WW1同盟国


ユトランドの独逸艦隊司令シェーアはどうなりました?

ラインハルト・シェーア提督は1916年1月18日にホール司令長官に代わって大海艦隊司令長官に就任しました。
その後1918年8月11日に軍令部長に就任し終戦を迎えます。
その間キール軍港の反乱に巻き込まれたため、戦後の国民の心象は良くなかったようで、
海軍を去った後1920年10月9日に彼の妻とメードを殺害されるという悲運に遭っています。
余生をワイマールで過ごし、1928年11月26日に亡くなられました。
(50:名無し軍曹)

オスマン帝国はなぜ同盟国側に参戦したの?

汎スラヴ主義拡大の脅威に対抗するため、同様にスラブ主義と対抗していたドイツと友好関係にあったから。

第1次大戦後,ドイツが天文学的賠償金を支払う事となったのですが,実際の支払いはどのような形で行われていたのでしょうか?


 最初の頃は現物支払いです.特に鉱工業製品による支払いが行われており,有名なところでは,フランスによるデュッセルドルフ,フランクフルト地区の保障占領とか,ライン川西岸地区,ザール地方の国際連盟による3地域分割で,最長15年に及ぶ占領と,炭田の所有権,採掘権のフランスへの譲渡が行われています.
 このほか,現物支払いでは,1,600t以上の商船,漁船の1/4,家畜,石炭,ベンゾール,機関車,鉄道車輌,機械,海底電線などがあります.

 現物支払い分以外は,2,690億金マルク,これは42ヶ年の年賦で国家財政より支出します.
 但し,ドーズ賠償協定の締結後は,米国からドルの借款を受け,それを短期資金市場で運用し,租税収入と共に年賦を整え,返済していました.

(世界史板)

第1次大戦に至るまで,なぜドイツはもっとましな戦略をとれなかったのか?


 ドイツの政体上,対外政策を調整する権限は国王またはその代理人だけにあったが,ウィルヘルム2世やその臣下には誰もそのそんな能力がなかったためだという.

以下引用.

 戦争に先立つ20年間のドイツ政治は,こうした欠点〔政策を調整したり,目的と手段の調和を図ったり,相対立する政治的・軍事的・外交的な優先順位と圧力のバランスをとったりする個人や機関の欠如〕を数多く抱えていた.
 イギリスとロシアを同時にドイツから遠ざける政策は,ドイツの安全保障・利益・国際的影響力にとって危険であった.
 ヨーロッパを支配するための動きにおいても,それは全くの愚行でしかなかった.

 優先順位を決定し,目標を決め,政策を調整することができなかったのは,ドイツという国家を運営した個人の誤りのせいであったが,ドイツの政体にも根ざしていた.
 プロイセン=ドイツのエリートは民主主義を軽蔑し,自分達の利益とは両立しないと概ね誤った見方をしていたため,人民主権の原則を受け入れようとはしなかった.
 唯一,〔政治〕正統性があったのは,歴史的に続いてきた君主制の原則であった.今やドイツ皇帝であるプロイセン国王には絶大な権限があった.最終的には国王だけ,あるいは国王が確固たる支持を与えている代理人だけが,ドイツの対外,国内,軍事政策の調和と一貫性を保証できたが,ウィルヘルム2世の下では誰一人,ビスマルクのようには,これを行えなかった.38

 とはいえ,ドイツがわがままで自滅的な対外政策を行った理由は,それだけではない.
 下からの急進的な圧力がビスマルク時代よりも強まったため,合理的な対外政策が難しくなったのである.
 しかし,政治システムの頂点に位置する個人や制度上の弱さも重要だった.
(Dominic Lieven著「帝国の興亡」(日本経済新聞社,2002/12/16)上巻,p.143)

第1次世界大戦ごろのドイツは軍部の力が強く、第2次世界大戦ごろの日本と同じだったというのは事実ですか?

軍部の力が強かったら、皇帝の趣味で大艦隊が建造されないと思うが。
最終権限は皇帝が握っていたし。
でもシュリーフェンプランの暴走は皇帝の制御を超えてしまっている。ヴィッキーも
無理矢理にでも止めろよと思うけど。あと、戦争後期はヒンデンブルグ&ルーデンドルフが
独裁体制に近い権力を得ていた、とは教科書的には言える。かといってそのコンビが
皇帝をガン無視していたわけではない。実際の細かい政治メカニズムの解明は難しいと思う。
ドイツではないけど、プロイセンは軍隊を持った国家ではない、国家を持った軍隊だ、とは
俗によく言われる。
だらだら結論の無い文章ですまね。けど確かなのは、WW2日本とはだいぶ異なると思うよ。
(558:90,95)

第1次大戦末期にでオーストリアが連合側に単独講和を持ちかけたのにスルーされたのはなんで?

