ヴェトナム戦争



ベトナム戦争とかって、ジャングルの中で戦ってたようですが、虫とか蛇とか、とにかくありとあらゆるキモイ生物が居たと思うんですけど

兵士たちはそういった生物にも対応できるよう訓練されていたんですか?

もともとベトナム側は農民が多いので、虫やヘビには耐性がある。
日本でも虫やヘビを食べる地域はある。

ちなみに、解放戦線兵士は食料が不足したとき、土虫をとって食べたりしたという話もあるんで、気持ち悪いとかそういうレベルでは無いと思いますが……

米軍兵士は一応有毒生物に付いてのレクチャーは受けていた。
だが、知識があることと実際に遭遇して厄介な事は別で、アメリカ兵は毒蛇とヒルと蚊とダニと蟻に悩まされ続けた。
虫除けの薬剤スプレーも支給されたが、これは匂いが強烈なので、
「匂いで敵にばれる」
として、使用させない指揮官も多かった。

ベトナムで戦死した米兵の死体を洗うアルバイトって実在したのですか?

ベトナム戦争の戦死者を洗うというか、きれいにする作業は存在した。
エンバーミングといい、遺体についた汚れを落とす。
腐敗防止の為に血を抜いた後、血管内や内臓に防腐剤を注入する。
ちぎれた手足や傷をを縫合する。
髪を整えたり顔料などで顔色を生前に近いものにする、など。
これは、土葬が一般的なアメリカでは、戦死者に限らず、ほとんどの死者に対して行われ、葬儀業者の業務の一つとなっている。

ベトナム戦争時には遺体はまず日本に運ばれ、ここでエンバーミングを行った後米本土に移送された。
基地で働く日本人の中に、この作業に従事した者もいただろうが、アルバイトとして行われたかどうかは知らない。


ヴェトナム戦争に自衛隊は派遣されたのでしょうか?

小林源文によるとそういう「噂」があったらしいです。
真偽はわかりませんが、彼が聞いた話では1966年から68年まで、15人づつ半年交代で4チーム延べ60名がベトナムへ派遣された。部隊区分で多い順に陸自は名寄の冬戦教、御殿場の富士学校、習志野の第一空挺、海上自衛隊と航空自衛隊は少なく1~2名だったという。
行ったとしたら、どのような事をしていたのでしょうか?
軍事評論家の故青木日出雄氏が、1960何年だかにベトナム戦争視察に行ってなかったかな。
青木氏は空自の退役二佐だかなんだかだから、見様によっては元自衛官の派遣だあね。
もちろん個人の資格で行ったのだが、帰ってから空自側がお話を聞いたりしたことは有り得るよね。
その手の話が伝わっているうちに誇張されて行った可能性もあるのではないかと。
(43:35)
ベトナム戦争に日本人が参加したのは事実でしょう。
米軍の軍属としてね。

その彼らが、実際にどんな任務につき、どこでなにをしたかはほとんど分かっていません。

彼らの中に元自衛官がいたかも知れませんし、ベトコンとの戦闘に参加したかも知れません。
(自衛隊板初質スレ45:陸秀夫 ◆Bf5xepPT82)

ベトナム戦争でテレビの前でベトコンの頭打ち抜いていた司令官?って誰ですか

南ベトナムのグエン・ゴク・ロアン国家警察長官です。ちなみに、殺されたのは解放戦線幹部、
グエン・バン・レムで、自分の銃を取り上げられ、その自らの銃で殺されました。
(52:324)

映画「ALI」でアリさんの徴兵拒否が無罪になったのは何故でしょう?

最初の裁判では、アリは敗訴して、服役・タイトルも剥奪されました。
ブラック・ムスリムとの関係があったとは言え、
信仰上の理由からの「良心的兵役拒否」が認められなかったためです。
まあ、ベトナム戦争への疑義を公然と口にし、
戦争に国力を突っ込む余裕があるならば、
国内の国人の地位向上を図れと言っていましたから、
陪審員の心証も良くなかったと思われます。

で、獄中からの連邦高等裁判所への再審請求も棄却。
さらに、連邦最高裁判所へ上告して、ようやくと再審が始まります。

その後、カシアス・クレイからモハメド・アリへ改名するなど、
一層、ブラック・ムスリムへの傾斜を強めて、
「信仰上の理由」による「良心的兵役拒否」が認めやすくなったこと、
ブラック・モスリムに対する世間の認知度も高まったこと、
その後のベトナム戦争の戦況が芳しくないこと、などがあいまって、
陪審員の心証が良くなった、と考えられます。

優遇はあり得たと思います。
現代でも、クリントンや小ブッシュなどの兵役逃れのスキャンダルが発生する素地はあるわけでして、
ヘビー級チャンプとしてのアリを戦死させては、イメージダウンにもなりかねませんし、
徴兵そのもので揉めているわけですから、
後方勤務につけられた可能性は多いにありと考えられます。
ただ、本人が、唯々諾々と命令に従ったり、あるいは、進んで前線勤務を望めば、
話しは別ですが。

ザイールの政情に関しては、1965年にモブツ氏が、クーデタで政権を掌握し、
可もなく、不可もないというくらいの「圧政」を引いています。
1997年までこの圧政は続いているところをみると(武力によって妥当されましたが)、
1974年当時ならば、あちこちで小規模な武力紛争は散髪していたと考えられますが、
首都の治安を安定的に保つくらいのことは可能だった、と考えられます。
(52:850)

ベトナム戦争って戦車対戦車の対決なんてあったんですか?

上田信先生の「戦車メカニズム図鑑」によると、一度だけベンヘトキャンプと言う場所で、
夜襲をかけたPT-76と米軍のM41との間に戦車戦があったそうです。
結果はベトナム側が2両・米軍が1両を撃破されてベトナム側は撤退したとか。
(58:256)

ベトナム戦争で1日に3回撃墜されたパイロットがいたけど、その人は3回目に撃墜されたとき生きてたの?

生きてますし、今も存命のはず ※2003年のログです
詳しくは「地獄のヘリ作戦」(アサヒソノラマ戦記文庫)を
古書店で探してみて
原著はアマゾンで入手可能らしい(もとろん英語)
(80:18)

ベトナム戦争の細かい経緯(政治的なことではなく)や当時使われていた兵器や戦略などについて知りたいのですが

ワールドフォトプレスのベトナム戦争ものの本とか、グリーンアロー出版
辺りの本など如何でしょう。
経過とかについては、三省堂の石山昭夫著「ベトナム解放戦史」(1977)、
岩波書店の小倉貞男「ドキュメント ヴェトナム戦争全史」(1992)
朝日文庫のD.ハルバースタム「ベスト&ブライテスト」とか。
中公文庫からボーグェンザップ将軍の「人民の戦争・人民の軍隊」が出て
いますし、局地戦なら集英社文庫に米軍の戦いを描いた本が、航空戦なら、
R.ドールの「ベトナム航空戦」などが良いのではないかと思います。
(85:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ヴェトナム戦争のフエ攻防戦が行われた「テト攻勢」について

歴史資料などには、この「テト攻勢」がヴェトナム戦争の帰趨を決めた戦いである、とされています。しかし、資料を見る限り、この「テト攻勢」で大損害を受けたのは、どうみても北ヴェトナムと民族解放戦線の方で、戦術的にも戦略的にもアメリカが勝った、と言って差し支えない結果だったと思うのですが・・・。何故、「テト攻勢」はアメリカの世論をヴェトナムからの撤退に傾かせるほどの受けとめられ方をしたのでしょうか?

多くの場所でアメリカが優勢だったが、たまたま劣勢だったところにテレビカメラがあった。
そんで、みんなが見てる時間帯に、アメリカ兵の累々たる死体が放映され、
「なんだ、アメリカ勝ってるなんて嘘じゃん」
と反戦運動がおおいに盛り上がってしまった。

つかね、テト攻勢で報道各社が絵的に良いからと言う理由で米軍の損害シーンをやたらと使ったため、報道を見ている人間には米軍が大敗北を喫したように見えた。
実際には北ベトナム側の損害の方が圧倒的に多かったし、それによって北ベトナム正規軍はほとんど活動出来なくなった。
故意か偶然かは分からないけど、自国のメディアによって情報操作が行われちゃったのよね。

で、報道の自由を尊重してほぼフリーで取材をさせていた米軍も、それ以降は報道に対する対策も重視するようになった。

純粋に軍事的な結果だけを見れば、テト攻勢は大失敗。

テト攻勢の失敗の原因は、北側の装備が貧弱だったせいなのですか?

