空襲



米軍って結構空襲する前に「今後この都市は空襲するから避難しろ!」ってビラ撒いてたみたいだけど本当ですか?

人間民間人殺すには躊躇いがあるから、最初の頃やってたみたい
あとのほうは人間逃がさないように囲むように焼夷弾落としてた。
(19:ヘルウイング)
事実だけど別に善意でしたわけではなく、空襲を防げない日本軍に不信感を持たせる為。
しかし思ったほど効果が無かったので無差別空襲に切り替えた。

当時の技術ではわざと囲むような真似はできない、とまではいわないがむずい。
民間人を逃がした方が、爆撃の効果が上がる面もあるのでそれですら作戦の一環と思われ。

東京空襲は囲んだよ。初期の司令官が高高度昼間精密爆撃にこだわったけど高空飛ぶために爆弾減らしたり、
ジェット気流食らったり、日本迎撃機にあたる護衛機がなかったりで実効が上がらず更迭。
新司令官は燃費のいい低空を焼夷弾満載で夜間、一般市民を空襲する作戦に切り替えた。
民間人であってもそれが日本の戦争遂行能力を支えているのだから殺害に躊躇する理由は無い、のだそうだ。

硫黄島が陥落した後は護衛のムスタングや艦載機も面白半分で民間人を機銃掃射している。
あの当時、日本人は白人国家にとって間違いなくサルだった。

だから落下傘降下した連合軍パイロットが日本軍にとらわれる前に死者の遺族になぶり殺しにされる事件もあったらしい。
(19:969、970、972)

米軍の戦闘機が護衛する爆撃機をほっぽっといて疎開先に選ばれるような田舎の民間人を撃つなどということが、本当に有り得たのでしょうか?

あなたが高性能な銃を持っていて、それで誰かを撃っても罪に問われないとしたら
撃ってみたくなりませんか?

あなたは撃たなくても、集団の中には必ず撃つヤツがでてきます。そういうことです。
(45:75)
アメリカ人は殺しが好きなんです。

上のレスにもあるように、戦争末期、日本本土の小学校や子供を機銃掃射して、
「標的(人間)にどれだけ当てたか。」を競っていたようです。

米軍機のガン・カメラに、銃弾を浴びる小学校が大写しで記録されています。
(45:81,86)

先の大戦において台湾での米軍との大規模な戦闘や米軍の激しい爆撃などはあったのでしょうか?

陸戦はありませんでしたが、大規模な空爆はありました。
旧厚生省調べで、およそ4万2千人の方々が亡くなっているそうです。
(47:857)

太平洋戦争のときに皇居が炎上したと聞いたのですがこれは爆撃が直接、皇居にあたったのですか?

確か飛び火だったはずです。
自衛消防隊が駆けつけて消し止めたと思ったのも束の間、実は天井裏で火が燃えていて、
それが一気に広がり、明治宮殿が燃え落ちたものと推察されます。
(48:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本はB-29の開発、量産とその脅威について、前もってどれほど認識していたのでしょうか?

うろ覚え回答だが
超長距離・超高高度爆撃が可能な超重爆が開発されていることは
かなり早い段階から掴んでいたようだ。
また、量産体制や登場時期の推測も行っていた模様。

うろ覚え回答で間違えがあるかもしれないんで、詳しくは資料に当たってくらはい
  • 文春文庫「死闘の本土上空」渡辺洋二
入手容易で手堅く纏まり評価の高い作品。本土防空戦に興味があるなら
必須本。
  • 講談社文庫「富嶽(上・下)」
タイトルはアレだけど、中島の技術者の目から見た中島飛行機興亡史ってところか。
(50:686)

アメリカは日本の都市を空襲しましたが、なぜ朝鮮半島の空襲しなかったのでしょうか。

空襲するだけの戦略目標がなかったことがあります。

平壌、釜山などは港湾、工業施設などが存在していましたが、ソウルに関しては、
そんなに重要な工業施設もありませんでした。
また、マリアナからB-29を飛ばすにしても、重慶から飛ばすにしてもB-29の航続距離が足りません。

中国のB-29は補給困難のため、満州の鞍山の様な重要目標に回されています。
また、戦後、朝鮮半島を日本から切り離すのを視野に入れるとして、
当地を空襲するとその後の占領政策に影響を与えるといった判断が働き、
二の足を踏んだ可能性があります。
(62:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大東亜戦争当時、朝鮮半島と台湾は空襲を受けなかったと言う話は本当ですか?

攻撃は受けています。
特に台湾は。
(63:532)

ふ号作戦は無差別攻撃と認識した方がよいのでしょうか?

