太平洋戦全般2


チャンドラ・ボースのインド国民軍のだいたいの人数を教えてください

それはともかくインド国内軍(INA)はモハン・シンが
5万人のインド人捕虜から選抜した部隊で1万5千人だそうです。
あとマレーに住むインド人の娘による史上初の婦人正規部隊(600人)も結成されたそうです。
(34:バッチ3)
チャンドラ・ボースですね。
インド国民軍として編成されたのは三個師団分、約13000名とのことです。
岩波より、「インド国民軍・もう一つの太平洋戦争」と言う新書が1985年に出さ
れています。
ちなみにインパールに参戦後、かれらは2000人に減ったそうです。
(34:眠い人 ◆ikaJHtf2)

太平洋の島嶼戦を眺めていると日本軍の沿岸砲は要塞に配された砲を除くと大体、駆逐艦クラスの主砲転用、あるいは戦艦の副砲、高角砲の転用が目立ちますが

太平洋方面の連合軍の沿岸砲はどうだったのでしょうか?
英軍がシンガポール要塞に配備した沿岸砲のうち、15インチ砲(38㌢砲)5門は
艦砲を流用したものです。その他6インチ砲(15㌢砲)も14門、9.2インチ砲(23㌢砲)
2門配備されていました。
余談ですが、島の南西部に配置された15インチ砲は上陸した第六戦車連隊に対して
発砲し、吹き飛ばされた戦車があったとか…。
米軍の海岸砲としては、隠顕式砲架の14インチ砲が有名ですが、これが艦砲の流用かどうかは
ちょっと判りませんでした。

沿岸砲に艦載砲の転用が多いのは、用途が限られているのと軍艦と砲撃戦をやるためには
同等の威力の砲が必要だからです。
(37:名無し軍曹)

朝鮮人で中将になった人以外で活躍した人っていますか?

洪思翔中将、李王垠中将など、あと李鍵公が中佐で陸軍大学教授になってます。
後に1944年に朝鮮人の官僚、議員への登用が解禁されたので、
そういう世界で活躍した人もいたようです。
(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)
あとパクヒョンヒも大陸打通作戦で名を馳せたな
(39:432)

旧日本軍はなぜガダルカナルにこだわったのでしょうか。

東南に進出するための足がかりを築くのが目的だといわれてます。
ガダルカナル島に航空基地を建設し、制空権を確保してニューギニア島を制圧したかったと。
ミッドウェー海戦の大敗北でそんな余裕は無かったはずで、ガダルカナルに
こだわる理由は薄かったんですが…。
むしろ米軍のほうがガダルカナル島の戦略的価値を重視していたと思います。

奪回にこだわったのはひたすら軍の面子を立てるためのように思えます。
(39:名無し軍曹)

第二次世界大戦当時の蘭印の陸上戦力は何個師団程度だったのでしょうか?

装甲車14両(アルヴィス・ストラウスラー)、カーデンロイドM1936×24両、M3A1スカウトカーと、
マーモンハリントンCTLS-4TAC軽戦車240両(これは未着)、CTMS-1TB1、MTLS-1G14中戦車
(これも未着)。

で、装甲車の配置は以下の通り。
Cav 1 : West Group, West Java (Batavia)
Cav 2 : Bandoeng Group, West Java (Kadipaten)
Cav 3 : 3rd Division, East Java (Toeban)
Cav 4 : 2nd Division, Central Java (Rembang)
Cav LW : 2nd Division, Central Java (Magelang)
(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)

硫黄島の攻防で、3日間で延べ800機、推定5000トンの爆撃、艦砲射撃を受けたものの、日本軍の死傷は60名程だったと聞きました。

これでは、事前砲撃してもしなくても変わらない気がするんですが?
「事前砲撃」を何のためにするかを考えてくださいな。

島嶼戦ともなると、守備側には圧倒的な地の利があるわけで
常識的に考えれば水際には防衛陣地、ちょっと奥地には照準ずみの火力支援が用意され
そこを突破しても二重三重の陣地が上陸軍を待ち受ける……という状況が容易に想定されます。
事前砲撃でこの敵側の準備を少しでも崩しておくことは、戦術的に非常に大きな意味を持ちます。

……とはいえ硫黄島攻防戦の場合、上陸部隊が要求しただけの事前砲撃はさまざまな理由で満たされず
不十分な準備のままで部隊は栗林兵団がまちうける硫黄島に突入することになり
案の定、巧妙に構築された日本軍の陣地、そしてそこからの濃密な砲火の前に大損害を出すことになりました。
(41:665)
それは分かるのですが、死傷者が60人程だったという事は、陣地をほとんど破壊出来なかったという事じゃないの?
事前砲撃をもっとやるべきだったってのならわかるが、なんでそこで
事前砲撃はなくてもいいって考えになるのかがわからん。
硫黄島では事前砲撃での死者は60人にすぎんが海岸付近の砲の50%と
銃座の25%が破壊または損傷を受けている。
もしなにもやらなかったら少なくとも史実以上の損害は受けただろうな。
敵兵を直接殺すためだけに事前砲撃やってるわけじゃないんだよ。
(41:687)