時勢が悪過ぎる。
ロシア革命でロシアは脱落し、東部戦線は崩壊、アメリカ参戦が決まり、ドイツのカイザー攻勢は失敗。
このような状況ではオーストリアが連合に加わった所で今更、戦略的価値は全くない。
ロシアが健在の頃ならまだ意味はあったかもしれないが。
後、戦争責任を問うなら、オーストリアは間違いなくA級の東條かその辺クラス。
それを許すほど当時の国際社会は甘くない。二重帝国の解体は規定路線だったしね。

第2次大戦で言ったらフィリピン落ちた後くらいに日本が単独講和を持ちかけるようなもの。
(559:811)

ドイツ革命の発端となった海軍のイギリス海軍への自殺的な特攻作戦とは具体的にはどのようなものだったんでしょうか?

まずフランドル沿岸及びテムズ川に軽巡、駆逐艦部隊が
輸送船団を攻撃して輸送路を遮断、英艦隊主力をデンマーク沖に誘き寄せ
大海艦隊がこれを攻撃、決戦に持ち込むというものでした。
海軍上層部においても大海艦隊投入による英艦隊に対する勝利は
「ごくわずか」しか望めず、賭博だと考えられていました。

これに関しては大海艦隊参謀長のトロータ少将の様に、
大海艦隊が無為の内に休戦を迎え「屈辱的な最期」を迎える前に
死を迎えようとも、艦隊の未来のために英艦隊と名誉ある「最終戦」を行おう
という、戦闘自体を目的とした感情論がある一方で、
連合国との休戦交渉においてドイツにとって過酷な条件が提示されることは間違いなく、
また休戦が成立すれば艦艇引渡しは不可避であり、艦隊再建は不可能である、
それであれば少しでも休戦条件を緩和するために出撃して戦うべきである、
という状況を考慮した論もあることはありました。

また、歴史家の中には休戦交渉を行っていた首相バーデン公を引き摺り下ろす
為の出撃であった、と主張している人もいるようです。
(345:220)

WW1時のトルコ軍って、いまだターバンに半月刀(一部は小銃)を正式装備してたって本当ですか?

基本的に軍装はいくらOttomanといえど統一されており、それには軍服とトルコ帽を用いています。
ターバンは用いていませんし、半月刀だけで武装ということはありませんし、銃器は相当昔から主力武器として
用いられており、半月刀のみの突撃などは行いません。

ターバンをしているのは、アラブの反政府軍やBedouinの一部だけでしょうね。
(327:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第1次世界大戦のドイツの戦艦とかは敗戦でどうなったのでしょうか?

やっぱり戦勝国に戦利品として分捕られたのでしょうか?
スカパフローで自沈したもの、ドイツに保有が許された旧式艦6隻、
WW1海戦と同時にトルコに譲渡された1隻を除いて各国に分配されてます。
(317:631)
714 名前:眠い人 ◆gQikaJHtf2 投稿日:2006/10/22(日) 11:44:11 ID:7EMR4pR9 ?2BP(18)
627
例によって蛇足ですが…。
弩級艦、超弩級艦、巡洋戦艦に限って言えば…。

Nassau → 1920.4.7 日本に引渡し、オランダで解体。
Westfalen → 1920.8.5 英国に引渡し、調査の上、同国で解体。
Rheinland → 座礁のため、賠償艦になったものの他国に引き渡されず、解体。
Posen → 1920.5.13 英国に引渡し、オランダで解体。
Helgoland → 1920.8.5 英国に引渡し、調査の上、同国で解体。
Ostflrisland → 1920.4.7 米国に引渡し、Mitchellの指揮する爆撃機の実艦的となる。
           115kg~1t爆弾13発命中もびくともせず、翌日500kg爆弾3発命中でも前後が沈んだだけ、翌々日に1t爆弾6発の至近弾で沈没。
Thuringen → 1920.4.29 フランスに引渡し、標的艦となった後、同国で解体。
Ordenburg → 1920.5.13 日本に引渡し、オランダで解体。
Kaiser級4隻 → 全艦自沈、1933~36年解体。
Konig級4隻 → 全艦自沈、1936~62年頃解体。
Bayern級4隻 → 全艦自沈、1921~35年解体。但し、Badenは浅かったので浮揚し、英国の実艦的。
Von der Tann → 自沈、1934年解体。
Moltke → 自沈、1929年解体。
Goeben → 1914.8.16除籍後、Turkeyに引渡し。
Seydlitz → 自沈、1930年解体。
Derflinger、Hindenburg → 自沈、1932~36年解体。
(317:眠い人 ◆gQikaJHtf2 )

WW1でドイツは1320億マルクの賠償金課せられたけど当時のドイツのGDPってどれくらいだったの?

