日本軍機


旧海軍機の増槽についてお聞きしたいのですが、なぜ海軍機は機体下に一個の装備なんでしょう?

陸軍機のように翼下に2コの方が単純に容量も稼げて良いと思うんですが・・・
海軍機はもともとある程度の航続距離を持った設計になっているので、
増槽が2つも要らないってだけじゃないんでしょうか?
(6:602)
機体の強度の問題では?
ガッチリとした胴体の下に大型のものを1個付けるのと、たとえ半分とはいえ、翼下に重量物をつむのでは設計がまるで変わるじゃん。
胴体は別にどれだけ頑丈でも問題ないけど、飛行機の翼ってのは単純にガッチリしてればいいってもんじゃないから。
剛性やらなにやらが微妙なバランスを保ってこそ空戦時の高Gにも耐えられる翼となる。
最終的には無くなる増槽を保持するだけの強度を翼に与えると当然与えない場合より多くの無駄が生じるからね。

確かに増槽を2つに分けて装備した方がいいこともあるだろうけど、その辺は計画時に何を重視するかで変わるだろうし。
(6:621)

「艦攻」「艦爆」って何?

「艦攻」艦上攻撃機・・・魚雷や爆弾で目標を攻撃 97艦攻、天山 等あり
「艦爆」艦上爆撃機・・・爆弾で攻撃 急降下可能  99艦爆、彗星・・・
 艦上~・・・空母に発着可
(7:143)

旧日本軍の飛行機は尾輪が多いのはどうして?

旧日本軍に限らずレシプロ機はほとんど尾輪式です。
尾輪式の方がプロペラの半径を大きくでき、足の長さが短い分構造を簡単に出来、軽くできるからです。
欠点としては前方の視界が悪いことですが、軍用機としてならば許容可能な欠点です。
ジェットの場合、ジェット噴流が地面に当たって効率が低下するので、首輪式が一般的です。
現用機ではプロペラ機でも主な用途は民間用か練習機なので首輪式が一般的です。
(3:127)

二式大艇などの大型機が搭載していた無線はどの程度のものだったのでしょう?

基本的に電信だけだったようです。
トラトラトラやら我に追いつくGrumman無しとかは、全てモールス符号でした。
(11:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

途中から陸海軍機が緑色になりましたが、翼の黄色には何か意味があるのでしょうか?

敵味方識別のため。
イタリア戦線での枢軸軍の白帯とか東部戦線での枢軸軍の黄帯とか、
ノルマンディーでの連合軍の白黒帯とかと同じです。
(21:眠い人 ◆ikaJHtf2)

日本海軍の航空戦術?に関して質問させていただきます。

空母から発進する時、戦闘機が先に飛び立ち、後から、速度の遅い攻撃機が発進するのはなぜなのでしょうか?
離艦距離が戦闘機の方が短いから、前方に置いてるからでしょ。
(33:562)

飛行機がかなり空襲により地上破壊されてますよね?

開戦時の奇襲ならともかく、戦時下にも滑走路に飛行機を並べて置いてたんでしょうか?
掩蔽壕に入れて擬装しとけば、機銃程度ではそうそう撃破されないと思うのですが?
それは後知恵でして、日本に限らずどこの国でも被害が出てから慌てて対処していますし
戦争が終わったらすぐ忘れます
第2次大戦、朝鮮戦争で繰り返し同じ目に遭った米空軍は、ベトナムでまた滑走路に飛行機を
並べて置いて、ベトコンの迫撃砲(ロケット弾)攻撃で一挙に多数の航空機を失っています
B-57なんか、1回の攻撃で事実上全勢力を失っちゃいました
(42:69)
100機以上もの戦闘機やら爆撃機を置いておくだけの掩蔽壕など作れません。
それから、そう言った掩蔽壕での作業は極めて非効率であり(燃料補給とか、
整備とか)、広いところで作業する方が能率が良いと言うことです。
まして、平時なら尚更です。

戦時中ならデコイ(囮)を置いておくと言う手もありますが、現在では余り意味はありません。
(42:眠い人 ◆ikaJHtf2)

日本軍はどうして偵察専用機を作ったのでしょうか。

上層部はもともと乗り気ではなく、97式は当初高速連絡機の名目で発注されました。
現場が欲しがったんですね。
(44:335)

第2次大戦時の日本は5万機ぐらい航空機を生産しているみたいですが、戦闘で消耗したのってどれくらいなんでしょうか?

いずれも海軍機ですが…。

戦闘機は本土決戦の温存で敗戦時の残存機はかなりあります。
紫電、紫電改で376機、九六式艦戦は38機、零戦が1,157機、雷電が179機、
二式水戦が24機、月光が40機です。

爆撃機はかなり消耗しています。
九九式艦爆が135機、流星が58機、彗星が317機、九七式艦攻が134機、
天山が187機、銀河が182機、九六式陸攻が74機、一式陸攻が162機。

偵察機も消耗が大きいです。
彩雲が173機、零式水偵が201機、九四式水偵が78機、零式観測機が142機、

大型機は図体がでかいので、空襲の標的になりました。
二式大艇は3機、零式輸送機が51機。

練習機はその数が多く、九三式中練が2,829機、二式陸上初歩練習機が65機、
白菊が375機。

古い機体は約10%程度しか残存していません。
戦闘以外では、機体の老朽化による寿命、被弾損傷(空戦時、地上待機時)がひどくて放棄、
燃料が尽きてしかも補給が来なくて放棄、燃料の質の悪化に伴う自落というのも多数に上ります。
(45:眠い人 ◆gQikaJHtf2 )

日本軍の機載無線機が上手く作動しないのは、無線を軽視してきちんと整備してなかった為で、ちゃんと整備すれば使えたというのは本当ですか?

無線機自体よりもアーシングなどに問題ありとのこと。
ってぐぐって見ても車載無線の例しか出ないが
(45:632)

局戦ってのは対重爆専用の迎撃機だと思うのですが、戦闘機の迎撃にも使えるんでしょうか?

相手が戦爆連合で来たら、爆撃機に向う前に戦闘機とお手合わせしなければなりません。
戦闘機と闘えない機体では、その場合まったく無力になってしまいます。
(46:63)

第二次世界大戦中の日本艦上攻撃機の水平尾翼に書いてある「偏流測定線」はなんのためにあるのですか?

INSもGPSも無かった時代、飛行機の現在位置を知るには、地表の目標物を確認するか、
何度の方向に何ktで何時間飛んだから今はここ と計算する(推測航法)しかありませんでした。
しかし風があると当然頭の向いてる方向から流されます。その流される度合いを測るのが偏流計です。
日本艦上攻撃機の「偏流測定線」の使い方は知りませんが、
おそらく地上(海上)目標がどの角度で後方へ流れていくかを計るのでしょう。
(47:863)

五式戦以降日本陸軍の戦闘機が試験飛行されたという事実はありますか?

五式戦[キ100]が初飛行した昭和20年2月以降となると、
キ115 特殊攻撃機「剣」:20年3月5日初飛行
キ200 局地戦闘機「秋水」:20年7月7日初飛行 がありますね。

その他、20年8月6日に地上運転を開始したキ94-Ⅱ高高度戦闘機・キ106(木製四式戦)
キ108改試作高高度戦闘機・キ109(75mm砲搭載飛龍)あたりが終戦までにテストを行っています。
(60:名無し軍曹)
五式戦の初飛行は1945.2.1、それ以降の試作機には、
戦闘機に限れば、中島キ-87試作高々度戦闘機(3月頃)と満飛キ-106(8月頃)、
それに、川崎キ-108改(3月頃)があったはずです。
8月後半なら立川キ-94戦闘機とか、川崎キ-102丙、中島キ-113などもありました。
あとは襲撃機でキ-93(4月)があります。
(60:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

F-14以前は陸海空で記号が統一されてなかった。F-4ファントムは
F(戦闘機)4(4番目)H(マクダネル社)という形式付与方式で付けられた。

統一以降は海軍で既に使われている番号を飛ばして、12からの連番になっている。
(64:696)

銀河の夜戦型ってあるの?

銀河の夜戦型が爆撃機銀河の野戦型のことなら実在した
(70:154)
川西「極光」?
現地部隊での改造は・・・302空に斜め銃付きの銀河が存在したようでつ。
(70:168)
銀河の夜戦型jは極光と言いましたが、エンジンを誉から火星に換えた為に性能が低下し、
殆ど全て爆撃機型に再改装されました。
(70:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

流星改は、現存する機体はないのでしょうか。

確かスミソニアン博物館に分解されたものが収蔵されていたかと。
(79:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

九九艦爆の戦果をお教え願います

真珠湾攻撃では、129機が参加し、戦艦群と飛行場を爆撃し、命中率59~75%
を記録しています。
また、インド洋では艦爆隊の攻撃だけで、重巡コーンウォール、ドーセットシャー、
空母ハーミーズを撃沈、このときの命中率は重巡88%、空母82%に達しています。
後、珊瑚海、ミッドウェー、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加しています。
(80:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

太平洋戦争時の米軍の日本機のコードネームに付いて質問します

戦闘機に限って言えば
一式戦闘機(隼)   Type One   → OSKER
と、言うように数字の頭文字を取ってるんでしょうか?
特に命名に関して意味がなかったと思います。
ただ、戦闘機は男性名、爆撃機は女性名が中心に選ばれていたかと。

詳しい資料は丸別冊か何かに掲載されていたけど、残念ながら行方不明です。
補足キボンヌ。
(80:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
あげられた例が偶然そうだっただけでしょう。
頭文字とは関係ない事例の方が多いです。

たとえば戦闘機関係の名称に年式があるもので、
とりあえずパッと思い出すものだけでも
海軍 九六艦戦:CLAUDE 零戦三二型:HAMP
陸軍 九七戦:NATE 二式複戦:NICK
と言った感じですし。

私も眠い人氏と同じく
基本的に戦闘機に男性名、それ以外は女性名
という基準以外は聞いたことがありません。
(80:222)
手持ちの本では日本の航空材料の研究を任務としていたマッコイ大佐に率いられた技術情報機関(TAIU)が名づけたとあります
発音が難しい上に命名規則が謎な日本機にマッコイはありふれた人の名前をつけはじめたそうで最初に選ばれた名前はテネシー州に多い名前だったとか
それでも名前が足りなくなったので命名者は彼らの友達や親類の名前、TAIUのお偉方とその親類とかをつけたそうです
それでも明瞭で短く無電の通話で他のと混同されないような名前を選ぶとかいう不文律はあったようです
(83:198)
しかし零戦はジークという名前があったにもかかわらず、通りのよいゼロと呼ばれることが多かったとか
(83:214)

日本の攻撃機が装備していたのは何センチ魚雷ですか?

