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#CONTENTS ---- **エルベ特別隊って何ですか? http://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/50.html#id_49bbd9f5 **バトル・オブ・ブリテンをBOBと表記するのは一般的なことですか? イレギュラーなんじゃないかな? 「バトル・オブ・ブリテン」というよりも「海峡上空の戦い」の方が本来は正しいらしいんだけど。 BOBという省略語はけっこう使われているようです。例えば英国の戦史系のサイトでも見られます。 例えば英空軍の公式サイトにもBOBという単語はざっと見た限りでは使われていません。 とはいえ、BOBとbattle of britainでサーチするとたくさんのサイトがヒットします。 上記サイトもbob名称使ってますし、俗語という感覚かも知れませんね。 #right(){(5:626-628)} **「提督の決断Ⅳ」をプレイ中、ドイツ第三帝国のジェット戦闘機『シュワルペ』の解説に、 >『比較的早期に開発されたがジェット爆撃機を急いだ為実戦に遅れた』 >とあったのですが、もしすぐに投入されたら空の戦局は変っていたでしょうか。 >またBoBにも勝利できたでしょうか。 戦局を左右しない。 当時のジェット戦闘機はいろいろと運用上困難な部分が多かった。 「バトル・オブ・ブリテン」の結果が変わればドイツの運命も変わった可能性はあるが、 Me262の投入が間に合ったとしてもたぶんダメだったと想像できる。 ジェットエンジンの燃料消費の多さによる航続距離の短さは 「BoB投入で戦局をひっくり返す」構想に対する最大の障害となるだろう。 #right(){(8:365)} **今まで1番航空機の参加機数が多かった空中戦ってなんですか?何機参加したんでしょうか? バトルオブブリテンの1日じゃないかなー。 #right(){(9:106)} **ドイツの初のジェット戦闘機の名前は? >あとそのエンジンはどこ製?BMW? メッサーシュミットMe-262 エンジンはユンカースJumo004(初期型はBMW003) #right(){(9:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)} **英の四発爆撃機であるランカスター・ハリファクスの損失数はどの程度なのだろうか 43年の損耗数は両機種合わせて1950機だそうです。 (他の年の分は見つけられず) 43年から44年3月頃のボマーコマンドの4発重爆年間損耗率は 100%超状態が続いていたので、あと一千機ぐらいは損耗しているでしょう。 (義務出撃回数を終了するクルーが殆どいない状態だったらしいですから) NF型モスキートの登場とカムフーバーラインの崩壊により、 ドイツの夜間防空体制は急速に崩壊してしまいますが… #right(){(18: 魚花 うるふ)} **冬戦争においてフィンランド空軍は多彩な戦闘機を使用したと聞きます。整備陣は大変じゃあなかったのでしょうか? 大変ではありましたが、それなりに高い技量を有していました。 例えば、MS406戦闘機と原型が同じエンジンを持つLaGG-3に着目して出来た、 MS406「ラグ・モラーヌ」「メルケ・モラーヌ」などはその典型です。 また、主力のB-339も戦争末期ですが、木製化に成功していますし(性能は兎も角)、 ミルスキ、ピヨレミルスキという戦闘機も国産化されています。 それに、雑多な機体と言っても運用は纏めていたので、他の基地に降りない限り、 問題なかったみたいですね。 更に、部品は国の至る所に落ちてます。(藁 I-15/16系列のエンジンはライトサイクロン系列、LaGGなどのクリモフはイスパノ スイザ系列ですから、ブリストルとフィアット以外は何とかなったようです。 #right(){(19:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **ヤーボって、何ですか? JagtBomber 戦闘爆撃機 #right(){(21:154)} ドイツ軍側が連合軍側の戦闘爆撃機をそのように称していたとのことです。 #連合国の将兵が「ヤーボ」と呼んでいた訳ではないようで。 #right(){(21:ちゃぎ)} ドイツ軍が戦闘攻撃機を指すヤクトボムバー(JagdBomber)の 略称ですので、特に米に限ったものではありません。 ドイツ軍のBf109も爆弾を搭載した場合自軍から「ヤーボ」と呼ばれています #right(){(33:711)} **ドイツには爆撃機に特攻する部隊がありましたっけ? 強襲飛行隊のことではないかと思います。 もちろん日本の特攻作戦とは性格が異なりますが。 Fw190に装甲を追加して、30ミリ機関砲で武装した機体で敵爆撃機を専門に攻撃する部隊です。 確か志願の時に、敵爆撃機に体当たりする覚悟で攻撃するという誓約をしてますね。 この場合の体当たりも衝突する直前に脱出するのが基本戦術です。 自分の記憶でも死を前提にした攻撃手段をドイツ軍が採用したことはないはずです。 #right(){(26:304)} **バトル・オブ・ブリテンは戦局を左右するほどの戦いだったのですか? >英独双方どれ位の損害を出したのでしょうか? 損害は、色々な数字があがってるんでよくわからんが 英軍902 独軍1598とかそんな感じ。 詳しくはRAFのサイトの日報のところで数えて、俺にも教えてくれ。 http://www.raf.mod.uk/bob1940/calendar.html とりあえず英国本土占領は諦めさせたしなぁ…。 #right(){(45:923)} **特攻作戦はドイツ軍にも行われ、B17に突っ込む神風アタックってあったと聞きましたが、マジですか? 1944年末にBf109の装甲、武装を撤去した機体を800機動員し、 米軍爆撃機400機を撃墜するという計画が立てられています。 パイロットは志願制、突入前に脱出するとは規定されてはいますが、一種の特攻計画です。 1945年3月にこのBf109の150機から成る「エルベ特別航空隊」が編成されましたが、 爆撃機8機喪失が戦果といわれています。 #right(){(51:71)} エルベの立て前は、体当たり直前にパラシュートで脱出するというものだったので 「自爆攻撃」というとちょっと違う #right(){(58:114)} 補足。それ以前にも一部の部隊では「弾薬が尽きたら敵機に体当たりします」 という誓約書を書かせることもあった。 ただし実際は体当たりの強制は無かったらしいってのはエルベ特別攻撃隊以前の話。 #right(){(51:73)} **ノルマンディー上陸作戦終了後数多くの「飛行船」が浮かんでいますが、あれは何を目的としたものでしょうか。 阻塞気球といいます。航空機からの攻撃を防ぐ目的で係留されます。1940年のバトルオブブリテンの際、 スツーカの急降下爆撃や戦闘機の低空からの機銃掃射を阻止するために、イギリスの港湾施設に係留 されたのが始まりでした。 #right(){(73:513)} 阻塞気球の初の実戦投入はWW1でロンドンやドイツでの初めての都市爆撃が始められた頃。 日本でも戦争中は東京湾沿岸に揚げていた。 #right(){(73:521)} 阻塞気球の他には米海軍によって対潜哨戒に用いられたりしています。 #right(){(78:名無し軍曹)} **ww2東部戦線での空戦高度.雲高を知ってる方教えて下さい。 東部戦線では空戦高度は3000m以下とされる これはソ連側主力戦闘機のエンジンの全開高度が3000m以下に設定されていたため 雲高はもちろん季節によって大きく違う 6月ごろは晴天続きで雲なんてどこ探してもない日が多い #right(){(85:69)} **ベルリンの高射砲塔の残骸は現在も残っているのでしょうか? 戦後に爆破されたようで完全な物は残っていないそうです。 #right(){(90:782)} ベルリンのものは今はありません。ウィーンの高射砲塔は現存しています。 #right(){(90:783)} **映画ピーターパン2でロンドンを爆撃した爆撃機は何ですか? ピーターパンは観た事は無いが、WWⅡにてロンドンを爆撃したなら、 ユンカースJu88と思われ。 #right(){(91:239)} **WW2ドイツの携帯用対空ロケット弾が完成していればどうなっていたか…。 携帯用対空ロケット弾は完成の域には達していたようです。 但し輸送網破壊で前線には届かずに終わりました。 #right(){(96:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第二次大戦中、一個師団を空爆で撃破しようと思ったら、どの程度の航空兵力が必要だったんでしょうか? >ノルマンディーでは重爆により装甲師団等が壊滅的打撃を受けたりしてる様ですけど、 >太平洋戦線ではあまりそういう話は聞かないのですが、そういう事例もあったんでしょうか? いずれもノルマンディでのお話ですが、 いわゆる「グッドウッド作戦」で第21装甲師団と第503重戦車大隊を主力とするドイツ軍部隊に対し 1944年7月18日に加えられた三次に渡る絨毯爆撃の総計は、米英軍合わせて ・爆撃機等発進数:2420機(うち攻撃機数:2207機) ・投弾爆弾量:7867トン 第503重戦車大隊が布陣していた地域では12平方キロに対し3890発の爆弾が投下されました。 また7月24日の米軍のサン・ロー突破作戦「コブラ」では装甲教導師団が展開していた 6キロ×2.5キロの地域に対して2000機の爆撃機が爆撃を行っています。 #right(){(96:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} コブラ作戦では、味方の地域に絨毯爆撃かましたそうな #right(){(96:945)} >それなら毎日その爆撃を続けたら、陸戦しなくても勝てたんじゃないかと思って。 それは無理。 空襲は365日24時間行えるものじゃないし、隠れたり分散されると効果が激減します。 まあこれは戦車部隊なんかにも言えることだけど。 こう例えていいでしょう。 空襲や戦車の攻撃は一枚の皿を割るに似たりってね。 皿を割るには高いところから落とすなり何かで叩けばいいでしょう。 でも、その割った後の破片を取り除くのは、叩くという手段ではできません。 掃除機で吸い取るなり手で取り除くなり。それが歩兵による陸戦という行為です。 #right(){(96:ゆうか ◆9a1boPv5wk)} **ブリュスター・バッファローとかフィアット・G50とか本国ではさっぱり活躍してない軍用機が >フィンランド空軍に行った途端に目覚しい活躍をしたのは何故なんでしょうか? 相手がスターリンの大粛正を受けた後のソビエト空軍のため、操縦者の技術や作戦行動内容など、 およそ経験や勘を必要とする技術を無くしてしまっていたためです。 #right(){(96:653)}  ここらへんの本を読んでみよう! 「第二次大戦のフィンランド空軍エース」 「フィンランド空軍戦闘機隊」 「北欧空戦史」 #right(){(96:ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E)} 俺は上記以外にも「流血の夏」も買いましたよ。 #right(){(96:661)} >その爆撃で、どの程度の損害を与えられたのでしょうか? >教導師団とか相当の被害を受けたと聞いたんですが、それなら毎日その爆撃を続けたら、陸戦しなくても勝てたんじゃないかと思って。 グッドウッド作戦に関しては、 三波に分かれた爆撃のうちの第一目標コロンベル~マンデヴェル間には第21装甲師団の 第192装甲擲弾兵連隊の第1・第2大隊と第16空軍野戦師団の残余が展開していましたが、 爆撃によりほぼ戦闘力を失いました。 また第二目標マンヌヴィル周辺には第22戦車連隊第Ⅱ大隊と第503重戦車大隊第3中隊・ 第125装甲擲弾兵連隊の第2大隊および第200突撃砲大隊の1個中隊が展開しており こちらもほぼ戦闘力を失っています。 (第503重戦車大隊第3中隊は装備戦車14両中稼動戦車1両…) ただ、第三目標だったカニー周辺の爆撃が不調に終わったため、第125装甲擲弾兵連隊の 第1大隊および第200突撃砲大隊の4個中隊・そして空軍の88mm高射砲部隊が無傷で残り これらの部隊によって英機甲師団は痛撃されることになります。 #right(){(97:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **二次大戦でドイツ空軍にエースが多いのは、パイロットが少ないため出撃のローテーションの間隔が短く、 >休息を十分与えることが出来ないまま連続して出撃することが多かったから…… >ということを聞きましたが、事実でしょうか? OKだよ! だから「エースが多い」=「負けている証拠」 #right(){(98:181)} 加えて、やや練度や機体の性能に難のあるソ連空軍機との戦闘が行われたこと。 大戦中期以降、物量戦が激化した時点で防空戦に転じており、撃墜されても味方の勢力圏に帰還しやすい。 (捕虜にならずに済む。)など。 #right(){(98:188)} **ドイツ軍はノルデン爆撃照準機についてどれくらいの知識を持っていたのでしょうか? ドイツ爆撃が始まったかなり初期の段階で撃墜したB-17のノルデン照準を 捕獲して調査しています。 #right(){(101:46)} **ドイツってなんであんなにエースパイロットが多いのでしょうか? 負けがこんでくると、腕のいいパイロットをヘヴィーローテーションで出撃させるからです。 勝ってるほうは余裕があるのでしっかり休ませます。 また、負けているので基本的に迎撃戦となり、撃墜されても自国の領土内なので捕まらずに復帰できるということもあります。 あとソ連機は全体的に性能が悪く、そこで稼いだというのもあるらしい。 #right(){(103:614)} いや、パイロットに休養を与える暇が無かっただけ。 #right(){(103:615)} **冬戦争時、フィンランド空軍は、ポンコツ戦闘機でソ連相手に大奮闘したと聞きました。 >これは本当の話なんでしょうか。 日本機に袋叩きにあった印象の強い、あのバッファローで大奮闘しました #right(){(104:199)} 各国からの寄せ集めの中古機で戦い、思いもよらぬ大戦果をあげたそうです 所変われば・・・の良い例 #right(){(104:200)} 本当です。 「北欧空戦記」(中山雅洋・朝日ソノラマ)という本を参照してください。 (絶版だけど) おっしゃるとおり、緒戦期にはフィンランドには航空工業は存在しないも同然でした。 そのため、オランダ・アメリカなどから輸入した機体、戦争相手のソ連から捕獲した機体などを使用しています。 戦争後半になると、これにドイツから輸入した機体、国産機(ミルスキ戦闘機シリーズ)なども加わっています。 #right(){(104:201)} 日本を除く世界中の戦闘機を購入し、数で勝るソ連軍相手に大戦果を挙げています #right(){(104:203)} **ドイツ空軍のエースってずば抜けた撃墜数ですけど本当なんでしょうか? 自国内で戦う機会が多かったので撃墜されても復帰しやすかった。 連合国ほど休暇を取れず出撃頻度が高い。 大粛正後、練度が未回復のソビエト空軍とも戦っていたので戦果を上げやすい戦線があった。 などが定説。 ただし、やはり虚言と言うか疑わしい人もいる様だ。 #right(){(107:915)} **JG54の映像を見て思ったんですが、空戦時に敵機を攻撃し、撃破した後飛び散る残骸とかに突っ込んだりしないものなんでしょうか? 撃墜した敵機の破片に当たって、巻き添え墜落も記録にあります。 #right(){(110:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)} **戦爆=ヤーボって憶えていたのですが、あれは戦闘攻撃機とするのが正しいのですか? ヤーボはヤクトボンベルの略語なので 戦闘爆撃機でよろしい。 #right(){(112:610)} **ドイツ空軍のMe262に連合軍のレシプロ機はまともに戦えたのでしょうか。 離着陸の間際を狙う。数で押す。エンジントラブル、燃料切れを待つ。 格闘戦に引きずり込む。 >Me-262をよく落としたレシプロ機はなんでしょう。 特にコレが、というものは無い。P-51でもP-47でも 対ジェット戦でさほど差があるとは思えない。 #right(){(118:83)} >P-51が機体数以外でMe-262に優るところはあるんでしょうか? 旋回能力や加速性などです。 Me-262はエンジンに難がありあまり急激な動作ができませんでした。 #right(){(118:85)} 光人社NF文庫「ジェット戦闘機Me262―ドイツ空軍最後の輝き」 あたりを読んでみては? この価格帯の入門書としてはおそらく最上級の出来。 #right(){(118:88)} **バトル・オブ・ブリテンで、降下する前に胸に黄色(オレンジかも)の物を首から吊り下げているのは何? メイ・ウェスト(救命胴衣)の事かな。 #right(){(118:470)} 毒ガス検知板(毒ガスの成分に触れると色が変わる)じゃないかと思う #right(){(118:489)} **同じ戦略爆撃を受けた東京では建物自体跡形もなくなって更地になってるのに対して >ベルリンではボロボロになってはいるが建物がちゃんと残ってるのは建物の建材の違いによるもの? 日本の家は木と紙で出来てるから……。 #right(){(119:179)} 両方だな。早乙女勝元の本でも読みなさい。 #right(){(119:181)} 鉄筋コンクリの建物が核兵器に強いことはビルは破壊されずに残ってることからも明らか。 ただ、厚い鉄筋コンクリ壁に、爆風や熱線が室内に被害を及ぼすのを防ぐ為に 窓を小さくしたりすると、空調の完備されてないのが当たり前の 戦前日本じゃ夏が辛くてどうしようもなかったと思う。 #right(){(119:191)} **大戦中のパイロットの育成に関し、アメリカは環境・設備がよかったのに対して、日本は環境が悪く航空戦力の弱体化に拍車をかけたとか言われますが、ドイツの場合はどうだったんでしょうか? ドイツの場合は、1942年まではDenmarkを基地に、滅多に空襲のない状態で、 十分な訓練が行えましたが、連合軍のItaly上陸後は、満足な訓練が行えず、 急速に戦死者が増え、実戦部隊は定員割れを起こしたため、訓練未了な状況 で実戦部隊に送り出さざるを得ず、1945年には飛行時間150時間で送り出す有様。 なので、新規補充隊員は、出動10回に耐える者は殆ど無かったりします。 #right(){(254:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第二次大戦中の戦闘機や爆撃機などで空中で脱出する場合は,自分で機から飛び降りていたのでしょうか?それとも今のように座席が飛んで脱出していたんでしょうか?  基本的に自力で脱出する.  大戦機で射出座席を装備したのはドイツの夜間戦闘機He219ウーフーなど少数.  大型の爆撃機ならスカイダイビングみたいに機乗口から飛び降りればいいだけの話.  伝説的な駄作機のポールトン=ボール・デファイアントなんかは,後部銃座の射手は背面飛行状態で銃座の天井をはずさないと脱出できない構造だったりしたが.  戦闘機のようなものは,背面飛行のような形にもっていったりして,自分で操縦席から飛び降りていた.  しかしその際には尾翼に当たる危険があって,ドイツ空軍の撃墜王マルセイユ大尉なんかもそれで落命してる.  また,きりもみ状態だと,見当識の喪失や,回転によって生じるGにより,脱出できない状態になることもしばしばだった.  さらには衣服がコックピット内の部品にひっかかったり,パラシュートを早く開きすぎて機体にからまりもろともに墜落なんてこともあった.  こういう問題を解消して安全に脱出するため,エジェクションシートが開発された. (軍事板) **メッサーシュミットのMeとBfの違いはなんでしょうか? どちらが一般的なんですか?  元々,バイエルン航空機製造会社という社名だったのを,メッサーシュミット社に改称した際,機体符号もBfからMeに変更された.  ただし,すでに空軍に正式採用された機体については,改名の手続きはとられなかったので, Bf110以前の機体は,機体符号はBfのまま.  現場では,メッサーシュミット社の機体はすべてMe××と呼ぶことが多かった. **アウトバーン建設の目的は,天候に左右されず高速に物資を輸送する為と,滑走路としても使用する為ではなかったの?  アウトバーン建設の目的はフォルクスワーゲン開発とセットで ・景気対策.年金基金の運用等で公共事業を行う. ・将来的なモータリゼーション誘発 を狙っている.  フォルクスワーゲンについては平均的な労働者にも購入可能なように,始めから90マルクで販売可能な自動車を開発させておいて,9マルク×11回のローンで販売することで自動車普及率を上げることが目的.  先に販売価格を設定しており,技術的にはどうと言うことのない製品だが,利益を軍用車調達に使う意図もあり,国防も意識した政策だった.  そもそもアウトバーンは日本語に翻訳すればそのまんま「自動車専用道路」という意味合いになります.  大戦中に爆撃を避けるため,道路脇の森やトンネルに飛行機を隠し,そのまま道路を滑走路として使用したというだけで,始めから飛行場とする意図があった訳ではありません.  ヒットラーによるアウトバーンの建設着手は1933年.(計画はワイマール政権期から)  ところが再軍備宣言に続く空軍再編制は1935年2月に発令されています.  再建を目的とする活動自体はその前からありますが,それを進めていた人々が,国策の道路事業に対して発言権を有していたという証拠はありません. (軍事板) **ドイツの防空部隊の呼称や編成はどうだったのでしょうか?  88mm以上の重高射砲隊は,4~5門から編成される中隊が基本です.  1939年には650個中隊で,44年には2,655個中隊が編成されています.  20,37,50mmと言った中,軽高射砲隊は,12~15門から編成される中隊が基本になります.  1939年には560個中隊で,44年には1,612個中隊.  そして,150cm~200cmのサーチライトを装備した照空隊があり,これはサーチライトを16灯装備し,これで1個中隊を編成していました.  1939年には188個中隊,44年には470個中隊に増えています. (眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板) **128mm高射砲弾と,88mm高射砲弾では,いかほどの威力の差があるのでしょうか?破片の数などによる比較でもかまいません.  88mmでは,Flak18/36/37の場合は,9.24kgのHE弾で射高8,000mで初速820~840m/sec.  同口径のFlak41の場合は,初速が1,000m/secに向上し,射高10,000mになります.  128mmの場合は,Flak40では26kgのHE弾を初速880m/sec,最大射高14,800mに達し,Flak43では28kgのHE弾を初速940m/secで発射する予定でした.  ちなみに,一ヶ月の総消費量では,128mm砲弾が102,450発に対し,88mm砲弾は3,175,400発に達しています. (眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板) **WW2の航空機で潜水中の潜水艦を攻撃出来たんでしょうか?  潜望鏡深度くらいまでだと,ロケット弾攻撃で外殻に穴を空け沈める事が可能です.  それより深いと,探知が困難になります.  日本の「東海」はこの点でけっこう先進的で,潜航中の潜水艦を磁気探知機で精密測定し(逆に言えば探知範囲が狭い)爆雷攻撃を行う事が可能でした. (少なくとも「丸」なんかの手記だと上手く沈めたように書いていた)  しかし当時においては,潜水艦は所詮可潜艦で,昼間天候がよくて潜航深度が比較的浅い場合,空からでも水中を航行する艦影を確認することができました.  そこでASWとしては,浮上航行中やシュノーケル航行中をレーダーで探知し攻撃するのが主流でした.  Uボートなんかでは水上航行中に敵機を発見,あわてて潜航したけど上記のような形で位置がモロバレになり爆雷攻撃で撃沈された艦もけっこう多かったようです.  この点で日本は,米英に大きく能力で劣っていました. (軍事板) **ドイツに対する主要な無差別爆撃を教えて下さい. 1942年2月14日に英空軍司令部が、爆撃機部隊に対し、「照準目標は都心」 という指令を出し、これに基づき各地を無差別爆撃しています。 1942年5月、ケルンに対する1,000機空襲、6月、ブレーメンに対する大空襲、 以下、英国側の資料では、500t以上の被弾都市17。 1943年11月~1944年2月、ベルリンに対する英国の空爆実施。 1943年7月下旬、6日間に渡るハンブルグ大爆撃。 8月末までの投弾量は、ハンブルグ11,000t、エッセン9,000t、ニュルンベルグ 5,000t、ベルリン20,000t。 1944年1月27日、ベルリン大空襲により最大の犠牲者を出す。 7月にシュツットガルト3夜連続爆撃、ミュンヘンも3夜連続爆撃、この頃2日に 1回の割合で大空襲あり。 3月6日、米国第8空軍により大戦中最大のベルリン空襲実施、死者3000名。 1945年2月13日、ドレスデン爆撃によって市街壊滅。 ドレスデンのこの空襲による破壊率は、ドイツの都市中、実は20位以下だったりする。 死者の数も、40万人という数字が挙げられてはいるが、警察の報告では、1945年3月31日までに22,096名が 埋葬されています。 また、戦後、1946年の市当局による調査委員会報告では、大戦終結までに、32,000名の埋葬が報告されて います。 従って、実際の死者数は35,000名程度とされています。 #right(){(229:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツの空爆で連合国はどれぐらいの被害を出したんでしょう? >ロンドンで1万人死んだとか? ロンドン爆撃で、一回で死者数1万人は可能性としてあり得ないと思います。 例えば、ロッテルダム空爆の場合、死者数万と喧伝されましたが、実際は約1,000名です。 最初のワルシャワ空爆で、やっと、死者10,000~15,000です。 その後の消耗を考えれば、それだけの機材を揃えるのも大変です。 ちなみに、コベントリー大爆撃でも、死者568名です。 #right(){(229:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2時の日本のベテランパイロットが乗った雷撃機などは,「プロペラで海面を叩く」「海の匍匐前進」「舷側の下を飛んでいた」とよく言われたり,聞いたりしますが具体的には海面から何メートルの高さを飛んでいたんですか?  米軍のTBMなら,大体高度30m程度で魚雷を投下しています.  最大で240mくらい.  英軍のSwordfishの場合は,30mよりもう少し低く飛んでいたか,と記憶していますが,数字が出てきません. (眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板)  海面上十数メートルですでに並大抵のレベルじゃない.  日本の超ベテランだと3~5メートルという,もはや神業としか思えない領域にいる.  ちなみに3~5メートルってのは,ちょっと海が荒れてるともろに波をかぶって墜落するレベルです.  実際に訓練をされた方の体験談をどうぞ. http://www.warbirds.jp/senri/05hiyakuri/hiyakuri1.html (軍事板) **WW2の航空機の国籍マークについて >1 ドイツ空軍機の垂直尾翼の「カギ十字」は、「ナチス党の飛行機」という意味? >2 ドイツ空軍機の、胴体主翼のマーク(コメカミの青筋の形)の元となったものは? >3 イギリス空軍の国籍マークの元はユニオンジャック? 1.当時は赤字に白丸、中にハーケンクロイツが正式なドイツ国旗 2.バルケンクロイツはドイツ騎士団の紋章が起源 3.ラウンデルのデザインは軍などの帽章が元で、国旗の色を使用するのが慣わし  よって色はイギリス国旗のユニオンジャックと同じ、色の並びはフランスのものと  区別する為その逆順とされた、航空機用ラウンデルはWW1のフランス発祥 #right(){(523:204)} **WW2においては敵機を目視しただけでエース搭乗機だとわかるようなことはあったのでしょうか? >リディア・リトヴィク関係の話だとドイツ軍が百合のペイントを薔薇と見間違えたといった話もありますが、 >旋回戦の最中や急降下爆撃をされているさなかに、敵機のマーキングなんて気にするものなんですかね? 撃墜マークが尾翼一杯に描かれていれば目立つし 敵エースの情報はパイロット同士で共有してることもあるから 特徴的なペイントを目印に敵エースを狙うことはある ドイツだと、ハルトマンが、機首に黒いチューリップを書いて有名だし、 パーソナルマークだけでなく撃墜数を機体に書いてたパイロットが多かったから、 撃墜マーク自体が、エースの搭乗機と判ったようではある。 Hartmannは、出撃しては直ぐに命を失う新米パイロットの為に 黒いチューリップのトレードマークを描くことを勧めていたりする #right(){(523:290-305)} ドッグファイトが主体だった頃は、空戦能力の高いエースが敵機を引き付ける事で、僚機の行動を自由にする目的もありました なので「共同撃墜スコア」と言うものがあったのです #right(){(523:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)} **B17はなぜ高高度で侵攻しなかったんですか? >B17の実用上昇限度はF、Gとも1万mを超えています。でも、対独爆撃では5000mから7000mで侵攻していました >迎撃側のドイツのレシプロ戦闘機は高度が7000mを超すと急激に性能が落ちることが知られています >ここから考えると、B17が侵攻高度を上げれば、あんなに大きな被害を出さずにすんだと思うのですが、 B-17にはB-29みたいな機内の与圧装置無いんですよ。 しかも胴体側面の銃座は吹きさらし。 高度1万で酸素マスクと電熱服だけでは乗員がとてもまともに動くことが出来ませんって。 カタログデータと実際は違うってことです #right(){(524:804:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **B-24はB-17に比べて防衛力や安定性が劣っていたようですが、何故欧州戦線ではB-17に匹敵する数が運用されたのでしょうか? で、B-24の方が多用されたのは、速度、航続距離、爆弾搭載量でB-17を上回ったから。 あと、B-17のほうも主力になるF型やG型が登場するのはB-24が実用化されるのと同時期の 42年になってからで、それ以前は防御力や安定性でもB-17>B-24と言い切れなかったり。 まぁ、その後の対独戦略爆撃でB-24に対する現場の評価がイマイチなのは確かだけど。 #right(){(526:908)} **イギリス・フランス・イタリアは第2次大戦で急降下爆撃機としてどんなものを使用したのですか イギリスは持ってない フランスは試作機があったけど、実用化の前にドイツに降伏 イタリアはあまりパッとしないのを作っては見たが、結局ものにならず、後にドイツからJu87を輸入して使った 実は急降下爆撃機の試作自体はドイツよりもフランスのほうが早かったりする。 その後空母に搭載する予定でLoire-Nieuport LN401という艦上爆撃機(急降下爆撃機)を作っているが、 肝心の空母ベアルンが完成する前にフランス戦が始まってしまった。 そこでL地上基地に配置されて攻撃に投入されているが対空砲火で大損害を出して壊滅状態になっている。 改良型のLN42は試作中だったが、作っている最中にフランスが負けてしまったので戦後まで納屋に隠されていた。 #right(){(345:464,482)} **バトルオブブリテンでなぜドイツはイギリス軍港を襲わなかったんですか? >空母、戦艦沈めようとか思わなかったんでしょうか? イギリス側もそれを警戒して警戒厳重にしているから。 警戒厳重なところに飛び込んだら無駄死にするだけ 大戦中に英本国艦隊はスコットランドのさらに北のオークニー諸島にあるスカパ・フロー泊地に根拠地を置いていた。 ドイツの爆撃機では到達が困難だが、39年10月14日に潜水艦U-47が潜入して戦艦ロイヤル・オークを撃沈してるし、 その数日後に爆撃も行われてる。 #right(){(588:93,95)} **バトルオブブリテンは、ヒトラーが「爆撃目標をロンドンに」とかの口出しをしなければ上手くいったんでしょうか? >緒戦で航空基地を叩き、その後に工業地帯を叩けば、講和にまで持ち込めたんでしょうか?  バトル・オブ・ブリテンは、ドイツが英国本土上陸作戦(あしか作戦)の実施に向けて、 英仏海峡の航空優勢を確保するために、英空軍を弱体化させようとして起こった航空戦です。 すなわち、当初は、イギリス空軍の航空基地を中心に叩きまくったわけです。 ところが、イギリス空軍は粘るし、ドイツの戦闘機隊の航続力が足りず、護衛が不足しているために、爆撃も功を奏さない。 挙げ句に怒り狂ったヒトラーが、イギリス国民の士気を挫こうとロンドンを始めとする大都市への爆撃に目標を切り替えたために、当初の海峡上空の制空権確保と言う戦略目標の達成は不可能になってしまったものです。 つまり、ドイツ側としては、講和に持ち込むという発想で戦いを始めたわけではありません。 仮に9月中旬までに、ドイツ側が十分に航空優勢を確保した…と判断すれば、英国本土上陸作戦が発動し、 英国本土が戦場になっていた可能性があるというわけです。 空軍基地の次の目標は工業地帯よりもポーツマスなどの海軍基地が目標になります。 空海軍の施設を叩き終えたら、英本土上陸作戦を実施するのが、一応のタイムスケジュールでしたが。 ヒトラーとしては英空軍を壊滅させたらチャーチルの首相辞任そして次期内閣との間に有利な条件な講和を考えていた。 元来ヒトラーは英国とはお互いに条件が折り合えば手を組めると夢想していた。 #right(){(594:632,633)} **西部電撃戦においてドイツ軍が採用したグライダーによる降下工兵隊の攻撃は空挺作戦なんでしょうか? グライダーによる強行着陸も「空挺作戦」の範疇に入ります。 第2次世界大戦に行われた空挺作戦のうち、純粋に落下傘降下だけで 行われた空挺作戦はごく少数で、ほとんどの作戦では落下傘降下と グライダーによる強襲が併用されました。 ”空挺部隊”として編成された部隊は、落下傘部隊とグライダーにより 強行着陸後に降機して戦う”グライダー歩兵”の2つで構成されるのが 普通でした。 ノルマンディ上陸に先立つ降下作戦でも「マーケット・ガーデン」作戦でも、 ”空挺部隊”として参加した兵員の半数はグライダーによって降下しています。 #right(){(329:229)} **ノルマンディー上陸作戦時当日には、連合軍を攻撃したドイツ空軍機はたった2機だけと聞きましたが、本当でしょうか? ヨーゼフ・プリラーで検索するべし。 ドイツ軍上層部は「悪天候のため上陸作戦も延期されるだろう」という 楽天的観測をしていた上に、数日前からドイツ本土への爆撃が激しく なっていた(勿論、陽動作戦)のでフランス方面の空軍部隊は本土へ 移動させられていた。 それから、どこであれフランスの英方面海岸に連合軍が上陸してくる ことは予想されていたので、先制攻撃で壊滅させられることを恐れた、 というのもある。 #right(){(329:622)} **ソ連軍はクールラントポケットに対して6度の大規模な攻勢を行っていて、これによって地上兵力は言わずもがな航空機も650機程度失っています。この数字を見る限りドイツ側に戦闘機部隊があったのでは? クールラント方面には第1航空艦隊が取り残されており、後にクールラント地区航空部隊となりました。 1945年4月の時点でその方面に残されていた昼間戦闘機部隊はJG54の2個飛行隊(Ⅰ/JG54、Ⅱ/JG54)です。 Fw190それぞれ38機と41機が保有機数で、この他に本部小隊に5機が残されていました。 JG54からは267機撃墜のオットー・キッテル中尉(1945年2月14日戦死)のようなスーパーエースも誕生しています。 #right(){(607:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **イタリア空軍はどうだったんですか? WW2におけるイタリア空軍については イタリアのエンツォ・アンジェルッチの著作に概略が載っている。 この本によれば戦争の現実はイタリアにとって非常に厳しいものであり、イタリア空軍 は「多くの点で過去の幻想の中に生きていた」といえるとのこと。以下要点だけ引用する。 開戦時のイタリア空軍は数だけは十分な航空機を持っていたが、そのうち半数以上は 実戦に参加できるような状態になく、さらにそれら航空機の軍事的性能はみかけより 遥かに劣っており、特に爆撃機は「時代遅れの整備計画」と「計画性の欠如」のため、 開戦時前線にあったものはいずれも戦闘に使えるような代物ではなく、戦争の間に 爆撃機は一度も近代化されることがなかった。 航空先進国だったイタリアがこのような状況になった根本的理由として、『第二次世界 大戦のイタリアの航空』の著者サントロ将軍は、「20年間に亘り戦略思想が改められ なかった」ことにあるとしている。 そのような見通しの誤りは最初の戦闘で明らかになった。それは1940年の 最後の2ヶ月間におけるベルギーでの体験であり、当時の最も激烈な航空戦にイタリア 空軍が参加できたのは、「それが最初であり、しかもこの時ただ1回だけであった」 イタリア空軍機は戦闘に適さないという現実を見せ付けられ、 成功した点があるとすれば、それは「乗員の技量と能力によるものだけである」。 #right(){(622:817)} **WW2のイタリアに撃墜王っているの? WW2だと、テレシオ・マルチノーリ(22機)、フランコ・ルッキーニ(21機)、 レオナルド・フェルーリ(20機)あたりでしょうか。 オスプレイから「第二次世界大戦のイタリア空軍エース」という本があるので一読されては。 #right(){(310:丼炒飯 ◆HY/YgdSbHM)} **イギリスは爆撃機の防御(機関銃の口径と数)が弱かったので、夜間爆撃にした? >アメリカは撃機の防御(機関銃の口径と数)が強かったので、昼間爆撃にした? 機関銃が多いからというよりドクトリンの問題。 英空軍はBOBの教訓から 爆撃任務には戦闘機の護衛が必須で 護衛がつけられない場合は夜間攻撃を行なうという原則ができた。 アメリカは35年に行なった爆撃訓練の結果、 高性能な爆撃機は戦闘機にほとんど迎撃されないという結論を導き それに異を唱えたシェンノートは異端扱いされ、護衛戦闘機軽視論が主流になる。 それが整備計画や養成、戦術に影響を与え シュバインフルト爆撃で責任問題となり改善されるまで 護衛なしでも昼間爆撃を頻繁に行ない 著しい損害を被り続ける要因となった。 イギリス空軍が、夜間爆撃に転じた理由を参照ください。 http://stanza-citta.com/bun/2008/09/11/143 また出撃ソーテー数ですが、1944年8月に一部昼間爆撃が上回ってる。 http://stanza-citta.com/bun/2008/10/06/176 #right(){(635:339,451)} **ドレスデン爆撃の目的は何だったのですか? 大きく分けて2説があります。最初の説は爆撃を正当化するもの、後者は犯罪とするものです。 1. ドレスデンは交通要地であり、ドイツ軍の再編、出撃拠点として使用されるおそれがあった。  主要鉄道、道路があり、軍事産業に関わる100以上の工場が存在した。