主に予断、およびマスコミ対策のまずさが原因。

前線や現場の兵士は、こう思っていた。「この日に戦闘は起こらないだろう」
これはアメリカの情報機関が掴んだ情報を、軍や政府の上層部が「そんなわけはない」と握り潰した為。

そのため、情報関係者は個人的ネットワークを通じて情報を広め、ヴェトナム現地の軍司令部はある程度予想はしていた。
その為、「やはりか!」とは思っても「まさか!」と思った上級軍人は少なく、最初の衝撃から米軍と南ヴェトナム軍は素早く立ち直り、冷静に対処できた。※
確かにケサンやフエでは苦戦したが、全体的に北ヴェトナム軍の行動は予想の範囲内で、軍事的には北ヴェトナム軍と解放戦線は米軍の掌の上で踊ってたと言ってよい。

しかし、それはあくまで”純軍事的”な話で、それまであまりマスメディアが報道しなかったこともあり、
「北ヴェトナム軍は弱体で、我がアメリカは一方的に勝っている」
と思っていたアメリカ国民には、激しい衝撃を与えた。
特に、サイゴンの米大使館攻撃の戦闘の模様がTVで生中継された衝撃は大きく、
「アメリカはこの戦争で勝てないのではないか?」
という印象は、その後の反戦運動を一気に加速させる。

尚、物量、特に兵力では、戦争の全期間を通じて北ヴェトナム軍の方が、常に米軍を上回っている。
アメリカは約350万の総兵力の内最大で約50万人を派遣していたが、それでもヴェトナム派遣軍司令官ウエストモランド将軍は
「最低でもあと20万は必要です」
と発言、政府関係者を絶句させた。

※余談だが、テト攻勢発起時、米海軍の空母コンステレーションはベトナムへの戦闘航海を予定通り終了し、横須賀に入港していた。
攻勢開始の報に接して同艦は緊急出港、再びベトナムへと向かった。
しかし、かなりの乗員が上陸しており、中には横浜あたりまで遠出していた者も居て、後に乗員積み残し事件として問題になった。
彼等の多くは空母間輸送機便で追って帰艦したが、後に米海軍初のエースパイロットとなるランドール・カニンガム大尉もこの中に含まれていた。

ベトナム戦争によりジャングルに残った大量の不発弾や地雷の処理はどうしているんですか?

ttp://www.viet-jo.com/news/social/090704091243.html

アメリカに対しての不発弾に関する補償をめぐる条約や取り決めを見つけることはできなかったので、
恐らく現ベトナム政府が殆どの費用を負担することになっていると思います。
(戦争板初質スレ1:709)
何故ベトナム政府はアメリカに対して処理費用を請求しないのでしょうか?
一.北ベトナム(即ち現ベトナム政府)とアメリカ合衆国間はいわゆる戦争状態では無かった。
双方とも宣戦布告をしておらず、”公式”では北ベトナムVS南ベトナムの戦争となっているので
(アメリカはあくまで南ベトナムを”援助”しただけ。勝手に介入して勝手に撤退した)
アメリカは補償する必要がない、という建前がまかり通っている(上にベトナム政府もそれを追認している)

二.ドイモイ(ベトナム版改革開放)以後、ベトナムは経済成長を遂げるためにアメリカとの関係構築を最優先課題に掲げ、
その結果多大な利益(輸出入の急成長とそれによる経済発展)を上げている。
ベトナム政府もその国民の大多数も過去の補償問題をあれこれ弄り回すより、アメリカとの緊密な関係を維持することを最優先にしている。
(ベトナム政府と国民の不発弾問題のアメリカに対するスルーっぷりは余りにも異常。調べていてかなり当惑した。)

大量の放棄された軍需物資?
大戦争終わって軍縮真っ盛りのベトナムにとって、全く違う兵器体系の装備を貰ってもあんまり良い顔はしないと思うよ
(処理するだけでどれだけの手間と金がかかるやら。)
少なくとも、戦争の傷以上のメリットはもたらさないだろうねぇ。
(戦争板初質スレ1:713)

ベトナムのディエンビエンフーの戦いについて教えていただきたいのですが。

かいつまんで言うと、1954年3月~5月に掛けて行われた戦闘で、フランス・インドシナ派遣軍が
ヴェト=ナム軍に負け続け、乾坤一擲の決戦の地に選んだのがディエンビエンフーです。

この地はラオスとの国境地帯にあたり、ヴェト=ナムとラオスの連絡を遮断できる位置にありました。
地勢的には山に囲まれた盆地です。

これは、インドシナ派遣軍のナヴァール元帥が米国の軍事援助を引き出すために
目論んだ政治的な作戦で、その要塞構築は派手に宣伝されました。
まず、1950年11月、この地を支配していたヴェト=ナム軍を空挺部隊で一掃し、此処に
外人部隊を含む1万名の兵力を送り込んで、空中補給のみに頼る要塞を構築したのです。
司令官は、名門出身のド・カストリ大佐(後に准将)。

一方、ヴェト=ナムは名将ゴー・グェン・ザップ将軍率いる歩兵四個旅団と、
砲兵旅団一個という大兵力で彼地を包囲し、人海戦術、トンネル掘削作戦などで攻め込みます。
フランスはゲリラに毛の生えた程度の軍と侮っていましたが、実際にはソ連、中国からの
供与品(米国の余剰物資を含む)を支給され、近代的な兵器で武装していた軍隊でした。

フランス軍は3月には数度大攻勢をはね除けますが、
4月には滑走路が占領され、空中投下の補給に頼るのみとなりました。
最終的には、フランス軍の誰もが予想し得なかった、山上からの621門に及ぶ火砲の攻撃と白兵戦で
その拠点一つ一つが潰され、最後に司令部が陥落して戦闘は終了しました。

その翌日、ジュネーブ休戦協定が発効して南北分断が既定事実となったのです。
(32:眠い人 ◆ikaJHtf2)

「ワンス・アンド・フォーエバー」という映画の中の戦闘は実際にあったと聞きましたが、本当ですか?

映画の原作が集英社文庫から出ていますので、それを御覧になるが宜しかろうと思います。
1965年10月23日~11月26日に掛けて行われた、ヴェト=ナム中部イアドラン渓谷での戦闘です。

第一空中機動師団第七騎兵連隊の二個大隊がイアドラン渓谷に進出し、敵の
ゲリラ部隊を掃討するつもりでいたところ、北ヴェト=ナムの二個旅団と鉢合わせしました。
第一大隊は一個大隊450名でプレイミーに陣地を構築しました。
ここは二個連隊の五個大隊約2,000名と戦って、かなりの損害を受けつつも、うち一個大隊を壊滅させるなど、
その攻撃を撃退しましたが、後で投入された第二大隊は、通称X-レイ着陸地に向かうつもりだったが、
地理不案内、しかも周囲の警戒を怠っていたため、三個連隊とヴェトコン一個大隊に包囲され、壊滅したものです。
(33:眠い人 ◆ikaJHtf2)
ありました。
緒戦では米軍に大損害が出、中盤から終盤に掛けてはヴェトナム軍に
大損害が出ています。

角川文庫から原作本が出ていますので、
それをお読みになるのが良いかと思います。
(68:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ベトナムのカンボジア侵攻の理由は何だったのでしょうか。

一般的に、ソ連よりのベトナムと中国よりのカンボジアという対立構造が言われています。
ベトナム戦争以降、インドシナ半島におけるベトナムと中国の利権問題が深刻になり、
ベトナムでは弾圧政策により、華僑が相当数難民として海外に逃げております。
カンボジアを地盤として中国は影響力を強めようとしましたが、ベトナムによる侵攻により
ポルポト政権崩壊。後の中越戦争はポルポト援護の為であるとも言われております。
(42:183)

ベトナム戦争で撃墜王っていますか?

たくさんいるよ
トップエースはSAM部隊のソ連指揮官だ
(戦争板初質7:668)

ベトナム戦争で取り残された日本人はどうなったのですか。

Wikipediaで調べたら、
『しかし在留日本人は……北ベトナム政府や市民などから迫害を受ける可能性が低いことなどを理由にアメリカ軍のヘリコプターに
乗ることを拒否された……ために、混乱下のサイゴンに取り残された。』とあります。
日本政府は3月下旬から退避勧告を出しており、一時滞在者や婦女子の避難は終わっていました。
しかし、元日本兵を含む現地永住者や外交官、報道関係者など250人が残っていました。

日本政府は、日航に依頼して救援機(150人搭乗予定)を用意しましたが、かなり手間取り、
マニラまで前進した時点でサイゴン空港が砲撃で使用不能となって、失敗に終わりました。

米軍に依頼し少なくとも30人分のヘリの座席も確保しましたが、
実際には約束の米軍バスが来ず、大使館の指示で約70人集まった避難民は搭乗できませんでした。
ただ、少数の報道関係者が個人的に動いて、報道陣救出枠で乗り込んだケースはあるようです。
http://mickeymouseclub.ifdef.jp/html/vietnam_rekishi_saigon01.htm

脱出できなかった日本人はそのまま市内に残ったのがほとんどです。
北ベトナム軍は、米国関係者の脱出が終わるのを待って市内に侵入したため、
市街戦に巻き込まれるような事態は無くて済みました。
(538:675)

ベトナム戦争では少数山岳民族がアメリカと共に戦ったみたいですがそれは何故?

迫害されていたから?ただの小遣い稼ぎ?
迫害されてたから。
米軍が取り込んだのはべトナム中部山岳地帯に住むモンタニヤードと呼ばれた山岳少数民族。
確かメオ族だったっけか?低地に住む住民とは衣装、言語、習慣とか全然違って
独立自尊の気風が強いという話だったと思う。ソースは柘植
(353:901)

南ベトナムは東南アジアにおける民主主義の砦だったのか?

南ベトナムの支配層が一般国民といかに乖離していたか勉強した方がいいよ
彼らの大部分が北部出身のカトリック教徒で、フランス植民地政府の官吏だった者も多かった
彼らの多くは一般のベトナム人と関わることを嫌い、日常会話はフランス語を好んで使う
子供達はフランス語の学校に通わせ、その後フランスに留学させる
そうして醸成されていった上流階級層の人間達がどれほど鼻持ちならないか想像するのは
難しくないだろう。血統的には同じ人種かもしれないが宗教もしゃべる言葉も違う奴らが
生まれついての支配者として君臨している社会が民主主義ってブラックユーモアにも程があるよ
(ベトナム戦争2:302)

新聞である年のボートピープルの85%が中国系だったと読んだ事があるけど、本当ですか?