韓国軍のWWⅡにおける活躍を教えて

半島は戦時中は日本だったんです。日本軍の一部として従軍はしており
当時の韓国人将校が、戦後の韓国軍創生期の基礎となりました。
(45:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)

アメリカの大学で米人相手に太平洋戦争についての話をしなければいけなくなったのですが、

これは必須って言うエピソードといえば、何がお勧めですか?
開戦への経緯、なぜ日本はそのような意思決定を下したかという
プロセスの提示は必要不可欠だと思います。
あの時点では、日本の状況はこうで、こういう情報が入ってきていて、世論がこうで、
ゆえに日本は開戦を決意したのだということを論理的に説明できれば、
そこからパールハーバーやヒロシマの感情を超えた論議ができるのではないでしょうか。
(45:ロンメル太郎 ◆syPANZERpE)

サンダカン死の行進って本当に有ったの?

ありません。サンダカンにあったのは八番娼館です。
死の行進はバターンです。
(53:286)
サンダカンの話は聞いた事無いが大戦中日本軍に捕らえられた連合軍捕虜が
大勢犠牲になったのは事実だわな。とはいえ日本人が人命軽視というか好き好んで
捕虜を殺して楽しんでた残酷な軍隊とかいう事は無いでしょう。
バターン死の行進にしても炎天下を延々と40km歩くなんて「普通の行軍」だった
日本陸軍歩兵の感覚で米・比軍捕虜を歩かせたらバタバタ死んじゃったって話ですし。
297でも「日本兵もたくさん犠牲になっているが」と書いてるようにその頃は日本兵
ですら満足な扱いは受けてなかったわけですから、捕虜を虐待したというより日本兵
と同じ待遇してやってもも米英の兵隊にしてみれば虐待と映ったんでしょうね。
(53:302)

戦時中、日本軍は東南アジアの各地域に進攻しましたが、それらの国にはどれほどの工業設備があったのでしょうか?

ドイツは占領したフランスやチェコの工業設備を大いに活用したそうですが、日本はどうだったのでしょうか?
インドネシアの油田を活用したぐらいしか分かりません。
本来なら、経済的な統計が示せればいいのだけど、取りあえず一般論で話をすれば、
モノカルチャーという言葉を知ってる?に尽きるかと。
要は、一般的に言って、植民地に対しては積極的な工業投資はなされていない、ということです。
植民地に期待されるのは、農業、林業、鉱業、そしてそれらの産業に対する労働人口の供給。
第一次産業の極めて限られた品目の産出を期待されている産業構造に編成されちゃているわけです。
工業資本の蓄積はせいぜい繊維や日用品を主とする軽工業くらいであり、重工業はほとんど形成されていない。
AA諸国が独立した際には、そうした重工業関係の民族資本の形成を産業政策の目標に掲げていますが、
それに成功した例は極めて少ない。今もって植民地時代の遺産を引きずっている状況ですから、
第2次世界大戦当時なんて何をか言わんやな状況のわけです。
要するに、ほとんどない…と言って良いかと思います。

しかも、日本は大東亜共栄圏、八紘一宇というスローガンを掲げながら、
東南アジア諸国の経済的実態を十分には掴んでいませんでした。
戦前の東南アジア研究の書誌を大きな図書館で調べればわかりますが、
満鉄の調査局やごくごく少数の学者がやった極めて少数なものしかありません。
それも社会学的な基礎調査が多い。
いくつかの国ではナショナリストたちとの接触を行っており、特務機関が軍事教練などもやってはいるのですが、
結局は、それぞれの国情に応じて、欧米の勢力を追い出したあとに具体的にどうするかという方法を伴ったビジョンは欠如していました。
占領地行政はインフラの整備では成果を上げた所もありましたが、
概ねは経済政策において稚拙なもので、現地経済の自律化にせよ、日本の戦争遂行のための収奪にせよ、
経済構造を一転させるものではありませんでした。
総じて言えば、占領地における日本の産業経済政策は、お粗末の極みとしか言いようがありませんでした。
(609:243)

米軍がダウンフォール作戦で、接収したV1,V2号の余剰を使うという案はあったようです。 サリンを使う、という話も聞くのですが

世界文化社の『ビッグマンスペシャル 連合艦隊 日米決戦編』で
栗田尚弥氏がダウンフォール作戦について米軍側の計画を詳しく説明していますが
その中で米軍側がサリンの使用を検討していたことが紹介されているので
参照してみるといいですよ。
(608:960)

大戦当時のシンガポール港はどれほどの設備があったのでしょうか?