とりあえず
http://ww1.m78.com/question/german%20reparation.html
ドイツ金マルクは、米ドルと概ね1:4で固定されると考えられていた。
当時、35米ドルが金1オンスに相当した。1オンスは31.104グラムだから
1米ドルは0.88869グラムの金に相当することになる。

現在、1グラムの金は1380円である(2003年10月24日スポット価格)。
すると、1金マルクは0.222172グラムの金に相当し、現在価格では306.6円になる。
つまり1320億金マルクとは40兆5000億円に相当する。この金額は2002年の日本の租税収入に相当する。

これとは別に、比較を金においてでなく、米ドルのインフレ率で考えるやり方もある。
これだと7600億米ドル相当、約80兆円となるだろう。
(311:653)

何故ドイツはイギリスに建艦競争を挑んだんですか?

世界史板第一次世界大戦スレより
116 :ナポレオン ◆oxskxXY/hA :2005/10/12(水) 00:32:46 0
軍板での建艦政策をめぐる議論が転載されてますが、
最新の潮流はどうなってるか知らないけどドイツ史には「外交における内政の優位」という考えが根強くあって、
建艦政策はもっぱら国内問題の所産として描かれることが多いですな。
上記議論の中でもちょこっと出てますけど、社会民主党対策としてのユンカー層と重工業界の同盟という奴です。
農業関税を引き上げて(1902~)ユンカー層の利益を擁護するとともに、
その収入を建艦に充て重工業界を富ませるという、
プロイセン蔵相ミーケルの発案による「結集政策」としてドイツ内政史上あまりにも有名な政策です。
またユンカーと重工業界の同盟だけでなく、
それに付随して艦隊協会や農業家同盟、全ドイツ連盟といった大衆団体の組織によって、
保守的大衆を支配層の側にひきつける効果もあったかと思います。
国民的シンボルとしての海軍(ドイツでは帝国陸軍は存在しないが帝国海軍は存在したため、
「ひとつのドイツ国家」の重要なシンボルとなった)、という要素も重要で、
「雄飛するドイツ帝国」というイメージ形成によって国内問題を国外にそらす上で、
大艦隊の存在は大きな意味を持っていました。
実際、社会民主党も帝政後期には社会帝国主義論を掲げるようになっていて、一定の効果はあったかと思われます。
(309:506)

第1次世界大戦敗退後のドイツの領土km^2を教えてください

メーメル地方の面積を含んでいるのかもしれません(厳密には1923年までドイツ
の領地ではあった訳で)けど、第2次大戦前は、823,544km^2。
そこから、1939年に併合したチェコ地域140,508km^2、1936年に併合したオーストリア
83,868km^2、ザール州2,570km^2、ダンツィヒ自由市1,952km^2を引くと、残りは、
594,646km^2となりますね。
(304:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツは第1次世界大戦で敗戦して、莫大な賠償金を負わされたそうですが、結局それって支払ったんでしょうか?

その金額があまりに巨額で国民生活を圧迫したせいで、ヒットラー政権が生まれてしまったと解釈してるんですが・
ヴェルサイユ条約は戦後ドイツにゃ絶対無理な程、無茶な内容だったんでドイツが支払えるような
規模を遥かに超えてた。支払えなかったので、フランスはルール地方を軍事占領した。
ちなみにこの時にミュンヘン一揆が起きてるが、あっけなく鎮圧されてる。

ナチズムの台頭について述べるなら、生活が貧しくなったから。と、言うより敗戦国の屈辱感とその後
のルール占領とかでドイツ人の民族意識が傷ついたからなんですな。だからアーリア人種の優秀さを
謳ったナチズムはウケた。

敗戦国である事と経済の混乱。周辺国からの干渉で民族意識が傷つくと右傾化するのは良くある事。
そこにカリスマ性の指導者が民族意識を取り戻させて熱狂的に受け入れられるとああなるんですな。


1923年に返済不能になる。フランス、ドイツのルール工業地帯を差し押さえ
→1924年、アメリカ、鉄道などを担保にドイツに資金の借金を肩代わり(ドーズ案)
→1929年、アメリカ主導のヤングプランにより賠償額を軽減。
 しかし、世界大恐慌によりドイツの経済再び破綻
→1932年、ローザンヌ会議でさらに賠償金軽減を提案。しかしアメリカの拒否で揉める
→1933年、ナチスが政権を奪取。賠償金支払いを拒否
(295:228-229)

第1次世界大戦中、ドイツ第2帝国は、連合国側に海上封鎖されたそうですが、ドイツ側はどのような被害を受けたのでしょうか?