これらを破壊し、  ドイツ軍の拠点として使用できないようにすることは、戦略的に重要であった。 2. 爆撃においては郊外の軍事工場はあまり標的とされていなかった。爆撃はサクソン州の  古都という、ドイツの文化的象徴を破壊し、多数の市民を殺害することで戦意を喪失させる目的で  行われており、最初から非戦闘員への危害と文化施設の破壊を意図したものであった。 #right(){(654:379)} **ソ連のパイロットは質が低かったの? 航空機パイロットになるには数学と物理学は必修だが、大戦中のソ連の場合、パイロット候補生に 「鋭角・直角・鈍角の違いを述べよ」と質問したところ、教室内で答えることのできる者がいなかった。 ソースは大日本絵画・独ソ戦車戦シリーズ「クルスク航空戦(上)」 #right(){(656:685)} **軍事施設やレーダーサイト攻撃をつづけていれば、ドイツ空軍は英空軍を駆逐できてたという話がありますが >最初は軍事施設だけを狙ってたが、英軍がベルリン空襲したので怒ったヒットラーが無差別都市爆撃開始に踏み切ったとか 英空軍を駆逐どころか、爆撃隊の損害が大きすぎたので、夜間地域爆撃に転換せざるを得なかっただけ。 ドイツ空軍は1940年7月から7週間の作戦で1000機近い爆撃機に損害を受け、搭乗員の死傷率は69%に上った。 これでは、昼間精密爆撃の継続は無理。 あと、ドイツに英本土上陸を断念させたのは、英空軍ボマーコマンドの手柄でもある。 BOBと並行して、英空軍は大西洋沿岸に集結中のドイツ船舶・舟艇に集中的な爆撃を加え大損害を与え、 結果、当初9月に実地予定のあしか作戦を、天候が不順となる10月以降に延期させ、中止に追い込んだ。 これは、もっと評価されてよい。 あと、1939年にはゲーリングは42年までに重爆800機、中爆2400機を中核とする戦略爆撃機部隊を整備する 計画を持っていたが、開戦でオシャカになった。 #right(){(何でドイツは戦略爆撃しなかったのか:71-72)} **ルーデルの撃破数が異常なのには何か理由が有るの? メインで活躍したのが、あり得ないほどの物量で押してくるソ連相手の東部戦線だったから …というのは理由にはなるが、それでも異常。 「ルーデルだから」としか言いようがない。 撃墜撃破数が高いドイツ兵がいるのはソ連のあんまり訓練されてないのと戦ってたから。 あとドイツ側は人数が少ないので必然的に一人当たりの戦果が増えるってのが ある。出撃ローテーションの間隔が狭くなるので出撃回数が多く、相手がいっぱい いるので的にも困らない。 強いて言えば何度も撃墜されながら生還してることだな。 最後までたってた者が勝者だ #right(){(292:475-507)} **大戦時の戦闘機とかって空母とか地上と通信による綿密な連絡をとっていたんでしょうか。 WWⅡ当時で地対空、艦対空の無線交信が自在に可能で、それを実行していたのは 英米軍ぐらいのもの 日本は技術的に困難でしたし、ソ連は政治的理由でほとんどの戦闘機に無線機を 積んでいませんし、フランスやイタリアに至っては空地共同作戦という概念が 確立していたかどうかすら怪しい ドイツは戦記を読む限り、空軍と海軍の連携は限りなくゼロで、空地間でも前線 統制将校など影も形もありません(制度としてはあったらしいけど #right(){(111:41)} 「東部戦線の独空軍」(朝日ソノラマ文庫)を読むと まさにその近接航空支援や航空阻止の問題も扱われています。 航空団によっては積極的に対地支援を行い、問題解決に努力し 成果をあげたと評価されています。  本全体は独逸における空軍独自の戦略、戦略爆撃の思想と実践を 追った話ですが。 #right(){(111:76)} **WW2での独本土初空襲はいつの出来事だったんですか? 1939年9月3日から4日の夜間。 ホイットレー爆撃機6機がハンブルグ、ブレーメン、ルール地方に侵入。 600万枚の宣伝ビラ6tをばらまく。 1939年9月4日の昼間。 ウェリントン爆撃機14機がブルンスビュッテル湾のドイツ艦船を攻撃。 ブレニム爆撃機10機がヴィルヘルムス・ハーフェン内のドイツ艦船を爆撃。 くらいですかね。 後、フランスも9月3日からビラ散布を、ポーランドは9月5日に都市爆撃を行っています。 #right(){(260:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **英空軍はアメリカの供与でB-17を装備してたと聞きましたが本当でしょうか? 本当です。 1941年当時のイギリス空軍爆撃航空団ではスターリングやハリファックスといった 四発爆撃機がまだ充実していなかったため、配備機が増加するまでのつなぎとして 41年4月にアメリカからB-17を20機購入しています。 これらは第90爆撃機中隊として編成されました。 しかし、購入した機体は初期生産型のC型であり、機体設計もまだ洗練されておらず 武装も貧弱なものでした。 何よりもこれらの機体には、最新のノルデン爆撃照準機が装備されていませんでした。 編成が完了した第90爆撃機中隊は41年7月には最初の昼間爆撃に出撃しました。 しかし、二ヵ月後には爆撃機として不備が多すぎるということで、実戦配備から 外されてしまいました。 その理由は、武装が貧弱であることやターボ過給器に不具合が多く出たこと、 そして爆撃精度があまり良くない等でした。 言うまでも無くこれらの欠点は、米第8空軍が使用したF型やG型ではすべて改良されています。 #right(){(244:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} 蛇足。 1941年にB-17Cが20機引き渡されて、Fortress Mk.Iとなり、第90スコードロンに配備されました。 初陣は、1941年7月8日のWillhelmshavenの軍港偵察で、この時は高々度偵察を行いました。 爆撃機としては、1941年9月からEmden、Kiel、Brest、Willhelmshavenと言った軍港爆撃に使用されましたが、 ノルデン爆撃照準器の扱いになれていなかったので、全弾外すという不名誉な記録を出してたりします。 そうこうしているうちに、尾部銃座が無いことがウィークポイントであることが知られ、4機が11月にエジプトに 送られ、Benghaziの爆撃に用いられました。 1942年1月から残存機はCoarstal Commandの第220スコードロンに送られ、大西洋を飛行する哨戒機となり、7月まで 使用されています。 次いで、1942年半ばからB-17E/F/Gがそれぞれ供給され始め、それぞれMk.II、Mk.IIA、Mk.IIIとして用いられ、200機が 引き渡されました。 こちらも、同じくCoarstal Commandの第59、206、220、251、519、521の各スコードロンに配備され、大西洋の哨戒飛行と 気象観測に用いられました。 また、一部の機体は爆撃機軍団の第214、223スコードロンに配備され、ドイツのレーダー妨害に用いられています。 #right(){(244:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第二次大戦で連合軍機が焼夷カードをバラ撒いたそうですが、これはどの程度の効果があったのですか? セルロイドとゴムの様なもので作られた、5cmと10cmの大きさ、厚さ1mmくらいのカードで、 英国が発明し、最初はGermany戦線で使われました。 落ちると自然に破裂して、15秒~10分燃える様になっています。 発火する際には音もしないので、ばらまかれた当初は、拾って火傷した人もおり、湿気のある 所では中々発火せず、忘れた頃に発火すると言う厄介なものでした。 また小型機でも5~10万枚も搭載できるので、結構な数が使われた様です。 戦後は、英国がこれを作らなくなったので、利用はされなくなった様ですね。 #right(){(237:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **欧州にB-29が配備されていたらドイツはどれだけ迎撃できたでしょうか? 欧州戦線にB-29が配備されたと仮定した場合、その用い方は昼間爆撃になるものと考えられ ますが、確かにある程度撃墜できますが、効率としては余り変わりありません。 日本と違い、ドイツの場合、昼間戦闘機隊の防空は、外郭防空と本国防空に分けられます。 但し、外郭防空線(ドイツの外側国境線からオランダ、ベルギーを経てブレストに向かう線)の 1000kmに配備されている戦闘機は単座戦闘機3個連隊、複座戦闘機1個連隊で、合計640機 だけ、これが、沿岸航行船舶護衛任務にも機体を割いたので、更に防空戦闘に投入出来る機 体は減ります。 此処で、爆撃機は戦闘機の迎撃を受けますが、この時、ドイツ側は空対空ロケット弾攻撃を行い ます。 一方の連合国側は此処まで護衛戦闘機を付けることが出来ますので、これの撃墜を目指します。 突破を図ったドイツ側は緊密な編隊を組む敵爆撃機にロケット弾攻撃を行った後、分解した編隊に 対し、30mm砲による攻撃を行うことになります。 外郭防衛線は、1941年までは機能しますが、42~43年になると劣勢になり、44年後期には崩壊します。 本国防衛線についても、戦闘機42個中隊を配備する予定でしたが、Hitlerの同意を得られず、不十分 なまま本格空襲を受けることになります(つまり、空襲が本格化しても外郭の限られた兵力だけを用いて いた)。 ちなみに、戦闘機一個連隊当たりの年間戦死者と定員数の比率を見てみると、1942年以前は40~50%で、 1年を通じてもある程度の操縦士が生き残っていたのに対し、1943年には100%近くに達し、1年でほぼ顔ぶ れが入れ替わる状況、1944年になると、250%、場合によっては300%に達しています。 新規補充員は、年間150時間に満たない飛行時間で、出動10回までに消えました。 高射砲では、B-17やB-24でも苦労しています。 88mm以上の重高射砲は、1943年に本国に1,234個中隊(1個中隊の砲台式の場合は 12~24門で編成)、1944年に1,508個中隊編成されていますが、数百機侵入の場合の 撃墜率は最良の場合は、5~6%、平均で2~3%です。 砲弾の消費量は、1機撃墜当たり平均2,500発で、88mmの場合は、1ヶ月317万発に なっています。 #right(){(224:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツのUボートブンガーは連合軍の度重なる空襲にも破壊されなかったようですが、V-1、V-2の発射基地としようとした巨大ブンガーがあっさり破壊されたのは何故なんですか? 連合軍がV-1、V-2のミサイル発射施設の破壊を優先課題として、 多数の爆撃機を割いて攻撃を集中したからです。 連合軍は1943年の夏にはレジスタンスなどの情報からミサイル発射施設の所在を ほぼ把握しており、そのための活動には『クロスボー』と言うコード名がつけられました。 1943年8月から始まったこれらの施設に対する爆撃は『クロスボー爆撃作戦』と 名づけられ、以後一年間に連合軍がこの作戦に当てた爆撃機兵力は 重爆撃機の延べ出撃数の14パーセント、中型爆撃機の40パーセントに上り、 投弾量は実に12万2千トンに達しています。 これらの爆撃には英空軍の『トールボーイ』大型爆弾やB-17を改造した無人遠隔操作爆弾 『アフロディーテ』も使用されました。 #right(){(206:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **フランス空軍の戦果はどの程度のものだったのでしょう? >フランス側の主張している戦果は過剰なそうですけど。 >発注しても休戦までに届かなかった分はイギリスが使ったんですっけ。 一応仏空軍全体では、1940年5月10日~31日までに350機の独軍機を撃墜、145機が 未確認ながら撃墜とされていますね。 Hawk81AはTomahawkMk.Iとして、G-36はMartlet Mk.Iに、Hawk75AはMohawkMk.IVに、 DB-7はBoston/Havocとして、SBCはClevelandとして引き渡されています。 尤も、Clevelandは余りにも旧式なため、殆どはマルチティニーク島で朽ち果て、英国は 5機を貰って整備士養成用の地上教材にしています。 #right(){(フランス航空史:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツにはどれぐらい高射砲があったの? 1939年と1945年に於ける、ドイツ高射砲の砲門数。 重高射砲(88mm/105mm/128mm):約2,600門 → 12,269門 中、軽高射砲(20mm/37mm/50mm):約6,700基 → 19,370基 探照灯(150cm/200cm):約3,000基 敗戦時の高射砲部隊人員数は将校以下821,300名。 ちなみに、アジアの東の果てのとある国に於ける、太平洋戦争勃発時の高射砲。 陸軍:500門、海軍:200門。 #right(){(しょうもない知識を披露するスレ8:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----
