日本の兵役制



旧制中学を卒業して志願して日本陸軍に入隊する人はいたのでしょうか?

そういう人たちは一体どんな部隊に所属してたのでしょうか?
戦前の場合は、中等学校以上の学校卒業者に対しては、一年志願兵制というのがありました。
これは、予備、後備役の幹部を養成する為のもので、一年の在営期間中に伍長に昇進させて予備役に
編入、勤務演習の後に合格すれば予備役将校に任官させる制度です。
一年しか軍に属さない代わり、在営期間中の費用は自弁で、将校に任官した時も被服費は自弁だったり
します。

この費用自弁制は1933年に廃止されていますが、幹部候補生制度と名を変えて残ります。
但し、中核人材の確保から、入営期間が延長されています。

幹部候補生は、入営後直ちに一等兵になり、二ヶ月後に上等兵になります。
この時に甲種と乙種の幹部候補生に分かれ、甲種は一ヶ月後に伍長、三ヶ月後に
軍曹となり、兵科毎に陸軍予備士官学校、各種兵科学校で十一ヶ月の集合教育の後、
曹長となり、本隊に帰って四ヶ月後に本務に必要な勤務習得後、少尉となって退役
します。
しかし、日中戦争の進展に伴う幹部の払底から、予備役に編入されてもすぐに充員召集、
臨時召集対象者となったので、予備役から現役になる道も開かれていました。

乙種幹部候補生は、四ヶ月後に伍長に進み、一年三ヶ月後に試験を行ない、約半数を軍曹に
任命します。
また、そのうち優秀なものについては、将校勤務適任証が渡されています。

1943年から航空、船舶、通信、兵技、航技の現役下士官補充の為に、特別幹部候補生というのも
作られています。
入隊または入校後直ちに一等兵となり、六ヶ月後に上等兵、更に六ヶ月後に兵長、課程修了後伍長任官
となります。
このうち、中等学校課程修了者については、軍曹に任ぜられる場合もあります。

海軍の場合は下士官任用特例という制度があり、現役兵から選抜され、水兵科、飛行科、整備科、機関科、
工作科、看護科、主計科の各兵科で、兵長に任じた後、各種学校での六ヶ月間の教育修了後、二等下士官
とするもので、これも成績優秀な場合は、一等下士官となっています。
(107:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

徴兵逃れについて、

祖父は視力検査の際に近視であると偽り、丁種不合格となって大戦を生き延びたと語っていました。
こんな適当な徴兵拒否工作で乗り切れるほど、当時の検査は甘かったのでしょうか?
其処はそれ、極めて日本的なナァナァの世界ですから、その辺の徴兵逃れはやろうと
思えば何とでも成ります。
検査するのは同じ街の医者ですから、その人が知り合いであれば、工作は容易いこと
です。

徴兵されても、即日帰郷、以後召集に適せずの烙印を押される場合もありました。
この場合は、それなりの金がそれなりの要路に渡っていますが…。

また、徴兵検査直前に醤油を飲むなど各種の欺瞞工作は行われていました。
各市町村には、徴兵係が一名専任で置かれており、彼と懇意の場合は、徴兵を免れる
場合もあったようですし、会社勤めで、事務屋をしていた人が、徴兵を逃れる為に、工場
勤務と偽っていたケースもあります。

但し、徴兵逃れが発覚した場合の罪は重く、即刻召集、最前線送りというケースか、
その代わりに常磐炭坑などの炭坑で炭坑夫となるケースがあります。
また、本人ばかりでなく、市町村長、徴兵係も連帯責任と言うことで懲戒処分を受ける
場合もありますので、徴兵係は、滅多に徴兵逃れの片棒を担ぐことはありませんでした。
(124:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

赤紙(召集令状?)はどのような手続きで交付されたの?

赤紙と言うのは、俗称です。
召集には、充員召集と臨時召集に分けられます。
充員召集は、軍中央で決定され、参謀総長が天皇に動員実施を上奏して承諾を得て動き始めます。
これにより、軍から各警察署を通じ、各役所に対して、「動員令予報」と言うものが届けられることになり、
これをトリガーに各役所の兵事係は、動き始めます。

間もなく、赤紙の入った封筒が警察から各役所に届けられます。
封筒には師団名と動員符号が記入され、地方自治体名と動員数が書かれ、警察署長からの送付状も同封されています。
この送付状に兵事係が受け取り日時を記入し、警官に返します。
封筒は、首長以下三役立ち会いの下で開封され、誰が召集されるのか、この時点で明らかになります。
兵事係は在郷軍人名簿と照合して、記載内容に誤りがないか確認します。
ちなみに、氏名の文字に誤りがあるだけでも、赤紙は交付出来ません。

点検後、応召連名簿(赤紙の発行記録簿)に氏名の記入をした後、役場職員が急使として各家庭に赴き、
交付することになります。
赤紙を受け取った対象者の家庭では、受領証を切り取って日時を記入し、急使に手渡します。
対象者が地域から出ている場合は、予め決められた通報人が代理受領し、本人に知らせることになります。
交付が終わると、兵事係は礼状発想交付終了通知書を作成して警察に届け出、一連の業務が完了します。

臨時召集の場合は、各師団で発行します。
これも同様に兵事係が手渡しを行います。
(337:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

うちの祖父は旧帝大の理学部でしたが、陸軍にいたみたいなんです。理系の大学生でも徴兵の対象になったんですか?