海上封鎖を受けて、経済は困窮しました。
特に食料が不足しました。

「ドイツが第一次世界大戦に敗北した原因に対するリデルハートの考察を要約すると、
ドイツはイギリス海軍による「海上封鎖」という間接的アプローチにより、
(中略)
食料が輸入できないため飢餓状態に陥り、客船ルシタニア号がドイツのUボートにより放たれた
魚雷によって沈没した事件(ルシタニア号事件)は、アメリカ国内の世論を対独戦争へ傾ける事に
なったことになったということは日本の歴史の教科書でも説明されている。
(中略)
なぜドイツがこのような潜水艦作戦をとらなければいけなかったというと、
北海がイギリス艦隊によって、封鎖され、海外からの物資の補給が断たれたことによって、
ドイツ国内が食料や軍事物資が不足による飢餓状態に陥ったからだ。」

下記、第1次世界大戦とリデルハートを参照ください。
http://renzan.org/columnist/cat19/post-28.html
(671:霞ヶ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I*加筆修正)

第1次世界大戦敗退後のドイツは、モーゼルとかを輸出していたそうですが、武器の輸出は禁じられていなかったんでしょうか?

もちろんドイツ国内での兵器生産は制限されていたので、チェコスロバキアや
ベルギーといった他国で大規模な生産を行っています。
あと、国内に小銃や野砲といった類が大量に隠匿されており、これが国防軍の
再建の基礎になっています。
国内で本格的に輸出用の兵器が生産されるようになったのはヒトラーの政権奪取後。
(279:335)

第1次世界大戦でオーストリアの死傷者、捕虜、行方不明者が人口の割に多いのはなぜでしょうか?

多民族国家であるオーストリアは兵に命令を下す際に多数の言語が必要だったそうです。
その為、徴兵した兵に行なう訓練の効率が他国と比較して非常に悪いものでした。
これは兵器、弾薬、人員の補充能力が大きなウェイトを占めていた第一世界大戦において致命的な欠点でした。

更に大戦初期にガリシアの戦いでロシア軍に惨敗して40万人程の人的損害を受けてしまいました。
この際に軍隊の背骨となる訓練された兵や下士官、下級将校が根こそぎ、しかも一度に失われてしまいました。
その為、前述の訓練効率の悪さも祟り以後、前線に練度の低い部隊を送らざるを得ず、
また大きな損害を受けると言った悪循環を繰り返す事になり、大戦が終わるまでそこから抜け出す事は叶いませんでした。

また、他の列強と違い国民が国家に対して明確なナショナリズムを見出す事が出来なかったのも、捕虜の多さの要因となっています。
(276:ue ◆WomMV0C2P.)

第1次世界大戦後のベルサイユ条約で、ドイツの海軍には砲の口径制限はなかったのですか?

主砲口径の制限はありません。
暗黙の了解はありましたが。

元々、装甲艦の設計段階では15in砲搭載まで考えられていましたが、流石に15in砲
では、連合軍休戦監視委員会の承認が得られないのが分かっていたのと、排水量制限
で、それなりに防禦重視の考え方で行くと、11in砲がバランスの取れる最大公約数に
なっただけです。
(273:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

