軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ)

兵役制度

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匿名ユーザー

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全般

予備役の兵士って、普段は何やってるんでしょうか?どんな人がなるのかな?傭兵に近い感覚だろうか。

国にもよりますが、基本的には兵役の終わった、あるいは退役した軍人が
予備役になります。定期的に再訓練を受けるのが普通です。それ以外の
時は、ごく普通の軍人辞めた人として、別の仕事や年金生活やってるわけです。
(8:system)

国民皆兵制と徴兵制の違いはなんでしょうか?

選抜徴兵制ってのが有る。20歳男子の全てを二年徴兵したら人口の1%を超えるのは分かるだろう。
「国民皆兵」ってのは絵に描いた餅である事が多いの。
(21:74)
「国民皆兵」ってのは、兵役の「適用範囲」であって兵役の「種類」ではないよ。

兵役>自由兵役>志願兵
       >義勇兵
       >傭兵
       >群民兵(便宜上ここに分類される)
  >強制兵役>徴兵
       >民兵

で、国民皆兵ってのは「兵役年齢の人間は(例外を除き)兵役を課す」
って事なので、老人子供は別。
対義語は「選抜~」って事になるのかな?「選抜徴兵制」みたいな感じで。
(59:ミリ屋哲@モバイリ ◆4EZIX.r92I)
ちょうはつ 【徴発】
(名)スル
(1)強制的に物を取り立てること。特に、軍需物資を民間から集めること。
「民家から食糧を―する」
(2)強制的に人を呼び集めること。「堤防工事に人員を―する」
{(59:470)

よく予備役が多い方がいいみたいなこと言う人がいますが予備役が多い国はそのぶん、兵器、弾薬、燃料、食料など確保しているんでしょうか?

予備役出動で人数が増えた分、武器や食料はあるの?という意味だと思いますが、
はい、たいていの国ではちゃんとその分の備蓄があります。
(10:system)

「職業軍人」という単語について

徴兵制の軍隊の場合、士官や下士官などの職業軍人は通常、定年になるまで常に軍務に就いています。
それに対し一般の兵は何年かの現役期間が終われば除隊し一般社会に戻ります。
社会に戻った兵は戦争などが始まれば召集されて再び軍務に就きます。
そして戦争などが終われば復員してまた一般社会に戻ります。
(41:955)

徴兵のメリットって何ですか?

徴兵のメリットは確実に一定数の歩兵数を確保できることです。
しかも、同数の職業軍人を雇うより人件費等は安くなります。デメリットは流石に徴兵期間を
10年とか長くは設定出来ないので、兵士としての意識・質は職業軍人より劣る事があったり
します。ちなみに徴兵=歩兵配属ってわけでもないんですよ。

歩兵はとても重要なものです。特に半島のような大規模な陸戦、ゲリラ戦が想定される場合には
歩兵は必須。というより欠かせません。
爆撃でいくら向こうの軍隊を叩いても、最終的に地域を実際に支配下にに置くのは歩兵を中心と
する陸軍力で、ソレが無いとどうしようもありませんから。
(44:462)
メリット
人が一杯来てウマー
国民の国防上の意識改革が可能(と言われてる)

デメリット
徴兵で只みたいな値段で人が手に入っても、
結局教育やら何やらで人件費が掛かる罠。
人は喰わにゃ生きてはいけないからね。

基本的に国防上陸戦を重視してる国は徴兵制は結構メリットがある。
何故かと言うと、どちらかと言うと陸戦は兵士の質より頭数が重要。
逆に空海を重視してる場合は、量より質となる為メリットよりデメリットが多い。
(106:170)
経済的にはデメリットしかない。徴兵された人間は「世間で貰える給料-糧食費」を
労働力の形で収めてるのだから、増税と変わらない。
所得税を増税して職業軍人を雇っても同じ。

軍事的には「奇特な志願者以上の頭数を揃えられる」というメリットがある。
しかし、実際の費用(社会全体に対する負担)では志願制とコストは変わらないのだから、
本気で全員徴収すれば経済は破綻する。
(106:178)



徴兵制てその国の経済にはどういう影響与えるんでしょうか

むしろ、問題は国力(経済規模、人口等)と保有兵力数の問題であって、
徴兵制か志願制かはたまた民兵制かという「どの兵役制度を採用するか」
とはあまり関係ない。

それと、失業対策に関しては、あらゆる国家事業そのものが失業対策の
側面がある。
(59:ミリ屋哲@モバイリ ◆4EZIX.r92I)

野戦任官という制度がありますが、具体的にどのように運用されているのでしょうか?

また、どのような規定がありますか? 

戦死者が多く、人手が足りない。民間人(保護した避難民のような人たち)に必要な能力を持っている人物がいて、
志願してくれた。しかし、その人物は未成年で、しかも中立国市民……という場合、
その人物を採用することは可能ですか?
国、時代によって違います。
戦時における採用・昇任に関する権限は法令で規定されています。
「兵の採用は良いけど将校は駄目」とか「師団長は尉官の昇任は出来るけど、佐官は駄目」等
自衛隊の場合、「野戦」の為の特別規定は有りません。
(84:380)

徴兵制度がある国は、喧嘩は強い?

弱い。頭数で勝負するしかないから徴兵するのだ。
ハイテク兵器を駆使した現代戦には少数の優秀な兵士をそろえた国の方が
100倍くらい強い。(アメリカ軍対イラク軍がいい例)
(86:530)
徴兵制って言うのは軍から抜けた後でも予備役などに編入して国家の非常事態のとき
ある程度のレベルの兵士がコンタクトに供給できる利点がある。
しかしながら国民感情は必ずしも良いとは言えない。
(86:531)

負けてても軍隊って給料出るのか?

「機密費」として現金で将校ひとりにつき3000~10000円が支給されてた。
小野田少尉はルバングのジャングルでは役に立たないから煮炊きに使っていた。(良く燃えたそうだ)
(92:201)

先進国で徴兵制が今や一般的でないのは、軍事的側面からですか?それとも政治的側面が要因?

韓国とイスラエルは軍隊の効率性というより
常に臨戦態勢にあるという現状が徴兵制を存続させているな。
(94:165)
両方
付け加えれば経済的側面も

ハイテク兵器で戦争をするようになったため人数よりも兵器運用に長けたスペシャリストの方が重視されること
兵役という義務は有事の可能性がない時は国民受けしない
また経済的に安定すれば軍隊で寄食するより一般的な経済活動のほうが個人的にも社会的にも効率がいいこと

など
(94:167)
まあ兵器のハイテク化でやる気の無い奴を無理やり引っ張ってきて持た
せるには勿体無いし使いこなせないという部分が大きいでしょうね。
(94:168)

フルメタルジャケットや愛と青春の旅立ちを見ていて気になったのですが、

これらの映画に出てくるような先任軍曹の教官はどのような過程を経て養成されるのでしょうか?
あと、あの独特の口調も何かの過程で訓練されるものなのでしょうか?
各部隊で勤務している下士官の中から、有能な者をピックアップして訓練
教官に充てています。

あ、下士官そのものは兵隊が経験値積んでレベルアップしたってことです。
無能な兵隊は下士官になる前に退役します。

あの独特な口調その他教育のテクニックは、マニュアル化されたもの、口
伝で代々の教官に引き継がれていくものなどがあります。
口調なんかは、聞き取りやすく、インパクトがあるということであのあた
りに落ち着いているのでしょう。
(96:496)


徴兵制についての質問なんですが、徴集兵で整備兵やら戦車兵やらパイロット、船の運転、砲撃、みたいなの出来るんですか?

他にも下士官とか務まりますか?イスラエルや韓国は二年、三年だけど、ノルウェーやスウェーデン、フィンランドは半年、一年だから到底無理だと思うんですが…

徴兵制のある国で「義務」としての兵役期間に歩兵科以外の職種になることはまずない。
あと、下士官になるには兵役期間が過ぎたあとに試験を受けるなりして「職業軍人」に
なる必要がある。

ただ、戦時に急速に軍隊を拡大させてるような場合は、徴兵でも最初の段階で適性を
選抜して、いきなり歩兵以外の兵科に配属したり、下士官としての教育を受けさせて
下士官で始めたり、ということをすることもあるけど。
(初心者質問スレ477)

旧軍の場合は、平時ならば徴集期間満了時に志願することで下士官への道が開かれています。
この場合は、徴兵期間満了後も軍で生活することになります。
もう一つは、徴集期間が満了して、上等兵として除隊する場合、下士官適任証を受けると、再召集の
際に下士官として任用されるケースがあります。

また、高等教育機関(中学校卒業以上)ならば、先ず士官学校の受験を奨められます。
これに応じて幹部候補生になり、将校にならなかったら、下士官に任命されます。

戦時の場合は、兵としての在隊期間が長くなり、勢い、志願に拠らない下士官が多く生まれていますね。
(513:504:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

国家が民兵を組織する場合は,どうやってるの?