日本の雷撃機が用いていたのは、九一式航空魚雷で、直径は45cmです。
(82:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

震電のような後ろにプロペラのあるスタイルの飛行機の問題点と利点を簡単に教えてください。

あぁいう形式は先尾翼(せんびよく)式、エンテ式と呼ぶ。

メリット:
武装を機首に集中配置でき、大口径の機関砲を何丁も機体の軸線に近い所に積む事ができる。
通常の形式だと翼には構造上の問題があるので大口径機関砲を何丁も積めないし、同調装置(自分の機銃で自分の
プロペラ撃たないようにする為の機械的安全装置)がある必然から胴体に何丁も積むのも無理。それをクリアできる。
あと、プロペラは推進原であると共に厄介な乱流を発生する装置でもある。
プロペラの乱した空気の流れの悪影響をどのようにクリアするか、というのはレシプロ機で高速を狙う時の大きな課題だったが、
エンテ式はそれを気にする必要がない。
機体形状も空力を最優先に作れるので、空気抵抗が極限まで少ないデザインが可能になる。

デメリット:
エンジンが機体の中央部/後部にある関係上空気の流れに当てて冷やすことが難しいので、エンジンの冷却に工夫が必要になる。
ぶっちゃけ、空冷星型エンジンを使うには冷却が難しい。
後部にプロペラがあると脱出の時にパイロットを巻き込んで切り刻んじゃう可能性が高いので、射出座席かプロペラ緊急切り離し装備が必要になる。
前者は技術難度が高く後者は平時に誤作動したら一巻の終わり、という危険性が。
プロペラが一番後ろにあるので、離着陸時に地面にぶつける危険性が高い。
そうなると大直径のプロペラが使い辛くなる。でも、プロペラの直径を抑えるとエンジンの馬力が生かせない。結果、冷却の問題と合わせて
「機体形状が空力に優れているのにそれを生かす大馬力エンジンと大直径プロペラが使い難い」という自己矛盾が発生してしまう。
ペラをぶつけるのを防ぐ為には脚を長くする必要があるのだが、そうなると脚を出している時の地上高がやたら高くなるので、
地上滑走時に不安定になる。長い脚は故障の危険も高い。

結局「ジェットがあるなら要らないじゃん」ということになってほとんど実用化されないままエンテ式は廃れた。

スウェーデンは、液冷レシプロエンジン装備のエンテ式として開発した戦闘機を実戦配備し、
後には設計をジェットエンジン装備に改めて結構長らく使っていたが。
(363:319)

旧日本陸海軍航空機の命名規準について教えてください。

陸軍に対抗してと言う説がありますね。
当時、一式戦闘機の「隼」が国民的に非常に人気を集めたため、海軍も対抗して命名基準を改めました。
新聞に書かれるにしても、「海軍新型戦闘機…」とか書かれるよりも、
「陸鷲の俊英「隼」型戦闘機が…」と書かれた方が、何となくイメージ湧くでしょ。
蛇足ながら、隼は有名だったのですが、零戦は戦争中は「海鷲の新型戦闘機」と言う紹介のされ方で、正式名称は一切出てきませんでした。
(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)
「零戦は戦時中からゼロセンと呼ばれていた」証拠の1つとしてよく出る朝日新聞の記事はどうなるの?
昭和十九年十一月二十三日の朝日新聞に
「荒鷲等からは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ」

だそうです。
でもゼロ戦とかって、名前というより略称な気もする。
(17:299)

彩雲より早い飛行機、当時の日本にあった?

彩雲は、最高速度609㎞/h。

川崎、と言うか東大航空研究所の研究機ですが、陸軍のキ-78「研三」
試作高速研究機が、昭和18年12月27日に699.9㎞/hの非公認日本速度記録を出しています。
これが、最速かな。
計算では850㎞/h出るものでしたが。

あと、陸軍の試作遠距離戦闘機三菱キ-83が655㎞/h、百式司令部
偵察機で630㎞/h、後継のキ-70試作司令部偵察機で647㎞/hでした。
(19:眠い人 ◆ikaJHtf2)

一式陸攻や100司偵など、大戦当時の日本軍の大型機のドアは押したり引いたりするやつだったのですか?

100式司偵にはドアは付いてません。
それはさておき、スライド式のドアに関しては、日本機での採用は無かったはずです。
普通の玄関にあるようなドア形式(つまり、押したり引いたりするやつ)だったかと。
(19:眠い人 ◆ikaJHtf2)

7.7ミリ級の機銃ってWW2時の時点で効果があったのですか?

あと、日本軍の試作戦闘機で、75ミリ砲とか57ミリ機銃とかを装備した飛行機があったって本当ですか?
20ミリ砲などは弾が大きすぎ、重すぎて所謂小便弾になることが多かったのですが、
7.7ミリは直進性が良いので、熟練搭乗者はこちらを専ら使っていたようです。
重要部にも数撃ちゃあたりますし。
また、装弾数も多いので経済的です。
地上掃射などには使えるか、と。

75ミリ砲は四式重爆撃機の改造型キ-109です。
これは、B29に対して高射砲が届かなかったための苦肉の策でしたが、
砲が重すぎ、かつ低空をよろよろ飛んでいる状況では余り効果が無く、
B-25のような軽量タイプでなく、高射砲をそのまま積んだのが原因です。
このため少数生産に終わり、本土決戦での艦船攻撃用に温存されました。

57ミリ砲はキ-102乙という襲撃機に使われました。
これは九七式中戦車に積まれていたものと同じで、陸軍の襲撃機利用者から
大口径砲が必要という要望を受けて搭載したものです。
下に20ミリも積んでいたので、撃つと「ドンドンバラバラ」ととても賑やかだった
そうですが。
こっちは量産されましたが本土決戦用に温存されて活躍しませんでした。
(29:眠い人 ◆ikaJHtf2)

日本の戦時中の双発機は、片肺やられても行動可能な機種はなかったんですか?

片発飛行を行うためには、プロペラのフルフェザリング機構を使用してプロペラピッチを変更し、
プロペラの抵抗をほぼ0に(つまり回っていない状態)する必要があります。
これがないと、エンジンが動いていなくてもプロペラは回り続け、抵抗が増大して、燃費が
増加したり、過負荷による過熱でもう片方のエンジンの異常が発生することにつながります。

日本では、電気式で機構を付加する形になっています。
但し、国産ではなく、ドイツだったかのVDMと言うメーカーの技術を導入して実現しました。
陸軍の爆撃機では、四式重爆撃機「飛龍」以後の多発機、海軍では陸上攻撃機「連山」以後の
多発機に採用されています。
(63:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

「四式重爆飛龍は少数機を海軍が採用して靖国と名付けた。」という記述をよく見るけど嘘なの?

「靖国」という命名が乗員によるニックネームの可能性はありますね。

海軍主導で雷撃試験が行われましたが、それを以て少数機配備とした
可能性はあります。
ただ、あくまでも、陸軍優先の配備だったので、海軍部隊が作られること
がないという状況だと思います。
(飛行第98戦隊が海軍指揮下に入って訓練をした際、海軍側も錬成のた
 めに、少数機を支給された可能性も拭い切れません。
 他に海軍配備の陸軍機としては百式司偵もありますから、海軍でも陸軍
 機を運用することは出来たでしょうし。)
(68:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

昔の海軍偵察機のフロートは相当頑丈についていた?

う~ん、フックやランチバーはそれひとつに加速・減速のものすごい力をうけるよね?
フロートはそういう役割ではないから(脚のかわりでしょ)、
ちょっと同列に論じるのはおかしいと思うよ。

もちろん、それなりに丈夫についてなきゃおかしいけどね。
脚とちがって水の抵抗なんかもうけるわけだし。
(68:960)
当時の水上機のカタパルトは今より加速度が大きいですよ
長さがアレだけしかないのをお忘れなく

# 火薬式の試作型は操縦員の首を折るほど加速度が大きかった罠
(68:CCIA ◆vvx6VMwMl.)

零戦と九六式は格闘戦なら九六式のほうが強い?

九六艦戦と零戦の模擬空戦で初めは零戦が勝てなかったのは、高度差のない同位戦
だったからです。
横の旋回では九六艦戦のほうが小回りが利く為に零戦は簡単に後ろに付かれてしまいました。

しかし、パワーに勝る零戦が高度を取って襲い掛かるいわゆるズーム&ダイブの
戦闘を挑むと、九六艦戦ではついていく事が出来ずに敗れてしまったのです。
(70:名無し軍曹)

WW2の旧軍の重機は同時代の列国のそれと比べて著しく劣ると聞いたのですがどうなんでしょうか?

んなことないデス
MG34のようなばらまき制圧型のような思想では、劣悪かもしれませんが
日本陸軍の思想にあった良質な重機です。92重機など
(71:377)

乙戦の陣風がなぜ”風”なのかご存知の方いますか?

陣風は18試甲戦闘機だったように記憶しています。
分類記号のJは月光にも使われています。
(74:True/False ◆ItgMVQehA6)
最近はそんな役割もB-2に振るという動きが出てますから(高価値資産の有効利用)、
戦略爆撃機、戦闘爆撃機、戦闘攻撃機、多目的戦闘機といったものの境界ははなはだあいまいです。
まあ、現在地上の友軍が直接対している敵を攻撃するのが近接航空支援、
というのはある程度明確に定義できます。
攻撃阻止爆撃と戦略爆撃の区別が問題で、バクダッドみたいに中枢がはっきり存在すれば
戦略爆撃だと定義できますが、アフガンのようにばらばらになってしまった場合、
発見した敵集団が、こちらを攻撃しようと後方で待機している部隊(=攻撃阻止爆撃)なのか、
それなりの中枢なのか(=戦略爆撃)なのかを明確に分ける事は不可能になってきます。
この辺で、戦略爆撃するから、阻止攻撃をするから、といった機種区分もつらくなります。
(74:system)

大東亜戦争時代の本物の戦闘機が見れる場所ありますか?

米国のスミソニアン博物館、マロニーコレクション、New Zealandのオークランド軍事博物館、
豪州、英国、インドネシア、タイ、中華人民共和国に至るまで、世界中で見ることができます。

日本では、残骸を復元したものが多く、浜松基地の疾風くらいでしょう。
まともなのは。
後は、修復に失敗して野ざらしになっているものが多いです(涙。
(78:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本は第二次世界大戦中4発爆撃機を実用化しなかった理由は?

まず、日本にも四発爆撃機を実用化しようと努力したことがありました。

戦前では、陸軍が九二式重爆を製作しています。
これは、JunkersのG.38と言う民間輸送機を爆撃機に転用したもので、遠距離重爆の
習作として、6機が製作されました。
ただ、製作費用が莫大であることと、製作に長期を要することから、結果として陸軍は
大型爆撃機の実用化を諦めています。
それが再燃するのは、大戦末期に川崎に遠距離爆撃機を試作させようとしたときです。

海軍は、広工廠が九五式陸上攻撃機を試作したことが、発端となります。
これは、飛行艇と同じくワグナー式の構造を用いた双発機でしたが、性能が鈍重で8機の
試作のみに終わっています。
次いで二式大艇と同じ時期に、十三試として大型攻撃機が中島に対して発注されました。
ただ、二式大艇が独式の構造を採用していたのに対し、中島は当時影響を受けていた
Douglass社から、民間機で試作されていたDC-4Eを購入し、それを基に開発しようとしま
したが、元々のDC-4Eが失敗作で、鈍重であったこと、大型発動機の熟成不足、大型機
製作の能力不足が顕著で、油圧系統は油漏れ、不具合が多く、タイヤも不良だったりと、
トラブルが多く、これも習作止まりでした。

連山に至って少しはまともになりましたが、これとて、実用化時には誉の不良などで、
実用化に茨の道であろう事は想像に難くありません。

ちなみに、これらの開発に力が入っていないことはありません。
事実、富獄の時は、一流の技術者が、設計に取りかかって、発動機など図面自体は
殆ど出来ていたのですから。
(79:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦闘機用無線はほとんど役に立たなかったと聞きますが、本当?

