ドイツ軍


ドイツのヨアヒム・パイパーはマルメディで捕虜の射殺命令をだしたんですか?

命令は出されていません。
現場の兵士(通過中の)が勝手に捕虜に発砲し、パニックが生じて続いて捕虜警備の兵士が発砲したのです。

この経緯は大日本出版(MGの版元)がアフターザバトルの「バルジの戦い」日本語版に書いてあります。どうぞ参考にして下さい。
(くだらない質問はここに書け!:一等自営業)

突撃砲は歩兵の火力支援をするものでしたよね。弾はやはり榴弾砲なのでしょうか?

突撃砲の初期の目的はトーチカや敵陣を至近から撃つことによって歩兵を支援するのが目的でしたが、
途中から戦車を相手することが多くなっていきました。故に徹甲弾も装備しています
(3:68)

WWⅡのドイツ国防軍に「大ドイツ機械化歩兵連隊」とゆーのがありますが、これはどこかの師団に所属しているのでしょうか?

「大ドイツ機械化歩兵連隊」>>GD(mot)Rgtは1941年当時は10.PzDivとSS Reich Divの三個師団で
第46軍団所属でした。補給、兵站関係は軍団から行われます。時には第10装甲師団所属で作戦し、そのときは第10から指揮も
補給も受けることになります。1942年には機械化歩兵(のちに装甲擲弾)師団編制に昇格し、師団内に補給部隊が加わります。

独立重戦車大隊の所属は普通は軍の予備で所属しますが、前線投入時は担当する軍団の戦区ですので、補給は軍団司令部の責任になります。
(4:一等自営業)

なんでドイツ軍の水筒って底が丸いんだろう?あの形じゃ下に置けなくて不便だと思うが?

材料効率の問題とか? 丸ければたくさん入るし丈夫。
ピクニックじゃないんだから、置くこともないんでしょう。
(4:532-533)

かつての独逸軍の軍服のデザインがシャネルによるものだったって、ホント?

それは、俗説です。ココ・シャネルは1939年に店を閉じて1954年に再開するまでデザインはしていません。
文化出版局のシャネル公認の伝記・社史にもそのような事実はないと書かれています。
ただし、彼女はヘルマン・ゲーリングと親密な関係にあったのは事実です(なぜか伝記では省略されていますが)
ドイツが敗戦してからじつに9年もスイスで隠遁生活をしていました。したがって、ゲーリングの服はデザインしてる可能性はあります。
ですが前述のとうりなので「断じてシャネルはドイツ軍の制服はデザインしていません」
蛇足ですがロシア革命のときにアメリカ政府が革命政権を援助していたのでリーバイス製のルバシカは実在します、
日本のさるジーンズショップで秘蔵されています。(非公開だそうです)
(4:694)

第二次世界大戦中、独逸軍は凄まじい数のソ連兵捕虜を取りましたが、この捕虜は、ちゃんと全員収容所に入れられていたのですか?

捕虜自体は収容所に入れられたものも居ましたが、
寝返ってナチスドイツとともに戦ったものも居ました。
また、バルト諸国など併合諸国の捕虜の中にはSSに入ったものもおります。
(末路は両方とも悲惨でしたが)

それから、ただ無為に徒食させるわけではなく、自分の食い扶持は稼がせていますので、
すぐに国力が削がれるとか言うこともないでしょう。
(工場労働などに従事させた例もあります)
(13:眠い人 ◆ikaJHtf2)

ドイツ軍は東部戦線、西部戦線のどちらの方が多く、また強かったんですか?

なんと答えていいか・・・
年代により異なっております。大戦初期は職業軍人で構成されております一桁、
二桁師団の戦意は高いものがありました。43年ごろは武装SSの装備が拡充され東部戦線の一部では最強だと思います。
44年には東部、西部ともにボロボロの師団編成ですので人材も不足し、装備も情けない物になっております。
東部ではソビエト軍が電撃戦の学習効果を発揮し、西部では米軍の高性能の航空機による制空権でなす術がありませんでした。
43~44年で兵器の開発、生産もピークでしたし、熟練した兵士も不足しました。
(22:一等自営業 ◆kawD31MU)

第3帝国軍で制服組のトップって誰になりますか?

総統が一番Topにいる。
その下がNo.2で空軍のゲーリング国家元帥。
以下は陸軍とか空軍、そして海軍の元帥という感じ。

陸軍は陸上兵力を扱う(当然)。
海軍は海上兵力のみ扱う(艦船に搭載する航空機や哨戒機、それに搭載する武装は
空軍の管轄)
空軍は全ての航空兵力(本来は陸軍に属している方が効率の良い観測機、本来は海軍に
属している方が効率の良い水上偵察機、哨戒機も含む)に加え、降下兵から発展した空軍
歩兵を持ち、陸上兵力としてもなかなかのものがあった。
空母が作られていたら、空軍が運用したかも知れない。

武装SSは国防軍の対抗勢力として作られた党の軍隊。
本来はSAがその任に当たるはずだったが、勢力争いに敗れたため、SSが前面に出る。
最初は治安維持勢力だったが、徐々に勢力を拡大し、ヒトラー暗殺未遂事件以後、国防
軍を統制下におく位、優越する。
(27:眠い人 ◆ikaJHtf2)

ドイツ軍はナチス式の敬礼とアメリカ軍と同じような敬礼をしていますが、これはどのように区別していたのでしょうか?

通常の敬礼スタイルは国防軍の陸、海、空です。
ナチス式敬礼は武装SSやナチ党員(党員の国防軍)です。
1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件以降、国防軍の敬礼も
ナチ式に決められました。このスタイルはローマ時代のものです。
それ以前、国防軍の兵営の営舎内では無帽のときはナチ式敬礼です。
これは兵隊・下士官で。将校が無帽の場合は日本式のような頭をたれる会釈です。
(29:一等自営業 ◆O8gZHKO.)

装甲師団と機甲師団は別のものなんでしょうか?

どちらもドイツ語の"Panzer-Division"の訳として用いられていますが…。
どのように訳すかはマニアの中でも結構分かれてまして、
用は"Panzer"を文字どうり装甲と訳すか意訳して機甲(もしくは戦車)と訳すかの違いです。
古参のマニアは「装甲師団」最近のマニアは「機甲師団」を用いることが多い気がします。
(44:173)

ドイツ陸軍352歩兵師団とかいった存在が実在したのでしょうか?

第352歩兵師団は1943年11月、第268、第321歩兵師団等の残部を基幹に
第11軍管区で編成されています。ロシア人義勇兵なども含む雑多な編制でしたが、
東部戦線の経験者も多く精強な部隊だったそうです。

編成完了後はB軍集団の第84軍団指揮下に配属されノルマンディーの防衛にあたっており、
「オマハ」海岸で米軍を迎撃、その後の戦闘でも大損害を蒙っています。

後にRADなどの補充兵を加えた1944年9月に国民擲弾兵師団に改編、
バルジの戦いなどに参加した後、ニュルンベルク近郊で米軍に降伏。
(50:412)

日本に来日したヒトラーユーゲントの幹部にシュペ-アは含まれていたんですか?

シュペーアはNSKK幹部、後にトート機関幹部などは勤めていますが
ヒトラー・ユーゲント幹部だったことはありません。

ユーゲント来日は1938年8月ですが、当時シュペーアは首都建設総監として
1938年初頭から始まった新総統官邸建築に従事していました。
回想録にも来日という記述はありません。
(66:267)

スツーカ大佐ってだれ?

ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大佐のことかな?
(68:もしかして・・・)
ルーデルのニックネーム>スツーカ大佐
(68:367)

ドイツ海軍歩兵師団の写真ありませんか?

大日本絵画刊「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」高橋慶史著 で
海軍歩兵師団に関する一章があった。
それ以外ではちょっと見たことがない。
(75:116)

ドイツ空軍はメッサーシュミットとフォッケウルフ以外の戦闘機を持ってなかったんですか?