偽装難民は中国に帰されたよ
ベトナムの華僑は1975年以降145万人のうち110万人が第三国に移住したけど


華人の出国・難民化については、北部での、同じ社会主義国である対中国関係がらみと、
南部での社会主義化の両方、に根元がある。

ジュネーブ協定後の1955年、中国共産党とベトナム労働党との間で在越華人の扱いに関して合意が成立
1・北部のベトナム民主共和国主権内の華人は、ベトナム人民と同じ権利を持ち、自由意志でベトナム籍公民になれる。
2・南部在住華人は、南部との統一(解放)後に別途協議する。

76年の南北統一時点で、ベトナム全土の華人人口は120万~150万、うち100万は南部に在住していた。
76年2月、ベトナム社会主義共和国政府は、華人を含む全住民に強制的に同国籍を申告させた。

すでにこの時点で陸路国境を越えて父祖の地を目指す華人が北部で発生した。
一方、ポル・ポト政権のカンボジアとの対立激化、ベトナム援助を打ち切り対カンボジア援助を強化する中国との対立も明確化した。
ベトナム(社会主義)政府は、国境からの中国の影響、もっと具体的には間接侵略の浸透を警戒し、
ベトナム国籍取得を拒否する北部国境周辺の華人の強制移住を実施した。

78年1月以降、中国政府が在越の華人・華僑に「反覇権闘争」「中国帰還」を指示する地下文書を大量に配布。
ベトナム当局の主張では、これは、前年12月にベトナム・カンボジアが断交したことを受け、
カンボジアへの支援の一環として、ベトナム国内に争乱を起こすのが目的だという。
この影響もあってか、78年3月から3ヶ月で13万人の華人が国外に脱出。
これがベトナム政府にとって華僑・華人弾圧の決定的な根拠になった。

一方、南部ホーチミン市の華人街・チョロンでは、それまで華人と中国政府に配慮して、
経済の社会主義化が他地区に比べある程度ゆるやかに進められていたが、
同年2月のベトナム共産党(労働党から改称)政治局会議で「南部全域での社会主義化断行」が決定。
3月には軍、警察、経済警察、民兵を投入し、華人の財産を没収、資産国有化を宣言した。
生活の糧を奪われた南部の華人は、やはり中国への帰国に殺到した。

中国政府は、ベトナム政府の措置を「華人の排斥、略奪、追放であり、反中国の暴挙」と非難。
ベトナム政府は「社会主義改革の一段階であり迫害にあらず。排斥されているのは不法出国者と犯罪者、スパイだ」と応じた。
さらに共産党の理論家たちは「華人資本家は中国政府の指令を受け、西側資本家と結んで東南アジア支配を企図している」
との論陣を機関紙上などで張った。
この対立は中国による援助引き上げ、在越総領事の引き上げ、広州、昆明、南寧の領事館閉鎖に至り、
ベトナムの第2次5カ年計画の頓挫・経済破綻にもつながった。
(ベトナム戦争2:752-756)

ベトナム戦争ではAAMの誘導技術はまだ未開で戦闘機は機銃による格闘戦をせざるを得なかったんですよね?

ベトナム戦争でも米戦闘機軍が撃墜した敵戦闘機の約8割はAAMによる
しかも世界の傑作機のF-4空軍機編だったと思うが、それに載ってるベトナム航空戦の国際共同研究の抜粋によると
機銃による撃墜主張の大半は誤認とされている
(623:547)

「映像の世紀」でベトコンの頭を路上で打ち抜いたシーンがあったんですが この人の名前とかはわかっているんでしょうか?

グエン・バン・レム。
ちょー有名なんで、ググればいくらでも引っかかるよ。
(310:211)

ヴェトナム戦争で艦砲射撃は行われたの?

ヴェトナム戦争では駆逐艦が恒常的に艦砲射撃を行っています。
1966年以降、北爆に呼応して米第7艦隊は隷下のTF-70-8(第70任務部隊第8グループ)
を北ヴェトナム沖合に派遣して艦砲射撃を行うようになりました。
当初は旧式の大戦型巡洋艦が砲撃の中心でしたが、8インチ/6インチ砲弾の
備蓄不足や旧式化による退役が進むにしたがって、5インチ砲搭載の駆逐艦が
砲撃の主力になっていきます。
当初はTF-70の戦力は巡洋艦2隻に駆逐艦30隻でしたが、一時は最大で50隻の
駆逐艦がこの作戦に従事しました。
これらの駆逐艦は北ヴェトナムの砲兵部隊による反撃で多くの死傷者を出しています。
また、これに協力してオーストラリア海軍の駆逐艦も砲撃に参加しています。
(260:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

北ベトナムは民間人の死者がなんで軍隊より多いんだ、北爆の被害か?

アメリカの立場からいくと「良いベトナム人は死んだベトナム人だけ」で
昼日中に田を耕作中の農民は潜在的なベトコンだ
よって攻撃してもいい
「地獄の黙示録」や「フルメタルジャケット」の描写はまったくの実話なんだ
(俺初質スレ2049:582)

ベトナム人視点からのベトナム映画は皆無?

ベトナム人視点の映画とかはやっぱベトナム映画だなあ
アメリカ人にも妻子がいる描写があったりと意外にアメリカ=悪とは描いてない
ただ兵器がアメリカ軍のはずなのに東側の兵器だったり全員ベトナム人の俳優だったりする
のは脳内で変換しとけ
(俺初質スレ2050:561)


アメリカ側

なぜアメリカはヴェトナム戦争で負けたんですか?

  • ベトナム戦争では、アメリカ側は様々な制約の中での戦争だった。
ベトナム戦争はアメリカ対ベトナムと一般に認知されるし、実際にそうだと言えるだろうけど、正式には南ベトナム&アメリカvs北ベトナム。
実質はどうであれ、北ベトナムに侵略を受けている南ベトナムに対する援軍、として現地に行っており、侵略を防ぐために駐屯してるのであって、北を侵略するために行っていたわけではない(重ねて言うが、実態は別の話)。
アメリカが負けた、というのは人的損失の巨大さと大儀名分と実態がかけ離れていることからのアメリカ国内での反戦運動から、援助していた南ベトナムから撤退せざるを得なくなった。
最終的に、アメリカ抜きの南ベトナムが北ベトナムに統一されることになり、アメリカが援助していた国家は消滅。これが負けたということであって、北ベトナムがアメリカを侵略したわけではない。
念のためだが、南北ベトナムに分離していたこと自体が、ベトナム人にとっては押し付けの話。
ベトナム戦争は統一戦争の側面と代理戦争の側面を併せ持つが故に、左右の主張や見方が異なるのは当然だが、内戦の末の統一そのものに対して、外国であるアメリカが敗北したか否なんか、そもそも関係ない話。

  • 世論と有力支持者の意見。
戦争前半、米政府軍部のベトナムでの戦は圧倒的かつ順調に推移しているってストーリーを流してた。
アメリカ世論も最初はイケイケだった。ベトナム戦争は楽勝だと思われていたから。
が、テト攻勢(当時の北ベト軍側の評価では、軍事的には戦術的にも戦略的にも大敗)で北ベト側に大規模な攻勢を行うだけの能力があり、楽勝とは言えないってのが露呈された。
楽勝のはずだったのに、大軍突っ込んでも勝てないから、おかしいぞってなったわけ。
その後、テトの被害と教訓から北越側が、対仏戦以来の大攻勢による占領から、不正規戦によって米軍の疲弊を図ることへと方針を転換し、以降勝ち負けのはっきりしない泥沼に陥り、米が嫌気を起こしたと。
その結果、国益とコストを重視する中道~保守系の世論も反戦へと傾き、国論が撤退へと傾いた。

また、ベトナム人の心を掴むことが出来ず、ゲリラ(南ベトナム解放戦線)への対処が下手くそだった。
アメリカが後押しした政権は、腐敗まみれで人心は離反していたし、「戦略村」構想なんて最低。
結果、「軍隊を負かすことはできても、国民を負かすことはできない」というクラウゼヴィッツの分析通りに。

さらに、アメリカ政府も前線に近いところへあまりにも介入しすぎた。
それゆえ、作戦に政治的な制約がかかり、思い切った攻撃がベストなタイミングで行われなかったということもある。

  • よく勘違いしてる人がいるがアメリカはゲリラ戦でヴェトナムから追い出されたというわけではない。ソ連と中国の援助をたっぷり受けていた北ベトナムは当時世界有数の軍事大国だった。
(軍事板)
太平洋戦争では米軍の戦略攻撃が成功して日本の生産力を低下させ、
補給路も切断したわけですが、ベトナム戦争は陸の戦いであったが
ゆえに補給路を切断できなかったし、生産地は東欧、ソ連、中国にも
あったので共産圏の核の抑止力によって、そこには戦略攻撃ができなかったわけでしょう。
(ベトナム戦争2:395)
ソビエトが後ろから応援したからです。朝鮮戦争も同様です
(68:662)
中国の存在も忘れてはいけない。
中国がベトナムの後背地あるいは聖域となった。
朝鮮戦争の時も同じ。
(68:664)
砂漠や大平原といった遠方まで他国の領土まで侵攻した軍と
あくまで自国とその周辺(それでも戦術上)を
長期的に抵抗していた軍の違いもあると思われ

あと敵方が攻撃できない支援国の存在もある
尻拭いする国の後始末の不備なもあるけど
(68:665)
NAM戦終盤には、既に中越は仲が宜しくなかったような...

