戦後関連


ビキニ環礁では長門が実験で持って行かれたようですが,一発目では沈まなかったと聞きました.一発目を食らったときの長門ってどんな状況だったんですか?装甲はべこべこだったんでしょうか?


 一発目(A実験)は空中爆発なんで,上部構造物に若干の被害があった程度です.
 ちなみに,爆心から250mしか離れていなかった「酒匂」は,艦橋より後ろの上部構造物がほぼ吹き飛ばされています.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板)

戦後、怠慢から宣戦布告を遅らせた外務省駐米職員はなんらかの裁きを受けたのでしょうか?

うろ覚えだが、ちゃんと退職金も年金も貰って円満に離官したと記憶している
戦後の混乱から立ち直った直後ながら、天下りもして関係団体を2、3カ所渡り歩いているはずだ
(3:394)

終戦直前に、沖縄・渡嘉敷島で起きた集団自決事件ですが、日本軍による自決指令があったともなかったともいわれてるようですが、真相は果たしてどっちだったのでしょうか。

直接の命令があったのかどうかの真相は不明
今後も解る可能性はないと思われる
(5:485)

日本関係の戦犯はいつ頃まで存在したのでしょうか?

現在でも韓国では元日本兵は戦争犯罪者として入国を拒否されることがあるそうです。
読売新聞より。
(7:245)

第2次大戦の時、日本の主要都市は焦土と化し、当然多くの方が亡くなりましたが、

その時、土地を所有していた方も多く、家族、親族ごと亡くなられたと思います。
そういう方たちの土地の所有権は、やはり国が頂いたのでしょうか?
地方によって違うようです。
道路は焼け残りますから元の所有者や所有エリアはかなり特定できるけれども、役所が焼けるとこれがちっとも進まなくなる。
で、引揚者のバラックが建ったりしてドガチャカになったところもあったようです。
(8:RAMカンガルー)
えー、沖縄に関しては一家全滅かつ役所の資料も焼失なんてのはざらでありまして、
挙句の果てにそこが米軍に土地収用済みなんて事例もごろごろしてます。
んなわけで戦後60年近い今でも、所有者不明地はかなり残ってます。

そういうところは「県有地」として扱うことになってまして、
その利用の一部としてそういう形の利用をしてた可能性はあるかもしれません。
もっとも管理者不明の土地は国有地になるのが原則ってもんでありまして、
この特例措置としての県有地を国有化しようという動きが最近霞ヶ関であったりして
やっぱり沖縄で問題になってたりするわけです。
(8:97)

第2次大戦終戦時の満州や朝鮮半島から撤収する途中で該当地域人によって略奪されたり暴行されたり犯されたり命を奪われた日本人入植者はどれ位居たんでしょうか?

かなり混乱していた自期で一種の無政府状態だったので統計的な記録というのは無いのでは?
(くだらない質問はここに書け!:910)

なぜアメリカは日本の統治をマッカーサー、つまり軍人に統治させたのでしょうか?

戦争に負けた国に勝った国が軍政をひくのは当然の事です。
この国がシビリアンコントロールと成るのはずっと後
憲法が発布し サンフランシスコ講和会議で日本が独立を回復した後です。
(12:G_Tomo)

大陸や南洋に散在している未回収の遺骨ってどうなってるんでしょうか?

厚生省は責任もってちゃんと対応しているのか不安なのですが。
厚生労働省予算から出てますよ。
厚生労働省社会・援護局援護企画課外事室が遺骨の照会先になっています。

収集した遺骨は収集団から厚生労働省霊安室に安置され、遺族に引き
渡されるか、無縁仏として千鳥が淵に埋葬されます。

最近はシベリアが多いみたいですね。
(13:眠い人 ◆ikaJHtf2)

第二次大戦後、ソ連に引き渡された日独伊の艦にはどのようなものがあったのでしょうか?

まず、駆逐艦まで。(長いよ)

(戦艦)
 ジュリオ・チュザーレ(伊・コンテ・ディ・カヴール級) → ノヴォロシスク(1955年触雷で沈没)
(海防戦艦)
 ヴァイナモイネン(フィンランド・イルマリネン級) → ヴィボルグ(1965年除籍)
(巡洋艦)
 ニュルンベルク(独・左同) → アドミラル・マカロフ(1959年除籍)
 デュカ・ダ・オスタ(伊・左同) → スターリングラード→ケルチ(1960年代雑用任務に転用)
(駆逐艦)
 レジェール・フェルディナンド(ルーマニア・左同) → リホイ(1953年返還)
 レジーナ・マリーア(ルーマニア・左同)       → レトゥチィ(1953年返還)
 Z33(独・1936A級) → プロヴォルヌイ(1960~62年除籍)
 カール・ガルスター(Z20・独・1936級)  → プロチヌイ(1960年代除籍)
 フリードリヒ・イーン(Z14・独・1934A級) → 艦名不明(1960~61年除籍)
 エーリッヒ・シュタインブリンク(Z15・独・1934A級) → ピルキィ(1953年除籍)
 T12(独・1935級(T1級)) → ポドヴィシヌイ(1960年代解体)
 T17(独・1937級(T13級)) → ポリウィスティ(1950年代解体)
 T33(独・1939級(T22級)) → プリメルヌイ(不明)
 春月(日・秋月級) → TSL-64(1965年標的として沈没)
 響(日・暁(吹雪)級)→ 艦名不明(すぐに除籍?)
 桐(日・松級) → すぐに除籍
 榧(日・松級) → すぐに除籍
 初桜(日・橘(松)級) → TSL-24(実験艦に改造)
 椎(日・橘(松)級) → すぐに除籍
 雉(日・鴻級) → すぐに除籍
 アウグスト・リボティ(伊・ミラベロ級) → 艦名不明(1951年解体)
 カミチア・ネーラ(アルティリエーレII)(伊・兵科級I群) → Z12(1958年解体)
 フチリエーレ(伊・兵科級I群) → Z20(1958年解体)
 アニモソ(伊・チクローネ級) → 艦名不明(1950年代解体)
 フォルチュナーレ(伊・チクローネ級) → 艦名不明(1950年代解体)
 アルディメントーゾ(伊・チクローネ級) → 艦名不明(1950年代解体)
(潜水艦)
 U-BoatⅨC(U1231) → N25(1960年まで)
 U-BoatⅦC(U1027/1058/1064/1305) → S81~S84(1963年頃まで)
 U-BoatXXI(U2529/3505/3515/3041) → N27~N30(1963年まで)
   このほかに20~30隻の未成艦が完成し、1955年まで現役に就く。
 U-BoatXXIII(U2353) → N31(1963年まで)
 伊・アッチアイーオ級ニケリオ → Z14(1950年代後半~60年代前半)
 伊・フルット級マレア → Z13(1950年代後半~60年代前半)
(小艦艇など雑艦艇)
 ルーマニア・魚雷艇6隻、掃海艇6隻(1949年返還)
 日本・鵜来級海防艦2隻(神津、生野)、1号級11隻(34/48/52/71/76/77/78/79/105/221/227)
  1隻はフリゲートEK37として1957年まで、2隻は測量艦G127/G-111として極東に配備。
 ドイツ・R-301級機動掃海艇23隻以上、R-218級機動掃海艇26隻以上、R-17級機動掃海艇14隻。
      S-100級魚雷艇26隻以上、初期型Sボート4隻
      M-35級掃海艇14隻、M-40級掃海艇29隻、M-43級掃海艇17隻以上。
      揚陸艇各種69隻
 イタリア・VAS級駆潜艇3隻、MAS級魚雷艇4隻、MAS-501級魚雷艇2隻。
       MZ級揚陸艇3隻
(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)

戦犯で長期の懲役を受けた方々はどこの刑務所に入れられたのでしょうか?

海外のB,C級戦犯の収監自体は大半が現地(シンガポールとかジャワとか、
マニラとか)で収監されましたが、順次日本に送還されて巣鴨に移送されました。

で、一応収監されはしましたけど、講和条約締結後に見直され、昭和31年3月
までにA級戦犯で収監されていた人は全て釈放されています。

B,C級戦犯については、それよりも後、昭和33年5月30日に最後の受刑者が釈放されました。
(19:眠い人 ◆ikaJHtf2)

敗戦時に日本に主力艦(大型空母、戦艦)はどれくらいあったのでしょうか?

大破沈没でも除籍されていないものを除く。

戦艦:長門
装甲巡洋艦:浅間、八雲、吾妻(吾妻はハルク状態)
防護巡洋艦:平戸、矢矧(初代)(両者ともハルク状態)
空母:葛城、鳳翔、龍鳳、隼鷹(未成で他に笠置、阿蘇、生駒、伊吹)座礁放置で海鷹
軽巡洋艦:酒匂、北上
(22:眠い人 ◆ikaJHtf2)

大戦中の戦死者の詳細に関する問い合わせを受け付けている役所はあるのでしょうか?

所属していた部隊とか、入営した場所(県名と都市名くらい)とか
あるいは兵隊にとられた日付とか色々と並べると、部隊行動から
どこか判ることもあるかもしれないですよね。
(30:海の人●海の砒素)

日本は大東亜戦争に敗れたために戦勝国に多額の賠償金を支払わされましたが、賠償金を支払った国の中にスイスが含まれていました。

スイスは永世中立を標榜しているのにです。一体、スイスはどのような理由をつけて日本から賠償金を得たのでしょうか?

よく解らないが、戦中は、戦中ということもあり、横暴な行為がまかり通っていた。
スイスは、参戦しないが、どこかの国に守ってもらっていた事が一つ挙げられる。
現在も、日本同様、スイスもアメリカに守ってもらってる。
おそらく、スイス人が戦地、戦地周辺で殺害されたなどの理由と思われる。
又、戦中は、アメリカのユダヤ人社会にスイス金融界は近づき、なにやら
よからぬ事をしていたそうだ。
(37:295)

日露戦争や太平洋戦争などで捕虜となった人間が日本に帰らずにその国の人間として生きていく事などはあったのでしょうか?

日本の場合、「生きて虜囚の辱めを受けず」と言うことで、日本に帰れずに、
そのまま暮らしているケースもあったようです。
一番多いのはノモンハンで捕虜となった人でしょうか。

また、日中戦争に於いても、中国の捕虜となってそのまま宣撫工作に就き、
日本に帰らなかったケースもありますし、インドネシア、インドシナ、マラヤなど
では日本に帰らずに、独立戦争の兵士として戦った人もいます。
(64:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
記憶モードですが。
日露戦争の時に捕虜になった方の話は新聞記事で読んだ記憶があります。
故郷では戦死した事になっているのに今更帰れないと、現地で家庭を持たれた方が幾人も居られたそうです。

太平洋戦争ならインドネシアやベトナムの独立戦争に参加した方や、岸壁の母のモデルになった方が現地に永住されてます。
(64:16)

恩賜の短剣、あるいは誰かの家宝だった業物のような「貴重品」が、死体を漁った米軍に拾われたり接収されたりして見せ物になった例はありますか?