零戦の無線がろくに飛ばなかったのはアースの取り方がマズかった為で
後年、修正したら何百kmも飛ぶように成ったそうだ。
(80:132)

烈風に関する詳しい情報が紹介してあるサイトってありますか?

知りたければ学研太平洋戦史シリーズ『烈風と烈風改』を買いんさい。
これはwarbirdsだけどどのサイトもこれと書いてる事はたいして変わらんよ。
http://www.warbirds.jp/data/jp/htm/A7M2.html
(84:400)

太平洋戦争のときの陸軍の航空隊の輸送飛行機ってどういうのですか?

爆撃機を改装した輸送機が主です
初めから人員や貨物輸送用に開発実用化されたのは中島九七式ぐらいかな?

あとはグライダーなども使っているけど、以下のところの「輸送機」を抜書きして
ググればほとんどのことは判明すると思います
http://www.warbirds.jp/text/rikugun.htm
(86:320,322)

第二次大戦中、輸送グライダーが多用された主な理由は何ですか?

フィリピンの華僑共産軍奇襲のためです。
燃料がなくても飛べるグライダーを日本軍はほしがったんだと思います。
(86:328)

戦時中の航空機の写真を見ていると、日本のは表面が凸凹しているのに対し、米軍機なんかは結構つるつるしている様に思えました。

何か製造工程に違いがあるのでしょうか?
日本の飛行機は布が張ってあります。
(87:18)

旧海軍機は重い20ミリ防弾を諦めてそのほかの装備に回したそうですが、米軍機は.50口径を最後まで使っていたのだから、折り合いをつけて13ミリ防弾を施すといった試みはされなかったのでしょうか?

砲口馬力って概念があってね、簡単にいうと米軍の12.7mm×6は日本の20mm×4を上回る威力があったんだ
3号銃だったっけ、終戦直前にできたの×4はさすがに日本が勝ってたみたいだけど
でもって米軍の防弾鋼鈑が薄いみたいなことをいってる人がいるけど、当時の米の材料工学はずば抜けていて、
日独の20mmならあれで十分だった
「10mmじゃ薄い」人は数値だけを追って質を忘れるという誤ちを犯してる


一つ勘違いがある。
12.7mm機関銃は元々は第一次世界大戦で装甲車を撃破するために作られており、上の言うような効果がある。

反面、日本やドイツの装備した機関砲は航空機の薄い外板を破壊するのには効果的だが、貫通力は高くない。
例えばドイツ機が弾切れを起こすまでP-47を攻撃したが撃墜出来なかったとか、ドイツ機の機関砲がP-51のコックピット
周りを銃撃した時、アルミの厚板の表層で炸裂するばかりで貫通しなかったとか撃つ側の威力も問題になる。
(P-51は短期間で開発したためか、外板を厚くして構造的な強度を増していた。)
(574:623,634)

二次大戦中、日本の戦闘機で木製化したのってあった?

戦闘機ならば四式戦を木製化したキ106、
それ以外なら99艦爆を木製化した練習爆撃機明星

特攻機なら剣の主翼を木製化したキ115乙
そもそも最初から翼が木製の桜花

実戦化したのは桜花くらいだなや
(582:836)
一応、四式戦を木で作ってみようと言う事で、キ106と言うのを試作してみましたが、
結局は、数機の試作に留まりました。
(582:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
戦闘機の場合、ソ連機みたいな最初から木製・木金混合用の設計ではないので、単に重くなり性能低下、接着材が不良で外板脱落。
余談だが、銀河の増槽などは木製(ベニヤ板を曲げて組み立て)だった。
(582:844)

増槽タンクをぶらさげて行動している戦闘機が会敵した際にタンクを落としますが、旧日本軍などのような物資の乏しい軍では資源の無駄だとは考えていなかったのでしょうか?

前線では無駄だと考えてたし、無事に持ち帰ってくると整備員が喜んだとの
記録もある。
燃料消費は、離陸時は機体内、離陸後増槽に切り替え、消費後、機体内に切り替えるのが
セオリー。坂井三郎が離陸後、切り替えるのを忘れ機体内の燃料を使い切った後に冷や汗を
掻きながら、手動ポンプで増槽内の燃料を機体内に汲み上げたと本に書いてる。

大戦時の日本機の増槽は竹や木、和紙でできていた
「増槽の使い捨ては資源の浪費」には当たらない
米軍機の場合でも大戦初期は強化紙製(紙に樹脂を浸透させたもの)だった
しかし、金属以外の材料による増槽は吸い取り能力に問題があって(気密性が弱く
外部空気圧の影響が大きい)燃料の半分以上が使用不能なんてこともざらにあって
この意味ではまさに資源(燃料)の無駄だった

まあ日本軍も考えたようで、戦争初期、零戦に積んでた三三〇立型増槽だと
全金属2分割で製造しロウヅケかはんだ付けで製造されてる豪華品。
さすがにこれは豪華すぎるので戦争後半は三〇〇立型増槽に切り替えられたが、
コイツは、木製(ベニヤかな?)になってる。

アメリカの戦闘機用(主にP-51が使用)に開発された樹脂強化ボール紙製の増槽は
構造がヤワですぐに燃料が漏れて来るとやたら不評だった。
(583:548-618)

陸爆と陸攻の違いはなーに?

急降下爆撃能力があるかないか。
魚雷の運用能力があるかないか。

急降下爆撃の出来ないものは「陸攻」。
魚雷の積めないものは「陸爆」。
「銀河」はどっちなんだ?魚雷が積めて、急降下も可能だと記憶してるんだが
銀河は爆撃機の扱いだよ。
試作名称も「十五試陸上爆撃機」だし。

ただ艦上機の方の流星は攻撃機の区分なんだよなぁ。
まぁ、これら二機種は「爆撃機と攻撃機の統合」というコンセプトで
開発されてるので、もはや区分は無意味なんだろうが。

銀河と流星に関しては「主任務がどちらか」で区分されてるんじゃない?
(334:274,280)

零戦の後継機の開発は何故遅れたんですか?

後継機の仕様書が1940年に発行されたが
開発が長びいた理由はいくつかある。

まず第一に、他の航空機に優先権が与えられてこの製作計画が延期されたこと。
次に、設計者の堀越二郎は、後継機のための最適のエンジンについて、海軍と意見が一致しなかったこと。
最後に、戦争における日本の引き続く敗北で、生産はこれまでになく困難になっていたことなど。

三菱の設計者や技術者は全員他の生産計画に従事しており、試作機の生産計画は延期された。
1942年6月に2番目の仕様書が発行され、
堀越は三菱MK9Aエンジンを仕様するべきだと主張したが
海軍は中島NK9Kを選んだために、のちに色々な問題が発生した。

これらを解決して仕様書に完全に合致する試作機が完成したのが1944年10月。
それでも、この計画は不運が付きまとい、12月にエンジン工場が地震と爆撃とで決定的な打撃をうけた。

三菱の主任技師、堀越技師が、ゼロ戦の改良及び雷電の開発に追われた上に
過労で倒れたから。
あと、2000馬力級エンジンの開発が遅れたことも原因の一つ。
(590:75,78)

子供の時工場で雷電作ってた父親が、10機中7機は離陸する時バランス悪くてすぐ落っこちたとか言ってたんですが

雷電は三菱重工の他に座間にあった高座海軍工廠でも生産が行われていたのですが、
台湾の少年工を動員して生産が行われていたため、とにかく出来上がりが悪かったとか。
雷電はもともと操縦が非常に難しい戦闘機と言われていたのでなおさらです。
(330:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
渡辺洋二とか碇とか雷電の本出てる。
一応飛べる飛行機作ってましたよ
話が大きくなってる
高座の工廠製の機体は出来が悪かったのは確かですけど
(330:223)

旧日本軍の重爆の爆弾搭載量は何故に少ないのでしょう?

最大800kgとかありますが、この程度では艦攻とかわらりません。
日本の重爆は基本的に航続距離重視。
陸軍なら大陸の奥地への長距離爆撃が目的だし、海軍なら外洋へ出て敵艦への攻撃。
搭載量の少なさは反復攻撃で補うつもりだった。
(325:521)

1945年に製作された“キ○○○”という航空機は?

特徴→エンジンが大きめのため水平移動がトロい“飛行機”で
→試作機完成が昭和20年ごろ
→試作機は三機程度しか作られず実戦配備はされなかった
→同じ頃に秋水が配備された
ソースが呆け老人に成り掛けている為これ位しか拾えませんでした
1945年に製作されたものであれば、キ105輸送機かも知れませんね。
試作機完成は1944年11月ですが、ほぼ1945年頃ですし、元がグライダーなので、
速度は余り出ませんし、完成間近の機体は50機程度だけど、完成機は少数機に
終わってますし、秋水とほぼ同じ頃の機体ですし。

後は、1945年試作機完成に全然該当しませんが、大きいエンジンを積んでいて
水平移動がとろい機体であれば、三式連絡機(キ76)が該当するでしょうし、
1945年に試作機完成なら東京航空のキ107くらいですかね。
(608:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧軍の戦闘機は口径が異なる機銃を装備していますが、戦闘時はそれらを同時に使用するのでしょうか?

米軍などのように同一の口径のものだけを装備しなかった理由はどうしてですか?
セレクターなどで同時に使用するのも一方だけを使用するのもどちらも可能。

大口径で揃えると重くなる、スペースを取るので、結果、火力か機動性が犠牲になる
他には装弾数や射程の違いも理由、大口径の威力を選び欠点を小口径で補った

米軍にも口径の異なる機銃を装備している戦闘機はいくらでもあるし
日本軍にも同一口径のものだけ装備している戦闘機はいくらでもある

一応例も挙げておけば
口径の異なる機銃を装備している米戦闘機はP-39、P-38、P-61、P-59など。
口径を統一した機銃を装備している日本戦闘機は二式戦、三式戦、紫電、雷電などなど。
ただし型によっては違うこともある。
(633:63-66)

なんで、海軍が、陸上攻撃機なんて持つ必要があったんですか?

陸軍の重爆に同じ役目をやらせるのではだめだったんですか?
なんで日本が陸上攻撃機を作ったかと言うと、軍縮条約で軍艦の数を抑えられたから。
足らない軍艦を飛行機で補おうとした。軍艦みたいに遠くまで行けて、軍艦を沈められ
るであろう武装としての魚雷を搭載し、その魚雷を命中させるための低空での運動性が
求められた。

海軍ほど遠くまで行かないし、一撃必殺の魚雷ではなくいろんな爆弾を積めた方がいい
し、運動性への要求も違う陸軍と同じ飛行機を使おうというのであれば、無駄が多いか
値段が高いか性能が中途半端か、あるいはそのいずれもが当てはまるという悲惨なこ
とが起こりかねないのが30年代から40年代の技術。
(637:ふみ ◆Y.QUKJBduY)

日本軍の戦闘機に、ガンカメラは装備された事はないのですか?

