各種レシプロ機



スピットやハリケーンなどって、ムスタングのP-51のような機種番号みたいなのはないのですか。

イギリスの場合は、愛称プラスMk(マーク)いくつが制式名称。
スピットファイアMkI Xとかね。
トーネードF.2とかも、本式にはトーネードF Mk2と言う。
(13:741)

一時期レシプロ機の速度記録を保持していた機体の名である、「コンクエストI」の「コンクエスト」ってどういう意味なんですか?

直訳すれば「征服者」、グリーネマイヤーのネーミング意図は知らないが、
憶測すれば、Me209の持つレシプロ機速度記録を「征服する」という意味合いでは?
 スナップロールは横転率が高く、サイドスリップから入るから相手に予測されにくいのではないかな。(これも憶測だが)
もっとも現代の空戦では有効性は低いと思われる。
(27:G_Tomo)

スピットファイアは7.7mmのみ(但し確か10門以上か)の物もあるが防弾の有る独戦闘機や爆撃機に有効に対処し得た訳だろうか

7.7ミリではドイツ爆撃機の相手をするには力不足だった模様。
レン・デイトン「戦闘機」あたりに記述あり。
(43:340)

ニューポール52という航空機について教えてください。

簡単に書くと、ニューポール42という戦闘機の改良型で、
本国では採用されずスペインでライセンス生産された機体らしい。
スペイン内乱前半の政府軍主力戦闘機だったとか。
(43:688)

夜間戦闘機で1番重武装は?

夜間戦闘機で一番の重武装は、多分He-219じゃなかったかと記憶。
(50:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

二次大戦期の双発複座戦闘機は、単発単座戦闘機の護衛が無いと空戦が出来ないという話を聞いたのですが、本当ですか?

双発にしても機体重量は単発の二倍以下に出来る→速いぞ!
燃料がいっぱい詰める→単発には難しい長距離爆撃機援護なんかが出来る!
機首に武装を集中できるし、後方機銃もあって強いぞ!
爆弾なんかも積めたりするぞ!
偵察機にも使えるかもしれないぞ!

と、いろーんな野望を秘めて開発されたわけですが、
いざ作ってみたら大抵は盛り込みすぎで大型化したり重くなったり。
当然、運動性は単発に劣る。
というわけで、P-38など一部を除いて夜戦などに身を落としたわけです。
(50:156)

KR-1ムースターについて詳しい事を教えてください。

スターリンによる最初の五カ年計画で、英国から導入した各種装備の中に
カタパルトがありました。
それを大型艦に搭載するにあたって、水上偵察機が必要になりました。

しかし、当時ソ連には手頃な水上偵察機がなかったので、ラパロ条約に
基づき、ドイツの機体を物色した結果、ハインケル社のHD-55をKR-1として
採用しました。
ちなみに、KRとは、Korabelnii Rezvyedchik、即ち艦載偵察機の略です。

それを参考に、解析して、独自に開発したのがBeriev Be-2(KOR-1)です。
(52:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

グリフォンスピットファイアは機体がヤワでパワーが生かせないと言う話は本当でしょうか?

まともなスピット関連の本なら、スピットはⅤから22にいたるまで、ろくな補強をしないまま
生産を継続したので、機体がエンジン出力に耐えられなかったことがちゃんと書いてあります
グリフォンにちゃんと対応したのは24になってからです
(52:970)

イギリスのソードフィッシュ雷撃機はなぜ終戦まで使用されたのでしょうか。

代わりの機体が、終戦になるまでまともなものが実用化できなかったのと、
海軍航空首脳部が頑迷だった所為です。

何しろ、単葉引込脚の時代に、複葉固定脚(流石に密閉式風防にはなったが)
のアルバコアとか、単葉固定脚のダンボとかを開発しています。
しかも、仕様で下方視界を重視したので、バラクーダのような、その翼も肩翼式
と言うよく判らないものになり、主脚の引込みに苦労しています。
(60:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

P-51Kのイギリス供与版は性能的にどうだったんでしょうか?

単にP-51Dのプロペラ変更版ですから、米軍のものと殆ど変わらないと
思います。
ただ、このプロペラ、5本に1本は不良品だったらしいですが。
(63:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ソ連のシュトルモビクの後部機銃係は死傷率が高く、懲罰配置と言われたそうですが、すぐ側にいるパイロットの被害も同様に高かったのでしょうか?

シュトルモビクの場合、前部の操縦席の周辺は装甲板で囲われていたのに対し、
後部の機銃席は装甲板で囲われていませんでした。
その結果として、「相対的に」後部の機銃手の死傷率が高くなったわけです。
(65:39)

第二次大戦時、オランダの一部の艦に装備していた索敵用の水上機についても教えてください。

まず、索敵用水上機ですが、FockerC11Wと言う機体で、1935年に初飛行した
胴体が鋼管羽布張り、主翼が木製の複葉機です。
14機が発注され、1938年より東インドで就役を開始しています。
最終生産機はドイツの侵入時に急いで英国に脱出し、海路東インドに送られました。
太平洋戦争時は8機が残存しましたが、ジャワ占領時には全機失われています。
(67:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

イギリスの重爆撃機というのはどのような活躍をし、軍用機マニアなどの間での評価というのはどのようなものなのですか?

英国の四発爆撃機は空軍省の爆撃機仕様B.12/36で製作されたもので、次の2種がありました。
スーパーマリンB.12/36、ショートスターリングの2機種が純粋に4発機として製作された物です。

しかし、前者は設計者が癌のため急逝してしまい、加えて空襲で原型機が焼失してしまい、日の目
を見ることはありませんでした。
後者は飛行艇サンダーランドの主翼を流用する予定でしたが、空軍標準規格の格納庫の幅に合わ
せると言う妙な仕様があったために、全幅は30m以下に制限され、設計上に無理が生じました。