 簡単に説明すると,あらかじめ一般市民に兵士としての訓練をし,有事の際には動員して企業,学校,自治体単位で部隊を編成し,任務に就けるようにしています.
 一般的に言って,武装は国軍が使用していた旧式装備などを中心としていますが,戦車や火砲などの重装備は使用しない場合が多いです(アメリカとかは例外).

 民兵を保有している国の多くは,国民皆兵制をひき,徴兵の終わった成人男子に対して年何日間かの訓練を施し,それをもって「民兵」としている場合が多いです.

 有事以外にも大規模な自然災害の際に,市民の支援や治安警備のために自治体が動員する場合があります.
 アメリカだとハリケーンの季節などに州兵が動員されることがありますが,これがそうです.
 国単位で大規模な動員が必要な際は,これらの民兵機構に重装備を与えて再訓練し,国軍に編入する場合もあります.
 旧西ドイツの「郷土防衛隊(だったかな? ^^;)」の場合,その主任務は有事の際の市民の避難の支援や,後方の警備などとされていました.

 日本の場合はほぼ無理でしょう.
 訓練のために定期的に民兵を徴集することを,企業や経済団体(=与党 ^^;)が許さないでしょう.

(軍事板)

訓練された正規兵と民兵は,どの程度能力が違うのでしょうか?

特に歩兵同士を比較すると,ヘルメットやボディアーマーの有無以外,差を感じません.
戦闘技術や戦術に大きな差はあるのでしょうか?

 「訓練された正規兵と民兵」と単純に言っても,そう簡単に比較できないよ.
 文から察するに,単純に歩兵個人の戦闘力の差だけを考えてるように思えるが,実際の戦闘じゃ民兵と,大規模な火力支援が望める正規兵の差まで考慮するのかによって,答えは違ってくるし.

 民兵.と単に言っても,麻薬代が欲しくてAKを持ってただ駆けつけたようなアフリカのゲリラみたいなのも居れば,アメリカのPMCの様に元特殊部隊軍曹みたいなのも居るんで,単純にはいえないし.
 中には統制が余り取れていない組織も在れば,LTTEの様に統制が取れている組織もある.つまり,組織によって大きな違いがある.

 ちなみにイスラム・ゲリラの場合は,攻撃作戦は各地で無関係に行われて,その戦果だけを共有する形が多いそうだ.

 またアフリカの民兵の場合は装備が旧式な場合が多い.
 ただし,現在のソマリアでのイスラム法廷戦闘員とエチオピア兵を比較した場合はどちらも旧式と言う状況もあるので,装備に大きなレベルの差があるとも言いがたい.

 戦意についても、程度問題.
 野盗に毛が生えた程度の民兵もいれば,宗教的過激派のゴリゴリのヤツもいるわけで.

(軍事板)

徴兵制は人件費抑制のため?

臨時徴兵ならば,これは税とおなじで国民の義務なので,給料らしい給料は払わなくてよい.
難しい兵器は職業軍人に,銃を担がせて量を求める歩兵には徴兵兵員で充分?

 はっきりいって金はかかります.
 最低限当然の給与払わなけりゃいけないし,徴兵されたやつでも腹はへるし,電気も使うし制服,戦闘服いろいろ支給しなきゃいけないし,徴兵専門の教育隊も作らないといけないし,それを教育するためには,もっと維持するのに金のかかる下仕官を助教として大量に迎えないといけないし,当然教官の仕官もいる.

 しかも,徴兵した兵士に最低限教え込まないといけないことは,これだけあります.

自分が使う兵器の整備分解組み立て.
上官の命令に従うこと.
自軍と敵の見分け方.
捕虜になったときのアレ…つーか捕虜関係.

 とりあえずこれぐらいは教えとかないと自軍の邪魔になります.
 さて,これを臨時徴兵して,そして教え込んでから戦争に行く閑はあるでしょうか.

 徴兵制の大きいメリットは,ちょっと再訓練したら使い物になる兵士になる一般国民がいる,ということです.

(軍事板)

第二次世界大戦ごろから女性兵士が登場するようですが、列強各国で女性を軍人として採用したのはいつごろからなんでしょうか?

米国では1940年頃から、陸軍婦人部隊が採用されており、主に後方勤務に就いて
います(一部はジャクリーヌ・コクランの様に航空機輸送に従事していますが)。

英国では第一次世界大戦中から既に陸軍婦人補助部隊(WAAC)が出来ていましたが、
第二次世界大戦に活動したのは、1938年9月9日に国王勅令によって婦人国防軍(ATS)が
設立されてからです。
この組織は陸軍の指揮系統とは別で、23~75名で小隊を構成し、2~5個小隊で1個
中隊を構成、更に数個の中隊を束ねて、群となり、1つの群には250名前後の隊員がい
ました。
彼女たちは、当初、調理員、事務員、運転手、電話交換手として活躍しましたが、ダンケ
ルク撤退後は、探照灯操作員、レーダー手、高射砲補助員にも就いています。
また、空軍の方にも数個中隊の部隊が配属され、これらは後に婦人補助空軍となって
います。
海軍では、1917年に王国婦人部隊(WRNS)が創設され、一旦解体されたものの、1939年に
再結成されました。
ちなみに、英連邦諸国でも同じ時期に創設されています。

ソ連は革命当初の干渉戦から女性兵士が積極的に採用されており、こちらは一線勤務に
なっています。

対して、枢軸国では、ドイツで親衛隊の女子補助隊員が採用されていた位で、余り積極的
に採用はされませんでした。
(132:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

職業軍人と志願兵に違いあるんですか?

某書籍に韓国軍の兵制について「職業軍人制と志願兵制と徴兵制の混在型」と書かれてたもので。

その国の制度がどうなっているかによって微妙に違いますが、
通常、職業軍人とは、志願あるいは徴兵によって服する兵役期間を満了した後、
「兵役期間ではなく、定年によって退役するまで」軍に雇用される軍人となります。

例)

志願→任期→任期満了→継続して職業軍人になる
               →一般人に戻る

徴兵→任期→任期満了→継続して職業軍人になる
               →一般人に戻る

また、国によっては「志願により、最初から定年まで勤めて退役する職業軍人になる」
という制度になっている場合もあります。

志願→職業軍人→定年により退役
(初心者質問スレ483:311)

近代の軍隊においては徴兵が無意味あるいは有効でないと聞きましたが

ではなぜドイツや韓国、北欧諸国では徴兵制が続いてるんですか?
「徴兵が無意味あるいは有効でない」というのは正確ではない。
どの国の軍隊でも技能習得に長期間を要する兵科(職種)もあれば比較的短期間で習得できる兵科もある。
経済学的にいえば前者は高技能労働者、後者は低技能労働者となる。

基本的に徴兵制にすれば労働市場において民間企業との競合が無いため一定コストで
定員を集めることが出来るメリットがある。
また(国によっては)徴兵制により社会福祉コストを抑えることができる。
例えば総志願制のアメリカ軍の場合勤続20年で年金の受給資格を得る事ができ、
退役時の基本給の半額を一生受け取ることが出来る。このため早い者なら38歳で
退役して年金生活に入るため、社会福祉コストを増大させているという指摘もある。
徴兵制ならば、日本で問題となってる派遣社員や期間工のように兵士を短期間で
使い捨てることが出来るため、社会福祉コストが削減できるというわけだ。

上記のメリットは低技能労働者の多いローテクの労働集約型軍隊ほど多い。
逆に高技能労働者の比率が高いハイテク化した近代の軍隊は、装備コストの高い
資本集約型の傾向が強く「徴兵制のメリットは比較的少ない」というのが正確。

またドイツの場合徴兵制といっても良心的徴兵拒否によって福祉活動に就いている者の方が多く、
社会福祉のコストを抑えるというメリットもある。

なお徴兵制は単に軍事的、経済的合理性からのみ行われているのではない。
「市民」は公共財の維持に参加すべきであるというのが民主主義の原則。
逆に参加せず公共財へただ乗りする者はフリーライダーとして批判される。
(これは右翼の愛国主義とは全く異なる脈絡からの批判であることに注意)

ドイツや北欧などの民主主義国家はどこかの国のプロ市民と違って「市民」と
しての自覚を有しているからこそ徴兵制が今も存続してると考えることも出来る。
(508:195:経済板住人 ◆ebHA.RI.WI*一部改編)
旧来の短期の任期制ってのは現役時代に元をとる必要がなかったんだよ。
徴兵で一人前にしたらその後何十年か予備役として戦争に備えてもらう。
1人の兵を10年養うより5人の兵を2年づつ養うことで潜在的な動員数を5倍にする
これがいわゆる国民皆兵。

今は予備役を動員するような戦争が減ってるから、ずっと現役でいてもらった方がいいんじゃね?
って風潮が強い。
良い例が自衛隊で任期満了手当が必要な任期制隊員を削減して、曹候を大幅に増やしてる(一万人ぐらい)。
日本の場合、任期制隊員がなかなか予備自衛官になってくれれないしね・・・
もちろん大規模な戦いや長期戦がなくなったわけじゃないので、そういう時予備役が十分にいないと
イラクの米軍みたいに兵力不足に苦しむ。
(508:222:モッティ ◆uSDglizB3o)

現代の徴兵制ではない先進国の兵士の採用の仕方って自衛隊と大体同じ感じですか?