当時徴兵は男性の義務で徴兵検査は全員が受けます。
うち合格者が召集の対象になり、選抜されて兵役に尽きます。
理系、医系の学生は27歳まで召集が免除されており、27歳以降であれば
学徒出陣以前でも兵役についた可能性があります。
(335:401)

徴兵令が廃止されて兵役法が施行されてから、赤紙が届くという事は独仏のWWIなどの単純な予備役召集という意味ではなくなったのでしょうか?

赤紙ってのは再招集のことだぞ
やっぱり赤紙が来る人ってのはそれより以前に基礎訓練を受けているということでいいんですよね。
昭和二年の徴兵令を改定した徴兵法で、戸籍法の適用を受ける満二十歳のものは
全て徴兵検査を受けることが定められた。
この徴兵検査で甲乙丙丁戊種に分け、甲種合格の者が二年の兵役に就くものとさ
れた(時節によっては就かなくてもいい場合もあった)。
この兵役が終わると予備役→後備役兵→ 第一国民兵となっていく。
この期間を在郷軍人と言い、これを再召集するのが通称「赤紙」の充員召集令状、
臨時召集令状。
また、兵役に就かなかった者は補充兵→第二国民兵となり、こちらは教育召集
(赤紙ではなく白紙)されて教育を受けた後、実戦部隊等に送られる。
(296:118-183)

太平洋戦争中、日本の徴兵年齢ってどのように変わっていったのですか?

また、40台のオッサンが再徴兵されるようなことって結構頻繁にあったのでしょうか?
1927年の兵役法(法律第47号・徴兵令は太政官布告でそれに変わるもの)では、
戸籍法の適用を受けるもの、即ち、内地と樺太に本籍を有するもの、つまり、内地人の男子については、
17歳~40歳まで、兵役に耐えぬ者を除き、全て兵役に服することを定めています。
従って、たまたま、召集を免れただけで、その範囲内の男子は兵役に服することがある訳です。

これが、1943年になると、軍医の払底から、徴兵年齢の上限を引き揚げることになります。
(軍医だけを狙い打ちにすると、不満が出るので、全員の年限を引き上げた)
これにより、17歳~45歳まで召集可能となりました。

40歳(1943年以降は45歳)で、兵役は終了しますが、1945年、義勇兵役法(法律第39号)によって、
男子15歳~60歳、女子17歳~40歳の全員(現役と召集中を除く)が義勇兵役に登録され、国民義勇
戦闘隊に召集を受ける場合があることになります。

40代の再招集は特に医者に多かったようです。
(216:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本で徴兵回避の手段として、鉄砲の引き金を引けなくなる様に、利き手の人差し指を切り落とした人がいたという話は事実なんでしょうか?

人差し指を落したり、屈曲出来ない様に装ったり、動かなくしたりなどをやったケースはあります。
但し、それ以外の身体的機能が問題なければ、下手すれば乙種、最低限度でも丙種程度の合格には
なります。
乙種なら十分に召集の対象、丙種でも末期なら召集の対象となり得ます。

尤も、その前に、徴兵忌避が知れてしまえば、常磐炭坑などで働くという選択肢が有無を言わさず待って
いますけどね。
(284:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

太平洋戦争中、軍に召集されなかった人はどんな人ですか?

男は根こそぎ軍に動員されていたようにイメージしますが、役所などの公務員は徴兵されてたんですか?
旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部で行ないます。
この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状
を作成します。
これは、充員召集令状と言い、前年度に作成し、予め警察署に保管、動員令が下令されると発行するもの
です。
また、中央とは別に、その地区を管轄とする師団から、戦死、戦傷、戦病などの要員で人員の不足があった
場合、管轄地域で召集令状を発行しました。
これを、臨時召集令状と言い、師団毎に随時作成されています。
比率から言えば、日中戦争勃発後、後者の令状が多く発行されています。

この発行の基礎資料になったのが、各市町村役場の兵事課から提出された在郷軍人名簿です。
これには軍隊の経歴、召集回数、健康程度、家族関係、思想関係、治癒見込(病気の場合)などが
記述され、このほか体格等位に徴兵検査の結果を記入、役種に兵役種類が記入され、更に特・分業、
特有の技能が記入されています。

充員召集令状を発行する場合、特・分業、特有の技能に注目し、中央が作成した動員計画の必要技能
召集する部隊の練度、任務の軽重なども勘案して、召集を決定します。
他に、体格等位、健康程度などを重視して必要兵を抽出していきます。
海軍の場合は、更に思想関係も重要視されたようです。

さて、召集記録の欄の末尾に「召集延期者」略して「召延」という朱印が押されると、召集対象外となり、
召集令状は来ることがありませんでした。
これには甲、乙と二つの区分があり、甲は絶対召集しない人、乙は人がいない時に初めて召集対象
となる人です。

