って爆撃機? 軍用機という意味なら、Bf-108Taifun連絡機です。 #right(){(57:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **メッサーシューミットBf109のK-14型ってどんな戦闘機だったんですか? 二段渦巻式スーパーチャージャーを装備したDB605Lと、MW50出力増加装置 を装備し、主翼に武装を付けない高々度用軽量戦闘機Versionでした。 これで、728km/h/11,500mを発揮していますが、生産が大戦末期だったため、 2機しか生産されていません。 写真も無かったかと記憶しています(唯一の写真とされたものはその後K-6か 何かと判明したのだっけかな)。 #right(){(58:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ナチスドイツの戦闘機にはなんで鉤十字じゃなくて普通の十字だったんですか? カギ十字は国籍マークじゃないからです。飛行機に付けるのは国籍マークでないといけません。 #right(){(66:43)} >でも垂直尾翼なんかにかぎ十時入ってる機体もありますよ そりゃ主翼に国籍マークさえ入ってりゃ、その他のカラーリングは好きでんがな。 #right(){(66:45)} **スツーカの37mmカノン砲搭載型の対戦車攻撃方法はは急降下攻撃したのでしょうか? 確か緩降下で降下し、数発撃って引き上げるような感じだったかと。 #right(){(69:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 記録フィルムを見る限り速度を落としての緩降下です。 急降下だと動く目標に対してなかなか照準が付けられないし、37mm機関砲 に好ましくないGが加わって装弾不良を起こしてしまいます。 #right(){(69:875)} **Bf109シリーズの愛称、Emil、Franz、Gustav、Kurfurst等はそれぞれどういう意味の言葉なのですか? Emil,Franz,Gustavは男性のファーストネーム Kurfuerstは選挙侯(神聖ローマ帝国皇帝の選出を有する貴族の意) フォネティックコードなどと同じく、アルファベットに適当に名前を振ったものだと思われます。 神聖ローマ帝国皇帝の選出権を有する大諸侯 の方が適切かも #right(){(74:836-837)} **シュトルヒは活躍したんですか? 偵察用には結構活躍しています。 Rommel将軍がAfrica戦線でTrapを仕掛ける地区を偵察した機体で、自らも その操縦桿を握ったと言われていますし、Mussoliniの救出作戦でも、 使用されました。 戦後も、FranceとCzechoslovakiaにて生産しています。 #right(){(75:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 連絡や偵察に大活躍ですた。 ロンメル将軍もご愛用。 戦後も外国で生産されたくらいです。 #right(){(75:837)} ロンメル将軍に愛用されたこと一つ取り上げても、十分に活躍したといえますし 活躍もできなかった唯の軽飛行機を戦後フランスが生産したりしないでしょう #right(){(75:888)} **大戦中にイタリア空軍でもJu.87を使っていますが、爆弾架はイタリアの爆弾を使用できるよう改造されていたのでしょうか? 爆弾を搭載した写真は残念ながら見つかりませんでしたが、増漕はドイツ オリジナルのものでした(Ju-87R)。 機関銃に関してはそのままだったようです。 #right(){(76:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツの戦闘機の胴体に描かれている「<<」とか「~」のような記号は何を現しているのでしょうか。 >また、翼端やエンジン下部を黄色に塗る意味も教えてください 胴体国籍標識後部に書き入れているマークですが、二種類あります。 ・飛行隊(gruppe)標識 "~"の反対のマークや縦棒・横棒など ・幹部(stab)標識 航空隊や飛行隊に所属する本部小隊に配備された機体である事を示すマーク。 例)<- 航空団司令   << 飛行隊長   <  飛行副隊長 翼端やエンジン下部の黄色は東部戦線での作戦機である事を示す戦術識別帯です。 #right(){(80:名無し軍曹)} **ドイツの戦闘機Ta152ってターボ機なのですか? グリーンアロー出版「【図解】世界の軍用機史7 ドイツ空軍軍用機集」によりますと 高々度戦闘機型T152H、中低高度戦闘機型Ta152C共にアメリカ陸軍機のような 外付けタービン過給器は搭載していません。エンジンはHシリーズが登載した Jumo213Eが3速2段過給器を、Cシリーズが登載したDB603LAも過給器を 装備していますが、これはスーパーチャージャーのことでタービン過給器では無いですね。 #right(){(86:415)} Ta152のH型はJumo213Eを、Ta152CはDB603LAを搭載しており、これらは 2段3速過給機(Jumo213E)2段2速過給機(DB603LA)を装備しており、 ターボ(排気タービン)エンジンではありません。 Fw-190系列でターボを装備していたのはB型(BMW801TJ予定)C型(DB603+TK11ターボ過給機)です。 #right(){(86:名無し軍曹)} **WW2ドイツ軍機の足は短かったみたいで、ロンドン空襲でもそれが災いして結局は敗北の憂き目を見ているようですね。 >素人目には追加のタンクをつければいいだけではないのか? 1つだけいっておくと、ルフトヴァッフェの主任務は元々地上軍に対する戦術支援であって、 長距離侵攻作戦はそもそも考慮の対象外だったのです。 #right(){(91:738)} 単なる増槽程度の問題であればロンドン空襲の時にも容易に対応できたはずで、それが出来なかった という事は航続距離の問題というのはそれほど簡単に解決できないものではないかと思います。 #right(){(91:742)} 機外増槽は航続時間を延長するには有効ですが、抵抗も増加するために 航続距離を延長する効果は期待しない方が良いのです 特に当時のレベルで見ても著しく小型だったMe109の場合、機外増槽は 百害あって一利なしでしょう #right(){(91:754)} つかな、機内燃料が400リットルのBf109Eに増槽付けたって落としたら 帰ってこられなく成るだけなんだよ。 300リットルの増槽で進出して、戻ってくるのに300リットルじゃ空戦に使えるのは100リットル程度だろ。 後にE-7で対応してるけど、やらないよりマシって程度の話なの。 >単なる増槽程度の問題であればロンドン空襲の時にも容易に対応できたはずで  まぁ、乗用車のリコール程度には「容易に対応」できたでしょうな。 そんな事、戦争やりながら数日で対応できると思いますか? 「バトルオブブリテン」の期間って知ってますか? #right(){(91:770} スペイン内戦当時に既に落下式増槽タンクは使用されており、 バトルオブブリテン当時のドイツ空軍も技術者達も当然その有効性は知っていた。 なぜ、増槽タンクを使わなかったか? という歴史家たちの疑問に対して、 ドイツ空軍やドイツ航空産業界の当事者達は明確な理由を説明していない。 どうも「本気で戦っていたわけではなかった」がホントの根本的理由らしい。 日本のゼロ戦がドイツにあれば・・・というifは昔からあるが、 バトルオブブリテン当時、ゼロ戦はまだ制式採用されていないし、 他の日本軍機にしてもずば抜けて航続距離が長かったわけではない。 当時の各国の第一線機の中でドイツ軍機が航続距離で劣っていた事実もなかった。 バトルオブブリテンの後のドイツ空軍は防空戦と対地支援 つまり長大な航続距離の必要ない作戦に専念することになった。 つまり、当時のドイツ空軍用兵者にとって 航続距離の限界は当たり前の事・仕方のない事であって、 「技術者に無理強いしてでも航続距離を伸ばさなければならない」 という発想がなかったとしても不思議ではない。 #right(){(91:890)} イギリスとマトモに戦う意志が無かったと言う指摘は既に出てます。 #right(){(91:921)} **日本やアメリカの足の長い戦闘機とは根本的に何が違うのか? 1つだけいっておくと、ルフトヴァッフェの主任務は元々地上軍に対する戦術支援であって、 長距離侵攻作戦はそもそも考慮の対象外だったのです。 #right(){(91:738)} **スツーカのサイレンですが、 >1.敵を威嚇するために本当にサイレンが装着されていた。 >2.急降下制動板の出す音がサイレンのように聞こえた。 >のどちらでつか 主脚柱に木製のプロペラ付きのサイレンがありまして、それが急降下時に回転して独特の 音を発生させるわけです。目的は敵に恐怖心を与えるためです。 #right(){(103:532)} 最初はサイレンはついてなかったが、 敵の恐怖心をあおるために増設されたらしい。 #right(){(103:539)} **第二次大戦のドイツ軍なんですけど、戦車用のガソリンでドイツ軍のメッサー戦闘機とかを飛ばすことは出来るんでしょうか? 要求仕様だけで語るなら、戦車用のガソリンを戦闘機に使うのは好ましくない。 戦闘機は出力を高めるために過給も行いつつ、高圧縮比のエンジンを使う。 また、重量面でもエンジンを過度に頑丈には出来ないので異常燃焼に弱くなる。 対して戦車は、やや圧縮比を低めにして、パワーバンドの広いエンジンにする。 また、重量面での制約も(戦闘機よりは)ゆるいので、エンジンの耐久性も高めに出来る。 従って、戦闘機の方がハイオクを必要とする。 ただドイツは連合軍に比べれば低オクタンのガソリンを使ってたんだけど。 #right(){(110:286)} **ドイツ機に連合国側のコードネームはなかったのですか? >Fw190A→「Oguogu」みたいな だって同じアルファベットの国じゃない。 何でわざわざコードネームをつける必要があるんだ? #right(){(112:628)} >じゃあ米軍はMe109G-5を「えむいーぉわんずぃろないんじーふぁぁーいぶ」って呼んでたんですか? >長くないですか? Me109はどのタイプも全て「メッサー」 Fw190はどのタイプも「フォッケ」と 呼ばれていたようです #right(){(112:630)} 米パイロットは日独に関わらず、敵機はあだ名(コードネームとは別)を付けていました 家のどこかに資料が埋まっているはずですがメンドくさいので記憶で書きますと Me110はロバの一種の名前で呼ばれていたはずです #right(){(112:636)} **レイダース”失われたアーク”の一作目に、翼と胴体が一体になったみたいなドイツ軍の輸送機が登場するんですが、実在の飛行機なんでしょうか? 実在の飛行機ではありません。 ですが、「翼と胴体が一体になった」いわゆる全翼機は ドイツで研究・開発されていました。 #right(){(114:922)} **なんでフォッカーD.7がWW1最強の戦闘機って言われてんのかわかりません。 フォッカーD.7は第1次世界大戦ドイツ機の中で最良といわれる機体で、 休戦条約の条項に連合軍もすべてのD.7を引き渡すように明記してあった事は この飛行機の優秀性を証明している。 性能的には特にスパッドS.13やS.E.5aなどより優れているという事はなかったが、 低速、高高度で失速しにくく、未熟なパイロットの無理な操縦でも失速する事がないという特徴があった。 #right(){(116:946)} **Fw-190には魚雷を使用出来るように改良された型は実際に運用され、戦果を挙げた記録はあるのでしょうか。 Fw190の雷撃型としてはFw190A-5/U-14というモデルが試作されました。 これは胴体下面に魚雷懸吊用のETC502ラックを取り付け、LTF5b航空魚雷一発を懸吊しました。 その他の改造として、クリアランス確保のための尾脚柱延長と 方向安定性の低下を防ぐための垂直尾翼の増積がありました。 しかし、さすがのFw190でも重量増加が過大で実用化できませんでした。 その後もFw190F-8で同様の改良をしたサブタイプがありましたが、 何れも試作のみ実戦には参加していないと思います。 ドイツ空軍の他の雷撃機としては、Ju88に雷撃機型があったはずですが、 戦果などはちと分からないです。 そもそもルフトヴァッフェでは開戦当初雷撃機や航空魚雷を保有していませんでした。 そのため、洋上哨戒爆撃機として使用したフォッケウルフFw200はSC-250爆弾5発で 水平爆撃を行っていました。 ところが、連合国側の武装が強化されると脆弱なFw200は次第に損害を増していきました。 雷撃機の必要性を感じたドイツ空軍では、He111にF5B魚雷を搭載した雷撃機で Ⅰ./KG26(第26爆撃航空団第Ⅰ飛行隊)を編成し、ようやく対艦船攻撃に当てることが出来ました。 しかし、機数の少なさや錬度の問題、更に搭載した魚雷の問題などでなかなか 戦果は上がりませんでした。 彼らの頭上に栄光が輝いたのは1942年9月13日。この日連合軍のPQ18船団に40機のHe111で 攻撃を掛け、8隻の輸送船を撃沈しました。 残念ながらこの後は船団に戦闘機の護衛がついたことから目立った戦果は上げられ なかったようです。 その後、知られたとおりHs293誘導爆弾やフリッツX誘導爆弾による攻撃が研究されます。 これも母機の誘導が必要なため対策が練られると当初の大戦果もじきに先細りになり、 対艦船攻撃は事実上終焉を迎えました。 #right(){(117:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **戦時中のドイツの戦闘機についてるスピンナーはなんのためにるいているのですか? 機首をなめらかに成形して有害な空気抵抗を減らすため。 #right(){(120:623)} **Hs129B-3搭載の75mm砲の装弾数は何発なのでしょうか? ほい。 http://www.warbirds.jp/ansq/12/A2003491.html #right(){(123:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **ハインケルは自社工場防衛用にHe-100を生産したようですが、この私設防空部隊は大戦中ずっと存在してたんでしょうか? >また、「私設」と名前が付くと言うことは、ハインケル社が自分でパイロットを選抜したのでしょうか 自社工場防衛用と言うか、そもそもBf-109に替わる機体として見切り生産したものです。 しかし、結局は生産ラインの問題から、量産には至りませんでした。 生産された前量産型のD-1は、宣伝部隊で新型戦闘機He-113とされて使われた後、1940年頃 からHeinkel社所属のパイロットによって、Rostock-Marienehe工場防衛用の機体として使用され ていました。 これも、機体寿命が来てからは無くなってしまいましたが。 別に工場防空部隊の機体となったのは、Focke-WolfのFw-187です。 双発戦闘機Bf-110の対抗馬とされた機体でしたが、出現時期が遅く、生産前型のA-0が3機 追加発注されただけに留まりました。 この機体も、宣伝部隊用に使用されましたが、開戦後はBremen工場に配備され、その会社 所属のテストパイロットによって、防空戦闘に使用され、数機撃墜の記録を残しています。 こちらは、1940~41年冬にかけてノルウェーの空軍部隊に非公式貸与されて以後は、実験機材 となっています。 #right(){(349:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **He219ウーフーってどうして量産しなかったの? ・ハインケルはナチに批判的だったので冷遇されてた ・既に新型機をガンガン量産するような国力の余裕がなかった ・既存の機体を改修した夜間戦闘機でもそれなりの成果が挙がっていた #right(){(333:724)} **Bf109KやGはスペック上は速度も武装も強化されているように見えるので、なんでそれまでのEやFより悪く書かれているのか?わかりません >スペック上には現れない弱点があったんですか? まず、機体重量が大きくなりすぎ、操縦性、特に離着陸性能に問題があったかと。 また、過給器の配置が悪く、高高度性能や加速性などに問題があったのではないかと思われます。 あくまで連合国の兵器と比較してですが。 もう一つ、レシプロ機はエンジンを強化するにつれ、安定性の確保が大問題になってきます。 カタログ性能の最高速度が速くても、安定不良でその速度域では運用できない、なんて言うのでは 困ってしまいますが。 どうもメ社はそこら辺を研究するには至ってなかったみたいですね。 なお、カタログ上の最高速度は、かなり無理して空気抵抗の小さい高高度へ上がって、ゆるゆると 時間をかけて加速して初めて記録出来る数字の場合があるので、速くなったのは高高度で安定飛行 出来るようになった(空力的な仕上げでも変化する)だけで加速や上昇性能のアップに直結しない 場合があります。 #right(){(604:430)} **スツーカって、固定脚で性能に改善の余地が有りそうですが、なんで更新されずにマイナーチェンジだけで終戦まで戦い続けることになったんですか? エアブレーキ代わりになって便利なので固定脚だったと思う 脚を引っ込める機構も省けて作るときも楽、しかも頑丈で素晴らしいじゃない 戦闘機じゃないので、別に脚引っ込める必要は特にないわけで #right(){(612:764)} 固定脚だったため、機体性能の向上には限界があった。 1942年時点で既に時代遅れとも言われていたが、代替となる適当な機体が無かったこともあり、 使用が継続される。 ドイツ航空局はスツーカの延命を図り、これで開発されたのが、37mm搭載のG型、 通称、「大砲鳥」(カノーネンフォーゲル Kanonenvogel)である。 