日中戦争


全般

フライングタイガースって、ほんとに日本軍を圧倒してたの?

シェンノート手記だと圧倒的すぎて、めっちゃ腹が立つんですが。。。
対戦闘機戦では圧倒的というほどでもなかったと思いますが、爆撃機をずいぶんと食っていたようです。
部隊の規模の割りには撃墜数も多かったようですし、戦死者も少なかったので
そういう意味で圧倒的とも言えるのでは?
(2:715)

「支那事変」というのは櫨構橋事件から始まる中国との戦争全体を指すという認識でいいんでしょうか?それとも何か明確な定義があるんでしょうか?

ここで支那という言葉を使っているのは、中華民国という国家との戦争状態は認めたくないという意図が働いていたのだよ。
ある種の婉曲表現ね
(8:862)

南京でみせしめ的に何人か処刑したとして、後は「やっておしまい!」と機関銃でバリバリってやんないと30万人も殺せないのでは?

機関銃でやっつけ仕事しても何百万発もの弾薬を消費せねば、終わんないよね?
技術論なりそういったものとしては不経済ですし不可能の部類に入るでしょう。
このスレの初期でそのような論議・結論がでておりますので参考にされては?

南京大虐殺を検証するスレ
ttp://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=997940979

実際の虐殺数などはまともな調査報告が行われていないゆえ、堂堂巡りで、
藪の中でしょう。
(9:913)

中国で行われた三光作戦というのは結局中共のデマだったんですか?

日本軍が三光作戦という作戦を行なったのではなく、中国が日本軍の行動をそのように呼んだのです。作戦という単語の意味が日本語と中国語で異なるのが混乱をまねいている原因ですな。
日本軍に三光という名前の作戦がないから、残虐行為がなかったという事にはならないので注意。
(56:315)
三光作戦は、中国共産党の中国人向けプロパガンダという側面もある
(56:323)

南京大虐殺では、結局何人虐殺されたんですか?

諸説入り乱れて良く分からんのですが
虐殺否定と30万人説は完全に否定されていますね。

捕虜や便衣兵を揚子江沿岸に連行して射殺・刺殺した件に関して。

まず、虐殺否定説では、その論拠である「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」によって、その殺害は交戦の延長
としての戦闘行為、そして、便衣兵は捕虜の資格がないので殺害しても不法殺害にならない、としている点。
これは、武装解除している捕虜・便衣兵を自己の管理下に置いていながら、それを殺害するのは戦闘の延長
とは言えず、叛乱を起こしていない限り、不法殺害となる。
また、第一線部隊ではその処断権限はなく、軍法会議あるいは軍律会議の判決により処断すべしと言う、国際
的慣習であり、現に上海派遣軍、中支那方面軍、第十軍に軍律会議があるので、勝手に処断できないはず、
と言う論旨。

また、下関付近での包囲撃滅戦、揚子江を船や筏で逃げる兵士を射殺したのは、ハーグ陸戦規則の第23条ハ項
を根拠にしているが、これは、「武器を捨てまたは自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を禁じており、
降伏の意思表示を示さずに逃亡する敵兵はこれに当たらない、としている。

その人数に関しては、「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」での数値を論拠に、30万人説を
打ち出してはいるが、日本側の証言・史料からは、第9師団歩兵第7連隊の安全区掃討作戦による
便衣兵殺害の6,670名、第16師団第33連隊の太平門、下関、獅子山付近の捕虜3,096名の殺害、
山田支隊の幕府山付近に於ける捕虜など数千名、第十六師団第30旅団が南京西部地区警備中に
捕らえた敗残兵数千名、第114師団第66連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた捕虜1,657名をそれぞれ
殺害しており、日本側は都合20,000名であり、民間人の死者は、金陵大学のSmythe教授の調査によって
(但し、これは推計の範囲を出ないと注記している)南京市部における暴行死者2,400名、江寧県の被殺者
9,160名。

これに加えて、第16師団歩兵第38連隊の捕らえた捕虜7,200名を南京に護送して収容。
第6歩兵師団歩兵第45連隊第2大隊が5,500名の降伏捕虜を釈放、国崎支隊の歩兵第41連隊が、2,350名の
捕虜を武装解除後、釈放。
また第16師団歩兵第30旅団が2,000名の便衣兵を収容している。
この何割かが死亡したとしても…。

当時、南京にいたのは、中国軍の南京守備隊は実質兵力10万人弱、民間人は避難民が続出して、残っていた
のは15~30万人。
30万人説だと、南京に誰もいなくなってしまう訳だが、実際には20万人以上の人がいる。
従って、差し引き10万人以上であり、その数割は逃亡したか、中国軍に殺害されたか、病死したかしたとすれば、
数万人というのが妥当な線…(ちなみに、秦氏は4万人説を唱えている)。

後は、埋葬記録の矛盾とか百人切りの虚実についても史料を挙げて反論している。
結果、虐殺はあった。だけど、数十万人規模のものはなかったと言う形です。
(123:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日中戦争当時の中国には石油はとれたのですか?

国内では秋田、新潟、秋田、それと台湾、樺太から産出しています。
但し、1936年の段階で、国内産346,947Kl+海外から輸入し国内で製油したもの1,278,550Klです。
対する輸入額は2,570,381Klで、合わせて4,195,878Klとなります。
僅か8%しか国内産では賄えません(需要は4,157,650Kl)。
即ち、輸入途絶、即国家的破局の状況です。

中国からは主に石炭液化による人造石油工場が、朝鮮、満州に建設され、
これで低質重油100万トン、揮発油2万トンが生産される形でした。
また、油母頁岩によるオイルセールより、満州にて粗油15万トンの生産が行われています。
但し、これらはいずれも低質油、粗油であり、ガソリンの様な高品質のものは殆ど作れませんでした。

1939年までに日本は5139.8万バレルまで備蓄を行いますが、1941年の開戦時には4300万バレルまで落ち込んでいます。
これは経済封鎖により、石油製品輸入量が、14%にまで激減したためで、ずっと続けられると、それこそジリ貧状態でした。
(40:眠い人 ◆ikaJHtf2)

フライングタイガースの戦果に関してよくいい加減だとかいわれますけど、実際のところ部隊としての質はどうなんですか?

それと日本軍にどの程度の損害をあたえたんですか?
まずフライングタイガースは正規部隊ではなくてあくまでも義勇航空隊だということを
覚えて置いてください。
正式名称はAVG(アメリカン・ヴォランティア・グループ)です。一種の傭兵みたいなもので、
敵機を撃墜すればボーナスが出たのでパイロットはみな大げさな戦果を申告したそうです。

しかし、決して部隊の質が低いわけではなく、中国戦線・ビルマ戦線で日本機相手に
互角の戦いを繰り広げております。
(42:801)

後に日本巡洋艦となる八十島、五百島ですが、中華民国時代の平海、寧海の揚子江での沈没は水平爆撃でしょうか?

破口や浸水状況を見る限り、急降下爆撃でやられた訳ではなさそうです。
擱座についても、爆撃による撃沈を避けるために揚子江の浅瀬に乗り上げた
そうですので、急降下爆撃ではそういう状況では完全に破壊されますし。
(62:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦争末期、旧帝国陸軍が敢行した「一号作戦」について詳しい方講釈願います。

詳しくは無いですが、レスがついていないようなので。
いわゆる「一号作戦」は、そもそも蒋介石政府の継戦意図をくじくため重慶を攻略する作戦
だったのですが、太平洋方面の戦局の悪化や中国基地からのB29の空襲の激化などの戦局の変化に伴い
  • 中国を南北に貫く回廊を形成する事で本土と南方の陸上交通路を確保する
  • 米空軍B-29基地の覆滅
  • 重慶軍の撃破と継戦意思の破砕
といった戦略目標が設定され、支那派遣軍麾下の第11軍を主力とした部隊が
1944年(昭和19)4月より進出を始めました。
45年1月の作戦終了までに多数の米軍航空基地を占領したほか、打通による回廊の形成など
作戦は一定の成功を収めましたが、B-29の基地がサイパンに移った事や確保した回廊による
輸送が実際には行えなかった事など戦略的な目的を達成できたとは言えませんでした。
(67:名無し軍曹)

日本と中国が戦争してた頃の本を色々読んでいるんですけど、当時の中国の地名が全然、分かりません。

http://www.rockfield.net/kanbun/classicmap/pdf/12_02.pdf
当時の中華民国の行政区分だけならこの辺り参照。
(70:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

南京虐殺事件のレポートを書いたされるティンバリー報告は1次史料でしょうか?

ティンバリーの著作はティンバリーが編集したものであり、一次史料ではない。
ただし元となった手紙その他が入手できず、かつ編集に信頼がおける場合は史料の価値が高い。
信頼できるかどうかは政治的・思想的意図での検証しか見ていないので個人的には判断できない。
(80:691)

15年戦争時、中国軍機(民国・軍閥含む)が日本本土に飛来したことはあるのですか?

戦史叢書「本土防空作戦」より引用

中国機の九州来襲

 昭和13年5月、大陸戦線においては徐州会戦が行われ、同月中旬に中国軍は徐州から退却した。
 5月20日午前4時ごろ、熊本、宮崎両県下上空に国籍不明1機が現われ、太平洋上に機影を没した。
その航跡にほぼ一致する地域に「日本労働者諸君に告ぐ」と題する激越な反戦的内容のビラが散布
されていた。このとき警報措置は執られなかった。
 次いで同月30日2100、国籍不明2機が鹿児島南端から九州に侵入した。西部防衛司令部において
は2214警戒警報発令、2252空襲警報発令ををラジオにより放送した。国籍不明機は2230熊本市付近
上空を経て、1機は宮崎県上空に、他の1機は福岡県上空に到り、いずれも2320海上に機影を没した
ようであった。このとき、わが方に被害はなく、また宣伝ビラの散布も認められなかった。

※ 台湾では、昭和13年2月23日に台北と新竹が空襲されている。
(326:316)


なぜ日中戦争は「支那事変」「日華事変」と呼ばれることがあるのですか?