1940年8月に部隊就役開始、1941年2月10日のロッテルダムの精油所を3機で爆撃し、500lb爆弾56個投下
したのを皮切りに、3月からはブレスト港のドイツ艦隊爆撃、4月末からフランス、低地諸国への昼間空襲を
開始し、4月17日にはベルリン爆撃を実施、このほか、チェコ、北イタリアにも足を延ばしています。
1941年7月にシャルンホルストを攻撃した時には、900kg爆弾9個を投下した後、護衛のBf-109戦闘機6機の
うち、2機を撃墜したりしています。
しかし、爆弾倉が胴体、翼内に分散して大型爆弾の搭載が不可能であったこと、短い主翼のために、実用
上昇限度が低かったことから、後継機が出現した1943年以降は、優先度の低い目標の爆撃、ECM任務、機雷
投下任務に転用、最後の爆撃任務は1944年9月8日で完了し、最終的には、大型グライダー曳航機と貨物輸送
機に転用されてしまいました。
この曳航機VersionはD-Dayに初出撃し、大陸への物資補給、レジスタンスの物量投下を行い、貨物輸送機型
は1945年1月からインド、極東方面で、物資補給に使用されています。

一方、第二次世界大戦で使用された英国の四発爆撃機は他に2種ありますが、これらはRRバルチャー
エンジンを搭載した双発爆撃機仕様B.13/36で開発されたものです。
これは、双発爆撃機を四発爆撃機並の性能にすることが主眼で、エンジンもその性能に沿ったものに
なっていたはずでした(V型12気筒のペリグリンエンジンをX字型に二基まとめた物でHe177に似た思想)。
アヴロの機体は最初マンチェスターとして開発されましたが、肝心のエンジンがTroublemakerで話しにならず、
少数生産で終わり、胴体を流用してオーソドックスな四発機に仕立て上げたのがランカスターになりました。
これについては後述します。

もう一つは、ハンドレページ・ハリファックスで、こちらはバルチャー双発で開発に着手しましたが、
すぐにマーリン4発に変更されたため、就役は早く、1940年12月5日となっています。
スターリングと違って、流石に格納庫制限はなくなり、そつなく夜間爆撃任務をこなしていますが、
ランカスター就役後はその陰に隠れることとなりました。

1941年3月10日の夜間爆撃で6機がルアーブル爆撃に参加したのが初陣で、4月12日には有名なハンブルク
空襲にも参加し、6月30日には昼間爆撃でキール軍港を爆撃し、年末まで昼間爆撃任務に就きましたが、
ブレストのシャルンホルスト、グナイゼナウ攻撃以後はD-Dayまで夜間爆撃専門となりました。
また、自由フランス空軍の重爆撃機部隊の主力になるなど、それなりに活躍しています。
ただ、軍用機としては少し方向安定性に難があり、被弾するとバランスを失って墜落しやすい傾向があったようです。

このほか大きなキャパシティを生かして、洋上哨戒機に転用され、電子戦機、空挺部隊輸送機、
グライダー曳航機としても活躍し、大型のハミルカーを曳航できるのはこの機体だけでした。
曳航機としての初陣は、1942年11月19日の南ノルウェーにおける重水工場攻撃に投入されたもので、
以降、シシリー島上陸、D-Day、ライン戦線でも活躍しています。
戦後も、空挺部隊輸送機、貨物空中投下用機、洋上哨戒機として1952年まで使用されました。

さて、ランカスターは最初マンチェスターBMk.3と言われ、マンチェスターB.Mk.1の機体に4発エンジンを付けた
主翼を取り付けた機体が作られ、その性能が良好だったので、改名して生産に入りました。
1942年3月3日、ヘリゴランド島沖への機雷投下が初陣で、10日のエッセン空襲には試験的に2機が参加し、4月17日には
44中隊と97中隊のランカスター12機がアウグスブルグのM.A.N.のU-Boatエンジン製造工場を昼間強襲爆撃したのが本格出撃です。
このときは、12機中5機しか生還できませんでした。
以降、終戦に掛けて、156,000回の出撃、608,612tの爆弾投下量を行いました。
この中で有名なのは、1943年5月17日の617飛行隊19機によるメーネ、エーベル、ゾルベなどのダム攻撃、1944年11月12日
の18機のランカスターによる5t爆弾を用いてのティルピッツ爆撃とその撃沈、1945年3月14日に実施された
ビエレフェルト・ウイアダアクト橋梁を10tのグランドスラム爆弾で1発で破壊したことが挙げられましょう。
また、1945年には日本本土空襲用にFEと言う型が製造されましたが、使用されませんでした。

ランカスターは終戦後、洋上哨戒機に転用され、最後の型は1956年まで使用されています。

このほか、重爆撃機としては、第二次大戦初期にはアームストロング・ホイットレー、ハンドレページ・
ハンプデン、ヴィッカース・ウェルズレー、ヴィッカース・ウェリントンがあります。

ホイットレーは、1939年9月3~4日にドイツ本土を最初に夜間爆撃(宣伝ビラのまき散らし)し、
10機がルール、ハンブルグ、ブレーメンに、ビラを600万部13t分ばらまきました。
また、1939年10月1日にはベルリン上空に侵入し、宣伝ビラをばらまいたりしています。
1940年3月19日には、30機のホイットレーと20機のハンプデンがホルヌムの水上機基地に対ドイツ爆撃の
第一弾を投下し、5月11日にはミュンヘン近郊の鉄道路線に本当のドイツ本土爆撃を行いました。
6月11日には参戦したイタリアに対して、初空襲を行っています。
流石に1941年末からは洋上哨戒任務に転用され、1941年11月30日に初のU-Boat撃沈を記録しています。

ハンプデンは前述のドイツ爆撃にも参加しましたが、1940年8月25日のベルリン初空襲に12機が参加し、
1942年9月まで活躍しました。
以降は沿岸航空隊に配備されて、北海のドイツ輸送船団への雷撃、爆撃に1943年まで使用されました。

ウェルズレーは、大圏式構造という飛行船のような骨組みを採用した初めての機体で、被弾にも強く、
軽量でしたが、羽布張りの機体でした。これは後のウェリントンにも採用されています。
ただ、旧式化し、しかも単発の重爆撃機だったので、主にエジプトに配備され、1940年6月11日のイタリア
参戦の日にマッサワ港を爆撃した後、8月にはEthiopiaのアジスアベバを爆撃するなど、1942年のEthiopia
解放まで、主力爆撃機として使用されました。