#CONTENTS ---- **エルベ特別隊って何ですか? http://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/50.html#id_49bbd9f5 **バトル・オブ・ブリテンをBOBと表記するのは一般的なことですか? イレギュラーなんじゃないかな? 「バトル・オブ・ブリテン」というよりも「海峡上空の戦い」の方が本来は正しいらしいんだけど。 BOBという省略語はけっこう使われているようです。例えば英国の戦史系のサイトでも見られます。 例えば英空軍の公式サイトにもBOBという単語はざっと見た限りでは使われていません。 とはいえ、BOBとbattle of britainでサーチするとたくさんのサイトがヒットします。 上記サイトもbob名称使ってますし、俗語という感覚かも知れませんね。 #right(){(5:626-628)} **「提督の決断Ⅳ」をプレイ中、ドイツ第三帝国のジェット戦闘機『シュワルペ』の解説に、 >『比較的早期に開発されたがジェット爆撃機を急いだ為実戦に遅れた』 >とあったのですが、もしすぐに投入されたら空の戦局は変っていたでしょうか。 >またBoBにも勝利できたでしょうか。 戦局を左右しない。 当時のジェット戦闘機はいろいろと運用上困難な部分が多かった。 「バトル・オブ・ブリテン」の結果が変わればドイツの運命も変わった可能性はあるが、 Me262の投入が間に合ったとしてもたぶんダメだったと想像できる。 ジェットエンジンの燃料消費の多さによる航続距離の短さは 「BoB投入で戦局をひっくり返す」構想に対する最大の障害となるだろう。 #right(){(8:365)} **今まで1番航空機の参加機数が多かった空中戦ってなんですか?何機参加したんでしょうか? バトルオブブリテンの1日じゃないかなー。 #right(){(9:106)} **ドイツの初のジェット戦闘機の名前は? >あとそのエンジンはどこ製?BMW? メッサーシュミットMe-262 エンジンはユンカースJumo004(初期型はBMW003) #right(){(9:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)} **英の四発爆撃機であるランカスター・ハリファクスの損失数はどの程度なのだろうか 43年の損耗数は両機種合わせて1950機だそうです。 (他の年の分は見つけられず) 43年から44年3月頃のボマーコマンドの4発重爆年間損耗率は 100%超状態が続いていたので、あと一千機ぐらいは損耗しているでしょう。 (義務出撃回数を終了するクルーが殆どいない状態だったらしいですから) NF型モスキートの登場とカムフーバーラインの崩壊により、 ドイツの夜間防空体制は急速に崩壊してしまいますが… #right(){(18: 魚花 うるふ)} **冬戦争においてフィンランド空軍は多彩な戦闘機を使用したと聞きます。整備陣は大変じゃあなかったのでしょうか? 大変ではありましたが、それなりに高い技量を有していました。 例えば、MS406戦闘機と原型が同じエンジンを持つLaGG-3に着目して出来た、 MS406「ラグ・モラーヌ」「メルケ・モラーヌ」などはその典型です。 また、主力のB-339も戦争末期ですが、木製化に成功していますし(性能は兎も角)、 ミルスキ、ピヨレミルスキという戦闘機も国産化されています。 それに、雑多な機体と言っても運用は纏めていたので、他の基地に降りない限り、 問題なかったみたいですね。 更に、部品は国の至る所に落ちてます。(藁 I-15/16系列のエンジンはライトサイクロン系列、LaGGなどのクリモフはイスパノ スイザ系列ですから、ブリストルとフィアット以外は何とかなったようです。 #right(){(19:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **ヤーボって、何ですか? JagtBomber 戦闘爆撃機 #right(){(21:154)} ドイツ軍側が連合軍側の戦闘爆撃機をそのように称していたとのことです。 #連合国の将兵が「ヤーボ」と呼んでいた訳ではないようで。 #right(){(21:ちゃぎ)} ドイツ軍が戦闘攻撃機を指すヤクトボムバー(JagdBomber)の 略称ですので、特に米に限ったものではありません。 ドイツ軍のBf109も爆弾を搭載した場合自軍から「ヤーボ」と呼ばれています #right(){(33:711)} **ドイツには爆撃機に特攻する部隊がありましたっけ? 強襲飛行隊のことではないかと思います。 もちろん日本の特攻作戦とは性格が異なりますが。 Fw190に装甲を追加して、30ミリ機関砲で武装した機体で敵爆撃機を専門に攻撃する部隊です。 確か志願の時に、敵爆撃機に体当たりする覚悟で攻撃するという誓約をしてますね。 この場合の体当たりも衝突する直前に脱出するのが基本戦術です。 自分の記憶でも死を前提にした攻撃手段をドイツ軍が採用したことはないはずです。 #right(){(26:304)} **バトル・オブ・ブリテンは戦局を左右するほどの戦いだったのですか? >英独双方どれ位の損害を出したのでしょうか? 損害は、色々な数字があがってるんでよくわからんが 英軍902 独軍1598とかそんな感じ。 詳しくはRAFのサイトの日報のところで数えて、俺にも教えてくれ。 http://www.raf.mod.uk/bob1940/calendar.html とりあえず英国本土占領は諦めさせたしなぁ…。 #right(){(45:923)} **特攻作戦はドイツ軍にも行われ、B17に突っ込む神風アタックってあったと聞きましたが、マジですか? 1944年末にBf109の装甲、武装を撤去した機体を800機動員し、 米軍爆撃機400機を撃墜するという計画が立てられています。 パイロットは志願制、突入前に脱出するとは規定されてはいますが、一種の特攻計画です。 1945年3月にこのBf109の150機から成る「エルベ特別航空隊」が編成されましたが、 爆撃機8機喪失が戦果といわれています。 #right(){(51:71)} エルベの立て前は、体当たり直前にパラシュートで脱出するというものだったので 「自爆攻撃」というとちょっと違う #right(){(58:114)} 補足。それ以前にも一部の部隊では「弾薬が尽きたら敵機に体当たりします」 という誓約書を書かせることもあった。 ただし実際は体当たりの強制は無かったらしいってのはエルベ特別攻撃隊以前の話。 #right(){(51:73)} **ノルマンディー上陸作戦終了後数多くの「飛行船」が浮かんでいますが、あれは何を目的としたものでしょうか。 阻塞気球といいます。航空機からの攻撃を防ぐ目的で係留されます。1940年のバトルオブブリテンの際、 スツーカの急降下爆撃や戦闘機の低空からの機銃掃射を阻止するために、イギリスの港湾施設に係留 されたのが始まりでした。 #right(){(73:513)} 阻塞気球の初の実戦投入はWW1でロンドンやドイツでの初めての都市爆撃が始められた頃。 日本でも戦争中は東京湾沿岸に揚げていた。 #right(){(73:521)} 阻塞気球の他には米海軍によって対潜哨戒に用いられたりしています。 #right(){(78:名無し軍曹)} **ww2東部戦線での空戦高度.雲高を知ってる方教えて下さい。 東部戦線では空戦高度は3000m以下とされる これはソ連側主力戦闘機のエンジンの全開高度が3000m以下に設定されていたため 雲高はもちろん季節によって大きく違う 6月ごろは晴天続きで雲なんてどこ探してもない日が多い #right(){(85:69)} **ベルリンの高射砲塔の残骸は現在も残っているのでしょうか? 戦後に爆破されたようで完全な物は残っていないそうです。 #right(){(90:782)} ベルリンのものは今はありません。ウィーンの高射砲塔は現存しています。 #right(){(90:783)} **映画ピーターパン2でロンドンを爆撃した爆撃機は何ですか? ピーターパンは観た事は無いが、WWⅡにてロンドンを爆撃したなら、 ユンカースJu88と思われ。 #right(){(91:239)} **WW2ドイツの携帯用対空ロケット弾が完成していればどうなっていたか…。 携帯用対空ロケット弾は完成の域には達していたようです。 但し輸送網破壊で前線には届かずに終わりました。 #right(){(96:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第二次大戦中、一個師団を空爆で撃破しようと思ったら、どの程度の航空兵力が必要だったんでしょうか? >ノルマンディーでは重爆により装甲師団等が壊滅的打撃を受けたりしてる様ですけど、 >太平洋戦線ではあまりそういう話は聞かないのですが、そういう事例もあったんでしょうか? いずれもノルマンディでのお話ですが、 いわゆる「グッドウッド作戦」で第21装甲師団と第503重戦車大隊を主力とするドイツ軍部隊に対し 1944年7月18日に加えられた三次に渡る絨毯爆撃の総計は、米英軍合わせて ・爆撃機等発進数:2420機(うち攻撃機数:2207機) ・投弾爆弾量:7867トン 第503重戦車大隊が布陣していた地域では12平方キロに対し3890発の爆弾が投下されました。 また7月24日の米軍のサン・ロー突破作戦「コブラ」では装甲教導師団が展開していた 6キロ×2.5キロの地域に対して2000機の爆撃機が爆撃を行っています。 #right(){(96:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} コブラ作戦では、味方の地域に絨毯爆撃かましたそうな #right(){(96:945)} >それなら毎日その爆撃を続けたら、陸戦しなくても勝てたんじゃないかと思って。 それは無理。 空襲は365日24時間行えるものじゃないし、隠れたり分散されると効果が激減します。 まあこれは戦車部隊なんかにも言えることだけど。 こう例えていいでしょう。 空襲や戦車の攻撃は一枚の皿を割るに似たりってね。 皿を割るには高いところから落とすなり何かで叩けばいいでしょう。 でも、その割った後の破片を取り除くのは、叩くという手段ではできません。 掃除機で吸い取るなり手で取り除くなり。それが歩兵による陸戦という行為です。 #right(){(96:ゆうか ◆9a1boPv5wk)} **ブリュスター・バッファローとかフィアット・G50とか本国ではさっぱり活躍してない軍用機が >フィンランド空軍に行った途端に目覚しい活躍をしたのは何故なんでしょうか? 相手がスターリンの大粛正を受けた後のソビエト空軍のため、操縦者の技術や作戦行動内容など、 およそ経験や勘を必要とする技術を無くしてしまっていたためです。 #right(){(96:653)}  ここらへんの本を読んでみよう! 「第二次大戦のフィンランド空軍エース」 「フィンランド空軍戦闘機隊」 「北欧空戦史」 #right(){(96:ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E)} 俺は上記以外にも「流血の夏」も買いましたよ。 #right(){(96:661)} >その爆撃で、どの程度の損害を与えられたのでしょうか? >教導師団とか相当の被害を受けたと聞いたんですが、それなら毎日その爆撃を続けたら、陸戦しなくても勝てたんじゃないかと思って。 グッドウッド作戦に関しては、 三波に分かれた爆撃のうちの第一目標コロンベル~マンデヴェル間には第21装甲師団の 第192装甲擲弾兵連隊の第1・第2大隊と第16空軍野戦師団の残余が展開していましたが、 爆撃によりほぼ戦闘力を失いました。 また第二目標マンヌヴィル周辺には第22戦車連隊第Ⅱ大隊と第503重戦車大隊第3中隊・ 第125装甲擲弾兵連隊の第2大隊および第200突撃砲大隊の1個中隊が展開しており こちらもほぼ戦闘力を失っています。 (第503重戦車大隊第3中隊は装備戦車14両中稼動戦車1両…) ただ、第三目標だったカニー周辺の爆撃が不調に終わったため、第125装甲擲弾兵連隊の 第1大隊および第200突撃砲大隊の4個中隊・そして空軍の88mm高射砲部隊が無傷で残り これらの部隊によって英機甲師団は痛撃されることになります。 #right(){(97:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **二次大戦でドイツ空軍にエースが多いのは、パイロットが少ないため出撃のローテーションの間隔が短く、 >休息を十分与えることが出来ないまま連続して出撃することが多かったから…… >ということを聞きましたが、事実でしょうか? OKだよ! だから「エースが多い」=「負けている証拠」 #right(){(98:181)} 加えて、やや練度や機体の性能に難のあるソ連空軍機との戦闘が行われたこと。 大戦中期以降、物量戦が激化した時点で防空戦に転じており、撃墜されても味方の勢力圏に帰還しやすい。 (捕虜にならずに済む。)など。 #right(){(98:188)} **ドイツ軍はノルデン爆撃照準機についてどれくらいの知識を持っていたのでしょうか? ドイツ爆撃が始まったかなり初期の段階で撃墜したB-17のノルデン照準を 捕獲して調査しています。 #right(){(101:46)} **ドイツってなんであんなにエースパイロットが多いのでしょうか? 負けがこんでくると、腕のいいパイロットをヘヴィーローテーションで出撃させるからです。 勝ってるほうは余裕があるのでしっかり休ませます。 