 当時,宣戦布告がない武力衝突は須らく,事変と呼ばれていた.
 日中戦争もそうだ.日中の間に宣戦布告はなかった.
 そのため,最初期には「北支事変」,次いで「支那事変」と称された.日華事変という呼び方は,公式のものではないが,当時のマスコミで使われることがあったものだ.
 今でも防衛庁防衛研究所戦史室では「支那事変」と呼ぶ.厚生労働省でもそうだ.

 では何故,日華事変さえ宣戦布告出来なかったかと言うと,当時の米国の議会では,戦争当事国には戦略物資の輸出を禁じる法案が可決されていたからだ.
 日本は米国の石油,鉄に頼っている状態なので,「日本はあくまでも戦争では無い」と言い張る必要が有ったのだ.

 これは米国その他から軍事援助を受けている蒋介石政府にしても同じこと.
 国際法上,第三国は交戦国に対して軍事援助する事はできない.
 なので中国も日本に宣戦布告できなかった.

 蒋介石が対日宣戦布告するのは,日米開戦の直後になる.

小林よしのりの『戦争論』に『支那事変(日中戦争というのは正確ではない)』って書いてあったんですが,どうして正確じゃないんですか?


 日中戦争という場合,日本と中華民国+中国共産党軍との戦争全体を指すことになります.
 しかし歴史的には,これらの戦争はいくつかの期間に分割して呼称が付いています.

 満州事変,上海事変はほぼ連続して発生し,講和は一括しておこなわれていますが,武力衝突が起きた場所が違うので,別に呼ばれています.
 盧溝橋の武力衝突に始まる北支事変と第二次上海事変は連続して起き,総称して支那事変と呼ばれるようになりますが,この戦争は第二次大戦の終結まで継続します.
 日中戦争という呼称は,これらの区分を無視して全体を継続した戦争であったように呼んでいる点で,問題のある呼称ということです.

(世界史板)

日華事変の最中、数で優勢な中国軍が日本軍相手に負け続け日本軍が一方的に攻め込めた理由は?

毛沢東語録の軍事戦術を扱った項目によると、当時の中国の(共産党)兵力と日本の兵力は
10:1なので自軍(八路軍)の損害が日本軍の10倍以内なら自軍の勝利とある
日本は「勝った」と思っていたが、実は敗戦続きだったわけで、だから点しか確保できなかった
(575:299)

南京で武装解除の上で解放というのはあくまで兵士に限り、士官は捕虜として捕虜収容所送りになったという話を聞いたことがあるのですが、実際捕虜収容所はあったのでしょうか?

中国との戦争に於ては宣戦布告を為していませんので、戦闘中に捕虜となった者についての
扱いは国際法に則っていません。
従って、軍政系にて設置されるべき捕虜収容所は用意していません。

こうした人々は指揮官にその扱いを一任し、指揮官は、時には武装解除の上解放したり、軍夫
として使役したり、場合によっては処刑したりしています。
よって、その実数は不明です。
1938年以後は、中華民国は盟邦になりました(汪精衛政権樹立のため)ので、降伏した軍人は、
結構な数が、「中華民国」軍の兵士に編入されています。
(332:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

中国戦線で青龍刀と日本刀での白兵戦があったと聞きましたが、細身の日本刀は太い青龍刀に叩かれたら簡単に折れてしまったんでしょうか?

本来、日本刀で刃と刃をぶつけ合う鍔迫り合いなんぞをやってはいけない。
そんなことをすると刃が欠けるし簡単に折れる。

日本刀はよほどのものでもない限り構造的に衝撃に弱い(峰で受けるのも駄目。
刃で受けるよりももっと簡単に折れる)ので実際の戦闘用にはあまり向いてない。

日本刀様式で作ってない軍刀(ややこしいが要するに玉鋼を鍛えて異種金属組み
合わせ方式ではない”日本刀の形をした刃物”)は曲がることはあってもそうそう
折れたりはしなかったみたいだけど。
(355:21)

日中戦争の話でなくなるが、中国の金属精錬技術は
安土桃山時代に既にかなり遅れており、材質強度の問題で
日本刀に青龍刀が打ち負けて折れるという事態が発生し文献記録にも存在している

それに、青龍刀は凄い刃と言っても実際には厚みが薄いのと
日本刀も見た目よりも厚みがあったりするという関係で、
青龍刀は案外弱かったりする
(つけたしすると、青龍刀に限らず中国の刀剣は刀身が薄くて『しなる』ものが多い
という形式で作ってる事が多いからってのもある)
(614:605)

今朝の読売新聞の社説に、「日中戦争は計画的な侵略ではなかった」ってあったけどマジ?

盧溝橋事件が偶発的だったとしても、その後の一連の作戦も全部偶発的なの?
そういう意味では一貫した計画を建てて始めてそれに従って進めた戦争では全くない。

日中全面戦争に至った直接のきっかけは盧溝橋事件ではなく第二次上海事件。
上海の日本人租界を国民党軍が包囲し攻撃を始めたため、
日本も反撃して上海要塞線と南京を占領するという一連の軍事行動に繋がった。

首都の陥落で蒋介石の面目が潰れたことが和平の妨げになったり
米英が中国を支援することを決めたことなどで
その後泥沼の長期戦に移行していったが
日本としては当初からそういう結果を望んで作戦していたわけではなかった。


日本資本排斥を止めて優遇させようという程度の目標と、
一発痛い目に遭わせれば、蒋介石が泣きを入れるだろうくらいの漠然とした見通ししかない。
この程度の筋であっても政府と陸軍、海軍で一致してたわけではないし、
南京攻略戦から先は、とにかく戦争をとっとと終わらせようと、あがいてるだけ。
英米との緊張が進んで、南部仏印進駐あたりの海軍の策動は、
海軍の頭としては戦略的かもしれんが、もう日中戦争としては終わりのころだしな。

なお、中国側の言う計画的ってのは、いわゆる田中上奏文に基づいた世界征服計画ね。
これは、今では日本はもとより、ロシアも含めた欧米各国では偽書としてけりがついてるやつ。
(614:531-533)

重慶爆撃は無差別爆撃ですか?精密爆撃ですか?

途中から市街地の対空砲陣地を制圧するため無差別爆撃が行なわれるようになった。
根拠は飛行隊指揮官巌谷二三男の証言。

「六月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、
重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状
況となったので、作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。
すなわち市街東端から順次A、B、C、D、E地区に区分して、地区別に絨毯
爆撃をかけることになった。」
(619:747)

英米の中国への支援が本格化したのはいつから?

満州事変の段階から?
満州事変の段階では英米は日本を批判してもだからといって
中国に肩入れしていたわけでもない。
ソビエトが外蒙古を共産化し、日本も満州を衛星国化したが
英米は無論、中国自身も手出しが出来なかった。

英米の実際の中国への支援が本格化したのは1937年の盧溝橋以降で
アメリカに至っては武器貸与法が出来た1940年になってから。
満州事変の段階では日本への懸念の声明に止まり中国への支援を強化したり
日本への制裁を断行するほどの気構えは無かった。
じゃあいつから支援し始めたの?
援蒋ルート(蒋介石を援助するためのルート)
日中戦争(支那事変)に於ける大日本帝国と中華民国の対立の際、
主にアメリカ、イギリス、ソ連が中華民国を軍事援助するための輸送路のことである。
中華民国は謀略を駆使して国際世論を味方につけてアメリカ合衆国から支援(援蒋ルート等)を引き出した。

アメリカは中華大陸の利権確保目的と戦後、日中両勢力の疲弊を狙い、
援蒋ルートを通じて中華民国に武器を始めとする軍事物資と人材(訓練教官の派遣など)の提供を行った。

アメリカ・イギリスが直接、中華民国に支援したのは日中戦争から。

援蒋ルート(香港ルート)
香港に陸揚げされた物資を鉄道や珠江の水運を利用して中国大陸内陸部に運ぶルートだったが、
1938年10月に広州を日本軍に占領されると遮断。
援蒋ルート(仏印ルート)
フランス領ベトナムのハイフォンに陸揚げされた物資を昆明まで鉄道輸送するルートだったが、
1940年の北部仏印進駐時に日本軍によって遮断された。
援蒋ルート(ソ連ルート)
モンゴル共和国から内モンゴル自治区へ入り、重慶へトラック・馬車で通じるルートだが、
早々に日本軍・蒙古連合自治政府が遮断、以後はカザフからウイグルに入り、
重慶にトラック・馬車で通じるルートだけになるが独ソ戦が開始されると物資の供給が途絶えた。
援蒋ルート(ビルマルート)
新旧2つの陸路と1つの空路があり、ビルマのラングーンに陸揚げした物資をラシオ(シャン州北部の町)まで、
鉄道で運び、そこからトラックで雲南省昆明まで運ぶ輸送路であったが日本軍が全ビルマを平定した、
1942年に遮断された後、イギリスとアメリカはインド東部からヒマラヤ山脈を越えての空路に切り替え支援を続けた。

援蒋ルートで最大規模は仏印ルートで、軍事援助品の約半分を補っていた。
(対ソ戦に全力を上げるべきだった:742-750)

ビルマ作戦後も国民党政府が継戦能力を維持できた理由は?