シンガポールにはセレター軍港というイギリス海軍の基地がありました。
当時の表現なら
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00501975&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA
シンガポール軍港が最も誇りとするものは浮ドックと乾ドックであった、浮ドックはイギリス本国で建造され、
一九二八年ロンドンから数隻の軍艦に牽かれ廻航されたという代物で、運送史上に一話題を□しているが、
わが荒鷲数次の爆撃により大損傷を受け既にセレター軍港の水底深く沈没してしまった
乾ドックはキング・ジョージ六世と命名されロドネー、ネルソン級のイギリス最大の軍艦も容易に入渠することが出来る超□級ドックである、
シンガポール島とジョホールバルを結ぶ陸橋の東にセレター軍港があるが、この軍港は商港シンガポールの反対側に位置しており、
海峡の東端は□の口のように狭く、前面にはテコンベザル島があって軍港の入口を扼し天然の防塞を築いている、
軍港地帯にはテンガー、センバワン両航空基地があり更に西部には海峡に面して五哩に亘る石造の大埠頭が建設され、
優に数隻の軍艦を横づけにすることが出来る、前記の浮乾ドックの外に
海軍工厰、兵器庫、爆弾庫、糧食庫をはじめ貯蔵百万トンといわれる貯油タンクが地下深く埋設され、重油タンクに至っては島内三百を数えるという、
(609:246)

映画「1941」で潜水艦イ-19がアメリカ西海岸の都市を砲撃していますが、実際にあったことなのでしょうか。

1942年中に3回実施されました。
嫌がらせ以上の意味はなし
(33:449)
あと、イ-19はドイツ製なのでしょうか?
巡潜乙型というタイプで、れっきとした日本製なので違います。

実際に砲撃実施した潜水艦は伊17、伊25、伊26の三隻で、これらも
また日本製です。
(33:452)

米豪遮断に意味なんてありますかね?

オーストラリアは当時自給自足ができず、輸入物資の殆どをアメリカに依存してたからな。
米豪遮断は遮断ラインのこっちにいるアメリカ軍のみならず、
国家としてのオーストラリアまで兵糧攻めにするプランなのよ。
遮断に成功すれば、世論に突き上げられてオーストラリアは手を挙げるかもしれない。
手を挙げて軍門に降ってくれれば言う事無し。
中立に戻るだけでも、連合国が一枚岩でない事のアピールになるし、
アメリカ軍の侵攻経路の選択肢から南太平洋が除外される。
アメリカ軍としても、イギリスの手前、オーストラリア侵攻する訳にもいかんからな。

つー訳で、米豪遮断てのは旨くいけば実に有意義な作戦なのよ。
(302:140)

太平洋戦争において真珠湾攻撃など緒戦でアメリカを強く叩けば,すぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが,読み通り本当に講和してきた場合,その後の日本はどういう軍事戦略を取る予定だったんですか?


 ほとんど何も考えてなかったというのが結論.

 ただ,陸海軍はアメリカさえ相手にしなくていいなら,東南アジアから欧州勢力を駆逐することは可能だと考えていた(実際それは達成できた).
 なので,アメリカと講和し,東アジア地域から英仏欄を排除した後は,占領地を維持,防衛する・・・という戦略がとられた筈.

 ただ,「大東亜共栄圏」がなんで「”大”東亜」なのかと言えば,これには「インドも含みます」という意味が込められているから.
 なので,東南アジアを制圧して各地の傀儡政権を設立するのが一段落したら,こんどは英領インドへの侵攻作戦が行なわれた可能性が高い.
 あくまでも予測だが.

 また,オーストラリアに対しては,一応北東部~東部への侵攻計画が考えられていたが,あまり積極的に行う計画ではなかった.
 ニューギニア南岸とサモア,ソロモン諸島を制圧してアメリカとの連絡を絶ち,インド,中東(+アフリカ)方面とも断絶させて英連邦から離脱させ,親日中立を強要する・・・というのが目標にされていた.
 ポートモレスビー攻撃やガダルカナルへの基地設営などは,この戦略に基づいて行なわれている.

戦時中日本軍はアメリカ本土への上陸作戦を考えてた事はあるのでしょうか?

計画レベルであったのかまたは主張していた軍人などはいたのでしょうか?
「上陸作戦」と呼べるかどうかは知らんが、
日本海軍は、通称「S特」と呼ばれる特殊部隊を昭和19年初頭に創設。
このS特を潜水艦で米本土に運び、破壊工作を行う計画はあった。
しかし戦局の悪化に伴い計画は中止。

米本土に行き損ねたS特は、翌昭和20年8月、サイパンのB-29飛行場に
強行着陸してB-29を焼き払う「剣」作戦に投入される事になったが
作戦実行前に日本が無条件降伏した。
(362:381)

ちなみにS特は、米本土上陸後には、現地に潜伏する事になっており、
隊員は髪を伸ばして長髪にし、潜伏用の背広などの私服も用意されていた。
(362:384)

太平洋戦争中、アメリカ本土には日本のスパイは1人も居なかったんですか?

FBIが数百人単位で逮捕しまくってる

日本は日系人組織以外に黒人組織やら欧州人組織やらマフィアやらのスパイ網を運用してたんよ
もっともキングオブスパイ、スパイ網の元締の大使館員が完全監視されていて、全部FBIにばれていたらしい
書名は失念したが、大使館員の未亡人が保管していた文書をもとにした本が前世紀末ぐらいに出版されている
(495:690,695)

西亜打通作戦について教えてください。

インド、中東へ進撃して、ドイツイタリアと手を結ぼうという作戦。
陸軍が提案したが、あの東条英機に寝言を言うなとけられた。
(619:55)

太平洋戦争での米軍は、マッカーサのわがままで大きく南回りしたって本当?