純粋な戦闘機で実際多数が使われたものとしては、メッサー系
とフォッケ系しかないと言っていいと思います。
(ちなみにメッサーシュミット系、フォッケウルフ系、それぞれいくつかの戦闘機がありますよ)

夜間戦闘機や、試作されたもの、終戦直前なんとか配備された
もの、にはそれ以外のものもあります。(ユンカース、ハインケル、ドルニエなど)
(75:278)

ビットマンは他の戦車乗りに比べて何が勝っていたのですか

冷静な判断力と驚くほどの勇敢さではないでしょうか。
ヴィレル・ボカージュの戦闘はまさに彼のその素質が発揮された戦闘だと思います。
後バルタザール・ヴォルのような優秀なクルーに恵まれたことも大きいです。
(78:630)
まだある。
事前に地形の偵察に時間をかけてる。
東部戦線では地図だけでなく、自ら出かけて
地形観測に力を入れてます。
非常に重い戦車ですので、戦術運用には良く
考えていたのでしょう。
そういえば東部戦線で撃破されたのは、突撃砲の
乗務時代だけと思います。
(78:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)

ロンメル君の最後は戦死or処刑or?

毒を煽って自決。
(79:700)
ヒトラー暗殺に連座したとかで自殺を強要されたんじゃなかったっけ?
(79:704)

装甲擲弾兵ですが、これは擲弾兵とは別物なのでしょうか?

擲弾兵というのは、もともと18世紀のプロイセン軍に存在した、爆薬を持って突撃する歩兵のことです。
たいへん危険な兵科なので、その兵士は精鋭であると考えられるようになり、兵科そのものがなくなった
19~20世紀以降も、名称だけが引き継がれ、今日に至っています。

つまり20世紀~今日では擲弾兵と歩兵には基本的な違いはありません。
なお、装甲擲弾兵というのは1943年以降、戦車師団や機械化(あるいは自動車化)歩兵師団に
配属された歩兵のことを意味します。
(80:845)
第二次大戦中のドイツに於いては歩兵と同じ意味を持ちます。
従って、装甲擲弾兵は装甲化(自動車化)された歩兵と言う意味です。

近世のドイツには、擲弾(手投げ弾)を背中に一杯背負って敵に向かって
突撃する兵種がありました。
引火したらはいそれ迄よと言うものなので、勇者と称えられました。

この故事に因み、兵士の士気を高めるため、歩兵を擲弾兵と言い換えたのです。
(80:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
なお、1943~45年、ナチスドイツでは「歩兵」という兵科は(名称としては)なくなり、
通常の歩兵は擲弾兵、自動車化および機械化歩兵は装甲擲弾兵と呼ばれるようになりました。
(80:847)
装甲擲弾兵と一般の擲弾兵の装備は大隊レベルまではほぼ同じです。
違いといえば若干ですが機関銃を多く有しています。

ただし、装甲擲弾兵には一部に装甲兵員輸送車を装備している大隊があり、
その場合は機関銃を装備した装甲車が支援につくということになりますし、
司令部には対戦車砲や歩兵砲、迫撃砲などを装備した装甲車がありました。
また、師団所属の戦車とともに戦うことが多かったので、その点では、
「優秀な装備を有していた」ということはできるでしょう。
こうした支援兵器は、トラックに乗った通常の装甲擲弾兵にも与えられました。

なお、装甲師団の装甲擲弾兵は2個連隊4個大隊で、一般の擲弾兵師団よりも
兵員数の上では弱体でした。
(82:218)

ドイツ軍は馬車使ってたんじゃなかったっけ?

WW2で使ってないのは米軍(と米に車もらってた英)くらいだろ。といって
も何処も補給用だけど。

 よく考えてみろ。輓馬一頭の積載能力が200kg程度なんだから、馬一頭
で二人(装備が40kgだから一人100kg)しか運べねーんだぞ。アホらしく
てやってられるかよ。馬は人間の3倍の穀物(草だけじゃカロリー不足で働か
ねーの)を食うんだぞ。

 ま、動力源が筋肉なんだから消費カロリーに大差は出ねーわな。
(85:116)

ヴェーアマハトの海軍は陸戦隊を保有してたのですか?

陸戦隊はないよ。
(88:294)
陸戦隊はありませんでしたが、末期の歩兵不足と海軍の艦艇不足による余剰人員の
再配置のために海軍は歩兵部隊を編成しています。
1944年11月に4個大隊編成の第1~第4海軍狙撃兵連隊が編成され、このうち
第1・第2・第4海軍狙撃兵連隊を基幹として1945年2月に第1海軍歩兵師団が編成されました。
この後45年4月までに第2・第3・第11・第16海軍歩兵師団が編成されました。
このうち第11・第16師団は1個連隊程度の規模のダミー編成で、実際には第1~第3師団が
実戦に投入されています。
(88:名無し軍曹)
ラストオブカンプフグルッペによれば、1944年11月に、四個大隊編成の
第一~第四海軍狙撃兵連隊というのが編成され、1945年2月から、
第一海軍歩兵師団、第二海軍歩兵師団、第三海軍歩兵師団、第11海軍歩兵師団、
第16海軍歩兵師団が編成されています。

いずれも、大型水上艦艇が用を為さなくなったため、その余剰人員をかき集めて前線に投入されたもので、
海兵隊や日本の海軍歩兵みたいなものではありません。
(88:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

アフリカ戦線が崩壊したとき誰もお咎め無しに終わったの?

ロンメルはノルマンディー防衛の任にあたることになったし・・
第三帝国内では
ナチへの忠誠心>>戦果みたいな。

伍長閣下と意見が対立したり、死守命令を無視して独断で撤退した将官がたくさん更迭されてる。
マンシュタインは見事な機動防御でソ連軍の攻勢を破砕したにもかかわらず命令無視や意見対立をとがめられ予備役に。
(494:640,モッティ ◆uSDglizB3o)

バルジの戦いのときに連合国に破壊工作したスコルツェニー中佐ってどうなりましたか?

戦後ニュールンベルク裁判でアルデンヌでのグライフ作戦の件で告訴されたけど、同業者のイギリス軍中佐の
「いや、同じこと連合軍でもやってたから」という証言があったりして無罪に。
その後の非ナチ化裁判の審理中にナンセン旅券でスペインに亡命。
その地で起業して実業家として成功し、恵まれた後半生を送りましたとさ。
その他にも右翼の大物として世界各国の反共運動やネオ・ファシズムに関与し、CIAやモサドとも繋がりがあったという話もある。
(353:513)

WWⅡにおいて、ドイツ軍はなぜ女性を軍人にしようとしなかったんですか?

アメリカやソ連は女性を軍務につかせていますよね。
赤軍は女性を兵士として前線に送り込んだが、米軍はWACやWAVEという経理や通信といった補助部隊として使い、
前線には送っていない。
ドイツはナチの方針で「女性は母として保護すべきもの」として軍務に使うことには消極的だった。
しかし米軍同様補助員として通信や戦闘機の管制などの任務についており、東部戦線などに派遣された女性補助員の
中には戦死したり行方不明になった者もいる。
(545:780)

ドイツ軍には女性兵士はいたのでしょうか?

兵士とは違いますが、女子補助隊員と言うことで後方には居ましたし、
収容所にも看守などで勤務していた場合もあります。
但し、戦闘は行なっていません。
(119:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
ヒトラーは女性に対してはゲルマン民族繁栄のための母親としての役を期待していたので、女性の従軍や社会進出には消極的だった。
大戦末期には決戦に備えてフォルクスシュトルム(国民突撃隊)が編成されたが、これにも女性は含まれなかった。
終戦間際にベルリンなどで女性に対する兵器の取り扱い訓練が始まったが、ほとんど実行されず実戦にも参加していない。
ただし空軍の防空部隊のオペレーターや通信部隊には女子補助隊員がいて、通信部隊に配属された者の中には前線近くの軍司令部などに勤務していた者もいる。
(119:551)

何故マンシュタインが名将みたいに言われるんですか?

普通にソ連軍に負けちゃったりしてるとおもうんですけど…
フランス侵攻の立案者
電撃戦の立役者
ハリコフ攻防戦の成功

どう考えても名将中の名将です
ありがとうございました

スターリングラード戦の勝利で勢いづいた赤軍の大攻勢作戦「星作戦」を
機動防御で返り討ちにした「マンシュタインのバックハンドブロウ」は
いまだに世界各国で士官学校の教科書に載ってるくらいな見事な指揮

凡百な指揮官なら全軍壊滅しておかしくない状況で敵を破るなんてのは
それこそ名将の証。
(351:153,157)

なんでドイツは戦略機とか制空戦闘機をあんま作ってないんですか?