ビルマ作戦により雲南方面の援蒋ルートは戦争のほぼ全期間において遮断されました。
(ビルマルート切断は1942年5月、レド公路の打通は1945年1月)
代替のヒマラヤ空輸ルート(ハンプ越え)は、月間約1万トン程度の輸送能力。
また、対米開戦の時点で中国の生産能力は約80%喪失していたとも聞きます。
太平洋戦争勃発後は米国は大手を振って、ソ連や蒋介石軍を援助出来ました。

よって、ソ連経由蘭州を経て物資が蒋介石軍の元に流れ込むことになりました。
また、武昌陥落を見越して、支配地域の工場の機械類を奥地に運び込み、そこで工場を稼働させたりしています。
1940年頃には既にトラックや武器、弾薬の生産が開始され、1942年以降は航空機の開発すら行っていました。

とは言え、潤沢にこれらの物資があった訳ではなく、蘭州経由の補給については、ソ連が屡々これを流用するので、
蒋介石がソ連側に抗議をしているケースもあります。
また、物資に関しては結構逼迫した状況で、スティルウェルとシェンノートとの物資を巡る主導権争いが勃発して
いたりします。
また、蒋介石のドクトリンとしては、日本軍を出来るだけ奥地に引き込み、補給を絶った状況にしておき、連合国有利な
状態で最終決戦が行われるまで、徹底して自軍と日本軍との交戦を避けるよう命じています。

後、封鎖と言っても、中国の国土は些か広う御座んす故、点しかおさえていない日本軍の守備隊に対し、中国側の
封鎖突破は極めて容易で、特に、太平洋戦争勃発前には、香港と言う外国領土が中国本土にありましたので、
米国からやってきた物資は、まず、香港に陸揚げされ、其処から封鎖突破のジャンク船などで、本土に運んだり、
香港で、南方方面の貨物船に積み替えられて、公海上で物資を別の便船に載せ替えると言うこともしています。

真に物資が逼迫しだしたのが、ビルマルートと、香港ルートをおさえられたから、と言うのがあったりします。
(315:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日中戦争は中国側が先に仕掛けてきたんですか?

当時の国際法規から言えば、日中戦争で「侵略」してきたのは中華民国(国民党)。
でも日本も「自衛反撃」の範疇を超えて追撃したのに国際社会の許可を取らなかった。
なのでどっちもどっち。
ただ先に手を出したのは国民党側。
よく盧溝橋事件で、先に発砲してきたのは中国側だから中国が悪いという意見がありますが、
日本が中国に進駐していたのは問題がないんでしょうか?
よく誤解されているが、先に発砲してきたかどうかが問題なのではない。
国民党の方が、「日本を攻撃することを最高指導者が許可して攻撃計画を
立てていた」ことが問題。
盧溝橋事件は「相手を刺そうとナイフを取り出そうとしたら、相手に先に
ナイフを抜かれて刺された」という状況。

国民党(中華民国)は「塘沽(タンクゥ)協定」、っていうので満州国の建国と
日本軍の駐留を認めたことになっている。
(294:894-904)

日中戦争中「ライフ」や「タイム」は日本軍に不利な報道ばかりしていたそうですが、その理由は何だったんでしょうか?

なんで当時中国利権をめぐって日本と対立してたアメリカの雑誌が日本に対して公平で正当な報道してくれると思う訳?
「LIFE」も「TIME」もアメリカの雑誌なんだからアメリカ寄りの報道するに決まってるじゃん。
それにしたって蒋介石をマン・オブ・ザ・イヤーに選んだりと中国寄り過ぎませんか?
だって毛沢東を支持するわけないじゃん。彼は共産主義者なんだから。
蒋介石はとりあえず中国の正統な(この辺微妙)政府の代表なんだから、
中国に利権を求めるアメリカの雑誌としちゃヨイショしとくのは基本だろ。
繰り返すが、TIMEやLIFEが日本を擁護しても、何の利益にもならない。
そんな無益なことする商業出版社はいません。
米国内での国民党の広報活動が大成功を収めてたのも一因にあるけどね。

ロビイ活動は政治の基本。
蒋介石には対日・対共産党の戦略上、アメリカの支援は必要だったし
アメリカも経済戦略上、中国が日本の傀儡政権に支配されることは
絶対に阻止する必要があった。
両者の利害はほぼ完全に一致していたわけだ。

ついでに言うと、蒋介石がマン・オブ・ザ・イヤーに選出された
1937年(つまり日中戦争開戦の年)には、
既にアメリカは軍事顧問の派遣や金融融資など、
公然と蒋介石への支援を行っている。
日本はロビー活動はやっていなかったんですか?
ほとんどやってない。
その辺が不得意なのは昔から。
(291:399-411)

日中戦争のときにソ連は中国を支援したそうですが

中国空軍への支援の規模とソ連から派遣された義勇兵パイロットの数を教えてください。
戦闘機としては、1937年8月21日に中ソ不可侵条約締結に伴い、4個中隊のPolikarpov I-15が
引き渡され、その後、1938年には改良型のI-152が347機引き渡されています。
この機体は、第一飛機製造廠で忠-28乙として国産化されたものもあります。
有名なのは、Polikarpov I-16で、当初2個大隊分が引き渡され、南京失陥後にはI-16
Type6とType10が第4、第5大隊で使用されています。
その後、各型合計216機が引き渡されて、Hawkの後継機となりました。
また、I-153は1938年の重慶遷都時に、93機が引き渡されて、第3~5戦闘大隊に配備
され、零戦と戦闘を繰り広げました。

偵察機としては、Polikarpov R-5が1934年頃に地方軍閥へ先ず12機引き渡され、その後
100機程度が中央空軍に引き渡されました。

爆撃機は、1937年9月にTupolev SB-2が2個飛行大隊分送られ、その後、爆撃大隊に順次
装備され、最終的に292機引き渡されています。
大型爆撃機としては、TB-3が第8大隊19中隊に6機が引き渡されましたが、流石にこんな機体
での爆撃は無謀で、輸送機として使用されました(唯、2機が日本軍機に破壊されています。)
このほかの爆撃機は、Ilushin DB-3で第8大隊とソ連志願兵に対して、1939年に24機が引き渡され、
四川や武漢、それに渡洋爆撃も計画されました。

訓練機としては、Polikarpov I-16UTI-4を若干機、南川第二飛機廠で製造し、忠-28甲として用いた
ほか、Yakovlev UTI-2wo初等練習機として、1937年10月に中央航空学校で少なくとも4機が使用
されています。

こうして、1941年までに各型合計1250機に達しましたが、1941~43年頃に米国製機が
行き渡るに伴い、順次廃棄されています。

中国に派遣されたソ連軍人は、1939年2月までで3,665名です。
彼等は、ザバイカル軍管区とその周辺の軍管区と太平洋艦隊第9独立戦闘機大隊、
第32独立戦闘機大隊と言った海軍の所属も選抜されています。
この中にはスペイン内戦で撃墜15機の記録を持つエースも含まれています。

1937年11月に第一陣が送られ、12月2日にI-16戦闘機23機が南京に到着しました。
以降、日本軍と激闘を繰り広げ、1938年2月23日には渡洋爆撃を決行したと言う話も
あったりします。
この中から14名にソ連邦英雄の称号が与えられましたが、200名以上が戦死しています。
(290:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

何でドイツ参謀本部は日中戦争のときに中国を応援したの?

中国はドイツにとって古くは清国の頃からの商売相手。
兵器とかもわんさか買ってくれるし、希少資源の調達先もここ。
軍事顧問がいたのは戦時に将校の数を維持する為に国策で出張してもらったから。
(289:232)

なぜ日本は中国との戦争に固執したのですか?

中国を植民地化出来るというのならわかりますが、良くて汪兆銘の統一中国が誕生するだけですよね?
それってアメリカと戦うほど日本にメリットありますか?
基本的には永田の対中一撃論
貧困に喘ぐ農村に農地を提供するのと、市場と資源の確保もあった
だけど、陸軍は本当は南京落として終わりにするつもりだったんだよ
それを政府と海軍が陸軍を脅して戦争継続させた
で、英米からインドシナ経由で中国への支援が来たから、それの封鎖に仏印進駐したが、
アメリカが植民地に近すぎると戦争を辞さない構え

なんとかしろと海軍に言ったら、対米名目で貴重な予算を普段から湯水の様に消費してた挙げ句、
陸軍に戦争継続させた手前、無理とも言えず開戦
まあ、海軍の保身が要因の一つだな
アメリカと戦うほど日本にメリットありますか?
失業や、農業地域の所得問題といった目先の問題の解決が先。
米英を敵に回すとか長期視点どころじゃない社会情勢だった。

515事件や226事件の声明が見れるから雑学でもいいから一読してみることをすすめる。
また、当時の中国大陸は混乱していて、馬賊やら軍閥やら金銭制度やら、
中国以外の外国が介入しないとソビエト連邦の下請けかソビエト型の政権になる危険性が高く、
当時の帝国政府は中国大陸に望まない政権ができるのを避けたかった。
中国側が境界線の近くで現地帝国軍を挑発していて大陸の現地日中側ともに感情が悪かった。
済南事件1928年などで滞在していた(軍人でない)日本人が殺されるなど対中感情が悪く、日本本土の軍幹部や政府幹部の対中心情も微妙。

1937年のアメリカの世論統計でアメリカ市民は引きこもりに傾いていた(中国大陸からのアメリカ市民の引揚)。
一般市民日本人の被害についてはアメリカは日本よりの発言をしていた。一般市民の治安問題と、国家間の通商貿易や軍部の行動拡大、の混同。
日本側の対米外交の混乱(日ソ中立条約の後で、野村吉三郎・来栖三郎の"2人"が対米大使・対米特使)やらでアメリカの出方を読みきれなくなっていた。
小局(ソビエトへの防御、こっちを挑発する中国軍への威嚇)で正しいが、大局(英米への説明や通商会議や対米通貨協定や欧米での日本資産)に手が回らなくなっていたような気もする。