日本で予想されていた命中精度も教えていただけると幸いです
ふ号作戦は無差別爆撃の一種です。
乾燥期にアメリカ西岸の森林火災を狙っていたわけですから。
気流まかせの兵器に”こうすればあの基地に”なんて運用法は不可能です。
(68:653)
ふ号作戦は明らかに無差別攻撃でしょう。ピンポイントで軍事基地を狙い撃てるような
兵器では到底ありません。
それに実際、風船爆弾による犠牲者は民間人の女性と子供計6名というのが全て
だったわけで。
(68:654)
ふ号作戦には、B25による無差別の日本空襲への報復の意味があったはず。

具体的な数は忘れましたが、米国に到着したのは、
数だけは相当数あったはず。
中立国のメキシコに落ちてしまったものもあったようですが。
(68:656)

「火垂るの墓」で主人公が機銃で撃たれそうになった描写があるんですが、機の種類をご存知の方がいらしたら教えていただけないでしょうか。

友人が『あれはB-29だ!』と言い張るのですが
漏れはアニメは見ないので答えはわからんが
欧州では「決して記録されない戦闘行為」としてランカスターやB-17が超低空で
地上の敵など(たまたまそこにいたフランス民間人も)を銃撃したことが知られ
ているし、大戦末期には機雷敷設任務のB-29が日本の港湾の上空50Mまで高度を
下げたことは事実だから、実際問題として野坂昭如とその妹がB-29の銃撃を受けた
可能性は否定できない
(78:778)
いやあ、あの場面で出てきた奴は
単座だろ。単座のB29か?ありえねえ。
(78:782)
F6Fに一票
(78:783)

広島に原爆を落したB-29は、本土上空でゼロ戦が迎撃した?

大体あってるが迎撃に上がった機体は正体不明だそうだ。
特に攻撃を仕掛けるわけでもなくずーっと付いてきたらしい
(80:141)
NHKでその話を元に擬似ドキュメンタリーをつくり
さらにディレクター氏が本にして各所の反感を買って
集中砲火を浴びておりますた
漏れは事実というより当時の関係者の希望的観測では
なかったのかと思っております
(80:144)

東京大空襲を指揮したアメリカ軍の将校が、日本の勲章(勲一等?)を貰ったって本当ですか?

LeMay,Curtis Emerson、カチーチス・ルメイ将軍の事ですね?
昭和20年1月に第21爆撃兵団の司令官(少将)となり対日戦略爆撃を指揮
昭和39年12月4日、来日し(当時米空軍参謀総長で大将)勲一等旭日大綬章を受勲
理由は我が航空自衛隊の育成の功労。
その前に源田実空将が米国政府から叙勲されていたため、それとのバランスを考慮したものとも言われている。

「京都を文化財保護のため爆撃目標から外して受勲した」と言うのは広く伝わっているデマです。
(82:223)

東京を空襲したB-25の飛行隊長はなんて中佐でしたっけ?

ドゥーリットル
(82:685)

第二次大戦の時、アメリカが京都を破壊しなかったのはなぜ?

米軍が文化財を保護するために京都を爆撃しなかった、というのは
俗説です。
小規模ながら爆撃されていますし、原爆の投下候補地にもなっています。

占領後の統治を考えた際、京都への原爆投下はむしろソ連への心理的
接近を招く、という政治的理由のために原爆投下はされませんでしたが。
(85:551)

北海道とか北方領土って第二次大戦中戦闘とか空襲ってあったんですか?

室蘭空襲
(86:894)
戦略爆撃なら北海道にも来ている。

北方領土の方は・・・・ソ連の対地攻撃は有ったかも。
詳しくは知らない。
(86:898)
ソ連軍との間に、南樺太と千島列島で戦闘があり、当然、空襲もあった。
(86:899)
北方領土は米軍からも再三空襲を受けています。
特に、米海軍のPV-2や陸軍のB-25が頻繁に来襲していたようです。
(86:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

香川県の都市部はかなり焼夷弾の攻撃を受けたはずなのに、なぜ師団本部は攻撃を受けなかったのでしょうか?

夜間、低高度から侵入したB29の焼夷弾爆撃は、
市民の殺戮および市民生活とその場である都市の破壊を
目的としていたからです。
軍事目標は二の次で、ものによっては考慮せずということですね。
(90:311)

太平洋戦争中、米航空軍が日本の市街地に投下した爆弾の総トン数を知っている人がいたら教えてもらえませんか。

本土への投下量は160,800トン。
内,6,800トンは海軍機。B-29以外の陸軍機が7000トン。
B-29が147,000トン。

と戦略爆撃調査団の報告書には書いてあります。

 マリアナに展開するB-29による投下量の7割は都市焼夷爆撃。
 フィリピン方面に展開する極東空軍による本土攻撃のうち,市街地への投下量は21%程度。
 海軍航空隊による攻撃の84%は飛行場・艦船・商船・埠頭等で,残りのほとんどが陸軍施設・工業・輸送施設への投弾。
 市街地への攻撃は1%以下。

 ソースは同じく戦略爆撃調査団編「日本戦争経済の崩壊」

太平洋戦争中、日本統治下の朝鮮半島は連合軍による空襲の被害を、どの程度受けたんでしょうか?

平壌近辺の工場に対する空襲が散発的に行われていますし、釜山、仁川などの機雷封鎖も行っています。
また、沖縄陥落後はその基地から、PB4Yを主とした海軍哨戒爆撃機が展開し、東シナ海、黄海、朝鮮海峡で
船舶攻撃に勤しむ傍ら、鉄道幹線の攻撃をも行っています。
また、海軍の機動部隊もまた、鉄道幹線の攻撃を実施しています。

更にソ連参戦で、清津なども爆撃を受け、多数の船舶が沈められています。
(277:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

神戸市が空襲を受けた際、対空砲などによる応戦はあったのでしょうか?