WW1ドイツ海軍の編制を教えて下さい。


開戦時の編成。
大海艦隊(Hochseeflotte)
 旗艦:Friedrich der Grosse
  第1戦隊(弩級艦8隻)
   Ostfriesland/Thueringen/Helgoland/Oldenburg/Posen/Rheinland/Nassau/Westfalen)
  第2戦隊(前弩級艦8隻)
   Preussen/Schlesien/Hessen/Lothringen/Hannover/Schleswig-Holstein/Pommern/Deutschland)
  第3戦隊(弩級艦4隻)
   Kaiser/Kaizerin/Koenig Albert/Prinzregent Luitpold
  第1偵察戦隊(巡洋戦艦3隻+装甲巡洋艦1隻)
   Seydlitz/Moltoke/Von der Tan+Bruncher
  第2偵察戦隊(小型巡洋艦7隻)
  第3偵察戦隊(小型巡洋艦5隻)
  第4偵察戦隊(装甲巡洋艦4隻)
   Roon/Yorck/Prinz Adalbelt/Prinz Heinrich
  第5偵察戦隊(大型巡洋艦4隻・但し予備艦の動員)
  第4戦隊(前弩級艦7隻)
   Wittelsbach/Wettin/Mecklenburg/Schwaben/Zaehringen/Braunschweig/Elsass
  第5戦隊(前弩級艦7隻)
   Kaiser FriedrichIII/Kaiser WilhelmII/Kaiser Willhelm der Grosse/Kaiser Karl der Grosse/
   Kaiser Barbarossa/Brandenburg/Woeth
  第6戦隊(海防戦艦7隻)
   Siegfried Classが7隻
  第1潜水戦隊(小型巡洋艦1隻+潜水艦)
  第2潜水戦隊(小型巡洋艦1隻+潜水艦)
  機雷戦艦艇(敷設巡洋艦2隻)
東海艦隊
  東海防備部隊(小型巡洋艦7隻+大型巡洋艦1隻)
  砲術学校(大型巡洋艦1隻)
  水雷学校(装甲巡洋艦1隻)
   Friedrich Karl
港湾防備隊
  エムス水域(Embden)(小型巡洋艦1隻)
  ヤーデ(Willhelmshaven)/ヴェーゼル水域(小型巡洋艦3隻)
  エルベ水域(Hamburg)(小型巡洋艦1隻)
東アジア巡洋艦戦隊(装甲巡洋艦2隻+小型巡洋艦3隻)
  Scharnhorst/Gneisenau+3隻
地中海戦隊(巡洋戦艦1隻+小型巡洋艦1隻)
  Goeben+1隻
東アフリカ派遣(小型巡洋艦1隻)、米東海岸派遣(小型巡洋艦1隻)

1916年12月1日現在の大海艦隊編成
 旗艦:Baden
  第1戦隊(弩級艦8隻)
   第1小隊:Ostfriesland/Thueringen/Helgoland/Oldenburg
   第2小隊:Posen/Rheinland/Nassau/Westfalen
  第2戦隊(前弩級艦6隻の予備戦隊後に解消)
   Deutschland/Hessen/Preussen/Hannover/Schlesien/Schleswig-Holstein
  第3戦隊(弩級艦4隻)
   Koenig/Grosser Kurfuerst/Markgraf/Kronprinz
  第4戦隊(弩級艦5隻)
   Friedrich der Grosse/Kaiser/Kaizerin/Koenig Albert/Prinzregent Luitpold
  第1偵察戦隊(巡洋戦艦4隻)
   Hindenburg(1917~)/Seydlitz/Derflinger/Moltoke/Von der Tan
  第2偵察戦隊(軽巡洋艦8隻)
  第4偵察戦隊(軽巡洋艦3隻+敷設巡洋艦2隻)
  水雷艇(7水雷艇隊76隻)
  潜水艦(小型巡洋艦1隻+水雷艇7隻+4潜水艇隊66隻)
  機雷戦艦艇、掃海艇、前哨戒隊、支援艦艇
(256:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ワイマール共和国時代のドイツ国防軍は「警察軍」だったといいますが、日本の「警察予備隊」と同じで法的には軍隊ではなかったということですか?

Versailles条約においては、ドイツ軍の兵力は10万人に制限され、国内治安維持に重点を置いた軍隊として
規定されています。
そのため、海外での戦闘は考慮されず、装備や資金に色々制限が加えられています。

この軍隊は、スパルタクス団の一揆などの際には、政府の命令で治安維持に出兵していますし、諸外国もこれを
認めていますので、軍隊の法的な地位は確立されているはずです。

その軍隊も、紆余曲折がありますが、帝国陸海軍のある程度の戦力を維持して成立して
いますので、完全なゼロからのスタートではありません。

寧ろ、戦後の西ドイツ、東ドイツの軍の方がゼロからのスタートではないかと思います。

余談ながら、Versailles条約において保有が認められたのは、陸軍は歩兵7個師団、
3個騎兵師団、総兵力10万人、航空機、戦車その他攻撃的兵器の所有が禁じられて
います。