また、負けているので基本的に迎撃戦となり、撃墜されても自国の領土内なので捕まらずに復帰できるということもあります。 あとソ連機は全体的に性能が悪く、そこで稼いだというのもあるらしい。 #right(){(103:614)} いや、パイロットに休養を与える暇が無かっただけ。 #right(){(103:615)} **冬戦争時、フィンランド空軍は、ポンコツ戦闘機でソ連相手に大奮闘したと聞きました。 >これは本当の話なんでしょうか。 日本機に袋叩きにあった印象の強い、あのバッファローで大奮闘しました #right(){(104:199)} 各国からの寄せ集めの中古機で戦い、思いもよらぬ大戦果をあげたそうです 所変われば・・・の良い例 #right(){(104:200)} 本当です。 「北欧空戦記」(中山雅洋・朝日ソノラマ)という本を参照してください。 (絶版だけど) おっしゃるとおり、緒戦期にはフィンランドには航空工業は存在しないも同然でした。 そのため、オランダ・アメリカなどから輸入した機体、戦争相手のソ連から捕獲した機体などを使用しています。 戦争後半になると、これにドイツから輸入した機体、国産機(ミルスキ戦闘機シリーズ)なども加わっています。 #right(){(104:201)} 日本を除く世界中の戦闘機を購入し、数で勝るソ連軍相手に大戦果を挙げています #right(){(104:203)} **ドイツ空軍のエースってずば抜けた撃墜数ですけど本当なんでしょうか? 自国内で戦う機会が多かったので撃墜されても復帰しやすかった。 連合国ほど休暇を取れず出撃頻度が高い。 大粛正後、練度が未回復のソビエト空軍とも戦っていたので戦果を上げやすい戦線があった。 などが定説。 ただし、やはり虚言と言うか疑わしい人もいる様だ。 #right(){(107:915)} **JG54の映像を見て思ったんですが、空戦時に敵機を攻撃し、撃破した後飛び散る残骸とかに突っ込んだりしないものなんでしょうか? 撃墜した敵機の破片に当たって、巻き添え墜落も記録にあります。 #right(){(110:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)} **戦爆=ヤーボって憶えていたのですが、あれは戦闘攻撃機とするのが正しいのですか? ヤーボはヤクトボンベルの略語なので 戦闘爆撃機でよろしい。 #right(){(112:610)} **ドイツ空軍のMe262に連合軍のレシプロ機はまともに戦えたのでしょうか。 離着陸の間際を狙う。数で押す。エンジントラブル、燃料切れを待つ。 格闘戦に引きずり込む。 >Me-262をよく落としたレシプロ機はなんでしょう。 特にコレが、というものは無い。P-51でもP-47でも 対ジェット戦でさほど差があるとは思えない。 #right(){(118:83)} >P-51が機体数以外でMe-262に優るところはあるんでしょうか? 旋回能力や加速性などです。 Me-262はエンジンに難がありあまり急激な動作ができませんでした。 #right(){(118:85)} 光人社NF文庫「ジェット戦闘機Me262―ドイツ空軍最後の輝き」 あたりを読んでみては? この価格帯の入門書としてはおそらく最上級の出来。 #right(){(118:88)} **バトル・オブ・ブリテンで、降下する前に胸に黄色(オレンジかも)の物を首から吊り下げているのは何? メイ・ウェスト(救命胴衣)の事かな。 #right(){(118:470)} 毒ガス検知板(毒ガスの成分に触れると色が変わる)じゃないかと思う #right(){(118:489)} **同じ戦略爆撃を受けた東京では建物自体跡形もなくなって更地になってるのに対して >ベルリンではボロボロになってはいるが建物がちゃんと残ってるのは建物の建材の違いによるもの? 日本の家は木と紙で出来てるから……。 #right(){(119:179)} 両方だな。早乙女勝元の本でも読みなさい。 #right(){(119:181)} 鉄筋コンクリの建物が核兵器に強いことはビルは破壊されずに残ってることからも明らか。 ただ、厚い鉄筋コンクリ壁に、爆風や熱線が室内に被害を及ぼすのを防ぐ為に 窓を小さくしたりすると、空調の完備されてないのが当たり前の 戦前日本じゃ夏が辛くてどうしようもなかったと思う。 #right(){(119:191)} >原爆を受ける前の広島の写真みると、中心部も木造家屋ばかり。しかも密集している。 >もっと耐火性の強い工法の建物が多ければ原爆の被害が少なかったのでは? そうだろうけど対策の取りようは無い。 対焼夷弾対策で原爆対策にもなるのだがとくにやってないしね。 #right(){(119:192)} **大戦中のパイロットの育成に関し、アメリカは環境・設備がよかったのに対して、日本は環境が悪く航空戦力の弱体化に拍車をかけたとか言われますが、ドイツの場合はどうだったんでしょうか? ドイツの場合は、1942年まではDenmarkを基地に、滅多に空襲のない状態で、 十分な訓練が行えましたが、連合軍のItaly上陸後は、満足な訓練が行えず、 急速に戦死者が増え、実戦部隊は定員割れを起こしたため、訓練未了な状況 で実戦部隊に送り出さざるを得ず、1945年には飛行時間150時間で送り出す有様。 なので、新規補充隊員は、出動10回に耐える者は殆ど無かったりします。 #right(){(254:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第二次大戦中の戦闘機や爆撃機などで空中で脱出する場合は,自分で機から飛び降りていたのでしょうか?それとも今のように座席が飛んで脱出していたんでしょうか?  基本的に自力で脱出する.  大戦機で射出座席を装備したのはドイツの夜間戦闘機He219ウーフーなど少数.  大型の爆撃機ならスカイダイビングみたいに機乗口から飛び降りればいいだけの話.  伝説的な駄作機のポールトン=ボール・デファイアントなんかは,後部銃座の射手は背面飛行状態で銃座の天井をはずさないと脱出できない構造だったりしたが.  戦闘機のようなものは,背面飛行のような形にもっていったりして,自分で操縦席から飛び降りていた.  しかしその際には尾翼に当たる危険があって,ドイツ空軍の撃墜王マルセイユ大尉なんかもそれで落命してる.  また,きりもみ状態だと,見当識の喪失や,回転によって生じるGにより,脱出できない状態になることもしばしばだった.  さらには衣服がコックピット内の部品にひっかかったり,パラシュートを早く開きすぎて機体にからまりもろともに墜落なんてこともあった.  こういう問題を解消して安全に脱出するため,エジェクションシートが開発された. (軍事板) **メッサーシュミットのMeとBfの違いはなんでしょうか? どちらが一般的なんですか?  元々,バイエルン航空機製造会社という社名だったのを,メッサーシュミット社に改称した際,機体符号もBfからMeに変更された.  ただし,すでに空軍に正式採用された機体については,改名の手続きはとられなかったので, Bf110以前の機体は,機体符号はBfのまま.  現場では,メッサーシュミット社の機体はすべてMe××と呼ぶことが多かった. **アウトバーン建設の目的は,天候に左右されず高速に物資を輸送する為と,滑走路としても使用する為ではなかったの?  アウトバーン建設の目的はフォルクスワーゲン開発とセットで ・景気対策.年金基金の運用等で公共事業を行う. ・将来的なモータリゼーション誘発 を狙っている.  フォルクスワーゲンについては平均的な労働者にも購入可能なように,始めから90マルクで販売可能な自動車を開発させておいて,9マルク×11回のローンで販売することで自動車普及率を上げることが目的.  先に販売価格を設定しており,技術的にはどうと言うことのない製品だが,利益を軍用車調達に使う意図もあり,国防も意識した政策だった.  そもそもアウトバーンは日本語に翻訳すればそのまんま「自動車専用道路」という意味合いになります.  大戦中に爆撃を避けるため,道路脇の森やトンネルに飛行機を隠し,そのまま道路を滑走路として使用したというだけで,始めから飛行場とする意図があった訳ではありません.  ヒットラーによるアウトバーンの建設着手は1933年.(計画はワイマール政権期から)  ところが再軍備宣言に続く空軍再編制は1935年2月に発令されています.  再建を目的とする活動自体はその前からありますが,それを進めていた人々が,国策の道路事業に対して発言権を有していたという証拠はありません. (軍事板) **ドイツの防空部隊の呼称や編成はどうだったのでしょうか?  88mm以上の重高射砲隊は,4~5門から編成される中隊が基本です.  1939年には650個中隊で,44年には2,655個中隊が編成されています.  20,37,50mmと言った中,軽高射砲隊は,12~15門から編成される中隊が基本になります.  1939年には560個中隊で,44年には1,612個中隊.  そして,150cm~200cmのサーチライトを装備した照空隊があり,これはサーチライトを16灯装備し,これで1個中隊を編成していました.  1939年には188個中隊,44年には470個中隊に増えています. (眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板) **128mm高射砲弾と,88mm高射砲弾では,いかほどの威力の差があるのでしょうか?破片の数などによる比較でもかまいません.  88mmでは,Flak18/36/37の場合は,9.24kgのHE弾で射高8,000mで初速820~840m/sec.  同口径のFlak41の場合は,初速が1,000m/secに向上し,射高10,000mになります.  128mmの場合は,Flak40では26kgのHE弾を初速880m/sec,最大射高14,800mに達し,Flak43では28kgのHE弾を初速940m/secで発射する予定でした.  ちなみに,一ヶ月の総消費量では,128mm砲弾が102,450発に対し,88mm砲弾は3,175,400発に達しています. (眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板) **WW2の航空機で潜水中の潜水艦を攻撃出来たんでしょうか?  潜望鏡深度くらいまでだと,ロケット弾攻撃で外殻に穴を空け沈める事が可能です.  それより深いと,探知が困難になります.  日本の「東海」はこの点でけっこう先進的で,潜航中の潜水艦を磁気探知機で精密測定し(逆に言えば探知範囲が狭い)爆雷攻撃を行う事が可能でした. (少なくとも「丸」なんかの手記だと上手く沈めたように書いていた)  しかし当時においては,潜水艦は所詮可潜艦で,昼間天候がよくて潜航深度が比較的浅い場合,空からでも水中を航行する艦影を確認することができました.  そこでASWとしては,浮上航行中やシュノーケル航行中をレーダーで探知し攻撃するのが主流でした.  Uボートなんかでは水上航行中に敵機を発見,あわてて潜航したけど上記のような形で位置がモロバレになり爆雷攻撃で撃沈された艦もけっこう多かったようです.  この点で日本は,米英に大きく能力で劣っていました. (軍事板) **ドイツに対する主要な無差別爆撃を教えて下さい. 1942年2月14日に英空軍司令部が、爆撃機部隊に対し、「照準目標は都心」 という指令を出し、これに基づき各地を無差別爆撃しています。 1942年5月、ケルンに対する1,000機空襲、6月、ブレーメンに対する大空襲、 以下、英国側の資料では、500t以上の被弾都市17。 1943年11月~1944年2月、ベルリンに対する英国の空爆実施。 1943年7月下旬、6日間に渡るハンブルグ大爆撃。 8月末までの投弾量は、ハンブルグ11,000t、エッセン9,000t、ニュルンベルグ 5,000t、ベルリン20,000t。 1944年1月27日、ベルリン大空襲により最大の犠牲者を出す。 7月にシュツットガルト3夜連続爆撃、ミュンヘンも3夜連続爆撃、この頃2日に 1回の割合で大空襲あり。 3月6日、米国第8空軍により大戦中最大のベルリン空襲実施、死者3000名。 1945年2月13日、ドレスデン爆撃によって市街壊滅。 ドレスデンのこの空襲による破壊率は、ドイツの都市中、実は20位以下だったりする。 死者の数も、40万人という数字が挙げられてはいるが、警察の報告では、1945年3月31日までに22,096名が 埋葬されています。 また、戦後、1946年の市当局による調査委員会報告では、大戦終結までに、32,000名の埋葬が報告されて います。 従って、実際の死者数は35,000名程度とされています。 #right(){(229:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツの空爆で連合国はどれぐらいの被害を出したんでしょう? >ロンドンで1万人死んだとか? ロンドン爆撃で、一回で死者数1万人は可能性としてあり得ないと思います。 例えば、ロッテルダム空爆の場合、死者数万と喧伝されましたが、実際は約1,000名です。 最初のワルシャワ空爆で、やっと、死者10,000~15,000です。 その後の消耗を考えれば、それだけの機材を揃えるのも大変です。 ちなみに、コベントリー大爆撃でも、死者568名です。 #right(){(229:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2時の日本のベテランパイロットが乗った雷撃機などは,「プロペラで海面を叩く」「海の匍匐前進」「舷側の下を飛んでいた」とよく言われたり,聞いたりしますが具体的には海面から何メートルの高さを飛んでいたんですか?  米軍のTBMなら,大体高度30m程度で魚雷を投下しています.  最大で240mくらい.  英軍のSwordfishの場合は,30mよりもう少し低く飛んでいたか,と記憶していますが,数字が出てきません. (眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板)  海面上十数メートルですでに並大抵のレベルじゃない.  日本の超ベテランだと3~5メートルという,もはや神業としか思えない領域にいる.  ちなみに3~5メートルってのは,ちょっと海が荒れてるともろに波をかぶって墜落するレベルです.  実際に訓練をされた方の体験談をどうぞ. http://www.warbirds.jp/senri/05hiyakuri/hiyakuri1.html (軍事板) **WW2の航空機の国籍マークについて >1 ドイツ空軍機の垂直尾翼の「カギ十字」は、「ナチス党の飛行機」という意味? >2 ドイツ空軍機の、胴体主翼のマーク(コメカミの青筋の形)の元となったものは? >3 イギリス空軍の国籍マークの元はユニオンジャック? 1.当時は赤字に白丸、中にハーケンクロイツが正式なドイツ国旗 2.バルケンクロイツはドイツ騎士団の紋章が起源 3.ラウンデルのデザインは軍などの帽章が元で、国旗の色を使用するのが慣わし  よって色はイギリス国旗のユニオンジャックと同じ、色の並びはフランスのものと  区別する為その逆順とされた、航空機用ラウンデルはWW1のフランス発祥 #right(){(523:204)} **WW2においては敵機を目視しただけでエース搭乗機だとわかるようなことはあったのでしょうか? >リディア・リトヴィク関係の話だとドイツ軍が百合のペイントを薔薇と見間違えたといった話もありますが、 >旋回戦の最中や急降下爆撃をされているさなかに、敵機のマーキングなんて気にするものなんですかね? 撃墜マークが尾翼一杯に描かれていれば目立つし 敵エースの情報はパイロット同士で共有してることもあるから 特徴的なペイントを目印に敵エースを狙うことはある ドイツだと、ハルトマンが、機首に黒いチューリップを書いて有名だし、 パーソナルマークだけでなく撃墜数を機体に書いてたパイロットが多かったから、 撃墜マーク自体が、エースの搭乗機と判ったようではある。 Hartmannは、出撃しては直ぐに命を失う新米パイロットの為に 黒いチューリップのトレードマークを描くことを勧めていたりする #right(){(523:290-305)} ドッグファイトが主体だった頃は、空戦能力の高いエースが敵機を引き付ける事で、僚機の行動を自由にする目的もありました なので「共同撃墜スコア」と言うものがあったのです #right(){(523:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)} **B17はなぜ高高度で侵攻しなかったんですか? >B17の実用上昇限度はF、Gとも1万mを超えています。でも、対独爆撃では5000mから7000mで侵攻していました >迎撃側のドイツのレシプロ戦闘機は高度が7000mを超すと急激に性能が落ちることが知られています >ここから考えると、B17が侵攻高度を上げれば、あんなに大きな被害を出さずにすんだと思うのですが、 B-17にはB-29みたいな機内の与圧装置無いんですよ。 しかも胴体側面の銃座は吹きさらし。 高度1万で酸素マスクと電熱服だけでは乗員がとてもまともに動くことが出来ませんって。 カタログデータと実際は違うってことです #right(){(524:804:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **B-24はB-17に比べて防衛力や安定性が劣っていたようですが、何故欧州戦線ではB-17に匹敵する数が運用されたのでしょうか? で、B-24の方が多用されたのは、速度、航続距離、爆弾搭載量でB-17を上回ったから。 あと、B-17のほうも主力になるF型やG型が登場するのはB-24が実用化されるのと同時期の 42年になってからで、それ以前は防御力や安定性でもB-17>B-24と言い切れなかったり。 まぁ、その後の対独戦略爆撃でB-24に対する現場の評価がイマイチなのは確かだけど。 #right(){(526:908)} **イギリス・フランス・イタリアは第2次大戦で急降下爆撃機としてどんなものを使用したのですか イギリスは持ってない フランスは試作機があったけど、実用化の前にドイツに降伏 イタリアはあまりパッとしないのを作っては見たが、結局ものにならず、後にドイツからJu87を輸入して使った 実は急降下爆撃機の試作自体はドイツよりもフランスのほうが早かったりする。 その後空母に搭載する予定でLoire-Nieuport LN401という艦上爆撃機(急降下爆撃機)を作っているが、 肝心の空母ベアルンが完成する前にフランス戦が始まってしまった。 そこでL地上基地に配置されて攻撃に投入されているが対空砲火で大損害を出して壊滅状態になっている。 改良型のLN42は試作中だったが、作っている最中にフランスが負けてしまったので戦後まで納屋に隠されていた。 #right(){(345:464,482)} **バトルオブブリテンでなぜドイツはイギリス軍港を襲わなかったんですか? >空母、戦艦沈めようとか思わなかったんでしょうか? イギリス側もそれを警戒して警戒厳重にしているから。 警戒厳重なところに飛び込んだら無駄死にするだけ 大戦中に英本国艦隊はスコットランドのさらに北のオークニー諸島にあるスカパ・フロー泊地に根拠地を置いていた。 ドイツの爆撃機では到達が困難だが、39年10月14日に潜水艦U-47が潜入して戦艦ロイヤル・オークを撃沈してるし、 その数日後に爆撃も行われてる。 #right(){(588:93,95)} **バトルオブブリテンは、ヒトラーが「爆撃目標をロンドンに」とかの口出しをしなければ上手くいったんでしょうか? >緒戦で航空基地を叩き、その後に工業地帯を叩けば、講和にまで持ち込めたんでしょうか?  バトル・オブ・ブリテンは、ドイツが英国本土上陸作戦(あしか作戦)の実施に向けて、 英仏海峡の航空優勢を確保するために、英空軍を弱体化させようとして起こった航空戦です。 すなわち、当初は、イギリス空軍の航空基地を中心に叩きまくったわけです。 ところが、イギリス空軍は粘るし、ドイツの戦闘機隊の航続力が足りず、護衛が不足しているために、爆撃も功を奏さない。 挙げ句に怒り狂ったヒトラーが、イギリス国民の士気を挫こうとロンドンを始めとする大都市への爆撃に目標を切り替えたために、当初の海峡上空の制空権確保と言う戦略目標の達成は不可能になってしまったものです。 つまり、ドイツ側としては、講和に持ち込むという発想で戦いを始めたわけではありません。 仮に9月中旬までに、ドイツ側が十分に航空優勢を確保した…と判断すれば、英国本土上陸作戦が発動し、 英国本土が戦場になっていた可能性があるというわけです。 空軍基地の次の目標は工業地帯よりもポーツマスなどの海軍基地が目標になります。 空海軍の施設を叩き終えたら、英本土上陸作戦を実施するのが、一応のタイムスケジュールでしたが。 ヒトラーとしては英空軍を壊滅させたらチャーチルの首相辞任そして次期内閣との間に有利な条件な講和を考えていた。 元来ヒトラーは英国とはお互いに条件が折り合えば手を組めると夢想していた。 #right(){(594:632,633)} **西部電撃戦においてドイツ軍が採用したグライダーによる降下工兵隊の攻撃は空挺作戦なんでしょうか? グライダーによる強行着陸も「空挺作戦」の範疇に入ります。 第2次世界大戦に行われた空挺作戦のうち、純粋に落下傘降下だけで 行われた空挺作戦はごく少数で、ほとんどの作戦では落下傘降下と グライダーによる強襲が併用されました。 ”空挺部隊”として編成された部隊は、落下傘部隊とグライダーにより 強行着陸後に降機して戦う”グライダー歩兵”の2つで構成されるのが 普通でした。 ノルマンディ上陸に先立つ降下作戦でも「マーケット・ガーデン」作戦でも、 ”空挺部隊”として参加した兵員の半数はグライダーによって降下しています。 #right(){(329:229)} **ノルマンディー上陸作戦時当日には、連合軍を攻撃したドイツ空軍機はたった2機だけと聞きましたが、本当でしょうか? ヨーゼフ・プリラーで検索するべし。 ドイツ軍上層部は「悪天候のため上陸作戦も延期されるだろう」という 楽天的観測をしていた上に、数日前からドイツ本土への爆撃が激しく なっていた(勿論、陽動作戦)のでフランス方面の空軍部隊は本土へ 移動させられていた。 それから、どこであれフランスの英方面海岸に連合軍が上陸してくる ことは予想されていたので、先制攻撃で壊滅させられることを恐れた、 というのもある。 #right(){(329:622)} **ソ連軍はクールラントポケットに対して6度の大規模な攻勢を行っていて、これによって地上兵力は言わずもがな航空機も650機程度失っています。この数字を見る限りドイツ側に戦闘機部隊があったのでは? クールラント方面には第1航空艦隊が取り残されており、後にクールラント地区航空部隊となりました。 1945年4月の時点でその方面に残されていた昼間戦闘機部隊はJG54の2個飛行隊(Ⅰ/JG54、Ⅱ/JG54)です。 Fw190それぞれ38機と41機が保有機数で、この他に本部小隊に5機が残されていました。 JG54からは267機撃墜のオットー・キッテル中尉(1945年2月14日戦死)のようなスーパーエースも誕生しています。 #right(){(607:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **イタリア空軍はどうだったんですか? WW2におけるイタリア空軍については イタリアのエンツォ・アンジェルッチの著作に概略が載っている。 この本によれば戦争の現実はイタリアにとって非常に厳しいものであり、イタリア空軍 は「多くの点で過去の幻想の中に生きていた」といえるとのこと。以下要点だけ引用する。 開戦時のイタリア空軍は数だけは十分な航空機を持っていたが、そのうち半数以上は 実戦に参加できるような状態になく、さらにそれら航空機の軍事的性能はみかけより 遥かに劣っており、特に爆撃機は「時代遅れの整備計画」と「計画性の欠如」のため、 開戦時前線にあったものはいずれも戦闘に使えるような代物ではなく、戦争の間に 爆撃機は一度も近代化されることがなかった。 航空先進国だったイタリアがこのような状況になった根本的理由として、『第二次世界 大戦のイタリアの航空』の著者サントロ将軍は、「20年間に亘り戦略思想が改められ なかった」ことにあるとしている。 そのような見通しの誤りは最初の戦闘で明らかになった。それは1940年の 最後の2ヶ月間におけるベルギーでの体験であり、当時の最も激烈な航空戦にイタリア 空軍が参加できたのは、「それが最初であり、しかもこの時ただ1回だけであった」 イタリア空軍機は戦闘に適さないという現実を見せ付けられ、 成功した点があるとすれば、それは「乗員の技量と能力によるものだけである」。 #right(){(622:817)} **WW2のイタリアに撃墜王っているの? WW2だと、テレシオ・マルチノーリ(22機)、フランコ・ルッキーニ(21機)、 レオナルド・フェルーリ(20機)あたりでしょうか。 オスプレイから「第二次世界大戦のイタリア空軍エース」という本があるので一読されては。 #right(){(310:丼炒飯 ◆HY/YgdSbHM)} **イギリスは爆撃機の防御(機関銃の口径と数)が弱かったので、夜間爆撃にした? >アメリカは撃機の防御(機関銃の口径と数)が強かったので、昼間爆撃にした? 機関銃が多いからというよりドクトリンの問題。 英空軍はBOBの教訓から 爆撃任務には戦闘機の護衛が必須で 護衛がつけられない場合は夜間攻撃を行なうという原則ができた。 アメリカは35年に行なった爆撃訓練の結果、 高性能な爆撃機は戦闘機にほとんど迎撃されないという結論を導き それに異を唱えたシェンノートは異端扱いされ、護衛戦闘機軽視論が主流になる。 それが整備計画や養成、戦術に影響を与え シュバインフルト爆撃で責任問題となり改善されるまで 護衛なしでも昼間爆撃を頻繁に行ない 著しい損害を被り続ける要因となった。 イギリス空軍が、夜間爆撃に転じた理由を参照ください。 http://stanza-citta.com/bun/2008/09/11/143 また出撃ソーテー数ですが、1944年8月に一部昼間爆撃が上回ってる。 http://stanza-citta.com/bun/2008/10/06/176 #right(){(635:339,451)} **ドレスデン爆撃の目的は何だったのですか? 大きく分けて2説があります。最初の説は爆撃を正当化するもの、後者は犯罪とするものです。 1. ドレスデンは交通要地であり、ドイツ軍の再編、出撃拠点として使用されるおそれがあった。  主要鉄道、道路があり、軍事産業に関わる100以上の工場が存在した。