例も何も、海外のオークションサイト見れば、大戦中の日本軍の勲章の
出展が結構されています。出所は言うまでもなく。
(71:479)

WWⅡで特に軍務上の責任を追及された件があれば教えてください

インディアナポリスのように艦長が責任を追及された例では「阿波丸撃沈事件」が
知られています。
昭和20年4月1日に緑十字船として連合軍から安全保障を補償されたはずの阿波丸が、
台湾海峡で米潜水艦クイーンフイッシュSS-393に撃沈されたもので、乗員2,005名のうち
わずか1名のみが同艦に救助されたという悲惨な事件でした。

同艦の艦長ラフリン中佐は軍法会議にかけられ、阿波丸の通行に関する命令を受信していながら
その命令に違反したことで「命令遂行の怠慢」について有罪とされ、海軍長官から
戒告処分の判決を受けました。
(73:名無し軍曹)

よく「次はイタリア抜きで」なんてネタをみるけどこれって日本の自慰ネタ?

ドイツ人がよく言うジョークです。ドイツに行った日本人がよく現地の(お歳の)方に
よく言われるそうな。
(75:389)
どっちかって言うと、主要参戦国の内で際立ってネタが多いので・・・>イタリア

安心しろ。軍板は愛国心を発露する場所ではないから(藁
(75:390)

太平洋戦争・日中戦争の日本軍の戦死者と捕虜数が知りたいです。

中国軍(国共どちらでも)の戦死者と捕虜数も知りたいです
日本軍戦死者のみ答えると約120万人、中国は民間人だけで540万人だが、
この中には相当数の軍人も混入している。
(85:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

太平洋戦争の坂井三郎が8月17日に最後の出撃をしたと聞いたんですが

降伏後も、日本本土を空爆したんですか?
「偵察」に来た米B-32を迎撃しました。
これは領空侵犯に対する措置なので、日本側の落ち度はありません。
(90:612)
それはググれば出てくるはずです。
通告無しで勝手に米軍機が飛んできたので迎撃したというだけです。
相手の機体を撃破したとされていますが米軍からお咎めは無しだったようです。
(90:613)
それで撃墜できたんですか?
撃破だけ。ただ、米軍の旋回銃手の人が「戦死」しています。
(90:614)

ヒトラーが昭和天皇に送ったベンツって戦後どうなったんですか?

Hitlerが送った訳ではなくて、1932年製が4台と1934年製のものが3台。
このうち2台は、陸軍工廠で装甲車化されている。

うち、1台は赤坂離宮にて空襲のため焼失。
生き残った6台の内、2台はランドレーに改造され、全国巡幸に使用された後、お蔵入りし、他の4台を
維持するための部品取り用に保管され、解体。
4台のうち、1932年製の1台は1970年代初期に解体。
1934年製1台は、本家に返されて、StuttgartにあるBenzの自動車博物館に、白色のKaiser Wilhelm II世
の使用したそれと共に展示され、残り2台は宮内庁で保管されている。

ちなみに、戦時中、空襲で避難される天皇のため、三井家が1937年型500Nを寄贈している。
(356:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

朝日新聞は社説で,中国の犠牲者は1千万人を上回ると報道していますが,実際にはどれだけの犠牲者が出たのでしょうか?


発表された「日中戦争犠牲者数」の変遷

終戦時    130万人  GHQ発表
終戦時    130万人  国民党発表
1948年    438万人  国民党政府報告書
1950年代   1000万人  共産党政権発表
1970年    1800万人  共産党政権発表
1985年    2100万人  共産党政権発表(抗日勝利40周年)
1998年    3500万人  江沢民発表
2005年    5000万人  卞修躍博士発表(抗日勝利60周年)

戦後の日本で米軍に対する抵抗運動が少なかったのは、日本全体が戦意喪失するほどボコボコにやられたことも関係しているのですか?

それもありますが、アメリカが「戦勝国にして征服者」にしてはかなり寛大な条件で日本を
扱った、というのもあります。アメリカ軍が聖人君子というわけではありませんでしたが、
ドイツの敗戦の有様とか、あるいは赤軍@ベルリンのようななんでもありの惨状などに
くらべればましだったのは確かですから。

日本の場合、ポツダム宣言を受けいれ、海軍では大海令・陸軍では大陸命という、
全軍に対する最重要命令を出し、戦闘を停止するように厳命し、それらはほぼ守られました。
(宇垣中将が米艦に特攻をかけたり、坂井三郎氏が迎撃で戦闘をしていますが、後者は正当なものなので例外です)

米軍が日本に進駐するにあたり、道路では日本兵が警備に当たっていたほどですので
抵抗運動は国内においては無かったと言ってもよいでしょう。
(背を向けるという、ちょっと大人気無いことはしていますが)

玉音放送を阻止し継戦・玉砕ようとした動きもありますが、これらは封じられました。
天皇という絶対的な政治的・精神的権威が存在し、500の言うように行政統治機構が生きていた事が、抵抗運動を封じ
速やかな占領行政への移管と主権・独立回復につながったと言えます。
(150:498-502)

戦後,占領軍が英語を公用語にしようとしたのって本当ですか?


 戦後,GHQには赤から奇人変人まで変な米軍人がたくさんやってきて,日本が軍国化した理由と,再度そうならないためにはどうすればいいか,彼らなりに頭を絞って考えてくれたわけだ.
(余計なお世話と見るか,感謝すべきと見るかは人それぞれだろう).

 その中に
「日本語が難しすぎて新聞読める人間が少ない」から簡単に思想統制できたんだ,
という勘違いした人間もいて,英語公用語化を進めようとしただけ.


 GHQ全体で政策として推進したことはない.

(日本史板)

漫画『はだしのゲン』で,ゲンが道端に武装解除された日本軍の南部拳銃甲式を拾いに行く場面がありましたが,当時は武装解除された兵器があんな道端に転がっていたんですか?


 道端ではなく,武装解除された日本軍の武器集積場からだったと思う.

 進駐軍が旧日本軍の武器をまとめて管理するまでは,いわば野放し状態で,一般国民はそんなものより食料や衣服を欲しがったのだが,ヤクザや三国人暴徒に流れた武器もかなりあり,終戦直後の抗争には必ず登場していた.

 また,ヤクザでなくとも一般市民が旧軍の銃を隠匿していた例もある.
 愛新覚羅溥傑の長女,慧生が,天城山で大学の同級生の青年と心中したとき,使われたのは南部十四年式拳銃だった.

 俺の親父も子供の頃,武装解除された兵器が海岸に埋めてあったので,掘り起こしていじってたって言ってたよ.

(軍事板)

サンフランシスコ講和条約に反対する勢力があったというのは本当?


 本当.
 当時の東京大学教授やら朝日新聞やらいわゆるインテリが
「米国との講和反対.ソ連とも講和して中立国になるべし」
 と唱えていた.
 吉田茂首相がそういう連中を「曲学阿世の徒」(学問を曲げて世におもねるヤツ)と批判したところ,「暴言」と袋だたきに.

 一方,社会党では,サンフランシスコ講和条約への賛否を巡って左右両派が対立して,1950年いったん分裂.
 75日後に再統一し,対立は収まったに見えたが,1951年再分裂.
 分裂直前に委員長に就任した鈴木茂三郎は「青年よ,銃をとるな」と委員長就任演説で訴え,非武装中立論を提唱.
 この考え方厭戦感情の強かった当時の若者などにアピールして,分裂以後も非武装中立論を唱えた左派社会党は党勢を伸ばしたが,右派のほうは再軍備を巡る対立などで伸び悩み.
 また,同年には山川均・大内兵衛・向坂逸郎など戦前の労農派マルクス主義の活動家が中心となって社会主義協会結成.

 戦後,長く日本の国防論議上に徘徊する事になる空想平和主義は,こうして社会党の体質として定着しましたとさ(とほほ).

(軍事板)

日本って結局どれだけの賠償金を支払ったの?


 賠償などが6565億9295万円
 在外資産の喪失が3794億9900万円
 中間賠償,1億6516万円

 合計1兆0362億5711万円

 他に,人的支援の形による補償もあった.


日本は太平洋戦争の遂行に膨大な戦費が掛かり,軍票とかで調達しましたが,これって戦後どうなったのでしょうか?ばっくれたんですか?

ちゃんと払いました。とは言え、戦後のインフレで大きく目減りしたのでさほど苦ではなかったようです。
過去の対外債務や戦後賠償はドル建てだったので、そうも行きませんでしたが。
ドイツも似たような状況だった様です。

インフレに関しては戦争が始まる前は1ドル=5円前後で動いていましたが、終戦時は15円に。
しかし、1946年2月17日に始まった預金封鎖と3月から始まった新円切り替えによりインフレが加速的に進行。
1947年3月に1ドル=50円、1948年7月に1ドル=270円となり、1949年に1ドル=360円で固定されるまで
年間5倍の勢いでインフレは続きました。まぁ、第一次大戦後のドイツや現代の南米と比べれば遥かにマシですが。
戦前と比較して円の価値はドル比で1/72、終戦直後でも1/24まで低下。単純計算で5%以下まで目減りしました事に。
普通ならそのまま三流国に転落の所ですが、その後の朝鮮特需や高度経済成長のお陰もあって無事に払う事ができました。

その陰には戦中に国の勧めるままに貯金したり国債を買って、インフレで目減りして泣いた庶民がいますが…
(268:ue ◆WomMV0C2P.)

闇市というものがあって政府の決定した価格の数倍の値段で食料品などが提供されていたようですが、国民みなでこの闇市を利用しなければならないほどモノが欠乏していたのでしょうか?


戦時中は配給制といって、米麦みたいな食料品や必需品は買える量が決まってたり、切符がないと購入できない仕組みになってた。
逆に言えば最低限の買い物はできる仕組みなってたわけ。
それが戦局が悪化して遅配や欠配が続くようになったので、本来勝手に売り買いできないものを農家と直接交渉して買ってたりした。
戦時中は監視が厳しかったので、闇市という具体的な場所があったわけではない。
焼け跡などで勝手に店を構えて、進駐軍の横流し品や配給制度の目を逃れた食料品などを売る闇市が生まれたのは終戦後。

戦前生まれの親戚とか祖父母がご健在で、そういうことに興味があるなら今の内にこういう話は聞いといたほうがいいぞ。
(479:523*一部修正)

第二次世界大戦後にGHQによって原爆の写真への報道規制がありましたがあれってGHQが法律でも作って規制したんですか?