この召集延期の制度は昭和2年から開始され、制度が年ごとに拡大していっています。
ちなみに、この規定は、陸軍動員計画令(永年動員計画令)に記載されたものです。

例えば、1943年当時の戦時召集延期者は以下の通りです。

1. 侍従、侍医、東宮傅育官、皇宮警察官吏、皇宮警察部消防夫
2. 陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者、及び特種の雇用人、工員にして必要欠くべからざる者
3. 鉄道又は通信業務に従事し、必要欠くべからざる者(一般国民対象)
4. 船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
5. 民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
6. 国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
7. 陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
8. 都道府県、地方事務所、警察署、市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
9. 帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中、必要なる者、並びに外地最高司令官、朝鮮台湾軍管区司令官
10. 帝国議会の議員
11. 国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
12. 上記の外、国歌総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして、必要欠くべからざる者

つまり、一般人は輸送、通信関係の職員、陸軍大臣指定工場技術者、兵事係などの召集業務担当者が全面的に免れ、
教師も一部が召集対象から外れています。
また工場の熟練労働者も対象となっています。
但し、工場などに於いてその選出は各工場に任されていた為、工場幹部の親戚が事務屋として入っていて召集延期者
として選出させた事例もあります。
この場合は、発覚すると即座に召集されるようになっていました。

1944年からは、臨時召集延期制度が始まります。
これは、航空機工場、特に重点機種(疾風とか飛燕とか言った戦闘機、飛龍などの爆撃機)の生産従事者は全員この
対象となって、召集を延期されています。

また、これ以外の航空機生産従事者、交通関係従事者、鉱山技師、炭坑夫、造船関係従事者、特攻兵器製造従事者
は、例え徴兵検査で入営することが決まっていても、一定期間その入営を延期する「入営延期制度」対象者となって
います。
この制度も1944年から開始されています。

これより先、1943年3月からは、既に入営した人で、軍需生産に必要な人でなおかつ、「軍の統率、団結、軍の士気上
差支えなき範囲内に於いて」召集解除し、職場に復帰させると言う「特別召集解除制度」がありました。

また、本土の食糧不足が深刻化していた1945年には、根刮ぎ動員があった反面、「召集要考慮制度」というもので、
軍需生産だけでなく、農林水産業従事者も対象にしています。

これらの総数がどれくらいあったかと言うと、召集延期制度が、1941年には10万人程度だったのが、1945年には
85万人、臨時召集延期制度は不明、入営延期制度は、1944年で20万人、1945年で6万人、特別召集解除制度は
1943~45年で4.3万人、召集要考慮制度は160万人が対象となっています。
戦時中の在郷軍人数は約500万人、召集要考慮制度を除くと、総数で115万人以上に上っています。

また、充員召集計画で召集令状を発行されていたのに、その充員召集計画自体が取りやめとなった為、結果的に
召集されなかった人も多かったようです。
(105:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第二次大戦時に日本の少数民族ともいえるアイヌや、山家の人達も召集されたんでしょうか?

民族によって違う
朝鮮人は徴兵された。台湾の高尾族や南洋信託統治領の一部民族もだ
アイヌや千島列島の諸民族は徴兵こそされていないが、部族丸ごと日本軍に強制的に協力
させられたりしている
概括的まとめ、かつ個々の事例は平岡正明の30年ほど昔の著作に詳しかった
(283:763)

徴兵検査で甲種合格をした人が31歳のとき日中戦争で招集されるというのはありえる話でしょうか?

甲種合格でその年まで入営をしていないとなると、甲種合格者が多かったために
抽籖による徴集を行って、それに漏れたということが考えられます。
その場合は第一補充兵役と呼ばれる兵役区分に分けられ、甲種合格者が少ない場合に
そこから徴集されることになります。
補充兵役の服役年限は十二年四ヶ月ですので、31歳というのはかなりぎりぎりの年齢です。
(280:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
軍曹氏の指摘に加えて、充員召集ではなくて、本当に足りなくなって
からの召集と言うことは考えられることがあるでしょうし、後は、召集時に身体
を壊して、召集延期になったと言うことも考えられるのではないでしょうか。
(280:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧日本軍では女性を軍人として採用する考えはあったのでしょうか。

女性を軍人にすることは考えも付かない状態です。
そもそも、枢軸国の場合は、人口の基、子育ての担い手としての女性という立場
があり、それを戦力化する方向にはなかなか進んでいません。
どん詰まりの1945年に国民義勇兵として採用しようとはしていましたが、結局、
それもどんな形になるのか明確になる前に、敗戦となっています。
(280:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

対米戦が開始されていない状況で、二度目の召集を受けるというのはよくある話でしょうか?