士官は士官学校か幹部候補生のような制度、兵は2~3年の任期制って感じなんでしょうか?
大きなところはその通り。
ただ日本は雇用慣習から下士官になること前提のコースの
曹候補[学生、補士、補生]などが用意されていることが特徴。
あと航空学生もこれに含めていいかもしれない。
(514:505)
アメリカだと地方のショッピングモールを制服を着て勲章ぶらさげた軍人が
歩いている。何やってる人かといえば募集官。ソースは華氏911。
士官については、ROTC(予備役将校課程)というのが大学によってはある。
無い大学、かつてあったけど無くなった大学もある。
いわゆる士官学校卒の士官は25%くらいを供給している。その他、士官候補生学校
(下士官、兵からの昇進)やROTCなどが供給している。最近ではOCS(士官候補生学校)
卒の者が増えているとのこと。
(514:506)

軍隊を就職先として考えた場合、やはり公務員だから、人気なんですか?

自衛隊でも、幹部や曹になれば、生活は安定しておりますよね?
例えば米軍(っていうか多くの国)では、軍人は公務員だけど生涯雇用じゃない
一定年齢までに決められた階級に昇進出来なければ、自動的に除隊(将校は予備役編入)
決して安定した職場ではないし、そこで生き残れるほどの優秀な人材なら他の職場でも出世出来る
ただ、エントリーは楽だから、能力を実証して出世するためのステップとしては人気
退役後の就学や資格取得支援もあるし
自衛隊だって派遣やフリーターと比べりゃ安定してるかもしれんが、公務員って枠の中では最下層の不人気職
海外含めた全国転勤有りの職場が、安定してるとはいいがたい
逆に不人気だから、同期との出世競争が有利になると踏んで、外務省課長よりは防衛次官目指すってのもいいかもな

日本の場合、曹以上だと、公務員と言う安定性を求める人がいることは否定できない。
アメリカの場合、兵階級は人気が無く、奨学金や、市民権取得のためのステップということをニンジンにして人をつってる。
当然ながら、そんなのにつられる人以外に、使命感に燃えて入隊する人がいることを否定できない。
(522:450,452)

大男が軍隊に組み込まれたケースはあるのでしょうか?

チェホンマンという大男の韓国人格闘家が、徴兵を逃れたことでバッシングを受けています。
彼のような大男が軍隊に組み込まれたケースはあるのでしょうか? 218cm 160kgです。
フリードリヒ1世のころのプロイセン軍には大男を集めて擲弾を投げつける「装甲擲弾兵」という兵科があった。
とはいえ、近代以降になると「合う軍服がない」「行軍するにしても歩調が合わない」ってんで
あまりに背が高すぎるヤツと低すぎるヤツは兵役を免除されることが多い。

旧日本軍にしても身長180以上で免除されてたはず。
台湾や韓国軍もそうだね。(基準は各国によって違うけど)
(523:737)

志願制常備軍と徴兵制の非常備軍の、その国の総人口に対する割合はどの程度になるのか教えていただけませんか?

出来れば、中世と近代のをお願いします
切羽詰っての根こそぎ動員なんてやらない限り、徴兵で兵を増やすとてきめんに
農作物の収穫量が減るし、面倒みないといけない兵隊の数が増える。
三国志の時代の蜀の末期が、2割超えてたはずだけど、それも人口が多く兵も多い魏と
直接ぶつかってたからという話。
あとあの北朝鮮でも人口2000万人で、兵隊数が70万人だから、3.5%になる。
(615:42)

障害者でも兵士になれるのでしょうか?

末期的症状を呈している軍隊ならあり得ます。
流石に手足欠損の人間を兵士にすることは滅多にありませんが、弱視、片目のみ正常、
難聴、精神薄弱については、召集令状が発行されることがありました。
(319:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

史上最年少の軍人を教えて下さい。

史上最年少の軍人は、アフリカかアジアの国で、年齢を記録されることもないまま、
強制徴募された人であろうと、想像します。
過去も、現在も、国際法違反の少年少女の兵士は多数存在します。
第二次世界大戦中の日本海軍でも、特年兵の14歳がありました。
ウィキペディアには、写真付で、「中国国民党の兵士、10歳。」とあります。

Wikipedia - 少年兵 - 「国際法では、18歳未満の子供は強制的徴兵されないとしている。
しかし、紛争が頻発している地域では多くの子供たちが強制的に徴兵されている。」

下記、海軍特別年少兵を参照ください。
http://www.geocities.jp/bane2161/kaiguntokunenhei.html
下記、ウィキペディアの少年兵を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E5%85%B5
(635:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)

ただの人がいきなり義勇兵になったり、ゲリラに参加したりしても役に立つもんなんですか?

スペイン内戦の時に集った義勇兵達は、兵役経験者も多かったにもかかわらず、
内ゲバまで始める始末で、共和国軍の混乱を加速させた、という意見すらあります。

はっきり言って役に立つ可能性は低いと言わざるを得ません。
ハイテク兵器花盛りの現代の戦場でやることはたいして無いというのもありますし
「上の命令に忠実に従って遂行する」訓練を受けていないのは痛すぎます。

自爆テロ要員ぐらいには使えるかもしれんけどね。それはもうゲリラ戦ですら無い。
(295:300)

徴兵を拒否出来る宗教ってどういったものがありますか?

819
特定の宗教だから拒否できるというより、
その国が良心的兵役拒否を認めてるがどうか次第
一昔前のドイツみたく宗教に関わらず本人の意志で兵役か社会奉仕かを選択できたような国もあるわけで
(俺初質スレ435:820)

男女平等を謳う国は多いのに女性を徴兵する国がほぼ無いのは何故?

徴兵で集めるのは高度な知識や技術を必要とせず
単に体力さえあれば良いような職種の兵士だが
絶対的な体力という面では男性より女性が劣るから
(俺初質スレ436:544)
大戦中は女性が活躍してたがな
(俺初質スレ436:545)
  • 伝統・社会慣習上、男の役目とされているから
  • 軍側として、大量の女性徴兵の受け入れには困難が多い。
 設備や部隊編成、与えるべき任務/役割(能力+慣習上、後方支援的なものが多い)変えないと…
  • 加えて、現在は選抜徴兵制の国が多いので、「徴兵による兵士選抜で求められる素質」
 =青年男子として平均を超える頑健さ。を殆どの女性は満たさない。
  • 北欧なども含めて、(バイトや腰掛など)短期雇用を前提とした非スキル型の労働者
 は経済構造上必要。若い女性は伝統的にこの役割を担っている

軍事上は様々なコスト掛けてまで女性徴兵を導入するメリットが無い。平等の理念で
推すなら、例外なく徴兵する事になる(選抜徴兵どころか、虚弱~障害者など含めて)
って事で、入れないのかなと。

加えて言えば、北欧やドイツなどの国では、兵役に行かない若者(女性+漏れた男)は
社会奉仕活動を行う事が慣習化※しており、徴兵対象者も軍務に換えてコレを行う事
も認められる国が多い。そういう所では実質的な平等が実現してるとも言える
※例えばドイツでは、20代半ばまでに1年以上の公的ボラ活動を行う男女が8-9割程。
 これは法的な義務ではないが、兵役かボラの経歴が無いと(公民問わず)就職では
 非常に厳しい事になる
(俺初質スレ436:546)
543
イスラエルが兵士に困って女性兵士を前線に立たせたら、
撤退命令無視が相次いでいたずらに被害が拡大したと言う話を聞いたことがある

女性兵士が『仲間を見棄てて撤退する』ことが出来なかったのか
男性兵士が『女性兵士を見棄てて撤退する』ことが出来なかったのか
どっちなのかは知らんが
(俺初質スレ436:548)

forced to work の訳は 強制労働?