また、神戸市近辺に陸海軍の飛行場や迎撃機は存在し、敵爆撃機の迎撃にあたったのでしょうか?
神戸大空襲に関する詳細な資料(防空体制や目標とされた工場、敵の進入経路等が記載されている資料)があれば教えてください
1945年3月17日の神戸空襲では、大本営発表では、迎撃に上がったことになっています。
高射砲陣地は、少なくとも尼崎、明石、西淡路、豊中にありました。
また、迎撃機は、今の大阪空港の他、大正区の大正飛行場、西宮の鳴尾飛行場に駐屯
しており、少なくとも大阪空港からは迎撃に上がっています。

資料としては、奥住喜重氏の著作が詳しいです。

ちなみに、この神戸空襲に関しては、工場を目標としたものではなく、都市爆撃を目指した実験でした。
3月17日2時30分に、先頭1機が神戸港に投弾した後、2時30~4時30分の間に、紀伊水道から1~3機の
編隊を以て、合計307機で神戸市内に侵入。
高度2~3,000mで500lbM15集束焼夷弾を投下し、熊野灘方向、一部は紀伊水道より退去しています。
但し、一部は神戸に辿り着けず、岸和田に投弾しています。

地上の被害は、2時40分から林田区、兵庫区一帯に投弾されて、30カ所から同時発火。
3時20分に市内に燃え広がり、6時までに概ね下火になるも完全に鎮火せず、7.7km^2を焼失。
焼失建物のうち、主なものは、県庁東館、中央電話局、川崎造船所、川崎製板工場他工場500、
湊川駅、兵庫駅の一部。
焼失家屋約68,000戸、羅災者27万名、死傷者15,000余名になります。
(352:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦略爆撃作戦を指揮していたのはアメリカ陸軍ですか?

大戦中のアメリカの戦略爆撃機部隊は軍制上は陸軍航空隊の所属だが、
戦略爆撃任務の飛行隊は任務指揮系統上は統合参謀本部直轄で、事実上
陸軍の指揮系統からは独立していた。
(566:88)

B-29の実戦投入が遅れた場合、アメリカはどのようにして日本本土を爆撃したのでしょうか?

B-29は開発に手間取り、また実用化を急ぎすぎたせいで故障や墜落事故が多かったそうですが
サイパンからでは、B-24やB-17では満足に日本本土を爆撃できはしなかったと思われますし
沖縄を占領して滑走路を整備した時点で、B-24が九州本土を空爆することは可能です。
また、B-29が駄目でも、米国は同じ仕様で、滑り止めとしてB-32を開発しています。
従って、B-29が駄目と判った時点で、B-32が量産され、投入されるだけです。
(339:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
海軍でF4Uがコケた時のためにF6Fがバックアップ開発されていたのと同様、
B-29より冒険度の低い「保険機」が、コンソリ社によって並行開発されていました。
(339:673)

名古屋の高射砲陣地の笠寺について教えてください

1942年に熱田神宮と三菱などの航空機工場を防御するために、高射砲4門(後に6門に増強)する
陣地を見晴台遺跡の上に構築したものです。

本陣地には、八八式七糎高射砲6門を有する一個中隊(敗戦時には第124連隊第8中隊の300名)が
駐屯していたほか、1944年11月からは、名古屋北部の茶屋ヶ坂陣地から移動してきた高射砲大隊
本部(第124連隊第2大隊の200名)が配備されていました。
上級部隊は、高射第2師団で、敗戦時の連隊長は、山田正樹中佐です。

中隊陣地は半径45mで南側に半円を描くように、25m間隔で6基の砲台を構築し、中隊長はその内側
中央に位置、観測班は前面に、通信班が背後に配置されています。
これら戦闘空間の後方に中隊事務所、兵舎、炊事場、便所、浴場など日常生活空間がありました。

大隊本部は、麾下の6個中隊との通信が主な任務でした。
中枢部には、戦闘指揮所の他、電波標定機タ号III型送信機と受信機、つまり電探ですね、があり、
指揮所地下には通信交換所がありました。

このほか陣地内には撃墜機数を示す敵機撃墜柱が20数本建てられ、撃墜したB29の機体の一部が
展示されていました。

砲座はコンクリート製で断面凸型の砲床を構築し、周囲に防御用の土手を巡らしています。
出入り口はスロープ状で、外縁部三カ所には砲側弾薬庫がありました。
通信事務所は、東西15m南北4.8mの長方形で、周囲に溝が掘られ、その中にはコンクリート製の通信
ケーブル埋設管が入り、陣地外と通信事務所、砲台に連絡していました。

高射砲第124連隊は、1944年4月19日に編成されています。
その前は、1941年11月8日に名古屋で編成された、中部防空旅団麾下の防空第15連隊を、
装備、人員は其の儘に改称、改編したものです。
高射砲の定数は、編成当時は4門でしたが、ドゥーリットル空襲を受け、1942年9月に6門に
増強されています。
(337:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

「高射戦史」(下志津(高射学校)修親会編著)によれば

高射砲第124聯隊
 第2大隊長 中原源治少佐
 第8中隊長 占部 弘大尉

なお、山田聯隊長の階級は「大佐」となっています。
(337:575)

東京大空襲の際、地下鉄への避難状況はどんなもんですか

地下鉄への避難は無い。
理由は、トンネルに爆弾に耐えられる強度がないから
防空壕として使えないため
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E9%8A%80%E5%BA%A7%E7%B7%9A
(598:323)

昭和二十年八月八日に八幡が空襲されているのはなぜですか?