米軍側のはよく目にするのですが
ありますよ。黒江保彦氏の『あゝ隼戦闘隊―かえらざる撃墜王』の前書きに
ニュース映画か何かのために隼にガンカメラを搭載した旨、書いてあります。

ガンカメラそのものは存在していましたが、基本的には訓練用で、実戦では使われていません。
日本軍のガンカメラは機体の外側に取り付けるので、付けると空気抵抗で速度の低下などを招いてしまうのです。
(306:540-541)

旧日本軍の戦闘機の自動消火機能っていつついたの?

海軍戦闘機の場合は、1944年4月の零式艦上戦闘機五二型乙に、やっと翼と胴体内に
自動消火装置を取り付けたのが最初ですね。

陸軍はちょっと資料が無いので不明なのですが、二式単戦もしくは三式戦辺りではないか、
と思います。
(306:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧日本軍の偵察機にジャイロ・ヘリのようなものってあったの?

オートジャイロは、萱場製作所(現カヤバ)が開発した萱場式オートジャイロ(陸軍カ式観測機)というのがあった。
ヘリコプターは横浜高等工業専門学校 (現横浜国大)で「特殊蝶番レ号」という名称で双ローターのヘリが開発されていたが、開発中に終戦をむかえている。
実物写真及び上記についての詳細はここ
http://www2g.biglobe.ne.jp/~aviation/jpnhistory.html
(305:881)

旧軍機には自動操縦装置の類が装備されていたのでしょうか?

水上偵察機などの長距離を飛ぶ機体には装備されていました。
あくまでも、ほんの一握りと言う事になりますが…。

尤も、それに任せきりにして、全員寝こけ、位置が判らなくなって自爆と言う
例も中にはあります。
(643:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

資源不足だったWWII後半の日本の戦闘機に羽布が使われた聞いた事があるのですが、真相はどうなのでしょうか?

戦闘機に限らず、全ての機種に於いて、資源不足のために、舵面に羽布が使われて
いたりします。
後、木製化とか。

例えば、世傑の疾風なんかにはそれ関係の記述があったか、と。
(303:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

航空機って後ろに小型のロケットブースターつけないの?

日本海軍で、空母発艦用にテストしていました。

日本海軍は、空母用のカタパルトを実用化できませんでした。
アメリカ海軍は実用化していましたが。
その代案としてロケットブースターを思いついたのです。
横須賀の実験航空隊でテストしていました。

パイロットの大多和 達也氏から直接にお聞きしました。
なぜ、実用化しなかったかは、お聞きしませんでした。

参考図書。
予科練一代―ある艦攻パイロットの悪戦苦闘記
大多和 達也/光人社/S61発行/\600
(655:霞ヶ浦の住人 ◆ORAm06ellg)

大戦中、旧軍の飛行機は排気過給機の開発に難航したために高高度での良好な性能を獲得できなかったとのことですが

なぜ機械式過給機ではなく排気過給機じゃないとだめだったんでしょうか
機械式スーパーチャージャーの動力源はエンジンそのもの、クランクシャフトからもってきた力でコンプレッサーを動かし空気を圧縮、
これをエンジンに送り込む・・・ってことは、空気が薄くなってエンジン効率が落ちればスーパーチャージャーも能力も低下する。
ターボチャージャーは本来ただ捨てられる排気でタービンを回しコンプレッサーを動かしているので、効率が良い。

排気タービン式過給器の方が多くのメリットが見込まれる。
  • 機械式過給器の様な過給器駆動の為の出力ロスがない。
  • 事実上無段階の過給で全開高度を広く取れる。
反面 連続高温運転を行う排気タービンは技術的難易度が高く、トラブルも多かった。
機械式過給でも、2段2速過給器を備えたマーリンの様に高加給で高い高空性能を備えた物もある。
要はその時の技術レベルや機体とのマッチングで最適な解は変わってくるのであり、
排気式過給器でなければだめなどと一概に言えるものではない。
日本は技術の点でどうしても劣っている部分があったし、
燃料事情等からも高過給を行う環境になかった。
(670:723-726)

戦前、戦中の日本の航空機会社のシェアを教えて下さい

1927~1936年の統計では、三菱20.6%、中島24.7%、立川11.2%、川崎24.3%、愛知8.0%、川西7.1%、九州4.7%の
シェアとなっています。
1937~1945年になると、三菱20.6%、中島30.3%、立川11.8%、川崎12.3%、愛知6.1%、川西3.1%、以下、日本国際、
九州、日飛、日立、富士、昭和が残りを分け合うと言う感じです。
(290:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

海軍が零戦、陸軍が隼を使っていましたが、共通化しようという動きは無かったのでしょうか?

機体は用途が違うので仕方がないけどせめて機銃や機関砲、弾薬類は共通化してほしかった。
最初エンジンの仕様は同じでしたが、陸軍、海軍から別々の改修要求が有り、しだいに互換性が失れました。

「中島飛行機の生産に関する研究の本(タイトル、出版社、著者とも忘れました。手許に無いので。)
で「はじめは同じものを作っていたが、陸軍、海軍から別々の改修要求が有り、しだいに互換性が失われていった。」
という記事を見たことが有ります。
だから彩雲のエンジンは1800馬力、疾風のエンジンは1900馬力で紫電改のエンジンは2000馬力と書かれるんですかね?
以前からその傾向はあったようで、三菱、中島では陸軍用と海軍用に生産設備をわけていた様です。
従ってナンバリングの体系も異なる?ようです。」

下記を参照ください。
http://www.warbirds.jp/ansq/1/A2000786.html
(679:霞ヶ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I*一部修正)

海軍機の中で、機体に何やら書いてあるのを見ることがあります。

献納機と呼ばれる機体に名前が付けられるらしいということが分かりました。
スポンサーになった会社の名前を書いたりすることもあり、「キッコーマン號」とかいうのもあるようです。
こういった愛称(?)などを書き込んだりするのは献納機だけなのでしょうか?
陸軍の献納機は愛國○○号、海軍の献納機は報國○○号という通し番号で呼ばれ、
通称として、献納者の会社名、団体名などが書かれました。
こうしたものを書いたのは献納機だけです。

元々、日本の軍用機は誰か個人が専用機として使用していた訳ではないので、部隊
で共通のマークを描く事がある以外は殆どこうしたものを書き込むことはありません。
注意書きとかを書くことはありますが。

しょうもない知識の類ですが、漫画家の横山隆一がJavaを訪れた際、其処にあった
鹵獲機、軽爆などに片端からフクちゃんを描いたと言うエピソードはありますから、
完全に嫌われた訳ではなかったようです。
(101:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本のオートジャイロの技術はどんなものだったんでしょう?

日本のAutogyroは、英国のCierva(スペインのCiervaの英国現地法人)から、1932年に朝日新聞が輸入した
C.19Mk.4が最初です。
同時期に、海軍も輸入しましたが、採用には至りませんでした。

陸軍は、米国のKelletから陸軍学芸技術奨励寄付金によって、K-3を連絡機として愛國第81/82号の名称で
購入し、下志津陸軍飛行学校で、研究機材として使用されました。
このうち、82号は墜落、大破しましたが、代機として、Kelletから再びKD-1を購入しました。
これも事故で破損しています。

しかし、1939年のノモンハン事件で、砲兵観測用の繋留観測気球がソ連戦闘機に容易に撃墜された為、
それに代るものとしてAutogyroを製造することになります。

そして、陸軍技術本部第四部から萱場製作所に委嘱して製造したのが、カ号観測機です。
但し、一号機は、前述の大破した、米国製Kellet KD-1をAutogyroを修理改造したものです。
これを基準として、朝日や海軍が輸入したC.14の実績も加味し、エンジンを空冷星形のヤコブスから、
ドイツのアルグスに換装して製造されました。

元が、米国の機体で実績がありますから、性能は優秀な部類に入るでしょうね。
(124:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

零戦などに使われている超超ジュラルミンって同時代の米軍機より優れた素材だったの?

超超ジュラルミンてA 7075っていうの。
開発したのは日本。
航空機用アルミ材料はジュラルミン2014、
超ジュラルミン2024が主流で、
7075は強度により優れた凄い材料だった。
今でもアメリカの航空機材料は2000番台が中心。
日本は航空機シートを中心に7075を使う事が多い。
(戦争板初質スレ5:527)

英米の重爆撃機の搭載量は5~10tはあるのに、日本軍機のそれが5tにも満たないのは何故でしょうか?

日本陸軍航空隊の爆撃機は、大陸戦線で使われる様に考慮されており、
前線を反復して攻撃すると言う思想で設計が為されています。
なので、爆弾搭載量が少なくても、何度も往復すれば良いと考えられて
いました。
また、目標も都市ではなく、陸軍部隊ですので、爆弾搭載量も小さいのを
数多くばらまく形が理想的だった訳です。

尤も、発動機の馬力が低すぎて、爆弾をそんなに搭載出来ないと言うのも
ありますが。
(153:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

陸軍機に索敵用の電探は装備されていたの?

簡単なものであれば、徳田八郎衛著「間に合わなかった兵器」(光人社NF文庫)に記載があります。

陸軍機に索敵用の電探はありました。
タキ一号というのがそれで、キ21搭載用に開発されました。
この機器は、飛行58戦隊が九七式二型重爆撃機9機に搭載され、PalembangやPhilippinesで使用され
ています(但し、切迫した戦局で余り効果がなかった)。
(243:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

中島・三菱は海軍機も陸軍機も作ってたけど、川崎が陸軍機ばかり、愛知が海軍機ばかりだったのはなぜでしょう?

最初に民間資本で企業を設立し、航空機産業に打って出た企業が三菱と中島しか
無かった為です。

三菱、中島はそのため、或程度の独自性を有して、陸軍、海軍両方との関係を持つ
ことが出来ましたが、他社は、航空機産業育成に対して、軍部が或程度の方針を
決めて来たことから、どちらかの軍と密接な関わりを持つようにして成長するしか
無かったわけです。

川崎は川崎造船の流れではありますが、1921年に当時の松方幸二朗社長によって、
多角化の一環としてサルムソン発動機の国産化に取り組み、そのエンジンを搭載した
偵察機のLicenseを購入します。

この偵察機が陸軍に採用されたために、以後、陸軍との密接な関係が築き上げられます。
岐阜工場は、各務ヶ原の陸軍飛行隊の側にありました。

愛知時計電機は、精密時計の製造から出発し、その技術的完成度から、海軍向けの信管、雷管、
機雷、その敷設装置などの兵器部品を生産していたことで、海軍と関係を持つようになりました。

で、1920年に海軍の設計した機体(元々はハインケル設計のハンザ・ブランデンブルグ偵察機)の
生産工場に指定され、その製作を始めたのがきっかけです。
(182:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

プロペラシャフトから機銃を発射する戦闘機が日本に無かったのはなぜですか?