ウェリントンは初期の主力爆撃機の一つで、1939年9月4日に第9、第149中隊の14機のウェリントンが、
ドイツ本土ブルンスブッテルのドイツ艦隊を爆撃しましたが、このときは悪天候で失敗し、
2機が未帰還になっています。
12月18日にはウィルヘルムスハーフェン上空で、24機のウェリントンによる昼間爆撃が行われましたが、
Bf-109/110の迎撃を受け、10機撃墜、3機大破という被害を被ってから、夜間爆撃に切り替えられました。
1940年8月25日のベルリン初空襲には、17機が参加し、1941年4月1日に軽巡エムデンにBusterシリーズの
最初の爆弾、"Block Buster"1.8t爆弾を投下した初めての機体です。
更に1940年9月以降、6個中隊がエジプトに派遣され、地中海、北アフリカ、ギリシャ戦線での主力爆撃機
として活躍したのを始め、1942年初頭にはインドに2個中隊が派遣され、ビルマ戦線で活動しています。
これも、1943年で爆撃任務は完了し、以降輸送、沿岸哨戒、偵察に使用され、練習機型は1953年まで使用
されています。

ランカスター以後の重爆撃機としては、対日戦用に航続距離を伸ばしたもので、ランカスターを若干大型化
して燃料搭載量を増やし、武装を強化したリンカーンが1945年から引き渡されています。

但し、実戦には間に合わず、1950年にランカスターと交代したものの、時代遅れとなり、極東、
アフリカでのゲリラ鎮圧に使用され、1963年まで使用されています。
本国では、間もなくB-29(英国名ワシントン)に交代させられました。

なお、このリンカーンの主尾翼構造を流用して、哨戒専用機のシャックルトンが開発され、
つい近年まで早期警戒機型が使用されていました。(恐るべし英国)

このほか、大圏式最後の機体で、ヴィッカースが開発したウィンザーというのもありますが、
これは生産準備中に終戦となりました。
この機体は、主脚が各ナセルに1基充て装備されて、5本足になっていたこと、尾部には射手席があるものの、
砲塔が無く、両外側発動機ナセル後端に装備された20mm砲を操作すると言うもので、3機が完成し、試験中でした。
これはさらに、4機が制作中で、うち1機にはRRクライドターボプロップ装備だったそうです。

蛇足ながら、B-29(B-50)が民間用ストラトクルーザーになったように、
英国の重爆撃機も民間機に転用されています。
ランカスターからは旅客輸送機型のヨーク、貨物輸送機型のランカスター、その改造型のランカストリアンが
製造されました。
ヨークは1942年初飛行、原型3号機アスカロンはチャーチル専用機として、VIP輸送に使用され、
1944年から軍に引渡が開始されました。
そのうち5機はBOACが取得して主にカイロ便に使用したため、編成は戦後となっています。
BOACは25機を更に入手し、各路線に就航させました。
戦後、南米路線向けに12機、英仏海峡線用に2機、アルゼンチンに5機引き渡されています。
ちなみに、アルゼンチンには戦後、ランカスターが100機輸出され、爆撃任務に就いていました。

ランカスターは爆弾倉を撤去して其処に貨物室を設けて民間機にしたもので、貨物輸送機として
戦後南米路線で短期間用いられ、後に訓練用に使用されました。
また、変わったところでは、北大西洋線の「民間用」空中給油機として用いられています。
ランカストリアンについては、大戦中にトランス・カナダ航空が大西洋横断の定期郵便飛行用に
使用することを考え、1943年7月22日にドーバルからブレストウィックまで4,000kgの郵便物を搭載
して12時間26分で飛行し、8機がこの路線に使用されました。
これを元にBOACは32機をランカストリアン1として発注し、本国と豪州、ニュージーランド間の郵便
輸送に使用しました。
これは本国~豪州間で、9名の旅客を3日で運ぶ不経済な物でしたが…。
また、南米のブエノスアイレス、サンチャゴ、リマ線にも投入されました。
この後さらに、12機が完成し、うち5機はイタリアのアリタリア航空で活躍しています。

リンカーンからはチューダーが生まれていますが、これは航続距離が不足し、縦安定が不足し、
完成が遅れて設計変更に時間が掛かり、失敗作となっています。

ハリファックスは、Mk.VIIIがチューダー製作遅延のためにホールトン1と改名され、乗客10名と
3,600kgの貨物を搭載して、ロンドン~アクラ(ガーナ)線で使用されました。
また、貨物専用機としてはまだまだ使いではあったらしく、12機も改造され、1948年まで使用されました。
ベルリン大空輸では、41機がかり集められ、9機が破壊されました。
変わったところでは、1950年9月20日に、「Air Voyager」と名付けられた機体が、DailyExpressの
エア・レースに参加し、平均速度450km/hで24位に入っています。

ウェリントンからは、大圏式構造の主尾翼、エンジン、着陸装置を引き継いだ輸送機が1945年6月
22日に誕生し、これはバイキングと名付けられました。
この機体は113機生産され、主にBEAによってヨーロッパ路線で使用されて、DC-3/C-47を一掃し
ました。
なお、このうちの107号機は、RRニーンジェットエンジンを搭載し、1948年に初飛行しています。
これは、1948年7月25日に、ロンドンからパリまでの距離を34分7秒、平均速度560km/hで飛行し、
それまでのあらゆる飛行記録を更新しました。
(67:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

F8F VS 烈風

ともに第2次世界大戦にまにあわなかった戦闘機ですが、対戦したらどちらが有利でしょうか。
烈風(烈風改)は一般におもわれているほど
高性能ではないというのがツウの間で定説になっています。

同じレベルの操縦手で同じ機数ならベアの勝ちでしょう
(76:576)
話にもならないくらいF8F有利。
(76:577)
つうか世代的には烈風はF6FやF4U世代なんですよ、開発が遅れただけで。
一世代新しいF8F相手では苦戦は免れません。
(76:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

ツインマスタングって実用機だったの?

朝鮮戦争ではいくつか撃墜記録もあるだよ。
(81:92)

TSR1という、1933年ごろの軍用機について知りたい

Fairly社が1933年に自主開発したソードフィッシュ雷撃機の原型です。
シリアルNumberS1533で、1933年3月21日に初飛行しています。
T.S.R.1は、ソードフィッシュより胴体が短く、背びれとアスペクト比の大きな
方向舵とスパッツ付着陸装置を持ち、シドレー・タイガーとブリストル・ペガサスの
二種類の発動機を搭載してテストしましたが、基礎試験を終えた9月11日に事故で墜落しています。
(83:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

P-51 Yak-9 Bf109 スピットファイアは1942年の段階で戦闘してたんですか?