そんなことはない。

中ソ対立が決定的になったのは1961年。つまりアメリカが本格化移入する前から。
中ソが連携して援助したのではなくて、それぞれの思惑で個別にベトナムを援助したのだ。
(68:687)

今もう一度ベトナムにアメリカが侵攻した場合勝算はあるでしょうか?

昔とは戦い方を変えるだろうから勝つでしょうね。南ベトナム政権もないし
しかし侵攻する理由がないし、やったら国内からも非難轟々でしょうなあ・・・
(79:594)
  • 他国からの潤沢な支援があるか
  • 米国内の世論が戦争を長く支持するか
の2点がまず最重要。
ベトナム戦争では旧ソ連があったけど、現代において
アメリカと戦争する国に堂々と援助を行うような国はまず無い。

あと、勝利の定義をしてくれないと「勝算」云々は回答不能でつ。
(79:597)

ベトナム戦争で、当時のアメリカに加担した国を教えて下さい。

第二次大戦後なら、最初が英国、次いでフランス、フランスが撤退して、米国が主力になります。
このほか、韓国(兵力派遣)、豪州(空軍派遣)、ニュージーランド(空軍派遣)、タイ(輸送機派遣)だったか、と記憶しています。

日本の協力は、まず、佐世保、横須賀での修理基地の提供、そこでの艦船修理。
横田、岩国は補給物資の中継基地ですし、岩国は海兵隊の出撃基地でした。
また、日本は米兵の休暇先であり、傷病兵の治療場所であり、遺体の搬送先でもありました。

琉球は、長らく米国の施政下にありましたが、米軍爆撃機の出撃基地の一つとなり、海兵隊の出撃基地ともなっていた上、彼らが派兵前に訓練を積んだ場所でもあります。
更に、中央情報局の出先機関が置かれ、ここからベトナムの隠密作戦を支援しています。
当時、Reischauerは、沖縄を称して、「100万人の日本人の住む植民地」と言って憚りませんでした。
沖縄の県民総生産の4分の1は今でもそうですが、米軍絡みです。

個人としても、農業技術者、医療技術者が民間支援の形でベトナムに行っています。
また、米軍基地の日本人労務者は、日本政府の斡旋による個人契約という形で、輸送船や上陸用舟艇に乗り込み、弾薬や爆弾などの輸送・陸揚げ作業に従事して、死亡者を出していました。

ベトナム戦争の時、韓国軍が参加したそうですけど、どれだけの働きを見せたのですか(軍事的に)?戦後に米国からお金を貰っているみたいですから、結構な活躍をしていたのでしょうか?

戦術面・住民宣撫面などで米軍より優れており、NLFにとって最も恐ろしい敵となったという。
その一方、有力であったと共に残虐であった、という資料もある。

wikiより転載

韓国軍の参戦

民家を点検するアメリカ軍兵士大韓民国の朴正熙政権はアメリカの要請により、1964年に最初の海軍部隊を派遣したのを皮切りに、1965年10月には陸戦部隊である猛虎師団1万数千を派兵して本格的に参戦。1973年3月23日に完全撤収するまでに総兵力約31万人をベトナムに投入した。
韓国軍はベトナム兵などを約4万人(公式記録)殺傷し、韓国軍の犠牲者は戦死約5千、負傷約1万に上った。
オーストラリアやタイ王国もアメリカの要請によりベトナム派兵したが、アメリカ以外の国としては、韓国が最大の兵力を投入した。
米韓の協定により、その後、韓国政府は派兵規模に応じた補助金を得ている。


ROK(Republic of Korea)と呼ばれた韓国軍はアメリカ軍に次ぐ規模の西側派遣外国軍であった。
アジア圏における共産主義の拡大に危機感を募らせていた韓国政府は1965年夏、米軍の軍事援助のもとベトナムへの派兵を決定。
兵力は延べ37万名、最盛期には5万の兵力を南ベトナムに展開した。
具体的部隊としては韓国主都師団猛虎、白馬の2個師団、韓国海兵隊青龍1個師団の3個師団でいずれも韓国軍最強の部隊である。
韓国軍は早い時期よりベトナム戦争の長期化を睨んでおり、米軍基地のような簡易建造物による陣地構築ではなく鉄筋コンクリートの施設を建造した。
また、戦術も米軍とは違い、空軍や機甲部隊には頼らず、歩兵を中心とした接近戦闘を主体とした。
砲兵の数も少なく、ジャングルではもっぱら敵であるNLF、NVAと同じ戦術を駆使した。
さらに韓国軍では、敵を捕捉しないかぎり反撃は控えるという手堅い戦闘を見せ、NLFにとって最も恐ろしい敵となった。
アメリカ軍の撤退は1968年秋から始まるが、韓国軍はこの後もこの地に残った。
韓国軍は朝鮮戦争を体験しており民族間に強い国防意識を根付かせていた。
朝鮮、ベトナムと2度に渡る共産主義勢力との戦いは、韓国軍を勇猛果敢な世界でも最高峰の軍隊に育て上げた。
韓国軍がベトナムを去るのは1973年、実に7年間の軍事行動をし戦死者は4407名、負傷者は2万5千名であった。
韓国軍の戦争長期化の考えは当たり、初期の施設建造や人材面で米軍よりも有利な条件がいくつも存在した。
鉄筋コンクリートの施設は解放戦線の砲撃に十分に耐えたため、解放戦線も容易に突入はできなかった。
また、多くの通訳を擁し現地人との交流を図った。
軍規は極めて厳正で、戦闘時以外には村に対する放火をさせないなど、徹底したプロ意識も見せた。
その一方、有力であったと共に残虐であった、という資料もあります。
ただし、google検索してみると、誤訳や、ハンギョレ21のスタンスへの疑問(例えば、ピースボートでベトナムを訪問)が指摘されています。
ついでながら、この記事を韓国で載せた際、帰還兵からの脅迫を含む反発があったそうですが、その記事のURLは見つけられませんでした。
ただ、虐殺そのものを否定するのではなく、正義の戦争だから当然という帰還兵の主張が多かったと記憶しています。



トンキン湾事件について

トンキン湾事件つうのは、1964年8月2日、米駆逐艦マドックス号が
北ベトナム沖のトンキン湾で国籍不明の魚雷艇3隻から魚雷3発と37ミリ機関砲
の攻撃を受けたので、米空母の艦載機も加わってこれに応戦した事件です。
これが第一次トンキン湾事件なんですが、問題はその後あったとされる
第二次トンキン湾事件です。これに関しては、
発生当時から米国側の説明に米国内からも疑問の声があったそうですが、
現在では8月4日の北ベトナム軍の攻撃はなかったとする説が有力です。
(マクナマラ元国防長官が自分の著書でゲロったそうで)
(31:名無し軍曹)

日本は仏印進駐ではすんなりいったような気がしますが、なんで米軍はベトナムであんなに苦戦したんですか?

ジャングルだからなかなか敵を掃討できない。
そのせいで苦し紛れに枯葉剤とか使ったんだよ。
(79:12)
ベトナムにはソ連に中国という大補給源があったから。
(79:13)
中国とソ連が陸続きなもんだから大量の援助をしていて、北ベトナムは武器・弾薬が非常に豊富だった。
アメリカは何度もその援助ルートを潰そうとしたけど、結局はダメだったし、当時は東西の軍事技術格差は
今ほど開いたものじゃなかったからです。
(79:14)
  • 戦力の逐次投入
  • 国内世論の不統一
  • 政治的理由による攻撃目標の限定
  • ベトナムに対する共産圏からの莫大な各種援助
  • 初めて経験する本格的かつ徹底的ゲリラ戦
(79:15)
やっぱゲリラの力?ソ連という後援の存在?
まず相手が違う
フランスとアメリカの場合ベトナム人社会そのものと戦っていたが
日本軍の場合対象はフランス軍、それも二流軍隊に近い植民地軍。

フランスもアメリカも結局は住民を味方に付けること出来なかったからと言ってもいい。
フランスの場合は兵力不足と錬度士気の不足により最終的に押されてしまったが、
アメリカの場合は物量で押し捲って、軍事的には勝っていた。

余談だが、フランスはインドシナ戦争の敗北を教訓にして、休戦直後に始まったアルジェリア戦争では
インドシナ帰りが戦場に戻り始めたころから徹底した掃討戦術を採用し、1959年から始まった大攻勢を始めるに至る。
1960年になるとアルジェリア内の解放戦線部隊を一掃し「軍事的」には圧倒的な勝利を収めつつあった。
が、現地住民からソッポを向かれ、国内世論は反戦及び厭戦気分に触れそうになり、国際政治的にもコケてしまっては
軍事的勝利だけではどうにもならん。
(561:740)

ベトコンをなぜチャーリーと呼ぶのでしょうか?