いや、強制労働と訳したら間違い

当時、日本には徴用という制度があって、日本国民(植民地人、つまり朝鮮人含む)なら応じる義務があった
「やりたくない」というのは自由だが、やらなかったら法的に処罰の対象になるので、日本国民なら政府が
勝手に決めた場所で労働につかなきゃいけなかった
それを英語で簡単に言い表すと「forced to work」になる
こういう問題は歴史的背景を抜きにしたら、まったく見当違いの場所で戦うことになっちゃう
(戦争板初質7:587)



日本の兵役制度


旧日本軍には何度も営倉に入れられた問題兵がいて、しかも営巣に入った回数を自慢しているような奴もいたとの事。

1度だけならともかく何度も営倉行きになるような兵がクビにならないのはなぜでしょうか
重営倉までなら何とか部隊内で処理できるためです。
軍法会議にかけられるような重い罪(脱走・傷害事件等)でもない限り犯罪者を出すことは
部隊の名誉にかかわるため、上官への反抗程度なら重営倉で済ませていました。

しかし、軍隊内兵役拒否(灯台社の明石真人など)ともなれば軍法会議は免れず、
不敬・抗命の罪名で懲役二年の刑を受けたりしています。

それから兵役は国民の義務ですから、途中でクビなんてありません。
(67:38)

過去、徴兵制度があった国では有力者や金持ちの子息は特別扱いされる事はあったのでしょうか?

日本では、徴兵制度が制定された初期の頃は、代人料270円を納入すれば
兵役につく必要はありませんでした。
もっとも平均年収が200円を切っていた時代のことですから、こんな大金
を納められる人など滅多にいません。

たいていの軍隊では、大学生には徴兵猶予の特権を与えています。
現代の日本では大学もかなり大衆化していますが、戦前の日本では大学に
進学できたのはごく一部のエリート様だけでしたし、今でもそういう国は
いくつもあります。これも一種の金持ち優遇策と言えるでしょう。
(96:410)

戦時中の日本において、心身ともに健康な民間の成人男子が合法的に徴兵を回避するにはどのような手段があったのでしょうか?

上級の公務員とか。
理研に勤務してるとか。

納税額1万5千円を超えると免除。
(103:582)
1 志願する
2 事故に遭い不具者になる
3 理系大学生になる
4 軍属になる
(103:583)
徴兵検査をする軍医に賄賂。

往年の阪神タイガースの名一塁手松木選手は、戦争末期は会社勤めの身の上でしたが、
やり手の営業部員であったため会社側が軍医に手を廻して徴兵逃れの手続きを取ってくれたそうです。
あいにく、手違いから買収した軍医とは別の軍医に検査を受けてしまったため合格となり
沖縄戦に参加することになりました。

今は絶版になっていると思いますが、松木選手が執筆した沖縄戦の手記に載っていた話です。
(103:654)



旧制中学を卒業して志願して日本陸軍に入隊する人はいたのでしょうか?

そういう人たちは一体どんな部隊に所属してたのでしょうか?
旧制中学→陸軍士官学校というパターンが多かったようです。
一兵卒として従軍する人もいたようですが(こちらは徴兵の方が多いのかな?)
どういった部隊に行くのかは、人によって違います。
士官学校卒業者については、出身地に関係なく、どこの部隊にでも配属されます。
(107:157)
戦前の場合は、中等学校以上の学校卒業者に対しては、一年志願兵制というのがありました。
これは、予備、後備役の幹部を養成する為のもので、一年の在営期間中に伍長に昇進させて予備役に
編入、勤務演習の後に合格すれば予備役将校に任官させる制度です。
一年しか軍に属さない代わり、在営期間中の費用は自弁で、将校に任官した時も被服費は自弁だったり
します。

この費用自弁制は1933年に廃止されていますが、幹部候補生制度と名を変えて残ります。
但し、中核人材の確保から、入営期間が延長されています。

幹部候補生は、入営後直ちに一等兵になり、二ヶ月後に上等兵になります。
この時に甲種と乙種の幹部候補生に分かれ、甲種は一ヶ月後に伍長、三ヶ月後に
軍曹となり、兵科毎に陸軍予備士官学校、各種兵科学校で十一ヶ月の集合教育の後、
曹長となり、本隊に帰って四ヶ月後に本務に必要な勤務習得後、少尉となって退役
します。
しかし、日中戦争の進展に伴う幹部の払底から、予備役に編入されてもすぐに充員召集、
臨時召集対象者となったので、予備役から現役になる道も開かれていました。

乙種幹部候補生は、四ヶ月後に伍長に進み、一年三ヶ月後に試験を行ない、約半数を軍曹に
任命します。
また、そのうち優秀なものについては、将校勤務適任証が渡されています。

1943年から航空、船舶、通信、兵技、航技の現役下士官補充の為に、特別幹部候補生というのも
作られています。
入隊または入校後直ちに一等兵となり、六ヶ月後に上等兵、更に六ヶ月後に兵長、課程修了後伍長任官
となります。
このうち、中等学校課程修了者については、軍曹に任ぜられる場合もあります。

海軍の場合は下士官任用特例という制度があり、現役兵から選抜され、水兵科、飛行科、整備科、機関科、
工作科、看護科、主計科の各兵科で、兵長に任じた後、各種学校での六ヶ月間の教育修了後、二等下士官
とするもので、これも成績優秀な場合は、一等下士官となっています。
(107:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
補足すると昭和14年の時点で、
陸軍の兵科の中尉、少尉の7割以上が幹部候補生出身になっています。
日華事変直前の甲種幹部候補生の採用が毎年3000名以上、
それに対して士官学校卒業生は500名です。
また甲種幹部候補生の半分近くは中学卒です。
(107:161)



徴兵逃れについて、

祖父は視力検査の際に近視であると偽り、丁種不合格となって大戦を生き延びたと語っていました。
こんな適当な徴兵拒否工作で乗り切れるほど、当時の検査は甘かったのでしょうか?
其処はそれ、極めて日本的なナァナァの世界ですから、その辺の徴兵逃れはやろうと
思えば何とでも成ります。
検査するのは同じ街の医者ですから、その人が知り合いであれば、工作は容易いこと
です。

徴兵されても、即日帰郷、以後召集に適せずの烙印を押される場合もありました。
この場合は、それなりの金がそれなりの要路に渡っていますが…。

また、徴兵検査直前に醤油を飲むなど各種の欺瞞工作は行われていました。
各市町村には、徴兵係が一名専任で置かれており、彼と懇意の場合は、徴兵を免れる
場合もあったようですし、会社勤めで、事務屋をしていた人が、徴兵を逃れる為に、工場
勤務と偽っていたケースもあります。

但し、徴兵逃れが発覚した場合の罪は重く、即刻召集、最前線送りというケースか、
その代わりに常磐炭坑などの炭坑で炭坑夫となるケースがあります。
また、本人ばかりでなく、市町村長、徴兵係も連帯責任と言うことで懲戒処分を受ける
場合もありますので、徴兵係は、滅多に徴兵逃れの片棒を担ぐことはありませんでした。
(124:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

赤紙(召集令状?)はどのような手続きで交付されたの?

赤紙と言うのは、俗称です。
召集には、充員召集と臨時召集に分けられます。
充員召集は、軍中央で決定され、参謀総長が天皇に動員実施を上奏して承諾を得て動き始めます。
これにより、軍から各警察署を通じ、各役所に対して、「動員令予報」と言うものが届けられることになり、
これをトリガーに各役所の兵事係は、動き始めます。

間もなく、赤紙の入った封筒が警察から各役所に届けられます。
封筒には師団名と動員符号が記入され、地方自治体名と動員数が書かれ、警察署長からの送付状も同封されています。
この送付状に兵事係が受け取り日時を記入し、警官に返します。
封筒は、首長以下三役立ち会いの下で開封され、誰が召集されるのか、この時点で明らかになります。
兵事係は在郷軍人名簿と照合して、記載内容に誤りがないか確認します。
ちなみに、氏名の文字に誤りがあるだけでも、赤紙は交付出来ません。

点検後、応召連名簿(赤紙の発行記録簿)に氏名の記入をした後、役場職員が急使として各家庭に赴き、
交付することになります。
赤紙を受け取った対象者の家庭では、受領証を切り取って日時を記入し、急使に手渡します。
対象者が地域から出ている場合は、予め決められた通報人が代理受領し、本人に知らせることになります。
交付が終わると、兵事係は礼状発想交付終了通知書を作成して警察に届け出、一連の業務が完了します。

臨時召集の場合は、各師団で発行します。
これも同様に兵事係が手渡しを行います。
(337:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

うちの祖父は旧帝大の理学部でしたが、陸軍にいたみたいなんです。理系の大学生でも徴兵の対象になったんですか?

当時徴兵は男性の義務で徴兵検査は全員が受けます。
うち合格者が召集の対象になり、選抜されて兵役に尽きます。
理系、医系の学生は27歳まで召集が免除されており、27歳以降であれば
学徒出陣以前でも兵役についた可能性があります。
(335:401)

徴兵令が廃止されて兵役法が施行されてから、赤紙が届くという事は独仏のWWIなどの単純な予備役召集という意味ではなくなったのでしょうか?

