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#CONTENTS ---- **ドイツ空軍のゲーリングはWWI当時レッド・バロンの配属にあったと聞いていますが空中戦の腕前はどうだったんでしょうか? 22機撃墜のエースパイロットで、プール・ル・メリートを授章しています。 #right(){(5:633)} **「宮崎駿の雑想ノート」に出てくるドイツの巨人機「ツェペリン・シュターケン」は実在機なのでしょうか? あれと全く同じモノがあるかどうかは知らないから他の方にお任せしますが、 ツェペリン・シュターケンという化け物飛行機はありましたよ #right(){(6:49)} **第1次大戦の頃の空中戦ではピストルを撃ち合っていたというのは本当でしょうか? >同じ頃、航空機から地上への攻撃がレンガの投下だったというのはどうでしょうか? 本当です。 現物は残っていませんが、記録写真には、 「ロングマガジンと、今で言うカート・キャッチャー、 薬莢が飛び散らないように(トラブル防止のため)、 金網で回収するようにしたコルト・ガバメント」が残っています。 あと、レンガを投下したこともあるにはありますが、 「砲弾を流用した爆弾」を考案したアイデアマンがおり、 ロープで機体の側面に爆弾をぶら下げ、敵地上空に差し掛かると、 爆撃手が斧でロープを切断、爆弾投下!に、程なくして変わりました。 #right(){(48:848)} 初期の航空機は偵察が主な任務でした。 ところが、敵も同じ事を考えて航空機を飛ばすようになりました。 当初は、同じ空を飛ぶもの同士、挨拶して別れ合っていましたが、地上が 激戦になるにつれて、そう言う余裕は失われ、互いに武器で相手を倒すよう になりました。 しかし、武器と言っても最初の頃はそのスペースがないので、拳銃で撃ち合っ たり、後部座席の乗員がライフルで狙ったりしています。 また、上空から煉瓦を投げ落として敵機を破壊することも行われたようです。 なお、爆弾は煉瓦ではなくて、最初は手榴弾が、後に10kg程度の砲弾に安定翼を 付けたものが用いられています。 #right(){(48:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **両軍のエースパイロットには騎兵科から転属した人も結構いたとか? 騎兵の任務の一つに偵察があったから、同じ偵察目的ってことで、騎兵から航空兵に転科した人はわりと多いよ いちばん有名なのがレッドバロンことリヒトホーフェンでしょうか。 弟の方も騎兵から航空に転属しているようです。 ゲーリングは歩兵から。 #right{(第一次大戦スレ:41,42)} **ソンムの会戦での航空兵力は、フォッカーE3とソッピースキャメルですか? ソンム戦(1916年7月)の段階だと、ドイツ空軍はフォッカーE3が劣勢にたって ハルバーシュタットDⅡとかでかろうじて前線を埋めていた時期。 アルバトロスDⅠが投入され始めたのが9月から。 連合軍はDH2・ニューポール11・FE2で優位に立ち、さらに5月にはニューポール17が 投入され始めてます。 キャメルの就役は1917年に入ってからだったり。 #right(){(296:16 名前:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **WW1でどの国も空襲で毒ガスをばらまかなかったのはなぜ? WW1で各国では主にホスゲンを封入した投下弾が用意されていたが、 人道的、政治的見地から使用が躊躇われ、幸運にも使用される前に終戦になった。 毒ガスの航空投下自体の有用性は認識され、 WW1から戦間期にかけて空中ガス戦として各国で盛んに戦術研究され 一つの分野を確立するほどだった。 当時考えられていた航空戦力によるガスの用途は毒ガス弾の投下だけでなく 煙幕ガスとしての利用や爆撃目標へのマーカーをかねたもの、 通常爆弾の二次被害として不完全燃焼による一酸化炭素や ニトロンの発生も想定されていた。 投下毒ガス弾は一時性ガス弾と持続性ガス弾との2種類に大別される。 一時性ガス弾は危害半径が広いのが利点で、持続時間も夜間であれば 数時間から夜明けまでもつと考えられた。 