連合国全般



第2次世界大戦のヨーロッパ戦線において連合軍が独逸軍から鹵獲した銃器を恒常的に使用し続ける事は許可されていたのですか?

許可はされていないが員数外の兵器として使用されることはよくあった。
特に北アフリカでのイタリア軍装備を英軍が使ってたとか、
欧州戦線でドイツ軍が使っていた銃器類を米軍が使っていたなどの例は枚挙にいとまがない。
(24:眠い人 ◆ikaJHtf2)

destroyers-dealって何ですか?

1940年9月に米英間で結ばれた協定で、
アメリカがイギリスから8海軍基地を租借し、そのかわりイギリスに旧式駆逐艦
50隻供与を同意するものだったはず。

(41:111)

アルゼンチンは第2次世界大戦に参戦したのでしょうか。

当時のArgentinaは枢軸国、連合国双方への羊毛、牛肉、小麦の輸出で、
多大な利益を上げ、現在では考えられないほど、有数の金持ち国でした。
で、飛行機、戦車、艦船などの国産化を行っています。
(大戦後はクルト・タンクとかエミール・ドヴォアチンを招いて、ジェット戦闘機まで
 試作してたりします)

Argentinaは1945.3.27に枢軸国への宣戦布告を行っています。
但し、幾分はアリバイ的な参戦ですから、ブラジルのように軍の派遣まで至っていません。
(44:眠い人 ◆ikaJHtf2)

大戦中、日本機はコードネームをつけられていましたが艦艇、車輌は敵からどのような呼ばれ方をしていたのでしょうか。

艦艇については基本的にコードネーム等は無いみたい。
捕獲車両や捕獲武器は確かMナンバーが振られており、航空機のような
正式なコードネームは米軍が作成した「日本陸軍便覧」にも記述なし。
おそらく無いと思う。
ただ、兵器によっては"knee mortar"みたいな愛称は有る。
(66:87)
フネについては名称が分かればそれで呼んでた。
現代のソ連/ロシア/中国の艦艇みたいにコードネームをつけると言うことは
なかったようだ。
(66:88)

二次大戦時に英仏ポで結ばれていた条約名と、その内容を教えて下さい。

あれは三国同盟レベルなのか、それとももっと低い物なんでしょうか?
それと、あれは戦争をふっかけたときにも使えますか?
仏ポーランドとの間には、仏とポーランドの間で軍事
同盟(1921)、英国とポーランドの間に相互援助条約(1939)が締結され、1939年
には、英仏によるポーランド保全宣言が為されています。
従って、仏との間は三国同盟レベルのもの、英国との間には初期の英米関係の
ようなものと言えるのではないでしょうか。
更に保全宣言自体は、ソ連頼みで、ソ連軍をポーランドに引き入れて、ポーランド
軍と共同で独軍と戦わせることに主眼が置かれていました。
しかし、ポーランドが自国領内をソ連軍が通過することを拒否したため、頓挫しています。
(68:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
1938年8月24日に結ばれたポーランド援助条約の事だと思います。
これに基づいて英仏はドイツに宣戦布告したんじゃなかったかな。
(68:596)

第二次大戦時のオランダとかベルギーの主力ライフルとか使っている砲とかを教えてください。

(拳銃)
ブローニングM1922が主力です。

(小銃)
ベルギーはM1935カービンで、他に第一次大戦中のM1916も使っていたと記憶
しています。
FNで生産された国産ライフル銃ですが、モーゼルM1895の影響を受けています。

オランダはオーストリアが開発したモーゼル系のM1895マンリッヒャーライフルを
ライセンス生産して使っています。

(機関銃)
ベルギーはブローニングのBARを採用していました。
オランダは、オーストリア製のシュワルツローゼ1907/12重機関銃を使用しています。

(対戦車砲)
オランダはラインメタルのPak35/36を使用していました。
ベルギーは47mmのM1931対戦車砲を750門使用しています。

(装甲車両)
ベルギーは英国製T-13系列のタンケッテを260両余。
このうち、対戦車自走砲型が210両でした。
他に、ヴィッカース軽戦車T-15を42両、ルノーADG1軽戦車を12両。
オランダは貧弱で、スウェーデン製のランズベルグL-180/181装甲車24両、
英国製カーデンロイドを5両保有しているに過ぎません。
(77:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第二次世界大戦ですが、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、日本、中国以外の国はどこで何してたんでしょうか?

日本の敗戦が濃厚になったあたりで
日本へ宣戦布告した国が多々あります
日本と直接利害関係のない国もあったようです
(79:259)

連合軍はノルマンディーから上陸したわけですが、ベルギー・オランダあたりからの上陸は考えてなかったのでしょうか?

補給を考えてロッテルダムやアントワープとかの港湾設備がある地方からのほうが良いように見えるのですが……

まず、その辺に上陸するには海を長距離(っていっても対した距離じゃないけど)越えてく
必要がある。
それに、デンマーク海峡から北海南部までは引きこもり状態だとはいえまだまだ
ドイツ海軍の勢力圏内だから、完璧な制海権を必要とする大規模上陸には困難が
伴う。

なによりオランダは国全体が湿地と低地で、運河と沼だらけだから上陸したあと
大部隊が纏まって行動するのが困難だし、フランス北部からベルギーにかけては
ドイツが上陸を想定して警戒している。

奇襲上陸が可能で上陸後の部隊展開も容易、制海権がほぼ完璧におさえられる場所、
というとノルマンディーが最適だった訳。

ちなみにドイツ軍がそう考えているであろうことを予測して、ノルマンディ上陸の
前にはカレー~ベルギー北海岸のどこかに上陸する計画である、っていう偽情報が
ありとあらゆる手段で流された。
パットン将軍はこの偽上陸計画の「総司令官」とされて実際にはありもしない作戦の
ために各地を奔走した(偽情報をらしく見せかけるため)。
(461:603)

英本土から離れすぎなので、たどり着くまでに見つかる可能性が高い。
港湾施設があるところは当然のことながら防備が厚く、道路網も発達しているので兵力を集中させやすい。
つまり自殺行為。
敵の最も手薄なところを狙うのは基本中の基本。
港湾を占領するのはその後でいい。

ノルマンディの場合は「港がなければ持ってくればいいじゃない」ということで、マルベリーという巨大な埠頭を持って行って海岸沖に設置した。
(461:604)

プライベートライアン見て思ったのですが、なぜノルマンディに上陸する前に空爆しなかったのですか?

ノルマンディの海岸地帯のうち、「プライベートライアン」の舞台になっている「オマハ海岸」
(オマハはコードネームで本来の地名ではない)だけは事前の防衛強化策でトーチカ等が整備されていたのに、
当日の朝爆撃した爆撃機部隊が先導機(爆撃する目標を後続の部隊全体に指示する役)が目標を取り違えて
海岸ではなく海岸から陸地に進んだところにある予備陣地(海岸が陥落したら撤退してそこで第2時防衛線を張る)を
爆撃目標に指示し、爆撃部隊はそこに爆弾を落とした。

そのため海岸陣地はほぼ無傷で、艦砲射撃も少し離れたところにある砲台を恐れて艦が海岸へあまり接近
出来なかったので大した効果がなかった。

なので、最も防備の堅い所に真正面から上陸作戦仕掛けたのであんなことに。
(488:773)

第2次世界大戦中,日本やドイツは工場の熟練工を徴兵したため兵器の生産に支障がでましたが,ソビエトやイギリスなどではそのような事は無かったのでしょうか?