チャーリーは本当はアメリカ兵のことを指すアメリカ兵自身の隠語。
で、ヴェトコンを更に略してVCといってたのを、
Victor CharlieとNATOの識別コードで言うようになったとか。
頭文字に適当な語句を当てはめるジョークの1つ。

有名なのは、「Meal, Ready-to-Eat」っていう携帯食料を略したMREを、
「Meals Rejected by Ethiopians」と呼んだり、とか、ね。
(11:415)

NAM戦時に存在したPRUについて知ってる人いたら教えてください。

ベトナム戦争当時、米軍が使った無人機はファイアビーシリーズだけですが
これがまた、試作段階にあるものをごく少数、投入してたりで、バリエーションが膨大でして…
まとまった日本語の活字資料としては80年代に発行された「エアコンバット」の
特集ぐらいしか記憶にありません
(33:752)

「ベトナム戦争での米軍の死者のかなりの割合が味方に撃たれたもの」というのは本当でしょうか。

偶発的、意図的を問わず、統計は取れませんが、
無視できない割合であったものと考えられます。

「意図的」に、あえて絞るならば、
「フラギング」という俗称がありましたが、気に食わない上官を、
戦闘中に始末してしまう、という例がありました。
中国大陸の日本軍でも、同様の例があったという風聞がありますが、
無茶な命令、資質不足の上官に耐えかね、など、
「軍規の乱れ」だけでは片付かない問題のようです。
(50:215)

アメリカがベトナム戦争に介入した理由は本当に、「資本主義国家のプライド」だけだったのでしょうか?

インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)はフランス植民地時代から
民族独立闘争がチョコチョコ起き、WW2後は活発化してインドシナ戦争が
始まってます。民族闘争も共産主義教育を受けた指導者が入り込んで
来ます。時代の流れですね。同時期に朝鮮戦争が始まってます。
50年代終わりにフランスが手を引いた後は、米国が引き継いで65年からは公に干渉してます。
一説にはカムラン湾の石油問題などを聞きましたが本当は不明です。
ラオスでもカンボジアでも失敗しましたが、タイでは成功したようです(w
(55:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)

パウエルってベトナム戦争に出てたんですか?

うん
ベトナムでの苦い経験がパウエルドクトリンの元となったのであった
(75:873)
パウエルドクトリン:
  • 政治目的は明確か。
  • 非暴力の手段は失敗したか。
  • 軍事力で目的を達成できるか。
  • 圧倒的な軍事力を使えるか。
(75:874)

米軍の規律はベトナム戦争中大いに低下したみたいですが、その後、どうやって軍の規律を回復させたのでしょうか?

ベトナム戦争時の米海軍作戦部長にエルモ・R・ズムウォルトという方がいらっしゃいました。
(在籍:1970年7月1日~1974年6月29日)
この方は米海軍きっての秀才で、史上最年少で海軍大将/米海軍作戦部長に就任した人物です。
彼はベトナム戦争後期の士気が低下し装備が旧式化した海軍の改革に尽力しました。
彼は"Zグラム"と呼ばれる121か条の政策指令を出し、海軍の規律改善と特に水兵の待遇改善に
力を入れたそうです。

"Zグラム"自体は彼の退役とともに有効ではなくなりましたが、その中のいくつかの
プログラムは今でも生かされているとのことです。
(80:名無し軍曹)

ナム戦で行なわれたフェニックス作戦について教えてください。

CIAの主導によって行なわれた暗殺作戦です。当時の北ベトナムの政府・軍などの
要人や主要施設などを個別にねらって破壊・暗殺を行ないました。
当時CIA長官だったウィリアム・コルビーによれば1966?の間に
20,587人を殺害したとしています。
(91:47)

ベトナム戦争の「トンキン湾事件」は本当にアメリカの自作自演なのでしょうか?

トンキン湾事件には第1次と第2次があり、両方を分けて考える必要があります。
まず、1964年8月2日の第1次トンキン湾事件ですが、トンキン湾で、アメリカの駆逐艦が、北ベトナム海軍(当時)の攻撃を受けたのは事実です。
ただし、その前に、アメリカの駆逐艦は、北ベトナムの領海内で作戦行動をしており、さらに、北ベトナム側の警告も無視していました。
国際法上、北ベトナムの行為は正当なものだったのですが、アメリカ側はこれらの事実を伏せ、「北ベトナムから攻撃された」ということのみを公表しました。

8月4日の第2次トンキン湾事件については、北ベトナム海軍による攻撃そのものがでっち上げだったというのが、現在の定説です。

ベトナム戦争でアメリカ軍が、ハノイを攻めなかったのはなぜでしょう?

インドシナ半島全体に戦争が拡大してしまったのなら、ハノイを攻めて占領した方が良かったのでは?
戦争というのは、戦場しか見ていては見誤るモノ、実は政治の一手段に過ぎない。
戦場を拡大するのが政治的に得策で無いという当時の判断があった。
(米)国内での反戦・厭戦ムードも、大いに関係しているだろうし、費用的にも厳しい状況も。

また、当時公式、非公式に、大陸中国とソビエトからは
「北ヴェトナム領への侵攻は、我らが同盟国への侵攻であり、同盟国への侵攻は自国への直接攻撃と見なす」
と宣告されており、アメリカ軍が北ヴェトナム領へ侵攻することは、ヴェトナムの地域を越えて世界規模で戦争が拡大する危険があった。
ソビエトも大陸中国も核兵器を持っていたわけで、つまりそれは核戦争の危機が発生する、ということ。
北ヴェトナム領内への航空攻撃-いわゆる「北爆」-が実行までにあれほど躊躇され、北爆が決断された後も様々に軍事行動に政治的制約が掛けられたのもそのため。

ホーチミンルート遮断のための越境攻撃と、それに伴って周辺諸国へ戦禍が拡大したのは「公然の秘密」であり、ヴェトナム戦争中に米軍が越境攻撃をしていた事実は、少なくとも公的には認められていない。

そもそも、南ヴェトナムの領内での戦闘だけでも莫大な兵力を必要としており、それでも尚兵力の不足を感じていた遣越米軍と派遣軍司令部からの増派要求に頭を悩ませていた米政府にとって、更なる兵力を必要とする北ヴェトナム侵攻作戦など、絶対に避けたいところだっただろう。

なにゆえ米軍は北爆で爆弾を落としてもいい地帯を制限していたわけですか?

当時北ベトナムには中国軍やソ連軍、他共産主義圏の国々から軍事顧問が派遣されていたとされる。
これら顧問団は前述の重要拠点に駐留しており、アメリカとしては爆撃でこの顧問団に死傷者が出ると、
南北ベトナム以外で重大な国際問題を抱えることになるため、エリアに制限を設けたわけだ。

北爆は基本的に制限付けまくり。
空港はダメ、工場もダメ、精油施設もダメ、港もダメ、ハノイ中心から**km以内もダメ。
状況によっては解禁される時もあったが、戦略爆撃のターゲットになるものが無かったのではなく爆撃許可が下りなかった
(ベトナム戦争2:634,629)

ベトナム戦争に従軍した米兵は、有色人種の若者ばかり、って本当?

あと米兵の平均年齢が二十歳を下回っていたのは本当ですか?
ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵の平均年齢は確かに低かった。
ただ時期によってばらつきがあるので、一概に「平均で20歳だった」とは言えない。
ただし、兵卒に限ればベトナム派遣者の平均年齢が25歳を越えた年は一度もない。

それと、士官や下士官はともかく兵卒でいわゆる「白人」はベトナムではほとんど
いなかったと言われる(これも時期によるが)。
黒人と有色人種(日系とヒスパニック)がほとんどで、ついで南米系のラテン系が多く、
いわゆるWASPは「物好きな志願兵の大学生」くらいしかいなかったらしい。
映画監督のオリバー=ストーンのようにエリートコースを放り投げてわざわざ志願した
変わり者もいたが。
もちろん白人だからといって徴兵されないわけではないが、そういった人たちは
後方任務や欧州方面に廻されていた。


そんなわけない。ナショナルアーカイブを見れば犠牲者は圧倒的に白人だとわかる
http://www.archives.gov/research/military/vietnam-war/casualty-statistics.html#gender
(222:227)

ヴェトナム戦争で、なぜ米軍兵士にヘロインが広まったのか?