「日本放送遵則」(最高司令官指令=SCAPIN-43/9月22日付)と「日本新聞遵則」(SCAPIN-33/9月21日付)。

検閲制度への言及自体が禁じられていました。

戦前戦中の日本の検閲は、伏字で行われていました。
そのため、それを読んだ人は、検閲が行われ、文字を読めなくしたということが分かりました。
GHQによる検閲は、伏字や空白にはさせない巧妙なものでした。
そのため、GHQによる検閲があったこと自体を知らない日本人は多いです。
検閲で、報道することが禁じられていたのは、連合軍兵士による犯罪、朝鮮人による犯罪、日本国憲法に対する論議などです。

日本国憲法が制定される際には、その内容を論議することを禁じられていました。
日本国憲法第21条で、検閲を禁止しています。
その憲法を制定する際に、検閲が行われていました。

下記、占領軍の統治政策GHQの「検閲」についてを参照ください。
http://www.tanken.com/kenetu.html
(初心者スレ484:176,霞ヶ浦の住人 ◆tL07zEn.bU)

映画『獄門島』を見てて疑問に思ったんだけど終戦直後って軍人崩れの海賊とか山賊って本当にいたの?

終戦と同時に略奪やらを行う兵士は居ただろう。
略奪と言えるか判らないが本土決戦に備え備蓄していた燃料やら食糧を持ち逃げした話は有名。
中には飛行機にのってそのまま故郷に帰ったなんて人も。
(初心者スレ367:33)

戦争が終わって戦地で終戦をむかえた日本軍兵士は日本に帰国するのに何年かかったのでしょうか?

敵地で終えるわけだから酷い目にあったと思うのですが、すんなり帰れたのでしょうか?

日本海軍で使用可能な艦艇は132隻、18万トン、残存民間船の内、復員輸送に振り向ける事が出来たのが55隻。
1945年末にリバティ型輸送船100隻、LST85隻、LST改造病院船6隻の貸与がGHQから行われました。
このうち、海軍艦艇は武装解除に人員輸送用の居住区新設、便所の新設を行い、貸与船は、当初こそ米国軍人が
運航していましたが、貸与品なので日本海員が募集されており、彼等の訓練が必要でした。

9月28日、陸軍は小樽、浦賀、新潟、清水、敦賀、広島に上陸地支局を開設し、10月1日、海軍は
横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大阪、大湊に海軍収容部を開設します。
10月15日には地方引揚援護局が設置され、軍人軍属・一般邦人の受け入れは全部援護局に
統合され、GHQは厚生省を引揚げに関する中央責任官庁に指定します。
11月末で陸軍省、海軍省は消滅し、第一復員省、第二復員省となって、これに所属している兵員は、
海軍の場合は、予備役から即日充員召集を受け、12月1日からは第二復員官となりました。

先ず、初期の復員は食糧自給が困難で餓死寸前の南方離島(メレヨン島、南鳥島、ミレ島)から開始、
9月末に復員第一船高砂丸がメレヨン島から別府に帰還し、10月8日、氷川丸がミレ島から浦賀へ。
10月16日、ウェーキ島から引揚げた将兵は、米兵捕虜刺殺事件解明の為、18日になってやっと上陸を許されます。
12月から本格的な復員輸送が海軍艦艇によって開始され、翌年1月頃から貸与艦艇での輸送が開始されます。
空母葛城の場合、南大東島、ブーゲンビル(トロキナ・ラバウル)島2往復、北ボルネオと仏印、比島(サンジャック)、
シンガポールとバンコク、シンガポール、スマトラ島(メダン)タイ(ゴーシチャン)と言った具合で計8回、
雑木林の駆逐艦欅の場合、マニラ3往復、高雄、基隆4往復、上海3往復、汕頭、葫蘆島2往復、グアム島、
LSTの場合は、上海、釜山、比島(サマール島)などなど。

1945年末までに、朝鮮33万人、華北1万、比島1万、南洋諸島1,200名、樺太、千島などからの脱出組3~4万。
1946年6月までに627,702名で、ソ連領内を除けば、中国、比島、仏印、タイ、ビルマ、ジャワ、ボルネオ
ニューギニアを始め、全員が引揚げを完了しています。
6月末で満州175万人、樺太32万人、朝鮮15万人、タイ・ビルマ11万人などとなっています。
このうち、最後のは英国と現地軍本部が約定して、「戦時捕虜」としない扱いで使役された人々で、
ソ連の手にあった軍人はソ連に抑留され、働かされていました。
また、共産党の勢力下にあった軍人の中には、共産党の応援に(自発的に)駆り出された人もいましたし、
インドネシア、仏印などで現地人部隊と共に戦いに参加した人もいます。
(501:590:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

沖縄に進行した米軍は、遺棄された古酒や美味しい沖縄を、戦利品として食べたりしたんでしょうか?

沖縄は人が住んでるところはほぼ全島砲撃と爆撃で無茶苦茶にしたので
郷土産業は全滅した。

泡盛も、蔵が完全に破壊されてしまったので麹が無くなってしまい、戦後
苦労して本土から「本土に出荷した昔の在庫」を探してきて、そこから
復元した、という蔵元があったりする。

沖縄の人々は戦後しばらくはアメリカの配給食糧で辛うじて生きていた。
魚を獲ろうと海に入って海底に着弾してた不発弾を踏んで爆発、死亡とか
山に入って食料を探しているうちに忘れられた地雷踏んだり不発弾踏んだり
して死亡、とか悲惨な例は結構ある。
あと、食用油が手に入りにくく、ガソリンで天ぷら作って当って死ぬという
事も結構あったそうだ。

余談だが米兵は皆「こんなクソマズイもの・・・」と思ってたランチョンミート
(いわゆるSPAM)は豚肉がご馳走の沖縄の人々の口によく合ったらしく、配給食
の中で大人気で、戦後の沖縄の食卓に欠かせない食べ物になった。
(358:829)

戦後、復員船として空母が使われていたようですが、飛行甲板にも復員将兵を乗せていたんですか?

それとも艦内だけですか?飛行甲板に人間を乗せたら、太陽光にやられてスルメになっちゃいそうですが。
葛城は、復員兵士5,000名搭乗を目処に、上下両格納庫を二段に仕切って畳を敷き詰めた
と記録にあります。
また、その中には演芸場も設けられていました。
第7回航海では、海軍軍属としてシンガポールで敗戦を迎えた藤山一郎がアコーディオン伴奏付
のコンサートも開かれたほどです。

飛行甲板は散歩場として用いられた程度で、実際に掘建て小屋を建てたと言う記録はないです。
流石に空母の時の最高速力を出すほど燃料が潤沢ではなかったので、17kts/hが巡航速力となっていました。
(515:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

逃亡兵の場合、恩給はでないのでしょうか?

自分の母方の祖父は終戦しても帰還命令にそむいて、向こうにいた人達と残って後から戦死したようです。
戦死した事も、手紙で向こうの国で奉っていると、後から報せがきたそうです。
悪い事をした日本兵でも奉って下さった事に感謝してますが、母方に恩給でなかったらしいです。
やはり、逃亡兵に恩給は無いのでしょうか?終戦時には生きていたからダメだったのでしょうか?
あなたの祖父になぜ恩給が出なかったかですが、それは現地除隊と見なされたからです。
そのために戦死として処理されずに「平病死」、つまり戦争とは何のかかわりもない
死として扱われ、戦没者遺族に支給されるはずの遺族年金は交付されていないのです。

昭和20年の敗戦により帝国陸海軍の将兵は武装解除されて復員することになりましたが、
中国山西省に駐屯していた北支那方面軍隷下の北支那派遣軍第一軍の将兵約2600人は
現地の軍閥の大物である閻錫山と第一軍幹部との密約により現地に残留し、
三年八ヶ月にわたって中国共産党軍と戦い、550人あまりが戦死、700人以上が捕虜となって
長らく抑留されました。
ところが、帰国した彼らはすでに兵籍を失っており、軍人恩給の支給がされませんでした。
これは、日本兵の帰国を推進する中国国民政府と支那派遣軍によって日本人の残留は
認められないとされたために、残留工作を行った第一軍幹部が残留兵員を
「逃亡兵」として処置し、現地除隊したものとして書類上の手続きを行っていたためです。
帰国した元残留将兵は厚生省に陳情を行いましたが、厚生省の見解は
「残留は自己の意思で行ったものであり、残留者は軍の規定に基づいて現地除隊の
処理を取ったのだから、残留将兵は日本軍隊の軍籍を抹消されており、戦後の戦闘は
傭兵として参加したものである」
というものでした。
このため、残留将兵は2001年に軍人恩給の支給を求めて国を提訴しています。
しかし残念ながら2005年には最高裁で上告が棄却されました。
(517:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

敗戦直後、占領軍がその辺の街角で買い物をするときは、米ドル?日本円?

また、外貨の両替って容易だったんですか?
基本的には物々交換です。
例えば、キャンディーバーやタバコとの交換が多く、終戦後、日本に駐留した占領軍GIの
手紙の記録なんかを見ると、実家からキャンディーバーを送って下さいと言うものが結構
多かったりします。
(518:585:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

末期の日本軍に根本博という将官がいて戦後に国民党軍に加わって金門島攻防戦に参加したそうなのですが、

具体的なこの人はどんな用兵で共産党軍に対処したのですか?
根本は指揮官であった湯恩伯の個人顧問という形で参加しました。
ですが、金門島攻防戦における国府軍側の実質的な作戦指導を行なったのは彼です。
詳細は支那事変スレ3の過去ログにおけるイナゾウ中佐のレスをご覧になってください。
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/log/1139326210.html#R717
(346:ue ◆WomMV0C2P.)

戦後ソ連に抑留された人の生活はどんなだったの?