人口に対する兵役人員の割合から、第2次世界大戦におけるソ連とアメリカ、イギリスは軍需生産、
および市民生活に支障が出るギリギリの線まで動員を行っており、特にソ連では場合によっては深刻な状態に陥ったようです。
イギリスは動員した本国兵士が比較的少数であったため、これを補うために大量の植民地兵を投入していました。
それでも熟練を要しない単純労働では労働力が不足し、各国で、女性の登用が盛んに行われたようです。

つまり、動員力ぎりぎりまで兵を投入した連合国に対抗するため、
枢軸側は動員力を超えて兵を集めざるを得なかった、ということになるかと思います。
(214:641)

第2次世界大戦前後にポーランド人が大量のドイツ人を虐殺したのは事実ですか?

開戦後ならドイツ系住民の虐殺はあった。
詳しい数字は忘れたが、H・ヘーネの「髑髏の結社」にポーランド側の調査結果とポーランド
降伏後のドイツの調査結果からの被害者数があった。
(329:894)

第2次世界大戦時なぜフランスはドイツに敗れたのですか?

攻勢のポイントはわからなくとも、いつかドイツが東から攻めてくると言うのは可能性として十分検討すべき問題であった訳ですから。
前線に配置した主力が遊兵と化しても戦略予備と志願兵を活用して縦深陣を敷き出血を強いれば、勝てないにせよ負けはしなかったと思うのです

フランスはドイツとの国境地帯に要塞を築き(有名なマジノ線)、ここでドイツ軍を
食い止めているうちに戦略予備を集結させて一気に反撃する計画だったが、ドイツ軍は
マジノ線を無視して迂回して来た上、鉄道網と道路網を爆撃で破壊されまくって戦略予備の
移動も集結もままならなかった。

だからと言ってマジノ線に配置した主力を動かすこともできず(そんなことしたら空いた
国境線からドイツ軍の続陣がなだれ込んでくる)、結局北部配置の部隊でかろうじて集結に
成功した部隊だけがドイツと戦っていた。
縦深陣を敷くような兵力の余裕がなく、総司令部は戦況をよく把握できていない上に通信網が
潰されたので戦略規模での指示が出せず、戦略的戦闘は事実上不可能になっていた。
(479:582)

仮に志願兵が集められたとしても、使い物になる前に正規軍の主力がダンケルクで消滅してるのでどうしようもありません。
戦略予備がなかったから突破された後どうしようもなくなったし。
「俺ならこうした」は後知恵にすぎず、そうできなかったのにはそれなりの訳があるということをまず知ってください。
(479:581)

毎回薦めるが「電撃戦という幻」を読むといい
まぁドイツの現地指揮官が暴走するとは誰も予想できなかったし
フランスの将軍たちは想定外の事態にすばやく対応する訓練を受けてなくて
ただ呆然としている間に勝機を失った
(479:598)

フランスがドイツに負けた要因は単なるマジノ線を迂回されただけでしょうか?

ドイツは第1次世界大戦で失敗した作戦を第2次世界大戦またやったのになぜ第2次世界大戦では成功したのでしょうか?
そもそも、WW1のシュリーフェン・プラン(を変形した小モルトケの作戦計画)と
WW2の黄色の場合(元ネタはマンシュタイン計画)は別物
単純化すると、WW1で主攻だった北翼は陽動になり、
主力はアルデンヌからセダンへと突破して敵部隊を分断することを狙っていた
(旋回方向が逆になったと言えば分かりやすいかもしれない)
あとフランス軍が、ドイツ軍の進撃速度に対応できず、後方の総司令部に
情報がすばやく届かず、予備兵力の投入が遅れ兵力が各個撃破されたから。
(558:762)
総司令部とはどこの総司令部ですか?
総参謀長ガムランの司令部だろ。
情報が遅れるというか、フランス軍は総司令部に無線を置いておらず
指令もバイク便で行なっていたため、前線に伝わる頃には戦闘はとっくに終わって前線は数十キロ進んでいたということが普通だった。
電撃戦でなく、WW1のように塹壕戦主体ならそれでもやっていけたかもしれない。

もっともフランス軍はガムランに限らないが。
ウンチージェ将軍によれば、ジョルジュの北東方面軍司令部は
防衛の要であったムーズ川線が崩壊する際に前線に何の支援も指示もしなかったとのこと。
ウンチージェの方から指示を仰いでも忘れているのか全く返答が無く、
直接ジョルジュに会いにいって話せば、「君が最善と思う事をやりたまえ」とだけ言われたとのこと。
全く仕事をしてない。

そして英派遣軍司令部はスダン地区防衛のため、英本国から大規模な航空兵力の増援を出すと決定したが
ジョルジュは「現有兵力だけで十分守りきれる」という声明を発表して断った。
その声明を出したその日のうちにスダンが抜かれて仏軍が全面壊走に移っていくことになったわけで、
前線の状況なんて全く分かってなかったということ。
(558:771)

第2次世界大戦時ベネズエラは1945年の宣戦布告以前、国交断絶以外にアメリカとの軍事同盟、土地の貸し出しのようなことはやってましたか?

大西洋憲章への参加(1943.2.13)以外は何もしてません。
軍事同盟も締結していませんし、ましてや土地の貸与なんぞは全くしていません。
一応、宣戦布告自体は、1942年と可成り早いですけどね。
(342:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

フランスのシトロエン社は第2次世界大戦中、特に兵器を作ってないようなのですが、当時から大企業だったシトロエン社にフランスは戦車等の開発は委託しなかったのでしょうか?

シトロエンには戦車開発の技術などはありませんでした
しかし、履帯など足回りに関してはフランス随一の能力を持っており
主にソミュア社に協力する形で戦車開発に協力しています
S35の足回りなどもシトロエンの技術協力の賜物です
(576:474)

第2次世界大戦時、ケビルやダカール、カサブランカで米英軍と交戦したフランス軍兵士は、戦後何かお咎めはあったのでしょうか?

ヴィシーらと同じように国家(=自由フランス)への裏切り行為として責められたりしたのでしょうか。
あくまでヴィシーフランス政府の命令で戦っただけだし、北アフリカのヴィシー政府軍は連合軍との講和後は自由フランスの貴重な戦力となったのでお咎めなし。
国内のヴィシー軍は、連合軍の北アフリカ上陸後に解体されてるし。
戦後裁判にかけられたのはヴィシー政府の要人やフランス人ファシストなどドイツに積極的に協力した連中。
(337:46)
積極的な対独協力をした訳ではありませんし、その後は自由フランス軍への参加をしていますので、
帳消しです。
ついでに、Vichyでも県知事レベルなんかはお咎めなしが殆どですし。
(337:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

1940年代のトルコの軍事力はどうだったんでしょうか?