赤紙ってのは再召集のことだぞ
やっぱり赤紙が来る人ってのはそれより以前に基礎訓練を受けているということでいいんですよね。
昭和二年の徴兵令を改定した徴兵法で、戸籍法の適用を受ける満二十歳のものは
全て徴兵検査を受けることが定められた。
この徴兵検査で甲乙丙丁戊種に分け、甲種合格の者が二年の兵役に就くものとさ
れた(時節によっては就かなくてもいい場合もあった)。
この兵役が終わると予備役→後備役兵→ 第一国民兵となっていく。
この期間を在郷軍人と言い、これを再召集するのが通称「赤紙」の充員召集令状、
臨時召集令状。
また、兵役に就かなかった者は補充兵→第二国民兵となり、こちらは教育召集
(赤紙ではなく白紙)されて教育を受けた後、実戦部隊等に送られる。
(296:118-183)

太平洋戦争中、日本の徴兵年齢ってどのように変わっていったのですか?

また、40台のオッサンが再徴兵されるようなことって結構頻繁にあったのでしょうか?
1927年の兵役法(法律第47号・徴兵令は太政官布告でそれに変わるもの)では、
戸籍法の適用を受けるもの、即ち、内地と樺太に本籍を有するもの、つまり、内地人の男子については、
17歳~40歳まで、兵役に耐えぬ者を除き、全て兵役に服することを定めています。
従って、たまたま、召集を免れただけで、その範囲内の男子は兵役に服することがある訳です。

これが、1943年になると、軍医の払底から、徴兵年齢の上限を引き揚げることになります。
(軍医だけを狙い打ちにすると、不満が出るので、全員の年限を引き上げた)
これにより、17歳~45歳まで召集可能となりました。

40歳(1943年以降は45歳)で、兵役は終了しますが、1945年、義勇兵役法(法律第39号)によって、
男子15歳~60歳、女子17歳~40歳の全員(現役と召集中を除く)が義勇兵役に登録され、国民義勇
戦闘隊に召集を受ける場合があることになります。

40代の再召集は特に医者に多かったようです。
(216:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本で徴兵回避の手段として、鉄砲の引き金を引けなくなる様に、利き手の人差し指を切り落とした人がいたという話は事実なんでしょうか?

人差し指を落したり、屈曲出来ない様に装ったり、動かなくしたりなどをやったケースはあります。
但し、それ以外の身体的機能が問題なければ、下手すれば乙種、最低限度でも丙種程度の合格には
なります。
乙種なら十分に召集の対象、丙種でも末期なら召集の対象となり得ます。

尤も、その前に、徴兵忌避が知れてしまえば、常磐炭坑などで働くという選択肢が有無を言わさず待って
いますけどね。
(284:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

太平洋戦争中、軍に召集されなかった人はどんな人ですか?

男は根こそぎ軍に動員されていたようにイメージしますが、役所などの公務員は徴兵されてたんですか?
旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部で行ないます。
この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状
を作成します。
これは、充員召集令状と言い、前年度に作成し、予め警察署に保管、動員令が下令されると発行するもの
です。
また、中央とは別に、その地区を管轄とする師団から、戦死、戦傷、戦病などの要員で人員の不足があった
場合、管轄地域で召集令状を発行しました。
これを、臨時召集令状と言い、師団毎に随時作成されています。
比率から言えば、日中戦争勃発後、後者の令状が多く発行されています。

この発行の基礎資料になったのが、各市町村役場の兵事課から提出された在郷軍人名簿です。
これには軍隊の経歴、召集回数、健康程度、家族関係、思想関係、治癒見込(病気の場合)などが
記述され、このほか体格等位に徴兵検査の結果を記入、役種に兵役種類が記入され、更に特・分業、
特有の技能が記入されています。

充員召集令状を発行する場合、特・分業、特有の技能に注目し、中央が作成した動員計画の必要技能
召集する部隊の練度、任務の軽重なども勘案して、召集を決定します。
他に、体格等位、健康程度などを重視して必要兵を抽出していきます。
海軍の場合は、更に思想関係も重要視されたようです。

さて、召集記録の欄の末尾に「召集延期者」略して「召延」という朱印が押されると、召集対象外となり、
召集令状は来ることがありませんでした。
これには甲、乙と二つの区分があり、甲は絶対召集しない人、乙は人がいない時に初めて召集対象
となる人です。

この召集延期の制度は昭和2年から開始され、制度が年ごとに拡大していっています。
ちなみに、この規定は、陸軍動員計画令(永年動員計画令)に記載されたものです。

例えば、1943年当時の戦時召集延期者は以下の通りです。

1. 侍従、侍医、東宮傅育官、皇宮警察官吏、皇宮警察部消防夫
2. 陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者、及び特種の雇用人、工員にして必要欠くべからざる者
3. 鉄道又は通信業務に従事し、必要欠くべからざる者(一般国民対象)
4. 船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
5. 民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
6. 国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
7. 陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
8. 都道府県、地方事務所、警察署、市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
9. 帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中、必要なる者、並びに外地最高司令官、朝鮮台湾軍管区司令官
10. 帝国議会の議員
11. 国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
12. 上記の外、国歌総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして、必要欠くべからざる者

つまり、一般人は輸送、通信関係の職員、陸軍大臣指定工場技術者、兵事係などの召集業務担当者が全面的に免れ、
教師も一部が召集対象から外れています。
また工場の熟練労働者も対象となっています。
但し、工場などに於いてその選出は各工場に任されていた為、工場幹部の親戚が事務屋として入っていて召集延期者
として選出させた事例もあります。
この場合は、発覚すると即座に召集されるようになっていました。

1944年からは、臨時召集延期制度が始まります。
これは、航空機工場、特に重点機種(疾風とか飛燕とか言った戦闘機、飛龍などの爆撃機)の生産従事者は全員この
対象となって、召集を延期されています。

また、これ以外の航空機生産従事者、交通関係従事者、鉱山技師、炭坑夫、造船関係従事者、特攻兵器製造従事者
は、例え徴兵検査で入営することが決まっていても、一定期間その入営を延期する「入営延期制度」対象者となって
います。
この制度も1944年から開始されています。

これより先、1943年3月からは、既に入営した人で、軍需生産に必要な人でなおかつ、「軍の統率、団結、軍の士気上
差支えなき範囲内に於いて」召集解除し、職場に復帰させると言う「特別召集解除制度」がありました。

また、本土の食糧不足が深刻化していた1945年には、根刮ぎ動員があった反面、「召集要考慮制度」というもので、
軍需生産だけでなく、農林水産業従事者も対象にしています。

これらの総数がどれくらいあったかと言うと、召集延期制度が、1941年には10万人程度だったのが、1945年には
85万人、臨時召集延期制度は不明、入営延期制度は、1944年で20万人、1945年で6万人、特別召集解除制度は
1943~45年で4.3万人、召集要考慮制度は160万人が対象となっています。
戦時中の在郷軍人数は約500万人、召集要考慮制度を除くと、総数で115万人以上に上っています。

また、充員召集計画で召集令状を発行されていたのに、その充員召集計画自体が取りやめとなった為、結果的に
召集されなかった人も多かったようです。
(105:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第二次世界大戦時に日本の少数民族ともいえるアイヌや、山家の人達も召集されたんでしょうか?

民族によって違う
朝鮮人は徴兵された。台湾の高尾族や南洋信託統治領の一部民族もだ
アイヌや千島列島の諸民族は徴兵こそされていないが、部族丸ごと日本軍に強制的に協力
させられたりしている
概括的まとめ、かつ個々の事例は平岡正明の30年ほど昔の著作に詳しかった
(283:763)

徴兵検査で甲種合格をした人が31歳のとき日中戦争で召集されるというのはありえる話でしょうか?

甲種合格でその年まで入営をしていないとなると、甲種合格者が多かったために
抽籖による徴集を行って、それに漏れたということが考えられます。
その場合は第一補充兵役と呼ばれる兵役区分に分けられ、甲種合格者が少ない場合に
そこから徴集されることになります。
補充兵役の服役年限は十二年四ヶ月ですので、31歳というのはかなりぎりぎりの年齢です。
(280:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
軍曹氏の指摘に加えて、充員召集ではなくて、本当に足りなくなって
からの召集と言うことは考えられることがあるでしょうし、後は、召集時に身体
を壊して、召集延期になったと言うことも考えられるのではないでしょうか。
(280:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧日本軍では女性を軍人として採用する考えはあったのでしょうか。

女性を軍人にすることは考えも付かない状態です。
そもそも、枢軸国の場合は、人口の基、子育ての担い手としての女性という立場
があり、それを戦力化する方向にはなかなか進んでいません。
どん詰まりの1945年に国民義勇兵として採用しようとはしていましたが、結局、
それもどんな形になるのか明確になる前に、敗戦となっています。
(280:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

対米戦が開始されていない状況で、二度目の召集を受けるというのはよくある話でしょうか?