所謂「赤紙」に関しては、NHK特集で昔やっていたのが、本になっています。
図書館でも探せばあると思いますので、調べてみては如何でしょう。

最初の召集の際に、幹部候補生に志願して、再招集で将校となった場合とか、将校担当官
(経理担当とか軍医とかそう言う専門職の人々)は、本籍の部隊よりも、様々な部隊に回され
ます。

複数回の召集ということは十分あり得ます。
戦時の小隊長などの下級将校要員が不足し、幹部候補生を召集してそれに充てる、あるいは
兵科将校よりも将校担当官のエキスパートが不足したので、その業務が必要な人々を召集する
と言うことは、戦時体制の移行に伴い起きています。

ちなみに、我が祖父は3回召集を受けていますが、兵役義務は1回行ったからと言って
消えるものではありません。
原則的には、兵籍簿に「軍務に適さず」という朱印が押されない限り、召集の対象となり
ます。

召集は、動員下令により、動員部隊の要員を充足するのが、充員召集。
臨時に召集するのを臨時召集としており、前者が、防衛計画に基づいて年度初めに
予め誰を召集するのか、きちんと決めて聯隊区司令部とか役所の金庫に召集令状
が保管されていましたが、後者は、聯隊が、本隊の人員滅失状況を受けて、兵籍簿
から、充員召集令状の対象者以外を召集するものです。
(280:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦前の日本で徴兵検査うけて、兵科を決められるときに、自分から希望は述べられたんですか?

また、学歴や職業などは重視されたんでしょうか? 電気技師やってるから工兵とか。
兵科は自ら決めるものではありません。
希望を出すことはほぼ不可能でした。

但し、大学を卒業するなど高等教育を受けていた場合は、士官への登用を上司から促される
ことはありますし、学部に依っては、それに相応しい科に進むことは可能ですし、その方面は
非常に有利になります。
例えば、経済学部の場合は経理部、法学部の場合は法務部、獣医、医者の場合は軍医とか
獣医部とか…。

また、徴兵の場合、充員召集であれば、職業や職歴が考慮されることが多いです。
特に手に職を付けている、例えば、蹄鉄師なんかは、何度も召集されることがありましたし、
運転免許を保持している人も同様です。

臨時召集ではそんなことは考慮されず、ただ頭数を揃えるだけと言うケースが多いので、
熟練工を一兵卒にしてしまうことも多かった訳で。
山本七平の著書(「私の中の日本軍」か「一下級将校の見た日本陸軍」のどちらか)で、徴兵検査を受ける時に
キリスト教徒で非戦主義の先輩に言われて「衛生兵」を志願するが徴兵係に馬鹿にされ、恥ずかしくなって取り下げる…。
その横でW大学の学生が「自分は大学で学生砲兵隊に所属していたので、砲兵を希望いたします!」と名乗り出て徴兵係が書類に記入する…
というシーンがあったのですが、これは彼らが大学生だからですか? それとも一般でもあったことですか?
時代によるのではないでしょうか。
特に陸軍は、外部で高等教育を受けた人物に対しては、異常なほど敵愾心を燃やしていた部分
がありますから。

その希望は、あくまでも徴兵検査時に「聞き置く」と言うレベルのものであり、実際の兵科への配属は、
入隊後の教育状況で適性を見極めて決める場合が多いです。

因みに、漏れの祖父の場合は、大学出の教師だったのですが、何処をどう間違ったのか、親が医者
だったから、と言う理由で(後で聞いたらそんなことだったらしい)、衛生科に配属されて衛生兵になった
訳で、別に徴兵検査で希望を出した訳ではなかったりします。
(280:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦時中の日本は、金持ちは徴兵されなかったのですか?

納税額1万5千円を超えると徴兵免除と聞きましたが。
んなこた~ないです。

金持であっても、近衛の息子のように、徴兵された場合もありますし、中野正剛による
東条批判事件では、その弾圧に批判的な対応をした検事(43歳で国民兵に編入)、毎
日新聞記者は、戦局批判をしたために、四国丸亀の機関銃中隊に徴兵され、松前重義
逓信省工務局長も本来は少将待遇だったのが、召集されて二等兵として南方の第一線
に飛ばされています。

但し、徴兵されても、元居た所が必要と言うことで、軍に陳情するルートを持っていれば、
即日帰郷という場合もありました。

このほか、徴兵忌避の方法として、「軍事警察雑誌」には以下のケースが上げられています。
 強度の眼鏡を使用し、近視眼となるもの/全く故障無き眼を近視の如く訴ふるもの/眼に刺激性のものを入れ眼球を充血せしむるもの/
 前夜睡眠を為さずして他に眼病有るが如く訴ふるもの/耳穴に奥深く豆類を挿入したるもの/鼓膜に鳥の羽のものを付着せしめ聴力の
 故障を起こさしむるもの/強き刺激性の食物を採りて耳鳴りを起さしめ故障有るが如く訴ふるもの/歯を故意に抜き取るもの/醤油の類
 を多量に飲み心臓の鼓動を高くし心臓その他の疾病あるが如く訴ふるもの/受検二三日前より絶食し身体を衰弱せしむるもの/指を切断
 するもの/肛門に漆を塗り痔疾の如く訴ふるもの/神仏に徴兵を免るべく祈願するもの