一応、三菱にてHispano-Suiza 12XCrs/12YCrsの国産化が図られましたし、川崎では
DB601、愛知ではDB600の国産化が行われていました。

で、1935年にフランスからMotor Cannonを装備したDevoitine D.510J戦闘機を陸海軍共同で
1機ずつ購入してテストし、陸海軍とも一時的にこれを装備した戦闘機を開発させています。
陸軍は中島にキ-12を、海軍は三菱に九六式三号艦戦を試作させました。
しかし、D.510Jの評価に関しては、高空に於ける速力、上昇力、運動性は優れているものの、
4,000m以下の中、低高度での運動性は、九六式艦戦、九七式戦闘機に劣り、昇降舵、補助翼の
操作が重く、各舵の釣り合いに難があり、当時の操縦士には余り好まれず、またCannon自体、
給弾装置に欠点があったために、実用性が劣ると判定されています。

キ-12は、D.513の様な国産初引込脚式の野心作でしたが、運動性が他の機体に劣り、発動機の
製作困難で中止、九六式三号艦戦も、運動性に難があり、同様に試作のみで中止されました。

三菱の12YCrsは、そもそも650馬力エンジンの実用化に手間取ったのに、更にエンジン負荷増大に
よる精度、材料対策不足があり、また、三菱自身も空冷にシフトしたため、頓挫しました。
12Xでは接合棒は叉状式で、これに悩まされたのに、12Yになると副接合棒方式になるため、技術の
蓄積が無く、実際量産化しても、モノには出来なかった可能性があります。
また、減速歯車も、歯車相互の中心距離を240mmから300mmへと拡大する必要がありましたし。

愛知のDB600や川崎のDB601も装備しようと思えば装備出来ましたが、
軸部の熱処理不良に始まる各種の技術的障害があり、装備せずに終わりました。
(184:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本の航空機に、日の丸が付けられるようになったのはいつ頃からですか?

飛行機出現当初、陸軍は尾翼に通し番号を振っていました。
根拠法令については定かではありませんが、1915年から陸軍では日の丸が識別用に採用されています。

当時は翼だけに塗られていた様で、それが明確にとらえられている写真は、1918年に上野の空中文明博覧会に展示された、
Grahame-White 13高速研究機が最初かと思います。
また、1916年に試作された陸軍制式一号飛行機の場合は、方向舵に日の丸が付いていました。

しかし、1917年のNieuport 24C1の輸入機では、陸軍機標識として、主翼と方向舵に白地に赤星を付けていますし、
1919年のSpad S-7C1にもその標識は使われているので、明確に日の丸に統一された訳では無いようです。
一方で、1920年に日本向けに輸出された、Fokker D.8は、胴体に日の丸が付いています。

多分、ソ連赤軍の赤星との混同を避けるために、シベリア出兵前後に日の丸に統一したのだと思います。

海軍の場合は、1921年の英国から招請した教官団の持ち込み機材に日の丸が付いていました。
1920年の横廠式イ号甲型水上練習機の試作機には、付いていません。
従って、海軍の場合はその前後ではないかと思います。
(186:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本陸軍は日米開戦以降、軽爆の開発に積極的ではなかったのですか?

日米開戦直前に九九式双発軽爆撃機の性能向上を図っています。
但し、装備予定のハ115の製作が遅延したため、完成は1942年1月とずれ込みます。
それから試作試験をして、1年後の1943年2月に正式採用が決定しました。
ちなみに、その間に、爆弾搭載量の過小、自衛力の貧弱さから、襲撃機で十分という
意見もありました。

その試作中に、キ66試作急降下爆撃機が設計、製作されています。
こちらは、1942年11月に第一号機を完成しており、1943年2月から実用試験が開始され
ました。
しかし、最高速度は九九式双発軽爆撃機と大して変わらないため、ハ315に換装した性能
向上型を製作しようとします。
ところが、キ66の急降下ブレーキを装備した九九式双発軽爆撃機が完成し、50度程度の
急降下爆撃に使用できるので、これで十分と言うことで、開発は中止されました。

最終的には襲撃機と一本化され、キ102系列に昇華しますが、設計、試作段階になった
ものは他に、キ70(司令部偵察機に軽爆撃機装備を施す)、キ119などがあります。
(211:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

なぜ艦爆と艦攻をの2種類を混ぜて使っていたのでしょうか?

魚雷はものすごく高価な兵器で数が揃えられないけど威力が大きい、爆弾は安くて数が揃えられるけど威力が小さい
(俺初質スレ2049:886)
あと命中率の観点からも急降下爆撃の方が雷撃よりも有利
(俺初質スレ2049:887)

太平洋戦争の艦上攻撃機や爆撃機ってなんで2人、3人もヒトが乗っているのでしょうか

一人で全部出来ないから、乗員を複数乗せて役割を分担してる
自動化の進んだ現代だって、大型機は一人で全部をやるのは無理だ
(俺初質スレ40501:341)
艦攻:3人乗り:パイロット、航法兼魚雷・爆弾投下要員、、後部射撃要員
艦爆:2人乗り:パイロット、後部射撃要員

欠かせないというだけ
(俺初質スレ40501:342)


各種日本軍機


「ゆりかもめ」に乗って、船の科学館をを通過する時、日本軍の水上飛行機らしきのがあるんですけど、なんて飛行機かしってる人います?

二式大艇でしょ
(くだらない質問はここに書け!:316)

日本の飛行機は燃料が悪くても結構飛べますよね?もしかして外国の飛行機に比べて燃費良かったりしますか?

第二次世界大戦時の飛行機です
オクタン価について余りご存知でないかもしれないので、一応解説させていただきます
オクタン価と言うのはガソリンの自然発火しにくい度合いを指す値です
この値が高いとシリンダー内の混合気が点火される前の圧縮段階で爆発する不正爆発するのを防ぐことができます=アンチノック
(オクタン価を手っ取り早く上げるには、鉛やベンゼンといった有害物質を混入することです)
ですから、オクタン価はよりエンジンから力を引き出す指標にはなり得ても、燃費とは直接の関係はありません
また、ディーゼル、ジェットエンジンには仕組み上オクタン価は関係ありません
{(6:19)

震電というエンテ型のレシプロ機についてなんですが、とにかくスペックがバラバラで、どのような飛行機なのかわかりません。実際、どうなのでしょう?

1945年に初飛行したものの、三回僅か45分の飛行で終戦となりました。
そんなわけで、計算値的には750キロですが、本当に其処まで出たか不明です。
ただ、高オクタンガソリンを用いたらかなりの速度は出たはずです。

機体は接収されて現在アメリカにあります。
(12:眠い人 ◆ikaJHtf2)

震電は終戦後米軍に接収されたと聞きましたが、その後どうされたのですか。

それと、中島製でしたか?
九州飛行機という小メーカー(渡辺鉄工所飛行機部から分離独立したもの)の製品です。
ちなみに、渡辺鉄工所は海上自衛隊の魚雷製造メーカーとして未だに存在しています。

米軍に接収された機体は、現在スミソニアン博物館で埃を被っているはずです。
(13:眠い人 ◆ikaJHtf2)

5式戦には、「隼」や「鐘馗」といったようなニックネームがありませんが、そういった名を付ける予定は無かったんですか?

一部では「空冷飛燕」と呼ばれたことも有ったらしいです。(そのまんまだな)
米軍も3式、5式共に「Tony」と呼んでいたことから当時誰もが3式≒5式と言う
認識だったので特にニックネームを考えてはいなかったという説もあります。
(33:874)

零式水上戦闘機って存在しますか?

二式水上戦闘機という名称で存在します。零戦一一型をベースにフローと
をつけたもので、1943年9月までに327機が生産されています。
アリューシャン方面で米軍機も撃墜しています。
(34:575)

エンジンの特性を考えると高空での性能に限ればひょっとすると三式戦の方が優秀なのでは?

三式戦の設計者は
「エンジンが本来のスペックで完調なら三式戦の方が上だ、
あの機体はそう造った。」
と言うのを読んだ記憶があります。
まぁ設計者は皆言いそうですが。>日本のエンジン
対B-29体当たり部隊(震天特攻隊)も武装外した三式戦
が選択されてますし、性能は良いでしょう。
(36:634)

二式大艇の任務ってなんだったんですか?

長距離哨戒とか偵察とか攻撃隊誘導とか輸送とか。
(39:バッチ3)

百式司偵はナチスドイツもかなり本気でライセンス生産を考えたと外国の本で知ったのですが、信憑性の高いエピソードなんでしょうか?

う~ん、少なくとも日本の航空機関係の古い本を紐解いても、そういった
エピソードは出てきませんねぇ。
(古い本とかには、設計者自身が記事を書いているとか、現役軍人だった
人が書いていると言うのがあるので意外と面白いのですが。)

日独連絡で、資料くらいはあちらさんに逝ったかも知れませんけど。
(12:眠い人 ◆ikaJHtf2)

イ400に積んでる青嵐、フロート付きの写真みたけどデカイよ。3機も収納されてたとは、とても思えない。実際のところ離発着はどうしてたの?

発進訓練の際はフロート装着のままで発進。着水はフロートで。
作戦時にはフロート無しで発進。帰投後は海面に不時着。
機体は破棄でなかったか。
(12:233)
浮上してから2機を発進させるまでわずか4分。
格納庫内にある1機は時間がかかって2番機発進後15分。

意外とおもしろい潜水艦だと思うよ。後方撹乱にゃもってこいだね。
ただ収容するには3機で30分かかる。
だからフロート無しで乗員だけ回収、の方が現実的か。
潜水艦自体は大きすぎて隠密行動には不利だったと思うけど、勝ってる時期だったら面白いように戦闘できたとは思うが。
(12:236)

青嵐の性能て良かったの?

性能自体はこういう機種の中では抜群に良いんじゃない?
比較対象は零式小型水偵とかだし。
最高時速はフロート投棄時(302ノット)なら零戦より速かったよーだよ。

もちろん敵戦闘機にまともに捕捉されたら撃墜されるだろうけどな。
(12:238)

晴嵐の性能って当時の水準から言ってどうなの?