陸軍は、第1次世界大戦からの流れで主にドイツ製の兵器を用いていました。
小銃はモーゼルKar98a/bを主体に、対空砲はFlak18/36/37系列の88mm砲と
Flak36/37の37mm砲、野砲は75mmのleFK18、105mmのleFH18、重砲は150mmの
K39、歩兵砲には150mmのslG33、山砲に75mmのGebK15、迫撃砲だけはストーク
ブランの81mm迫撃砲を用いています。
戦車は、ソ連から購入したBT2、英国のMk.VIB、フランスのルノーR35を主力としており、
1943年の駆け込み供与で、III号戦車とIV号戦車H型がドイツから供給されました。
戦後は、英国や米国から供与された兵器体系へと転換されていっていますが、1940年代
末までドイツ製兵器は利用されていました。

海軍は、弩級巡洋戦艦Yavuz Sultan Selim、巡洋艦Medijidieh、Hamidiehで、前者は機雷
敷設艦として用いられていました。
駆逐艦はイタリア製のKocatepe級2隻、Tinaztepe級2隻、英国H級のGayret級3隻、潜水艦
はBirindci Inonu級Uボートもどき(ドイツで設計されオランダで建造)2隻、フランス製Dumlupynar、
Sakarya、Uボートの試作艦であるGur、TypeIXAのUボートであるAy級3隻と英国U級のBurec Reis
が1隻あり、魚雷艇としてMASが2隻、機雷敷設艦2隻、掃海艇2隻、MTBんど英国製の高速艇7隻
などがあります。
他に潜水艦1隻はドイツに接収され、同じく潜水艦4隻が英国に接収されて3隻が戦没し、1隻だけが
引き渡されました。
1946年に英国からBathurst級哨戒艇4隻、1947年に米国からAuk級沿岸掃海艇が8隻、1948年以後、
米国からGleaves級駆逐艦が2隻、Balao級潜水艦3隻が引き渡され、旧来の艦艇を置き換えていきます。

空軍は、開戦前にPZL P.24Cを40機以上、He-111F-1が30機、G-5が5機、Martin139Wが20機、
BlenheimMk.Iが30機、Vultee V-11GB攻撃機40機、練習機がFocke-Wolf Fw-58、Gotha Go-145、
Curtis-Wright CW-22、Miles Hawk Mk.III、輸送機がDe Havilland DH84/89、General Aircraft ST-18、
飛行艇には、Super marine Southampton、Warlusなど総計370機を保有していました。
その後、フランスからMorane-Saulnier M.S.406を45機、英国からHawker Hurricane Mk.Iを15機、Mk.IIb/IIcを14機、
Supermarine SpitfireMk.Iaが3機とVbが100機、Curtiss TomahawkMk.IIB、Bristol BlenheimMk.IV/Vを18機、
Beaufort、Beaufighter、Fairy Battleが29機、Airspeed Oxford、米国からMartin Baltimore、Consolidated B-24Dが
供給されています。
ドイツからはFw-190Aが供給されただけで、He-111の部品は英国から撃墜機の部品を取って使用しています。
国産機は、Nuri-Demiragと言う会社が、NuD36練習機とNuD38輸送機を製作し、トルコ航空連盟が設立した
工場で、ドイツとソ連製Gliderがライセンス生産されました。
他に、Miles HawkIIIは100機がライセンス生産され、THK2練習機25機、THK5輸送機が10機生産されています。
戦後は、Fw-190とSpitfire、B-24、Beaufighterなどを主力機としていましたが、余剰となったP-47D-25などが
供与されたのを皮切りに、徐々に米国兵器体系になっていきました。
(601:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ヨシップ・ブロズ・チトーは、第2次世界大戦前後、41年にパルチザンを始める前くらいは何をやってたのでしょうか??

ヨシップ・ブロズ氏は小学校卒業後錠前職人に奉公に出され、冶金工としてオーストリア=ハンガリー
国内を転々とする。

徴兵されて第1次世界大戦に参加したが反戦運動に参加して収監。
釈放後従軍した戦闘で部隊ごとロシアの捕虜になり、捕虜収容所で革命運動に参加して逮捕-脱走
を繰り返した後赤軍に参加。最終的にはソビエト共産党に加入が認められる。
終戦後帰国して1920年ユーゴスラビア共産党に入党し以後共産党員として活動。
1934年にはヒラの党員から政治局員に昇格。

ちなみに「チトー(Tito)」というのは党員時代の渾名。
人になにか頼むときよく
「そこのお前、アレを頼む」
「アレってなんですかアレって」
「アレだよ!」
「アレ で判る訳ないでしょ!」
という会話を繰り広げていたので、お前(Ti)と アレ(To)をくっつけて作られた。
(626:175)
チトーが政治局員になった時は丁度スペイン内戦にコミンテルンが各国から積極的に
義勇兵を募集して送り込んでいたので、上層部はそれの支援に忙しく、チトーは
ユーゴ国内の共産党の組織化を主に担任した。

尚「ユーゴ共産党」だけど国内は官憲の弾圧が厳しすぎてマトモな活動ができない
ので、ユーゴ共産党の本部はウィーンにあった。
チトーはそんな中で珍しくウィーンとクロアチア、ユーゴを行き来して地元との連絡、
調整役として活躍している。
それで大きな功績を上げたチトーは中央に推薦されてモスクワのコミンテルンに派遣
されて活動することになった。
これは有能なチトーを遠ざける狙いもあったと思われる。

その後、ユーゴ共産党の幹部はスペインへの義勇兵派遣でドジを踏んだ(ずさんな移動
計画から当局に義勇兵が大量に逮捕される)り、スターリンに粛清された勢力と親しく
していたりしたためにまとめて粛清されてしまい、地味だが重要なポジションにいて
現場仕事を担当していたチトーが臨時のユーゴ共産党書記長の座についた。

チトーはその後密かに帰国してコミンテルンとユーゴ共産党国内各支部の間に当局の目を
避けた連絡網を構築することに尽力し、地下組織のネットワーク化に努力した。

帰国後はずっと地下活動をしていた…けれども何度も国内と国外を行き来しているし、
本人の回想にも「結構普通にま昼間から買い物に出歩いたりしてたけどね」なんて書いて
あったりする。

あと、チトーはクロアチア時代に何度も逮捕歴があるが、ユーゴの公安警察は
お役所仕事でよくありがちのことに地区ごとの横の繋がりが薄く、功を焦って
「自分の身内以外には情報を流さない」ので何度も逮捕されたクロアチア以外
では意外と顔を知られておらず、クロアチア以外、ベオグラードなどでは公安
警察の捜査官でも存在をよく知らないものが多かったという。

なのでユーゴ共産党の書記長になってからの方が活動はむしろ楽であったらしい。
(626:182,183)

1935年の仏ソ相互援助条約は、相互不可侵以外にも軍事的な面を含んでいるんでしょうか?