Yak-9は42年11月、スターリングラード戦に初期型が数十機投入されてます。
(84:511)
×ノースアメリカン P-51 ムスタング
○ヤコブレフ Yak-9
○メッサーシュミット Bf109
○スーパーマリン スピットファイア Mk VB
(84:513)

IL2シュトルモビクは装甲貼りまくってたのに何でけっこうメッサーとかに撃墜されたんですか

基本的にコクピット周りを対空砲火から守る配置の装甲だから、メッサーから攻撃される後方からだと弱い。
特に初期型は単座で、機銃手がいないから反撃も出来ず一方的に撃たれまくってしまう。
浅い角度で命中した機関砲弾を弾いたこともあるが、乗員の上半身を守る装甲は少なく(全面装甲化
したら外が見えない)20mm砲に耐えられないし。
どんなにタフと言われる航空機であっても、機関砲弾の連続着弾には耐えられない。
(605:485)
当たればそら確実だけど20mmでコクピットの狙い撃ちなんざまず無理
発射時のブレもあってコクピットをピンポイントに狙えるほど高精度の武器じゃない
そもそも13mmもあればコクピット周辺の防弾を抜くには十分でな
防弾ガラスにそこまでの耐久性はないのだ
だから弾丸シャワーでパイロットぬっ殺した例は山ほどある
(俺初質スレ50501:737)
ソ連の護衛戦闘機が常についてるのにシュトルモビク落とすために低空に降りたら生きて帰れないぞ
ハルトマンとかすげえ数落としてるようにソ連の戦闘機はドイツの数倍は常にいた
(俺初質スレ50501:740)

水上偵察機はなぜカタパルトで発進させる必要があるのですか?

海が荒れてても発進できるメリットがあるとしても、着水できないから結局出撃できないと思うのですが
「海が荒れてても」「着水でき」ます。

「艦を旋回させ航跡により波を圧し鏡のような海面になった一瞬を見計らい着水する」

「資料No-3
水偵、正式名は水上偵察機、フロートを着けている為「下駄履き」とも称された。
任務としては対潜水艦哨戒、敵艦船や基地攻撃、偵察、島嶼の人員輸送、夜間攻撃隊の誘導、不時着搭乗員の救助、など多岐にわたる。
水上機基地・水上機母艦に所属するほか戦艦・重巡等に2~5機ほど搭載されカタパルトで射出され、母艦近くに着水の後デリッククレーンで揚収される。
作戦行動中は前路偵察が主業務となる。
特に機動部隊に随伴する戦艦・重巡の水偵は、洋上遠く艦隊の耳目として進出、敵戦闘機の妨害を排除しつつ触接を続行し、
更に味方攻撃機を誘導する重要な任務を与えられていた為搭乗員には優秀者が配され航法能力も高い水準にあった。
なお洋上揚収は極めて難しく、上空にて待機し母艦の艦長が艦を旋回させ航跡により波を圧し鏡のような海面になった一瞬を見計らい着水するといった、
軽業的な操縦技術が要求されたという」。

下記、補足説明を参照ください。
ttp://www.tokura.co.jp/kokusai/kaicho/kaicho10.html
(609:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)

艦載型のモスキートは試作ですか?量産されて海軍が運用したんですか?

Sea Mosquitoは、N.15/44仕様で開発が行われたもので、Mosquito Mk.VIを改造して着艦フックを取り付けた試作型(LR359)が、
1944.3.25、E.M.Brownの手によって、Indefatigableへの着艦を成功させました。
海軍型Mosquitoは、翼幅を延長し、四枚羽プロペラを装備し、5~10%程度推進効率が向上しています。
この試作型の他、LR387も改造され、夜戦仕様となっています。

量産型は1945年秋から生産が開始され、11月に1号機(TW227)は初飛行、MosquitoT.R.33として制式採用されています。
最初の13機は、折畳み翼ではなく、脚も空軍型と変わりありませんでした。
しかし、TW241から折畳み翼を装備し、脚は着艦用に強化されたLockheedの緩衝装置を装備しています。
また、TS444/449の2機は脚無着艦が可能な様に作られた特殊型でした。

Sea Mosquitoは97機が発注され、50機が引き渡されました。
雷撃任務には18インチ魚雷を1発を胴体下に、50ガロン増槽を2個翼下に抱えるか、50ガロン増槽の代わりに
30ガロン増槽を2個とロケット弾発射機2基を装備することも可能でした。

これらのT.R.33は、主にFordの811Sqn、少数が703/706/762/771/778/790の各Sqn..に配備され、1947年まで
使用されています。
後、703Sqn.には試験用として、T.R.33にA.S.Vレーダーを取り付けたT.R.37(VT724)が1機だけ生産されています。

このほか、仕様Q.19/45で、General AircraftがMosquito B.16を改造して高速標的曳航機T.T.39を作って、艦隊
航空隊と地中海艦隊に配備し、811/777/778/780/787Sqn.では、1945年9月から訓練用に空軍のMosquito F.B.VIを
引き渡されて慣熟訓練用に用いたり、複操縦装置付きT.3が1機海軍に引き渡されたりしています。
(322:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

WW2の頃、モスキート爆撃機以外に木製飛行機って作ったんですか?