原爆の小倉投下そのものが部内でも秘匿されていたので
通常空襲隊は小倉投下を知らずに普通どおりに八幡爆撃を実施したらしいです。
次の日に小倉に原爆を落とす予定があるのにせっかくの町並みを破壊しちゃいけないと思うんですが
八幡は成都駐留隊も含めて執拗に爆撃していたので、いまさら遠慮する必要がない爆撃目標です。
あと、ファットマンの意義は、あくまでも小倉連隊本部や軍需工場を小倉市もろとも破壊することであって
たとえ八幡市に延焼しようがしまいが、目的達成とは関係のないことです。
(299:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

第一次世界大戦ではロンドンの地下鉄が防空壕になったと聞きましたが、日本ではそのような発想が地下鉄建設時にあったのですか?

東京の地下鉄(後に銀座線となる、早川徳次の東京地下鉄道、安田系、後に五島慶太が支配する
東京高速鉄道)に関しては、建設費の低減に重きが置かれて、深度も浅く、防空という発想はありま
せんでしたが、京成電鉄上野線では、車輌の退避所として使われることも念頭に置いて掘削されて
いました(実際、戦時中は寝台車を地下線に運び入れ、運輸省の地下司令部に使用されかけていま
す)。

関西では、新京阪(後の阪急京都線)の地下区間、阪神電鉄の地下区間については考えられていま
せんでしたが、明確に戦争による爆撃の危険を考え、地下鉄道を推進したのは、大阪市長の関一が
最初です。
このため、市域の長距離輸送用に大阪市が選択したのが地下鉄になっています。
大阪の地下鉄は空襲の際、役に立ったのでしょうか
大阪市営地下鉄は、「国防上、爆弾が落ちても潰れない」と豪語しただけ有って、
戦時中の被害は、動物園前の中二階に地表の土被りを突き破って爆発した1発の
爆弾だけの被害で、それ以外の被害はありません。

また、逆に1945年3月13日~14日の大阪大空襲の時は、「弾の雨降る御堂筋」の中を、
終夜運転で市民を救い出したという逸話を持ちます。

ついでにトリビア的補足ですが、大阪市営地下鉄は、他の鉄道車輌が戦時中、続々と
座席撤去を行なう中で、最後まで座席を撤去しない鉄道でした。
(104:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

東京大空襲の大火災で凄まじい上昇気流が発生し、上空のB29がピンポン玉のように跳ねたという記述がありました。

東京大空襲の際に爆撃のために発生した火災の炎は高度7000m(23000フィート)まで巻き上げられ、
発生した乱気流のためにB29の機体は2000~3000フィート(600m~700m)も吹き上げられたと
報告されています。
このとき、高度7000フィート(2100m)での風は風力40kt(秒速20m)にも達したそうです。
(284:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

戦前済州島にあった海軍の飛行場の規模や設置時期のわかる資料ないですか

済州島に飛行場が計画されたのは、1926年で、1930年代半ばまでに20万坪の敷地に滑走路1本が建設されました。
1945年までにその敷地面積は80万坪に拡大されました。

敗戦時の飛行場面積は120万平方メートル、滑走路は南北方向に1400m×70m、誘導路3500m×2550mで張芝転圧によるもの。
滑走路東方には有蓋掩体20基、高角砲陣地、弾薬庫、管制塔、庁舎2棟、士官舎2棟、兵舎17棟、工場、格納庫、病舎などを備えて
います。
(283:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

陸軍飛行第五十六戦隊と昭和20年5月11日の阪神大空襲をレポートしたウェブサイトがあれば教えてください。

多分、昭和20年5月11日のは神戸東部という一地域の空襲ですから、それ専門のサイトは
無いかと思います。
http://www.press-line.com/h-press04.html
http://www.warp.or.jp/~kiraku/ogi.htm
が、精々な所でしょうか。
もしかしたら、英語のサイトの方が詳しいかも知れません。
飛行第56戦隊についても断片的なので、総合的に哨戒したものはないと思います。
煩瑣を厭わず、文献に当った方が良いと思いますよ。
空襲の話なら、このサイトなんぞがありますね。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/index.html
(102:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

空襲警報って何で出してたの?

あと、蛍の光だと、○○方面より○機襲来中!とか放送してたけどあんなの放送してたの?
空襲警報は各地域に設置されたサイレンの吹鳴で行ないます。
これは1937年に施行された防空法と同施行令によるもので、最初は各地バラバラでしたが、
1938年に統一されました。
1943年以降は、警戒警報が3分間サイレンの連続吹鳴、空襲警報は8秒間隔4秒吹鳴10回以上
となっています。

敵機来襲はまず、沖合に配置した特設監視船(漁船改造)から挺団発見の連絡が、防空司令部に
入ります。
これらの監視船は点々と配置していますので、何処かでひっかかるようになっていました。
その後の連絡で規模と大凡の方向を確認します。