ドイツのフランス侵攻時にソ連がフランスを支援した形跡が無いのですが、1940年までにはこの条約は破棄されていたのでしょうか?
ググっても本調べてもラインラント進駐の名目的な理由、という程度しか書いていなくて詳細が全く判らないのです…
当然、軍事協力を行っています。

例えば、エンジンについては、MikulinがGnome-Rhone K.14 Mistral Major空冷星形エンジンを
1930年代初頭に輸入して、M-85エンジンを制作していますし、同じく、1934年にHispano-Suiza 12Yを
Licence生産した後、Klimovの手に因って改造され、LaGG-3やPe-2のエンジンに使用されています。
また、後者に搭載されていたHispanoの20mm機関砲は、ソ連の手によって改造され、ShVAK機関砲と
なって大量生産されました。
戦車の技術などでも協力していましたし(ただ、実質はItalyの方が大きかった)、ソ連の戦艦を稼働させ
るための部品を供給(旧ロシア帝国の戦艦は、白軍崩壊後、ビゼルタで解体されていた)しています。

逆に、ソ連からは原材料の供給を得ていたりする訳です。

で、そもそも、ソ連としては、西欧列強がロカルノ条約を締結したので、この締約国が協力してソ連に攻め込む
のではないか、と言う危惧があり、1929年にソ連の西部から南部に掛けての国境を確保すべく、モスクワ東方
協定と言うのを、バルト三国、Poland、Rumania、Turkey、Persiaとの間に締結します。
しかし、東方国境が不安定なために、そのモスクワ東方協定を強化するために西欧列強と不可侵条約を締結
する様に政策を転換します。

一方、Franceでは、1934年に右翼の扇動で、従来の左寄り政策を行っていた急進社会党内閣が倒れ、Daladierが
短命内閣を組閣した後、右翼寄りの挙国一致内閣が誕生しますが、今度は左翼の逆襲が始まり、社会党、共産党、
そして急進社会党が協定を結んで、1936年に人民戦線が誕生します。
Franceは1934~36年に掛けて一時的に右にぶれますが、その前にソ連と誼を結んでいた訳で。
しかも、隣に物騒な国が誕生したので、安全保障上ソ連との友好関係が重視された、と。

しかし、1936年の総選挙で誕生した人民戦線内閣は、国民を満足させる政策を行わなかったので、忽ち支持が低下し、
また、粛清の発覚、ソ連を批判した出版物がベストセラーになるなど、1年で瓦解し、後を次いだ急進社会党内閣も、
資本の流出が止まらないため、経済政策の破綻で、1938年に内閣を投げ出します。
で、結果的に、ソ連との縁が切れ、反共を明確化し、最終的に1939年の第2次世界大戦勃発によるポーランド分割、その後の
バルト諸国、Finlandへの恫喝で、Franceは、ソ連と断交寸前まで行き、ソ連との相互援助条約も破棄されました。
(301:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第2次世界大戦のときに英仏がナチスに対抗できなかったのは、反戦主義的なムードでチェンバレンが宥和政策を続けていたからですか?

純軍事的に見ても、フランス軍の組織システムは明瞭性に欠けていた。
総司令官から戦闘部隊に至るまでの序列と命令系統は、混乱状態にあった。
しかも、上級指令部でさえ、無線通信機器やテレックスなどの現代的な
連絡用装備に欠く有様で、一部では高級将校が半日かけて、
自動車で行き来することで、ようやくと指揮系統が守られていた。
さらに、軍と軍との境界線の継ぎ目に2線級部隊が割り当てられていたり、
戦役の焦点とも言うべき戦闘が行なわれた、セダンの防御割り当ては、
『電撃戦という幻』の付録の地図を見る限り、
まるでジグソーパズルのように防戦区域の割り当てが複雑怪奇な様相を帯びていたり…。
とにかく、上から下まで、まったく合理性を欠く組織原理の中で、動いていたのがフランス軍。
国内の平和主義とか、反戦主義がなくとも、多少はマシという程度だっただろう。
(679:406)

英国について言えば、19世紀初頭からすでに英国経済は下り坂にさしかかっており、
ボーア戦争での醜態と負担に加えて、第1次世界大戦の戦費、軍の消耗で完全に勢力を失っていた。
このため、閉鎖主義的な方針を採らざるを得ず、スペイン戦争でも傍観者に留まることにした。

一方、共産主義革命は英国にも影響を及ぼしており、不況下、階級主義社会の英国では
労働者階級が共産主義に走ることを怖れていた。そこに、共産主義の輸出国、ソ連と
戦ってくれるというナチスドイツが登場したわけで、内心不安を抱きつつも、共産主義の抑止を
ある程度期待してもいた。そもそも、上記の事情で、積極的に動く余裕はなかった。

結局、第2次世界大戦で英国は破産してしまったから、英国に侵略の危険が及ぶことさえなければ、
傍観が正解だったのかも知れない。短期的には。
(679:system ◆systemVXQ2)

第2次世界大戦のときフランスは優秀な戦車を保有していたのになぜドイツ軍に負けたのでしょうか?

戦車を戦線に薄くばら撒いて盾として使おうとした。
ドイツは戦車部隊を集中させて槍として用い、戦線の一番薄いところを突破して後方に進出させ敵を無力化した。

「電撃戦という幻」に
「戦争前、ドイツもフランスも3000両の戦車を持っていた。
ドイツは1000両の戦車で3つの部隊を作ったが、フランスは3両の戦車を1000の部隊に配置した。」
というフランス軍の将校の言葉が紹介されている。
(282:722)

第2次大戦勃発時及び独占領期のノルウェー、デンマークの海軍編成をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂きたいのですが。

■Norway海軍

海防戦艦
 Norge級2隻(1940.4.9にZ21/22の雷撃で撃沈)
 Haarfagre級2隻(ドイツに接収され、防空艦となり、1945年3月擱座)
駆逐艦
 Draug級3隻(Draugは1940.4.10英国に脱出するも艦の状態が悪く除籍、
          Trollはドイツに引渡、1945年返還。Garmは1940年4月26日爆撃で焼失。)
 Aalesund級2隻(未成)
魚雷艇
 Snoegg級3隻(いずれもドイツ艦となり、Snoegg以外は沈没。なお、Steggは空爆で沈没したものを浮揚して再使用)
 Teist級3隻(2隻が自沈、座礁、Kjellのみドイツ艦となり、返還)
 Ravn級5隻(3隻が自沈、2隻が捕獲され、後に返還)
 Hval級5隻(1隻撃沈、3隻は事故、自沈、2隻が捕獲され、返還)
 Hvas級4隻(全艦捕獲、4隻とも返還)
 Varg級5隻(2隻自沈、3隻捕獲、返還)
 Sleipner級3隻(Aegerのみ1940.4.9に撃沈。2隻は1940年に英国に脱出)
 Odin級3隻(全艦捕獲後、ドイツ艦として使用。全艦返還)
潜水艦
 A級3隻(1隻座礁、2隻自沈)
 B級6隻(1隻英国に脱出、2隻自沈、3隻ドイツが鹵獲、うち1隻は1942年除籍)
旧式スループ(漁業保護艦)2隻(1940.4に相次いで撃沈)
 Fridtjof Nansen(1940.11.8座礁)
 Nordkap級2隻(未成)
機雷敷設艦
 Froeya(1940.4.13擱座)
 Gloman(降伏後、ドイツに引渡、1隻は1944年に撃沈)
 Olav Tryggvason(降伏後、ドイツに引渡、1945年に撃沈)
掃海艇
 Otra級2隻(建造中に捕獲)