所謂「赤紙」に関しては、NHK特集で昔やっていたのが、本になっています。
図書館でも探せばあると思いますので、調べてみては如何でしょう。

最初の召集の際に、幹部候補生に志願して、再招集で将校となった場合とか、将校担当官
(経理担当とか軍医とかそう言う専門職の人々)は、本籍の部隊よりも、様々な部隊に回され
ます。

複数回の召集ということは十分あり得ます。
戦時の小隊長などの下級将校要員が不足し、幹部候補生を召集してそれに充てる、あるいは
兵科将校よりも将校担当官のエキスパートが不足したので、その業務が必要な人々を召集する
と言うことは、戦時体制の移行に伴い起きています。

ちなみに、我が祖父は3回召集を受けていますが、兵役義務は1回行ったからと言って
消えるものではありません。
原則的には、兵籍簿に「軍務に適さず」という朱印が押されない限り、召集の対象となり
ます。

召集は、動員下令により、動員部隊の要員を充足するのが、充員召集。
臨時に召集するのを臨時召集としており、前者が、防衛計画に基づいて年度初めに
予め誰を召集するのか、きちんと決めて聯隊区司令部とか役所の金庫に召集令状
が保管されていましたが、後者は、聯隊が、本隊の人員滅失状況を受けて、兵籍簿
から、充員召集令状の対象者以外を召集するものです。
(280:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦前の日本で徴兵検査うけて、兵科を決められるときに、自分から希望は述べられたんですか?

また、学歴や職業などは重視されたんでしょうか? 電気技師やってるから工兵とか。
兵科は自ら決めるものではありません。
希望を出すことはほぼ不可能でした。

但し、大学を卒業するなど高等教育を受けていた場合は、士官への登用を上司から促される
ことはありますし、学部に依っては、それに相応しい科に進むことは可能ですし、その方面は
非常に有利になります。
例えば、経済学部の場合は経理部、法学部の場合は法務部、獣医、医者の場合は軍医とか
獣医部とか…。

また、徴兵の場合、充員召集であれば、職業や職歴が考慮されることが多いです。
特に手に職を付けている、例えば、蹄鉄師なんかは、何度も召集されることがありましたし、
運転免許を保持している人も同様です。

臨時召集ではそんなことは考慮されず、ただ頭数を揃えるだけと言うケースが多いので、
熟練工を一兵卒にしてしまうことも多かった訳で。
山本七平の著書(「私の中の日本軍」か「一下級将校の見た日本陸軍」のどちらか)で、徴兵検査を受ける時に
キリスト教徒で非戦主義の先輩に言われて「衛生兵」を志願するが徴兵係に馬鹿にされ、恥ずかしくなって取り下げる…。
その横でW大学の学生が「自分は大学で学生砲兵隊に所属していたので、砲兵を希望いたします!」と名乗り出て徴兵係が書類に記入する…
というシーンがあったのですが、これは彼らが大学生だからですか? それとも一般でもあったことですか?
時代によるのではないでしょうか。
特に陸軍は、外部で高等教育を受けた人物に対しては、異常なほど敵愾心を燃やしていた部分
がありますから。

その希望は、あくまでも徴兵検査時に「聞き置く」と言うレベルのものであり、実際の兵科への配属は、
入隊後の教育状況で適性を見極めて決める場合が多いです。

因みに、漏れの祖父の場合は、大学出の教師だったのですが、何処をどう間違ったのか、親が医者
だったから、と言う理由で(後で聞いたらそんなことだったらしい)、衛生科に配属されて衛生兵になった
訳で、別に徴兵検査で希望を出した訳ではなかったりします。
(280:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦時中の日本は、金持ちは徴兵されなかったのですか?

納税額1万5千円を超えると徴兵免除と聞きましたが。
んなこた~ないです。

金持であっても、近衛の息子のように、徴兵された場合もありますし、中野正剛による
東条批判事件では、その弾圧に批判的な対応をした検事(43歳で国民兵に編入)、毎
日新聞記者は、戦局批判をしたために、四国丸亀の機関銃中隊に徴兵され、松前重義
逓信省工務局長も本来は少将待遇だったのが、召集されて二等兵として南方の第一線
に飛ばされています。

但し、徴兵されても、元居た所が必要と言うことで、軍に陳情するルートを持っていれば、
即日帰郷という場合もありました。

このほか、徴兵忌避の方法として、「軍事警察雑誌」には以下のケースが上げられています。
 強度の眼鏡を使用し、近視眼となるもの/全く故障無き眼を近視の如く訴ふるもの/眼に刺激性のものを入れ眼球を充血せしむるもの/
 前夜睡眠を為さずして他に眼病有るが如く訴ふるもの/耳穴に奥深く豆類を挿入したるもの/鼓膜に鳥の羽のものを付着せしめ聴力の
 故障を起こさしむるもの/強き刺激性の食物を採りて耳鳴りを起さしめ故障有るが如く訴ふるもの/歯を故意に抜き取るもの/醤油の類
 を多量に飲み心臓の鼓動を高くし心臓その他の疾病あるが如く訴ふるもの/受検二三日前より絶食し身体を衰弱せしむるもの/指を切断
 するもの/肛門に漆を塗り痔疾の如く訴ふるもの/神仏に徴兵を免るべく祈願するもの

他に、「徴兵検査研究録」では、
 卵黄を外聴道内に注入し、化膿性中耳炎を疑はしめしもの/角膜を刺傷または火傷せしめて角膜えいを作為せるもの/魚鱗を角膜に貼
 して角膜えいを作為せるもの/右示指(人差し指)を故意に長日間伸展位もしくは屈曲位に緊縛し置き該指の萎縮、強剛を作為せしもの
と言うケースも語られています。
徴兵逃れと懲罰的徴兵を混同されていませんか?
小金持ちが金を積んで徴兵逃れした例として、戸籍を北海道や沖縄に移す(実際は居住しない)夏目漱石・芥川龍之介など。
失礼、太平洋戦争中の事例を見ていたもので、戦前の事例は確認していませんでした。

ただ、戦前の場合は有り得たものの、昭和19年10月18日の兵役法施行令改正以降は、
第二国民兵として丁種以外の壮丁は全員召集可能になった訳で、そう言う意味での
理論上、徴兵逃れが出来なくなったはずと記憶しています。
また、昭和20年6月には義務兵役法によって、男子は15~60歳、女子が17~40歳という
根こそぎ動員も掛けられるようになっていますね。
(103:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧制中学を卒業して志願して日本陸軍に入隊する人はいたのでしょうか?

そういう人たちは一体どんな部隊に所属してたのでしょうか?
戦前の場合は、中等学校以上の学校卒業者に対しては、一年志願兵制というのがありました。
これは、予備、後備役の幹部を養成する為のもので、一年の在営期間中に伍長に昇進させて予備役に
編入、勤務演習の後に合格すれば予備役将校に任官させる制度です。
一年しか軍に属さない代わり、在営期間中の費用は自弁で、将校に任官した時も被服費は自弁だったり
します。

この費用自弁制は1933年に廃止されていますが、幹部候補生制度と名を変えて残ります。
但し、中核人材の確保から、入営期間が延長されています。

幹部候補生は、入営後直ちに一等兵になり、二ヶ月後に上等兵になります。
この時に甲種と乙種の幹部候補生に分かれ、甲種は一ヶ月後に伍長、三ヶ月後に
軍曹となり、兵科毎に陸軍予備士官学校、各種兵科学校で十一ヶ月の集合教育の後、
曹長となり、本隊に帰って四ヶ月後に本務に必要な勤務習得後、少尉となって退役
します。
しかし、日中戦争の進展に伴う幹部の払底から、予備役に編入されてもすぐに充員召集、
臨時召集対象者となったので、予備役から現役になる道も開かれていました。

乙種幹部候補生は、四ヶ月後に伍長に進み、一年三ヶ月後に試験を行ない、約半数を軍曹に
任命します。
また、そのうち優秀なものについては、将校勤務適任証が渡されています。

1943年から航空、船舶、通信、兵技、航技の現役下士官補充の為に、特別幹部候補生というのも
作られています。
入隊または入校後直ちに一等兵となり、六ヶ月後に上等兵、更に六ヶ月後に兵長、課程修了後伍長任官
となります。
このうち、中等学校課程修了者については、軍曹に任ぜられる場合もあります。

海軍の場合は下士官任用特例という制度があり、現役兵から選抜され、水兵科、飛行科、整備科、機関科、
工作科、看護科、主計科の各兵科で、兵長に任じた後、各種学校での六ヶ月間の教育修了後、二等下士官
とするもので、これも成績優秀な場合は、一等下士官となっています。
(107:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本で戦前にあった予備役、後備役というのは?