なんかやたら航続距離が短い迎撃機や対地支援の戦闘爆撃機が多くて空軍が陸軍航空隊っぽいんですが…
基本的にBF109もFW190も駆逐機が思想的に間違いだったと判る前の作。
駆逐機が失敗と判った後は戦争が激化しており、航続距離を優先した純然たる新型機
を開発する余裕が無かった。開発しても成功作にならなかった。
Bf109Zのように今一発想が駆逐機から脱却出来ない点も問題だった。

航続距離が足りない?ならば陸軍を前進させて飛行場を確保せよ。
要は大陸国だからです。近接航空支援と一定の航空阻止ならあれで十分。

1940年ごろのヨーロッパでは航続距離が1000km弱の戦闘機が普通でした。
洋上での作戦を想定していた日本海軍航空隊と米の戦闘機は航続力が長く、
日本陸軍航空隊も中国戦線での経験から航続力を重視していますが
これらはどちらかというと珍しい例ですね。

他国の大戦中期以降の機体であるイギリスのテンペストやソ連のLa-7、Yak-9、イタリアのMc202なんかも
航続距離は1000km内外なので、欧州機は基本的に航続距離が短いと考えたほうがいいかと。
ドイツは後半戦迎撃戦中心になったので、ますます航続距離がほっとかれた面もあります。

ハリケーンも1000km以下だしスピットファイアも1000km内外(たいてい1000km以下)だな

日本陸軍は97式、日本海軍は96式に不満を持ったから航続距離の長い後継機や双発戦闘機を開発しているが、
鍾馗のような機体の開発もしていたことを忘れてはならない。

アメリカは
 P-38・・・高高度戦闘機として作ったら機体が大柄になり航続距離が長くなった。
 P-51・・・厚い主翼が採用出来たので機内燃料が多く出来た。
(349:841-871)

ドイツ軍に海兵、つまり上陸戦や敵艦への乗り込みに用いられる部隊や師団はあったんでしょうか?

ドイツ帝国時代にSeebataillonというのがあった所までは調べられたのですが

海軍守備隊程度のものはあったかと記憶していますが(青島攻略戦時とかに、そう言った兵が
捕虜になっていたか、と)、上陸戦、敵艦乗り組みに用いられるようなものではありません。

例えば、19世紀末に債務不履行と言うことで、ドイツの軍艦が、ハイチに出兵したことがありますが、
この時は、軍艦に搭乗していた水兵のうち、当直任務以外の者が将校に率いられて上陸部隊を編成
していました。

また、エムデンなんかでも艦の乗組員の一部が陸戦部隊とか艦の捕獲などに使われています。
ちなみに、第一次大戦時にヴィルヘルムスハーフェンに入港していた戦艦群には兵科の水兵はいますが、
陸戦用の所謂海兵隊は乗り組んでいません。
(348:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大戦末期のドイツ空軍機の機体下部の色って、なんて名前ですか?

RLM76(ヴァイスブラウ)です。
(563:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

先の大戦中、ドイツ占領下のフランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクあたりでは、ドイツ軍の犯罪は問題になりましたか?

ドイツ軍は、特に西欧諸国では兵士の犯罪は厳正に取り締まっていた。
これらの国々がドイツの戦争遂行に必要な工業製品や食糧を生産する重要な策源地だったため。
連合軍に解放されたフランスのある町の町長が暴行や略奪の頻発にたまりかねて、「これではドイツ人どもに占領されてたほうがましだった」と連合軍の指揮官に怒鳴り込んだという話がある。

(だからといって彼らがドイツの占領統治を歓迎していたという話ではないので注意)
(566:344)

ベルリン攻防戦のドイツ軍はかなり悲惨な状態だったということですが、食糧は十分に供給されていたんですか?

また、食糧はどんなものを食べていたんですか?
少なくともベルリンのドイツ軍に末期的な飢えが発生したということはありませんでした。
計画通りにドイツ軍の補給が行われていれば、
だいたい軍用パン700グラム・ジャガイモ300グラム・野菜250グラム・肉類200グラム
後はコーヒー(たいてい代用コーヒー)とかタバコなどです。
携帯食料ですとパン700グラム・チーズ200グラムがメインで後はタバコなどが支給されます
末期的な飢えが発生したブダペストなんかだと一日パン1きれラード5グラム・馬肉一切れが支給されたそうです
(567:663)

ドイツ軍において、連合軍で使われていたフォネティック・コード(A=アルファ、B=ベータ……の奴)に相当するものは?

ここの下のほうにある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/NATO%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8D%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89
ちなみにBはベルタ。Gはグスタフ。
(338:763)

「ドイツ人はとても山登りが好きで、大戦中にも戦争そっちのけで連隊ごと未踏破の山に登って、なんでそんなことしたのかと言われたら『そこに山があったから』と答えてヒトラーに激怒された」これ事実でしょうか?

ドイツ第1山岳師団は独ソ戦のブラウ作戦時にカフカスにあるコーカサス山脈の
エルブルス(Эльбрус カタカナでどう表記するのかは資料によって微妙に
違う)山に登頂隊を出して、ソビエト軍山岳部隊と交戦しつつ見事山頂を征服した。

ブラウ作戦全体にはなんにも寄与しない上に戦略的意義は何もないこの登山作戦?
に作戦そっちのけで師団のリソースを割いた事をヒトラーに咎められた師団長は
「目の前に山があったら登る。それが山岳部隊というものです」
と回答し、ヒトラーを激怒させた。

結局「そんな無意味なことに許可を出したのは誰だ!」ということになって
A軍集団司令官であるリスト元帥のクビが飛んだ。

尚、山頂には第1山岳師団が立てたナチスドイツ旗が翻っていたが、ドイツ軍が
この地域から撤退したら、スターリンから
「他のことは総て後回しでもいいから山頂に登ってあの旗を降ろして来い!」
という命令が出て、ソビエトの山岳師団は総出で登って何よりも優先して山頂の
ナチス旗を撤去した。
勿論山頂にナチス旗が立ってたからといってナチスドイツが領土権を主張し続け
られるわけでもなく、戦略的には全く無意味だがスターリンはそれを最優先命令にした。
(582:193)
捕虜収容所で物資を蓄え、登山道具を自作してから脱走して
登山に成功して捕虜収容所に戻った
イタリア軍のことも覚えて欲しい
(582:231)

WWII頃のドイツ軍の機体に描かれている白で縁取りされた黒い十字架ってなんでしょうか?

バルカンクロイツ(バルケンクロイツ)と呼ぶ。日本語だと「黒十字」。
プロイセン王国以降のドイツの主権紋章(国籍表示)。

ちなみに現在のドイツ軍の国籍表示に使われている、先端がやや広がった形の
白縁付き黒十字のことは「タッツェンクロイツ」(爪十字)と呼ぶ。
これは中世ドイツ騎士団の紋章が由来。
(333:721,722)

「装甲てき弾兵」と言う部隊はどういう部隊なのでしょうか?

擲弾兵=歩兵
装甲擲弾兵は車両に載せられた移動力の高い歩兵。
(38:277)

ドイッチェラントの飛行機の形式番号「Ta」って、どこの会社で何の略で皆さんどうやって読んでるの?

タンク。
設計者のクルト・タンク氏に因んだ名前。
メーカーはフォッケウルフ。
(40:813)

ルーデルの伝説の一つに「12個新しく作った勲章を受け取ったのは彼だけ」ってのがありましたが勲章って数決まってるの?

あと賞は注文なの?それとも買い置きなの?
ルーデルがもらったダイヤモンド剣付黄金柏葉騎士十字章が特別に
円卓の騎士にちなみ12個限定と決められただけ。
勲章自体は作りおき。
(623:663)

ドイツ陸軍の、武装SSと国防軍が野戦指揮所なんかで挨拶する時って、ナチ敬礼か普通のかどっちだったの?