他に、「徴兵検査研究録」では、
 卵黄を外聴道内に注入し、化膿性中耳炎を疑はしめしもの/角膜を刺傷または火傷せしめて角膜えいを作為せるもの/魚鱗を角膜に貼
 して角膜えいを作為せるもの/右示指(人差し指)を故意に長日間伸展位もしくは屈曲位に緊縛し置き該指の萎縮、強剛を作為せしもの
と言うケースも語られています。
徴兵逃れと懲罰的徴兵を混同されていませんか?
小金持ちが金を積んで徴兵逃れした例として、戸籍を北海道や沖縄に移す(実際は居住しない)夏目漱石・芥川龍之介など。
失礼、太平洋戦争中の事例を見ていたもので、戦前の事例は確認していませんでした。

ただ、戦前の場合は有り得たものの、昭和19年10月18日の兵役法施行令改正以降は、
第二国民兵として丁種以外の壮丁は全員召集可能になった訳で、そう言う意味での
理論上、徴兵逃れが出来なくなったはずと記憶しています。
また、昭和20年6月には義務兵役法によって、男子は15~60歳、女子が17~40歳という
根こそぎ動員も掛けられるようになっていますね。
(103:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧制中学を卒業して志願して日本陸軍に入隊する人はいたのでしょうか?

そういう人たちは一体どんな部隊に所属してたのでしょうか?
戦前の場合は、中等学校以上の学校卒業者に対しては、一年志願兵制というのがありました。
これは、予備、後備役の幹部を養成する為のもので、一年の在営期間中に伍長に昇進させて予備役に
編入、勤務演習の後に合格すれば予備役将校に任官させる制度です。
一年しか軍に属さない代わり、在営期間中の費用は自弁で、将校に任官した時も被服費は自弁だったり
します。

この費用自弁制は1933年に廃止されていますが、幹部候補生制度と名を変えて残ります。
但し、中核人材の確保から、入営期間が延長されています。

幹部候補生は、入営後直ちに一等兵になり、二ヶ月後に上等兵になります。
この時に甲種と乙種の幹部候補生に分かれ、甲種は一ヶ月後に伍長、三ヶ月後に
軍曹となり、兵科毎に陸軍予備士官学校、各種兵科学校で十一ヶ月の集合教育の後、
曹長となり、本隊に帰って四ヶ月後に本務に必要な勤務習得後、少尉となって退役
します。
しかし、日中戦争の進展に伴う幹部の払底から、予備役に編入されてもすぐに充員召集、
臨時召集対象者となったので、予備役から現役になる道も開かれていました。

乙種幹部候補生は、四ヶ月後に伍長に進み、一年三ヶ月後に試験を行ない、約半数を軍曹に
任命します。
また、そのうち優秀なものについては、将校勤務適任証が渡されています。

1943年から航空、船舶、通信、兵技、航技の現役下士官補充の為に、特別幹部候補生というのも
作られています。
入隊または入校後直ちに一等兵となり、六ヶ月後に上等兵、更に六ヶ月後に兵長、課程修了後伍長任官
となります。
このうち、中等学校課程修了者については、軍曹に任ぜられる場合もあります。

海軍の場合は下士官任用特例という制度があり、現役兵から選抜され、水兵科、飛行科、整備科、機関科、
工作科、看護科、主計科の各兵科で、兵長に任じた後、各種学校での六ヶ月間の教育修了後、二等下士官
とするもので、これも成績優秀な場合は、一等下士官となっています。
(107:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本で戦前にあった予備役、後備役というのは?

基本的に、徴兵検査で甲種合格した人を中心に召集が行われ、次いで乙種に召集が行きます。
それで足りない場合は、予備役、更に人材が払底すると後備役になる訳で。
(354:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧軍の徴兵時の身体検査で、色神・色覚で異常があった場合は徴兵免除されたんでしょうか?

平時を除けば、徴兵免除はされません。

甲種合格は難しいでしょうが、視力さえあれば、第一乙種もしくは第二乙種で
合格したでしょう。
視力が著しく低くとも、片目の矯正視力が0.3以上であれば丙種合格ですし、
片耳が聞こえなくとも第二乙種になり、両耳の著しい難聴でも丙種合格となり
ます。

徴兵の場合、丙種合格までは少なくとも第二国民兵役に服し、免除は為され
ません。
(562:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

徴兵を回避するための犯罪での懲役志願は少なかったと思いますが?

軽犯罪で短期の懲役はすぐに出所して徴兵されそうですし。
えー、犯罪白書には再犯率の推移の説明において「刑務所出所後3月未満で再入所する者の
比率は,戦時中に高かった」とあります。「すぐ出所して徴兵」される「前に」また刑務所に行く人
間がいたことを示すわけで、前提が崩れます。

さらにいえば、戦局が悪化して以降、受刑者数は上昇に転じています。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/30/image/image/h004027e.jpg


昭和15年以降「初めて刑務所に入る」という人間が急増しています。入所する人間の70パー
セントとか80パーセントが初めての懲役刑となるのは、戦局の悪化と戦後の混乱の時期の
みの現象であり、ポピュラーでもない、自慢にもならないが、手段の一つと見るだけの傍証
となります。

5年以上の懲役の比率は5パーセント以下、戦時下で急増したのは3年以下、5年以下の懲
役刑です。罪状で一番多いのは窃盗で、強盗や殺人は減少しています。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/30/image/image/h004029e.jpg
(562:ふみ)

旧軍での徴兵の際、どんな基準で「おまいは陸軍、おまいは海軍」とか決めていたんですか?