また、潮岬、勝浦などに配備した警戒レーダーによって、規模と方向を求め、それを補助する人間の
耳(田舎の山岳部に設置した対空監視哨に穴を掘ってその前に人を座らせ、聞こえてくる音の方向を
司令部に連絡するなど)などの情報を総合して、対象地域に対して警戒警報を発します。
これは各自治体と共に、NHKに伝達され、NHKはラジオ放送を通じて、「東部軍管区情報」などを出す
ようにした訳です。
各自治体では、警戒警報発令をサイレン吹鳴で住民に知らせ、警戒を行ない、いよいよ近づいたら、
空襲警報に切り替えて、住民を避難させるようにしています。
(103:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

防空監視委員って誰がやってたんでしょうか。

防空監視員は、1941年の防空監視隊令に基づいて設置されたもので、
群馬の場合だと、哨長1名、哨員20名が対空監視哨の構成員で、これで、
昼は4名、夜は2名の24時間勤務で、1時間交替で監視を行なっていたそう
です。

沖縄の場合は、哨長、副哨長が地方公共団体(市町村)の委嘱を受けた
在郷軍人、哨員は最初は役場の職員が兼任していましたが、後に青年学校
生徒、または女子学徒が動員されたようです。

全国の傾向を見ますと、長クラスは沖縄のように在郷軍人が、員は1943年に
文部省が出した、「学校防空指針」に基づき、中学三年以上の学生が任ぜられた
様です。
(103:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

米軍が投下したエレクトロン爆弾について教えてください

エレクトロン爆弾は焼夷弾の一種です。
B-29などの爆撃機からコンテナで投下され、ある一定の高度に達すると、そのコンテナから
子爆弾として2kg、5kg、10kg、20kg、50kg、60kg、100kgといった中に詰められた各弾子が飛
び出し、それが燃えながら家屋の屋根を突き破って、家屋に火を放つものです。
ちなみに、日本の都市空襲で多く使われたのは、2、5、10kgのもの。

エレクトロン焼夷弾とはマグネシウム96%とアルミニウム4%の割合で作った合金(これをエレク
トロンと言います)の筒の中に、テルミット(酸化鉄粉76%+アルミニウム粉24%の混合物)を詰
めたもので、発火すると、外側の筒は2000度、テルミットは3000度の熱を発しながら燃えます。
この高温は発火後20秒から1分くらい発生し、以後は燃え尽きるまで10~15分発火し続けます。
また、発火時に0.5~2mくらいの火を噴き、火花は14畳程度の広さまで飛び散ります。

日本の空襲で使用されたテルミット焼夷弾は、AN-M17A1と言う500lb集束焼夷弾に入っており、
日本に投下された焼夷弾の4分の1がこれです。
AN-M17A1は、1発の中にAN-M50、4lbテルミット、マグネシウム焼夷弾(直径5cm、長さ35cmの
六角棒状のもの)を合計110発詰め込んだもので、貫徹力が強く、濃密な火点を得られるため、
先導機が良く搭載していたようです。
日本に落とされた爆弾の大部分は焼夷弾やナパーム弾だと思ったもので
ナパーム弾も都市空襲では使われています。
しかも、都市空襲で使われた3分の2の焼夷弾がこれです。

集束焼夷弾AN-M19と言う500lb焼夷弾では、中にAN-M69と言う6lb焼夷弾が48発詰め込まれていました。
AN-M69は、直径約8cm、長さ約50cmの六角棒状の鉄製筒の中に、ナパーム剤が詰め込まれています。
そして、AN-M19は投下後、リボンを棚引かせながら減速、1500mの高度で解束散開するようになっています。
AN-M19の他に、焼夷弾の全体の約10%を占めるE48(AN-M47油脂焼夷弾、10lb黄燐焼夷弾、ナパームなど
38発集束)、E28、E36に詰め込まれていました。
それは油脂焼夷弾であって、ふつうにいうナパーム弾とは違うだろ
まぁ、用語の問題であろうが…。
油脂焼夷弾と言うのは、一般的にパラフィンとベンジンを混ぜて固めた油脂を、
中一杯に詰めて、それにテルミットを少し混ぜているものです。
テルミット点火薬によりテルミットに点火された炎が油脂に燃え移り、炎を激しく
吹き上げながら、油脂が流れ出て一帯に燃え広がるものです。

ナパーム剤は、ご存知かと思いますが、ナフサネートと、亜鉛、パーム油、ガソ
リンを混ぜ、ゼリー状にしたものですから、油脂とは微妙に異なります。

ちなみに、AN-M76焼夷弾は正味重量480lbの焼夷弾で、中にナパーム剤とマグ
ネシウムが充填されています。

も一つ、ついでに。
日本の防空において、焼夷弾の対策として以下の様にしなさいと…。

1. 防空従事者は速やかに防火に当ると共に、近隣に大声で知らせる。
2. 防火は最初の一分間が大切で、周囲の燃えやすいものに水を掛けるのが第一であるが、
  エレクトロン焼夷弾には筵類を濡らして掛けるか、砂袋を投げつける。
  油脂焼夷弾も筵類を濡らして掛けるか、水を掛けるか、バケツやシャベルで砂や土をかけて火焔を消す。
  黄燐焼夷弾も塊って燃えるのは油脂と同様にし、飛び散った黄燐は、水で濡らした火叩きで叩き消すか、
  水を掛けて消す。
3. 焼夷弾が天井裏や屋根裏に留まったら、鳶口か長棒で突き落とす。防火に不便な場合も、これで移動する。
  小火焔や火の粉は火叩きで叩き消す。
4. 黄燐は長く燃え、一旦消しても再燃するから安全な所で燃焼させる。
5. 焼夷弾は何処に落ちてくるか分らない。天井、押入、物置、床下に注意する。
(113:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

空襲ですが、なぜ高高度から夜間低空からの爆撃に変えたんでしょうか?