本当はサイパンとか、少し北の方から来るはずだったのが、陸軍の見せ場を作るためにわざわざ、
インドネシアとかフィリピンで頑張った。ってゆうのはデマ?
陸軍は、というかマッカーサーはなんとしてもフィリピンを陥とすことにこだわった。
理由はいうまでもなし。

一方ニミッツは、というか海軍は太平洋を西進してトラックを、そしてマリアナを
陥として直接日本本土を衝く戦略にこだわった。それが戦前からの海軍の対日戦計画
だったから。

結局大統領自らが両者を仲介して、どっちもやるが極力相手の作戦に協力すること、
という装束案に。

ただ、日本側から見るとアメリカの戦略が統一されず場当たり的に攻撃してくるように
見えるので対応の混乱を招き、アメリカの二軸侵攻計画は結果的には良い方に作用した。

因みマッカーサーはにニューギニア→フィリピンルートを採用させる為に
海軍に根回しを行なって採用させたと言うエピソードがある。

キング提督はそんな彼を「海軍戦争の原理を全く理解していない愚か者」 と評しています。
(317:777,779)

日本軍がインドネシアを統治したときインドネシア人を奴隷にしましたか?

また 戦争のあと独立させようとしてたんですか?
少なくとも建前上は民族自決と独立を支援した。その軍事的な拠り所として地元人の郷土防衛義勇軍(PETA)を育成
大東亜共栄圏を前提にしてるので日本に従属しての独立ですな
それでも、オランダ統治時代は本当に奴隷同然だったのでそれよりはマシかと
PETA幹部もオランダの愚民化政策下では決して得られなかった集団行動や軍事技術を得れたのは奇貨であったと回想してる
(627:モッティ ◆uSDglizB3o)
PETAは、インドネシアから他へ兵力が転用されて、占領兵力が不足したために
それを補う目的で作られたものだよ。
だから戦局が悪化した戦争後期以降の話。
(627:571)

旧日本軍はマダガスカルの攻略を考えていた…ってかいてあったんですけど、マジですか?

マダカスカル攻略…っつーか、当時のマダカスカルは枢軸側。
(もともとフランスの植民地だったのがヴィシーフランス政権誕生時にそのまま下に入った)
そして、ここを拠点に通商破壊をやられると、インドの連合軍が干上がりかねない状況だったので、
連合軍がマダカスカル攻略戦を開始。
ヴィシーフランス軍(大半はマダカスカル総督によって編成された現地住民)が予想以上の善戦をし、
日本もこれを支援するために潜水艦を派遣。
連合軍の戦艦を一隻大破、タンカーを一隻撃沈という戦果をあげたが、
いかんせんそれ以上の支援は不可能で、ジリ貧になったマダカスカル軍は敗北しましたとさ。

つまり、日本が攻略するというよりは、ヴィシー政権にマダカスカルを保持してもらうために、
そこまで進出せざるを得なかったということ。
(310:812)

太平洋戦争の時,日本はインドネシアを直轄領としようとしていた,と聞いていたのですが,どうなんでしょうか?

「海上護衛戦」文庫版P84以降(第二章6)にこんな記述が。以下抜粋。大意だけ
昭和十七年海軍省
太平洋協会・西方氏(以下西方)「新占領地に日本名付けるから参加して下さい」
大井篤氏(以下大井)「過早ではないか。昭南なんてピンとこない。支那は同じ名前では?」
西方「全部変えるわけではなく、講和時に当然日本領になるところだけ研究。支那は友邦だから無し」
大井「シンガポールでいいじゃないか。日本軍がこれ以上進むのが心配だ」
西方「ハワイや豪州まで占領するそうじゃないですか。西太平洋全域を豪亜地中海にする案も既に」
(以下大井氏の攻勢限界点主張論)
(195:509)
1941年11月20日の第70回大本営政府連絡会議に於いて、「南方占領地行政実施要領」を決定しています。
この時に、陸海軍の軍政主担任地域を決定しています。
陸軍は、香港、フィリピン、マレー、スマトラ、英領ボルネオ、ビルマを、海軍はオランダ領ボルネオ、セレベス、
モルッカ群島、小スンダ列島、ニューギニア、ビスマルク諸島、グァム島を担当しました。
その後、1943年1月14日に開かれた第128回大本営政府連絡会議で、ビルマ、フィリピンの独立、マレー、ジャワ、
スマトラ、ボルネオ、セレベスの日本領土編入を決めましたが、実際には領土主権を変更するのであれば、
講和後に編入しないと国際法上違法となる懸念が生じ、領土編入は行われていません。
(195:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

何で日本の豪州脱落計画は破綻したんですか?