持続性ガス弾は空気より大分重く広がりにくいが気象条件により 数日から数週間ほども沈滞することがみこまれ、都市部の攻撃、 とりわけ避難シェルターなどの攻撃に極めて有効だとされた。 航空機によるガス弾投下の利点は大きくわけて3つあり、 1、WW1水準の航空機でも砲弾より大量のガスがはるかに遠距離まで運搬できる事 2、運用に航空機の改造は最低限の簡易なものですむ事 3、投下もしくは散布は航空機本来の性能を利用でき効果的である事 イギリスのノルマン大尉(当時)は航空機のガス戦利用は 砲兵の上位互換であり投下の量・距離共に比べ物にならず、 ガス弾の水平投下による命中精度の減少は人間が意志を持って 投下場所を選べる利点で実質的に補われているとしている。 #right(){(687:975)} **フランスはドイツの空爆をどのように阻止しようとしたのか? 第一次大戦時、ドイツからパリに空爆を行う際、パリへ達する目標としたのがベルサイユ宮殿の水壕。 これを知ったフランス軍は、十字型の壕を或る時は「ト」形に、或る時は「一文字」に変更することで、 爆撃機の進路を狂わせた。 更に手の込んだことに、フランス軍は、パリの偽都市を構築する予定だった。 これは、パリと同様の道路と鉄道を配置し、河川と河岸の造作を相似形にし、工場や駅の偽物として、 光を発するページェントに使う如き小屋を急造してそれを工場や駅とそっくりに似せ、溶鉱炉、 鋳物工場の火炎は、人工的に上記を噴出して赤、白、黄色などの電灯を照射してこれと似たような 光景を造出、鉄道については、明りの明滅で偽の信号灯と保安灯を造出し、列車については布を貼って、 ネオン管などで動いているように見せかけると言うもので、敵機の空襲時には、パリは完全な灯火管制で 光も漏らさぬようにし、偽都市は、警戒管制をして、あたかも其処にパリがあるかのように擬装する、と言うもの。 もちろん、昼間は使えないが、夜間には十分効果がある、とされていた。 #right(){(しょうもない知識を披露するスレ11:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----
#CONTENTS ---- **ドイツ空軍のゲーリングはWW1当時レッド・バロンの配属にあったと聞いていますが空中戦の腕前はどうだったんでしょうか? 22機撃墜のエースパイロットで、プール・ル・メリートを授章しています。 #right(){(5:633)} **「宮崎駿の雑想ノート」に出てくるドイツの巨人機「ツェペリン・シュターケン」は実在機なのでしょうか? あれと全く同じモノがあるかどうかは知らないから他の方にお任せしますが、 ツェペリン・シュターケンという化け物飛行機はありましたよ #right(){(6:49)} **第1次大戦の頃の空中戦ではピストルを撃ち合っていたというのは本当でしょうか? >同じ頃、航空機から地上への攻撃がレンガの投下だったというのはどうでしょうか? 本当です。 現物は残っていませんが、記録写真には、 「ロングマガジンと、今で言うカート・キャッチャー、 薬莢が飛び散らないように(トラブル防止のため)、 金網で回収するようにしたコルト・ガバメント」が残っています。 あと、レンガを投下したこともあるにはありますが、 「砲弾を流用した爆弾」を考案したアイデアマンがおり、 ロープで機体の側面に爆弾をぶら下げ、敵地上空に差し掛かると、 爆撃手が斧でロープを切断、爆弾投下!に、程なくして変わりました。 #right(){(48:848)} 初期の航空機は偵察が主な任務でした。 ところが、敵も同じ事を考えて航空機を飛ばすようになりました。 当初は、同じ空を飛ぶもの同士、挨拶して別れ合っていましたが、地上が 激戦になるにつれて、そう言う余裕は失われ、互いに武器で相手を倒すよう になりました。 しかし、武器と言っても最初の頃はそのスペースがないので、拳銃で撃ち合っ たり、後部座席の乗員がライフルで狙ったりしています。 また、上空から煉瓦を投げ落として敵機を破壊することも行われたようです。 なお、爆弾は煉瓦ではなくて、最初は手榴弾が、後に10kg程度の砲弾に安定翼を 付けたものが用いられています。 #right(){(48:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **両軍のエースパイロットには騎兵科から転属した人も結構いたとか? 騎兵の任務の一つに偵察があったから、同じ偵察目的ってことで、騎兵から航空兵に転科した人はわりと多いよ いちばん有名なのがレッドバロンことリヒトホーフェンでしょうか。 弟の方も騎兵から航空に転属しているようです。 ゲーリングは歩兵から。 #right{(第一次大戦スレ:41,42)} **ソンムの会戦での航空兵力は、フォッカーE3とソッピースキャメルですか? ソンム戦(1916年7月)の段階だと、ドイツ空軍はフォッカーE3が劣勢にたって ハルバーシュタットD IIとかでかろうじて前線を埋めていた時期。 アルバトロスD Iが投入され始めたのが9月から。 連合軍はDH2・ニューポール11・FE2で優位に立ち、さらに5月にはニューポール17が 投入され始めてます。 キャメルの就役は1917年に入ってからだったり。 #right(){(296:16 名前:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **WW1でどの国も空襲で毒ガスをばら撒かなかったのはなぜ? WW1で各国では主にホスゲンを封入した投下弾が用意されていたが、 人道的、政治的見地から使用が躊躇われ、幸運にも使用される前に終戦になった。 毒ガスの航空投下自体の有用性は認識され、 WW1から戦間期にかけて空中ガス戦として各国で盛んに戦術研究され 一つの分野を確立するほどだった。 当時考えられていた航空戦力によるガスの用途は毒ガス弾の投下だけでなく 煙幕ガスとしての利用や爆撃目標へのマーカーを兼ねたもの、 通常爆弾の二次被害として不完全燃焼による一酸化炭素や ニトロンの発生も想定されていた。 投下毒ガス弾は一時性ガス弾と持続性ガス弾との2種類に大別される。 一時性ガス弾は危害半径が広いのが利点で、持続時間も夜間であれば 数時間から夜明けまでもつと考えられた。 持続性ガス弾は空気より大分重く広がりにくいが気象条件により 数日から数週間ほども沈滞することがみこまれ、都市部の攻撃、 とりわけ避難シェルターなどの攻撃に極めて有効だとされた。 航空機によるガス弾投下の利点は大きくわけて3つあり、 1、WW1水準の航空機でも砲弾より大量のガスがはるかに遠距離まで運搬できる事 2、運用に航空機の改造は最低限の簡易なものですむ事 3、投下もしくは散布は航空機本来の性能を利用でき効果的である事 イギリスのノルマン大尉(当時)は航空機のガス戦利用は 砲兵の上位互換であり投下の量・距離共に比べ物にならず、 ガス弾の水平投下による命中精度の減少は人間が意志を持って 投下場所を選べる利点で実質的に補われているとしている。 #right(){(687:975)} **フランスはドイツの空爆をどのように阻止しようとしたのか? 第1次世界大戦時、ドイツからパリに空爆を行う際、パリへ達する目標としたのがベルサイユ宮殿の水壕。 これを知ったフランス軍は、十字型の壕を或る時は「ト」形に、或る時は「一文字」に変更することで、 爆撃機の進路を狂わせた。 更に手の込んだことに、フランス軍は、パリの偽都市を構築する予定だった。 これは、パリと同様の道路と鉄道を配置し、河川と河岸の造作を相似形にし、工場や駅の偽物として、 光を発するページェントに使う如き小屋を急造してそれを工場や駅とそっくりに似せ、溶鉱炉、 鋳物工場の火炎は、人工的に上記を噴出して赤、白、黄色などの電灯を照射してこれと似たような 光景を造出、鉄道については、明りの明滅で偽の信号灯と保安灯を造出し、列車については布を張って、 ネオン管などで動いているように見せかけると言うもので、敵機の空襲時には、パリは完全な灯火管制で 光も漏らさぬようにし、偽都市は、警戒管制をして、あたかも其処にパリがあるかのように擬装する、と言うもの。 もちろん、昼間は使えないが、夜間には十分効果がある、とされていた。 #right(){(しょうもない知識を披露するスレ11:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----

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