陸軍、武装SSそれぞれのやり方で敬礼。
1944年7月20日のヒトラー暗殺事件の直後、陸軍参謀総長(事務取扱)に就任したグデーリアンより、
ヒトラーへの忠誠を示すために従来の敬礼を廃止してナチ式に変えよという通達が出されている。
ただし戦場では必ずしも徹底されなかった。
また武装SSでも元陸軍将校だった古手の将官などはナチ式敬礼を嫌っていた。
(さすがにヒトラーやヒムラーに対して公然と陸軍式敬礼はしなかったが)

あと国防軍とは陸軍、海軍、空軍の総称で名前どおり国家の軍隊。
武装SSは党の軍隊で、国防軍を構成する三軍とは別の組織。
ただし実戦の命令系統においては陸軍将官の指揮下に武装SSの部隊が入ることもあったし、その逆もあった。
武装SSと国防軍の関係は非常に入り組んでいるので、簡単に説明するのは難しい。
(316:789)

ナチスドイツ海軍の水上艦艇は軒並み、機関不調だったのですか?

特にビスマルクの機関不調の有無が知りたいのですが
重巡「アドミラル・ヒッパー」級にはかなり冒険的な高温高圧缶を採用したため、ヒッパーは
缶からの蒸気漏れに悩まされています。
また装甲艦「ドイッチュランド」級では主機であるディーゼル機関のクランク軸振動が
激しかったと聞いています。
(313:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
缶室ベンチレーターの故障
過熱機に髪の毛ほどの亀裂が何本か走った
中央メイン連結器のボールベアリング破損
メインスチームラインの1本のスリーブやタービンに塩害

機関室内にはかなりの量の問題が発生していたと思われる

出典:巨大戦艦ビスマルク 
ブカルト・フォン・ミュレンハイム=レッヒベルク著
ハヤカワ文庫

リンデマン艦長の副官をやってた人
(313:506)

ドイツ軍が砂漠戦を経験するのは第2次大戦が初めてですよね?

アフリカに到着する前に北アフリカ、あるいは砂漠気候と言うものに対しての知識を持っていたのでしょうか?
一応、アラビアではありますが、第一次大戦に顧問としてOsman Turkey帝国軍に
赴任していたドイツ将校は多数おりますし、Persiaを縦断して、Afghanistanまで侵
攻した人もいます。
また、Namibiaは従来、ドイツ帝国の植民地であり、そこは砂漠地帯。
そこで戦った兵士達のノウハウもあります。

従って、或る程度は砂漠戦の知識はありますし、それをイタリアの知識で補完する
と言う感じではないか、と考えます。
(311:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

WW2ドイツ軍、北アフリカ戦線には数個師団が送られましたが、突撃砲とか駆逐戦車は送られたんですか?

アフリカ戦線で突撃砲はほとんど活躍していません。
その数少ない突撃砲部隊に独立中隊「アフリカ」があります。
アフリカ戦線に投入予定として編成中だった第242突撃砲大隊は、急遽東部戦線に
投入されることになりましたが、第一中隊のみは分離されてアフリカに送られました。
しかし、その戦力は突撃砲6輌に過ぎず、しかもその一部は海没してしまいました。

チュニジアに送られた中隊は第90突撃砲中隊として第90砲兵連隊の指揮下に置かれ、
さらにラムケ旅団に送られています。
中隊は最後まで果敢に戦いましたが、武運拙く43年5月に他の部隊共々降伏しました。

この他にアフリカに送られた部隊には、第288突撃砲中隊があります。
この部隊は第288特別部隊の第5戦車駆逐中隊に一個小隊3輌が配属されたと言われますが
実際は海没したとも言われ、活躍したかどうかは疑問が残ります。
(311:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

ナチの機甲師団において、開発されたばかりのパンサーやタイガーなどは国防軍よりSSに優先的に配備されたのですか?

パンターで編成された戦車大隊に関して、国防軍よりSSの方が編成が恵まれたのは事実。
SSの第1~第3装甲師団にパンター大隊が編成されたのは1943年9月ですが、
国防軍のほとんどのパンター大隊の編成が完了したのは1944年に入ってから。
他のSS装甲師団(第5・9・10・12)も1944年早々にはパンターが配備されており、
優先して装備されたといっても良いでしょう。
しかも、SSのパンター大隊は各師団に固定して配備されたのに対し、国防軍のパンター大隊は
師団から切り離されて独立運用される場合もしばしばでした。

ティーガーの運用に関しても、1942年中に編成された国防軍の第501~503の
三個独立重戦車大隊に次いで1942年11月には3個重戦車中隊(SS第1~第3装甲師団に配属)
が編成されており、優先装備といってもいい状態だと思えます。
(310:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

グデーリアンの『電撃戦』の付録地図に記載されている部隊名について

ドイツ軍やソ連軍の軍隊の表記法について
差し当たり、以下が意味するものについてご教示ください。
H.Kdo(独軍)
I.R.(独軍)
V.A.(独軍)
Tle.(独軍)
Div+Pz.Verb.(ソ)
分かる範囲ではこんなところ
H.Kdo. =Hoherer Kommando (軍団や軍など上級司令部)
I.R.=Infantrieregiment(歩兵連隊)
V.A.(?)
Tle.=Teil(壊滅したり上級部隊から切り離された部隊の残余)
Pz.Verb.=Panzerverband(ドイツ軍の定義では臨時編成の装甲部隊)

いちおうその本自体に「地図記号、略号一覧」というのが付属していたはず。
H.Kdo = HoeresKommando=兵団(独立軍団)司令部
I.R = 歩兵連隊
V.A = 先遣隊、前衛部隊
Tle = 分遣隊、支隊
Verb = Verband = 編合部隊
(628:236-242)

WW2時のドイツの艦名の命名基準と、ドイツ空軍機の命名基準を教えて下さい


目安的には…。

戦艦は、政治家の名前、巡洋戦艦、重巡洋艦は概ね軍人の名前、軽巡洋艦は都市名、駆逐艦は後に
番号が付与されていますが、初期の頃は、国家社会主義労働者党に功績のあった人々の名前、水雷艇
は猛禽類の名前か番号、護衛艦、潜水艦、魚雷艇以下の小艦艇は番号。

飛行機については、1933年より、ドイツ航空省承認の下で設計・製作された機体については、RLMから形
式番号が割り当てられ、これに製作会社略号を付けています。

初期の頃は、計画的に割り当てられ、例えば、11~30はDornierに、31~36はKlemm、37~60はHeinkel
64~85はAradoなどとなっていますので、初飛行順にならないケースがあります。
また、原型のみで開発中止になった機体の場合、同一番号を割り当てる場合があります(例.Me-163)。
一端与えられた番号でも、既に空位になっている番号にふり直すこともありました。
AとかBと言った部分は、大改造型で、ハイフン以下は小改造型に割り振られます。
また、工場改造と現地改造でそれぞれ、UとかRが末尾に付く場合もあります。
(304:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツ軍航空機名の数字は開発順ってことですが、それなら数字が一桁、二桁の機もあるはずなのでは?

Bf110→Me210→Me310(開発中止)→Me-410のように改良されると最初の桁の数字が上がっていく場合もある。
あと開発中止になった機体の番号があとで復活する場合もある。
(304:734)

ヒトラーは重戦車マウスや巨大列車砲ドーラ、戦艦ビスマルク等の巨大兵器が好きだったようですが、巨大飛行機を作らなかったのは何故なんでしょうか?


急降下爆撃オタが空軍爆撃機の開発を仕切っていたから。
巨大爆撃機に急降下爆撃能力をつけようとして、設計が無茶苦茶になり
あまり巨大機が開発できなかった。

ヒトラーがそれを知ったときさすがに撤回されたはずだけど。
もう戦局が手遅れだったけど。
(301:429-435)

ドイツ軍内ソ連軍の、ウラソフ将軍はモスクワ攻防戦時、モスクワに再接近したドイツ軍を撃退した程の手腕を持ちながら、ドイツ軍内部でこれといった戦果を挙げれなかったのは何故なんでしょうか?