■Denmark海軍

海防戦艦
 Niels Juel(1943.8.29座礁後、ドイツに引渡され、1945.5.3撃沈、1952解体)
 Peder Skram(1943.8.29自沈。ドイツにより浮揚後、1945.4撃沈、1949解体)
水雷艇
 Najaden級2隻(1943年竣工するも艤装を遅らせ、1947年まで完成せず。)
 Draken級3隻(1941.2.5ドイツに引渡、Drakenは1945.5.14触雷沈没、残りは全艦返還)
 Glenten級3隻(1941.1.21ドイツに引渡、全艦返還。)
魚雷艇
 Springeren級10隻(1940年除籍1隻、1943.8.29自沈3隻、座礁1隻、5隻鹵獲され、45年返還。)
 Hvalrossen(1943.8.29自沈)
潜水艦、潜水艇
 Rota級3隻(1943.8.29全艦自沈)
 Aegir級3隻(1940年除籍3隻)
 Daphne級2隻(1943.8.29全艦自沈)
 Havmanden級4隻(1943.8.29全艦自沈)
機雷敷設艦
 Sixtus、Kvintus、Lossen(1943.8.29全艦自沈後、浮揚され、ドイツにて使用)
 Lindormen(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還)
掃海艇
 Soebjornen級6隻(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還)
漁業保護艦
 Hvidbjornen(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還)
 Ingolf(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、不明)
 Hejmdal(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還)
 Freja(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還)
小型哨戒艇P1級38隻、K1級18隻のうち、後者の9隻はスウェーデンに逃走。
(103:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ベルギーには他国のようにファシスト団体はあったのですか?

ベルギーについてはフラマン語圏(オランダ系)、ワロン語圏(フランス語圏)それぞれに、
「フランデレン国民同盟(VNV)」、「レックス党(王キリスト運動)」
というファシスト政党があった。
このうちレックス党はSS義勇突撃旅団「ワロニエン」(後に第28SS義勇擲弾兵師団「ワロニエン」が編制されている。
この部隊は青年部指導者レオン・デグレル(またはドグレル)のもとで東部戦線で終戦直前まで勇戦しており、
デグレルは騎士十字章を授与されている。
ドイツにはオランダとベルギーを統合したディーチェランドという傀儡国家を創設する計画があったらしい。
これによってワロン人が少数民族となることを阻止するため、発言力の強化を図ってデグレルは戦争に参加したという説がある。
デグレルは戦後スペインに亡命、その地で死亡した。
(105:21)

インドやニュージーランド、南アフリカの海軍ってどんなだったのかな?

たしかインドの掃海艇が日本の仮装巡洋艦と戦っていたよね。
Royal Indian Navyは、第二次大戦当時Sir Geoffrey Miles少将が司令官で、1000名の士官と10000名の兵員から成る。

Sloopが7隻。
 Cauvery/Kistna(Yarrow建造1943年竣工の1,470t級)、Godavari/Narbada(Thornycroft建造1942~43年竣工の1,340t級)、
 Jumna/Sutlej(Denny建造1940年竣工の1,300t級)、Hindustan(Swan Hunter建造1930年竣工の1,190t級)
Frigateが5隻
 Neza、Kukri、Tir(1942年竣工の1,460t級)Dhanush、Shamsher(1943年竣工の1,370t級)
Corvetteが2隻
 Assam、Mahratta(1943年竣工の980tで花級)
艦隊掃海艇が16隻
 Konkan、Orissa、Rajputana(1941~42年竣工656t)、Baluchistan、Kathiawar、Carnatic、
 Khyber、Kumaon、Rohilkhand(1942年竣工660t)、Bengal、Bombay、Madras(1942年竣工650t)、
 Bihar、Deccan、Malwa、Oudh(1942年竣工650t)
測量艦 Investigator(1924年竣工旧電纜敷設艦)
Trawlerは6隻。
 Amritsar、Calcutta、Cochin、Lucknow、Nasik、Rampur(1941~44年竣工545t)
小型掃海艇が6隻と哨戒艇(HDML)が8隻。

ついでに、Kenya & Zanzibarには、Rosalind(1941年竣工545t)という掃海艇と、
Ndovu、Alhathariと言う旧曳船改造の哨戒艇があった。


Royal New Zealand Navyは、第二次大戦当時Sir Bernard Fleyberg中将が司令官で、2200名の兵員から成る。

軽巡洋艦が2隻。
 Black PrinceとBellonaはいずれも1942年竣工で、5700t。
Corvetteは花級が2隻。
 ArabisとArbutusが1943~44年竣工。
Trawlerは数が多く10隻。
 Kiwi、Tui(1941年竣工600t)、Hautaru、Hinau、Manuka、Rimu(1941~43年竣工で625t)、
 Inchkeith、Killegray、Sanda、Scrba(1941年竣工560t)
哨戒艇(HDML)が6隻。


South Africa Naval Forcesは、J.Galgleish代将で863名。

Frigateは3隻。
いずれも旧英国のLoch級で1944年竣工のGood Hope、Transvaal、Natal(1400t)。
哨戒艇(HDML)は200隻。
機雷管制艇が1隻。
 これは、ドイツの拿捕トローラーPolarisを転用したSprindrift(926t)。
防材敷設艇2隻、英国のBar級に範を取っており、Barcross、Barbrake(1944年竣工)があった。
(WWIIのマイナーな軍について語るスレ:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

英連邦


チャーチル首相は軍人じゃないのになんで軍服姿なんですか?

一種の予備役兵(Oxfordshire Yeomanry)として名誉大佐の階級を持っていたようです。
(57:261)

英国にとって植民地は戦争遂行上,役に立ったの?

日本にとってはかなりの予算を台湾・朝鮮・満州につぎ込み結局は費用対効果は分からずじまいだったが、
むしろ最大の植民地(+連邦)を保有していた英国にとっては、最大の利益をもたらしていたのは事実

両大戦で英国が辛くも持ちこたえられたのは、植民地があってこそ。
間違っても、レーダー・スピットファイア・・・などと言う無かれ

特にインド帝国は、第一次大戦では兵員135万人・戦費2億5千ポンド、物資8千万ポンドをつぎ込み。
第二次大戦に至っては、兵員265万人・戦費12億ポンドをインドから搾り取りとった。
(もし、第2次対戦が起こらなかったら:65)

英印軍の戦力ってどのくらいのものだったのでしょうか?