1937年7月のクルスク戦でデビューしたG型は、エースパイロットの機乗で絶大な戦果を上げたが、 同時に一般パイロットではとても使い物にならないことが判明する。 また、このころ新型戦闘機Fw190の戦闘爆撃機としての適正が極めて優秀なことが判明。 画して1943年10月には、1個中隊(ルーデル隊)を除く全てのスツーカ隊がFw190に機種変更 することが決定された。 ところが、ドイツ本土航空戦の激化などで、Fw190の数が揃わず、多くの飛行隊が1944年後半まで スツーカで戦うことを余儀なくされた。 この結果として、スツーカの生産も継続されている。 ちなみにハンス・ルーデル直率の中隊は、異様な戦果を上げ続けたため、スツーカが終戦まで使用されている。 #right(){(hismed)} **ドイツは四発重爆が作れなかったんでしょうか? アメリカのB-17をコピー生産したMe265や、B-24をコピー生産した He-178等の4発重爆撃機もありますが、少数の生産で終わっています。 He177(グライフ)という四発重爆撃機があります。 しかしHe-177は双子エンジンを搭載した上に、急降下爆撃まで可能にするという軍 の無茶な命令の為、不具合が頻発しました。 特に双子エンジンからの出火が問題で、喪失機の多くが双子エンジンの不調による ものでした。 双子エンジンを諦めて、通常の四発重爆撃機にしたHe177Bは良好な性能を示しましたが 時既に遅く、本土防空の為の戦闘機の生産を優先しなければいけない事態になっており、 ドイツの4発重爆撃機の開発は事実上ストップしてしまいました。 なお、He-177は、比較的早い時期から開発が進められ、各型あわせて1140機が生産されて いますが上記の理由により有効な戦力とはなりませんでした。 #right(){(306:321,328)} **He177は1140機ほど造られていますが、装備部隊は3個飛行隊しかありません。てことは1000機くらい余りませんか? >余った機体は何してたの? まず、試作機が8機製作され、各種試験飛行が行われ、その後更に16機が各種バリエー ション展開の為に生産されます。 最初の量産型A-0は、HeinkelのRostock工場で生産され15機生産。 次いで15機がHeinkelのOranienburg工場で生産、またWarnemundeのArad工場で、5機 が生産されました。 これらも試験に使用されています。 本格量産型は、A-1からで、これは130機が製造され、I./KG.40に試験配備されています。 次いで量産されたA-3は170機を生産、まず、I./KG.50に配備され、乗員の訓練に使用されました。 また、この飛行隊は冬期訓練で東部戦線にも派遣され、Stalingradの補給に使用されました。 A-4は高々度偵察/爆撃用ですが、これはHe-274となり、次の量産はA-5に移行し、これが261機 生産されます。 其の内の少なくとも1機はA-012に改造され、EKdo25に配備されました。 この機体は、VJGr10に移管され、対爆撃機狩りに使用する予定でした。 A-5の量産機は、II./KG40に配備され、I./KG50が、Fw-200に換えて新型機 を配備します。 また、I./KG.4にも配備を開始し、更にI./KG100にも配備されます。 此処まで447機が生産されていますが、少数機ずつの配備、しかも制空権は連合国側に取られて しまっていたため、結構な数が地上で破壊されてしまっています。 その後、やっと、II/KG.100、III/KG100、13./KG100、III/KG.40に配備され始めます。 また、一部がKG200に配備され、最後に配備されたのが、I/II/III/KG.1です。 ついでに、1944年7月20日に行われた80機の爆撃が最後の集団使用となります。 これらを動かすのに、480tの燃料が必要だったのですが、8月以降は、燃料プラント が破壊されて、こうした燃料が調達出来なくなり、II/KG.100で少数機が1945年1月に 使用されただけになりました。 #right(){(306:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **Bf109はイギリス上空に短時間しかいられなかったそうですが、増加油槽や空港を英国本土に近づけるとか考えなかったのでしょうか? ときどき勘違いされてるが、BoBで航空機の航続距離が足りなくなったのは 当初の計画の想定外で、本来はあれで足りるはずだった。 そもそもBoBはアシカ作戦というイギリス本土上陸作戦のためドーバー海峡の 航空優勢を握る目的で発生したもの。 