ソ連での抑留生活は場所がシベリアだしソ連の食糧事情も悪かったせいで最初の2~3年が一番きつかったそうだ。
その後は徐々に改善されてきて、シベリアから中央アジアやウラルの収容所に移送された抑留者は
シベリアよりはかなり状況がよくなってる。
ttp://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm
ここにシベリア抑留者が描いた画集があるが、直接説明されてはいないものの、列車に乗って
日本へ向かう兵士をおなかの大きいロシア娘が涙で見送ってる絵がある。
まあそういう恋愛沙汰もあったんだろうな。
あと日本人の食堂に飯をたかりに来るドイツ兵とか、ドイツやルーマニアの兵士とオーケストラで
演奏会とか収容所生活をなんとか楽しもうと努力もしてるね。
(345:296)

第二次大戦が終了した後の物価(鉄の値段)について教えてください。

膨大な軍需が消失→鉄の値下がり?復興需要→鉄の値上がり?
海外の話は資料が手元にないので不明ですが、1945年8月時点で、日鐵広畑の場合は、
原材料と石炭が枯渇し、製鋼工場の出鋼は急減、作業を再三中止する事態に追い込まれた
上、最終的に輸送手段も無くなって、8月31日付で1号平炉は作業休止して平炉は完全に
作業中止、9月15日には燃料枯渇により分塊、連続鋼片、鋼板の各工場も全面的に作業
中止となりました。
10月11日には主要設備の作業休止によって、自家発電が休止。
製銑部門の高炉2基操業は、石炭事情逼迫によって困難になり、短期バンキングを繰り返し、
最終的に8月23日に第1高炉をバンキング、第2高炉のみ操業を維持したものの、1946年1月
7日にバンキング、休風となりました。

釜石、八幡の各製鉄所も壊滅的な打撃を被っており、供給側は相当数減少しています。
但し、鋼材を供給されても使うところが有りません。
とは言え、値上げしようにも統制が未だ掛かっている状態なので、値上げも無理。

朝鮮銀行などをバッファに中国でのインフレを食い止め、物価は一時的に安定したものの、
その後の人口増加などの要因で、物価が上昇し始め、鋼材価格も値上げしなければなら
なくなる訳で。
(341:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

イギリスは戦後に日本軍機を持って帰って技術調査とか模擬空戦するだけの余裕があったのだろうか

ドイツ軍機で手一杯のような気がするのだが
Singaporeに東南アジア連合軍航空技術情報隊(ATAIU-SEA)が設置され、
百式司令部偵察機とか、零戦、雷電、一式陸攻、紅葉、九七式大艇など30
機余りがテストを受けています。

大部分がその後スクラップになりましたが、零戦、百式司令部偵察機など
は本国に運ばれ、展示されています。
(338:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦後に日本海軍の残存艦艇が連合国に引き取られたとき、英米はすぐにスクラップにしたけど中ソは自国の海軍に編入したと聞きます。

回航するため、あるいは自国の乗組員の養成のために旧日本人乗組員も連れ去られたりしたのでしょうか?
英国も1隻だけ自分の国の艦艇として使っていたものもありましたけどね、なんて
重箱の隅を突いてみましたが、船の基本構造はそんなに変わりませんので、まぁ、
戦闘行動とかしなければ、一応、動かすだけは出来ます。

回航については、第二復員省(旧海軍省)から人を募集して出しています。
回航後は、慣熟訓練を軽くやって引揚げました。

ソ連は不明ですが、中華民国の場合は、元々の日本海軍に、台湾省出身者もい
ましたので、彼らを下士官や専門技能兵として扱い、それなりに動かすようにして
います。
(337:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

復員船には、空母以外にどんな船が使われたんですか?

使用された船舶の内訳は次のようになっています。
  • 米軍輸送艦(リバティー級輸送艦)       102隻(1,078,344総トン)
  • 同戦闘用輸送艦(大型戦車揚陸艦LST)    99隻(373,824総トン)
  • 日本商船(客船・貨客船・輸送船)        46隻(258,768総トン)
  • 旧日本軍艦艇                    133隻(327,190排水トン)
(583:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

所謂A級戦犯についてなのですが、この戦犯の種類分けの原文ってどうなっているのでしょうか。

主旨からはAクラス戦犯ではなくAカテゴリー戦犯となりそうなのですが。
基本的にA級とBC級は和製造語であって英語では区分されていません。
根拠と成ったSCAP規程では、「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」の
三種類に分かれているだけです。
この第一分類が、俗に「A級」と新聞報道で呼ばれているものです。
極東国際軍事裁判所条例、国際軍事裁判所条例でも上記3分類に分かれており、第二
分類が「通例の戦争犯罪を行ったもの」、第3分類が「人道に対する罪を犯した者」となります。

A級、BC級と言った言葉が使われ始めたのは、1945年12月15日付の朝日新聞東京版の記事
で、連合軍法務部長カーペンター大佐の談話としてA級、B級、C級と書いたのが始まり。

また、第2分類による戦犯裁判第1号事件の裁判記録では、検察官が第1回公判の冒頭陳述の
中で、こう述べています。
「第1は侵略戦争、国際条約や協定や保障に違反する戦争の計画、準備、開始または実行に
関与した戦争犯罪人である。第2分類は、占領地の民間人の殺害、虐待若しくは奴隷的扱い、捕虜
その他抑留者に対する殺害若しくは虐待、または都市村落の悪意の破壊に付き責任を負うべき
軍司令官である。
そして、第3分類は占領地の民間人や捕虜その他能く流砂に対する殺害、虐待を行った実行者で
ある。
本日、裁判の場に引き出された被告人はこの第3分類に相当する」
当時の新聞記者が、第1分類をA級、第2分類をB級、第3分類をC級と理解して記事を書いて、それが
定着した訳です。
(586:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

「原爆」の犠牲者と釣り合わせるためにでっち上げたのが南京虐殺という説の信憑性は?

米では広島の死者は5万人、長崎は2万人とされていて
ドレスデンよりも大幅に少ないとされている
南京の30万人とはどう考えてもつりあわない
まぁ日本人の生命価値が中国人の4倍近いからだという解釈ができなくもないが

ちなみに米のカウントでは米軍などの捕虜や当時多数が強制労働させられていた中国・朝鮮人は除外されている
また、日本側の最大主張は戦後放射能傷害で亡くなった人たちも含めた20万人余りだが、米ではこれは南京大虐殺以上の誇張とされている
興味のある方はスミソニアンの幻の原爆展を調べてみるといい
(592:301.303)

戦後大陸に残って国民党と一緒に共産軍と戦った日本人義勇師団があったというのは本当ですか?

終戦当時、山西では日本の第一軍、八路軍、国府軍の三つ巴となる複雑な状況でした。
そこで国府軍の司令官であった閻錫山が日本軍首脳部の戦犯免除を引き換えとして
兵士の一万人の留用を要請した問題です。
実際には約2600名の残留し、その内約550名が戦死しまた。
彼らは国共内戦に巻き込まれ、最終的には共産党に捕まり戦犯扱いとなり、
帰国が叶ったのはシベリア抑留者よりもずっと後となりました。

この件は当初は帰国した首脳部の証言を鵜呑みにし、兵自身の判断による傭兵とされました。
その為、彼らは戦傷、戦病、恩給等の補償対象から外されています。
実際は第一軍に対する命令書が存在し、純然たる軍の命令でした。
しかしも、これはポツダム宣言9項の「速やかなる武装解除」に違反しており、
政治的にも外交的にも微妙な問題です。
故に、この件に関する裁判は2005年9月に最高裁で棄却されています。

詳しくは旧日本軍の山西残留問題でぐくると宜しいかと。
ただし、イデオロギー臭のきつい問題なのでその辺を留意して下さい。
なお、この問題を映画化した『蟻の兵隊』と言う映画が今年、公開されています。
(329:ue ◆WomMV0C2P.)

敗戦時に軍旗を奉焼したり、陸海軍省の機密資料を焼いたりといったことをしてますけど、敗走途中ならともかく戦争が終わったのになぜそんなことをしたのでしょうか。

書類を処分してしまった件に関しては以下のような諸事情が。

戦争に負けるという経験が無かったから、
個別の戦闘で負けたときのルールをそのまま適用して、書類は処分してしまった。

戦犯などとして責任追及される際の証拠となるのを恐れて、処分した。
特にBC兵器関連はそういう意図的な証拠隠滅があった。
一部だが、自己のミスの隠ぺいを図った例もあったと言われる。(「戦藻録」の一部行方不明等)

史料として公文書を残すという習慣が日本の行政組織全般に欠けていた。
これは、今でも引きずってる。福田康夫政権あたりから改革が動いてるようだが。

責任追及回避ってのは、特に天皇に関する部分はあるね。
戦争指導関係の文書は全部処分してしまうというのが、内閣レベルで指示されていたようだ。

まあ、一部には後世に真実を伝えようと、密かに文書を残してくれた人もいて、
独立回復後に表に出てきて、戦史編纂などに活用されてる。
連合軍が鹵獲して後に返還された史料に比べると、量的には少ないようだけどね。

いちばん有名かつ組織的と思われるのは、
服部卓四郎が分散隠匿させた大本営陸軍部関係の機密書類。大陸命とか大陸指。
こいつを種に、服部グループは、私製公刊戦史とでもいうべき「大東亜戦争全史」を書く。
参謀連中に有利なように歴史を歪曲したとか批判もされてるところだが、
貴重な一次史料を残したという点では、一応評価されて良いと思う。
(そもそもGHQに差し出してれば無傷で残ったはずというのはさておき)
(607:302-305)

戦後米軍が東京を占領した時、最初に東京に踏み込んだ部隊の規模はどの程度のものだったのでしょうか?

またどういった施設から占領していったのでしょうか?
8月28日に厚木基地に航空機で乗り込んだ部隊が最初で、C-54数機で降り立ち、厚木基地を
まず占領下に置いて、日本側が用意した各種車両を使って横浜に移動し、横浜各地のめぼしい
官公庁とホテル、港湾施設を接収しました。

更に、翌日以降には海兵隊が横浜や横須賀に上陸、また、8月31日には海兵隊第4連隊の一部が
館山に上陸し、橋頭堡を確保、9月3日にはこれと交代して第8軍第11軍団第12連隊が上陸する
と言う形で徐々に占領地を広げ、横浜と千葉を固めて、改めて東京方面に進出しています。
(323:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

自分の葬式で天皇から送られた勲章だけしか付けなかったアメリカ軍人って誰でしたっけ?

アーレイ・バーク
もらったのは勲一等旭日大綬章

バークは戦後来日中に旧日本海軍軍人との交友関係を結び、それが海上自衛隊創設に影響を与えた。
その功績で海軍作戦部長時代に勲一等旭日大綬章をもらい、葬儀の時棺の中のバークの遺体の軍服にはその勲章だけがつけられていた。
という話が阿川尚之の『海の友情―米国海軍と海上自衛隊』に出てくる。

草鹿任一が戦後困窮していた事を知ったバークが食料を差し入れさせたら、草鹿が「アメリカ人の世話にはならん!」と怒鳴り込んできたのがきっかけで友人になったというできすぎなエピソードもある。
(320:916,924)

コリン・パウエルが日本の勲一等旭日大綬章をうけた理由を教えてください。

外国の軍人が日本の勲章をもらう理由は?
カーチス・ルメイは航空自衛隊の創設、アーレイ・バークは海上自衛隊の創設で勲章をうけたと分かりましたが・・・
アメリカが真珠湾攻撃の立案を行なった源田実に勲章を送ったため
日本も無差別爆撃の司令官にあえて勲章を与えることで
両国とも過去の蟠りは忘れてこれからは未来志向なんだということを示す意味があった。

ただしそれでも実際には蟠りが大きかったのか
慣例だった天皇による授与式は行なわれなかった。
(622:240)

昭和30年頃にはまだ傷痍軍人が店先まで来て、募金や食べ物を募っていたと聞きましたが、彼らには国からの補償は全くなかったのでしょうか?