これらを破壊し、  ドイツ軍の拠点として使用できないようにすることは、戦略的に重要であった。 2. 爆撃においては郊外の軍事工場はあまり標的とされていなかった。爆撃はサクソン州の  古都という、ドイツの文化的象徴を破壊し、多数の市民を殺害することで戦意を喪失させる目的で  行われており、最初から非戦闘員への危害と文化施設の破壊を意図したものであった。 #right(){(654:379)} **ソ連のパイロットは質が低かったの? 航空機パイロットになるには数学と物理学は必修だが、大戦中のソ連の場合、パイロット候補生に 「鋭角・直角・鈍角の違いを述べよ」と質問したところ、教室内で答えることのできる者がいなかった。 ソースは大日本絵画・独ソ戦車戦シリーズ「クルスク航空戦(上)」 #right(){(656:685)} **軍事施設やレーダーサイト攻撃をつづけていれば、ドイツ空軍は英空軍を駆逐できてたという話がありますが >最初は軍事施設だけを狙ってたが、英軍がベルリン空襲したので怒ったヒットラーが無差別都市爆撃開始に踏み切ったとか 英空軍を駆逐どころか、爆撃隊の損害が大きすぎたので、夜間地域爆撃に転換せざるを得なかっただけ。 ドイツ空軍は1940年7月から7週間の作戦で1000機近い爆撃機に損害を受け、搭乗員の死傷率は69%に上った。 これでは、昼間精密爆撃の継続は無理。 あと、ドイツに英本土上陸を断念させたのは、英空軍ボマーコマンドの手柄でもある。 BOBと並行して、英空軍は大西洋沿岸に集結中のドイツ船舶・舟艇に集中的な爆撃を加え大損害を与え、 結果、当初9月に実地予定のあしか作戦を、天候が不順となる10月以降に延期させ、中止に追い込んだ。 これは、もっと評価されてよい。 あと、1939年にはゲーリングは42年までに重爆800機、中爆2400機を中核とする戦略爆撃機部隊を整備する 計画を持っていたが、開戦でオシャカになった。 #right(){(何でドイツは戦略爆撃しなかったのか:71-72)} **ルーデルの撃破数が異常なのには何か理由が有るの? メインで活躍したのが、あり得ないほどの物量で押してくるソ連相手の東部戦線だったから …というのは理由にはなるが、それでも異常。 「ルーデルだから」としか言いようがない。 撃墜撃破数が高いドイツ兵がいるのはソ連のあんまり訓練されてないのと戦ってたから。 あとドイツ側は人数が少ないので必然的に一人当たりの戦果が増えるってのが ある。出撃ローテーションの間隔が狭くなるので出撃回数が多く、相手がいっぱい いるので的にも困らない。 強いて言えば何度も撃墜されながら生還してることだな。 最後までたってた者が勝者だ #right(){(292:475-507)} **大戦時の戦闘機とかって空母とか地上と通信による綿密な連絡をとっていたんでしょうか。 WWⅡ当時で地対空、艦対空の無線交信が自在に可能で、それを実行していたのは 英米軍ぐらいのもの 日本は技術的に困難でしたし、ソ連は政治的理由でほとんどの戦闘機に無線機を 積んでいませんし、フランスやイタリアに至っては空地共同作戦という概念が 確立していたかどうかすら怪しい ドイツは戦記を読む限り、空軍と海軍の連携は限りなくゼロで、空地間でも前線 統制将校など影も形もありません(制度としてはあったらしいけど #right(){(111:41)} 「東部戦線の独空軍」(朝日ソノラマ文庫)を読むと まさにその近接航空支援や航空阻止の問題も扱われています。 航空団によっては積極的に対地支援を行い、問題解決に努力し 成果をあげたと評価されています。  本全体は独逸における空軍独自の戦略、戦略爆撃の思想と実践を 追った話ですが。 #right(){(111:76)} **WW2での独本土初空襲はいつの出来事だったんですか? 1939年9月3日から4日の夜間。 ホイットレー爆撃機6機がハンブルグ、ブレーメン、ルール地方に侵入。 600万枚の宣伝ビラ6tをばらまく。 1939年9月4日の昼間。 ウェリントン爆撃機14機がブルンスビュッテル湾のドイツ艦船を攻撃。 ブレニム爆撃機10機がヴィルヘルムス・ハーフェン内のドイツ艦船を爆撃。 くらいですかね。 後、フランスも9月3日からビラ散布を、ポーランドは9月5日に都市爆撃を行っています。 #right(){(260:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **英空軍はアメリカの供与でB-17を装備してたと聞きましたが本当でしょうか? 本当です。 1941年当時のイギリス空軍爆撃航空団ではスターリングやハリファックスといった 四発爆撃機がまだ充実していなかったため、配備機が増加するまでのつなぎとして 41年4月にアメリカからB-17を20機購入しています。 これらは第90爆撃機中隊として編成されました。 しかし、購入した機体は初期生産型のC型であり、機体設計もまだ洗練されておらず 武装も貧弱なものでした。 何よりもこれらの機体には、最新のノルデン爆撃照準機が装備されていませんでした。 編成が完了した第90爆撃機中隊は41年7月には最初の昼間爆撃に出撃しました。 しかし、二ヵ月後には爆撃機として不備が多すぎるということで、実戦配備から 外されてしまいました。 その理由は、武装が貧弱であることやターボ過給器に不具合が多く出たこと、 そして爆撃精度があまり良くない等でした。 言うまでも無くこれらの欠点は、米第8空軍が使用したF型やG型ではすべて改良されています。 #right(){(244:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} 蛇足。 1941年にB-17Cが20機引き渡されて、Fortress Mk.Iとなり、第90スコードロンに配備されました。 初陣は、1941年7月8日のWillhelmshavenの軍港偵察で、この時は高々度偵察を行いました。 爆撃機としては、1941年9月からEmden、Kiel、Brest、Willhelmshavenと言った軍港爆撃に使用されましたが、 ノルデン爆撃照準器の扱いになれていなかったので、全弾外すという不名誉な記録を出してたりします。 そうこうしているうちに、尾部銃座が無いことがウィークポイントであることが知られ、4機が11月にエジプトに 送られ、Benghaziの爆撃に用いられました。 1942年1月から残存機はCoarstal Commandの第220スコードロンに送られ、大西洋を飛行する哨戒機となり、7月まで 使用されています。 次いで、1942年半ばからB-17E/F/Gがそれぞれ供給され始め、それぞれMk.II、Mk.IIA、Mk.IIIとして用いられ、200機が 引き渡されました。 こちらも、同じくCoarstal Commandの第59、206、220、251、519、521の各スコードロンに配備され、大西洋の哨戒飛行と 気象観測に用いられました。 また、一部の機体は爆撃機軍団の第214、223スコードロンに配備され、ドイツのレーダー妨害に用いられています。 #right(){(244:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第二次大戦で連合軍機が焼夷カードをバラ撒いたそうですが、これはどの程度の効果があったのですか? セルロイドとゴムの様なもので作られた、5cmと10cmの大きさ、厚さ1mmくらいのカードで、 英国が発明し、最初はGermany戦線で使われました。 落ちると自然に破裂して、15秒~10分燃える様になっています。 発火する際には音もしないので、ばらまかれた当初は、拾って火傷した人もおり、湿気のある 所では中々発火せず、忘れた頃に発火すると言う厄介なものでした。 また小型機でも5~10万枚も搭載できるので、結構な数が使われた様です。 戦後は、英国がこれを作らなくなったので、利用はされなくなった様ですね。 #right(){(237:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **欧州にB-29が配備されていたらドイツはどれだけ迎撃できたでしょうか? 欧州戦線にB-29が配備されたと仮定した場合、その用い方は昼間爆撃になるものと考えられ ますが、確かにある程度撃墜できますが、効率としては余り変わりありません。 日本と違い、ドイツの場合、昼間戦闘機隊の防空は、外郭防空と本国防空に分けられます。 但し、外郭防空線(ドイツの外側国境線からオランダ、ベルギーを経てブレストに向かう線)の 1000kmに配備されている戦闘機は単座戦闘機3個連隊、複座戦闘機1個連隊で、合計640機 だけ、これが、沿岸航行船舶護衛任務にも機体を割いたので、更に防空戦闘に投入出来る機 体は減ります。 此処で、爆撃機は戦闘機の迎撃を受けますが、この時、ドイツ側は空対空ロケット弾攻撃を行い ます。 一方の連合国側は此処まで護衛戦闘機を付けることが出来ますので、これの撃墜を目指します。 突破を図ったドイツ側は緊密な編隊を組む敵爆撃機にロケット弾攻撃を行った後、分解した編隊に 対し、30mm砲による攻撃を行うことになります。 外郭防衛線は、1941年までは機能しますが、42~43年になると劣勢になり、44年後期には崩壊します。 本国防衛線についても、戦闘機42個中隊を配備する予定でしたが、Hitlerの同意を得られず、不十分 なまま本格空襲を受けることになります(つまり、空襲が本格化しても外郭の限られた兵力だけを用いて いた)。 ちなみに、戦闘機一個連隊当たりの年間戦死者と定員数の比率を見てみると、1942年以前は40~50%で、 1年を通じてもある程度の操縦士が生き残っていたのに対し、1943年には100%近くに達し、1年でほぼ顔ぶ れが入れ替わる状況、1944年になると、250%、場合によっては300%に達しています。 新規補充員は、年間150時間に満たない飛行時間で、出動10回までに消えました。 高射砲では、B-17やB-24でも苦労しています。 88mm以上の重高射砲は、1943年に本国に1,234個中隊(1個中隊の砲台式の場合は 12~24門で編成)、1944年に1,508個中隊編成されていますが、数百機侵入の場合の 撃墜率は最良の場合は、5~6%、平均で2~3%です。 砲弾の消費量は、1機撃墜当たり平均2,500発で、88mmの場合は、1ヶ月317万発に なっています。 #right(){(224:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツのUボートブンガーは連合軍の度重なる空襲にも破壊されなかったようですが、V-1、V-2の発射基地としようとした巨大ブンガーがあっさり破壊されたのは何故なんですか? 連合軍がV-1、V-2のミサイル発射施設の破壊を優先課題として、 多数の爆撃機を割いて攻撃を集中したからです。 連合軍は1943年の夏にはレジスタンスなどの情報からミサイル発射施設の所在を ほぼ把握しており、そのための活動には『クロスボー』と言うコード名がつけられました。 1943年8月から始まったこれらの施設に対する爆撃は『クロスボー爆撃作戦』と 名づけられ、以後一年間に連合軍がこの作戦に当てた爆撃機兵力は 重爆撃機の延べ出撃数の14パーセント、中型爆撃機の40パーセントに上り、 投弾量は実に12万2千トンに達しています。 これらの爆撃には英空軍の『トールボーイ』大型爆弾やB-17を改造した無人遠隔操作爆弾 『アフロディーテ』も使用されました。 #right(){(206:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **フランス空軍の戦果はどの程度のものだったのでしょう? >フランス側の主張している戦果は過剰なそうですけど。 >発注しても休戦までに届かなかった分はイギリスが使ったんですっけ。 一応仏空軍全体では、1940年5月10日~31日までに350機の独軍機を撃墜、145機が 未確認ながら撃墜とされていますね。 Hawk81AはTomahawkMk.Iとして、G-36はMartlet Mk.Iに、Hawk75AはMohawkMk.IVに、 DB-7はBoston/Havocとして、SBCはClevelandとして引き渡されています。 尤も、Clevelandは余りにも旧式なため、殆どはマルチティニーク島で朽ち果て、英国は 5機を貰って整備士養成用の地上教材にしています。 #right(){(フランス航空史:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツにはどれぐらい高射砲があったの? 1939年と1945年に於ける、ドイツ高射砲の砲門数。 重高射砲(88mm/105mm/128mm):約2,600門 → 12,269門 中、軽高射砲(20mm/37mm/50mm):約6,700基 → 19,370基 探照灯(150cm/200cm):約3,000基 敗戦時の高射砲部隊人員数は将校以下821,300名。 ちなみに、アジアの東の果てのとある国に於ける、太平洋戦争勃発時の高射砲。 陸軍:500門、海軍:200門。 #right(){(しょうもない知識を披露するスレ8:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----

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