日本、キ106(木製疾風)、明星(木製九九艦爆)、キ105輸送機、キ115特攻機など()
ドイツ、Ta152モスキート、He162国民戦闘機、Ba349ナッター使い捨て戦闘機、V1など。
ソ連、LaGG3、La5など。一部木製というのなら、ほとんどのこの国の単座戦闘機がそう。
また、木金混合構造or主翼面のみ木製(秋水、シュトルヒなど)、計画のみ(蒼空輸送飛行艇など)、
などをふくめると、膨大な数になります。
他には、例えばフィンランドはF2Aバッファローを木製化してライセンス生産していたはずです。
あと、グライダーは、どこの国も木製構造のものが多かったです。
(321:197)

戦後ならChanceVoughtのF6Uの構造部材にメタライトと言うのを使っています。
これは、アルミニウムでバルサ材をサンドイッチしたもので、F4Uから用いられていました。

後、イタリアにはAmbrosini SAI107/207/403と言う一連の木製戦闘機があり、戦後も、
その原型になったSAI7から発展した尾輪式ジェット戦闘機を作って、最終型では超音速を
狙っていました。

フランスは、BlochがMB700と言う機体を試作し、Caudronが木製レーサーから発展した
C.714を製作し、これは、イタリア製エンジンを積んでRenaultが生産するC.R.760~780に
発展する予定でした。
ちなみに、C.714は90機製作されたうち、50機がFinlandに輸出されますが、44機が途中で
失われています。
残った機体は、対独戦で亡命Poland軍部隊GCI/45で用いられ、Bf-109を3機、Do-17を1機
撃墜し、損害ゼロという記録を持っています。

後、日本では、立川が中島四式戦闘機「疾風」を木製化したキ106を試作して、王子製紙と
呉羽紡績に製作する予定でしたが、強度不足で思い切った旋回が出来ず、増加試作か
訓練用に留めています。
ちなみに、この機体は、黒江少佐が最後に乗った機体でした。
(321:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第二次大戦で実際に戦闘した機体で最も重武装して出撃した爆撃機以外の戦闘機、攻撃機は何でしょうか?

攻撃機ならばイギリスのホーカー・タイフーンあたりかな。
固定武装は12.7mm機関銃12門もしくは20mm機関砲4門だが、翼下の60ポンドロケット弾8発の斉射は駆逐艦の片舷射撃に匹敵したというから
{(319:446)

WW2の末期になると、水上機は、もはや用なしだったんでしょうか?

水偵隊は終戦時、開戦時とほぼ同勢力を残してます
生産も消耗もすごかったんで結果的に量的には見るべきものがのこされてたというオチ
(637:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)

この機体はなんですか?

1930年にレニングラードに作られた民間機飛行学校から発展した、
NIAI(Nauchno-Issledovatelskii Aero Institut)と言う研究機関で製作された機体
で、その中の主任設計技師であるGrigorii Ivanovich Bakshayevが中心となって
設計したものです。

元々は、RK/LIG-7と言う1936年に作られた単葉機にて、彼はマトリョーシカから
ヒントを得て離着陸時に主翼を蛇腹状に広げて翼面積を増し、高速飛行時にはそれを
折り畳むと言う機構を考え出しました。
翼は460mmずつ広がり、全部の翼を広げるのに40秒を想定していました。

それが面白いとして、高高度戦闘機に発展したのがその写真にあるRK-Iです。
これも2つの主翼の部分を支持翼として、蛇腹式の翼を出す様にしており、
翼面積は2.4倍になるほどで、翼の展開は14秒で出来る計算でした。
1938年10~12月の段階では、M-105エンジンを搭載する予定でしたが、スターリン
はこれに強力なエンジンを搭載する様指示し、M-106エンジンを搭載する事になりました。
TsAGIでの1/5スケールモデルでの風洞実験、1/1モデルの曳航試験を経て、1940年早期
に機体は完成しましたが、エンジンが全くものにならず、軍部の興味も薄れ、設計者も収容所
送りになりました。
(631:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

急降下爆撃機って何のために急降下するんですか?

第1時世界大戦後、アクロバット飛行ショーをやっていたパイロットにより、
「ある一定程度以上の角度でダイヴしながら飛行機から重量物を投下すると、
 降下時の機体の軸線の延長線上(要するに、急降下している時にパイロット
 から見える真正面)に必ず落ちる」
という事が発見された。

これにより、急降下しながら爆撃を行えば、正確に目標を捉えた爆撃ができる
ことが発見され、いわゆる「ピンポイント爆撃」が行えることが判明した。

それまで航空爆撃というものは「いま落とすと大体あの辺に落ちるんじゃないかなぁ」
という程度の命中精度しかなく、都市を無差別に爆撃するか味方が絶対に居ない
地上施設の近くに爆弾落とすくらいしかやることがなかったので、この発見に
より航空機によって地上設備や艦船を”狙って”攻撃できるようになった。

補足説明:一般的な水平爆撃では慣性や風等の影響で目標に当たりにくい。
そこで考えられたのが急降下爆撃。急降下中に爆弾を投下すると爆弾は主に下方向に加速されるため
慣性の影響が少なく、狙った目標に当たり易くなる。
ソ連は命中精度の問題を地面スレスレを飛んで爆撃することで解決した。
(300:487-488)

モスキートは自動化した対戦車砲を積んでいたようですか、そこで質問です

1,作動方式はなんだったのでしょうか
2,対戦車砲を持ち出すほど戦車の上面装甲が厚かったのでしょうか
3,自動化出来るなら何故陸上でも運用しなかったのでしょうか(必要性が少ない?)
モスキートのツェツェに積んだ6ポンド砲は、元々地上用に開発されたけど、
威力不足でお蔵入りしかかってた奴。 ターゲットはUボート。
(663:174)

1. モスキートのは元をたどればVickersSのバリエーションでロングリコイル。

2. まず対戦車用途とは限らず、地上攻撃にも使うから、一定の爆薬を詰め込める口径が必要。
 また、垂直降下で撃つわけではないから、弾着はどうしても斜め(60度とか)になり、強めの
 貫通力が必要。実際、ハリケーンに搭載された40mmではタイガー戦車の上面装甲を
 貫通できないことが間々あり、57mmにスケールアップされた経緯がある。

3. 機載では自分で装填できないから否応なく自動になる。しかし、自動は故障することもあり、
 実際、作動不良は珍しくなかった。また、同じ弾薬なら、自動機構の作動分、弾速も遅くなる。
 自動機構自体、重い。メンテも面倒だし、自動機構を確実に動かすため、弾薬の威力などにも
 制限がかかる。また、弾倉の装填にも時間がかかり(特に箱形の場合)、人出がある地上なら、
 無理に自動にしてもあまりメリットはなかった。同じ重さと手間なら、2門列べた方が早い、という感じ。

補足
そもそも機載の機関砲は、重量、反動などの制限が大きく、どうしても威力に限界がある。
地上で使用する場合は、そのような制限は少ないし、対地攻撃と違って正面装甲を
貫通する必要があるから、大威力の砲を使う必要がある。