根気が続く限り、外交文書を読んだほうがより正確だろうけど、とりあえず。
(685:212-226)

国民党軍が受け取った日本からの賠償艦について教えてください

駆逐艦では、峯風級の波風、陽炎級の雪風、秋月級の宵月、松級の楓、杉、橘級の初芽、蔦
海防艦では、択捉級の隠岐、対馬、鵜来級の四阪、御蔵級の屋代、1号級の81号、85号、205号、
107号、67号、215号、40号、14号、194号、118号、198号、104号、192号。
砲艦の熱田、多々良、駆潜艇28号級の49号、1号級の220号、223号、7号級の9号、敷設艇の
夏島級黒島、旧イタリア艦の敷設艦興津、掃海特務艇1号級の4号、14号、19号、河用砲艦の
旧イタリア艦の鳴海、日本製の鳥羽、安宅、勢多、二見、伏島、墨田、旧ポルトガル艦の舞子、
橋立級の宇治、二等輸送艦103号級の172号、平島級敷設艇の済州が引き渡されました。

このうち、隠岐、四阪、海防艦81号、85号、14号、194号、118号、198号、河用砲艦の全て、駆潜艇
220号、223号、掃海特務艇4号、14号は後に中華人民共和国に寝返ったり、捕獲されたりしています。
(138:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


日本側


“打通”って何ですか?

太平洋戦争当時の日本は中国を相手にも戦争していたわけですが、
都市とその周辺の点と線を維持していたに過ぎませんでした。

ところが、B-29が重慶などに進出するに及び、日本本土、満州空襲の可能性が増し、
昭和19年に、中国南北の交通を確保し、重慶軍を撃滅、B-29が使う可能性のある基地の占領を目的として、
一つの作戦を立てます。
これが、一号作戦またの名を大陸打通作戦と呼ばれる作戦です。

参加兵力約41万、自動車12,000両、馬匹67,000頭、作戦距離約2,000キロという支那事変以来の大作戦で、
一号作戦(大陸打通作戦)の目的は達成されましたが、何ら戦局に寄与することの無かったものでした。
(23:眠い人 ◆ikaJHtf2)
突破すること。普通は大陸規模の表現で使われる。
(23:282)
大陸打通作戦の第1の目的は、

近未来的に
南方資源地帯と本土を結ぶ海上輸送路がカットされる、
もしくは多いに輸送が妨害される
ことが予想されるので、
陸上輸送路を開通(打通)して
(インドシナから韓国までえんえんと中国国内を通って続くわけですね)
海上輸送路の代わりとする
と言う作戦。

補足して言うと、海上輸送と陸上輸送のコスト比較は、海上のがずっと有利。
(沈められなければ)
鉄道はかなり優秀だが、海上の比では無い。
自動車となると、ずいぶん高コストになって来る。
(41:574)

日中戦争の日本の目的ってなんだったんですか?

1. 満州の先にある広大で肥沃な土地を日本の独占市場にして、少々の
  不況に負けない国と言うか、蒙古~中国~朝鮮~日本~台湾を結ぶ、
  円貨経済圏を作ること。
2. 人口の大半を占める貧農を中国大陸に移住させて、人口問題の解決を図ること。

大きくはこの二つだったかと。
(53:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第二次上海事変で日本軍は敵前上陸したにも関わらず主武装は銃剣だけだったって本当ですか?

歩兵銃と軍刀ね
それであの大軍を防いだんだからすごいもんだ
(86:411)
呉淞上陸戦かな?
一応小銃弾は支給されていた模様。ただ、「火器に頼らずもっぱら銃剣によるべし」
という通達が出ていたのは間違いない模様。

要は防衛ラインの真正面に浸透戦のための兵力を揚げちゃった
(86:413)

日中戦争での日本軍側戦死者は?

 厚生省のデータでは戦死者18~19万人ぐらい.
 ただし,このデータは純粋な戦没者だけと思われる.

 研究者の三野氏によると,戦死者,行方不明,戦病死者,二度と軍務に復帰できない重症者をカウントすると,
12年5.1万人
13年8.9万人
14年8.2万人
15年4.2万人
16年4.1万人
という数字.合計 30.5万人.
 当時の日本の常備軍が70万人ぐらいだから半分に近い.

 ちなみに,べトナム戦争のアメリカの死者はすべて合わせても5.7万人.

 昭和12年ぐらいから戦費はうなぎのぼり.大変な国力の消耗であった.

 それでいて大東亜戦争始めちゃう.
 海戦が主であるのに,予算は半分こ.
 東条なんかは
「太平洋は,海軍の担当」
などとほざく始末.

(軍事板)

日ソ関係が悪化し始めたのは,いつ頃からか?


 1920年代の日ソ関係は普通に安定していた。
 当時のソ連内部では,東支鉄道を中心とする北満の勢力範囲を維持できるなら,日本の南満支配を認めるのもやむなし、という空気が強かった。
 これが悪化するのは満州事変で反共を掲げる「満州国」が成立し、日ソが緩衝地帯を失って直接国境を接するようになってから。
 要するに満州事変をやった結果,ソ連は極東地帯に初めて本格的に関心を寄せるようになった、ということ。

 事変以後に急増するようになる極東赤軍の配備状況がそれを端的に現している。
 第一この時期のソ連は干渉戦争や内戦からの復興問題もあって,あまり積極的な膨張主義的姿勢を取ることを避けており、それが膨張主義剥き出しの姿勢へ変化するようになるのはまだ先の40年代以降のこと。

(名無し四等兵 ◆clHeRHeRHo in コヴァ板)

中国のwikipediaを見ると日中戦争で日本の将官が沢山死んでいますが、これは本当なのでしょうか?

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%97%E6%97%A5%E6%88%98%E4%BA%89_%28%E4%B8%AD%E5%9B%BD%29
中国版Wikipediaの記述は戦死して昇進した大佐を少将としたり、病死、事故死、自決した将官を戦死としていたりと
記述に誤りが多くあります。
しかも一覧の最後に「以上戦闘による死亡のみで、病死や自殺は含まない」とわざわざ、但し書きが付いています。
おそらく戦果の水増しを狙った確信犯なのでしょう。
支那事変スレ5の472以降で詳しく検証されていたので、参考にしてみると良いでしょう。
http://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/log/1156432384.html
なお検証の結果、「戦死した将官」と断言できるのは9人ほどになります。
中国版wikipediaだと40人以上になっていますが(w

しかし大戦中、病死、餓死を省くと支那戦線の死傷率が最も高いとされています。
生前が大佐となると大体、連隊長クラスとなりますが、その辺りの戦死者が非常に多いのは事実です。
動員兵力もここが最大であった為、それに比例して指揮官の死亡者も多くなるかと。
(325:ue ◆WomMV0C2P.)

日本軍が重慶などに無差別爆撃しましたが爆撃の頻度はどれぐらいだったんでしょうか

1938年12月26日に、22機の陸軍爆撃機による重慶爆撃が開始され、以後、1939年1月7日、10日、15日に
それぞれ約30機により重慶爆撃を実施。
しかし、悪天候により戦果が芳しくなかった為、陸軍は以後撤退し、蘭州への爆撃を担当する様になります。

代わって海軍が担当し、5月3日に45機の陸攻で第1回爆撃を実施し、4日に27機が第2回、以後、5月、6月に
各2回、7月4回、8月6回、9月4回の爆撃を行います。

年を改めて1940年5月からは、101号作戦で陸海軍共同作戦を実施し、陸軍は重爆54機、海軍は中攻132機
の戦力で、9月までの間、海軍は述べ32日、陸軍は9日の爆撃を行います。
1941年夏期にも同じ様に爆撃が行われますが、以後は実施されず、最後に行われたのは、1943年8月の
陸軍航空隊によるものだけです。

天候に恵まれれば週1~2回、恵まれなければ月1回程度のペースです。
(533:680,眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日中戦争で、日本軍は延安に攻め込むことは出来なかったのでしょうか?

地図でみると日本軍の占領地域からわりと近いようですし(100kmくらい?)
重慶なんかよりこっちを先に叩けばよかったのに…と思うのですが。
率直に言うと舐めていたからです。
支那事変が始まるまで、中国共産党について知っているのは参謀本部でもごく僅かでした。
精々、馬賊、匪賊の類と言う認識でした。
更に国民党と連合した事も、現政権が軍閥との合衡連合によって出来ていた為、特に注視されていませんでした。
この認識が改められたのが1940年8月に始まった百団大戦による八路軍の大規模攻勢でした。
結果として八路軍を撃退しましたが、匪賊程度と思われた彼らが華北において深く浸透しており、
手強い相手であると認識を改め、これ以降、日本軍は八路軍に対する攻撃を強化していきました。

なお、この時期には農村への浸透を既に幅広く進めており、延安を落としたところでも、
国府軍同様に奥地に逃げ込まれるだけで、さほど効果がなかったと思われます。
追撃や包囲殲滅を行なえるほどの兵力を搾り出す余力も、日本にはありませんでしたし。
(345:ue ◆WomMV0C2P.)

中国において、餓死した日本軍の将兵は、結構いたんですか?