戦前の数値ですが、インド軍は総兵力166,600名、うち、英国人部隊は58,529名で、
英人部隊としては、4個歩兵師団と騎兵5個旅団。
インド海軍は、スループ1隻+追加2隻、測量艦1隻程度。
インド空軍は、兵力2,300名で航空機200機(うち、戦闘機7個中隊、直協飛行隊4個、爆撃飛行隊4個、輸送爆撃隊1個)
(343:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第二次大戦前、オーストラリアには軍用機工場や戦車工場、海軍工廠(造船所)などはあったのでしょうか?

まず、軍用機についてですが、国営企業としては1936年にCommonwealthが設立され
ています。
これは、政府が提議した航空工業の自主独立計画に基づくもので、この会社は、
航空審議会の技術委員会によって選定された、North American NA-16(T-6の前身)
系のNA-33高等練習機をWirrawayとして1939年から生産を始めました。

その生産の他、国産初等練習機Wackettを同時期に開発、太平洋戦争に突入してからは、
Wackettのコンポーネントを用いた戦闘機Boomerangを開発しますが、本格的な軍用機、
爆撃機のWoomeraと、戦闘機のCA-15は米国からの輸入機とその国産化(1944年から
Mustang Mk.20/21(CA-17/18)をKnockdownまたはLicense生産したもの)の充足に依って
中止となりました。
また、この会社はPratt & WhitneyエンジンのLicense生産も行っています。

民間会社としては、1927年にDe Havilland Aircraft Proprietary,Ltd.、つまり、De Havillandの
豪州支社が設立されており、同社の各種機体を生産・豪州向け改造をしていました。
例えば、D.H.91 Moss Minor初等練習機、D.H.82 Tiger Moss初等練習機、Mosquito爆撃機
などです。
このうち、Tiger Mossについては、南アフリカ、南ローデシアの訓練基地に送られています。
また、自社製エンジンのLicense生産も行っています。

主なところはこんなところ。

蛇足ですが、Beaufort爆撃機は、国内の400以下の下請工場で部品を作り、これを3つの州に
ある鉄道工場で組立て、Melbourne、Sydneyの工場で最終組立を行っており、これらは、
Beaufort Division of the Department of Aircraft Productionが統制していました。

戦車工場はありませんが、自動車工場としては、General Motors-Holdens Ltd.がMelbourne、
Sydney、Brisbane、Adelaide、Perthに工場を持ち、Ford Motor Company of Australia Pty Ltd.
は、Melbourne、Victoriaに工場を持っていました。
他に、Chrysler Australia Ltd.がAdelaideに、International Harvester Company of Australia Pty Ltd.
がMelbourneに工場を持っており、各種軍用車両の組立を行っています。

これらの軍用車両の供給は主にカナダ、米国から行われており、これらの工場はその部品を組み立てる
感じです。

造船所もありますが海軍工廠は無かった筈。
Cockatoo Docks & Enginieerling Co.Ltdが駆逐艦以下の艦艇を建造できる造船所だったか、と
記憶しています。
(210:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

WW1やWW2の時、オーストラリアや南アフリカはイギリスに対して参戦義務を持っていたのでしょうか。

それとも自発的に参戦したのでしょうか。
あくまでも自治領としての扱いです。
なので、参戦義務があります。
(339:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

英国の海軍力はPacific theatreよりもEuropean theatreの方が比重が多いですよね?

英国の主な戦域の想定は、本国周辺(対ドイツ・フランス)>地中海(対イタリア・フランス)>>(越えられない壁)>>>支那艦隊(対日本)です。

例えば、第二次大戦勃発時、戦艦の隻数で言えば、本国艦隊が7隻(+巡洋戦艦2隻)、地中海艦隊が3隻に対し、支那艦隊は無し。
空母の隻数は、本国艦隊4隻に対し、地中海艦隊1隻、支那艦隊1隻です。
支那艦隊は、空母1隻の他、重巡3隻と軽巡1隻、駆逐艦15隻、潜水艦15隻しかありません。
これに、豪州海軍の重巡2隻、軽巡3隻、駆逐艦5隻、ニュージーランド海軍の軽巡2隻、東インド艦隊の軽巡3隻を加えても、日本の戦力に全然
対抗できない訳で。
(320:眠い人@風邪っぴき ◆gQikaJHtf2)

イギリスは貴族の人が率先して最前線に出たというのは本当ですか?

ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の責務)

イギリスはすごいよ。
WW2では、貴族士官の死傷率は平民士官の二倍以上だったとか。

なんでかってーと、貴族は軍司令部に政治力をつかって圧力をかけるんだよ。
「オレの部隊をもっと激戦地に送ってくれ!」
って。
戦後、ろくに戦わなかった部隊にいたなんてことがバレると
一族の恥になるし、逆に戦争でどれだけの戦死者を出したか、
が一族の自慢になるんですよ。

貴族というものが「戦争で死ぬため」に平時は高い地位にいるということを
連中はよく判ってるです。
(~~フォークランド紛争:215,244)

イギリスがワシントン海軍軍縮条約明け直後に急いで戦艦の起工をしたのはなぜ?

日米と異なりイギリスにとっては
ロンドン条約の戦艦建造制限(ワシントン条約を5年延長)を受けなかった仏・伊と
ドイッチュラント級に続いて再軍備宣言によりシャルンホルスト級の建造をスタートした独の三国間で
すでに建艦競争が勃発していたため、一刻も早くこれら新戦艦に互する艦を必要としていたがためです。

軍拡競争を心配とか言うレベルの話ではなく、イギリスの目の前ですでに建艦競争はどんどんエスカレートしていたのです。
そんな中、イギリスは1937年まで指をくわえて傍観せざるを得ない立場にいたわけで、その危機感たるや日米の比ではありません。
(632:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)
1929年 ドイッチュラント(独)起工
1931年 A・シェーア(独)起工
1932年 ダンケルク(仏)、A・G・シュペー(独)起工
1933年 ドイッチュラント(独)就役
1934年 A・シェーア(独)就役
      ストラスブール(仏)、ヴィットリオ・ヴェネト(伊)、リットリオ(伊)、シャルンホルスト(独)、グナイゼナウ(独)起工
1935年 リシュリュー(仏)起工
1936年 ビスマルク(独)、ティルピッツ(独)起工
      A・G・シュペー(独)就役
1937年 KGⅤ(英)、PoW(英)起工
      ダンケルク(仏)就役
      コンテ・ディ・カブール(伊)、ジュリオ・チェザーレ(伊)再就役
1938年 ストラスブール(仏)、グナイゼナウ(独)就役
1939年 ジャンバール(仏)起工
      シャルンホルスト(独)就役
1940年 KGⅤ(英)、リシュリュー(仏)、ヴィットリオ・ヴェネト(伊)、リットリオ(伊)、ビスマルク(独)就役
     カイオ・ドゥイリオ(伊)、アンドレア・ドリア(伊)再就役

こりゃイギリスが焦るわけだ・・・
(632:277)

WWⅡ時にチャーチル首相が着用していた軍服の階級や位置付けを教えてください。

チャーチルはイギリス陸軍名誉大佐(騎兵科)です。
この階級は終身なので陸軍大佐の軍服を着用しています、納得していただけましたか?
(299:10)

なんでイギリス軍はスピットファイアの艦上型だけではなくF6Fも多用したんでしょうか?