方針がはっきりと定まっていなかったから、てのが大きい
第一段作戦(マレー・フィリピン・蘭印攻略作戦でラバウルが終点)が予想をはるかに超えて順調に進み、
第二段作戦でどこをどう目指すかがろくに決まらないうちに作戦が終わっちゃったのだ

んで大方針が決まってないもんだからあそこを目指すどこを攻略する、が噴出しまくってしっちゃかめっちゃかになった
最終的に大きく三つに絞られたが、それをさらに一つに絞り切れずになんと三つ全てに手をつけちゃった。
すなわち

印度洋方面
米豪分断
ハワイ直行

印度洋はセイロン攻略はさすがに諦められたが陸軍がかなり戦力を割いてしまった。
米豪分断が本質問の主題だが、海軍はハワイ直行をやりたくてあまり乗り気じゃなかった
なもんで中途半端な戦力を出して珊瑚海海戦‐MO作戦が頓挫。
ド本命に推していたMI作戦は大敗北。
ガダルカナルが脚光を浴びたのはミッドウェー作戦の敗北でハワイ方面への攻撃が不可能になったため
再び米豪分断を主軸に据えようとし、そうなると空母が足りないこともあって基地航空隊の比重が高まったためだ。
(646:239)

太平洋戦争中、何故、日本軍はグアム・サイパン・テニアン島を硫黄島みたいに要塞化しなかったんですか?

間に合わなかった…

南海で負けが確定してくる

怒濤の如く押し寄せるアメリカ

戦線の縮小が極めて難しい軍上層部の体勢

時間切れ

そこまで資材運ぶのもいっぱいいっぱいだったし。

あと、サイパンは地質の関係でかなり土を掘りにくかったらしい。
(295:9-14)

1945年の8月15日当時、アジア各国の民衆は日本の敗戦をどの様に受け止めたのでしょうか?

韓国が主張する様に、アジア各国が日本の敗戦に狂喜してお祭り騒ぎだったんでしょうか?
占領の程度、占領中の行政官の手腕によって印象は異なります。
例えば、中国や韓国では、旗がはためいたことは確かです。
一方で、Philippinesなんかではずっと戦闘中でしたし、仏印の様に再び旧宗主国が舞い戻ることも
ありましたし、Indonesiaのように、日本の敗戦後即座に独立宣言をした国もあります。
(295:眠い人@まだまだ規制中)

日本本土への艦砲射撃の際、日本本土の要塞や砲台は交戦しなかったんですか?

本土への艦砲射撃というと、終戦間際の昭和20年7/14と8/9の岩手県釜石市と7/15の北海道室蘭市の事例て事だわな。
釜石市も室蘭市も鉄鋼の町で製鉄所が狙われた訳だが、まずはそこに要塞や砲台があるか調べてみよう。
室蘭臨時要塞は建設中だったが、15㎝砲では戦艦の40.6㎝砲による遠距離射撃には太刀打ちできん。
つか戦艦の主砲に対抗できる要塞砲なんて、対馬や壱岐にしかない。
(俺初質スレ431:716)

ラバウルなんか占領する必要はなかったのでは?

ラバウル攻略は第一段作戦の締めくくりとして、
トラックや蘭印方面への連合軍の反攻の策源地を排除し、占領地域を守る「城門」として絶対に必要な場所であり
攻略には赤城以下正規空母まで出撃しています。

ラバウルの奪取は戦前からの既定戦略です。
ラバウルが敵手にあればそこからの連合軍の浸透は蘭印東部や内南洋にまで及び、
長期持久はおろか短期決戦さえままなりませんでした
「策源地を排除し、占領地域を守る「城門」として絶対に必要な場所であり 」が誤った考えなのでした。
次は「ラバウルを保持するにはソロモン諸島全域をカバーできるガダルカナル島に飛行場建設を計画」となりました。
止め処が無くなったのです。 http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-14seiron.htm
ラバウルが敵手にあった場合、蘭印東部~内南洋に至る広大な地域が前線と化します
防衛に要する負担はトラック~ラバウルに至る補給線の維持など児戯と思えるほど悪化します
ラバウルはわずかな補給線の延伸によって防御リソースを集中し、トータルでの補給負担を減らせる絶好に位置にあり
しかも戦前からの空港さえあります。
だからこそ日本軍はラバウルの攻略を第二段ではなく、第一段作戦に組み込み、開戦前からの明確な方針としていたのです。

そして南方への進出はラバウルで留める案もあったのです
というより連合艦隊はラバウルからさらに南進してモレスビー攻略~米豪分断の大戦略にはもともと消極的でした

だいたいそのHPは認識を誤っています
ガダルカナルへの飛行場建設はラバウル保持とは直接関係ありません
防衛ではなく攻勢的な目的によるものです
(673:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)

日本軍はラバウル攻略を第二段でなく第一段作戦に組み込み、開戦前からの明確な方針としたけど、その後の絶対国防圏で外たんですよね?