機載の弱力砲ならともかく、大威力の対戦車砲を自動にしたら、自動機構がとんでもない
シロモノになり、とても動かせないし、嵩張って目立って仕方ない。
あちこち動かし回って、射点に潜んで敵戦車を屠るのが対戦車砲としては無能ということになる。
(663:system ◆systemVXQ2)

水上機の双フロートと単フロート、それぞれの方式の長所・短所について教えてください

双フロートは水上では浮力が大きく安定するが空気抵抗が大きく空中では不利
単フロートはその逆
先の大戦中は、出力が大きめなエンジンを使えた英米独は双フロートを好み、低出力な
エンジンしか使えなかった日本は単フロートを採用した例が多い

浮力そのものは船型やサイズに寄るので一概には言えない。
双フロートが安定するのは双胴船が安定するのと同様の理屈と考えて欲しい。
も一つ。単フロートが空気抵抗が小さいと考えていた日本は、戦時中「プロペラ後流」の影響を知らなかった。
本当の所、空気抵抗が小さかったか? は検証されないまま今日に至っている。
(294:508-521)

500km/h以上でる水上機ってないの?

分離すれば出る晴嵐や戦後のシーダートとかは除くとして
イタリアのマッキ (Macci)M.C.72が709km/hの、プロペラ水上機最速記録を持ってます。
(669:system ◆systemVXQ2)

1939年の時点で使用されていたスピットファイアの防弾装備について教えてください。

初期型Spitfireについては、防弾鋼鈑が少なくとも操縦席後部のパイロット頭部部分にあり、
防弾ガラスがCanopy前面にありました。
但し、防弾ガラスや防弾鋼鈑については、1939年の時点で取り付けられたものであり、開戦
時点では無い機体も在ったようです。
その後、1943年に掛けて、パイロット背部、座席下、上部燃料タンク覆い、燃料タンク前面、
冷却液タンク前面に防弾鋼鈑が装備され、Cウィングを付けた場合は、主翼の弾倉に防弾
鋼鈑が取り付けられています。
(285:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大戦中のイタリア機の胴体部分によくMC202等の機種記号が書かれていますが、その下にあるMM**の意味がわかりません

些か古い資料ですが、Harleyford Publicationsの"Aircraft Markings Of The World 1912-1967"
に依れば、MMと言うのは、Matricula Militaire、英語ではMilitary Numberと言い、1923年からずっと
使われているものです。

これは、空軍が発番した5桁以内の通し番号で、これは特にメーカー、機種に拘らず、空軍が発注
した機体のバッチ毎に通しで発番されたようです。
空軍が発注したものに対する番号ですから、供与機には発番されなかったようです。

この体系は戦後も形を変えて引き継がれています。

基本的には通し番号ですが、例外があり、戦後米国からの軍事援助で供与されたC-119の52号機
はBu.No.51-8128だったため、MMもMM51-8128となっており、S-2Aの20号機は、米海軍のシリアル
№が144716だったためMMもMM144716となっています。
(101:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

スツーカや99式艦爆とかって固定脚だけど、なんで固定なの?

固定なら最前線での整備率もいい。なにしろパーツが少なくてすむから。
例として99式襲撃機などは後継機がいなかったことも(隼戦爆機はなしよ)あって
最後まで使われたりする
(276:943)
蛇足ですけど、九九式襲撃機を引込脚化した機体はありました。
瑞星を金星に換装したのと引込脚を採用しただけで、他は九九式襲撃機と変らなかったのですが、
最高速度は九九式襲撃機よりも向上せず、重量増加で離着陸性能は悪くなり、馬力増加と引込脚を
収納するスペースのために燃料容積が減少して、航続距離が短くなり、惨憺たる結果で、結局後継機は
試作で終わってしまいました。
(276:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

シーファイアの型と登場時期について教えて下さい

各型があり、Spitfireと同じ様な発展をしているので、最初のMk.IBと最後のF.Mk.47
とではスペックに大きな開きがあります。

実戦投入は、1942年6月から行なわれ、本格的な実戦は米軍と共同で行なった、
Torch作戦が最初です。
この頃はSpitfire Mk.VbベースのMk.Ibが投入され、以後、Mk.VcベースのMk.IIc、
Mk.IIIが順次投入されています。
戦争終結直前にはGriffonSpitfireベースのMk.XVが投入され、戦後、Mk.XVII、
Mk.45、46、47と進んでいます。

朝鮮戦争には、Triumph搭載の800sq.がMk.47を駆って参加し、哨戒245ソーティー、
地上攻撃115ソーティーの合計360ソーティーをこなしています。
(110:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

昔P51をターボプロップにしたエンフォーサーとかいう攻撃機があったと思うんですが、あれはセールス的に成功したんでしょうか?

確か、Piperが作った機体だと記憶していますが、売れませんでした。

もう一つ、F-51D(P-51)の廃棄機から再生した機体を、Cavalier社がF-51Dとして製作して
いますが、こちらは、1967年に米空軍の発注でMAP供与機として生産、ボリビア、ドミニカ
など中南米の小国空軍に供与されました。

元々、この会社はF-51Dを購入して、複座に改造してスポーツ機として製造していた会社で
した。

これから発達した自社開発機が、MustangIIとして試作され、これら中南米の小国空軍に
改造キットとして売られています。
この機体は、複座、固定式翼端増槽を持ち、動力はRR Merlin620に強化、翼下には各種
武装を吊下げられます。
また、これを更にRR Dart Mk.510に換装したのが、Turbo MustangIIIとなっていますが、
こちらは売れませんでした。

再生機としては他に主にWWII末期~朝鮮戦争時代に生産されたDouglas B-26を、この機体
をビジネス機に改造していたOn-Mark社で再生し、米空軍がベトナムで使用したB-26Kが
あります。
こちらはそこそこ売れました。

余程のことがない限り、わざわざ戦時中の余剰機を使用して改造するよりも、戦後に生産された
中古機を購入した方がまだマシでしょうし、また、大国の傘下に入れば、ひも付きで或程度の新
鋭機が供与されますから、余程経済的に困窮している国でない限り、こうした機体を購入すること
は無いと思います。
(113:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