フルマーやシーグラディエーターやシーハリケーンは性能不足、シーファイアは着艦事故多発。
最初から艦上機として作られたアメリカ製戦闘機であるF4F、F4U、F6Fの方が実用的だった。
あと戦争に間に合った英海軍艦上戦闘機に、ズバぬけて高速な機体はない。
(652:462)

チャーチルは日本の参戦を防ぐためにどうしたか?

説明。
「戦時下のチャーチル
1939年9月のヒットラーのポーランド侵攻とともに、チャーチルはチェンバレン内閣の海軍大臣として復帰し、
1940年5月にドイツ軍がオランダ・ベルギー侵攻を開始した時に首相に就任する。
マジノ線が陥落してフランス軍が崩壊直前となったので、
チャーチルはフランスに急遽飛んでフランス首脳と会談しているが、
帰国した当日に予定通り日本大使館での重光葵大使主催の午餐会に夫妻で出席している。
このことでもわかる通り、チャーチルの最大関心事の一つは日本の参戦を防ぐことだった。
重光はチャーチルの行動に感激し、翌1941年前半にかけて日英関係の改善のための努力を尽くした。
チャーチルが首相に就任したての英国の対日政策は、中国への援助物資輸送用のビルマルート閉鎖に応じたり、
日本への船舶建造発注案を検討したりと、かなり柔軟なものだった。
しかし1940年7月の第2次近衛内閣で松岡洋右外相によって日独提携が進められ、
9月に日独伊三国同盟が結ばれてからは平和への機会が失われてしまったと関さんは指摘する。

1941年になってもチャーチルは日本を参戦から思いとどまらせるために、
重光と頻繁に会い、ドイツ・ソ連を訪問した松岡宛にレターを書いたり、レターを松岡が握りつぶさないようにコピーを近衛に届けたりした。
ところが松岡はドイツ・ソ連出張後、極端なドイツびいきとなり、帰国後の天皇への報告会では、
天皇にドイツに買収されたのではないかと思われたくらいで、チャーチルのレターにまともに対応する気はなかった。
そのレターは事前に米国国務省と内容をすりあわせたもので、次のような呼びかけとなっている。
☆ドイツが本当に英国侵攻が可能なのか見極めるのが日本の国益にかなうのではないか?
☆米英連合軍はヨーロッパでドイツと戦い、日本にも立ち向かうのが可能ではないか?
☆イタリアはドイツにとって負担ではないのか?
☆米英の鉄鋼生産量は合計9,000万トン、これに対して日本は700万トンで単独では戦うのは不十分ではないのか?
今から思えば、チャーチルの呼びかけは当然の内容であり、誰もが米英相手の戦争など無謀の極だと思うだろう。
日本の近衛内閣は無責任で、結局内閣を投げ出し東条英機内閣への道を開いた。近衛の責任は極めて重いと関さんは指摘する。
重光は結局1941年6月に離任し、その直後の7月には日本軍が仏印進駐で米英諸国との対立が決定的となった。

チャーチルが愛した日本 (PHP新書 513)を参照ください。
http://atamanisutto.livedoor.biz/archives/51019923.html
(664:霞ヶ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I)

大戦中のイギリスでは道路標識を外したというのは本当ですか?

イギリス全土で、危機がすぐそこに迫っているという意識が高まっていた。
海岸の守りに有刺鉄線が張られ、トーチカが置かれた。
侵入者を惑わすために、国中で道路標識が撤去された。

参考図書。
エニグマ・コードを解読せよ [単行本]
マイケル パターソン (著),
137ページ。第3章 1940年 運命の年
(669:霞ケ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I)

大戦中の英軍には、カチューシャやネーベルベルファー、カリオペのような対地ロケット発射兵器はなかったんですか?

化学戦部で開発された射程3,600mの5inロケットが開発されましたが、化学戦用の
弾頭なので、使用する訳にいかず、通常弾頭(焼夷剤、榴弾)を改めて開発し、これ
を6連装ロケット発射機から発射する形を取っています。
これを上陸用舟艇に載っけて、上陸支援用に使用していましたが、陸上用には改めて、
射程を伸ばした型が開発され、Land Mattressとして30連装発射機が2輪の台車に乗せ
られて用いられました。
この改良型は後に東南アジア戦線でも用いられ、16連装発射機が開発されました。
また、60ポンドの半徹甲弾で、対空用3インチロケット弾のモーターを用いた単発で一人
で持ち運びの出来る簡便なものが開発されています。
(283:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


大戦時の英海軍の編制について

世界中に配備された艦隊の中で『フリート』と呼ばれたのは本国艦隊と地中海艦隊のみで、
それ以外の東洋艦隊などは『ステーション』と呼ばれたと言うのは本当でしょうか?
本国艦隊と地中海艦隊は、伝統的な英仏対立などの過程で形成されたもので、
本国と地中海ならそれなりに連絡が取れ、本国海軍幕僚本部との統制下にあり
ました。

ステーションは英国の海上貿易の保護、権益防衛、奴隷貿易取締、測量・海図作成、
砲艦外交と言った目的に対応するため、軍艦を派遣して駐屯し、石炭を補給する拠点
として設置されたものです。

インド、中国方面のそれは、特に植民地防備のために形成されたもので、19世紀でも
半ばまでは本国からの戦力は派遣されていないか、されても非常に少ないものでした。
これは、喜望峰周りだと、本国とインドとの間の連絡に2年かかることに起因します。
このため、インド経営については、インド総督府と外務省(後に植民地省)に権限が
委ねられ、海軍幕僚本部は殆ど前面に出ていません。

基地についても、出来る限り本国に頼らず自活すべしと言うのが大前提で、しかも、
海軍は前面に出ず、東インド会社がこれを設置します。
しかし、それなりに利益を出さないと設置しても意味が無く、ペナンではステーション
経営に失敗してこれを放棄し、また、セイロンのトリンコマリーについても、初期の
経営に失敗して、小規模の工廠一つに縮小しています。
ペナンの代わりに設置したのが、シンガポールで、これは経営が成功し、以後、香港と
インドを結ぶ交通の要衝になっていきます。
(143:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

インド帝国軍は植民地軍ではないでしょうか。

植民地軍は本国軍と別個の指揮系統を有していたと聞いています。
英国軍の場合、正規軍は、英国本国軍、インド帝国軍、ビルマ軍から構成されています。
つまり、正規軍を構成する軍の一つと言えるでしょうね。
但し、インド帝国軍、ビルマ軍の将校は、国王任命の将校と副王任命将校の二つに分けられ、
前者は、正規軍の正規の教育を受けた将校、後者は下士官から叩き上げた将校で、少し性格
が違うので注意する必要があります。
(234:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

英軍のインド人将校が、白人の部下を配下に置くことはあったんですか?