ただ、ドイツはこの作戦のため水上部隊や海中走行戦車などの投入を試みるが、 結局のところ失敗する。 で、仕方ないからロンドンなど内陸部の都市や拠点を主に航空戦力を用いて 叩こうとしたのがBoB後半戦。 この際、爆撃機の護衛としてBf109を初めとする戦闘機がつけられたが、 航続距離が大問題になってくるのはこれ以降。 あと増槽だけど、当時のあれは最新技術で、零戦が搭載していたこそが 特筆されるべき事柄。 航続距離が問題になった後にBf109も搭載を試みるが、燃料系統の 根本的改修が必要なため、結局のところBoBに間に合わずに終わってる。 #right(){(655:189)} **日本にフォッケウルフが試験的に輸入されていたそうですが、何時ぐらいに来てどんな試験をやったか分かりますか? 1943年1月に封鎖突破船によって輸入されました。 日本が輸入した最後のドイツ機です。 福生飛行場や所沢飛行場で試験飛行を行い、当時量産中の飛燕、鍾馗、隼、開発中の キ-84などと模擬空戦を行っています。 また、陸軍審査部、明野飛行学校の操縦士たちによって評価が行われ、加速性能と急降 下性能が非常に優れているとされ、進歩的な操縦士達には非常に好評でした。 一方、技術的なものとしては、徹底的な量産構造、艤装、各システムの作動が確実な点が 評価され、発動機関係の取り回しについては、飛燕を五式戦に変更する際の参考になりま した。 #right(){(235:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **He-115の乗員は操縦手、爆撃手、機銃手の三人でおk? 操縦士、後方爆撃手、無線士の3名で、一部の試作型については、副操縦士を 載せて4名となっています。 #right(){(297:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツのHS.126偵察機の胴体に書いてある放射状の目盛りは何の為の物なのでしょう? 後席(偵察員)から地上を見た際の偵察目標までの距離目安を示す斜線だそうです。 角度の違いによって目標までの距離を測るそうな。 #right(){(282:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **ユンカースJu52/3mってあれこれエンジン替えてるみたいだけど、搭載量はどの型も一緒なんでしょうか。 >大抵の資料には乗客17名としか書いてないし。 最初が単なるJu-52、これはJunkers L88(800hp)搭載の単発旅客機でした。 これの旅客数は15名。 この機体は6機生産され、搭載エンジンは運航地に合わせて、BMWVII(600/755hp)、 英国製のRR Buzzard(825hp)、AS Leopard(700/750hp)エンジンを採用しています。 これで、15~17名です。 その後、アルプス越えの安全確保のため三発化しJu-52/3mとなりました。 初期生産型3m de、ceは、P&W Hornetエンジン(525hp)、一機だけHispano-Suizaエン ジンを搭載した3mbe型が製造されています。 量産型では、エンジンはP&W Hornetのライセンス生産型である、BMW132A-3(525hp) を搭載し、少数がJunkers Jumo205、P&W Hornet、P&W Wasp、Bristol Pegasusを搭載 しています。 軍用機として開発されたのが、3m g3eで、尾橇を尾輪に変えたのが3m g4eです。 これらは民間型の構造を強化したものです。 ここまではJu-52と搭載量が変わりません。 搭載量が増えたのは3m g5eからでエンジンはBMW132T-2(880hp)に強化されました。 完全武装の兵士10名を搭載できるようになりました。 そのドア拡大型が3m g7eで完全武装の兵士18名を搭載できます。 3m g8eは更に貨物を積みやすく補助ハッチが設けられ、BMW132Z(850hp)に向上しました。 g9eでは主脚が強化され、最大離陸重量は10tから11tに増えています。 以後は、武装、防弾装備が強化されているので、大幅な性能向上はなく、寧ろ、性能は低下しています。 戦後に製造された、A.A.C.1、CASA C.352はJu-52/3mg8eとほぼ同じです。 Hispano-Suiza搭載のJu-52/3mbeは1機のみ作られました。 Romaniaの王子専用機だったそうです。 #right(){(104:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **BF109bのBってなんの略ですか? バイエルン航空機会社(Bayerische Flugzeugwerke,BFW)のBです。 この機が設計された当時はまだ会社にヴィリー・メッサーシュミットの名を冠して いませんでした。 BFW社がメッサーシュミット社と改名されたのは1938年です。 #right(){(105:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} 設計者だったウィリー・メッサーシュミット氏が1936年に社長に就任してメッサーシュミット社に名称変更した。 Bf109の開発自体は1934年から開発が始まっていたので、BFW社の名前が残ったと思われる。 最後のBの事を言っているのならAから始まる開発種別の2番目と言う事。 特に何かの略称では無い。 #right(){(105:698)} **Fw-190には魚雷を使用出来るように改良された型があると聞きました。 >この機体が実際に運用され、戦果を挙げた記録はあるのでしょうか Fw190の雷撃型としてはFw190A-5/U-14というモデルが試作されました。 これは胴体下面に魚雷懸吊用のETC502ラックを取り付け、LTF5b航空魚雷一発を 懸吊しました。 その他の改造として、クリアランス確保のための尾脚柱延長と方向安定性の低下を 防ぐための垂直尾翼の増積がありました。 しかし、さすがのFw190でも重量増加が過大で実用化できませんでした。 その後もFw190F-8で同様の改良をしたサブタイプがありましたが、 何れも試作のみ実戦には参加していないと思います。 そもそもルフトヴァッフェでは開戦当初雷撃機や航空魚雷を保有していませんでした。 そのため、洋上哨戒爆撃機として使用したフォッケウルフFw200はSC-250爆弾5発で 水平爆撃を行っていました。 ところが、連合国側の武装が強化されると脆弱なFw200は次第に損害を増していきました。 雷撃機の必要性を感じたドイツ空軍では、He111にF5B魚雷を搭載した雷撃機で Ⅰ./KG26(第26爆撃航空団第Ⅰ飛行隊)を編成し、ようやく対艦船攻撃に当てることが出来ました。 しかし、機数の少なさや錬度の問題、更に搭載した魚雷の問題などでなかなか 戦果は上がりませんでした。 彼らの頭上に栄光が輝いたのは1942年9月13日。この日連合軍のPQ18船団に40機のHe111で 攻撃を掛け、8隻の輸送船を撃沈しました。 残念ながらこの後は船団に戦闘機の護衛がついたことから目立った戦果は上げられ なかったようです。 その後、知られたとおりHs293滑空爆弾やフリッツX誘導爆弾による攻撃が研究されます。 これも母機の誘導が必要なため対策が練られると当初の大戦果もじきに先細りになり、 対艦船攻撃は事実上終焉を迎えました。 #right(){(117:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **Bf109が採用されてHe112が採用されなかったのは、政治的な理由以外にどんなことがあったのでしょうか? He-112の基本的な考え方として、従来の空戦形態からの延長線上で、格闘戦重視(複葉機並みの 機動性を狙った)としたため、翼面積をBf-109の30%増しとしました。 このため、重量もBf-109の18%増しとなってしまいました。 この結果、確かに翼面荷重はHe-112が約10%軽く出来ましたが、馬力過重はBf-109に比べ、非常に 悪い値となってしまい、これが選定の際に命取りになっています。 試作機の試験では、上昇性能が勝っているだけで、構造の複雑さと重量の過大が指摘され、V3以降は 技術主任ヘルテルによって改造が加えられましたが、Bf-109の性能を凌駕する程ではなく、Heinkelは 輸出用戦闘機として活路を見いだすことになります。 #right(){(204:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツのTa152のパワーブースターついて教えてください 笑気ガス(いわゆるニトロ)使用のGM-1か メタノール噴射(水メタ)のMW50 …しかし予定だっただけで試作機の一部装備程度らしいぞ! #right(){(俺初質スレ2049:44)} ----

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