アンブローシニS.403について教えて下さい。

こいつや、こいつの前身のS.207は、果たして活躍できたんでしょうか?
イタリア空軍は3000機もの大量発注を行なったとか俄かには信じ難いお話もあるので、
Ambrosini SAI.7練習機から発達したもので、1942年に原型機が製作されています。
最初のものは、SAI.107と言い、単座化した分全長が短くなりましたが、構造は強化され、
エンジンが換装されました。
これが空軍の飛行テストセンターで560km/hの速度を出しています。

次いで、SAI.207が完成します。
これは、107の機体をそのままに、エンジンを750hpに強化し、プロペラを三枚定速式に
改めたもので、武装が施されました。
1,400kgの重量増でも、テスト中に水平飛行で636km/h、急降下で746km/hを出しています。
これを空軍が2,000機発注しますが、原型3号機、即ちSAI403が完成して、しかも、これの性能が
又良かった為、13機製造したところで量産中止となりました。

そのため、実戦には使用されず、1943年夏、ローマ近郊の防空戦闘機隊に実験的に配備された
のみでした。

その原型3号機が、全長、翼幅を増し、エンジンを同馬力ながら改良したものに換装したのが、SAI.403で、
空力的洗練を行なった為に、速度は更に向上します。
空軍は、先の2,000機をこれに振替え、更に1,000機の発注をかけますが、Ambrosiniだけでなく、1,200機は
Savoia-Marchettiで、1,000機をCaproniで生産することになり、治具を整えた所で敗戦を迎えています。

基本設計は優秀で、最初に出てきた、SAI.7は戦後もS.7/S.7Bの名前で、Ambrosiniによって量産が続けられ、
戦後のItaly空軍に採用されています。
ちなみに、この機体をそのままに、後退角45度の主翼、後退角の付いた尾翼を取付け、機首に推力379kgの
Turbomeca MarboreIIを搭載したAmbrosini Sagittario1実験機は、設計値マッハ1.05を目指していました。
木製構造のために、残念ながら設計値に達しませんでしたが…。

それでも、これを元にRR.Derwentを搭載した軽戦闘機、Sagittario2を試作し、これは急降下でマッハ1.1に達し、
Italy機で初めて音速突破に成功しました。
この発達型として、更にItaly、米国両国の空軍からの援助で、軽迎撃機Ariete、Leoneを開発したりしています。
(131:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

B-29のソ連版コピーであるTu-4について教えて下さい

Tu-4は、1944年7月29日に不時着して手に入ったB-29-5-BW(42-6256)のほぼ忠実な
コピーで、これをメートル法に換算して治具などを作っています。
他に、1944年8月20日に不時着したB-29A-1-BN(42-93829)、1944年11月21日に不時
着したB-29-5-BW(42-6358)を参考にしています。

一方で、戦前にTupolevを中心として、戦略爆撃機を製作する動きがありました。
これがProject64で、当初はTu-2の主翼延長型だったのですが、そのうち、我らが輝ける
太陽、Iosif Vissarionovich Stalinが、公式ルートで米国よりB-29のレンドリースを申し入れ、
その供与を前提に、Project64を開発することになり、Priorityがが最高に引揚げられました。

これはTuporev設計局で開発され、翼型はNACA-2330、液冷で排気タービン付のAM-44TK
エンジン(2200hp)を4発装備し、四枚ペラを回し、乗員は正副操縦士と、爆撃手兼航海士、
機関士、レーダー操作手と銃手と尾部銃手の7名、3つの砲塔に連装B-20を装備し、5tの爆弾
を持ち、航続距離と燃料搭載量はB-29より短く、フラップや三車輪式降着装置は、油圧駆動
と言う代物で、風洞実験まで行きましたが、結局は、ソ連式B-29は機体の供与が成されず、
絵に描いた餅になり、1946年初頭で研究は破棄され、TupolevOKBは、Tu-4として、B-29を
コピーする道に邁進することになります。
(261:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本軍はイタリアから爆撃機(イ式重爆)を買ったけど、カタログスペックより低い速度しかでなかったと聞きました。

やはりガソリンのオクタン価の違いが原因でしょうか?
速度ではなく、航続力に違いがあったと記憶しているのですが…。

イタリア機の品質管理にはどうしても甘いものがあったかもしれませんが(それでも、カプロニ・ベル
ガマスキCa135/P11より可成りマシ)、陸軍では監督官をフィアット社に送り、1機毎に試験飛行に
立ち会ったり、生産状況を視察したり、品質検査をするなど、可成り気を遣って領収しています。

ただ、BR20の設計構造は、イタリアの技術水準に合わせた大まかで量産向きのものであり、操縦も重く、
完全主義者でデリケートな日本人乗員に違和感を持たれた上、ブーストを高めると燃料消費量が急激に
増大するので、操縦者が発動機特性を飲み込んでいるか否かで航続距離が異なり、編隊で同一地点を
爆撃して帰ってきても、各機毎に燃料の残量が非常に異なっていました。

従って、作戦計画を立てる際は、最も燃料消費の多い機体を標準として作戦を立てる必要があり、燃料消費
や補給の観点から、著しく作戦行動に掣肘を受けています。

これは、陸軍が外国から配備されてもいない(試用はされていましたが)新型機を泥縄式に購入し、十分な
試験飛行を行わない状況で実戦に投入したことが原因でありました。
ちなみに、この機体購入には部品も含め、当時の金で6,000万円をつぎ込みましたが、3ヶ月間で20回出撃
すると、もう、全力出撃が出来ない状態で、イタリア製の爆弾を切らすと、日本製の爆弾ではスペースに無駄
が出来、軽爆程度の爆弾搭載量しか無かったそうです。
(159:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

スピットファイアは爆弾のような増槽と違い、胴体部分にケースのような増槽を装備していたようですが、

この増槽にはどのような特徴があるのでしょうか?
元々、本土防空用戦闘機として基本設計が為された機体ですが、それでも、設計開始当時は、
巡航2時間、戦闘30分の飛行が可能でした。
しかし、機関銃8丁装備要求が途中で追加されたため、主翼内に燃料タンクが装備出来ず、巡航
1時間30分、戦闘15分に低下してしまいました。

と言うわけで、燃料搭載量が当初から不足していたのですが、タンク増設のスペースが無く、内翼
前縁とか後部胴体に申し訳程度のタンクを増設しても焼け石に水。

仕方なしに、増槽を準備したのですが、これも装備するスペースが限られており、結果的にスリッパ
型のものを装備した訳です。
これには、30gal、90gal、170galの各容量のものがありますが、最も多く使用されたのは、30galのもの
で、90、170galはフェリー用でした。
特に、170galを装備する場合は、操縦席後方に29galの増設タンクを使わねばならず、これでは機動性
は期待できません。

なお、MkIX後期型からは50galの筒型増槽が使用され、Seafire Mk.47では、主翼下面に増槽が装備され
ています。

他国にも同じようなスリッパ型の増槽が使用されています。
日本では九七式戦闘機に装備されたものが有名です。
(233:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

北アフリカ戦線でMC202と戦ったP40パイロットは相手にどんな印象もったの?