中国戦線は人口地帯を巡る戦いであり、補給戦もつながっていたから
純粋な餓死はほとんど無いと思われる(最悪その辺の村から徴発して…)。
一方で20万以上の戦病死は栄養失調を原因とする餓死の一種と主張する
する人もいる(戦争に戦病死はつき物なんだが…)
餓死が発生したのは主に南方の話で
島嶼において制海権を喪失して補給が絶たれたり
ジャングルで転戦を繰り返すうちに野たれ死んだりした
(558:モッティ ◆uSDglizB3o)

いたとしても特筆するほどではなかった。
海に囲まれた島なら制海権を奪われれば餓死あるのみだが
大陸なら陸路で策源地に繋がっているから補給はできるし現地徴収で最低限の食料は手に入る。
例えばドイツは東部戦線全体の食糧供給のおよそ50%を現地徴収で賄っていて
最前線ではもっと酷い補給状況だったが、なんとかやっていけたのは中国戦線と同じ。
(558:775)

中国戦線における陸軍将兵の食事はどのようなものだったのでしょうか?

太平洋戦線と異なり飢餓で苦しんだという話はあまり聞かないので。
中国戦線でも栄養失調による死者は多数出ています。

「一九三七年の日中戦争開始以来、中国戦線での死者はフィリピンに次いで多く四十五万五千七百である。
その中で、栄養失調に起因するマラリア、赤痢、脚気などによる病死者は死因の三~四割を占める。
とりわけ最も多くの犠牲者を出した一九四四年の大陸打通作戦では過半数が病死とされる。著者はこれらの例から、
中国戦線での全死者の約半数が栄養失調にもとづく病死であり、その数はしたがって二十二万以上としている。」

下記、「戦死者」の六割以上が餓死だったを参照ください。
http://www.jrcl.net/framek897.html
(620:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)

日中戦争開戦当初の日本の工業力でモーゼルミリタリー(C96/M712)を国内生産することは技術的に可能でしょうか?

大正14年には既に、マウザーピストルの閉鎖機構をコピーした
プロップアップ式の自動拳銃を開発していました。
当時、最も強力な拳銃弾であった.30Mauser弾に対応したものは
取り敢えず製作可能ですが、加工技術も未熟であったので、
より弱装の弾薬を開発し、構造を大幅にアレンジして生産していたでしょう
つまりそれが南部十四年式自動拳銃です
結論として、残念ながらC96は生産不可能だったと考えます。
(593:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)

日本軍は中国では連戦連勝で、戦争継続していれば重慶を陥落させられるのは確実だったんですか?

確実なんてものはどこにもない。
それはさておきいくら正規戦闘で勝利を重ねても兵站が限界に達していて
中国奥地を制圧するのは困難だった
(594:モッティ ◆uSDglizB3o)

山がちな地形の問題もあって重慶までは補給が届かないため
陸路から攻略するのは諦められた。
(594:963)

日中戦争で毒ガスを使用したのは、主にどんな部隊でしょうか?

師団つきの100名足らずの師団制毒隊が頑張って使っていたんでしょうか?
それとも、関東軍給水防疫本部(731部隊)の何割かがその編成のまま前線に出てきて使っていたわけでしょうか?
攻勢的な化学兵器使用は、野戦瓦斯(ガス)中隊と、迫撃大隊が主に担当。
前者は発煙筒式の化学兵器、後者は化学砲弾を撃つ迫撃砲部隊。
大規模な作戦時には、一般の砲兵部隊にも化学砲弾が支給された。
師団制毒隊は主に関東軍の師団に見られたもので、中国方面にはあんまりいない。
防疫給水部は生物兵器関係がメインで、化学戦とはあまり関係ない。
(610:299)

じいちゃんが中国戦線に居た時、三八ではなくモーゼルを装備していたと言っていたのですが

日本軍が支給した事はあったのでしょうか?
中国軍(中華民国軍)はモーゼル拳銃を制式装備にして大量に導入していた
ので、日本軍は捕獲兵器として大量に入手した。
戦利品を個人的に持ってる将兵もたくさんいたし、部隊によっては集めさせた
銃と弾薬を武器係に整備させたあと改めて部隊の将兵に配備して装備させたり
している。

付け加えると中華民国の各軍閥はモーゼルミリタリーがいたくお気に入りで、
勝手に自前の兵器工場でコピー生産したりしている(当然、無パテントの
海賊版)。
特に元祖のモーゼルC96をスペインのアストラ社がコピー生産してフルオート
機能を追加したものが好まれて、これを各軍閥が自前の工場で大量に作って
使用していた。

で、海賊版がガンガン作られてるのが気に食わない(というか、大損害だよな)
モーゼル社は自社オリジナルでフルオート版を開発、中国市場に送りこ込んだ。

モーゼル製の正規品だけでもセミオート型が10万丁以上(20万丁とも30万丁とも)、
フルオート型が11万丁余り中国に販売されていて、これに海賊版を含めるとそれこそ
天文学的な数のモーゼルミリタリーが中国大陸で使用されていたと見られる。
(322:582-584)

日中戦争で日本軍が台湾の対岸の福建省をほとんど占領しなかったのは、なぜですか?

1894年以来、福建省は日本の勢力範囲下にありました。
厦門には租界設置権限もありましたし。
従って、占領しなかった訳ではなく、既に占領したも同然の土地だった訳です。
(362:315 名前:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

南京大虐殺を行ったとされる部隊の総兵力は何人くらいですか?

南京攻略を行った日本軍は、松井石根陸軍大将を軍司令官とする中支那方面軍ですが、
その麾下に上海派遣軍と第10軍がありました。

 上海派遣軍(軍司令官 朝香宮中将)
第16師団(京都)、第9師団(金沢)、第11師団 天谷支隊(善通寺)、
第13師団(高田)山田支隊、第3師団(名古屋)の一部、第101師団(東京)の一部
 第10軍(軍司令官 柳川中将)
第6師団(熊本)、第114師団(宇都宮)、第18師団の一部(国崎支隊)
実際に南京戦に参加した兵力は7~8万程度とみられているそうです。
(33:762)

南京陥落前後の時期にあったパネー号事件について詳細求む!

海軍航空隊が撤退する国民党部隊を乗せた船舶と誤って
米軍砲艦を撃沈した事件

個人的には光人社NF文庫から出ている「海軍魂」、
あるいは朝日ソノラマから出ている「さらば海軍航空隊」が
当事者らの伝記、回想なのでお勧めしてきます。

追記
「海軍魂」は当時の艦攻隊長村田重治大佐の伝記
「さらば海軍航空隊」は艦爆隊長の奥宮正武中佐の回想
「さらば~」は戦後の奥宮氏とパネー号艦長の事件に関する
手紙のやりとりが掲載されてます。
(34:198-199)

日本軍の重爆も中国では都市に対する戦略爆撃に使ってた事ですか?

戦略爆撃の思想はドゥーエというイタリアの将軍が唱えた説ですが、
それを具現化したのはドイツのゲルニカ爆撃と日本の渡洋爆撃だと言われています。
重慶、南京など日本も各都市を爆撃していますよ。
(44:眠い人 ◆ikaJHtf2)

半島の娘が慰安婦として大陸に駆り出され、出兵した兵士ってやっぱりお世話になっていたのでしょうか?

うちの祖父はもう死んでしまったが、グァムでの慰安所の話を晩年良くしていたよ。

南洋美人がどうとかこうとか話をしていたよ。
(88:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
うちの祖父は、日中戦争に駆り出され、南京入城を果たしたそうです。
今も生きていますが、戦争当時のことを一切語ろうとしません。

厨房の頃学校の歴史で日本軍の虐殺やレイプのことを習ったとき、
祖父に問いただしたところ、祖父は黙ったまま部屋に何日も閉じこもった
ことがあり、後で父親から理不尽な暴力を受けたことがあります。
あの頃は事実を知りたいのになぜこんな仕打ちをうけるのか疑問に思っていましたが、
今になって思うに、家族でも知らなくていいことってあるんじゃないのかな?
(88:52)

日中戦争中、日本軍将兵が休日に基地駐屯地から出かけて中国の街中を散策したり、買い物したりする余裕はあったでしょうか?

戦場に極端に近い場所でない限り、休みはあります。
後方の休養地であれば、散策も可能ですし、買物したり、外食する余裕もあります。
ずっと、働いている訳ではありません。
兵士も一種の労働者ですから、休みを与えないと、ちゃんと戦うことができません。

但し、占領地に於ける外出については、余程安定している土地でない限り、単独行動は
慎む様に指導されています。
(295:眠い人@まだまだ規制中)

日本軍の対中爆撃は、重慶爆撃以外に何がありますか?

また重慶での中国側の死者はどれぐらいでしょう?
青島(第一次大戦)
杭州(上海事変)
蘭州、成都、漢口(日中戦争)など

第四回爆撃で、死者119名、負傷者116名。
1939年5月3日で、死者673名、負傷者1,023名、翌4日で死者1,973名、負傷者3,318名。
1940年全体を通して、死者4,232名、負傷者5,411名
1941年の死者は、前年の6割、なお、6月5日の爆撃では、992名の死者を出した窒息事件が起きている。
1945年までの重慶爆撃の死者は、最終的に11,800名。

そう言う意味では、1939年5月4日の空襲が最も被害が大きい。
(227:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧日本軍が中国戦線で毒ガスを使用したってマジですか?

間違いなく使ってる
中国軍が使用したからやり返す、なんて内部資料もあり
使用自体は確実
どの程度やらかしたかは尾ひれつきまくってるので断定できないが
やったやらないの話には決着がついてる
(俺初質スレ435:853)
中国軍相手に、戦闘で使ったことはないんじゃないの?
まぁその辺りはアメリカが接収した資料を開示してくれれば
解明できるんだけど、いまだに最重要機密になってるからなぁ
とくに生物兵器関係はほとんど実情がわかってない
(俺初質スレ435:855)

日本軍は中国大陸では補給には苦労したという話を聞きませんが軽視してなかったんですか?