また日本が苦手な液冷エンジンを搭載してますが、故障頻度とははどうだったの?
少数生産機なので液冷の整備の難しさは特に問題視されてません。
1機1機丁寧に整備すればよいということで。
彗星も最初はそうだったんですよ。空母用だけの予定だったから。
陸上でも使うことになって大量産が図られたことから整備性が問題になったんです。

性能のほうは、はっきりいって同時代の他国機と比べて図抜けてます。
急降下爆撃や雷撃できる水上機ってのはものすごく特異ですよ。
単純に搭載量1トン近いってのも他に例がありません。
ただね、他国はこんな方向に水上機を進化させる意図そのものを持ってなかったわけで。

完成した晴嵐の場合、性能は悪い方に図抜けていたっつー説もある
直径3mしかないプロぺラで、要求性能を満足させられるわけがないので、こっちの説の方が
説得力はありそうだ

一応フロート外した陸上型の南山も配備され、ある程度試験実績もあるので。
少数生産機なので量産型も試作機並の丁寧な造りで、性能上もかなりいけたようです。
詳しくは秋本実氏の著作を。
(346:707-717)

富嶽についてご存知の方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。

大戦終結直前、「日本には6発エンジンのすごい爆撃機がアメリカに本土爆撃をしかけるらしい」というデマが流れましたが…。

中島飛行機(今の富士重工)社長の中島知久平が妄想した機体で、5000馬力級のエンジン6発で、
日本から米国本土を爆撃してGermany(と言うか占領下のFrance)に着陸すると言う構想で計画されたものです。
陸海軍共同計画機として、設計が進められましたが、戦局の悪化により19年7月に開発中止となりました。
なお、当初5000馬力だったエンジンは、設計が難しく2500馬力案と3000馬力案に落ち着き、エンジンは試作が行われていました。

ま、敗戦を見越した中島知久平の技術者温存策という話もあります。

ちなみに、川西も同時期に軍需省の令により、東大航空研究所と協力して、
同じような性格の米本土爆撃機、TBと言うのも計画、開発していました。
(14:眠い人 ◆ikaJHtf2)

桜花の母機って何ですか?

一式陸上攻撃機だったかと。
(27:ちゃぎ)

三式戦2型改の総生産数は99機らしいのですが、その内水滴風防を装備したものは何機含まれているのでしょうか?

また、それが配備された戦隊も知りたいのですが・・・
三式戦2型改は全部、水滴風防じゃなかったけ?主に配備されたのは
第56戦隊。昭和19年4月26日、明野で編成。伊丹で終戦を向かえ解隊。
(37:65)

キ-10戦闘機は実戦参加したのでしょうか?

キ-10、即ち九五式戦闘機は、日華事変初期~中期に掛けて主力として
実戦参加して、I-15に対しては圧倒的な強さを誇っています。
また、ノモンハン事変でも初期~中期に掛けて陸軍航空の主力として活躍しました。
九七式戦闘機が充足した後は内地に引き上げられ、
練習戦闘機として敗戦近くまで使用されました。
もしかしたら敗戦に残った機体があったかも知れませんが、詳細は不明です。
(38:眠い人 ◆ikaJHtf2)

零戦の後継機烈風って開発間に合ったんですか?

8機しか完成しなかったのだから、間に合ったとは言えないね
(43:38)

97式乙型戦闘機の写真みてふと疑問に思ったのですがこの機体には7.7㎜×2が搭載されているようですが銃口らしきものがありませんでした。

何処に機銃つけていたのですか?
九七戦はエンジンのシリンダの間に銃口があり外見ではわかりにくい

真正面から見てプロペラ軸を中心とした時計の盤面を想定すると
だいたい4時と8時ぐらいの位置に銃口があったような
(43:155)

戦闘機隼の名称は何に由来しているのでしょうか?

戦闘機や爆撃機の愛称の場合は適当に開発者とか軍関係者がつけた。
(44:401)

「桜花」の戦果を教えてくれ。

確認されている撃沈戦果は駆逐艦マンナート・L・エープル1隻のみ。
それ以外に数隻が突入され、大破した模様。
(46:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

三菱の九七艦攻、どう見ても中島の九七艦攻とは別ものでとうてい雷撃機には見えません。どんな任務に就いてたんでしょう?

練習機代わりに使用されていたみたいです。
(59:名無し軍曹)
三菱の九七式艦攻は九七式二号艦上攻撃機と言われ、中島のものと同じ任務にを想定していました。
これは固定脚である他は、性能的に殆ど中島のものと変わらなかったからです。

要求仕様も同じですが、ただ三菱は手堅く構造の簡便な固定脚を採用し、
中島はさらなる性能向上を目指して、様々な新機軸を採用したため、
失敗を恐れた海軍部によって、三菱機は保険として採用されたものです。

そのため、太平洋戦争勃発時には、陸上基地からの哨戒、偵察、訓練任務に使用され、
末期には少数機が特攻機に用いられています。
蛇足ですが、同じAirフレームを用いて、それを複座化した
九七式艦上偵察機と言うのも開発されています。
(59:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧日本軍機で一番巨大だったのは何ですか?

九二式重爆撃機。
ttp://military.sakura.ne.jp/ac/ki20.htm
ちなみに、サイズだけならB-29よりも大きかった。

飛燕がB-29に体当たりした瞬間を目撃したって話がありますが、例えば5000m上空で地上から飛燕だとわかるものなのでしょうか?

昼間空襲の場合は、有視界の場合、約3,900~5,000mでの作戦ですが、震天制空隊などの記事は、
1945年1~2月頃に人口に膾炙していますので、大抵の人々はあれは飛燕に違いない、となったみたいです。
因みに、新鋭機として、飛燕が国のメディアを通じて紹介されたのは、1945年1月の事です。
(496:458,眠い人)

マウザー砲を装備した飛燕は対B-29戦闘で重宝されたんですか?

重宝されたようですね。
マウザー砲を装備した一型丙は時期的にニューギニアへ送られた機体はあまり多くなく、
その多くは飛行56戦隊や244戦隊といった国内の防空戦闘機隊に回されたようです。
そして部隊ではマウザー砲は装填が電動式で故障も少なく高威力だったことが
高く評価されていました。
(540:43:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

ただし、空対空体当たりを目指した震天制空隊の装備した機体では軽量化のために
マウザー砲は外しています。

雷電の振動の原因は現在では解明されたんですか?

雷電を設計したときに、爆撃機用のエンジンを使う=直径が太い、では速度が
でないと三菱は考えた。時速600キロくらいから空気圧縮が大きな抵抗になる
であろう、と。そこでプロペラ軸を延長してエンジンからスピナーまでをなだらか
に絞っていくことで、抵抗を抑えようとした。そうすると延長したカウルで開口部
が狭くなるので、空冷エンジンの冷却用空気の取り入れ量も減ってしまう。それ
については強制冷却ファンをつけることで解決するとした。

が。

重いプロペラを無理矢理に軸を延長している上に軸に強制冷却ファンまでつけて
いるのだから振動の根本的解決は無理だし、プロペラの設計を変えるといっても
可変ピッチプロペラそのものがVDM、ハミルトン、ラチエとライセンスばかりで、ア
メリカが実用化していたフェザリング機能は「カムの化け物」と製造できなかった。

話がもどるが、そもそもプロペラ軸を延長する理由とした「時速600キロからの空
気圧縮」そのものが実は勘違いで、苦労して機首を伸ばした効果は無かった。
当時、それがわかっていたらごく普通の空冷エンジンとカウルとプロペラ配置の。
もう少し稼働率の高い戦闘機になっていたかと思われる。
(544:916)

陸軍は、零戦21型というものがありながら、なぜ隼を採用したのでしょうか?

隼は零戦より航続距離は短いし、武装も零戦が20ミリなのに対し隼は12.7ミリ、スピードも零戦の方が早いですよね?
単に陸軍と海軍が仲が悪かったからですか?それとも隼には零戦にはない何かがあるのでしょうか?
陸軍の要求仕様に、零戦並の航続距離や武装は盛り込まれてなかったから
ある程度の航続距離は求められたが、零戦に求めれたほどではなかった
武装も同様
変わりに上昇力や旋回性能といった運動性が陸軍から重要視されていた
そして、それらに付いては、零戦より軽量な隼の方が優れていた
(546:33)

流星が戦果を挙げれなかったのは機体の性能のせいではなく、乗りこなせるベテランパイロットの不足のせいだったからなんでしょうか?

登場した時期が遅すぎた上に、もはや航空攻撃で戦果を挙げうる状況になかったからです。
流星は生産機数も少なく(111機)、装備部隊も横須賀空と攻撃第5飛行隊くらいです。
しかも攻五が流星に改編を始めたのが昭和20年の3月に入ってからで、本土決戦のために
温存されたこともあって7月末まで出撃はしていません。
攻五は7月25日に英空母フォーミダブルに薄暮雷撃を敢行したのを皮切りに、
8月9・13・15日に敵機動部隊攻撃に出撃しました。
しかし、いずれも戦闘機の援護無しで出撃を行ったために、戦果もなく出撃機のほとんどが
未帰還に終わり、特攻攻撃として扱われています。
(558:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

雷電は迎撃機として火力と上昇力重視で空戦性能は二の次で設計されてますが

雷電を運用した航空隊は敵戦闘機とも積極的に戦ったんですか?
戦っています。
F6Fに比べると速度はほぼ同等だが、縦の運動性では優っており、使いこなせば互角、
あるいはやや優位に戦えるだけの実力を持っていた。
「日本軍用機航空戦全史」(秋本実)

P-51の撃墜記録もあります
(571:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)
おいおい、「日本機は全て傑作でP-51より空戦性能が上」な秋本だぞ?
渡辺洋二の「雷電」では対戦闘機戦闘は極力避けろと命令されていたとある
(571:730)

深山は大戦中は輸送機として使われていたそうですが一体どの期間、どの地域で運用されていたのでしょうか?

1943年に6機中4機が輸送機として改造(LX)され、1021航空隊に配属、南方地域の航空艦隊へ兵器や部品の補給輸送に
使用されています。
ことに長大な爆弾倉には魚雷2本が格納出来たため、深山は魚雷運搬機の異名を付けられていたそうです。
しかし、1945年に入ると、敵機動部隊の跳梁で飛ぶに飛べず、入れる格納庫もないため、野ざらし状態で、囮として利用
されています。
(341:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

一式陸攻の機銃を多数装備した編隊擁護機は実践投入されたのでしょうか?

一式陸上攻撃機は最初、編隊擁護機の道を探って寄り道したために正式採用されるのが遅れたと聞いたのですが
実用化され30機ほどが使用されていますが、重量過大、鈍重で操縦性が悪く、防弾でタンク容量の25%が減っていたので、
戦果が挙がらず、結果的に練習機に改造され、最後は降下部隊用の輸送機に改造されてしまいました
(341:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

スペック上の紫電改はパワーの割りにやたら速度が遅い気がしますが

(出力が等しく明らかに空気抵抗の大きいF6Fと同程度)
「零戦」の中で堀越技師が誉の実馬力が1300馬力足らずなことを明らかにしている
(588:580)

ぶっちゃけ震電って戦力になりえたの?

  • 生産余力がない
  • 量産したエンジンがマトモな性能を発揮しない
これだけでも「戦力」と呼べるような稼働機数を揃えることは出来なかったと思われ。

更に、
  • 空冷星型エンジンをこの場所に配置して果たしてちゃんと冷えるのか?
  • プロペラ延長軸の振動問題は?
  • 30mmX4門の反動に機体は耐えられたのか?
といった事を考えると、実用性がどこまであったのかはけっこう疑問。
(592:253)

「飛燕」の液冷エンジンって、そんなに日本の手に余るものだったんですか?