経験を積んだパイロットの場合でも、機動性に富んだM.C.202では、良くて互角、
或いは、相手が経験を積んだパイロットであれば、不覚を取る可能性が十分あり
ました。

イタリア空軍のM.C.202を駆ったエースの中には、P-40を短期間で5~6機撃墜
した者も居ます。
「第二次大戦のイタリア空軍エース」であれば、結構詳しく載っています。
ただ、空戦の模様までは掲載されていませんが…。

短期間撃墜は、第4航空群第84飛行隊隊長のFranco Lucchini大尉で、1942.6.4にP-40を
単独で撃墜し、6.8に協同で1機撃墜、3機を撃破、6.12に協同で1機、6.17、7.4、7.16、7.17、
8.5に単独で1機ずつ撃墜、7.24に協同で1機撃墜、間を置きますが、10.20、10.23、10.24に
それぞれ単独で1機撃墜という記録を残しています。

一方、ニューギニアに於いては、飛燕はその主な相手としては、B-17/24を護衛
するP-38でした。
こちらの方は、P-38に分があった様です。

P-40とは稀に対峙する場合がありましたが、丁度、その頃には、P-47に改編の
ために戦線を離脱した状態でしたので、パイロットも余り印象に残っていないみ
たいですね。
ちなみに、P-47の方が、経験を積んだ日本軍のパイロットからすると、P-38より
も与しやすしと言った状況でありました。
(193:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

イタリアでは、光像式の照準器の導入は早かったのデスか?

隼とかが望遠鏡式?の筒型の照準器を1941年になっても使ってたのと比べるとイタリア機は先進的だな、と意外に感じたので
C.R.32ではキャノピーの前に、Re-2001試作機ではキャノピー内に眼鏡式の照準器を備えていましたが、
C.R.42やM.C.200、Re-2000からは光像式の照準器になっています。

G.50の場合は、スペイン戦争に出撃した初期型では、未だ、キャノピーの前に円環が装備されて
いますので、光像式の照準器は採用されていません。
後期型になると光像式に変わっているので、1940年前後からの採用になるのではないか、と思い
ます。

日本では、海軍が光像式を早くから採用していますが、実際に数が揃いだしたのが、1942年ですから、
どっこいどっこいだと思います。

光像式の照準器は、確証は持てませんが、構造を見るに、Reviのものに似ています。
イタリアで国産化した、ドイツ製照準器だと思います。
(194:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

イ-Sというソ連の飛行機は離陸時は複葉機で、飛行中に単葉機に変化することができる可変翼機だったそうですが。

Nikitin IS-1。
ISはイストレビタル・スクラドノイ(まんま、折畳み式戦闘機)の略。
これは、ニキーチンのテストパイロットをしていたウラジミール・V・シェフチェンコ
が考案し、1939年から試作開始。
1940年11月に初飛行。
更に、エンジンを高出力化したIS-2が1941年に初飛行している。
が、引込式の下翼は構造が複雑で重く、肩翼式の上翼は操縦者の前下方視界を
遮るもの。
大祖国戦争が始まるとこんな際物より堅実なものが必要と言うわけであぼーん。
(信じられないが、本当だ。 Part2:眠い人 ◆ikaJHtf2)

大戦前半のスピットファイアの機関銃は7.7mmなのに、それでもHe111等の防弾装甲があるドイツ機が落とされまくったのはどうしてなんでしょうか?

スピットファイアの7.7mm機銃8挺のaウィングは、バトル・オブ・ブリテンで威力不足を指摘され、
以後の生産の主力は、20mm機関砲装備のb~eウイングに移行している
独軍の防弾タンクは、7.7mmではなかなか火が付かず、乗員を狙わないと撃墜が困難だったらしい
(飛行隊の全機が、1機のHe111に集中銃撃したが、全機が全弾を撃ち尽くしても撃墜できなかった実例がある)
(俺初質スレ2050:286)
「砲口馬力」という概念がある
これで比較すると英国の7.7mm8挺は20mm2門とほぼ同じ威力だ
もちろん、7.7mm8挺の発射弾が全部同時に命中すると仮定しており
また20mm弾が持つ炸薬の威力は勘案されていないが、威力としては当時では必要十分だ
何より弾丸量が20mmの10倍ぐらい使える点は捨て難い
(俺初質スレ2050:287)
で、よく言われることだが、軍事的には100発100中の砲1門より100発1中の砲を100門備えるのが正解だ
100発100中のは、攻撃途中で撃たれたら終わりだが、100発1中の砲100門なら、90門撃たれて壊れても
10門が残っている
(俺初質スレ2050:300)

急降下爆撃機は空母の甲板を壊すのが目的だったのなら爆弾一発よりも小さい爆弾を多数積んだ方が良かったのでは?

重量が軽いと、致命的な部位にまで貫通に至らないからです。
(69:528)
別に急降下爆撃機は、空母の甲板を壊す為の専用機ではありませんよ。
対地、対艦攻撃に一般的に使用されていますが。
急降下爆撃は、そもそも水平爆撃の命中精度が悪い為、命中精度を上げる為に考案された戦法です。
ただ、目標に肉薄する為に、攻撃タイミングが限られますので(通常は一回)、
積めるのなら威力の大きい爆弾を積んだ方が良いと思われるのです。
ちなみに、ミッドウェイ海戦において、
日本が急降下爆撃隊の一回の突撃で一挙に3隻もの空母を失ったのは、
米海軍が急降下爆撃隊で使用していた爆弾が、
日本の物より大きかった(250kg:454kg)事も原因に一つとされています
(他に有名なあの件も有りますが)。
(69:538)




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