食事は現地調達

南洋の島々や熱帯雨林地帯と違い中国では村々に備蓄があったのでそれを美味しくいただきました
徴用するときもあるし軍札で買い上げたり物々交換だったりその時々ですわ
熱帯に比べて遥かに肥沃で口に合う食べ物が多かったからね
(俺初質スレ436:475)
ジャングルの方が果物や植物が自生していて遥かに補給には困らないイメージがあるんですけど
つじーんが同じ事を言ってたよ
でも実際は緑の砂漠で、観光地じゃないんだから果物なんてあまりない
食糧に対して人口密度が高すぎて、10人や100人は養えても、1000人や1万人は養えない
(俺初質スレ436:477)
ジャングルって言うてカスな土壌だからな雨に栄養流されるから
そんなに食える植物は生えない
ココナッツはえまくってるわけでもないんだぞ一回一人で森に入って飯を探してみるといい
(俺初質スレ436:478)
狩猟採集に限れば、熱帯の年間食糧供給量が他の多くの気候帯と比べて多い、
ってのはあながち間違いではないんだ。けど、農作地と比べれば桁違いの差が出る。
ニューギニアのいわゆる未開部族の調査だと、低地(ジャングル)の狩猟採集民
の人口密度は最大0.1人/平方キロで、南北アメリカの平原地域の狩猟採集民
と比べて3~10倍の密度がある。が、ニューギニアの未開部族でも農作が行われて
いた高原※では最大100人/平方キロ(産業革命以前の欧州のそれと同程度)と
比較にならない人口密度=食糧供給量がある。
まして中世~近代農業が行われていたWW2の中国と比べたらアカン

※ニューギニア高地は熱帯では例外的に農業に向く気候だったので、日本の弥生
時代代に相当する集約的な石器文明の農業が行われてた。
日本軍が活動していたのはもっぱら低地の海岸沿いで接触無し
(俺初質スレ436:479)


中国側


軍閥「張作霖」の兵力や装備は如何程の物だったのでしょうか

海軍は河用砲艦くらいはあったかもしれませんが、英語の中国地名がよく判らんので割愛。

陸軍の戦車はルノーFTが1927年に配備されています。
他の装備は日本のモノを中心に雑多なものだったんじゃないか、と。
日本軍の輸出兵器スレにあったような気もしますが…。

航空兵力としては、これもフランス中心で、ポテ25A2"保貞"が少なくとも15機、
ドボアチーヌD.27C1戦闘機が数機、ユンカースK-53偵察機、K-43爆撃機が数機あったようです。
(34:眠い人 ◆ikaJHtf2)

中国兵は、戦争前半はモーゼル銃,戦争後半はM1を使ってたって感じですかね?

モーゼル銃は日中戦争~太平洋戦争を通じて使われています。

米軍装備は供給されはしていますが、歴戦の師団は前線に出されることが
多く、それらはフォン=ゼークト将軍らの軍事顧問団によって育成されたため
に、ドイツ式の武器体系から米軍式の武器体系に切り替えることが遅れました。
これら精鋭師団に関しては、戦争末期から戦後に掛けて改変が行われましたが、
米軍式装備への習熟度が足りず、為に国共内戦に戦力たり得ず、国民党軍が敗北した原因の一つとなっています。
米軍式装備を配備した師団は後方の師団でそれも精鋭ではありません。
(40:眠い人 ◆ikaJHtf2)

なんで日本の同盟国のドイツの銃を中国人が使ってるんすか?

支那事変時にはまだ独は同盟国ぢゃないよ。

当時の国民党軍には独から軍事顧問が派遣されて居り、
独軍事顧問は独商社HAPROと癒着していたので、
HAPROは各種独製兵器を輸出して中国兵器市場に大きなシェアを誇っていた。
(40:402)

日中戦争時の中国軍の装備や編制について詳しい資料集みたいなものはないですか?

装備関係なら、デルタ出版の「中国大陸の機械化戦争と兵器」(1914-45)が
程良くまとまっていると思います。

空軍関係なら台湾の出版社から「中国空軍飛機」、「中国之翼」が詳しいで
しょう(但し、これは中国語ですが)

あと編制は、河出書房から出ていた「図説 日中戦争」が良いかと思います。
(73:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日中戦争時の中国兵って弱いイメージがあるけれど、実際どうなんですか?

士官学校が出来たてな上に、軍閥の跳梁跋扈や日本の侵略により、指揮官を急造せざるを得なかった。
その為、指揮官の能力の低さや損害からの回復能力に問題があったのが原因。
緒戦で一枚看板の精鋭部隊が壊滅した為、戦況が劣勢に陥っている間は、
訓練未了の弱兵、民兵を前線に出さざるを得なかった初期の状況が弱いイメージに繋がっているのだろう。
アメリカの支援の下、ちゃんと訓練をした米式軍隊は北部ビルマや末期の反攻に大いに活躍してる。
(350:658)

蒋介石は北支での停戦が成った後も、第二次上海事変を仕掛けて挑発し、ゼークトラインで殲滅を図ったようだけど、何故こんな行動に出たの?

大軍を動員して補給出来て、日本軍を釣り出せるから。
当時の国民政府は軍閥の連合政権なので、どこでも戦えるわけじゃありません。
補給も御粗末なもので、南京以外では日本軍に立ち向かうための、戦力の集中が不可能。
日本人居留民という人質も選定理由になったでしょう。
(339:73)
何故蒋介石はこの時期を選び、そして何を勝利条件としたのでしょうか?
37年頃と言うと、日独防共協定が結ばれ日本も満州の騒動がタンクー停戦協定で停戦され一息ついたところですよね。
中国国民党も西安事件で統一戦線が築かれたとは言え、共産党の脅威も軍閥の不穏な動きもありました。
また目標ですが、日本軍と対峙するのは必然と長江下流域か北支か満州になるのでこの地域から日本軍を追い出すのは無謀に思います。
蒋介石は最大のライバルだった張作霖がいなくなったおかげで棚ぼた的に
中華民国のトップになったが、内部を完全に統率できていたわけでもなければ
支配する実力もなく、カリスマとしての魅力にも欠けていた(というか、彼には
カリスマの要素がほとんどない)。
その為常に張作霖の息子の張学良に粛清されて蹴落とされる恐怖に怯えていた。

西安事件に乗じて(というか利用して)張学良を逆に粛清し蹴落としたのはいいが、
やはり張学良とその一派に常に逆転される可能性があった。

そんな状況なので、何としても自分が主導した軍事攻勢で大勝利を挙げ、
「さすが蒋介石だ明日の指導者はこの人で決まりだな」
と思わせる必要があったわけ。
(339:184)

国民党軍は各国から援助を受けてたと聞きましたが、日本軍の装備の方が質,量ともに優れていたということなんでしょうか?

国府軍は開戦初頭の上海決戦で精鋭部隊と教導部隊が壊滅してしまいました。
この手の損害は後から大きく響くのが通例で事実、そこから戦力を回復するのに時間が掛かってしまったからです。
援助も越南ルートが潰され、開戦と共にビルマルートも潰された為、援助経路は効率、量共に
最悪の空路のヒマラヤルートのみになってしまいました。

反攻が可能になったのはインパール作戦の勝利で米式陸軍が支那戦線で使用可能になったのと、
日本軍の弱体化、そして援助のビルマルートが回復したからです。
(333:515)

数で優勢な中国軍が日本軍相手に負け続け、日本軍が一方的に攻め込めた理由は?

当時の中国は国民党と共産党で内戦中の上に、国民党は軍閥ごとに分かれて
全く統一勢力としての団結性がなかったので、「数の優位」がそもそも
ほとんど成立してない。

更に兵隊はごく一部の部隊を除けばその辺から適当に集めたレベルの
烏合の衆だし、これで勝てなきゃウソだろう。

加えて、兵隊が烏合の衆なのに加えて下士官や将校も一部の人を除けば
ちゃんとした軍人としての教育を受けてない素人ばっか。

外国人の軍事顧問がいないと最低限度の指揮統制も出来ないような軍閥の部隊も
いたので正規軍である日本軍が勝てない理由はない。

マトモな部隊もいたけどね。

中華民国には士官学校があり、ちゃんと士官の養成は行なわれていた。
しかし
Chiang Kai-shek's decision to pit all of his crack divisions
to fight in Shanghai caused his elite units to suffer some sixty
percent casualties in the three-month bloodbath. In one single blow,
Chiang also lost some 10,000 of the 25,000 junior officers trained
by the elite Central Military Academy between 1929 and 1937, in addition
to some tens of thousands of potential military officers.
Chiang Kai-shek's Central Army was never to recover from these devastating losses.