そうです!
海軍も、別会社で、ダイムラーベンツ601の国産化に失敗しています。
技術者の佐貫佐貫亦男氏は、ユンカースのエンジンを導入すべきであったと、主張していました。
同じドイツの液冷エンジンの、ユンカースは構造が単純で、国産化しやすかったです。

「工作技術、材料共に問題を抱え、ドイツとの連絡が途絶えた当時の日本では、先進的な工業技術を要求されるDB601の生産は手に余るものとなった。」

下記、ウィキペディアのハ40 (エンジン)の国産化の特徴を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F40_(%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3)
(601:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)
技術者?の佐貫亦男氏がDB601について記述された書籍の名前を教えてください。
佐貫亦男先生の著書
発想の航空史(朝日文庫)のp206から207にかけて、その記述が有りますよ。 但し、カスミンが書いてるユンカース云々の記載は有りません。

佐貫先生の記述を要約するとクランク軸が製作困難でドイツから潜水艦で送れと駐独大使館付武官事務所に電報が入った事実があったというものです。
(601:不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk)

二式単戦ってビルマとかじゃ英軍から厄介な奴とか思われたりしたの?

本機を装備していた独立飛行47中隊はインドシナ、マレー、ビルマと転戦しました。
これらは侵攻作戦で有り本機の航続力では不向きで1942年5月には内地に帰還しています。 よって、敵に恐れられるほどの活躍をする期間は有りませんでした。
本機が真髄を発揮したのは日本本土での防空戦等の迎撃戦でした。
(602:不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk)

水冷エンジンを搭載した疾風の試作機は実在したの?

本日、碇義朗著作の決戦機疾風を入手し調べましたが、それに関する記述は有りませんでした。
数日間に渡り各資料を付き合わせ検討した結果の推定になりますが。
疾風の改良型として、俗に言う(キ)の陸軍式の仮称がつく機体を挙げます。
キ84一型から四型、キ106、キ113、キ116、キ117
となりますが、水冷エンジンの試作機は有りませんでした。

やはり幻の戦闘機での記述の通り「陸軍航空審査部での試験的に装備したものであろうか。」
以上が結論になります。 陸軍航空審査部では敗戦の為にほとんどの記録が焼却されましたから、資料が見つからなかったようです。
(602:不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk)

震電について、ぶっちゃけ当時の技術水準でモノになる機体だったのでしょうか?

この機体自体は2回の試験飛行しかしていません。

カウンタートルクについては、補助翼を自動的に操作して、最適な状態に持って行く機械的な
仕組みを導入してクリアする予定でした。
数回の試験飛行では、その辺りの調整はまだ出来ていないでしょうし、機械としての熟成は
未だ未だだったと言えるでしょう。

一応、空力的には縮小型のモータグライダーを製作して、検証をしているので、機体としての
方向性は問題ないはずです。

また、追加する2号機の投入で試験が進めば、より熟成が進んでいた事が考えられます。
これが進むか否かは、結局、燃料状況と制空権の状況次第でしょうがね。
(402:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

渡辺洋二著『局地戦闘機「雷電」』読んでて疑問に思ったのですが、あんな翼面加重の高い格闘戦闘の苦手な戦闘機に何故海軍は執着したのでしょうか?

雷電が「局地戦闘機」だから。
零戦に代表される艦上戦闘機などはあらかじめ戦闘空域に
滞空してることを設計に盛り込めるけど
局地戦闘機の場合は警戒命令がきてから
爆撃機の来る高空に駆け上がる性能がなければならない。
だからこその大出力であり航続距離の放棄と格闘性能でもある。
局地戦闘機のメインターゲットは爆撃機なので、
戦闘機相手には護衛をいなす程度の力が有ればいいのだから。
(631:177)

一式陸攻って、輸送機としての使用も一般的だったの?

よく、お偉方とか乗せて飛んでるようなイメージがあるんですが?
当時の海軍の輸送機事情を見てみると、ダグラスの旅客機を国産した零式輸送機と
1式陸攻を翼端護衛機したものの失敗が明らかになり、なおかつ40機も作ったものだ
からなんか使い道を探さなきゃならなかった1式輸送機、あとは96陸攻の改造型くら
いで、爆撃機…陸攻よりも輸送機の方が貴重品という状態でしたから、人員や爆弾
倉のせいで使い勝手が微妙な機体でも積み込める程度の荷物であれば、陸攻でも
運んでいました。戦闘機部隊の長距離移動なんかだと、航法士のせた陸攻が、整備
員とパーツを載せて先導、なんてのもあったようです。
つか、開戦当初だと輸送機の保有総数なんて30機に満たないくせに、これが空挺作
戦用の完全な「攻勢の戦力」として使われていたという…。
零式輸送機とか九七式輸送機を使えばよかったのでは、と思いますが・・・
どうせ戦闘機に襲われたら同じなんだし・・・
燃費にせよ整備にせよ荷物の縛りにせよラクになる輸送機が存在したにせよ、それを
選択できるだけの輸送機自体が圧倒的に不足していたというのが現実です。零式輸
送機で生産数が400機ちょっとですし。編制でみると、昭和18年ごろの1000番台の輸
送航空隊は、陸上輸送機を持たずに陸攻(と戦闘機や艦攻)を保有機としていたりし
ます。陸攻装備の輸送飛行隊が、トラックや硫黄島あたりの敵勢力圏に強行輸送し
たり、あるいは策敵なんかのために戦力を引き抜かれていましたから、輸送専門の
飛行隊に輸送専門の機材を与える余裕なんてなかったわけです。
(631:ふみ ◆Y.QUKJBduY)

「飛燕」は、空中でしばしばエンジンが止まったとのことですが、パイロットは一応滑空して落下傘で脱出できた例が多かったんですか?

飛燕の使用で最も有名な244戦隊の整備の人の記憶によれば、
飛燕のエンジントラブルは離昇時にほとんどが発生したとのこと。
一度上がってしまうとエンジン停止のトラブルは少なかった。
よって離陸時のトラブルだからほとんどが木や屋根に引っかかった死亡事故。
その高度では落下傘降下は無理だから、死亡しないまでも重傷は避けられない。

ちなみに三式戦は高アスペクトの主翼の為に滑空能力は高かったようで
B-29と衝突後、機体破損、エンジン停止状態で不時着した例もある。
(649:410)

五式戦闘機は機首に20mm、主翼に12.7mmとういう装備ですが、どうしてこうなったんでしょうか?

第二次世界大戦の日本の戦闘機だと主翼に20mm、機首に12.7mmとなりそうなものですが
五式戦闘機(キ100)というか、三式戦闘機一型丁(キ61-I丁)からの仕様ですな。
本来重量物は機体重心近くにおいたほうが旋回性能も向上するし、
機体の中心軸近くに機関砲があるほうが命中率も向上します。
Bf109のモーターカノンやP-39の機首機関砲もそういう理屈。

んで、キ61(キ100)の場合、20mm機関砲ホ-5を翼に搭載するには
厚みが少し足りなかった由。
翼搭載のためにキ61-IIで主翼の構造を改変しようとしたけれど、
結局従来型の主翼を使用したキ61-II改が生産に移ったために
ホ-5の主翼搭載はなされなかったわけです。
(654:375)

四式重爆撃機ですが、防弾や消化装置は従来の陸軍の爆撃機と比較して、どの程度向上していたのでしょうか?

当然、操縦士などに対する保護のため、防弾鋼鈑を装備していますし、防弾ガラスも装備
しています。

また、航続距離の要求性能に関しては、胴体内燃料槽だけで完結できる状況にあります。
(と言いつつも、翼内に左右各4個の燃料槽を設けていますが)

その翼内の燃料槽は、万が一ガソリンが漏れても、機内に溜まらない様に、翼内燃料槽は下面を主翼外板と
兼ねさせて、漏れた場合も機外に逃すようにしました。
また、胴体内燃料槽については、装甲板と分厚いゴム被覆で一気にガソリンが放出しない様になっています。

被弾時の修理に関しても、外翼燃料槽は、機外からビスを外せばそのまま下方に落ちる様になっており、胴体内
燃料槽も外板のビスを外せば、直ぐに抜き出せるようになっています。
また、発動機架も発動機を付けた状態で外すことが出来、機体各部についても、予備部品や他機のものと交換が
容易なよう、特殊結合金具を用いています。

他にも、従来の非対称な操縦席では密集編隊を組むのに不利なため、正副操縦士席の機器配置を完全に同一配置
とするなど、従来の爆撃機に対して、思想的に異なっており、敵の優勢下での爆撃任務が可能な様に設計仕様が組ま
れていた訳です。
(297:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

1式戦”隼”は戦後フランスに接収されて暫く使用されていたと聞いたことがあるが、詳しく教えて

1945年8月に日本が降伏した際、旧支配者のフランス軍には、まともな飛行機材がありませんでした。
英国や米国から機材が供与されるのも先ですし、フランス本国から戦闘機を運んでくるのも間に合わない、
しかし、1945年8月15日以降、ホーおじさんやNorodom Sihanoukが其所此所で独立宣言をするので、鎮圧用
の兵器や機材を調達する必要がありました。

そこで一時的に日本軍から引き渡された機材を流用しました。
インドシナ駐留の日本軍から引渡を受けた機材は直ちにFrance軍に編入され、一式戦闘機は8機が使用され
ました。
少なくとも、一式戦二型改の写真が残されています。
この機体は、Phnom Penh駐留のGC1/7に属していた機体で、
(296:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

エンジングライダーの「鴻」の評価はどんなもんでしょう?

搭載量がダグラスより少なめですが、エンジンの出力も小さい割にけっこうたくさんつめて、
貨物室へのアクセスも容易だし不整地でも使いやすいよい輸送機のような気がします。
飛行性能は良好で、陸軍自体の評価は、1944年10月29日の航空本部技術部発表
「航空兵器審査要領」に、
 「輸送機はキ105を最重点とする」
と記述されている様に、非常に高いものでした。

元々の計画は1941年のドイツ軍によるクレタ奇襲でグライダーが活躍したのに触発さ
れて陸軍が開発を指示した、大型グライダーのク7で、これを百式重爆三型か四式重
爆二型で曳航すると言うものでしたが、両機とも開発中止となり、実用化の道が絶たれ、
自動的に中止となってしまいました。
しかし、陸軍としては大型輸送機を欲していた為、その動力化が企図されたものです。
Payloadの減少については、多少の過加重での運用を可能にするというものでした。

なお、グライダーのク7についても、モックアップ審査の段階から軍の関心は高く、杉山参謀総長
が直接視察に来るとか、試作の便宜を色々図ると言った破格の扱いをされています。
製造者の日本国際航空は、比較的大型な双発輸送機の開発には経験不足なメーカーのような気がするのですが、
本格的な輸送機ではないにせよ、あれほどの機体を短期間に開発できたのにはなぜなのでしょうか
(ク7試作1号機:S19.7 キ105試作機:S19末)。
日本国際航空は、寺田航空研究所という本社を大阪に、工場を平塚に持つメーカーから興っています。
此処で開発した機体の中で、単発複座三車輪式のTK-1はモックアップ、単発単座高速試験機のTK-2は
設計のみに終わりましたが、1938年に逓信省航空局が企画したSuperUniversalとEnboy輸送機の代替
ローカル線用中型双発旅客機の開発資金として、補助金20万円を交付されます。
(この時代、大手航空機メーカーは戦時増産で手一杯だったので、こういった弱小メーカーを育成する為に、
 資金を渡すケースがあったようです。所長の寺田甚吉は、南海の社長と同姓同名ですが詳しくは不明)