昭和30年代くらいになると補償体制も整ってきたので、傷痍軍人の団体として街頭募金などはしなくなった。
ただそれ以降も自称傷痍軍人の偽者がけっこういたそうだから。
本物だけど身を持ち崩したりして生活に困窮してやってた人もいたかもしれないが。
(316:804)

ソ連はドイツ、イタリアから賠償艦として、大型艦を執拗に手に入れようとしましたが、日本からは巡洋艦以上の大型艦を手にいれていませんが、これには理由があるのでしょうか?

大型艦については、賠償ではなくアメリカが接収しています。
妙高、高雄はシンガポールで英軍が接収しています。
残ってる艦で賠償艦の対象のなったのが駆逐艦以下の艦船だけです.
(310:77)
英米とも自国の艦籍に組み込む形ではなく、そのままスクラップ(もしくは実艦的)として処分しています。
後、ソ連だけでなく、中国(中華民国)も軽巡洋艦を欲しがったので、後に英国がC級を宛がったりして
います。
イタリアの新型戦艦の接収におけるソビエトと英米の間であった駆け引きが、
日本の大型艦の引渡しの際にはなかったんでしょうか?ソビエトは日本の大型艦に興味などなかったんでしょうか?
興味がないと言うより、回航するだけの手間を考えるなら、欧州の自国勢力圏に沈んでいる船を引揚げた方が
費用対効果は大きいですし、何より、日本の攻撃で大型の海軍艦艇が撃沈されていません。
従って、代艦を求める根拠がない。

しかも、大型艦を動かす人材に乏しいと来たもんだ。
でもって、海軍艦艇として空母は、鳳翔と隼鷹の二隻。
もし、大型艦艇を分けるとしても、主に戦闘をした英米の二カ国で分捕っておしまい。
(310:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

太平洋戦争当時の機雷っていまだに残っているんですか?

残っています。
今でも年に数発ほどのペースで見つかっており、そのつど掃海隊が処分しています。

ここ数年でも、漂着した機雷の信管をそれと知らずにいじったり、焚き火に突っ込んだり
して爆発負傷する事故もおきています。
(42:797)

井上成美の戦犯等についてもおしえてください

井上成美は昭和50年(1975)12月15日、午後5:55
横須賀市長井町の自宅で富士子夫人に看取られて
亡くなられました(享年86歳)

戦後の井上は、親米英派であり三国同盟や
日米開戦に反対していた為、戦犯にはなりませんでした

因みに戦後米海軍横須賀基地から顧問就任を要請されて
いたという話もあるそうです
(43:933)

旧軍の元憲兵って今でも嫌われてるのでしょうか?

うちの実家の隣のおっちゃんが憲兵でした。
うちの爺さん(看護兵長だったかな)は蛇蝎のごとく嫌ってました。
(47:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦後、宮崎繁三郎や今村均や岡村寧次ってどうなったの?

今村 均大将は終戦後東京裁判で禁固10年の判決を受け、昭和23年5月に
ジャワの刑務所に移送(後マヌス島刑務所に移送)され、1953(昭和28)年8月巣鴨刑務所に移転し
昭和29年11月釈放されました。その後故郷に帰られ昭和43年に亡くなられました。

岡村 寧次大将は昭和20年9月9日南京で何応欽将軍に降伏しましたがその後、
中国の戦犯裁判では無罪となっています。
その後蒋介石政権の支援活動を行い台湾に渡って軍事顧問になった事もあるとか。
昭和41年9月2日死去。

宮崎繁三郎中将は昭和20年8月21日終戦を知らされ、英軍の捕虜収容所に入りました。
昭和22年6月帰国、下北沢に店を開きます。なかなか目先の利く人だったとか。
昭和43年8月30日死去。
昏睡状態での最期の言葉は
「参謀、敵中突破で、分離した部隊をまちがいなく掌握したか?」
(47:名無し軍曹)

日本が第2次大戦で攻め込んだ国々で現在それらの国々の対日感情はどうなんでしょうか

いろんな感情が無い混ぜになっている…というべきでしょうか。

実際、肯定的評価を与えてくれている人々は少なくありません。
例えば、日本は、東南アジア諸国のナショナリスト達を支援しました。
軍政下においてさえ、インフラが整備されたところもあり、そのことは感謝される。
さらに、元日本兵達が、戦後直後の独立運動に投じたという国もあります。
また、武装解除した日本軍の武器を使ったようなところさえある。
ビルマ、インドネシア、マレーシアなどで、好意的評価をしてくれる人は、それなりにいます。

しかしながら、ナショナリスト達を支援しながら、傀儡政権を立て、軍政を継続させた、
として、「裏切った」という評価をする人々もいます。
軍政下において憲兵達に抑圧された人達もいます。特に、抗日運動に投じた人々を中心に。
「おいこら」「きさま」のような憲兵の言葉が、他人をなじったり詰問したりする言葉として
定着してしまったというような地方もあります。
また、逮捕された抗日運動家や一般市民に対して、虐待的行為に及んだ批判の声も、
やはりあります。
戦闘に巻き込まれ、あるいは、掠奪にあったような人達もいるでしょう。
最初っから英米軍と組んでいて、日本を憎悪の対象とした人達もいます。

一様じゃないんです。
そうした感情的なないまぜは、いたるところで発見できるはずです。
(47:787)

現在でも爆心地付近は周辺地域に比べ放射線量が多いのか?

高い
(47:229)
  • 以下引用
現在の広島や長崎にある放射線は、地球上のどこにでもあるごく少ない放射線(自然放射線)と変わりなく、
人の体にも影響を与えることはありません。
爆心地での残留放射線を受ける量は、爆発直後とくらべると、その24時間後には千分の一になり、
一週間後には百万分の一になったという研究報告があります。
(名無し三等兵)

神奈川県の八景島の近くにある野島公園内の立ち入り禁止になっているトンネルは何?

うちの親父(金沢八景出身,現在55歳)によれば,
大戦中には戦闘機の格納庫があったとのこと.
(48:181)

何で、中島知久平はA級戦犯になったの?

軍人→軍用機の会社社長→国会議員

有力な政治家だったから
(48:811)
中島知久平は、小林一三、五島慶太、堤康二郎と並んで、政界の新興勢力
の一端に連なっていました。
商務大臣、鉄道大臣、軍需大臣を歴任しています。
戦争を遂行したものとして、戦後公職追放になっています。

ハインケルも同様にフランス軍に戦犯として捕らえられています。
ちなみに、ポルシェも同じくフランス軍に捕らえられていました。
クルト・タンクは戦犯に問われることなく、Argentinaに渡り、ペロン大統領の下で
世界最初に近い、後退翼国産ジェット戦闘機プルキIIを製作し、インドに渡って、
HF-24を製作指揮しています。
(48:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

太平洋戦争中、朝鮮人で中将がいたといいますが、戦歴は、戦後どーなった?

BC級戦犯として処刑されています。
(48:695)

731部隊とかが中国に残したガス兵器とかはどっちの国が処理するんですか

あれは国際条約で元の持ち主(この場合は日本)が責任を持って処分することになっている。
日本はそのために中国に処分場まで建設している。
(53:200)

日本は戦後謝罪してないとか言われてるけど 実際日本の戦後処理とかはどうなっているんでしょうか

北朝鮮は、日韓条約により韓国の一部だとしているため
日韓条約ですべて解決済みです。
大多数の国とはサンフランシスコ条約で戦後処理は終了し、中国とも終わっています。
残る問題は、北方領土のあるロシアですね。
(54:57)

岸元首相ってA級戦犯だったってホント?

何でA級なの?なんかやった?
東条内閣商工相の職務にありましたので、東條内閣戦争指導
の連帯責任で罰せられたのではないでしょうか。
(59:ざこば)
岸信介は1941年10月に発足した東條英機内閣で商工大臣として入閣しており、閣僚としての
戦争指導責任を問われてA級戦犯容疑者となりました
収監はされましたが起訴はされず、釈放されています

しかし、満州国時代、アヘンを大量栽培して中国に密輸していたとか、関東軍上層部と
結託して軍事物資の横流しをしていたとか、その過程で膨大な私財を築いたとか、
きな臭い噂がありましたので、中国側から見れば大戦争犯罪者には違いありません
児玉などのいわゆる右翼の大物とは、この時代からお互いに利用し利用されていた関係ですね
(59:637)

終戦時、日本軍が武器・弾薬を山中に埋めたという話を聞きますが、本当なんでしょうか?

もし今、それを掘り起こしたら使用可能なんでしょうか。
場所が判りませんが、確かに武器を廃棄することはあったようです。
ですが、今掘り起こしても素人が直したところでまず使えません。
数年前、ミャンマーのカレン民族が、大戦後にイギリス軍が埋設処分
した銃器類を掘り起こして修復する写真がありましたが、それを見ても
大分手間がかかる作業であり、さらに錆が進行してた場合、修復しても撃つのは危険です。
(59:908
例え今掘り出しても錆びている上に火薬が劣化していると思います。
以上のことから使えません。場合によっては暴発しますのでお勧めできない。
(59:909

先の大戦について、国家として「敗因の分析」を行っているのでしょうか?

純粋に作戦としての分析ならば、防衛研究所が出した戦史叢書があります。
(60:652)

北海道に進駐した米軍の部隊名を教えてください

第8軍第9軍団第77歩兵師団です。
最初に先遣隊600名が函館に上陸し(10.4)、翌日、小樽に8,000名が上陸、
直ちに札幌と千歳に向かい、北海道拓殖銀行に師団司令部を設置しました。
また、千歳には第5空軍の一部200名が進駐しました。
(78:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

シベリアに抑留された元日本兵がこれだけ賠償金にこだわるのは、軍人恩給を受けられない等の差別があったんでしょうか?

「軍人恩給」の受給資格は「12年以上兵役に就いていたこと(戦地に派遣された期間は
1年を3年として換算する)」で、シベリア抑留の抑留期間は「戦地派遣」とは認められ
なかったので、軍人恩給の受給対象者になれない抑留経験者が大量に発生した。

批判の声も強かったので1970年代中盤に「シベリア抑留者で軍人恩給の受給資格がない人」
には慰労金10万円と記念品が送られることになったが、それだけ。

更に、「障害恩給」の受給者は対象外、ということになり、一旦貰えた慰労金を返納させ
られる人が続出し、上述の「捕虜としての労働賃金が貰えない」事と合わせて抑留経験者の
怒りを買った。

シベリア抑留からの帰還者は「アカ(共産主義者の意)になって帰って来た」「あれはソビエト
(当時はもっと露骨な言い方がされてた)のスパイだ」と言われなき差別を受けた人も多い上、
かなりの人が公安警察の監視対象にされたり”レッドパージ”の余波で再就職先が見つからない
とか近所や親戚に縁切りされるとか辛い目にあった人も多く、
「国の都合で見捨てられて捕虜になり、強制労働させられた挙句国に帰ったらスパイ扱い。
 満州に派遣されてソビエトの捕虜になった、というだけで他の軍人とどうしてここまで
 扱いが違うのか」
と関係者の怒りは今も深い。
(636:150)

インドネシア独立戦争や、ベトナム独立戦争に参加した皇軍将兵は、なぜ逃亡兵とみなされているんですか?