インドシナには古くから阿片が安定供給されていたという素地が存在したからだという。
以下引用。

「古くからインドシナには、中国人が多数定住していた。
彼らの多くが阿片愛飲者であることはよく知られている。〔略〕17世紀頃から中国人の間に、煙草にインド産阿片を混ぜ、パイプで吸う習慣が広まった。当初は上流階級だけのものだったが、やがて19世紀中期になると労働者にも及んだ。
この阿片の安定供給もまた、インドシナを支配する政府の重要課題となった。供給量減少が高値を呼ぶと、それは即、反政府暴動にと発展する。事実、これは再三に渡り生じた。
やがてフランスがインドシナを植民地化すると、フランスのインドシナ総督府は、この問題に腐心する。阿片が品不足に陥ったら、多くを占める中国系住民による暴動すら予測されたからだった。
そこでトルコからの輸入に頼っていた阿片だけでなく、中国雲南省産のものをも輸入するようになる。
サイゴンに置かれた「阿片専売公社」では、あたかも煙草を販売するような形で、中国人に阿片を販売していた。

もちろん儲かる商品だから、密売商人の暗躍もあった。彼らは中国雲南省から阿片を直接運ばせ、密輸商人に頼った商売を始める。
品質は粗悪だ。専売公社のものとは比較にならない。けれど十二分に商売として成り立った。何故ならその顧客層は、裕福な商人ばかりでなく、貧しい肉体労働者もいた。彼らは安価なものを当然のこととして求める。

〔略〕
第1次大戦で主たる供給国だったトルコからの輸入が途絶えると、フランスの阿片専売公社では自給自足せねばならなくなった。
阿片専売公社とは、19世紀のタイにおいて、阿片を吸引する中国人が増加したことで、国家管理の阿片専売公社が煙草のように流通を管理した。
この方式はビルマなどにも広がり、やがてフランスはインドシナの植民地に採用した。これは中国人が居住するアジア地域特有のものとなったのである。

雲南種の芥子が注目され始めたのは、この頃である。これを華僑の阿片中毒患者に安定供給するため、フランス領インドシナで栽培しようと計画が進められた。
ところが涼しい土地に適した雲南種だと、暑いインドシナでの栽培は不向きである。
僅かに、標高が1000m以上の、山岳部の石灰岩地帯にだけ栽培可能なことが分かった。南に面した斜面、つまり水はけの良いアルカリ性の土地でのみ生育できるのである。
そうした山岳地帯には、メオ族を始めとする山岳民族が居住していた。とりわけメオ族が雲南種の栽培に熱心に取り組んでいく。
メオ族は元来、中国四川・雲南・湖南・貴州などの省に古くから住んでいた民族で、今日も3000万近い人口をこれら地域に有している。
17世紀に清朝政府は弾圧開始、2世紀に亘り、7度の叛乱が生じた。多くのメオ族が敗北して南下、インドシナの山岳地帯に住みついた。彼らは焼き畑農業を営み、芥子栽培によって暮らしを立てることになる。

そうした経緯と雲南産芥子の特性から、栽培地域が、「黄金の三角地帯」と呼ばれるラオス、ビルマ、そしてタイの接する辺りに集中したのだ。〔略〕1939年以前は専ら密輸されたが、世界大戦によりトルコやインドからの阿片輸入が減少の一途を辿ると、インドシナの需要に応じるため、一気に栽培が盛んになったのである。

現地の人間より懐に余裕ある外国人、それも、戦場に立って死の恐怖に晒され、現実逃避したい若者達がいたら、麻薬はたちどころにそこへ流入する。
最高の条件にある消費者が、やがてこの地に大量に派遣されてきた。ヴェトナム戦争でのアメリカ軍がそれだ。
アメリカ軍のヘロイン禍は、既にインドシナに派兵した時点において、全ての面で下地ができていたのである。
(柘植久慶「麻薬戦争地図」、銀河出版、'93,P.13-16)

ヴェトナム戦争の初めの頃、米軍戦闘機には機関砲積んでなかったってホント?

初期型F-4は機関砲積んでんなかったが、他の大半の機種は積んでいた。

ヴェトナム戦争中、M-16になされた改良はどんなものだったか?

主な改良点は以下のとおり。

ボルトの閉鎖不良対策として、機関部右側面後方に強制閉鎖用のレバー(ボルトフォワードアシストノブ)追加。
マガジンキャッチ周辺に、間違ってマガジンキャッチを押さないようリブを追加。
銃口のチューリップ形消炎器が補強され、更に後のタイプでは鳥篭形に変更。
ストック底部がゴム製から金属製になり、整備器具を収納するための蓋を追加。
ストック側のスリング取付金具が可動式から無可動に。

ベトナム戦争で米軍の士官の戦死者の5人に1人は実は部下に殺されているというのは本当?

まず
"friendly fire casualties vietnam"
というキーワードでググってみるべし。

その次に
"fragging"
というキーワードでググってみる。
(493:762)

ベトナム戦争時には230名の士官が自分の兵に殺されている。fraggingは、fragment grenade、つまり
手榴弾を投げて殺すことを意味するが、ふつーにM16で殺された士官も多い。
もちろん、味方に殺されたかどうか不明な例も多く、他に1500名近くいる、原因不明の士官死亡者も、
その少なからぬ部分(あるいはかなりの部分)が自軍兵士によるものと考えられている。

ベトナム戦争による米軍兵士の死者は6万人近いが、士官の死者は約6600名。従って、全期の詳細不明な死者が
全部味方に殺されたものと仮定すると、はっきりしている230名と合わせて士官死者の4名に1名は自軍に殺されたことになる。
実際には、詳細不明の中にはブービートラップにかかったもの、誤射(本当の)、はたまた自殺なども含まれるだろうから、
いい加減に半数が自軍兵士に故意に撃たれたと仮定すると、およそ6人に1人という割合になる。
1/4だけと仮定しても10人に1人。

5人に1人、は正確ではないかもしれないが、極端に誇張された数字でもないことになる。
(493:764)

映画「地獄の黙示録」に登場するカーツ大佐のモデルは?

1961年にCIAからラオスに派遣されて、現地のモン族の王になったトニー・ポーがモデル。
http://www.kriegsreisende.de/soeldner/geschichte.php?artikel=relikte/apocalypse.htm&td=1142004

アメリカ州兵は第2次大戦や朝鮮戦争あるいは湾岸戦争・イラク戦争では参戦しているのに、ベトナム戦争には不参加だったようです。なぜベトナム戦争だけ不参加だったのでしょうか?

州兵の指揮権は基本的に州知事にあり、有事以外は大統領が動員することはできない。
ヴェトナム戦争はあくまで「南ヴェトナム政府を支援するための軍事介入」であって、
北ヴェトナムとアメリカが戦争していたわけではない(公式には)ので、州兵の動員はできない。

ただし、州兵の大規模な一斉動員(連邦軍への編入)こそなかったが、
各州の州兵航空隊(Air National Guard)などの個別部隊への動員はおこなわれたようだ。
(276:826-832)

アメリカはいつ頃からヴェトナムからの撤退を考えていたのか?

2006年に公開されたところによると、北爆の最中の1972年6月22日に、ニクソン大統領の安全保障担当補佐官だったキッシンジャーは、周恩来首相に対し、北ヴェトナムが南を併合してもかまわない、と示唆したような発言をしているから、その頃からだろう。

ベトナム戦争がアメリカの侵略だったとして、何故北ベトナムはパリ協定後、攻撃を続けたのですか?

ヴェトナムは本来一つであるべきで、南はフランスの作った傀儡政権だから。というのが北ヴェトナムの主張。

本来なら自分たちがヴェトナム全土を統治する筈なのに、フランスは共産主義勢力がヴェトナムを支配するのを
嫌って南半分に勝手に傀儡政権を作った。
そしてアメリカはフランスから南の支配権を引き継いで傀儡政権を支援し続けてきた。
そしてそのアメリカも撤退する。
ならば今度こそ、ヴェトナム全土は自分たちが統治する。なので南が併合を拒否した以上、実力での併合を目指す。
北ヴェトナム政府的にはそういうこと。
(194:558)

戦後、アメリカが米兵や南ベトナム軍の現地の軍属や協力者のために救出作戦をしたそうですが、

具体的にどの範囲までの人が救出の対象にされたのでしょうか?
"Sensitive"な人達、米軍、CIA及び諜報機関、USAID(アメリカ国際開発局)に属していた人々までです。
これが最低限度の要保護者。
後は、金の力で座席を買った人々になります。

こうした要保護者の撤退は、1日目までは何とかなりますが、2日目から混乱が始まり、3日目には収拾が付かなくなって、
必要な人々の搭乗が不可能な場合も屡々でした。

例えば、Danangの場合は、「要保護」の人員は、領事館の米国人職員50名とその現地スタッフ1,000名になります。
しかし、その家族を含めると1万人以上に膨れあがったりしています。
彼等は1ヶ月掛けて撤退させる予定でしたが、進撃が急で、それどころではなかったりします。
(252:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ベトナム戦争で米海軍艦艇は被害を受けなかったんでしょうか?

http://en.wikipedia.org/wiki/USS_O'Brien_(DD-725)
損害を受けた米駆逐艦の例です。シードラゴン作戦というのをやっていて沿岸砲兵の
射撃を受けて死傷者がでています。フィリピンのスービック湾で修理したそうです。

ベトナム戦争は実際に従軍した世代がネットに色々体験談と写真を上げていますので
調べると結構でてきます。
空母からスカイレーダーが飛んで来て沿岸を南下する補給舟艇を発見したら
沖合いで待機している駆逐艦がダッシュして目標目掛けて砲撃し、切り上げるや
煙幕を張りつつ高速で避退するという話などがみつかります。
(507:346)

アメリカ軍がホーチミン・ルート爆撃の精度を上げるために、上空から振動感知センサーをばらまいたと、聞いた事がありますが

どの辺を人や車が移動しているか調べるために、
振動や音声などを検知するセンサーを怪しい所にばら撒きました。
発見されるといけないというのでアンテナ部分を木の枝のように似せ、
本体部分が根になるように(着地のスピードで地面に刺さる)投下したが、
着地の衝撃で故障する事も多く、イマイチ頼りにならないものだったと聞く。
そのほかにも地上の特殊部隊が発見したルートに直接センサーを仕掛けることもあったようです。
(349:642)

ドイツ軍が小火器でシュトルモビクを大量に撃墜したという話は聞いたことがありませんが、ベトナムではどうして小火器で大量のジェット戦闘機が撃墜されたんでしょうか?