ちょうど今「東京を爆撃せよ」(三省堂選書)を読んでいるので、そこからの引用。

3月10日の東京大空襲の際の第21爆撃機集団司令部の作戦任務報告書によると、
「新作戦」である夜間低高度焼夷弾空襲に関して、以下のような利点があると述べています。

1、低高度で爆撃するために、ジェット気流を避け恵まれた気象条件の下で攻撃できる。
2、低高度であるために、レーダーの映像が鮮明になる。
3、搭載燃料が少なくてすむ。また、弾薬をわずかしか携行しないため多量の爆弾が搭載できる。
4、発動機に負担がかからず、整備作業が楽になる。
5、爆撃精度が向上する。

また、日本側に有効な夜間戦闘機がないことや、短期間に大都市への焼夷弾攻撃を繰り返すことで、
日本側に有効な防御措置を取らせない目的があることも明記されています。
その機上レーダーは地形走査ができたのでしょうか?
B-29は基本的にレーダーのみで爆撃を行っています。
搭載したAN-APQ-13レーダーは航行用ではありましたが、爆撃照準にも
使用されています。
東京大空襲では、投弾機の2/3がレーダーのみで爆撃を行ったとか。
残りの機体もレーダー情報に推測航法を加味したか、先導機にしたがって
爆弾を投下したかいずれかです。
(267:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

例によって蛇足ですが。

米軍の報告書に依れば、その主要な利点は、
 1. 爆弾搭載量が増加する。
 2. 低高度を選択することによって爆撃精度が向上する。
 3. 高空を飛行する場合のジェット気流を考えなくても良いので、燃料消費量が少なくなる。
 4. レーダー映像が鮮明化する。
 5. 航空機並びに装備品の負担軽減
としています。

爆弾搭載量は、平均して6.8tとしていました(勿論、クルーの能力によって上下しますが)。

航空機関士からすれば、殆どの作戦飛行が巡航出力で飛行でき、従ってエンジン寿命が長くなり、
エンジンの停止が少なくなるから歓迎されました。
また、高々度では低温によって屡々レーダーが作動しなくなったり、爆弾倉扉が開かなくなったり、
其の他装備品の作動不良が出たりしますが、高度を下げればそうした故障率は減ります。

天候については、高空のジェット気流ほど酷い強風には滅多なことでは遭いません。
稀に31m/secの風があったとしても、一般には5~21m/sec程度ですから、航法上の誤差はそんなに
出ることはなく、修正も容易です。
但し、冬期間は、航路の北部では着氷対策が必要とされました。

爆撃精度については、風の影響が少なくなるため、爆弾の分散が小さくなり、落下範囲が限定出来、
風速の影響をそれほど受けないと言うことは、向い風、追い風以外の攻撃軸を選ぶことが出来るので、
敵の防衛を混乱させることも可能です。

また、高々度では風の影響から限定的なレーダー用攻撃始点(IP)、レーダー用間接照準点(OAP)と
成るのに対し、低高度を採用することで、柔軟なIP、OAPの設定が可能となります。
(267:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

米軍は鉄橋やトンネルを重点的に破壊しても良かったのでは?

そもそも、機関車、特に蒸気機関車は何で動くかというと、石炭(重油で動かすものもありますが、
当時の社会情勢では、重油で動かすのは無理)が主要動力源になる訳で、その石炭は東京鉄道
局管内に於て、一日2500トンが必要な訳です。

線路やトンネルを破壊しても、其の手前まで物資は動かすことが可能ですし、軍の力を以てすれば、
そこらの不要不急鉄道から資材を持ってきて、線路くらいなら数日程度の運休で、復旧可能になり
ます(井の頭線が不通になったら、小田急線から線路を繋げて、小田急(当時は大東急ですが)や
京急、相鉄などから電車や資材を持ってきて復旧させました)。

寧ろ問題は、電力不足による電車本数の削減、石炭不足、または石炭の品質低下に伴う機関車数の
不足であり、空襲が間接的に日本の物流網の不安定化に貢献していることになります。

別に鉄道網を破壊したからと言って、厭戦気分が広がるかと言うとそう言うことはありません。
寧ろ、空襲が激しい都市部の方が「撃ちてし止まん」の思想が強かったりします。
鉄道はもっと燃料効率が良いという先入観に囚われていました
とりあえず、米国戦略爆撃調査団の「日本戦争経済の崩壊」という本が図書館辺りで見ることが
出来れば、調べられると思います。