だからラバウルを占領したことが間違いだったのです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/jiten/kokubouken.html
完全な結果論です、しかも間違いだらけの。
戦前から連合軍はモレスビー=ラバウルを反攻の拠点とする構想があり、開戦後速やかに増援部隊を派遣する構想でした。
日本軍の進撃は連合軍のもくろみを遥かに上回る順調さで推移し、構想を実現する余裕がなくなってしまっただけです。
日本が「開戦90日で第一段作戦にケリをつける」ほど急いだのは、まさに連合軍特にアメリカ軍が航空戦力中心の増援を送り込んで
攻略が困難ないし不可能になる前に作戦を終結させる切実な必要があったからです。

絶対国防圏設定後、ラバウルは無力な拠点と化しましたが、それでも日本がここを確保しておく意味はありました。
大兵力を要するラバウルが日本側の手に残されていたからこそ、ニューギニア方面への連合軍の攻勢は激烈なものとはならず、
資源地帯が直接脅かされるまでに至らなかったのです。
連合軍はラバウルを攻略して資源地帯に襲いかかる道ではなく、もっと手っ取り早く効果が
あがる(そして多分に政治的な意図を含んだ)フィリピン攻略の道を選びます。
そこにはニミッツと張り合うマッカーサーという、アメリカ陸海軍側のわりと一方的な都合があります。
資源地帯への浸透で時間を食い、対日攻勢の主導権を海軍側に握られることを嫌うという、
理性とは少々ずれた道筋を経て、資源地帯はスルーされた、ともいえます。
(673:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)

海軍は短期決戦の戦略だったんですよね?

1944年には、アメリカ海軍には大艦隊が出現します。開戦前から艦隊法成立で分かっていました。
そうなれば、日本海軍に勝ち目はありません。その前に、勝たねばなりませんでした。
ミッドウェー敗戦後の日本海軍は積極的攻勢に出る力を失ったため、
インド洋ではじめようとしていたトン数戦争を本格化させる道を選びました。
そのための兵力移動もはじまっており、ガ島攻防戦が生起しなかった場合、南雲機動部隊は再びインド洋で暴れる予定でした。
1943年中を耐え忍び、徹底的にインド洋の通商を遮断してしまえば英国に何らかの政変が起きる可能性は高いと踏んでいたのです。

実のところ、この期に及んでもなお日本軍の戦略は一本化されてなかったのです。
ガ島への進出は空母を使えなくなったため基地航空戦力を主体としたFS作戦の一環、その準備行動でした。
これが連合軍の反攻を呼び込み、敗戦への一里塚となったのは御存じの通り。
(673:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)

緒戦で優勢に立てば、アメリカはすぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが、

本当に講和してきた場合、その後の日本はどういう軍事戦略を取る予定だったんですか?
ほとんど何も考えてなかったというのが結論。

ただ、陸海軍はアメリカさえ相手にしなくていいなら、
東南アジアから欧州勢力を駆逐することは可能だと考えていた
(実際それは達成できた)。

なので、アメリカと講和し、東アジア地域から英仏欄を排除した後は、
占領地を維持、防衛する・・・という戦略がとられた筈。

ただ、「大東亜共栄圏」がなんで「”大”東亜」なのかと言えば、これには
「インドも含みます」という意味が込められているから。
なので、東南アジアを制圧して各地の傀儡政権を設立するのが一段落したら、
こんどは英領インドへの侵攻作戦が行なわれた可能性が高い。
あくまでも予測だが。

補足するとオーストラリアに対しては、一応北東部~東部への侵攻計画が
考えられていたがあまり積極的に行う計画ではなかった。

ニューギニア南岸とサモア、ソロモン諸島を制圧してアメリカとの連絡を絶ち、
インド、中東(+アフリカ)方面とも断絶させて英連邦から離脱させ、親日中立
を強要する・・・というのが目標にされていた。

ポートモレスビー攻撃やガダルカナルへの基地設営などはこの戦略に基づいて
行なわれている。
(289:879-880)

もし日本が英蘭のみ攻撃してたら、アメリカは参戦するつもりだったの?

計画だけはありました。
http://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/wtable/194105.html

交渉内容としては以下の内容。
http://www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/seiji/nichibei_kousyou/daitoua5-3.htm
さて、上記9番目の参謀会議についてであるが、昭和16年1月末より米国軍令部と参謀本部を代表とする米国参謀委員会と
英国統帥部を代表する英国代表団との間で計14回にわたる会談がワシントンに於いて行われた。
これはフランス戦線がドイツ軍によりあっけなく突破され焦った英国側が米側に熱望して実現したものである。
ここでは作戦計画「ABC-1」及び「ABC-2」が報告され、これを踏まえて「レインボー5号作戦計画」が策定されるに至った。
本計画は米英での事実上の承認を受けてこれをもとに枢軸側に対する綿密な作戦協定の制定に乗り出した。
特に我が国に対する基本戦略の骨子は、

1) 日本が参戦した場合極東における軍事戦略は防勢をとる。
2) 米国は極東に対し現在以上に軍事力を増強する意向はない。
3) 英国の極東における地位、なかんずくその象徴たるシンガポールは「英連邦の結合と安全並びにその戦争努力の保持を確保する」見地
において、防衛を強化しなければならないが、それは英連邦の自力によるものとし、米国はそのかわり大西洋及び地中海方面に兵力を増強する。
4) 但し日本の南進作戦を牽制するため、米国太平洋艦隊を機宜攻勢的に使用する。

最後にこう書いてある。

「英国との参謀会談は終わり、合同米英戦争計画は作成された。この報告はマーシャル将軍と私によって承認された。
そして適当な時に大統領の承認を得ると期待される」

あくまで制服組のシミュレーションであって大統領が承認した正式な作戦計画ではない。
(687:159-162)

サイパンの戦いにおける日本軍が守備隊をもっと早くサイパンに配置しなかった・出来なかった理由はなんでしょうか?