IL-2(シュトルモビク、というのは特定機種だけのあだ名ではないので注意。
まぁ事実上ある1機種のあだ名と化してるが)は「空飛ぶ戦車」と呼ばれた
くらい徹底的な装甲に囲まれていた。

対して、現代の普通の航空機は特殊なものを除いて装甲が全くない。
それこそ「思い切り蹴飛ばせば穴が空く」程度のペラペラの鉄板(鉄じゃない
ものもあるが・・・)でしかないので。

あと、ジェット時代になると「エアインテークから弾を吸い込んでエンジンが壊れる」
という形で墜ちた物も結構多い。
(577:621)

サイゴン陥落時(1975年)に米軍がサイゴンに残っていたのはなぜ?

ひたすら在留米国人と協力者の南ベトナム国民の脱出に専念してただけで、防衛戦には参加してない。
つーかしてたらパリ和平協定違反だ。
後は大使館の警備とかね。
(ベトナム戦争2:410)

ベトナム戦争で米軍が枯葉剤を散布しましたが、これには何か作戦名(コードネームみたいな)はあったのですか?

ヴェトナム戦争で行われた枯葉剤散布作戦の名称は「ランチ・ハンド作戦」
http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Ranch_Hand

エージェント・オレンジは同作戦で使用された枯葉剤の一つ
http://en.wikipedia.org/wiki/Agent_Orange
(この記事には枯葉剤の影響を受けて生まれた人物の写真があるので注意)
(602:442)

ベトナム戦争中、アメリカ軍はバッテリーの切れた通信機ってどうしたんでしょうか?

やたら重かったと聞きますが、やっぱり持ち帰ったんでしょうか?
ヴェトナム戦争においては無線機は生命線、
予備のバッテリーを幾つかは携帯するのが常識、
バッテリー1個で7~8時間の連続受送信ができる
もしバッテリーが切れたとしても重いからなんて理由で捨てる
訳が無いでしょう、
(324:762)

ベトナム戦争に参加した米軍の輸送機改造の対地攻撃機とその装備部隊名を教えて

AC-47(FC-47)が1stACGを皮切りに配備され、AC-119Gは、71SOSから後に17SOSに、
AC-119Kは、18SOSと14SOSに配備され、ホーチーミンルートのトラック攻撃に従事して
います。
AC-123K(NC-123K)は3機が改造され、実戦テストに投入、AC-130Aはテストの後、
JC-130Aから改造された機体が、16SOS/8TFWに配備され、後に改造されて1980年代に
AFRES/711SOSに配備されています。
AC-130Eも、同様に16SOS/8TFWに配備され、AC-130Hが1980年代には16SOS/1SOWに
配備されていました。

このほか、雑用機からの改造として、SwissのPC-6をLicence生産したFairchildの機体を
米軍が採用したAU-23Aがあり、これらは一時使用した後、Thailandに引渡し、同じくHerioの
H-550A STOL機を改造した機体をAU-24Aとして採用し、これも一時使用した後、Cambodia
に引き渡しています。
(321:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ベトナム戦争でスパローが活躍しなかった理由は?

ベトナムではBVRミサイル(スパロー)であろうと敵を目視確認してからでなくては発射は許されず
また、当時のスパローは、たとえば67年の例では発射ボタンを押してもほぼ半数はモーターに点火せず
そのまま落下した(製造後の保管方法に問題があった)
さらに付け加えるならどこの国のレーダーにも敵味方識別機能はない
それはIFFという専用装置が行う
(309:212)
,>>212
ベトナム戦争でF-4が味方のF-4をAIM-7で撃ち落してる。
最初から禁止されていたわけではない。
(309:213)
ベトナム戦争でのスパローは、製造後の保管方法だけでなく、熱帯における電子機器の信頼性の低下も大きい
米海軍が甲板でミサイルにフィンを取り付ける際に粗末な扱いをしての破損させたのに放置したり、
数回の飛行のたびに実施されるはずの点検を数十回飛行しても実施していないなんてこともあった。
味方の誤撃墜で目視外戦闘を禁止され、発射の大半が最低射程距離以下だったせいで命中率は1割切ってる。
(309:221)

ベトナム戦争当時、海兵隊が地雷探知のためにダウジングを導入して成果をあげたという話を聞きました。

ダウンジングが科学的な方法だとは思えないので、俄かには信じがたいのですが、事実でしょうか?
ヴェトナム戦争でダウジングが地雷発見に使われたというのは実際にアメリカの新聞の記事になっているが、
これも米軍がダウジングを正しく認めたという意味にはならない。実際にやった人間がいた、という程度だろう。

似たような有名な話に防衛医大の教授が海自潜水艦乗組員との間でESP実験をやった、というものがある。
確かに実験は行われたが、その教授が有志とともに「趣味」でやっただけの話で、自衛隊が組織として関与
したわけではない。
ちなみにこの実験でも、有意な結果は出なかった。
(305:665)

ベトナム戦争などの映画で兵士がヘリで運ばれるシーンがよく見られますが、彼等は足などを外に投げ出しています。

振り落とされたりする事故は無かったのでしょうか?
通称モンキーストラップというベルトを腰に巻いている
でも、けっこう恐かったな
(298:893)

ベトナム戦争において枯葉剤を散布した事で、戦局はどの程度米軍に有利になったんでしょうか?

余り意味はありませんでした。
元々、オレンジ剤は、特定種の植物を枯れさせて取り除くことを目的とした訳で、植生が合ってない
部分に撒いても然程効果はありません。

逆にこうした行為を、Norhern-Vietnam側が利用して巧妙な宣伝を行い、毒ガスの誤報もあって、
世界の反戦運動に火をつけてしまう結果になりました。
(289:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ベトナム戦争時、F-4Eの機銃を撤去した為に被撃墜率が跳ね上がったというのは本当でしょうか?

事実ではない。
F-4Eのバルカン砲を外してレーダー警戒装置を搭載したF-4Gと言うのがあって、
これはSEAD(敵防空網制圧)に特化したワイルドウィーゼル専用機です。
このGが出る前は敵SAMによる損害が大きかった為、その辺りの話とごちゃ混ぜになって広まった話です。

(287:782)

テト攻勢でサイゴン米国大使館が一時ベトコン部隊に占領されましたが、そもそもなぜ防御に不利な市街地の真ん中に大使館を置いておいたのでしょうか?

この事件の後もこの大使館は使われ続けられました様ですが
そう言う状況(基地内に要塞のように防備された大使館から装甲車、ヘリなどの
護衛付きで政府に向かう)で彼の地の国民がどう思うか考えてみましょう。

少々襲撃されただけで、要塞みたいな所に篭もっている状況では、敵(この場合
はヴェトミン)を勢いづかせるだけですし、彼の地の市民は、米国が追いつめられ
ている、怖がっていると感じ、その国が支持している現政府を支持する気は起きま
せん。

非常時だからこそ、大使館は動かすことはありませんし、寧ろ平静を装わないと
いけないわけです。
(105:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

B52がベトナム北爆をした際、一機あたり通常爆弾を何トンくらい落としたの?

たとえば、オペレーション・ラインバッカーⅡで出撃したビッグ・ベリー改修を受けた
B-52Dの搭載のパターンとして、胴体内の爆弾倉に750ポンドのMk-117爆弾42発、
さらに外部パイロンに500ポンドのMk-82爆弾24発と言う組み合わせがありました。
500ポンド爆弾だけだと実に108発が搭載可能でした。
あとは1000ポンド爆弾を機外に24発、爆弾倉に27発というパターンもあります。

ヴェトナムにおけるB-52は、南爆・北爆合わせて124,532ソーティーをこなして
2,674,745tの爆弾を投下しています。
つまり、一機あたりの平均投下量は21.5tにも及びます。
(209:93)

ベトナム戦争でレイ○しまくって性病感染者が続出したのはマジな話なんですか?

マジよ
ちなみに現代にも、アンチレイプコンドームという物がある
挿入すると棘が刺さるという代物
(俺初質スレ2049:109)

ベトナム戦争じゃ一体どういった経緯で、空戦は有視界戦闘に限るなんてトンチンカンな紳士協定が発効する流れになったんだ?

FCSがタコだったか、パイロットがタコだったのか、友軍機を
撃墜したり、敵機を外したりして、格闘戦に持ち込まれて、撃墜される
アメリカ軍機が続出したため、急遽、ガンポッドを装着してM61を
収納し、のちにM61A1を機体内装備にした。
(俺初質スレ2050:529)
ロクなIFFの無い時代だぞ。
単にレーダーに映ったからってスパロー撃ちまくってたら
同士討ち連発で戦争にならんわw
(俺初質スレ2050:530)


ベトナム側

南ベトナム解放戦線(ベトコン)はハーグ陸戦法規違反ではないでしょうか?