基本的に、徴兵検査で甲種合格した人を中心に召集が行われ、次いで乙種に召集が行きます。
それで足りない場合は、予備役、更に人材が払底すると後備役になる訳で。
(354:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧軍の徴兵時の身体検査で、色神・色覚で異常があった場合は徴兵免除されたんでしょうか?

平時を除けば、徴兵免除はされません。

甲種合格は難しいでしょうが、視力さえあれば、第一乙種もしくは第二乙種で
合格したでしょう。
視力が著しく低くとも、片目の矯正視力が0.3以上であれば丙種合格ですし、
片耳が聞こえなくとも第二乙種になり、両耳の著しい難聴でも丙種合格となり
ます。

徴兵の場合、丙種合格までは少なくとも第二国民兵役に服し、免除は為され
ません。
(562:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

徴兵を回避するための犯罪での懲役志願は少なかったと思いますが?

軽犯罪で短期の懲役はすぐに出所して徴兵されそうですし。
えー、犯罪白書には再犯率の推移の説明において「刑務所出所後3月未満で再入所する者の
比率は,戦時中に高かった」とあります。「すぐ出所して徴兵」される「前に」また刑務所に行く人
間がいたことを示すわけで、前提が崩れます。

さらにいえば、戦局が悪化して以降、受刑者数は上昇に転じています。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/30/image/image/h004027e.jpg


昭和15年以降「初めて刑務所に入る」という人間が急増しています。入所する人間の70パー
セントとか80パーセントが初めての懲役刑となるのは、戦局の悪化と戦後の混乱の時期の
みの現象であり、ポピュラーでもない、自慢にもならないが、手段の一つと見るだけの傍証
となります。

5年以上の懲役の比率は5パーセント以下、戦時下で急増したのは3年以下、5年以下の懲
役刑です。罪状で一番多いのは窃盗で、強盗や殺人は減少しています。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/30/image/image/h004029e.jpg
(562:ふみ)

旧軍での徴兵の際、どんな基準で「おまいは陸軍、おまいは海軍」とか決めていたんですか?

まず徴兵検査は全員が共通に受ける。
その際に、本人が配属先の希望を言うことはできたらしい。あくまでこれは参考。
甲種とかの判定基準は陸海軍で異なり、さらに時代でかわるが、海軍のほうが視力優先で、陸軍は体格重視。
甲種合格者から、陸海軍とも欲しい分だけ取る。これが現役入隊。
戦況悪化すると、乙種も現役入隊となってる。
増員の必要が出れば、予備役を使う。この際は、当然、現役時代の配属先に従う。
それでも足りないときは現役経験の無い残りから、召集する。
このときはもはや数合わせに近い。陸海の別も適当。
(658:453)
予備役召集の基準としては、在郷軍人名簿の種々の記載を参考に取る
体格などが補充先で最低限度使い物になるかどうか見るのはもちろん
海軍では視力と思想を重視したという
あと陸海軍とも補充先の職種などを考慮して、特殊技能者を優先的にもらう
例えば、陸軍の輜重部隊なら、自動車の運転免許があれば欲しがったようだ
陸海軍の区別というよりは、補充予定先の部隊に合わせていろいろな基準という感じがする
輜重部隊とか陸戦隊に呼ぶのは、安物で我慢しようみたいな
(658:454)
基本的に海軍は志願兵主体であって、平時は徴兵で海軍に振り分けられた人は少なかった様です。
徴兵で引っ張られたとしても、充員招集なので、高等小学校卒業以上の学歴を有している甲種合格者で、
技能者(大工とかボイラー手など手に職の付いている人々)が殆どでした。

しかし、太平洋戦争が進んで、兵力が払底しだしたときは、甲種合格者以外に召集源を確保していないため、
昭和18年勅令第421号で、陸軍より、第一補充兵役者(第二乙種合格者)を海軍の兵員供給源に振り替えて
貰っています。
(175:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本が植民地人の軍事的利用に消極的だったのって何故ですか?

朝鮮においては、正規の軍人として徴兵を始めたのは、1944年からですが、
志願兵制は1938年から存在しています。台湾では志願兵制の導入は1942年から
徴兵は朝鮮と同じく1944年からです。

理由は色々あるでしょうが、一番の理由は極実務的なもので、当時の植民地
において行われていた日本語教育のレベルでは、軍務に耐えるだけの日本語
能力を持った人間を養成できなかったためでしょう。軍務に就くためには、日本語
(文語体旧仮名遣い)で書かれた兵器操作法などのマニュアルを読みこなす
必要があったわけですから。

実際、陸軍の要請により、当時の日本語教育関係者やその他有識者によって
日本語の表記の簡素化と日本語口語の教授法についての研究が行われています。
そして、この軍が研究した表記の簡素化は、現代仮名遣いにつながっています。
この辺に関心持たれたのならこの本をどうぞ。

「海を渡った日本語―植民地の「国語」の時間」(川村湊)

ちなみに、兵補・軍属としてならば、日本軍の軍政下にあった東南アジアの占領地からも
多くの住民が自発的・強制的に参加しています。
(107:385)

旧陸軍では新兵を徴兵前の職業に応じて適材適所に振り向ける事を行っていたのでしょうか?

特技を持っている人は、充員召集令状での召集の場合は考慮されることが
ありました。
後、医者とか獣医とかの専門職とか。
但し、末期の根こそぎ動員の様に、誰が何でもとなると、そうも言っておられず、
適当に引っ張って適当に一兵卒にしています。
(273:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

警察官の職種の人は召集免除になると聞いたのですが、召集がくる事があったのでしょうか?

一般に警察官と言えば、治安維持に必要な人材と言うことになりますから、憲兵とか警備部隊への
充員召集対象者になっていた可能性があります。
それと、何らかの特殊技能(例えば運転技術など)を有していた方の場合は、充員召集に
充分掛かります。

また、当時の警察官は、現在の治安維持、犯罪捜査、交通行政をやっていた訳ではなく、厚生関係の
例えば、健康保険取扱い、工場などの安全対策、建築確認、獣医、防疫、医事関係、衛生対策、消防と、
現在の厚生労働省、消防庁などの仕事までやっていました。
ですから、警察官と言っても治安警察任務ではなければ、もしかしたら、上記のような技能の持ち主として
召集された可能性があります。
(133:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧日本軍の場合、どれくらい視力が悪いと徴兵を免れることができのでしょうか?

徴兵検査時に失明していると丁種となり兵役原簿には載りません。
視力1.0で甲種合格者、それ以外は乙~丙種合格者となり、兵役原簿に載ります。
平時の際は兵役原簿の甲種合格者の中から優先して現役兵として徴集されます。
(248:247)
平時ならば、甲種合格者が多すぎて徴兵できない状態になるので、
視力が足りない乙2種まで徴収する余裕はありません。
しかし戦時になると、甲種・やや病弱の乙1種だけでは足りないので、乙2種合格者も赤紙をもらいました。
当然ながら、目をよく使う騎兵にはなれません。
力仕事の砲兵や工兵、物資管理と物資輸送を担当する輜重兵によく配当されました。

ぶっちゃけ、大戦末期には実質的に不合格の丙種合格者もしょっぴかれたわけで
目さえ健康なら甲種をもらえた乙2種では徴兵逃れはできませなんだ。
(248:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

甲種では、各眼の裸眼視力0.6(後に0.3となり、かつ矯正視力0.8以上を可とする)以上
を合格としています。
つまり、逆に言えば、各眼裸眼視力0.6(後に0.3、矯正視力0.8)未満の者は身体壮健でも、甲種合格から外れました。
太平洋戦争進展に於ける、兵力の枯渇で、緩和されるまでは、視力に関しては以下のようになります。

第一乙種:矯正視力0.8以上0.5未満
第二乙種:矯正視力0.5以上0.8未満
第三乙種:矯正視力0.3以上
丙種:どちらか一方でも良い方の目の矯正視力0.3以上
丁種:矯正視力0.3未満

なお、一眼が見えなくても他眼視力0.3以上であれば第三乙種に認定されます。

徴兵は丁種以外で行われるので、回答としては、両眼とも矯正視力0.3未満「以外の人」の場合は
徴兵されると言うことになります。
(248:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大戦期の日本軍の将校の予備役招集はどのような状況だったのでしょうか?