一言でいえば危機感のなさ。手をつけるのが遅すぎた
ただ現実的な問題として南方への部隊輸送で結構いっぱいいっぱいだったんで
サイパンへの増強を手掛けられたかというとかなり疑問符がつく
開戦時からマリアナが戦場になると予想して少しずつでも強化してれば要塞に仕立てることはできたろうけど
そこまで予見しろってのは神の視点になるしね

ニューギニアや、ラバウル、ソロモン方面への輸送に手一杯で、
マリアナはその中継点でしかなく、部隊や、物資を集積する余裕がなかった。
ただ、交通の中継点のため、米軍襲来時に南方向けの武器や、部隊が、
留まってたりしたので、守備軍に編入して、つかってる。
(689:363-365)

「太陽の帝国」で中国駐在の欧米民間人が収容所で使役されてました。あんなこと実際あったんですか?

映画ですよ、映画。
軍人以外は戦争勃発時敵国人になった場合は、軟禁状態となり、交換船で帰国と
いうことになります。
それでも残った人には漏れなく特高の監視なんぞが付いて、居住地が定められます。

また、加えて帝国臣民の義務は課せられる可能性はあります。
(279:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

1942年ごろのタイ海軍の戦力を教えて下さい

砲艦:Ratanakosindra(英国製)、Sri Ayuthia(日本製)
駆逐艦:Phra Ruang(旧英国R級駆逐艦)
水雷艇:Puket級7隻(イタリア製)
スループ:Tachin級2隻(日本製)
魚雷艇:Kantan級3隻(日本製)
敷設艇:Bangrachan(イタリア製)
潜水艇:Sinsamudar級4隻(日本製)
砲艇:Chow Phraya(旧英国Hunt級)
哨戒艇:CMB-6~9(英国製)
漁業保護艇:Sarasindhu級3隻(国産)、Sriya Monthon
王室ヨット:Maha Chakri
(269:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本統治下のグアム(大宮島)について、統治内容等を知りたいのですが

南洋群島は、Versailles条約で日本の国際連盟C式委任統治区域となりました。
これは、土着人民の利益の為に一定の保証を与えることが要件となりますが、受任国領土の構成部分として、
その国法の下に施政を行なうものです。
但し、地域の詳細情報、施政諸般の措置は国際連盟理事会に報告する義務があります。
(これは、日本の連盟脱退後も継続されています。)

1922年の勅令第107号南洋庁官制により、パラオ諸島コロール島に南洋庁を設置、南洋庁長官は、一般行政は
拓務大臣の指揮監督を受け、他に一部の行政に関しては逓信、大蔵、商工の各大臣の監督を受けます。
1942年、拓務省廃止の後は、大東亜省所管となります。

南洋庁の組織としては、最初は課制でしたが、後に内務部、経済部、交通部、そして各島に支庁を設置、大きな島
には法院を置いています。
支庁は警察を兼ね、法院の無い島であれば、民事裁判を行うほか、軽微な刑事事件も即決裁判を開催します。
法院は1922年の勅令第133号南洋群島裁判令によって設置され、高等法院、地方法院の二審制となっています。

教育は内地人については、内地と同様とし、島民に対しては、初等教育機関として本科三年、補習科二年の公学校を
設置します。
授業の半分は日本語の習得に充てられましたが、五年でも平仮名が書ける程度でした。

自治体は1931年に、南洋庁令第七号南洋群島部落規定により、部落と言う自治体が置かれ、総代を長官が任命し、
総代の諮問機関として、協議会を置きます。
協議会員は、独立の生計を営む25歳以上の男子からの完全普通公選制です。(但し、選挙民は内地人のみ)
島民に対しては、1922年の南洋庁令第三四号南洋群島島民村吏規程により、島民を村吏に任命、カナカ族は総村長、
村長、チャロモ族は区長、助役を設置しています。

1938年には勅令第224号南洋群島地方費令が公布、南洋群島は一つの自治体となりますが、諮問機関、議決権は設け
られていません。
(123:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧日本軍は米軍の暗号通信をどの程度解読していたんでしょうか?

日本海軍は米海軍の戦略レベルの暗号通信を終戦まで解読することが出来ず、
通信解析と呼ばれる方法で米海軍の動向を探っていました。

通信解析とは、敵の通信量を統計的に分析して動向を判断する方法で、
通信系図と呼ばれる通信の着信先や通報先を整理した系図を作成して
その変化によって敵の作戦規模や内容を判断していました。
こうして、米海軍の戦略企図をほぼ正確に予知できるようになりましたが、
その頃にはすでに彼我の戦力差はどうしようもなく広がっており、戦いに活かすことは
出来ませんでした。

一方米海軍が日本海軍の暗号解析に取り掛かったのが1941年の初夏のあたりで、
米軍海軍情報部はD暗号(JN-25)と呼ばれた重要暗号の解読にミッドウェー作戦直前の
5月26日までにほぼ成功しています。
細かい話はこちらで。
http://www.page.sannet.ne.jp/mori-y/nihon2.html
(146:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

日本軍はアメリカ軍の本格的反抗は1943年以降と考えていたとのことですが、何を根拠にそう考えたのでしょうか?