あと、ウラソフとその一族は、ソ連に引き渡された後、かなり残酷な殺され方をしたといわれますが、どんな死刑方法だったんでしょうか・・・。
ドイツ軍内部にはウラソフを反ソ宣伝や戦闘に積極的に活用しようという動きもあったが、ヒトラーやヒムラーがそれを承認しなかった。
彼らにとってはスラブ人は絶滅もしくは隷属させるべき劣等人種に過ぎず、下手に戦わせて発言力を持たせるなどもってのほかということ。
よってウラソフとその部下たちはほとんど飼い殺し状態で、ごく短期間SSの管理下に入ったり陸軍の下に入ったりと扱いも定まらない状態だった。
戦争末期になってからようやくウラソフのロシア人部隊は心理戦や実戦に投入されたが、もはやどうにもならなかった。
なおドイツ軍内部でソ連兵捕虜を戦力化しようと動いていた人々の中にはトレスコウやシュタウフェンベルクなど、ヒトラー暗殺計画に関与した軍人たちがいた。
この他にもドイツ軍では協力を申し出たソ連軍捕虜や反共主義者を戦闘や警備などに用いていたが、ほとんどが大隊以下の規模でまとまった兵力としては編成されていない。

ウラソフを含むドイツに協力した元ソ連軍将校たちは、ソ連送還後裁判にかけられ絞首刑となった。
下級将校や兵士たちも同様に裁判にかけられ処刑もしくは矯正収容所送りとなったが、送還途中に個人もしくは部隊単位で自殺したもの多い。

詳しくはユルゲン・トールヴァルトの「幻影 ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語」(フジ出版社絶版)を読まれたし。
(300:656)

ベルリンの戦いではドイツの青年新兵が戦闘を放棄し、最後のセックスに勤しんだという話があったのですが本当なんでしょうか?

アントニー・ビーヴァーの『ベルリン陥落 1945』に似たような話が出てくるのでそれが元ネタと思われる。
赤軍が迫ると市民の中に行きずりの情事を行う者が増えたとか、空軍補助員の娘達がロシア兵に奪われるくらいならと
ドイツ人の若い兵士に処女を捧げたという内容。
(649:905)

アドルフ・ガーラントってアニメや創作もびっくりの大出世をしていますが

戦功昇進がかなり大盤振る舞いされている当時のドイツ空軍でも群を抜いて出世が早かった理由はなんででしょう?
ドイツ空軍は公式には1935年から始まるけど、これ以前に秘密訓練を受けた1期生の正規パイロットで
スペイン内戦ではすでに中隊長で、ダイヤモンド付きスペイン十字章を受けてる。
成績も抜群で、度重なる負傷、事故、撃墜にも挫けず飛び続けた。

新生ドイツ空軍にあって、脂の乗り切った時期に実戦経験を重ねた1期生だから、
彼以上に戦闘機指揮官にふさわしい人物はなかなかいなかったろう。
もちろん、メルダースとかにも当てはまるけどな。

つまり他の国に比べて昇進が早いのは、ドイツ空軍が1935年に再生したことで、
WW1の空軍とは断絶があり、古い人が居なかったってことが一番の原因ではないかな。
(655:889)

アメリカ軍では第1師団の‘第1’を‘1st’と表記しますが、ドイツ軍ではどのように表記するのでしょうか?

数字のみの表記。
たとえば第1SS装甲師団「LSSAH」だと、
"1. SS-Panzer-Division Leibstandarte-SS Adolf Hitler"という風に表記する。
同様に第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」だと、
"12. SS-Panzer-Division Hitlerjugend"になる。
(289:587)

アメリカ軍には日系人部隊がいたけど、ドイツにはこういった敵国の人を集めた義勇軍は存在しなかったの?

ドイツ軍にはソ連に国を奪われた人達の部隊があります。

ヴァフェンSSの後期に編制された師団は義勇兵ばかりでっせー。

ナチスに賛同したウクライナ人中心の師団が東部戦線でソ連相手に戦ったりしてる
(289:699-702)

デーニッツの本に、海軍ではユダヤ人迫害はなかった。士官学校の校長はユダヤ人だったと書かれていたんですが

実際どうなんでしょうか?ユダヤ人の軍人っていたんですか?
ナチスの政権掌握後、ニュールンベルク法などによりユダヤ人は軍から排除される建前になっていた。
しかしながらかなりの数のユダヤ人、半ユダヤ人が様々な理由
(重要人物であるとかナチ有力者とコネがあったなど)で特別扱いされ、引き続き軍への勤務を許されている。
洋書だがそのものズバリのタイトルの「Hitler's Jewish Soldiers」という本も出ている。
http://www.kansaspress.ku.edu/righit.html
だからといって海軍(or陸軍)においてユダヤ人差別がなかったというわけでは決してない。
デーニッツも含めて戦後にドイツ軍人が書いた回想録には多かれ少なかれこの手の自己弁護は付き物、
ということは理解しておいたほうがいいだろう。

ナチスドイツ空軍ナンバー2のエアハルト・ミルヒ元帥閣下は
当時のドイツの基準に照らし合わせれば、立派なユダヤ人になる。
で、「カーチャンが他の男と浮気して出来た子供」という事にされてしまった
(288:413-429)

ドイツ陸軍で英語のSergeantって訳はどうなんの?

wikiを見ると
Hauptfeldwebel、Oberfeldwebel、Feldwebel、Unterfeldwebel、Unteroffizier
下士官が5つもあるんですね……正式な日本語訳をご教示ください

文献により翻訳に違いはあるが、
Stabsfeldwebel, Stabswachtmeister(司令部付曹長)
Hauptfeldwebel, Hauptwachtmeister(特務曹長)
Oberfeldwebel, Oberwachtmeister(上級曹長)
Feldwebel, Wachtmeister.(曹長)
Unterfeldwebel(軍曹)
Unteroffizier, Oberjager(伍長)

例えば、大日本帝国陸軍では下士官の階級は基本的に曹長、軍曹、伍長の
3種類であった。一方、ドイツ陸軍にはシュタップスフェルトヴェーベル
(Stabsfeldwebel)、オーバーフェルトヴェーベル(Oberfeldwebel)、
フェルトヴェーベル(Feldwebel)、ウンターフェルトヴェーベル
(Unterfeldwebel)、ウンターオフィツィーア(Unteroffizier)の5種類が
存在していた。これらをどのように対応させるかにより、
Unteroffizier が軍曹と訳されたり、伍長と訳されたりする場合がある。
さらにドイツ陸軍の階級をアメリカ陸軍の階級に当てはめて、
それを日本語訳する場合もある。この場合は一等軍曹、二等軍曹、
三等軍曹などといった表現になる。訳者によって
それぞれ思い入れもあるであろうからどの訳が正しいとか、
どれが間違っているということはない。
ただ、資料によって訳が異なるというのは事実である。
(682:940-944)

ドイツ海軍のu276や空軍のJG 5のエンブレムは旭日旗っぽいデザインですが、日本と関係はあるでしょうか?

U276の活動地域が北大西洋海域であることから、日本との接点はありません。
従って、旭日旗とは何の関係もありません。

ちなみに、欧州の国旗にはこんなものもあります。
http://fotw.vexillum.com/flags/mk.html
これは、旭日旗から取った意匠ではなく、此の地に代々伝わる古代Makedonia帝国の
ベルギナの星を図案化したものです。

JG5についても、主な活動領域が北欧であることから、昇る朝日を図案化したものでは
ないか、と推定します。
(285:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ナチスドイツがなんで空軍を独立させたのかよくわからない

陸軍航空隊のままの方が良かったんじゃ?
ヒトラーは極力一つの軍が大きくなることを恐れ、完結性の無い
存在にしようとした(軍の独立完結性が高くなると、自分に逆らう
かもしれないから)ので、ドイツの空軍組織が陸軍や海軍に統合
されることはありえない。
空軍に陸戦部隊(ヘルマンゲーリング師団)を持たせたのも、
陸軍はおろか武装親衛隊すらヒトラーが信用していなかったためだし。