インド人の将校には二種類ありました。

一つは、インド帝国皇帝(つまり、英国国王)から任命された将校と、もう一つはイン
ド副王から任命された、副王任命将校で、これはジェムダル→スブダル→スブダ
ル・メイジャーと階級が上がります。

前者は、正規の教育を経た英国の将校という位置づけなので、インド人将校が英国人
兵士を指揮することは十分可能です。

後者は、どちらかというと叩き上げのインド人下士官兵から選抜されたもので、スブダル・
メイジャーになると、インド人下士官兵に関するあらゆる問題について、英国人連隊長に
助言を行うのが役目で、英国人兵士に対する権限はありませんでしたが、下士官から
選抜される将校だけに、経験が豊富なため、インド人、英国人双方から尊敬されていま
した。
なお、ビルマ軍の場合は、これが総督任命将校と言う名称になっています。
(200:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

英空軍は大量の爆撃機でドイツを廃墟にしましたが、戦後、余った爆撃機はどうなったのですか?

戦後、Lancasterは軍用機として英空軍籍に止まり、英連邦でそのまま軍務に就いたもの、
Argentinaで爆撃機として余生を送ったものもあります。
また、一部は輸送機に改造して軍で活動し、また、民間に放出されました。
それらが、ベルリン大空輸の際、活躍しています。
それ以外の大部分は解体されました。

Lancasterの場合、1946年にBritish South American Airwaysが6機、南アメリカ路線で運行していますし、
50年代まで7機のLancasterが民間に(うち、1機はイタリアで)放出されています。
もう一つ、その発達改造型Avro 691は、Trance Canada Airlineが1機を改造し、BOACは32機を改造して、豪州、
ニュージーランドと言った戦前のエンパイアボートの路線や南アメリカ線に投入されました。
1946年には更に12機が完成し、7機が英国、5機はイタリアのAlitaliaに引き渡されています。

また、Halifaxも同様に、民間改造型が作られ、BOACがアフリカ線に投入しました。
その後、London Aero & Motor Serviceが6機購入して生鮮食品輸送に活躍しています。
最終的に数十機のHalifaxが貨物輸送機として使用され、ベルリン空輸では41機が投入され
ました。
変わったところでは、1950年9月20日にDaily Expressが主催したエア・レースに"Air Voyager"
(G-AKEC)と言う機体が参加し、平均速度450km/hで24位に入っていたりします。
解体するぐらいなら売ればいいと思うんですが
んと、一応、Argentinaには100機以上輸出されたりしてるんですがね。

蛇足です。

Short Stirlingは輸送機バージョンとしてMk.Vが160機改造され、人員輸送に使用されました。
これらはVickers Wellingtonに代わって、1945年から任に就き、英国~欧州~北アフリカ~イラク~インド
の路線を運行していました。
兵員輸送では、英国と中東を結ぶ路線を運行し、1946年3月まで、中東~インド線に就航していました。

Handley-Page Halifaxについては、爆撃機型は自由フランス空軍に引き渡されていたので、その解放後も
かの国で爆撃機として一時使用されていました。
また、戦後は、G.R.VIがCoastal Commandで哨戒機として使用され、最後の部隊は1952年までGibraltarで
使用していました。
このほか、空挺部隊輸送用に改造されたA.VII、A.IXも300機程度生産されて戦後まで使用されています。
A.VII、A.IXは中東(特にパレスチナ)、インドで1946年末まで使用されました。

1945年からは、Halifax C.VIIIが改造で出現しています。
これは100機が改造され、各地で輸送任務に使用されました。

Lancasterは爆撃機として、CanberraやLincolnが充足する1950年3月まで第一線の爆撃機として
使用され、Coastal Commandで、Liberatorの返還後、その後継哨戒機として使用されています。
こちらは、Shucl;etonやNeptuneが充足されるまで使用され、1954年に第一線を退き、最後の機体は、
1956年10月まで使用されました。

もう一つ重要な改造型は偵察機であり、1946年から1952年10月まで、西アフリカ、中央アフリカ、
東アフリカ各地の測量任務に就いていました。
これは、1953年12月まで使用されています。
(206:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第2次世界大戦中、英国は服地節約のためにスカートを短くしろという法を作ったって、事実なの?

長さというより、生地の量です。スカートに2.5ヤード以上の生地を使用することは禁じられました。
また、スカートに付けるプリーツの数も制限されました。絹のストッキングも禁止されています。
男性用も袖口のプリーツが禁止され、ズボンのサイズにも制限が付くなどの規制が行われました。
衣服自体が切符制となり、入手できる数も規制されました。

詳しくは、British utility scheme WWII などでググられると良いでしょう。
(705:system ◆systemVXQ2)

チャーチルって文官の首相のはずなのに、なんで軍服を着用してたの?

チャーチルは空軍から名誉准将、陸軍からは騎兵連隊の名誉連隊長という地位をもらっていたので
部隊を訪問する時などには制服を好んで着ることが多かった。
本人も元軍人だし、第一次大戦時にガリポリの失敗で海軍大臣をやめた後陸軍の将校として前線に
行ったりする軍隊大好きおじさんだったってこともあるけど。
ノルマンディ上陸作戦の当日にもまだ戦闘中なのにフランスに上陸したいと言い出して周囲を困らせたりしてる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Honours_of_Winston_Churchill#Other_honours
(720:362)

大戦時の英軍機の命名規則を教えて下さい。

1932年の英国空軍軍用機命名法

戦闘機…速度、活動および攻撃的なことを表す、一般的な言葉。
昼間爆撃機…猫科を除く動物。
直協機…古典に使われた言葉。
夜間爆撃機…大英帝国の内陸部の町あるいは、RAFに関係する町名
多用途機…英国の歴史的な名前
輸送機…大英帝国の普通の町名または港町の名前
飛行艇…大英帝国の沿岸の町又は港町名
海軍戦闘機…神話の名前
海軍戦闘偵察機…海鳥の名前
海軍雷撃機…大洋、海、河口の名前
海軍観測機…海の動物名
練習機…授業を表す言葉又は教育に関する地名

なお、第二次大戦に際して航空機生産の管轄が軍需省から航空機生産省に変わったため、命名基準が若干変わり、

爆撃機…大英帝国の内陸部の町あるいは英国史に関連した地名
多用途機、雷撃機、汎用偵察機…英国の歴史的な地名
練習機、標的曳航機…授業を表す言葉又は空軍の練習機基地を除く教育関係の地名
グライダー…歴史的な軍事指導者名
なお、海軍機については、命名権が海軍省に移っている。
(しょうもない知識を披露するスレ8:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


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