現役将校の場合は、現役定限年齢に達するまで現役に服するのが普通です。
予備役編入は何らかの事情で、現役から退いた場合のみであり、現役定限年齢まで予備役扱い
となります。

それ以外の予備役は戦時要員なので平時になったら復員出来ます。

大学、高等学校、専門学校、師範学校の卒業生、或いは学徒出陣の場合、陸軍へ入隊するとき、
多くの人は、幹部候補生を志願しました。
この場合、少尉に任官すると同時に予備役に編入、そして、即日召集という形で服しています。

また、1944年に作られた特別甲種幹部候補生制度の場合、大学、高等学校、専門学校1年以上
在学者、師範学校卒業者が対象で、兵科と経理部将校を短期養成する目的で作られました。
これは、採用と同時に伍長となり、1年の予備士官学校、経理学校で教育した後、半年の見習士官
の後に予備役少尉となるものです。

また、大学、高等学校、専門学校、師範学校の在校生を対象に、特別操縦見習士官制度が1943年に
設けられています。
これも始めから曹長に任官し、仙台陸軍飛行学校で1年半教育後、予備役航空将校への任官が行われ
ていました。

この制度の前に、逓信省航空乗員養成機関で操縦教育を受けた者を仙台陸軍飛行学校で1年間養成し、
予備役操縦将校とする操縦候補生制度がありましたが、対象者は少ないです。

更に1918年~1927年の間、師範学校卒業の小学校教員は、一年志願兵と同じ
仕組みの1年現役兵制度があり、在営1年で予備役少尉になりました。
彼等が、太平洋戦争中に召集されるケースもありました。
但し、この制度は兵役制度逃れに利用されていたので、1928年以後は廃止され
ています。

また、1933年には士官候補生出身の現役中少尉の不足、即ち1936年危機説という
のがあり、幹部候補生または一年志願兵出身の在郷中少尉の志願者を、召集扱いで
軍務に服させる特別志願将校制度が作られ、1939年には現役に採用されることとし、
佐官、憲兵の予備役も、少尉候補者出身予備役から志願できるものとしています。

一方、海軍の場合は、戦時の要員確保のため、「予備」将校という制度がありました。
1934年までは、高等商船学校を卒業して船員免状を取得することで、海軍予備将校と
なります。
航海科は海軍予備少尉、機関科は海軍予備機関少尉に任官されます。
後に、水産講習所、水産専門学校遠洋漁業科卒も同じ扱いとなりました。
1934年、大学、大学予科、高等学校、専門学校卒業生から採用される海軍予備学生制度
が出来、これで1年教育を受ければ、海軍予備少尉になりました。
これは兵科…と言っても、陸戦、対空、対潜、通信にのみ採用されています。
(247:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

15~16歳でも特攻に動員されるのでしょうか?

学徒動員は有名ですが、このほか、1927年から兵役法(法律第47号)が公布され、17~40歳(1943年より45歳に)の内地人の
壮丁全員が第二国民兵役になり、1945年からは義勇兵役法(法律第39号)制定に伴い、召集されていない男子15~60歳、女子
17~40歳の全員が義勇兵役となりました。
このうち、義勇兵役に就いた人はあまり無いです。

が、志願兵の場合、陸軍では少年飛行兵、少年戦車兵、少年通信兵、少年砲兵、少年防空兵という制度があり、
彼らは15~18歳の高等小学校卒業程度で軍に入隊しており、この中から、多数の特攻隊による戦死者を出して
います。
海軍では、甲種飛行予科練習生、乙種飛行予科練習生と言う制度があり、前者は16歳(1943年に15歳、1944年
には14歳)に、後者は15歳(1941年から14歳)から入隊が可能でしたし、志願兵の水兵、機関兵、軍楽兵、看護兵、
主計兵、船匠兵は17歳(1929年から14歳)、海軍少年水兵は14歳、海軍練習兵は15歳から志願可能です。

沖縄特攻の大和とかにも14歳の水兵が乗り組んでいたのもありましたね。
(158:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

徴兵される時、主に身長で海軍、陸軍に分けられたと聞いた事あるのですが本当ですか?

1943年の昭和18年勅令第421号に於いて、海軍の召集源を、陸軍第一補充兵役者に振り替えています。
ちなみに、第一補充兵役とは、原則的に第一乙種、平時では甲種と第一乙種、戦時では第二乙種を指します。
甲種合格は、身長155cm(後152cm)以上なので、それに満たない場合は乙種以下の合格となります。
従って、身長で陸軍、海軍に分けたと言うのはあながち間違いではありません。
(227:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

40台のオッサンが再徴兵されるようなことって結構頻繁にあったのでしょうか?

1927年の兵役法(法律第47号・徴兵令は太政官布告でそれに変わるもの)では、
戸籍法の適用を受けるもの、即ち、内地と樺太に本籍を有するもの、つまり、内地人の男子については、
17歳~40歳まで、兵役に耐えぬ者を除き、全て兵役に服することを定めています。
従って、たまたま、召集を免れただけで、その範囲内の男子は兵役に服することがある訳です。

これが、1943年になると、軍医の払底から、徴兵年齢の上限を引き揚げることになります。
(軍医だけを狙い打ちにすると、不満が出るので、全員の年限を引き上げた)
これにより、17歳~45歳まで召集可能となりました。

40歳(1943年以降は45歳)で、兵役は終了しますが、1945年、義勇兵役法(法律第39号)によって、
男子15歳~60歳、女子17歳~40歳の全員(現役と召集中を除く)が義勇兵役に登録され、国民義勇
戦闘隊に召集を受ける場合があることになります。

40代の再招集は特に医者に多かったようです。
(216:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

徴兵逃れは昔からありますが、偽病を見抜くにはどんな訓練をしたんですか?

1921年の『軍事警察雑誌』第15巻第3号に、「徴兵忌避の予防について」と言う論文があります。
これによると、徴兵忌避の方法としては、

1. 強度の眼鏡を使用し近視眼となるもの
2. 全く故障無き眼を近視の如く訴ふるもの
3. 眼に刺激性のものを入れ、眼球を充血せしむるもの
4. 前夜睡眠を為さずして他に眼病あるが如く訴ふるもの
5. 耳穴に奥深く豆類を挿入したるもの
6. 鼓膜に鳥の羽類のものを付着せしめ聴力の故障を起こさしむるもの
7. 強き刺激性の食物を採りて耳鳴りを起こさしめ故障あるが如く訴ふるもの
8. 歯を故意に抜き取るもの
9. 醤油の類を大量に飲み心臓の鼓動を高くし心臓其他の疾病あるが如く訴ふるもの
10.受検二三日前より絶食し身体を衰弱せしむるもの
11.指を切断するもの
12.肛門に漆を塗り痔疾の如く訴ふるもの
13.神仏に徴兵を免る可く祈願するもの

が挙げられており、13以外はチェック出来ます。

他にも、1928年の『徴兵検査研究録』では、

1. 卵黄を外聴道内に注入し、化膿性中耳炎を疑はしめしもの
2. 角膜を刺傷または火傷せしめて角膜翳を作為せるもの
3. 魚鱗を角膜に貼して角膜翳を作為せるもの
4. 右示指を故意に長時間伸展位若は屈曲位に緊迫し置き該指の萎縮、強剛を作為せしもの

と具体的な症例を引いて、詐病の見破り方法を軍医に教えています。
(203:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

国民義勇隊に引っ張られるのは徴兵とは違うんですか?

義勇兵役法では、男子15~60歳、女子17~40歳の現役と召集中の者を除く全員が
義勇兵役になっています。

義勇兵役は、国民義勇戦闘隊に召集されることを言います。
国民義勇戦闘隊は、参謀総長配下に鉄道義勇戦闘隊、軍司令官、鎮守府司令長官配下に連合義勇戦闘隊
があり、連合義勇戦闘隊は、分隊→区隊→義勇戦闘隊という編成が軍令第二号国民義勇戦闘隊統率令にて
行われています。

なお、国民義勇戦闘隊教令では、「戦闘隊ハ敵ノ上陸又ハ空挺部隊ノ降下ニ際シ軍隊ニ協力シ或ハ独力ヲ
以テ郷土職域ヲ護リ又遊撃戦ヲ行ヒテ一般軍隊ノ作戦ヲ容易ナラシム而シテ戦闘隊直接戦闘ヲ行フ場合ハ
攻撃精神ヲ発揮シ従ヒ肉弾ヲ以テスルモ敵撃滅スルノ概ナカルヘカラス」と軍隊的な役割も期待されていました
が、兵器もなく、服装も勅令第385号国民義勇戦闘隊員服装及給与令で、徽章と腕章を定めたのみでした。
(204:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

太平洋戦争中、公務員や国鉄職員等は徴兵は免れたんでしょうか?

郵便局員だった大叔父は徴兵されてインパールで戦死した。
(俺初質スレ2049:902)

徴兵された時は近くに別の連隊があっても遠くにある県の所在地の連隊に行くんですか?

基本、本籍地がある都道府県の連隊
なので、本籍地近くに住んでれば近くの連隊だし、遠く離れた土地に住んでれば本籍地まで行く
(俺初質スレ2049:904)




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