日本軍を見れば解るが、空軍が陸軍から独立していないと、航空戦力は
陸軍の直接支援専用にもっぱら用いられる。敵国の中枢を直接叩く長距離
戦略爆撃のような「空軍力」としての運用が望めず、戦略兵力にならない。
でも独立してたドイツ空軍は戦略爆撃をあまり熱心じゃなかったし、
陸軍航空隊に過ぎないアメリカが最大の戦略空軍を持っていたわけで、ちょっと説得力に欠けるのでは?
ドイツ空軍は本来戦略爆撃専業の軍隊だった。
有名なシュトゥーカだって本来は交通の要所や鉄道などの戦略目標を
急降下爆撃でピンポイント攻撃するための機体。
双発で航続距離や搭載量の少ない爆撃機しかなかったのも、搭載量や航続距離
よりも速度を重視した結果。
「電撃戦」という「戦略」に特化した空軍なので、結果的には地上支援専門の
戦術空軍に見えるだけ。
ヒトラーの頭の中ではそういう意味での「戦略爆撃」はロケット爆弾(後のV-1や
V-2)にやらせるつもりだったようだ。
Me262を見て「爆撃機にしろ!」と言ったのも、その流れ-爆撃機に必要なのは
迅速な第1撃である-から。

アメリカの戦略空軍は、「えー、うちらは陸軍の航空隊ですからあくまで陸軍と
しての任務が先でそんな都市攻撃なんかは後回しで・・・」ってごねる陸軍から
爆撃機を取り上げて総司令部直轄で運用するために出来たようなもの。
そういう意味ではアメリカの戦略空軍は「陸軍から航空隊は独立させる必要がある」
の代表例みたいなもの。
(281:271-279)

二次大戦中のドイツ歩兵の腕時計ってどんなのかわかる人いませんか?

ドイツ陸軍では時計の支給は小隊長以上に限定されていて、したがって
歩兵が持っているとしたら個人購入の物ということになります。

軍から支給された時計は懐中時計と腕時計と二種類ありますが、特徴は文字盤が
必ず黒であること。
時計のブランドとしては「ARSA」「ZENITH」といったあたりが写真で確認できました。
(278:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

アイザック・アシモフの雑学本の中で、1942年に潜水艇でニューヨークに上陸しようとしたドイツ特殊部隊というのが出てくるのですが

これは本当なのですか?
実話です。
1944年にも工作員はアメリカに上陸してますよ。
西部タイム刊/アメリカの世紀(6)1940-1950パールハーバーの衝撃の198~199ページ
ISBN4-8275-1228-0
3900円
たぶん絶版だけど大きめの図書館にあるよ。
(104:397)

ケルゲレン諸島という南氷洋の小島に、ドイツが通商破壊用の基地を第1次・第2次大戦のとき設置しようとしたのは、本当ですか。

ケルゲレン諸島については、第一次大戦では注目されていません。
そのころはまだ探検が済んでいなかったみたいですね。
第一次大戦後に地勢がはっきりし、第二次大戦に於いて、通商破壊船の補給地と
して利用したのは確かな様です。

但し、早々に英国に察知され、豪州海軍の巡洋艦が派遣された為、補給地として
の機能は放棄されたみたいです。
(105:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツ捕虜でソ連抑留時に思想転向をし、国家人民軍やシュタージで高官に就いた人物がいれば教えてください。

一番有名なのはスターリングラードで捕虜になったパウルス元帥。
戦後は東ドイツ軍の再建に関わり、「赤いプロシア軍の父」と
呼ばれた。

あとはスターリングラードで捕虜となり、戦後NVAの将官になったヴィルヘルム・アダム大佐とかアルノ・フォン・レンスキー少将とか。
その他戦後NVAに入った元国防軍軍人たちは以下を参照
ttp://www.axishistory.com/index.php?id=5706
階級はNVAでの最終、カッコ内は国防軍時代のもの。
(277:755-773)

OKWとOKHはどういう関係と違いがあるのでしょうか?

OKWは「国防軍最高統帥部」。
OKHは「陸軍総司令部」。

OKWは オベル コマンド ダス ヴェーアマハト の略で、
OKHは オベル コマンド ダス ヒーレス     の略。

両者の関係について。

ナチス時代のドイツでは、陸海空三軍は国防軍と総称され、
その総司令官は総統ヒトラーが兼任していました。
OKWはヒトラーの参謀として作戦の指導その他の業務を遂行することになっていました。
一方、OKHは陸軍総司令部で、陸軍総司令官とその参謀によって編成され、
陸軍の作戦指導およびその他の業務を遂行することになっていました。

しかし、実際にはOKWはヒトラーの命令伝達組織以上のものではなく、
実際の作戦はヒトラーの命令に基づき、陸海空三軍がそれぞれ独自に遂行していました。
しかも独ソ戦以降は陸軍総司令部がヒトラー直属となったため、東部戦線は管轄外となり、
実質的に地中海戦線と西部戦線の陸海空軍を統括する事務組織となりました。
また東部戦線の作戦指導を行うだけの組織となったOKHも、
1942年以降、ヒトラーが陸軍総司令官も兼任するようになると有名無実化し、
最終的には「東部戦線の陸上部隊を管轄する事務組織」に過ぎないものでした。
(117:280-333)

国民突撃隊は戦力としてどれほど役に立ったのでしょうか?

国民突撃隊(フォルクスシュトルム)は通常は召集されない高齢(40代以上)の予備・後備役兵。
もはや兵役に耐えない判断され予備役に編入された傷病兵。
ヒトラーユーゲントの十代の団員などからなっていた。
兵器は旧式もしくは占領地からの鹵獲品がほとんどで、補給の混乱から数が足りなかったり
銃に適合しない弾薬が届くなどということもしばしばあった。
上記のような状況では家族持ちがほとんどの老兵たちの士気は非常に低く、戦闘を放棄して自宅に逃げ帰るような事態も頻発した。
ただしユーゲントの少年兵たちは狂信的であり、死ぬまで戦った者も多かった。
(有名なヒトラー最後の映像で勲章を授与されているのは、パンツァーファウストで戦車を撃破した十代の少年たち)
ドイツで製作された「橋」という映画で、こうした少年兵達の勇敢だが無益な戦いが描かれている。
(270:816)

WW2の独軍は1日休暇を取ってどこかに遊びに行くなんてこともないですよね?

えと、独空軍のエクスペルテン(撃墜王たちね)の自伝/伝記類が多量に翻訳、出版されておりますので
それをお読みになるとよいかと
半年に1回、1週間から2週間程度の休暇があるのが通例で実家に帰ったり友人を訪ねたり、いろんなことに
活用しています
陸軍とか海軍の軍人の伝記では、なぜか休暇に触れてあるものがなかったような(探せばあるかも)
(52:23)
部隊単位には違いないけど、師団ほど巨大な戦略単位を後方に下げる機会はそうそうあるものではないですね。
大損害を受けたり新兵器受領して再編される機会に後方に下がることはありますが。
マーケットガーデン作戦のとき、そういう休養部隊だった武装SSによって、
降下した英軍がひどい目にあったこともあります。
普通は小隊とか中隊とかのレベルで交替です。
(52:44)

騎士十字章は何をしたら貰えた物なのでしょうか

あと鉄十字章とは違うものなのでしょうか
軍功をたてればいいのだが、判りやすいものはどうしても
戦闘機を何機、戦車を何両と言うことになりがち。
どこどこに支援砲撃した、と言うのは評価されにくい。
(54:864)
鉄十字章と騎士十字章の違いについて……。
騎士十字章のほうが見た目が若干大きいのですが、それ以外の見分け方は佩用の仕方です。
騎士十字章は周知のとおり首からリボンを使ってぶら下げます。このため、
リボン用の大きなループを小さなリングで止めてあります。
これに対して鉄十字章ですが、まず一級鉄十字章は左胸に縫いつけて佩用するため、
小さなループが合計8個勲章の裏に取り付けられており、表からは見えません。
二級鉄十字章は左胸にリボンで取り付けられるよう(実際は略綬かリボンだけを着用する)
リボン用リングが取り付けられています。

実際デザイン的にはまったく違いがないので、戦場で佩用する場合二級鉄十字章を改造して
騎士十字章として佩用することもあったそうです。
(54:名無し軍曹

ナチスドイツのヒトラーユーゲントの訓練について知りたいのですが、

特にナチス的に優勢な少年少女を集めて訓練を行うにあたり男女を丸裸ですごさせたというのが、ガセネタなのか本当なのか。
「自然に変える運動」と称して、素っ裸でキャンプとか
に連れて行った話は聞いた事がある。

実際は、「優秀なドイツ民族の確保」が目的だったとか。
(55:社 聖 ◆DASH/8Egy6)

WW2ドイツ空軍で「赤いチューリップ」をつけていたのは誰でしたっけ?