「国民党軍が失って苦しんだものは精鋭部隊の60%だけではなく
ただ一度の戦闘により、
国民党軍がエリート養成のために、士官学校設立以来(1929~)教育してきた
25,000人の士官の内、実に約10,000人が失われることになり
蒋介石軍中核は、これら破滅的損害からけして立ち直ることはできなかった。」

ということなんだとか。
全軍の若手エリートの半数近い喪失なんて、ソ連の軍部粛清にも比肩する凄まじさ。
日本軍でいえば昭和20年8月15日に至るまで、ここまでの損害を受けた時期はないな。

第二次上海事変に全てをかけて、軍の中核戦力を悉く投じたのがあだになり
たった一戦で蒋介石が建設してきた軍が実質的にほぼ壊滅したというのに均しかった。
(593:263-272)

日中戦争で日本と戦っていたのは主に蒋介石の率いる「中華民国」軍。
でも「中華民国」はほとんど近代国家としての体を為しておらず、実態は
「武装マフィアの集団」の寄り合い所帯だった(軍閥、というやつね)。

なので誰も蒋介石の元に団結して日本と戦いたいなんて思っておらず、
そんな軍閥を権謀術数で強制的に駆り集めてきて戦わせてたので、マトモな
軍事行動が不可能だった。

更に、蒋介石は実は張作霖(関東軍が暗殺した人ね)に比べて全然人望が無く、
中華民国の支配者という地位だって本来みんなが「正しい後継者」と思ってた
張作霖の息子を陰謀で蹴落として成り上がったにすぎない。
だから軍閥の支配者はみんな利権でなんとなく蒋介石を支持してただけで、
誰も真面目に戦いなどしなかった。

実際蒋介石は自分が立案した日本への「反攻作戦」を強引に通したのに実際の
攻勢主力に自分の軍を出し惜しみして他閥に押し付け、不利になったらさっさと
逃げたりしてる。

そんな為体なので日本への統合された徹底抗戦など望み様も無かった。
(321:574)
支那事変が始まる前、蒋介石はドイツの支援を受けて
多数のドイツ式装備を備えた師団や機械化部隊を含む直系軍を作り上げました。
さらに新しい軍隊建設の準備として教導総隊なる部隊も設立しました。
これは蒋介石の肝入りで、数千人すべてが新式のドイツ装備を与えられた、国府軍の最精鋭でした。
蒋介石はこの部隊を教導部隊とし、将来の下士官候補として各軍の標準化の基礎とするつもりでした。

ところが、この直系軍と教導総隊が上海から南京までの撤退、攻防戦でほぼ壊滅してしまいました。
日本軍も相応の打撃を受けているので、これらの部隊は実力は確かなものだったと思います。
この戦いで下士官や将校の人的資源が一気に消耗してしまいました。
更には日本がドイツと接近した為にドイツからの支援も途絶え、危機的状況になってしまいました。
その為、国府軍は米国の支援を受けるまで戦力を回復させる事が出来ず、ずるずると内陸に
撤退を繰り返す羽目になってしまいました。

そして日米戦が始まって米国の支援が本格化しましたが、
米軍にとっての支那戦線は日本軍を引き付けておけばそれでOKだったので援助の優先度は低いものでした。
細々とした支援で戦線を維持するのがやっとで、日本軍が終盤に弱体化した頃にやっと攻勢が掛けられる様になるも、時既に遅しでした。
(321:599)

日中戦争の初期、中国軍機が台湾の日本軍基地を空襲したと聞いたことがあるが、詳しいこと分かりませんか?


中国軍所有のB-26爆撃機が、台北を爆撃しています。
(362:166)

中国的天空 という本に出ている可能性がある。
初期には上海事変などで、日本側が渡洋爆撃をしていたが、これに対して中国側は
迎撃を繰り返している。戦線が進むにつれて爆撃機、戦闘機ともに上海の飛行場などへ
進出していくのだけど。
(362:169)
昭和13年2月23日、台北近郊の松山・新竹の両飛行場に、1~2機の中国軍機による爆撃。
飛行場そのものには被害はなく、飛行場近郊の民家に数名の死傷者が出た。
中国軍の損害は無し。
(362:178)

中国軍が日本本土を空襲したって本当ですか?

昭和13年5月20日、中国空軍のマーチン139WC爆撃機(B-10の輸出型)が、熊本と宮崎一帯に大量の宣伝ビラをばらまいた。
5月30日にも熊本、宮崎、福岡上空に中国空軍機が侵入したらしいが、中国側には該当する記録が無く、日本側の誤認らしい。
(362:184)

日華事変時の中国軍に空軍や海軍は存在したのですか?

日華事変の中国海空軍はしっかり存在します。
日清戦争でやられても、辛亥革命で国が引っ繰り返っても海軍の再建は途上ですが、
行われており、旧式ですが巡洋艦も装備していました。
但し、武漢の戦闘までに主力艦艇が失われ、以後は河用砲艦だけの存在になってしまっ
ています。

空軍は宋美齢を司令官として当初はドイツ、次いで米国、更にソ連の機材を使って整備
されていました。
上海、南京や重慶で日本の陸海軍爆撃機隊が中国空軍に迎撃されて苦戦していますし、
日本海軍の旗艦出雲に爆撃を掛けたり、あまつさえ、本土爆撃までされています。
(316:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日華事変時の、特に上海攻防戦での蒋介石軍の戦闘機と戦車について教えてください

あと、ドイツは参謀を派遣したりしてますが武器の供与などあったのでしょうか?
戦闘機は米国製Curtiss Hawkシリーズ(後のP-36ではなく、複葉戦闘機)が主力です。
爆撃機は、Curtiss A-12、Chance Vought O2U/V-92C。
戦車は、Vickers6t戦車Mk.EとCarden Loidでしょうが、イタリアのC.V.33も装備しています。

ドイツの関与ですが、清朝時代から関係は深く、小銃や拳銃はMoselが主力ですし、高射砲は
後に日本軍がコピーした88mm高射砲、航空機ではHe-111A爆撃機、Hs-123襲撃機、Fw-44
練習機が売却され、戦車は1号戦車、装甲車としてSdKfz.221を購入しています。
(309:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大戦時の中国戦線の国民党の米軍式陸軍は強かったのでしょうか?

強かった。インパール作戦において北部ビルマで日本軍を壊滅に追い込んでいます。
装備は米軍のものだし、訓練は行き届いていて、武器弾薬は豊富だし、
衛生管理、兵站がしっかしている。そして何より給料がしっかり出るで(w
※通常の国府軍の場合は指揮官が給料をピンハネするので、雀の涙の給料でやる気無しだったそうです。

もっとも、最初のうちは蒋介石に自由な指揮権がない上に、
在中米軍司令官のスティルウェルと彼の仲が超絶に悪かったので、
1944年(昭和19年)10月にウェデマイヤーが後任にやって来るまで、
支那大陸では活躍させてもらえませんでした。
支那では自分の指揮下にない軍隊は敵とほぼ同義なので。
(305:823)

中国戦線で、共産党軍兵士が日本兵あるいは国民党軍兵士の人肉を嗜好品として食べたという逸話は事実ですか?

中国のような東アジアの文化圏においては、仇の肉を食べることで
復讐の意思あるいは自己の野蛮さや強さを示す風習が伝統的にあります。

手近なところでは講談社発行 ユン・チアンの「ワイルド・スワン」において
国共内戦時に復讐のため敵の心臓を食べた兵士について短い記載はありますが
これはあくまでも個人の復讐の意思としか解釈できません。
(296:202)

国民党軍の装備について教えて。

私が知ってる中にはドイツのKar98kやモーゼルC96、ZB26軽機関銃や青龍刀があるのですがこれ以外にもあったのでしょうか?
陸戦兵器なら、光人社から「もう一つの陸軍兵器史」と言う本が出ていますので、そちらに結構な著述があります。
絶版ですが、全体的にはデルタ出版の「中国大陸の機械化戦争と兵器」
航空機ならこれも絶版ですが、産経の「中国的天空」とか、民國の出版物で、「中国軍用飛机」シリーズとかを御覧
頂ければ宜しいか、と。
(296:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

中国って日本との戦争中に独自の兵器を生産していたのですか?

中国で建造された軍艦は存在します。寧海級軽巡洋艦の二番艦「平海」がそれです。

寧海級は中華民国海軍の艦艇として日本で設計が行われ、一番艦「寧海」は
播磨造船所で建造されましたが、「平海」は播磨造船所から派遣された行員の指導のもとに
江南(上海)造船廠で1931年7月起工され、32年9月に進水しました。
その後播磨造船所に回航され、艤装された後に36年6月竣工しています。

この後37年に揚子江沿岸で日本海軍航空隊機の爆撃を受けて浸水擱座しますが、
翌年日本軍が接収して浮揚し佐世保に回航し、しばらく放置された後に
43年末、呉工廠で海防艦への改造工事に着手して、44年11月に二等巡洋艦「八十島」として
再就役します。
その直後フィリピン方面に出動し、11月25日 ルソン島西岸にて米軍機の爆撃を受け沈没しました。
(101:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

自国の陸軍で使用するモーゼル小銃など小火器は国産化していました。
また、150mmの中迫撃砲、240mmの重迫撃砲も確認されています。
陸軍では上海工部局で1915年には急造ながら装甲車の製作を行なっています。
なお、ヴィッカース6t戦車が「国産戦車」として内外に喧伝されたこともありますが、
こちらは国産ではありません。

また、艦船でも小艦艇なら、上海の造船所で建造しています。
船体だけなら、軽巡洋艦(寧海)も建造しています。
航空機も海軍航空廠が上海にあり、1918年以来数種類の水上偵察機を製造
しています。
軽巡洋艦搭載用の偵察機は国産機です。
空軍では広東省に飛行機工場があり、AP-1と言う軽爆撃機を製造しています。

第2次世界大戦中は、Curtiss Hawk75(P-36の輸出簡易型)の製造を企画したほか、
Curtiss WrightのCW-21戦闘機の製造を行なおうとしていました。
(101:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

中国ってちゃんと空襲警報があったんですか?日本の爆撃機が来ると警報してたんですか?