まず徴兵検査は全員が共通に受ける。
その際に、本人が配属先の希望を言うことはできたらしい。あくまでこれは参考。
甲種とかの判定基準は陸海軍で異なり、さらに時代でかわるが、海軍のほうが視力優先で、陸軍は体格重視。
甲種合格者から、陸海軍とも欲しい分だけ取る。これが現役入隊。
戦況悪化すると、乙種も現役入隊となってる。
増員の必要が出れば、予備役を使う。この際は、当然、現役時代の配属先に従う。
それでも足りないときは現役経験の無い残りから、召集する。
このときはもはや数合わせに近い。陸海の別も適当。
(658:453)
予備役召集の基準としては、在郷軍人名簿の種々の記載を参考に取る
体格などが補充先で最低限度使い物になるかどうか見るのはもちろん
海軍では視力と思想を重視したという
あと陸海軍とも補充先の職種などを考慮して、特殊技能者を優先的にもらう
例えば、陸軍の輜重部隊なら、自動車の運転免許があれば欲しがったようだ
陸海軍の区別というよりは、補充予定先の部隊に合わせていろいろな基準という感じがする
輜重部隊とか陸戦隊に呼ぶのは、安物で我慢しようみたいな
(658:454)
基本的に海軍は志願兵主体であって、平時は徴兵で海軍に振り分けられた人は少なかった様です。
徴兵で引っ張られたとしても、充員招集なので、高等小学校卒業以上の学歴を有している甲種合格者で、
技能者(大工とかボイラー手など手に職の付いている人々)が殆どでした。

しかし、太平洋戦争が進んで、兵力が払底しだしたときは、甲種合格者以外に召集源を確保していないため、
昭和18年勅令第421号で、陸軍より、第一補充兵役者(第二乙種合格者)を海軍の兵員供給源に振り替えて
貰っています。
(175:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本が植民地人の軍事的利用に消極的だったのって何故ですか?

朝鮮においては、正規の軍人として徴兵を始めたのは、1944年からですが、
志願兵制は1938年から存在しています。台湾では志願兵制の導入は1942年から
徴兵は朝鮮と同じく1944年からです。

理由は色々あるでしょうが、一番の理由は極実務的なもので、当時の植民地
において行われていた日本語教育のレベルでは、軍務に耐えるだけの日本語
能力を持った人間を養成できなかったためでしょう。軍務に就くためには、日本語
(文語体旧仮名遣い)で書かれた兵器操作法などのマニュアルを読みこなす
必要があったわけですから。

実際、陸軍の要請により、当時の日本語教育関係者やその他有識者によって
日本語の表記の簡素化と日本語口語の教授法についての研究が行われています。
そして、この軍が研究した表記の簡素化は、現代仮名遣いにつながっています。
この辺に関心持たれたのならこの本をどうぞ。

「海を渡った日本語―植民地の「国語」の時間」(川村湊)

ちなみに、兵補・軍属としてならば、日本軍の軍政下にあった東南アジアの占領地からも
多くの住民が自発的・強制的に参加しています。
(107:385)

旧陸軍では新兵を徴兵前の職業に応じて適材適所に振り向ける事を行っていたのでしょうか?

特技を持っている人は、充員召集令状での召集の場合は考慮されることが
ありました。
後、医者とか獣医とかの専門職とか。
但し、末期の根こそぎ動員の様に、誰が何でもとなると、そうも言っておられず、
適当に引っ張って適当に一兵卒にしています。
(273:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

警察官の職種の人は召集免除になると聞いたのですが、召集がくる事があったのでしょうか?

一般に警察官と言えば、治安維持に必要な人材と言うことになりますから、憲兵とか警備部隊への
充員召集対象者になっていた可能性があります。
それと、何らかの特殊技能(例えば運転技術など)を有していた方の場合は、充員召集に
充分掛かります。

また、当時の警察官は、現在の治安維持、犯罪捜査、交通行政をやっていた訳ではなく、厚生関係の
例えば、健康保険取扱い、工場などの安全対策、建築確認、獣医、防疫、医事関係、衛生対策、消防と、
現在の厚生労働省、消防庁などの仕事までやっていました。
ですから、警察官と言っても治安警察任務ではなければ、もしかしたら、上記のような技能の持ち主として
召集された可能性があります。
(133:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧日本軍の場合、どれくらい視力が悪いと徴兵を免れることができのでしょうか?