降伏したあとの軍からの離脱も、敵前逃亡の対象なんですか?
降伏した後も軍籍が無くなるするわけではありません。
復員して軍籍から正式に外れるまでは軍人です。
その前に勝手に部隊から離れた兵士は逃亡兵扱いです。
(641:919)

アメリカは戦後、日本に対して本土に属する島々を返還したり、アメリカ人が先に発見したマーカス島を割譲するなどしましたが、何故このような気前の良いことをしたんですか?

残念ながら、元々米国(特に海軍)は、沖縄を含めた占領地域を信託統治領として
日本から永久的に切り離そうとしていましたが。

米海軍はグアムから台湾、フィリピンにかけての補給線を確保する為の重要な線
であり、それが日本の掌中に置かれ、いざ鎌倉になった場合、時の政権によっては、
その使用が制限されることを恐れたのが最も大きな理由です。
また、1853年のペリー来航時には、小笠原は独立地域扱いをしていましたし、欧米系
の島民がいたことから、日本人抜きでの独立は可能であると考えていた訳です。
(644:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦後、小笠原を米国庇護下の独立国として独立させよう、って話がありましたよね?

海軍はマリアナを信託統治領とする際、附属地域として扱うことになっていました。
本来は、元々「忘れられた米国人」である人々が居住していた地域なので、米国領として
扱いたかったのですが、それをしてしまうと、冷戦当時の事ですから、「新植民地主義」
とソ連は元より新たに独立したインドなどを刺激しかねない可能性があったので、日本から
独立させ、米国が援助を行うことで、影響力を行使しようと考えた訳です。

実際、米国太平洋艦隊司令長官のラドフォードなども父島を訪れた際、元からいた人々の
生活と態度に感動して、日本への島の返還に以後一貫して反対し、欧米系島民への米国籍
付与にも熱心に活動しています。
彼は最後まで、返還に反対しており、1968年の返還決定が自分に断りもなく行われたことに
非常に腹を立てていました。
何でその案は却下されたんですか?
国務省と国防総省の綱引きの結果です。
英国と国務省主流派、それに国防総省は、最低限小笠原や琉球を米国の信託
統治下に置く事に固執していました。

実際、平和条約の下交渉に来たダレスは、吉田首相に主流派の案を示しています。

しかし、当初ダレスと対峙した白洲次郎はその提案を拒絶し、あくまでも占領地域
全体の返還に拘りました。

また、日本の世論もそれを後押ししました。
ダレスが離日した後の日本の新聞での世論調査では、43%が琉球と小笠原の即時
返還、42%が一定期間後の返還を望んでおり、もし、米国が信託統治や独立に固執
した場合は、日本の国民感情を傷つけ、野党勢力による中華人民共和国やソ連寄りの
日本政府の誕生に帰結しかねないか、逆に領土回復主義を掲げた危険な方向を持つ
政府の誕生をしかねないとした条約局長を中心に巻き返しを図り、最終的に信託統治
に最後まで拘った海軍を説き伏せて、何とか返還に漕ぎ着けた訳です。
(644:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

「韓国が日本海軍の解体を要求したところ、アメリカは拒否した。大海軍国は長年かかって作れるもので、それをこわすなどもったいないと」という趣旨の文を見たのですが、事実でしょうか?

それ、意図して本来の意味をものすごく曲解してる。
元の話は韓国の白善燁将軍が軍事休戦使節団に参加してた米海軍のアーレイ・バーク提督と
交わした雑談。
バーク提督は創設期の海上自衛隊の育成を支援していたので、白将軍が
「どうしてあなたはいちど壊滅させた日本海軍の再建に手を貸すのですか?」と訊ねた所
提督がそのような趣旨の返答をしたまでのこと。

白将軍は満州国軍出身の知日派で、間違えても嫌日的な思想は持っていないお方。
(297:125)

田村劉吉海軍少将は戦犯として処刑されましたが、訴因は何でしょうか?

手元に資料が乏しいので何とも言えないのですが、第14海軍根拠地隊ですから、
ニューアイルランド島、アドミラリティ諸島が管轄地域になります。

この辺りの戦犯裁判のケースは、ラバウルがインド兵への殴打事件で突出して
いますが、大抵の場合は、捕虜になった豪州兵に対する虐待と殺害が主な事案
になっており、田村少将もそのケースに該当したものと考えられます。

但し、豪州軍による初期の戦犯裁判では、インド国民兵を捕虜として、鉄拳制裁を
した日本兵に対して、これを捕虜虐待だと決めつけて、死刑にしたケースもあるので、
本当に彼が死刑に値した罪を犯したのかは不明です。
(294:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本軍の将官クラスと下士官クラスの恩給と遺族年金ってどのくらい差があったのですか?

恩給は、在職年数とその間の俸給額によって支給額が決まる、現在の厚生年金に近いシステムになっています。
ですから、階級によらず個人の経歴によって額は違います、というのが建前ですが、
今日では軍人恩給については、在職年数と俸給額から算出される支給額が、最低保障額を下回るために、
最低保障額までゲタを履かせて支給されている例が大半のようです。
この最低保障額は階級によって決められているようで、最新のデータが手元にないのですが、
2004年度末では、大佐が年額300万程度、兵が60万程度のようです。将官はみんな死んでしまいました。
(294:491)

何故、アメリカは日本の軍事組織を潰してしまったのでしょうか?

日本の軍事力を利用して、冷戦で優位に立とうとする考えはなかったんですか?
なかった。
朝鮮戦争の勃発を見て大慌てで方向転換している。

 戦後、復員を担当する中央官庁の部局ができ、ここには
陸海軍の軍人が集められている。例えば、海上護衛戦の著者なども
復員作業に携わっていた。

 その後の自衛隊創設への動きの中では日本の政治家、GHQの部局、
日本の元軍人たちがそれぞれ案を作ったり、交渉したりして
組織を発足させ、装備、訓練を行い、重装備を手に入れ、組織を拡充して
いる。
(293:760-773)

日本って結局どれだけの賠償金を支払ったの?

日本の戦後賠償については、列記すると長くなるので
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%BE%8C%E8%A3%9C%E5%84%9F
ここを読んでくれ。
(291:218)

基本的に在外資産放棄が一番の賠償。
1945年レート1ドル15円換算で、朝鮮52億ドル、樺太4億ドル、中国153億ドル、其の他6億ドル、陸海軍資産90億ドルで、
合計308億ドル。
そのうち、ソ連が朝鮮と樺太、中国東北部で機械接収を行っており、かつ、捕虜使役も賠償の一環という考え。
但し、1956年にソ連は賠償を放棄している。

個別賠償では、1950年代にBurmaが4億ドルの請求を2億ドル(円換算は720億円)に減額し、プロジェクト類で196億円、重機械
類284億円、資材216億円、役務24億円、ちなみに、この時期にダイハツやオリエントと言ったオート三輪が盛んに輸出され、
庶民の足として活躍しているし、マツダがトラック改造のバスを輸出したりしています。
その後、賠償増額の要請で、1963年に1億4000万ドル(504億円)で決着しました。
Philippinesは1956年に掛けて、当初80億ドルから始まって、4億ドルで一旦決着するのですが、Philippines上院の反対で流産し、
8億ドル(2880億円)で落ち着きました。
賠償は5億5000万ドルで、5億ドルは資本財、5000万ドルは役務、うち2000万ドルは加工役務としており、残りは経済開発借款と
しています。
Indonesiaは、1958年に決着、要求総額8億ドル、焦げ付き貿易債権1億7691万ドルを相殺して、賠償2億2308万ドル(803億880万
ドル)、経済協力4億ドル(1440億円)。
Vietnamについては、1955年に南と妥結し、ダニム発電所建設資金3900万ドル(140億4000万ドル)を賠償とし、政府借款750万ドル
(27億円)、経済開発借款910万ドル(32億7600万円)。

韓国は、1952年から65年まで交渉が行われ、無償経済協力3億ドル、低利借款2億ドル、民間信用供与交換公文で3億ドル。
Laosは賠償請求権を放棄し、これを奇貨として、10億円の無償援助を実施。

Thaiは、太平洋戦争中の円清算不足支払分の請求を行い、1955年に54億円相当の英ポンドの支払と、1962年に特別円改訂協定
にて、96億円の借款による技術協力(これまた、日本製三輪車を輸出)。
FranceもThai同様、円清算不足の問題で、15億円相当の英ポンドと48万ドルをFranceに支払。

MalaysiaとSingaporeは、血債問題で、支払要求が1962年に出され、29億4000万円相当の貨物船と同額の生産物と役務を提供します
が、1965年のSingapore独立で、別に29億4000万円相当の生産物と役務を提供。

Micronesiaに対しては、施政権者の米国に500万ドル相当の生産物と役務を提供。
Mongolに対しては、Nomonhan事件の道義的責任に基づき、賠償請求はないのですが、1977年に羊毛加工工場建設用に50億円を寄付。
英国は、別途降伏軍人による役務提供で、賠償を行っていますが、別途、1955年に捕虜補償として450万ポンド相当の資産を赤十字国際
委員会に引渡し、Hollandに対しては、1956年に私的請求権解決議定書で1000万ドル分の英ポンドの見舞金を支払っています。

このほかに、米国など占領軍に対する経費は総て日本が負担。
この役務提供は、当初は日本銀行立替払で、1946年から終戦処理費として一般会計支出となり、1946~53年まで5168億円、1946~47年
は特に一般会計歳出の30%以上となっています。
(291:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

終戦時、自決した将官、左官は何人くらいいますか?