Messerschmitt Bf109K-4 (CED48085) JG52のもので、誰かはちょっと
資料を掘り出さないと不明です。
(57:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
エーリッヒ・ハルトマン
(57:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)

第二次大戦の各国のエースの撃墜数 ドイツだけが異常に多いんですがどういった背景があるのでしょう

1 大戦後半では十分なローテーションを取る暇もなく
 連続出撃を行った。
2 敵がやたら多かった。
負けが込んでくるほど一握りのエースを輩出する傾向が強い。
(57:616)
一番の原因は人使いが荒かったこと、戦域が比較的狭いということでしょう。
連合軍の場合、ある程度優秀なパイロットは後方に引き下げて、教育部隊に
配属されることが結構ありましたが、ドイツはとにかく前線で使い続けました。
また、戦域が太平洋などと比べて狭く(陸地でもありますし)、そのことも日本
や米海軍・海兵隊のパイロットの撃墜数と比べても多い原因だと思われます。

余談ですが、西部戦線の米軍のパイロットのなかに、上官のやっかみをかって
しまい、死なせることを目的にしょっちゅう出撃させられたパイロットが、エース
になってしまったという話もあるそうです。
(57:617)

大戦頃のドイツ軍て、戦車とか自走砲の背中に見張りを乗せる事ってあったんですか?

移動や連絡のために擲弾兵を乗せることはありましたが、見張り専用の人員を
立たせるという事はありません。
(野砲や迫撃砲の破片でぶっ飛ばされますがな。)
(58:624)

装甲擲弾兵がどのように運用されたのか、良くイメージが沸きません。

装甲擲弾兵に特別なイメージを抱かれているようですが、
装甲擲弾兵は1943年以降、戦意高揚の為に歩兵(Infanterie)を
プロイセン時代の擲弾兵(Grenadier)に改名した際、
自動車化歩兵(Motorisierte-Infanterie)を装甲擲弾兵(Panzergrenadier)と改名したものです。

1.比率というのがわかりませんが、参考までに言えば
 戦車師団は戦車連隊1個・装甲擲弾兵2個その他の兵科
 装甲擲弾兵師団は装甲擲弾兵連隊2個、戦車大隊1個にその他の兵科
 (一部は装甲擲弾兵連隊2個、戦車連隊1個)で編成されていました。
2.自動車化歩兵と変わりはありません。
3.状況により変わります。
4.ドイツ軍が諸兵連合を戦争前から採用し、また戦中連合軍がそれを参考としたように
 戦車の単独運用は死角の多い戦車には危険な運用です。
 単独運用の例としては、ノルマンディー戦の折、ソード橋頭堡に対し第22戦車連隊が
 単独の攻撃を行っていますが、カナダ軍の対戦車砲により大損害を蒙っています。
(61:335)
戦車単独で陣地攻撃するのは相当困難。
塹壕に潜り込んだ敵兵を追い出すにはやっぱり味方の歩兵がいないとヤバイ。
あとは・・・敵兵が戦車に接近するのを防ぐとか。
(61:354)

ドイツ海軍の編制を教えて下さい。

国防軍総司令官
  |
  +→ 海軍総司令官(海軍司令長官)
       |
       +→ 海軍総司令部(総務局、防衛局、管理局、作戦局、装備局、艦船局)
               |
               +→ 東部管区
               +→ 北海管区
               +→ 東海管区
               +→ 潜水艦部隊(Kiel)
               +→ 偵察部隊(Kiel)
               |     |
               |     +→ 魚雷艇部隊(シュヴィーネミュンデ)
               |     |      |
               |     |      +→ 防備部隊
               |     |      |
               |     +→ 掃海艇部隊(クックスハーフェン)
               +→艦隊(Kiel)  
               |   |
               |   +→大海艦隊
               |   |
               +→装甲艦部隊(ヴィルヘルムスハーフェン)
               +→ドナウ舟艇隊(ドナウ川)


続き

●大海艦隊
  戦艦(個艦行動)
  巡洋戦艦(個艦行動)
  巡洋艦部隊(個艦行動)
  駆逐艦部隊(第1~第8/うち、第1~3は1940年まで、4は1940年までと42年から、5以降は1940年から編成)
  水雷艇部隊
   (第1~第10/うち、第1は1941年まで、第3は1941年から、第4は43~44年、第6は41年までと43年~44年、第7は40年のみ、
    第9は43~44年、第10は44~45年で第8は欠番)
  魚雷艇部隊
   (第1~11、21~24/うち、第1、3、7、21、22、24は1943年以降、23は欠番)
  特設巡洋艦(個艦行動)
  補給艦(個艦行動)

●防備部隊(略歴は以下省略)
  掃海艇部隊(第1~34、36、38、40、42、44、46、52、54、56、70掃海隊/うち20は戦後編成)
  機動掃海艇部隊(第1~17、21、25、30艇隊/うち、25は戦後編成)
  特設掃海艇部隊(第1~6、8艇隊)
  沿岸防備艇部隊
    哨戒艇部隊(第1~20、51、53、55、57、59、61、63~68艇隊)
    監視艇部隊(第1~6、8~16艇隊)
    駆潜艇部隊(第1~3、11、12、14、17、21~23艇隊)
    護衛艇部隊(第1~5、第30~31護衛隊)
●潜水艦部隊
  潜水艦部隊(第1~14、18~27、29~33潜水隊/うち、19~27、31、32は練習潜水艦部隊)
(133:眠い人 ◆gQikaJHtf2 )

ドイツ軍はマルタとかスターリングラードで大量に輸送機を失っていますが、簡単に補充が効いたんでしょうか?

ルフトヴァッフェは、スターリングラードへの空輸作戦のために集められる
あらゆる輸送機をかき集め、その総数は850機に達しました。
不足する機体やパイロットを補うために、訓練学校から人員・機材を引き抜くことまで
行っています。

しかし、厳しい寒さや悪天候、未整備の滑走路やソ連側の対空砲火などに阻まれて損耗は激しくなり、
1943年2月の第6軍の降伏までに488機が失われてしまいました。
この損失を埋める生産をドイツでは終戦までついに行うことが出来ず、さらに教官や生徒を
失ったことで輸送機乗員の養成が滞ることになってしまいました。
(148:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

ゲーリングが降下猟兵に固執していた理由はなんでしょうか

自らの権限の拡大と保持のため。
ナチスってのは、ヒトラーの独裁政権であると同時に、
非常に上層幹部の封建領主的な性格が強い。
ゲーリングの空軍&航空産業やヒムラーの親衛隊のように、
案外にヒトラーが執拗に介入してこずに、自らの「王国」のように
振舞える領域があったわけです。

彼らにしてみればその「王国」を拡張したい。
特に、ゲーリングは戦前は国防大臣になるのを渇望していたように、
国防軍(陸軍)もその傘下に収めたがってました。
(その当時の国防大臣ブロンベルクに陸軍関連の経験や知識を半可通呼ばわりされて、
一蹴されてしまいましたが)

そこで、新兵種たる落下傘降下兵(降下猟兵)が設立されたときに、
あの手この手で、自らの「王国」である空軍の管轄にしちゃったわけです。
で、一度、手に入れた権限は絶対に離そうとしない。
むしろ、そこから空軍管轄の陸上兵力を拡大するという行為におよび、
空軍野戦師団やら、ヘルマン・ゲーリング装甲師団やらも生まれてくるわけです。
(260:448)

ドイツの砲兵戦力はどの程度だったのでしょうか?