徴兵検査時に失明していると丁種となり兵役原簿には載りません。
視力1.0で甲種合格者、それ以外は乙~丙種合格者となり、兵役原簿に載ります。
平時の際は兵役原簿の甲種合格者の中から優先して現役兵として徴集されます。
(248:247)
平時ならば、甲種合格者が多すぎて徴兵できない状態になるので、
視力が足りない乙2種まで徴収する余裕はありません。
しかし戦時になると、甲種・やや病弱の乙1種だけでは足りないので、乙2種合格者も赤紙をもらいました。
当然ながら、目をよく使う騎兵にはなれません。
力仕事の砲兵や工兵、物資管理と物資輸送を担当する輜重兵によく配当されました。

ぶっちゃけ、大戦末期には実質的に不合格の丙種合格者もしょっぴかれたわけで
目さえ健康なら甲種をもらえた乙2種では徴兵逃れはできませなんだ。
(248:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

甲種では、各眼の裸眼視力0.6(後に0.3となり、かつ矯正視力0.8以上を可とする)以上
を合格としています。
つまり、逆に言えば、各眼裸眼視力0.6(後に0.3、矯正視力0.8)未満の者は身体壮健でも、甲種合格から外れました。
太平洋戦争進展に於ける、兵力の枯渇で、緩和されるまでは、視力に関しては以下のようになります。

第一乙種:矯正視力0.8以上0.5未満
第二乙種:矯正視力0.5以上0.8未満
第三乙種:矯正視力0.3以上
丙種:どちらか一方でも良い方の目の矯正視力0.3以上
丁種:矯正視力0.3未満

なお、一眼が見えなくても他眼視力0.3以上であれば第三乙種に認定されます。

徴兵は丁種以外で行われるので、回答としては、両眼とも矯正視力0.3未満「以外の人」の場合は
徴兵されると言うことになります。
(248:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大戦期の日本軍の将校の予備役招集はどのような状況だったのでしょうか?

現役将校の場合は、現役定限年齢に達するまで現役に服するのが普通です。
予備役編入は何らかの事情で、現役から退いた場合のみであり、現役定限年齢まで予備役扱い
となります。

それ以外の予備役は戦時要員なので平時になったら復員出来ます。

大学、高等学校、専門学校、師範学校の卒業生、或いは学徒出陣の場合、陸軍へ入隊するとき、
多くの人は、幹部候補生を志願しました。
この場合、少尉に任官すると同時に予備役に編入、そして、即日召集という形で服しています。

また、1944年に作られた特別甲種幹部候補生制度の場合、大学、高等学校、専門学校1年以上
在学者、師範学校卒業者が対象で、兵科と経理部将校を短期養成する目的で作られました。
これは、採用と同時に伍長となり、1年の予備士官学校、経理学校で教育した後、半年の見習士官
の後に予備役少尉となるものです。

また、大学、高等学校、専門学校、師範学校の在校生を対象に、特別操縦見習士官制度が1943年に
設けられています。
これも始めから曹長に任官し、仙台陸軍飛行学校で1年半教育後、予備役航空将校への任官が行われ
ていました。

この制度の前に、逓信省航空乗員養成機関で操縦教育を受けた者を仙台陸軍飛行学校で1年間養成し、
予備役操縦将校とする操縦候補生制度がありましたが、対象者は少ないです。

更に1918年~1927年の間、師範学校卒業の小学校教員は、一年志願兵と同じ
仕組みの1年現役兵制度があり、在営1年で予備役少尉になりました。
彼等が、太平洋戦争中に召集されるケースもありました。
但し、この制度は兵役制度逃れに利用されていたので、1928年以後は廃止され
ています。

また、1933年には士官候補生出身の現役中少尉の不足、即ち1936年危機説という
のがあり、幹部候補生または一年志願兵出身の在郷中少尉の志願者を、召集扱いで
軍務に服させる特別志願将校制度が作られ、1939年には現役に採用されることとし、
佐官、憲兵の予備役も、少尉候補者出身予備役から志願できるものとしています。

一方、海軍の場合は、戦時の要員確保のため、「予備」将校という制度がありました。
1934年までは、高等商船学校を卒業して船員免状を取得することで、海軍予備将校と
なります。
航海科は海軍予備少尉、機関科は海軍予備機関少尉に任官されます。
後に、水産講習所、水産専門学校遠洋漁業科卒も同じ扱いとなりました。
1934年、大学、大学予科、高等学校、専門学校卒業生から採用される海軍予備学生制度
が出来、これで1年教育を受ければ、海軍予備少尉になりました。
これは兵科…と言っても、陸戦、対空、対潜、通信にのみ採用されています。
(247:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

15~16歳でも特攻に動員されるのでしょうか?

学徒動員は有名ですが、このほか、1927年から兵役法(法律第47号)が公布され、17~40歳(1943年より45歳に)の内地人の
壮丁全員が第二国民兵役になり、1945年からは義勇兵役法(法律第39号)制定に伴い、召集されていない男子15~60歳、女子
17~40歳の全員が義勇兵役となりました。
このうち、義勇兵役に就いた人はあまり無いです。

が、志願兵の場合、陸軍では少年飛行兵、少年戦車兵、少年通信兵、少年砲兵、少年防空兵という制度があり、
彼らは15~18歳の高等小学校卒業程度で軍に入隊しており、この中から、多数の特攻隊による戦死者を出して
います。
海軍では、甲種飛行予科練習生、乙種飛行予科練習生と言う制度があり、前者は16歳(1943年に15歳、1944年
には14歳)に、後者は15歳(1941年から14歳)から入隊が可能でしたし、志願兵の水兵、機関兵、軍楽兵、看護兵、
主計兵、船匠兵は17歳(1929年から14歳)、海軍少年水兵は14歳、海軍練習兵は15歳から志願可能です。

沖縄特攻の大和とかにも14歳の水兵が乗り組んでいたのもありましたね。
(158:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

徴兵される時、主に身長で海軍、陸軍に分けられたと聞いた事あるのですが本当ですか?