こうして開発されたのが、TK-3旅客機でしたが、自重過大、搭載量不足で不採用となりました。
その後、1937年に社名を日本航空機工業に変更し、立川キ-54の空力性能を確認する為の滑空機兼
次期旅客機の試作機を製作します。
これ(D-1)はキ-54の製造には間に合いませんでしたが、これで陸軍との関係が生まれ、1939年にTK-3
を改造して一式輸送機として採用されました。
ただ、一式輸送機は少数生産に終わりましたが、これから発展したグライダー、ク8-IIが大量生産されて
います。

日本国際航空は、1941年に国際航空工業(1939年に、陸軍の要請で鐘淵紡績が出資して設立した会社
で、本社は東京、工場は京都、津田沼、尼崎にありました)と日本航空工業が合併して成立した会社です。

以上のように、グライダーと輸送機専門のメーカーとしてノウハウを蓄積し、尚かつ、陸軍の後ろ盾があった
ために、これだけの機体が作れたものと思います。
まぁ、一線級軍用機の生産をしていないところを持ってきて、そこそこ経験のあるメーカーだった ので…という
部分もあったかも知れませんが。

ちなみに、日本国際工業は、戦後日国工業となり、バス車体を製作、現在は日産傘下に入り、日産車体となって
います。
(108:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

陸軍で患者輸送機として使われた、DHプスモスについて教えてください。

民間では朝日新聞が4機、満州航空が10機、蜂須賀侯爵の自家用機として1機輸入しています。
このほか、陸軍が連絡機として5機(愛國64~68号)使用し、後に蜂須賀侯爵の機体も愛國114号
として献納されました。
ちなみに、満州航空と陸軍の蜂須賀家を除く献納機は、奉天航空工廠で製造されたもので、満州在
官民の献金で献納されたものです。

と言った訳で、一応、陸軍が連絡機に用いていますが、その機数は少ないです。
恐らく、軽飛行機関係には余り資金が回らなかったってことでしょうか。
それと、Puss-Mothは荒天に弱く、朝日新聞社機が1932年9月15日に遭難、2名死亡という事件があり
ましたし、キャビンの狭い2~3名乗りの機体は過小に過ぎたと言うことでもありましょう。

患者輸送機としては、Puss-Mothではなく、複葉のFox-Mothです。
この機体は室内にキャビンを持つもので、胴体内部に担架を搭載できると言う利点が買われ、輸入機
を大阪薬種製薬が2機(愛國95~96号)、陸軍軍医団が1機(愛國106号)を献納しています。
また、満州国警察で1機が使用され、残り1機は東京瓦斯電気工業(今のいすゞとか日野の前身)が、
購入し、これを研究した結果、国産のKR-1/KR-2小型旅客機を製造し、これらは海軍の連絡輸送機と
しても用いられています。

De Havillandの機体は、瓦斯電の機体にかなりの影響を与えたと見て良いでしょうね。
(108:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

五式戦はP51に相性が良かったと聞いたことがあるけど事実でしょうか?

当時の陸軍戦闘機としては、速度性能、上昇性能、空戦性能、実用性のバランスが
良く取れていたので、太平洋戦争末期の本土防空戦に於て、結構活躍しました。
B-29が高々度精密爆撃から低高度無差別爆撃に方針を切り替え、自ずと護衛戦闘機
も中高度域での護衛が為されるようになった為に、日本戦闘機としては性能が最も出る
状態で戦闘が行えたことも大きいか、と。

当時の陸軍戦闘機の中にあって、隼は既に旧式化著しく、鍾馗は機数が足りず、飛燕、疾風
は稼働率に問題を抱えている状況では、当時の敵戦闘機の性能に追随でき、尚かつ稼働率
が良く、機数が揃えられた五式戦がP-51との空戦にそれなりに活動できたと言うことではない
でしょうか。
(272:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

陸軍機のニ式単戦で、40mm装備機って本当にあったんですか?

鍾馗二型乙に搭載されたホ301ですね。

中央工業が製作したもので、初速240m/sec、携行弾数10発でした。
その弾は、無薬莢自動噴進式、つまりロケット式で、弾丸の中に推進薬を充填し、
底部の雷管から点火されると弾底の雷管部周囲にある12個のノズルからガスを
噴出して撃ち出されると言うものでした。

Palembang、本土防空戦で使用されています。
(156:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

キ67は雷撃を行うことが可能だった爆撃機として有名ですが、爆撃のほうはどうだったのでしょうか?

乗員の手記では高度3000mから500mまで急降下して投弾したとの記述もあるから
ある程度の降下爆撃は出来たと思う。
キー67は新装備の電波高度計での低空飛行で敵のレーダーを避ける戦法が主流だった様だったし、
もはや大編隊での雄々と爆撃にはいかない戦況だったようです。
(219:177)
日本陸軍の爆撃機で急降下爆撃が可能なのは、単発ではキ30、キ32、そしてキ51があります。
双発実用機ではキ48-II(試作ではキ66がありますが)しかありません。
キ48-IIの場合は、当初60度の急降下が要求されましたが、ドイツのJu-87の実戦記録では50度程度であることが
判明し、同程度の急降下を行う様に実用機では変更されました。

緩降下爆撃が可能なのは、キ48-Iですね。
キ21は水平爆撃しか行えません。
このため、キ67ではその戦訓を踏まえて当初は急降下爆撃も可能な様な仕様が出されましたが、試作機で問題が
生じ、種々対策を施した結果、急降下角度は35度以下に制限されました。

後段は、何とも言えません(乗員の練度、高度の取り方、発見の早さなど種々の要因が有りすぎて回答は出来ない
でしょう)。
(219:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

MXY5(16試特殊輸送機)について教えてください!

空技廠の山本晴之技師を主務者に、日本飛行機の手で試作し、1942年2月~1945年7月
までに12機を製作しています。
設計要求は、乗員1名、兵員11名を輸送し、九六式陸攻か一式陸攻1機で2機を曳航出来る
もので、離陸滑走距離は800m以内、風防と胴体の扉は着陸後速やかに開放されて、兵員
の進出を容易にすることを考慮しろ、と言うものでした。

主翼はジュラルミン2桁式で小骨は木製、木金の接着はビニール性溶剤を用い、外面は合板
または羽布張りで、フラップ、スポイラー装備、操縦装置は並列複座で、曳航機と電話連絡が
可能な装置を備え、降着装置は離陸滑走時は車輪(実戦時は投下式)、練習用は引込式に
なっていました。

試作機、増加試作機は、霞ヶ浦、木更津で実験が重ねられていましたが、滑空機の奇襲作戦
研究が遅れたために実戦には出ずに終わっています。
(214:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

二式練習飛行艇には折りたたみできる車輪が付いていますが陸上にも着陸可能だったのでしょうか?

あれはビーチング・ギアと言って、着水後、陸上に引っ張り上げて整備などをするときに使う車輪だ!
当然、着陸の衝撃に耐えられるほどの強度はない!
(俺初質スレ710:719)

米軍パイロットが一式陸攻を一度の空戦で10機ぐらいを叩き落とした、というのは本当ですか?

学研陸攻本 大塚さん記事

(1942.2.20の対艦攻撃で)
「この迎撃戦に参加したエドワード・ブッチ・オヘア中尉は、
 一式陸攻がエンジンに被弾すると容易に火災を起こして爆発し、また燃料タンクが
 これによって誘爆することを見抜き、一機あたり60発の12.7ミリ機銃弾を消費しただけで
 5機の一式陸攻を撃墜することに成功している(ちなみに「ワンショットライター」という
 名称はこのときの様相を評して生まれたとの説がある)」

「本機のこの弱点はただちに海軍から各部隊に情報として流され、
 米海軍および海兵隊の戦闘機が本機と交戦する際の有益な情報となった
 (エンジン部への被弾が一式陸攻の弱点であったことは事実のようで、
  ガ島戦で戦った海兵隊のパイロットも、エンジンに被弾した一式陸攻が火を吹いて
  誘爆することを報告しているし、たとえ火を吹かなくても、本機は片肺になると
  高度を維持できず最終的に墜落するという報告例もある)」

「防弾が貧弱なこの時期の爆撃機が護衛機無しで行動すればこれだけの損害を出すのは
 ごく当たり前であるともいえ、この一例から陸攻がとりわけ脆弱であったと判断するのは
 早計であると筆者には思える」
(709:745)

隼戦闘機がゼロ戦と違って大戦後期もそれなりの活躍ができた理由は、防弾甲板があったからでしょうか?

元の強度に余裕があり、大馬力のエンジンを搭載できたからだ。その分最初はパワーが不足して
たんだけどな。改造できる余裕と無駄な重量は=だぞ
(俺初質スレ2049:134)
錬度が影響してたぞ!
陸軍が海軍より特に高錬度というわけではないが
ビルマや中国大陸に展開してた陸軍の戦隊は海軍とちがって
撃墜撃破されてもパイロットが陸上の強みで帰還できた割合が多いし
長い間同じ戦線にいた強みで部隊にベテランが多くなってたからな!
(俺初質スレ2049:135)

沖縄戦で捕獲された桜花の写真をみましたが、地上より発進して敵地上部隊に突っ込む予定だったんでしょうか?

それは飛行場か飛行場のそばで隠蔽されてたのが捕獲されただけで
実際に量産されたタイプの桜花は自力で発進はしないぞ!
(俺初質スレ2049:158)
桜花43型は地上発進用だったそうだな。計画倒れだけど。
(俺初質スレ2049:164)

99式艦爆が250kg爆弾を搭載した場合、同時に60kg爆弾2発(つまり250kg1発 60kg2発の計3発)搭載することが可能だったのでしょうか?

どちらかの選択式。
(俺初質スレ30501:950)
22型が陸上基地から60kgと250kgを搭載して離陸してる写真があるよ
(俺初質スレ30501:952)
近距離の攻撃だったら燃料を減らしている可能性も
(俺初質スレ30501:955)
22型はエンジンを金星54型に換装し、出力も1070馬力から1300馬力に向上し
6番と25番両方を搭載するだけの余裕が生まれた
もちろん両方搭載すれば総重量370kgだから機動性は落ちるし軍艦相手に6番は大して意味がない
よって対艦攻撃で6番を積むことはまずない
(俺初質スレ30501:956)
概ね回答はされているけど、九九式艦爆の小型爆弾(六番の他に三番もあり)は
翼端装備で機軸からは外れているし、リリースも単純なワイヤ式でタイムラグが
大きいのであくまで副次兵装だよ。
(俺初質スレ30501:958)

100式司令部偵察機って燃料を沢山積んでいますが、防弾タンクになっていたの?

なってない
(俺初質スレ434:134)
逃げるのが仕事なので、余計な重量を背負って逃げられなくなったら返って任務を果たせない
欧米でも防弾タンク仕様でない偵察機はいくつもある
(俺初質スレ434:136)




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