蛇足ながら、抜粋をしておきます。

「海上封鎖の結果、1943年初頭以来、沿岸輸送の益々多くの部分を鉄道輸送に切り替えざるを得なかった。
 この追加負担で既に負担の荷重に喘いでいた鉄道組織は一層脆弱性を増したのであるが、敵がこの弱点を突こうとする
 何等の組織的空中攻撃計画は立てられていなかった。
 1945年7月に1度だけ行われた航空母艦からの攻撃は、本州~北海道間の鉄道連絡船を襲い、12隻の連絡船の内、10隻
 が完全に破壊され、2隻に損傷を加えた。
 このため、北海道炭の本州向け積出しの30%がこれに依存していた連絡輸送能力は、82%方削減され、9ヶ月間も回復の見
 込みが付かなかった。
 其の他の銃撃や艦砲射撃では継続的な効果はなかった。
 都市攻撃の場合には小輸送に対して被害を与えたが、貨車輸送に対してはその輪転資材の破壊という点でも、また労働力の
 点からも大体無傷であった。
 都市爆撃の直接の効果としても、鉄道で貨物輸送が出来なくなったと言う様な事例は発見されなかった。
 物質的被害は僅少で、精々踏切番の小屋とか半%程度ばかり貨車溜まりがやられた程度に留まった。
 (中略)
 然し、1945年7月には戦略爆撃を鉄道に集中する計画が決定になっていたと言う事実は指摘しておかなければならない。
 鉄道を組織的に破壊するプログラムは出来ており、その第一回目は丁度戦争の最終日であった。」
(265:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

東京大空襲で『B-29は初め、低空からガソリンを撒いて、後に焼夷弾を投下して炎上させた』というのは本当なのでしょうか?

"Analysis of Incendiary Phase of Operations Ageinst Japanese Urban Areas"と言う
第20爆撃航空団の参謀の報告書では、「ガソリンをまいて」焼夷弾を投下したと言う記述は
ありません。
3月9~10日の東京大空襲から、19日の二回目の名古屋空襲まで、米軍では効果的な都市
焼失の研究を行っており、焼夷弾のAcre当りの投下弾量の調整によって、火災効果を上げる
ことを主眼に置いています。

東京大空襲の時は、1機のB-29に40発の集束焼夷弾を搭載し、目標上空で50ftごとに1発投下、
これは2500ftで分解し、子焼夷弾38発を放出、それらは乱雑なパターンで、長さ2,000ft、幅350ft
に渡る、16Acreつまり、65,000m^2に渡って、火災を起こすことになります。
この時は1Acre当り0.3tの焼夷弾をばらまいています。

この東京の時は焼夷弾の無駄遣いと言う結果になり、1回目の名古屋空襲では、これが半減され
ましたが、この時には焼失面積が少なく、最終的に東京の数値が採用されています。

また、平均して発生した火災面積を広げる為に、目標地域にAPと言う照準点を設け、それぞれ4,000~
6,000ft離れた3~4カ所のAPを併せてその爆撃に1個飛行隊を充てることにして、同時に火災を発生
させるようにしていました。
これで大体半径600mの円内に、各飛行隊が投下した焼夷弾の半数が命中し、残りは隣接のAPに
投下されるので、目標地域に一様の投弾密度を与えて大火災を起こさせるというものでした。
但し、これは、理論的な話であり、実際の損害とはかけ離れていたりしますが。

こういった都市爆撃は空戦法規案の24条に違反しますが、日本の場合は、軍需工場のみならず、
これを補完する小規模家内工業が住宅地域に混在し、軍需工場周辺にも民家が集合していることを
以て合法性を主張しています。(まぁ、勝てば官軍ですが)
(260:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

本土防空戦で、最も日本側の戦闘機が迎撃に上がった戦いっていつなんですか?

朝雲新聞の戦史叢書「本土防空作戦」の付録表を見ると
20年2月16~17日の機動部隊関東来襲に際し、
第10飛行師団(調布・成増・松戸・印旛)と第302海軍航空隊(厚木)が、
のべ879機で艦載機を迎撃したのが最多のようです。
ただし、松戸の53飛行戦隊は夜間用の屠龍隊なので温存しており、実質3個戦隊での迎撃です。

以後、100機以上での迎撃は6回に及びます。
  • 2月25日 機動部隊関東来襲…110機で迎撃
  • 4月 7日 エンキンドル7号作戦(中島武蔵爆撃 ムスタング初護衛)…119機で迎撃
  • 4月12日 エンキンドル8号作戦…155機投入
  • 4月30日 ブロックハウス1号作戦(立川爆撃)…120機で迎撃
  • 5月14日 マイクロスコープ4号作戦(名古屋爆撃)…109機で迎撃
  • 5月24日 第181号作戦(東京東海爆撃)…140機で迎撃

以後、沖縄戦支援のため首都圏航空隊が九州に移り、本土決戦準備のために、
100機以上での大規模邀撃は行われなくなりました。
(171:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

日本の焼夷弾対策ですが

濡れむしろと砂で消すくらいの話にならないものだった、とかいう批判をしている人が多いですが
有効な消化剤の開発は行われていたのでしょうか?
昭和19年版某新聞社年鑑より抜粋。