また彼らは靖国神社に合祀されないと聞きましたが
いわゆる終戦時の「責任自決」者については、靖国神社は「昭和受難者」として合祀の対象としていると聞いています。
なお、「戦没者等」の「等」に含まれるものとして公務死としての恩給・遺族年金等の対象でもあります。
(289:864)
終戦後の自決者は568人という数字があります。
ただしこれは内外地まとめた下士官なども含む数字です。
また、資料によって誤差があるそうです。
(289:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

大東亜戦争で「公務死」とされた民間人は国家補償や遺族年金に相当するものは支給されたのでしょうか。

ひめゆり部隊や対馬丸学童、真岡郵便局交換手などは公務死ということで靖国神社に祭られていますが、
彼らのほか、従軍記者や消防団員・看護婦などはどうなんでしょう?
「戦傷病者戦没者遺族等援護法」に規定する軍属・準軍属と認定される者については、
軍人と同様に弔慰金・遺族年金の支給対象となります。

その他の戦没者等の三親等以内の親族に給付された、「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」。
ちなみに支給時期と額は、
S40 3万円(通称・特別弔慰金い号)
S50 20万円(通称・第2回特別弔慰金)
S60 30万円(通称・第4回特別弔慰金)
H7  40万円(通称・第6回特別弔慰金)
H17 40万円(通称・第8回特別弔慰金)
となっており、このほか各回の支給時点で年金権者がいたために対象とならなかったが
その後に死亡等で年金権者が失権した戦没者の遺族との均衡をはかるため、
S47 3万円(通称・特別弔慰金ろ号)
S54 12万円(通称・第3回特別弔慰金)
H1  18万円(通称・第5回特別弔慰金)
H11 24万円(通称・第7回特別弔慰金)
の特例給付がある。
本則の特別弔慰金(い号及び偶数回)は10年償還の国債をもって給付される。
特例給付のほうは、ろ号特弔は10年償還の国債、奇数回のは前回の本則の特弔の
償還期限とあわせた年数(6年償還)の国債をもって給付される。
(288:373)

戦後、陸自に配備されたM4A3E8の中には、太平洋や欧州で実戦使用された中古品も混じっていたのですか?

新品は1953年当時、もうありませんから、既にデポに置かれたものになります。
でもって、その中古品は、太平洋で実戦使用されたものも供与されています。
(281:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本海軍の潜水艦は終戦の後、海に沈められて処分されたと聞きましたが、どうして鉄をリサイクルしなかったんでしょうか?

おそらく連合軍の指示によって潜水艦を処分するために行なわれたものと思います。
ドイツでも同様に捕獲したU-boat100隻以上を「オペレーション・デッドライト」と呼ばれた
計画により北アイルランド沖で45年末~46年にかけて順次海没処分に付しています。
(101:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
スクラップの鉄を溶かすには強力な燃焼力を持ったコークスが必要です。
その産地は海外であり、日本には低質な常磐炭、北海道炭しかありません。
これらは火力が弱く、鉄を溶かすために必要な温度を得るのに多量の石炭が
必要です。

戦後は、その石炭の輸送さえ、機雷封鎖と空襲などによる輸送網の寸断でまま
なりませんでした。
加えて、鉄を生産する製鉄所にしても、最大手の日本製鐵(今の新日鐵)の釜石、
室蘭は敗戦直前の艦砲射撃により、壊滅的な打撃を受けており、八幡も空襲で
被災し、広畑は石炭が無くて、1946年までに二基の高炉を休転させており、事実上
大規模な製鉄が出来る状態にありませんでした。

加えて、占領軍の方針で、日本には工業関係の設備を残さないということになっており、
それらの設備は殆ど賠償対象になっていたりします。

沈没したり着底した鑑定が引揚げられ解体されるのは、世の中も落ち着いた1950年代に
入ってからです。
航行に支障がない限り放置されていますね。
(101:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

敗戦後に解体された旧軍に変わって設立された第一、第二復員省の旧軍人はどのような身分だったのでしょうか?

武官に関しては、例えば陸軍省が廃止される際には、全員を予備役編入扱いとして、
第一復員省に引き続き勤務する者は、1945年12月1日付で召集という形式を踏んで
います。
そして、第一復員省が廃止されると復員と言うことになっており、つまりは、軍人の
身分のままと言えます。

これは第二復員省でも同じです。
(278:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大戦後、戦災復興のためにアメリカは日本にいくら投資したのでしょうか?

援助金か貸付かとかソースも教えていただけると幸いです。
ttp://milk.asm.ne.jp/rekishi/1946.htm
第二次世界大戦後の米政府による占領地域救済政府基金
(GARIOA:Government and Relief in Occupied Areas)
米国軍事予算の一部を使って、旧敵国を支援するために設立された。
1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、
そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。
現在の価値に換算すれば、約12兆円(無償は9.5兆円)となる膨大な 援助であった。

<エロア資金>
占領地経済復興資金(EROA:Economic Rehabilitation in Occupied Areas)
ttp://www1.odn.ne.jp/~aal99510/garioa_eroa.htm
ガリオア=アメリカ合衆国予算法の一項目の占領地行政のための資金。
エロア=上記の支出項目に追加された占領地経済復興資金。
昭和20年~昭和25年にかけて日本に供与された。
総額は20億ドル弱(食糧・工業原料・機械等)
昭和28年の池田・ロバートソン会談で、合衆国の強硬な返済要求により、
昭和37年に返済協定調印、4億9000万ドルを15年で返済することとなった。
これは繰上げで昭和48年までに返済された。
合衆国はこの返済資金を対東アジア援助にあてた。
(111:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

敗戦時の日本軍のダイヤモンドや金塊などの貴金属等の資産が元になったというM資金は、根拠があるんでしょうか?

”M”はGHQ経済科学局長マーカット少将の頭文字を取ったというのも定説としてありますね。
GHQが押収した旧軍の資産の流れは日本政府はまったく把握しておらず、
このため当時からさまざまな噂が囁かれていました。
昭和39年に東京・月島の旧陸軍糧秣廠の跡地の掘割から当時の価格で数億円の銀塊が
発見されたのですが、ここら辺から再び旧軍からの押収物資による秘密資金という話が
囁かれるようになり、M資金詐欺が広がる元になります。
有名なM資金詐欺には昭和44年の「全日空大庭社長事件」などがあります。
(275:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

仮に東京裁判において当時の日本の国内法を適用するとしたら、A級戦犯として裁かれた人々は何らかの形で有罪の判決を受ける可能性はあったのでしょうか?

例えば陸軍、海軍刑法などで有罪を宣告されることとなったんでしょうか?
東京裁判とは違う日本の自主的な裁判で有罪の判決を受ける可能性はありました。

日本側にはもともと自主裁判による戦犯処理の構想がありました。
ポツダム宣言の第十条に戦争犯罪人の処罰が明記されていることや、ドイツの
ニュルンベルク裁判の開廷に関する情報などから日本でも同様の戦犯処理が
行われるであろう事は予想されていました。

45年9月11日に東條英機などが逮捕されるに至った後、9月13日には重光外相が
マッカーサーに自主裁判の申し入れが行われましたが、マッカーサーはこれを
拒否しています。
その後も「バターン死の行進」の責任者であるとされた本間雅春中将の礼遇停止など
自主裁判を行う動きを見せますが、これらはすべて徒労に終わっています。
(273:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

戦中、中島飛行機とかその他色々な飛行機メーカーが日本にもありましたよね?それらは今どうなってしまったのでしょうか?

こんな感じ。

三菱航空機 → 西日本重工(水島など)   → 三菱造船 → 三菱重工
           中日本重工(名古屋など) → 新三菱重工 → 三菱重工
           東日本重工(東京など)   → 三菱日本重工 → 三菱重工
川崎航空機 → 川崎重工 → 川崎重工
                     川崎航空機 → 川崎重工
川西航空機 → 明和興業 → 明和自動車(オート三輪) → ダイハツ(倒産により吸収)
                     新明和工業(バイク、特殊車両)
中島飛行機 → 富士自動車(太田など栃木の機体部門) → 富士重工
            富士精密(三鷹など東京の発動機部門) → プリンス自動車 → 日産自動車
立川飛行機 → 立川飛行機(本社工場)
            立川飛行機(試作工場)  → 東京電気自動車 → たま電気自動車 → 
              たま自動車 → プリンス自動車 → 富士精密 → プリンス自動車 → 日産自動車
昭和 → 昭和飛行機
愛知 → 愛知起業 → 愛知機械工業(日産子会社)
(116:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
1つ補足。

九州飛行機 → 九州鉄工 → 渡辺鉄工所 → 渡辺鉄工

もともと九州飛行機自体の設立は、渡辺鉄工が昭和18年に分散改称された
もの(もう片方は九州兵器)でして、いわば「元の名前に戻った」状態です。
ちなみに、この渡辺鉄工は現在も魚雷発射管(水上発射管)などを生産して
いるとのことです。
(116:ちゃぎ ◆fSfdiYoeFc)

米軍が投下した機雷は戦後すぐ処理できたんでしょうか?

昭和20年8月15日太平洋戦争の終結により、4ヶ月余り続いた関門に対するB-29の機雷攻撃は終止した。
しかし、大量の感応機雷が投下された関門の危険性は持続し、航行が著しく制約された。
海軍は、下関防備隊跡に下関掃海部を置き、掃海隊を所属させて関門の航路再開に努めた。
しかし、米軍の資料によると関門に投下された米軍の機雷は4329個(日本側資料によると4696個)に達し、
これを掃海によって絶滅することは容易ではなかった。昭和20年11月末海軍が解体した以後も掃海部は存続し、
掃海作業が継続された。

米軍投下の感応機雷の命数は順次延長されていた。すなわち、米軍は日本に投下した感応機雷は昭和23年ごろ
感応力を失うと日本政府に通告していたのであるが、5年たっても10年経っても触雷事故が発生するため
米国は順次その命数を延長してきたのである。
http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/kanmon8.htm
(265:82)

終戦直後、占領軍が羽田空港周辺の住民に対して48時間以内の退去を命じたことがあったそうですが、

これって国際法的には合法なんでしょうか?
とりあえず、戦時中、防火帯建設のために、まともに建っている家に対し、3日以内の
退去を命じ、それに従って無くとも期限が来たら、強制的に家を潰すと言うことが出来て
います。
戦時中の関連法規を廃止した訳ではなく(ましてや戦後直ぐの時は)、多分、国内法で
対処可能となるでしょう。
別に国際法上、どうとかと言う話ではないと思いますよ。
(261:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦後アメリカは長門を水爆の実験体にしましたが、イギリスなどのほかの連合国に持っていかれた日本海軍の軍艦などはあるでしょうか?