初期の漢口、周家口、上海では結構不意打ちを食ったようですが、空襲警報網は
重慶遷都後に初歩的なものが作られていました。

物資の集積状況、基地の整備状況もこういった便衣隊の活動で、一目瞭然であり、
次の空襲時期はいつか、目標はどこかが予め推測可能でした。
後は、その目標近くに迎撃隊を進出させ、早朝から夜間にかけて、数機の哨戒飛行
を行うだけです。

また、日本軍の出撃についても、漢口、運城の基地を日本機が離陸するやいなや、
昼間ならばその機数を電信で重慶に報知され、途中の山々の頂には見張り員がおり、
日本機を認めると、烽火を上げます。
そのリレーで、日本機の来る方角を知らせるわけです。
ちなみに、電信と烽火併用でも、中攻、重爆の巡航速度では十分に迎撃基地に通報が
間に合いました。

こうして、少なくとも空襲の40分から1時間前には爆撃機による空襲警報が発令されます。

防空壕も当然ありますが、重慶爆撃の初期には完成していません。
ただ、重慶だけでなく、広東などにも大規模防空施設がありました。
それも、蛸壺方式のような日本に見られた簡易なものではなく、コンクリートで、
入り口に頑丈な鉄の扉を持つ本格的なものです。
重慶のは、1938年から工事が開始され、こうした大規模防空壕(公共用大隧道)を
始め、会社・個人でも防空壕を整備し、1940年には公私あわせて1,865カ所、収容
人員44万余のものになっていました。

但し、初期の頃は当時の人々は都市空襲というものに慣れていないので、避難も
せず、中国空軍の迎撃戦闘を見物しようと、街路、岸辺、丘の上などに出て、空を
見上げていました。
これによる死者が結構あったようです。

後に、重慶爆撃が本格化し、外交使節のいる周辺以外に全ての爆弾が降るようになって
からは、市民も防空壕に避難することが多かったのですが、1941年6月5日の空襲では、
3万人の市民が避難した大防空壕が酸欠状態となり、ほぼ全員が死亡しました(実際の
死者は992人とも言われる)。

ついでに、蛇足ながら、重慶爆撃の回数は1938年12月から1941年9月まで、
まず、12月22日に陸軍が22機で爆撃をしたのを皮切りに、1月7日、10日、15日と
四回に渡って約30機ずつ、ここまで陸軍が担当しましたが、被害は、1月15日に
死者119名、負傷116名を出しただけに終わります。
次いで海軍に担当が変わり、第二連合航空隊の中攻45機が、1939年5月3日に市街
東部と東南部、4日に27機が北部を爆撃し、3日に死者673名、負傷1,023名、4日は
死者1,973名、負傷3,318名で、これはゲルニカ爆撃を上回るものです。
その後、5月、6月に各2回、7月4回、8月6回、9月4回の出撃を行い、1940年5月から
陸海軍共同で、百一号作戦という重慶爆撃作戦を展開します。
陸軍は山西省運城から重爆54機、海軍は漢口から中攻122機を出撃して9月まで
断続的に空襲を行います。
この空襲では、海軍が延出撃日数32日、陸軍が9日、延攻撃機数は海軍が2,128機、
陸軍が322機、投下爆弾数は海軍が14,228発、1,558t、陸軍は1,344発、142tであり、
これにより、死者4,232名、負傷者5,411名、損壊家屋6,955棟の被害を出しました。

更に41年夏季にも空爆が繰り返され(前述の防空壕での死亡はこの時期のもの)、
死者は前年の6割程度になっています(但し、3万人死亡説が正しければ、この数は
もっと増える)。
最後は、1943年8月で、陸軍が行っていますが、これは在華米軍の補強により効果無く
終わっています。
最終的に、被害は、中国側資料でも死者11,800人、家屋損壊17,600棟となっています。
(138:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

国民党軍が使っていた戦車は一号戦車以外にもありますか?

国民党軍は、一号戦車(ドイツ)以外にも仏・伊・英から機甲車両を購入しています。
もっとも初期に購入したのは仏製ルノーFT軽戦車でした。その他の車両は以下の通り。

  • ルノーNC軽戦車(仏)
  • ルノー1931年式軽戦車(仏)
  • ヴィッカース12トン戦車(英)
  • ヴィッカース6トン軽戦車(英)
  • ヴィッカース水陸両用戦車(英)
  • カーデンロイド豆戦車(英)
  • フィアット アンサルド軽戦車(伊)

また、ソ連より供与されたT-26軽戦車も若干保有していました。
大戦後半になると、米軍から供与されたM3/M5軽戦車やM4中戦車なども保有しています。
(146:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

第1次世界大戦後の戦間期の頃、ドイツと国民党の間には深い繋がりがありますが

武器の販売、ライセンス生産、軍事顧問団の派遣etc…これはどういった経緯で出来上がったのでしょうか
第1次世界大戦前から清国とドイツ帝国との関係は非常に良好でした。
海軍の鎮遠とか…。
陸軍も精鋭軍の装備にはドイツの装備を導入していました(モーゼル小銃なんかもライセンス生産してたり)。

英国、フランス、ロシア、日本は領土的野心を剥き出しにしたのに対して、ドイツは比較的そう言った点では
マシでしたし、ドイツは清国と同じく皇帝を頭に戴く帝政でしたので、関係をすんなり築き易かったところも
ありました。

清帝国が倒れてからは、中華民国となった訳ですが、その軍は従来の軍閥を吸収した格好になっていました
ので、ドイツとの繋がりが切れた訳ではありません。
また、第1次世界大戦後のドイツは市場を欲していました。
オスマントルコが倒れた後、一番市場的に進出しやすいのは中国ですし、Versailles体制の監視の目も届きに
くいことから、中国との関係が強化されていった訳です。
(172:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
(172:12)

大戦中の中国側の兵器供給元は何所なのでしょうか?

中国軍の装備は種々雑多で、国民党軍にしても、米国一辺倒ではなく、ソ連、ドイツ、日本の兵器も
満遍なく使用しています。
そもそも、中国軍の軍閥同士の戦いでは、戦闘前に互いの装備を一覧表にして交換し、それを見て
その傘下に入るか、戦うかを決めるものですし…。

それから、清の時代から主力の小銃はドイツのKar-98bと同等の国産品、機関銃はチェコのZB26国産品、手榴弾も
ドイツ型です。
南京に装備されていた高射砲は、ドイツ製のクルップ88mm、スウェーデン製75mmボフォース、英国製76mmヴィッ
カースが用いられています。
迫撃砲は、ラインメタル製の81mm迫撃砲を主軸に、150mm、240mmの国産品が確認されています。

第2次世界大戦末期で、蒋介石直属軍の装備にやっと米軍装備が行き渡り、M1ガーランド小銃、M2重機関銃、バズー
カ砲などが配備されています。

共産党については、ソ連製も多かったですし、日本からの鹵獲品、蒋介石軍から供給されていたものなど
も使用しています。
(178:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

蒋介石は重慶を落とされたら、次はどこに逃げるつもりだったのでしょうか?

蒋介石は雲南の昆明辺りまで退いて抗戦を続けるつもりだったらしい。
ただ雲南省政府主席の竜雲はどちらかと言うと和平派であり、汪兆銘のハノイ脱出を手助けしたりしている。
長期にわたって独立を維持してきた勢力なので、すんなりと蒋介石に協力するかは未知数。
1942年夏頃から重慶・成都を攻略する『五号作戦』が計画・準備されており、
南方での戦況の悪化がなければ、蒋介石の命運も危うかっただろう。
(229:294)

日中戦争の主力は国民党軍で、共産党軍は専ら兵力温存に努めていたんでしょうか?

実戦経験でも国民党軍が凌駕していたのに負けたんですか
実戦経験はミリオタが信じ込んでいる程の絶対的アドバンテージにはならない
(俺初質スレ436:385)
兵力温存に努めたのはむしろ国民党軍の方
共産党軍はパルチザンのように、戦闘より主にインフラ破壊のような後方撹乱が多い
中国国民の支持は国民党から離れて、共産党を支持するようになり、共産党は勢力を拡大する
終戦直後でも数的には国民党の方が共産党より大型が、国民の支持を得られた共産党が勝利した
(俺初質スレ436:386)
国民党軍は内部が腐敗してて、戦争末期には米軍から援助不要論が出て援助が打ち切られてる。
(俺初質スレ436:388)

何故中国軍は戦車を戦力化しなかったのでしょうか?

つ金
(俺初質スレ436:458)
メンテナンスできる技術力もないしな。

そもそも戦車は、今でも自走での長距離移動はまず無理なので、
鉄道網のない当時の中国での運用は限られる。
(俺初質スレ436:459)
戦車が戦車戦を意識するのは、1942年(ティーガーや四号F2)以降なんだが
国民革命軍でググるとわかるが、日中開戦時の中国軍はまだ過渡期だった
兵力だけは膨大だが、小銃や訓練さえ充分には行き渡っていない
軍事顧問のゼークトにより、80個師団をドイツ式装備と訓練で近代化する予定だったが、日中開戦時に間に合ったのはまだわずか6個師団
一応の欧州式装備がある師団で20個程度で、砲は迫撃砲主体で野砲や野戦重砲の数も少ない
要は師団でありながら、連隊並みの装備しかない
一応ドイツからわずかな一号戦車も輸入してるが、まだまだ近代化が不充分だった
(俺初質スレ436:461)
中国軍もヴィッカース6t戦車やL3軽戦車、一号戦車、T-26などの軽戦車は持ってます

ただし輸入品で十分な予備部品もなく、輸入相手もバラバラでしかも上記全ての戦車は軽戦車、
豆戦車と戦力として纏まった数を運用するのは難しかったようです
一応唯一の機甲師団として第200師が編成されていますが、日本軍との戦闘で消耗して機械化歩兵に編成されます
(俺初質スレ436:462)

中国のお隣は戦車王国のソ連だったわけですけど、当時はソ連から戦車や重火砲などの支援は受けれなかったのでしょうか?

ソ連は対独戦で手一杯でアメリカから軍事援助を
受けてたクチ。

国民党軍は戦争末期には、ビルマルートからのアメリカの援助物資で
米式装備師団を編成し、M4シャーマン他の戦車を装備して1945年に入ってからのビルマで
日本軍とも交戦してるよ。
(俺初質スレ436:468)





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