●焼夷弾が落ちたら
 1. 焼夷弾の落ちた家庭
  (1)防空従事者は、速に防火に当たると共に近隣に大声で知らせる。
  (2)防火のやり方は最初の一分間が大切で、周囲の燃えやすいものに水を掛けることが第一である。
    エレクトロン焼夷弾には蓆類をぬらして掛け、その上に水を掛けるか、砂袋を投げつける。
    油脂焼夷弾も蓆類を濡らして掛けるか、水を掛けるか、バケツやシャベルで砂や土を投げかけて火焔を消す。
    黄燐焼夷弾も塊って燃えているものは油脂と同様にし、飛散して燃えている黄燐は、水で濡らした火叩きで叩き消すか、
    水を掛けて消す。
  (3)焼夷弾が天井裏や屋根裏に止まったら鳶口か長棒で突き落とす。防火に不便な所に有るときもこれらで移動する。
    高いところや遠いところの火炎は水柄杓で水を掛け、小火焔や、火の粉は火叩きで叩き消す。
  (4)黄燐は長く燃え、また一旦消しても再燃するから安全なところで燃焼させる。
  (5)焼夷弾は何処に落ちているか判らない。押し入れ、物置、天井裏、床下にも注意する。
2. 隣組
  隣組防空の要領は、まず自宅に異常のない防空従事者は現場に駆けつけ、隣組長の指揮で防火に当たり、組内に異常が
  なければ他の組を応援する。
  隣組長は組内に焼夷弾が落ちたら、最寄りの警防団詰め所か、警察消防官署に状況を簡単に通知し、隣組で防火の見込み
  無ければ、警防団や消防署に応援を求める(以下略)
3. 火災になったら
  隣組長は警察消防官吏や警防団員の指図があるまで消火や延焼防止に当たる。
  消火方法はまず燃え移ろうとするところに水を掛け、次に燃えている所に水を掛けて消す。
  延焼防止のためには、火炎を被っていれば、その場所に水を掛け、熱気を受けているときは発火しやすい軒下、妻などに注意
  して水を掛ける。
  隣接の隣組長は、延焼の危険が組内に有れば、防空従事者をその防止に当たらせ、危険なければ一部を他へ応援させる。
  消防隊や警防団が着いたら、その指図で消防の補助に当たる。
  風下では飛び火の警戒をする。

とまあ、こういう感じで、のんびり構えてたら、想像以上の激しいもので、
犠牲者が多数出たために、方針転換して、退避を優先するようになっています。

また、防火帯と言って、延焼を防ぐために、焼けていない住宅を破壊して、空間を作り、
そこで火を止めようとしました。

消火剤の開発なんてのは、端っからしてません。
してたら、皇居や神宮は焼けてませんて。
(185:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦略爆撃はあまり効果がなかったという議論があったけど本当なの?

米国戦略爆撃調査団が、日本国民に対して戦後行ったアンケート調査によれば、
東京都民は、「日本が戦争に勝つことが出来ないと確信した理由を教えてください」
と言う設問に対し、三分の一の人が、「最後まで勝利を疑わなかった」と回答しています。
一方で、大規模な空襲によって高度に破壊された大都市住民に聞くと、同じ設問で、「空襲
要素のため」と回答した人が四割を占めています。

大規模な空襲で高度に破壊された中小都市住民でもこの傾向は変わらず、大規模な爆撃で
軽度に破壊された中小都市、小規模爆撃を受けた、または空襲を受けなかった都市住民は、
「空襲による」と「最後まで勝利を疑わなかった」というのが拮抗します。

一方で、田園共同体、つまり田舎の人については、意外なことに、三分の一が「空襲のため」
と言う回答を返しており、「最後まで…」の人は、四分の一しかいませんでした。
当然、都市疎開者の場合は、「空襲のため」と回答した人が多いわけですが…。

東京の回答に継戦意欲が高かったのは、東京という都市の疎開政策が、他の都会に先立って
大規模に行われており、戦意の低い人々がいち早く東京を離れ、戦意の高い人々が残ったこと、
東京の被験者の五人に一人が政府関係者であったこと、更に、回答者には高等教育を受け、聖戦
意識が強く、政府の宣伝に近い立場にあって、一層完全に教化されていたと言う分析が為されて
います。
(224:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

WW2でドイツと日本、どちらの空襲被害が多かったの?


「ドイツ本土戦略爆撃」 大内健二著より

総爆撃参加機数 (機)
ドイツ本土 530223
日本本土  25915

総爆弾投下量 (t)
ドイツ本土 1643398
日本本土  155000

総投下爆弾数(発)
ドイツ本土 7296700
日本本土  689000

国土面積比投下爆弾量 (t/k㎡)
ドイツ本土 4.6
日本本土  0.4

国土面積比投下爆弾数(発/k㎡)
ドイツ本土 20.4
日本本土  1.8

(741:201)

神戸大空襲の民間人の被害が格段に大きいのは、神戸という町が山と海に囲まれた狭い町だったからでしょうか?

「神戸大空襲」といわれているのは何回かあるようで、そのどれを聞きたいのかよくわからんが
3月のは狭い地域に東京大空襲のときの2倍の爆弾が投下されたそうだから、単純にたくさん爆弾が
落ちてきたからだといえそうだ
(俺初質スレ2049:495)

大戦中日本本土の空襲前には、空襲を匂わすビラがまかれていたみたいですが それを読むのを禁止されていたのはなぜなんでしょうか?

軍民離反の恐れがあるから
挙国一致体制で敵と戦ってるのに内乱なんかされたらたまらない
(俺初質スレ30501:902)
禁止したって確実に読まれはするだろうけど
敵のプロパガンダを放置しとくわけにいかんからね
(俺初質スレ30501:903)



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