海軍は兵員数15,000名で1万トン未満の艦船で構成する小規模艦隊の保有が認め
られ、潜水艦は保有を禁じられました。
8隻の前弩級艦(うち2隻予備)、8隻の軽巡洋艦(うち2隻予備)、16隻の駆逐艦に、
16隻の水雷艇(それぞれ、うち4隻が予備)。

軍需生産は種目毎に特定された総数30ほどの企業に生産が認められ、輸出は禁じ
られていました。

組織的には、陸軍参謀本部、陸軍大学が解体されました。

尤も、軍需生産については海外での生産とか、ソ連での生産、種々の理由(民間向けのほにゃらら)
をつけた輸出とか、色々な抜け道があって、1920年代前半から再軍備に向けた研究を行っていましたし、
その予算についても、陸軍はB会計、海軍はX会計という裏予算で、再軍備に向けて作業を行い、装備の
発注を行っています。

また、表向き解体された参謀本部(Generalstab)は、Truppenamtと名称を変えて存続しています。
(158:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第1次世界大戦時のブルガリアについて教えて下さい。

この国はトルコより独立し、黒海に面した国であったが、12世紀の大Bulgaria帝国
を夢想して周辺各国との争いが絶えなかった。
何しろ、そのころのBulgariaは、Romaniaの一部とGreeceの殆ど、更に、Belgrade
近くまで領有してたりする。

1912年には、Serbia、Montenegro、Greeceと組んでTurkeyを相手に第1次Balkan戦争
を戦い、Macedoniaを得た。
SerbiaはRussiaの支持の下でアドリア海への通路を要求、ItalyはAlbaniaの占領を望み、
GreeceはItalyによるドデカネス諸島占領に抗議し、二重帝国はあらゆる勢力拡大を阻止
しつつ、Bulgariaを援護すると言う混沌状況の中、1913年にBulgariaがSerbiaを攻撃し、
第2次Balkan戦争が始まる。

このときは二国間戦争だったはずなのに、各国の思惑により、Serbia支援のために
Romania、Greece、Montenegro、Turkeyが参戦。
これに対し、Bulgariaを支持する二重帝国は支援を行おうとするが、GermanyとItalyが
これを阻止し、結果として、Romaniaは南ドブルジャを、Greeceはマケドニアを、それぞれ
Bulgariaより割譲される。

これが、第1次世界大戦でBulgariaが同盟側に立って参戦する原因となったのである。

さて、そのBulgariaですが、第1次世界大戦では1915年にドイツと友好・同盟条約を締結し、
10.14に参戦します。
その代償に、Serbia領のマケドニア(現在のマケドニア共和国)を同盟諸国から獲得します。
そして、Greece、Romaniaが連合国側に参戦した場合に、これを撃破した暁にはGreece領
マケドニアとRomaniaのドブルジャを獲得する権利を持っていました。

後者の権利は、1916年にRomaniaが参戦し、12月に全土を制圧した時に発生しました。
ドブルジャは、1918.5.7のBucharest条約で正式にBulgariaのものになります。

しかし、4ヶ月後、前年に連合国側に立って参戦したGreeceから行われた連合軍の
マケドニア攻勢により、Bulgaria軍は崩壊し、同盟国側としては、9月末、最初に戦線
を離脱してしまうのです。

第1次世界大戦後、Bulgariaも敗戦国となり、1919年11月27日、ヌイイー条約を締結します。

これにより、Serbiaにマケドニアを中心とした国境地帯の一部を割譲し、
Romaniaにはドブルジャを返還し、Greeceにエーゲ海に面したトラキア西南
地方を割譲した上、空軍保有の禁止、保有兵力上限2万人という枠を嵌められます。

このため、戦後は難民問題とYugoslaviaに対するマケドニアの主権要求が主な政治課題となりました。
敗戦後、政治の舵取りをしていたのは、農民党と言う政党で、首相のスタンブリスキーは、
農民に対する土地改革、マケドニアとBulgariaの一体化を推進してきました。
これに反発したのが、旧体制勢力で、彼らは軍を動かし、1923年に将校団が
決起して、首相を射殺し、共産党と農民党を解散に追い込みました。
更に、世界恐慌で経済が混乱し、国家社会主義勢力が台頭すると、バスに
乗り遅れるな、とばかりに、1934年、ツヴェーノと言う保守派将校組織のクーデターが起き、
ゲオルギエフ大佐による独裁体制が確立します。

その大佐は1935年に失脚し、国王ボリスIII世の直接統治が始まるのです。
(第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