1943年の昭和18年勅令第421号に於いて、海軍の召集源を、陸軍第一補充兵役者に振り替えています。
ちなみに、第一補充兵役とは、原則的に第一乙種、平時では甲種と第一乙種、戦時では第二乙種を指します。
甲種合格は、身長155cm(後152cm)以上なので、それに満たない場合は乙種以下の合格となります。
従って、身長で陸軍、海軍に分けたと言うのはあながち間違いではありません。
(227:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

40台のオッサンが再徴兵されるようなことって結構頻繁にあったのでしょうか?

1927年の兵役法(法律第47号・徴兵令は太政官布告でそれに変わるもの)では、
戸籍法の適用を受けるもの、即ち、内地と樺太に本籍を有するもの、つまり、内地人の男子については、
17歳~40歳まで、兵役に耐えぬ者を除き、全て兵役に服することを定めています。
従って、たまたま、召集を免れただけで、その範囲内の男子は兵役に服することがある訳です。

これが、1943年になると、軍医の払底から、徴兵年齢の上限を引き揚げることになります。
(軍医だけを狙い打ちにすると、不満が出るので、全員の年限を引き上げた)
これにより、17歳~45歳まで召集可能となりました。

40歳(1943年以降は45歳)で、兵役は終了しますが、1945年、義勇兵役法(法律第39号)によって、
男子15歳~60歳、女子17歳~40歳の全員(現役と召集中を除く)が義勇兵役に登録され、国民義勇
戦闘隊に召集を受ける場合があることになります。

40代の再招集は特に医者に多かったようです。
(216:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

徴兵逃れは昔からありますが、偽病を見抜くにはどんな訓練をしたんですか?

1921年の『軍事警察雑誌』第15巻第3号に、「徴兵忌避の予防について」と言う論文があります。
これによると、徴兵忌避の方法としては、

1. 強度の眼鏡を使用し近視眼となるもの
2. 全く故障無き眼を近視の如く訴ふるもの
3. 眼に刺激性のものを入れ、眼球を充血せしむるもの
4. 前夜睡眠を為さずして他に眼病あるが如く訴ふるもの
5. 耳穴に奥深く豆類を挿入したるもの
6. 鼓膜に鳥の羽類のものを付着せしめ聴力の故障を起こさしむるもの
7. 強き刺激性の食物を採りて耳鳴りを起こさしめ故障あるが如く訴ふるもの
8. 歯を故意に抜き取るもの
9. 醤油の類を大量に飲み心臓の鼓動を高くし心臓其他の疾病あるが如く訴ふるもの
10.受検二三日前より絶食し身体を衰弱せしむるもの
11.指を切断するもの
12.肛門に漆を塗り痔疾の如く訴ふるもの
13.神仏に徴兵を免る可く祈願するもの

が挙げられており、13以外はチェック出来ます。

他にも、1928年の『徴兵検査研究録』では、

1. 卵黄を外聴道内に注入し、化膿性中耳炎を疑はしめしもの
2. 角膜を刺傷または火傷せしめて角膜翳を作為せるもの
3. 魚鱗を角膜に貼して角膜翳を作為せるもの
4. 右示指を故意に長時間伸展位若は屈曲位に緊迫し置き該指の萎縮、強剛を作為せしもの

と具体的な症例を引いて、詐病の見破り方法を軍医に教えています。
(203:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

国民義勇隊に引っ張られるのは徴兵とは違うんですか?

義勇兵役法では、男子15~60歳、女子17~40歳の現役と召集中の者を除く全員が
義勇兵役になっています。

義勇兵役は、国民義勇戦闘隊に召集されることを言います。
国民義勇戦闘隊は、参謀総長配下に鉄道義勇戦闘隊、軍司令官、鎮守府司令長官配下に連合義勇戦闘隊
があり、連合義勇戦闘隊は、分隊→区隊→義勇戦闘隊という編成が軍令第二号国民義勇戦闘隊統率令にて
行われています。

なお、国民義勇戦闘隊教令では、「戦闘隊ハ敵ノ上陸又ハ空挺部隊ノ降下ニ際シ軍隊ニ協力シ或ハ独力ヲ
以テ郷土職域ヲ護リ又遊撃戦ヲ行ヒテ一般軍隊ノ作戦ヲ容易ナラシム而シテ戦闘隊直接戦闘ヲ行フ場合ハ
攻撃精神ヲ発揮シ従ヒ肉弾ヲ以テスルモ敵撃滅スルノ概ナカルヘカラス」と軍隊的な役割も期待されていました
が、兵器もなく、服装も勅令第385号国民義勇戦闘隊員服装及給与令で、徽章と腕章を定めたのみでした。
(204:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


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