米国が開戦後に戦時体制に入って、戦力の動員と兵器の大量生産を
軌道に乗せるまでに1年半程度の時間が必要で、
反攻はこうした準備が整ってからであろうと予測していました。

実際に米軍が大量の空母と航空機、そして兵員を投入可能になったのは、
1943年半ばですので、日本軍の米軍戦力整備に関する予測は、
実は誤ってはいませんでした。

問題は、米軍がミッドウェーにおける勝利と前後して、
戦力不十分なままで早期反攻に出るという事態に対して、
これを予測していなかったり、あるいは十分な対策を検討し、
準備しておかなかったということだといえると思います。
(170:80)

海軍の場合ですと、
昭和15年に成立した第3次ヴィンソン計画による艦艇・航空機の増強が
昭和17年度に完了することが判明しています。
これでロンドン条約のアメリカ側の制限枠が満たされますが、
ヴィンソン計画成立から半年後に、制限枠にとらわれないスターク計画が追加され
これには幻のモンタナ級・アラスカ級・エセックス級・ボルチモア級・クリーブランド級など
大反攻の主力艦が含まれています。
真珠湾にしろミッドウェーにしろ、ヴィンソン計画艦を叩くのが精一杯で
18年度以降に就役するスターク計画艦までは手が回らないのが実情でした。

このスターク計画によってアメリカの陸軍戦備も予算的になかなか整わず
イギリス支援に忙殺されてもいたために、対日戦備も後手に回っていました。
それに希望的観測もあって、18年度からの反攻が想定されたわけです。
(170:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

泰緬鉄道の建設では多くの現地人と捕虜が死亡したそうですが、そんなに価値ある鉄道だったんでしょうか?

タイとビルマの間を海上輸送するとなると、大きくマレー半島を迂回しなければ
なりませんし、その間、通商破壊により、船舶が撃沈されてしまうリスクも大きい
です。

また、船舶輸送は大きな輸送力がある反面、速度が余り出ませんから、時間が
掛かります。

従って、タイとビルマを短絡する鉄道を敷設した方が、マレー半島大回りより時間が
短縮出来ますし、戦闘に対する被害も貨車、機関車はある程度現地調達出来ますし、
機構的に複雑なものでもありません。
総合的に見て、効果があると認められた訳です。

勿論、戦時中という時代相もあったのでしょうが。
(178:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日ソ中立条約があったころ、満ソ国境ではどんな諜報活動が行われていたんですか?

お互いにばんばん偵察機を飛ばしたりしてたのでしょうか?
国境の監視所からの定点観察(向地偵察)でも十分情報を得られたのですが、
日本側がソ連奥地の情報を得るためにはクーリエを利用していました。

クーリエ(外交伝書使)とは、日本からモスクワの日本大使館に連絡を付けるための
外務省の特使便です。
モスクワへの往復の旅は、シベリア鉄道を利用して約一ヶ月かかりました。
この間に沿線の情報を可能な限り収集し、持ち帰って分析するのが彼らの真の任務で、
外務省仕立てではありますが、実際は偽名を使った軍人が赴いていました。

当然真の目的はソ連側も承知している危険な任務で、20年4月には二人のクーリエが
GPUによって毒を盛られて一人が死亡し、機密文章が盗み見られるという事件が
起こっています。
かの瀬島龍三参謀も19年12月~20年1月にクーリエとしてソ連に赴いています。
(192:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

真珠湾攻撃から珊瑚海海戦まで半年近く大規模な海戦がおきなかったのはなぜですか?

この期間海軍はインド洋であまり意味のないような?作戦をチマチマとやっていたように見えるんですが。
太平洋戦争の目的は、あくまでもインドネシアの地下資源を手に入れることです。
とにかくインドネシアを手に入れるために、間に立ちはだかるマレーとフィリピンから米英軍を追い出すのが第1段階。
そしてインドネシアを手に入れるのが第2段階。
この3箇所を制圧することが大本営の思惑であり、ビルマやソロモンはオプションに過ぎません。
(そのオプションに力を入れすぎて自滅したわけですが)
したがって、無駄に艦隊が出て行く必要性はないです。
真珠湾攻撃というのは、単に山本さんの博打に過ぎません。
ただし、成功すれば米軍はフィリピンの支援はできなくなるし、失敗してもマレー・フィリピン攻略準備はできてるし
山本さんのギャンブルはどう転んでも大本営の損にはならないので認められただけです。
(220:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)
インド洋作戦てのはセイロン島の在英海軍を叩く為の物だったのだけど
英海軍がアフリカ東岸まで後退させたので機会がなっかたのです。

ちなみに
1月初頭、柱島→中旬、ビスマルク諸島、ラバウル→末、トラック
2月初頭、米マーシャル諸島空襲に対応して出撃(中止→中旬、ポートダーウィン空襲
3月ケレベス島スターリング湾を拠点に行動、各地を空襲。
4月インド洋作戦
(220:589)


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