WW1ブルガリア海軍に関して、教えて下さい。

1878年の露土戦争の結果独立を勝ち取った国で、親露国です。
その海軍は、1896年にKrum、Aleksandr I、Simeon Velikiと言う三隻の蒸気船と、
Asenと言う練習船、それに3艘の蒸気小型艇から成っていました。
これらの艦艇は、ロシア帝国から供与されたものでした。
その後、フランスの援助を受け、Nadezhdaと言う717tの砲艦を彼の国に発注しました。
これが、1908年まで旗艦となります。
更に、黒海沿岸にフランスの援助で造船所を建設し、Kaliakraと言う80tの小艇を建造します。

1903年に第1次建艦計画が立案されます。
これは、15t級魚雷艇を12隻、90t級魚雷艇を2隻、150t級の魚雷艇を2隻、練習艇と若干の
沿岸哨戒艇を含んでいましたが、結果的に、97tの魚雷艇を6隻、魚雷艇母艦が3隻、
沿岸防御用の240mm砲2門と100mm砲2門をフランスのシュナイダーに発注しました。
1905年に、更に2隻の機雷敷設艇が完成します。

1910年には更に拡大計画が立てられ、470t級の駆逐艦2隻、190t級潜水艦と、機雷敷設艦が
計画されましたが、政府が借款を得るのに失敗したので、立ち消えとなりました。
一方、1908年には、Russiaが黒海艦隊で余剰となった巡洋艦、砲艦、機雷敷設艦、
魚雷艇の売却と供与を持ちかけますが、国をRussiaの保護下に置くのを条件としま
したので、これは立ち消えとなりました。

第1次世界大戦は、1898年竣工のNadezhdaと言う砲艦(717t)を旗艦に、魚雷艇
Vasil Levski、Hristo Botevと言う20tの魚雷艇(1877年竣工)が現役でした。

前者は、バルカン戦争で砲を陸揚げし、戦争終了後、またその砲を装備し、
第1次世界大戦中の1915年に砲を再び陸揚げしています。
1918年にRussiaのセヴァストポリに送られ、此処でBolshevikの手に落ち、
赤軍の艦艇となっていますが、程なく退役し、1941年までセヴァストポリで
ハルクとして使われました。
後者は元帝政Russia海軍の魚雷艇で、1884年に供与され、Balkan戦争、
第1次世界大戦共に、哨戒艇として用いられました。
Botevは、1930年に退役し、1936年に記念艦としてRuseで係留されていました。
Levskiは程なくガソリンエンジンに換装し、1938年に退役しました。

最初の購入艦であるAleksandr Iは、350tのFrance製で、平時は王室ヨット、
戦時は機雷敷設艦兼輸送艦となります。
これは、1913年に座礁し、1914年に修理されましたが、程なく除籍されました。

最初の建艦計画で導入された、France製97.5t級魚雷艇は、Drski、Smeli、Hrabri、
Strogi、Letjashchi、Shummiの6隻。
レシプロ水管缶で1900hp、これで26kt/hを出し、石炭10.5tを搭載して、500海里
の航続力を誇る。
武装は、37mmシュナイダー速射砲2門と、450mm魚雷発射管が艦首に1基、艦上
に連装管が1基装備されている。
Shummiは、1916年9月12日にVarnaに於いて、Russiaの敷設した機雷に触雷して沈没し、
Strogiも損傷、Letjashchiは、1918年10月にFranceに鹵獲され、11月28日にVarna沖で
沈められました。

で、Drski級の水雷艇の残りは、しぶとく生残り、1920年代前半に掃海艇に改造され、
後に再び魚雷発射管を装着、1934年に改装され、第2次世界大戦でも哨戒艇になっています。
この時の武装は、450mm魚雷発射管2基と、20mm砲2門、そして1942年には47mm砲2門を
追加され、2丁の機関銃と、爆雷が装備されています。
休戦後、これらの艦艇はSoviet海軍に引き渡され、1954~1955年まで使用されています。
Drskiは、ソ連海軍退役後、Varnaに返還され、陸揚げされてモニュメントと
なっているそうです。

このほか、1920年代までに装備した艦艇は、1918年5月25日にドイツから供与された
UB1級潜水艦のNo.18があり、これは、ドイツのUB8で、Varnaの防備に用いられました。
休戦後、ヌイイー条約でFranceに引き渡され、1921年8月にビゼルタでスクラップ
になりました。
同時に、UB7も供与される予定でしたが、これは到着前に撃沈されてしまったそうです。