ソ連
 駆逐艦春月:TSL-64と改名されて、武装をソ連式に改め、1959年まで現役、1965年まで標的艦。
         最後は対艦ミサイルの実艦的となって沈没(ちなみに、1959年の状態はレーダーを
         魚雷発射管の位置に装備、後部の武装を撤去してヘリコプター発着甲板が設けられ
         ていた。
 他にも、駆逐艦、海防艦、敷設艦初島、駆潜艇28号、輸送艦など結構多数が引き渡されていますが、
 引き渡し後の動静は不明。

英国
 駆逐艦夏月始め多くの小艦艇が引き渡されましたが、いずれも日本もしくはシンガポールで解体。
 敷設艦若鷹のみ、Laburnamと改名され、マレー連邦の海軍義勇予備員の宿泊艦兼練習艦として
 シンガポールに繋留。

米国
 駆逐艦花月のみDD-934のハルナンバーが供され、各種実験に使用されましたが、残りは、長門、
 酒匂、伊201、伊203始め各種艦艇は実艦的か解体。

中華民国
 駆逐艦波風は1949年に台湾に行き、1960年除籍。
 駆逐艦雪風を丹陽と改名して、1959年に武装を米国式に改め、1971年まで使用。
 駆逐艦宵月も同様で、1963年除籍。
 駆逐艦楓、杉、初芽、蔦は1950~60年代まで現役。
 海防艦17隻のうち、8隻は中華人民共和国海軍へ。
 砲艦2隻のうち、1隻は中華人民共和国海軍へ。
 駆潜艇4隻のうち、2隻が中華人民共和国海軍へ。
 掃海艇5隻のうち、3隻が中華人民共和国海軍へ。
 河用砲艦10隻のうち、全部が中華人民共和国海軍へ。
 二等輸送艦103号は、台湾へ逃れ、1955年に座礁。
 敷設艦済州は、1949年に台湾に逃れ、1953年にフリゲートに改造され、1964年除籍。

中華人民共和国
 海防艦隠岐は、1953年に武装をソ連式に改め、フリゲートに類別され、南方艦隊に配属。
 海防艦四阪は1960~70年代に武装をソ連式に改め、東方艦隊に配属。
 丁型海防艦2隻は、東方と北方艦隊に配属。
 砲艦橋立は、1950年代に武装をソ連式に改め、東方艦隊に配属。 
 いずれも、1980年代まで多数が現役でした。
(160:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

4輪自動車がGHQによって禁止されたから3輪自動車なんていう物が走ってた、というのは本当ですか?

GHQも四輪車全部の生産禁止をしてはいませんよ。

とは言え占領当初は方針が不明確だったので、トヨタは豊田自動織機の生産再開、北海道稚内で竹輪の生産、
泥鰌の養殖、瀬戸物生産と、コンクリート製プレハブ住宅建設を手がけ、刈谷ではアイロン、電気コンロを作り、
その他の金属生産工場ではスプーン、フォーク、琺瑯鉄器、印刷機械の製作を、工場付属病院でも、神経痛の薬
を作ってみたり。
日産も練炭会社を買収して練炭の製造に進出したり、会社の敷地内にあった木材を焼いて炭にしたり、炭を燃料に、
目の前の海水から塩を作ったり。

GHQは9月25日に、トラックやバスの生産を日産、トヨタなどに認め、生産が再開されています。
日野が手持ち資材を用いて、戦車改造トラクターとか、トレーラートラック、トレーラーバスとかを製作し、トヨタ、日産
などでも戦時急造型トラックを元に生産を始めています。
但し、民間に売られるものは大多数がまだ代燃車でした。

1947年には年産300台で乗用車の生産が認められ、トヨタはSA型を新規開発し、日産は戦前の発展系であるダットサン
トラック、次いでダットサンDAの生産を開始しています。

ちなみに、1950年代日銀総裁は、「日本はトラックだけ作っていれば良い、自動車は輸入すればいい」と言っていたり。

とは言え、通産省は日本の輸出産業の一つにするため、通産省主導で外国企業との提携を進めさせ、日産は英国のAustin、
日野がRenault、三菱がWillisとKaiser、いすゞがRootsグループと提携することで、その生産技術を学び取っていきます。

トヨタ、プリンスの場合は、国産技術を基にしていますが、トヨタのエンジンはGMのChevroletそのもの、プリンスは前身の
立川飛行機の傘下にオオタ自動車があったことからその技術が導入され(暫くはオオタ自動車も生きていますが)、富士
精密のエンジンはPeugeotを参考にしています。
他の企業は大抵が三輪車から入って、その延長線上に四輪車(東洋工業とダイハツを除く)に進んでいっていますね。
(234:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦後の東南アジア、中国からの軍人の引き上げは何年ぐらいまで行っていたのでしょうか。

東南アジアでは1947年10月頃、中国は1952年頃まで行っています。

前者は、捕虜ではなく、「降伏軍人」という扱いの下、Geneva条約の保護下に置かれず、
現地ゲリラとの戦闘から弾薬輸送に至る国際法違反の仕事に従事した他、英本国の32分の1の賃金(これも1947年6月から
僅かの期間というひどさ)で、各種労働を行わせています。
しかも、米一人1日茶碗2杯強、ビスケット6枚、魚の缶詰5人に1缶で、インド兵の64%のカロリーしか補充されませんでした。

後者も同様に戦闘任務に就いたケースもありますし、満州の陸軍兵士の様に、新生中国の空軍要員養成を行ったケースも
あります。
大抵は、すぐに帰れましたが、中には朝鮮戦争に義勇軍の一員として参加した人も居ます。
(228:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

保安隊(自衛隊)発足時に元日本軍軍人は入隊できたのでしょうか?

入隊できる階級と出来ない階級はあったのでしょうか?
共産党員とそのシンパが周りにいる人以外は入隊可能でした。
階級に関しては色々ありまして…警察予備隊の場合…。

例えば、服部卓四郎元陸軍大佐は当初、警察予備隊の総隊総監(参謀総長)に、
同期の西浦進元陸軍大佐が副総隊総監になる予定だったりします。
(民政局の反対で没になりましたが)

GHQの内部抗争と、公職追放の影響で、旧軍将校は一人も入れないとか、
逆に入れようとするとかしていましたが、結果的にRidgewayになって、風通しが
良くなり、吉田首相のブレーンだった、辰巳栄一元陸軍中将に内情を調査させて、
とてもじゃないが、現在の状況では戦力にならないことが判明し、1950年12月に
陸士58期生、海兵74期生をまず公職追放解除し、翌年3月より、彼らと陸海軍諸
学校卒業者に「特別募集」が行われ、幹部候補生として採用されました。

1951年8月以降、陸士40期以降、海兵56期以降が追放解除され、中・少佐以下の
幹部に勧誘が掛けられています。
次いで初級幹部として、元大尉、元中尉を採用します。

そして、1952年7月14日に、制服組の中核となる陸士34期~39期、海兵52期の元大佐
が採用されました。

流石に将官クラスは採用出来ませんでしたが、将官クラスはブレーンとして色々部下の
面倒を見ていた様です。
(193:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

敗戦時に戦車や航空機に廃油をかけて燃やす映像をよく見ますが、鍋等の生活必需品に再利用はできなかったんでしょうか?

榛名や伊勢、日向などの戦艦は民需に有効活用されました。
戦車や航空機は一々ばらして再利用するほどコストパフォーマンスが良くなかったと思われ。

かけてる油はガソリンか何かだと思いますが。廃油だと燃えませんよ。
あの行為は進駐してくる米軍に渡らない様に破壊するのが目的なので。別に置き場が無いから燃やして処分してる訳ではありません。

因みに航空用ジュラルミンは一般的なアルミ合金と比較すると特殊なので、スクラップとして引き取った場合の地金としての価値は
ほぼゼロだそうです。
(195:748-756)
沈没した戦艦などは引き揚げてその鋼材は有効活用されています。
航空機に関しては、外地の一部(仏印とか中国とかインドネシアなど)では、残置機材を活用
して自軍の装備に組み込んだ例もありました。

但し、航空機に関しては、8月24日18時以降の飛行を禁じる勅令が出され、耐空証明も返上する
ことになったため、飛行が出来なくなりました。
更に進駐した米軍の基準によると、日本の基地設備は狭く、そのスペースを拡張するために航空機
を破壊することになり、Bulldozerや焼却処分を行ったので、日本はアンタッチャブルだったものもあり
ます。

ちなみに、戦後の軍需工場はその余剰資材を利用して民需転換を図っており、例えば、中島の太田
工場では航空機用ジュラルミンを利用してバスのボディを作ったり、電車の車体を作ったりしていました。
電車の車体については、腐食が激しく、殆ど使用しないうちに廃車となりました。
また、川西の様に、鍋や釜をジュラルミンで作って糊口を凌いだ例もありますし、日野の相模工場の
様に、戦車の車体を利用して、トラクターを作ったり、トレーラーバスを作った例もあります。
(195:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦後、復員省に属した日本軍将校たちはどうなったんでしょうか?

戦後、第一、第二復員省に属した元陸海軍将校は、武官ではなく文官となり、少尉の場合、八等官の第一(または
第二)復員官となった。
ところが、文官になったのもつかの間、結果的に復員庁(1946年に機構改革し、第一、第二復員省が整理、縮小
され、統合された)が解体されると、放り出された。
しかも、少尉以上になると、追放令が出ていて、学徒動員でも学校に戻ることは難しかった。

ちなみに、この復員船で問題を起こした場合、軍法会議は無くなってはいたが、その援用で、
第一復員省に第一復員裁判所、第二復員省に第二復員裁判所が設置されており、陸海軍軍法会議法は、
1946年に復員庁が廃止されるまで、有効だった。

この中で一番多かったのが経済事犯(物資の横流し)で、とある海防艦の主計将校担当官が、南大東島に
引揚げ業務で行って大量に砂糖を仕入れてきた時、本人は何の気無しに土産として配ったのを、統制違反
として裁判に掛けられた事件があった。
この時、彼と艦長が罰金刑を受けたのだが、恩恵を受けていた人々のカンパにより、無事罰金を払い終えた
りしている。

なお、復員の際、軍人が持っていた軍刀は悉く取り上げられたが、将校の場合、自己調達のため自宅に数本
所持していた場合があり、家に保管していた方は取り上げられることは無かった。
(しょうもない知識を披露するスレ11:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦後アメリカは日本の国力をどう評価したの?

アメリカ合衆国戦略爆撃調査団報告書より抜粋。

「要するに日本という国は本質的には小国で、輸入原料に依存する産業構造を
 持てる貧弱な国であって、あらゆる型の近代的攻撃に対して無防備だった。
 手から口への、全くその日暮らしの日本経済には余力というものが無く、緊急
 事態に対する術がなかった…その経済は合衆国の半分の強さを持つ敵との
 長期戦であっても、支えることが出来なかったのである。」
(泣ける話@軍事板第4章::眠い人 ◆ikaJHtf2)

病院船関連で便乗ですが、橘丸事件で戦犯となった日本側捕虜の重労働○年という刑罰は、基本的に何をやらされるのでしょうか?

巣鴨プリズン周辺の道路整備や運動場、農園・兵舎・将校用宿舎建設等
(俺初質スレ2050:146)



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