第二次世界大戦当時のドイツ軍の師団砲兵は、軽大隊三個と重大隊一個で、
それぞれ10.5cm軽榴弾砲と15cm重榴弾砲で編成されていました。
また、歩兵大隊に所属する二個砲兵中隊が7.5cm軽歩兵砲6門と15cm重歩兵砲2門を
装備していました。

ところが対ソ戦が始まってみると、主力野砲だった10.5cm leFH18と15cm sFH18は
ソ連砲兵の主力装備である107mmカノン/152mm重榴/152mmカノンに完全に
アウトレンジされてしまいました。
そこで改良型である10.5cm leFH18Mを投入したり、自走化によって射程の短さを補ったりしました。
後継砲の開発にも踏み切っていますが、終戦までに完成しませんでした。
さらに生産量の不足が拍車をかけ、多くの歩兵師団では鹵獲した野砲が支給されていたりしました。
カノン砲(重砲類)と榴弾砲を一緒に師団レベルで運用していたのはドイツだけだったと聞いたのですが、
カノン砲と榴弾砲を一緒に師団レベルで運用していたのは帝政ドイツの時からです。
当時は野砲として7.5cmFk16カノンと10.5cm leFH16軽榴弾砲を運用していました。
再軍備後の国防軍では軽野砲の口径を10.5cmに定めたため、新型カノン砲として
10cm sK18重カノン砲(52口径10.5cm砲)を1933年から生産しました。
しかし、重榴とほぼ同じ重量(5.6t)や威力の低さから次第に第一線から退いて
沿岸警備用にまわされています。

諸外国でも威力が半端なのか10cmクラスのカノン砲はあまり用いられていないようです。
(242:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

ドイツが何故空母を持とうとしたのか、どう使うつもりだったかなどが知りたいのですが

1933年のヒトラーによる政権奪取後、海軍は軍備拡張を考えますが、そのときに
"Carrier Gap"について憂慮しており、その頃から空母に対する基礎研究を行って
いました。

1933~34年に掛けて最初のデザインが作られます。
このときは22,000tで35Kts、50機の航空機を搭載するものでした。
ただ、ドイツはVersailles Treatyによってこういった兵器の開発を制限されていました
ので、基本設計というかスケッチ程度で終わっています。

1935年に、英国との間で英独海軍条約が結ばれますが、このときに英国の空母の総トン数の
35%である、19,250tを空母用に確保しました。
これを元に、再び設計が行われます。

このときの設計方針は、水上艦の支援として通商破壊戦に乗り出す関係上、水上戦も行える
べく、重巡洋艦並の装甲を持ち、夜戦では駆逐艦に対抗可能なように、軽巡洋艦並の砲を持つ
と言うものでした。
ただ、この砲力重視という点は、航空機の運用が空軍に任さざるを得ない点があり、しかも、
空母の運用をしたことがないため、仕方ない面もありました。

Z計画全般については、色々な艦船系の雑誌などでしばしば取り上げられています。
25年くらい前の世界の艦船にあったドイツ海軍特集には結構まとまった記事がありましたね。
(163:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツ軍は元帥がやたら目に付きます。ヒトラーの政策でたくさん任命されたんでしょうか


ドイツ陸軍は開戦前元帥は国防軍最高司令官だったブロンベルク一人だった。
開戦後、ポーランド戦役における功労を讃えるということで一気に9人の上級大将を元帥に叙任。
以後どんどん元帥を増やしていった。
陸軍に対する懐柔と、元帥という地位を相対的に低下させようという目的があったとも言われている。
なお元帥になると終身年金、副官と当番兵、個人事務所、地位の象徴である元帥杖が与えられた。
どちらかというと名誉称号的な意味合いが強い。

ゲーリングの国家元帥という称号は彼一人の為に作られた。
(229:423)

WW2時のドイツ海軍の艦名の命名基準ってどうなっていたのですか?

戦艦、空母、重巡洋艦は、政治家もしくは軍人の名前(例外はGraf Zeppelin)、
軽巡洋艦は都市の名前、駆逐艦は、国家社会主義労働者党の関係者の名前が多かったのですが、
途中で、Z+連番に変わりました。
水雷艇は、猛禽類や猛獣の名前ですが、途中からT+連番に変わっています。
残りのものは練習艦を除き、英数字+連番になっています。
(229:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツ海軍の旗が鍵十字入りのものに変わった正確な年月日を教えて下さい。

1933年にHitlerが政権を掌握すると、黒赤金の組み合わせは廃止され、黒白赤の旧国旗が復活します。
黒赤金の組み合わせは大統領旗に僅かに残りますが、それも、Hindenburgの死去により、1934年に廃止されます。
1935年、国家社会主義労働者党の党旗を掲げたドイツ船が、米国内のユダヤ人圧迫政策に反対する集団に襲われ、
党旗を毀損したことがきっかけで(この時、米国政府は、この旗は「党旗」であって「国旗」にあらず、と判定して、襲撃者
を起訴しませんでした。

このことも一つのきっかけとなって、1935年9月15日の党大会で、独裁権を手にしたHitlerは、その法令第一号で、国家
社会主義労働者労働党旗をドイツ唯一の官用・公民旗となりました。
(202:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ロンメルが兵站に対してまったくの無知であったと書かれているのですが、これは事実なのでしょうか?

「ロンメルは最高の中隊長であったが、最低の師団長であった」とは戦後の証言でよく言われること。

 ロンメル元帥が優秀な指揮官であった事は間違いない。
 だが、それは最前線で部隊を率いる「前線指揮官」としての優秀さであって、高位の指揮官に要求
される、「組織を運営する能力」がロンメルには不足していた。

 なんというか、「この地形で敵部隊の後方に廻り込むにはどうすればよいのか?」といった事を発想
するのは得意だったが、「一万人の兵士を一週間行動させるには最低でも21万食の食料が必要で、それ
を輸送するには*台のトラックもしくは貨車が必要で・・・」といった事を考えたり想像したりする能
力が乏しい人だったようだ>ロンメル元帥

もっとも、その辺を司令官に替わって考えて計画を立てるのが参謀の仕事な訳で,ロンメルの幕僚だっ
た人間が戦後その事でロンメルを批判するのは、ちょっと間違ってるような気はする。

「補給戦」の中にそのものズバリ「ロンメルは名将だったか」という章がある。
中身としては、北アフリカ軍団が補給不足で悩んだ原因として一般的に言われる
イタリア海軍の努力不足や本国の支援不足といった問題は不当なものであり、
補給不足の主要な原因は
1.ヒトラーおよびOKHからの再三にわたる制止を振り切り
  長距離進攻を行ったロンメル(OKHでは「あの基地外」呼ばわり)
2.1の結果として生じた港湾不足および荷揚げ能力の不足
3.1の結果として生じた余りにも長大な陸上輸送距離(主な輸送手段は燃料食いのトラック)
であるということを具体的な事例と数値を出して示している。
ざっくり要約しており、見逃してる点があるかもしれないので是非元の本を
確認して欲しぃ。
(206:881-891)

スラブ系のドイツ軍人は「優秀なゲルマン・劣等のスラブ」が喧伝されてたヒトラー時代に差別されたりしなかったの?

ドイツ国防軍とその母体になったプロイセン軍の将校はスラブ系のユンカー(地主小貴族)が多い。
彼らは主にプロイセンの拡張期に帰化したポーランド人の子孫だけど、自分たちはドイツ人であるという
意識が強く軍や祖国に対する忠誠心も強い。
軍の中核層だから排除なんかできないし、彼らもポーランドやソ連の侵攻時に相手に手心を加えたりはしていない。
またオーストリアも帝国時代は多民族国家だったのでスラブ系やハンガリー系の姓を持つ軍人が多くいる。

もっとも親衛隊だとスラブ系姓ではさしさわりがあるのでフォン・デム・バッハ=ツェレウスキーのように
後半分をとってフォン・デム・バッハと改姓した人もいるけど。

ちなみにドイツに侵攻されたポーランド軍にはドイツ系の軍人が多く、その中にはロンメルの遠い親戚(とも言われる)
同姓のユリウス・ロンメルという将軍もいる。
(724:581)

ドイツ空軍の少年航空兵について教えて下さい。

年齢/14歳:68% 15歳:32%
親の職業/一般労働者:28.8%、専門職工:15%、手芸職人:25.1%、会社員:16.1%、官吏:11.8%、無職:3.7%
農業労働体験者:1.9%
兄弟姉妹数/一人っ子:18.2%、1人:29.1%、2人:21.6%、3人以上:31.1%
両親の有無/片親:8.4%、孤児:1.3%
(しょうもない知識を披露するスレ11:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


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