機雷戦艦艇は、105tのFranceの蒸気帆船、De Romasを1906年に購入して、Kamchija
と改名し、機雷10~12発を搭載する機雷敷設艦として使用しました。
第1次世界大戦では哨戒艇として用いられ、1924年に測量艦に艦種変更されています。
第2次世界大戦では再び敷設艦となり、1945年以後、また測量艦に戻され、1952年に除籍
されました。
このほか、15t級の内海掃海艇として、Konduktor Dokuzanov、Kapitan-Lejtenant Minkov、
Kapitan-Lejtenant Minorの3隻と8t級の内海掃海艇として、Nesebr、Emona、Kalacerkaの
3隻が在籍しています。
これらは、1917年にドイツから引き渡されたもので、一度Franceに接収されたものの、
返還され、最後の艇は1955年まで使用されました。
(第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

マジャールについて教えて下さい。

ハンガリーのホルティ・ミクローシュの略歴を見ると、カール1世の復位を二度拒
否していますが、摂政であるところのホルティに、そんな権限があったわけですか?
それとも、カール1世が国民に不人気だったと言うことですか?
マジャールにとって、王制の維持は必要不可欠の状況でした。
即ち、王制を維持することで、二重帝国時代の領土要求に対する正当性を持たせる
事が出来る、と、支配層は考えていた訳です。

本来、赤化したとしても、フランスのフォッシュ首相は可成り好意的で、スロヴァキア
からマジャール赤軍が撤退すれば、ルーマニア軍が占領したトランシルヴァニア地方
の還付も考慮に入れていたのですが、クン・ベーラ首相が利害得失を考えずに居座ったために、
フランスとしても最後通牒を出し、ユーゴスラヴィア、ルーマニア、チェコスロヴァキア軍
によるマジャール赤軍の掃討を行い、報復的措置として、領土を周辺諸国に割譲した訳です。
その喪失した領土を返還させる為の方便としては、中世の条項におけるマジャール法で、
「聖イシュトヴァーンの聖なる王冠の領土」であると言う基礎が必要でした。
即ち、王国を止めて、共和国になると言うことは、領土放棄と見なすと判断した訳です。

1919年の赤色政権崩壊時、反革命政府は、一時的に王国はハプスブルク家の一族、ヨーゼフ
大公を摂政に選出しています。
しかし、反革命政府は1920年1月に実施した選挙結果だけで、王政復古を保証する旨の
宣言を行い、これが、協商国の心証を害して、結果的にトリアノン条約の過酷な処分に
繋がった訳で、ハプスブルク王家の復帰は、本来はチェコスロヴァキアの様に戦勝国側
に立っていたマジャールを敗戦国に落剥させた思いが指導層にあり、また、ハプスブルク
家の復辟は、協商国、周辺諸国の脅威に映ったため、その外部からの圧力(マジャール
赤色革命の転覆は周辺諸国軍隊によるものを想起されたし)により、最終的にカール国王の
廃位に繋がった訳です。
(第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツ帝国政府はオスマン・トルコ帝国との同盟に興味がなかったそうですが。

1914年7月下旬、皇帝ウィルヘルムII世が示唆した、オスマン・トルコ帝国との同盟について、
ドイツ帝国政府や参謀本部は、全く興味がなかった。

そして8月、ドイツ帝国の宰相ベートマン=ホルヴェーグは、駐土ドイツ大使に対し、ドイツ帝国と
オスマン・トルコ帝国との交渉に際して、ドイツ帝国が関心を示す様な手土産をトルコ側が提示
しないと、同盟の締結など不可能との見解を示していた。
しかし、その手土産は強力なもので、8月2日に秘密同盟が締結された。

その手土産とは、オスマン・トルコ帝国が竣工間近だった2隻の弩級艦をドイツ海軍に提供する
と言うもの…。
実は、英国で建造中だった2隻の戦艦は、実質上7月末までにChurchillの手によって、トルコから
「強奪」されたもので、その事実が公式に認定されたのは8月3日だったりする。
でもって、トルコ側は、交渉の時点で既にこの戦艦2隻が自国のものではないことを知って、平気
な顔で、ドイツに同盟と引き替えに実態のない戦艦を引き渡した。

つまり、ドイツはオスマン・トルコ帝国に一杯食わされたのだったり。

ついでに、この時点(英国が何処とも戦争していない状況下)での戦艦接収には、正当化するような
行政手続きも法的手続きも全くなく、本当に「強奪」と言うしかない状態であった。
(しょうもない知識を披露するスレ8:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


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