見分けられる徽章を付けず、武器を公然と携帯してもいないので、交戦者資格は与えられませんよね?
ハーグ陸戦条約を持ち出すのであれば、むしろ第二条に注目してください。
「敵が接近するにつれて、未だ占領されていない地区において軍民が急遽抵抗軍を結成する場合において、1※を満たすことができないとき戦争の規則と慣習を尊重する範囲で、交戦団体として認められる」※武器の公然携帯や戦争法規を順守する等の条項

つまり、すでに特定の勢力に支配された地域で結成された不正規兵の交戦は、陸戦規定を満たしていない犯罪行為であると解釈できるわけです。

これではいわゆるパルチザンは交戦者資格(捕虜資格)を充たすことが出来ないため、1949年のジュネーヴ第三条約では、捕虜の規定の中に、
「紛争当事国に属するその他の民兵隊及び義勇隊の構成員(組織的抵抗運動団体の構成員を含む)で、その領域が占領されているかどうかを問わず、その領域の内外で行動するもの」(第四条〔捕虜〕A第2項)
という規定が追加されました。

さらに、1977年のジュネーブ第一追加議定書43条1項では
「紛争当事国の軍隊は、部下の行動についてその国に対して責任を負う指揮の下にある、すべての組織された武装の兵力・集団及び団体から成る」
同第44条3項では、
「戦闘員は(略)敵対行為の性格のために武装紛争がそのように区別しえない状況が武装紛争中に存在することが認められるので、そのような状況においてその者が、次の場合に武器を公然と携行しているのならば、戦闘員としての地位を保持するものとする」
と、明確な指揮下にあることと、武器の公然の携行が最低条件とされました。

ただし、この追加議定書にはアメリカを始め批准していない国家もいまだ多数あります。
当然ながら、当時米軍はベトコンには交戦者資格は無いとみなしていました。

(名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE)

歴史の話でベトナム戦争ののことになると、しばしば米軍の虐殺なんかがクローズアップされますが、逆に北ベトナム側はそういう虐殺虐待みたいなことを起こしたりしなかったんでしょうか?


テト攻勢の際のフェ攻防戦で、南ヴェトナムの役人や富裕階級の人間が多数処刑されている
(善良な人民を苦しめた、と言うのが罪状)。
正確な統計が無いが、処刑された人間はかなりの数に上っている。

また、1968年のテト攻勢のとき、ベトコンは一時占領したフエで、南ベトナム政府を支持していた一般市民を1000人以上殺害している。

写真で有名な、サイゴン警察署長による捕虜射殺は、実は部下とその家族を殺害したベトコン・ゲリラに対する復讐だったという話もある。

さらに、北ベトナム軍やベトコンの捕虜となった米軍兵士は、地面に穴を掘った牢獄で雨ざらしにされたり拷問を受けるなど虐待されるケースも多かった。

どちらかが倒れるまでのガチンコ・バトルだったからなあ。

映画「ワンスアンドフォーエバー」冒頭、ベトミン軍がバズーカーらしきものを持ち出してフランス軍を攻撃するシーンがあったのですが、ベトミン軍はバズーカなんて持っていたんでしょうか?

岡村昭彦「続・南ヴェトナム戦争従軍記」に輸送トラックごと横流しされる模様があるが、南ベトナムに対するアメリカの軍事援助物資は相当な量が解放戦線や、解放戦線経由で北ベトナム軍に横流しされており、およそ南ベトナム軍の持っている小火器のほとんどは、解放戦線や北正規軍も持っていた。

また、北ベトナムはベトナム戦争中期、ソ連からの大量の軍事援助を受け取っているが、その中にはWW2ドイツ軍からの分捕り品が少なからずあり、MG34を対空射撃に使う、北ベトナム民兵の写真も実際に残っている。
ただし、弾薬やスペアパーツの供給には限りがあり、ベトナム戦争中期以降は、ソ連や中国から供給される東側規格の火器に置き換えられてゆく。

ヴェトナム戦争では、北ヴェトナム軍側の対空兵器で活躍したのはSAMだけ?

B-52の名前は「ストラトフォートレス」=成層圏の要塞。B-29の思想をさらに推し進め、高速・高高度からの爆撃を行えば、高射砲や対空機関砲の射程外にいられるという考えで作られている。
迎撃戦闘機もすぐには上ってこれないから、俺様無敵という感じで。

だからこそ、わざわざ二段式のロケットまでつけて、上空1万メートル超の上空まで一気に上昇するような、SA-2を始めとする長距離SAMが発達した。

B-52は、このSAMでしか迎撃できなかったから、SAMしか活躍してないような印象を受けるけど、実際はS-60やZSU-57のような高射機関砲も使われてる。
ECMでレーダー射撃が出来なかったとはいえ、SAM制圧に使われたF-105とかは、結構な数がやられてるはず。
ベトナム戦時の北ベトナム側の対空火器は、小は12.7mm級から大は200mmクラスまで、さながら対空火器の見本市の様相を呈していた。

ベトナム戦争でも戦後、元南ベトナム兵への粛清などはあったのですか?なんとなく、共産主義=虐殺ってイメージがあるので、出来たら詳しい数字等を教えてくれないでしょうか?

南政府・軍の高級士官・高級官僚に対する粛清のようなものはありました。
といっても、ありがちな逮捕→即銃殺という流れではなく、再教育キャンプに収容して、一般社会から隔離する、という感じです(収容中に事故死・病死といったパターンも結構あった)。
南政権に対する南側の野党指導者(≠解放戦線関係者)も再教育キャンプ送りになっています。

また、それ以外の一般の旧南市民にも、新経済区送りという一種の強制収容がありました。
これは元々は、ベトナム戦争末期にかけて急増した旧サイゴン市民を開拓にあてる、といった目的で始まったのですが、希望者が少なかったため、人数合わせとして、反革命的と当局から睨まれた市民を名目志願、実質強制という形で開拓地(実態は開拓に不向きな荒れ地、ジャングルであることが多かった)に送りつけていました。

ボート・ピープルの発生の原因として、共産党政府の汚職や華僑の迫害と共に、この新経済区送りから逃れるために脱出した、というケースが多いです。

サイゴン陥落後、世界各地の南ベトナム大使館と外交官はどうなったのですか?

新政府の権威を認め忠誠を誓った連中はまもなく呼び戻され、短期間の再教育キャンプに送られ、シャバに戻ってほっとした途端に、また適当な理由をでっちあげて再教育キャンプ送り、と無間地獄の苦しみを味わっている。
近くの図書館でベトナム関連のコーナーを探すと、元南外交官の回想録がいくらも見つかるはずだ。
ついでながら、南の解放戦線に加わっていたゲリラたちも、ほとんど全員再教育キャンプ送りになり、多数がいじめ殺された。

なにゆえベトコンが勇者扱いされるどころか、その様な虐待を受ける事になってしまったのですか?

ベトナム政府(元北ベトナム)とベトナム解放戦線(南ベトナムの反政府組織)は、元々別組織。
解放戦線はベトナム労働党が主導してたものの、構成員にはいわゆる民族主義者も多く、必ずしも共産主義者というわけではなかった。
米帝、フランス、南ベトナム政権といった共通の敵がいればこそ共闘路線も歩めるが、それが無くなれば競争相手でしかない。

社会主義政権下で、共産党政府以外の政治勢力など認められるわけもない。

「狡兎死して走狗煮られ、飛鳥尽きて良弓蔵わる」

『ブラザー・エネミーサイゴン陥落後のインドシナ』ナヤン・チャンダ著に詳しく載ってます。

ベトナム戦争当時、NVAは朝鮮戦争の時の中国義勇軍のような人海戦術で戦争してたように認識していたのですが、あるいは精強な特殊部隊も存在していたのでしょうか?

北ベトナムの特殊部隊/精鋭としては、決死隊、工作隊と呼ばれる部隊が有名。
決死隊は米大使館に突っ込んだような特攻隊。
工作隊(sapper unit、sapper battalion)ってのは強襲的なゲリラ戦の為に組織訓練された部隊で、大隊規模で集中投入される他、小~分隊規模で他の歩兵部隊に臨時編入されたりしてた。
んでこの工作隊の戦法として有名なのが、米の偵察/浸透部隊狩や後の対クメールルージュ戦で多用された。
  • 敵発見→追尾しつつ歩兵部隊呼寄せ、先回りさせてキルゾーン形成→工作隊奇襲・退却→追ってきた敵はキルゾーンに嵌ってウマー
  • 工作隊奇襲→敵の退路にはあらかじめ歩兵部隊+地雷のキルゾーン作っといてウマー
  • 工作隊は偵察追尾のみ、連絡して砲撃加える→もちろん退路はキルゾーンでウマー
あと普通?に一撃離脱の奇襲したりテロったりもする

これらの場合でも北越部隊全体の錬度は高いわけじゃないし、北越側の死傷者数の方が多かったりするんだけど。

ベトコンは、何の略ですか?(ベトナム・コンバットかな?)

ヴェトコンはヴェトナムコンサン(越南共産)の略です。
(9:642)
Vietnam Communistの略だったかな。
これは米軍側からの名称で、
自分たちは南ヴェトナム解放民族戦線(NATIONAL LIBERATION FRONT:NFL)と自称していました。
つまり、ヴェト=ナム傀儡政府(北緯17度線から下側を支配)を倒し、
ヴェト=ナム社会主義共和国(北緯17度線から北側)と統一して、
統一ヴェト=ナムを作ろうと米軍、政府軍相手にゲリラ戦を行った集団です。
(36:眠い人 ◆ikaJHtf2)
北ベトナム陣営のベトナム民主共和国人民軍とその仲間たちです
(75:897)
過去ログ探ればでてくる。

24 :名無し三等兵 :02/06/18 22:24
19
ベトミン→越南独立同盟[ベトナム・ドゥクラップ・ドンミン]の略称(Viet Minh)
ベトコン→ベトナムの共産主義者(Vietnamese communist)
      もしくはベトナム語の「越共」(Viet Cong)から。

53 :一等自営業 ◆O8gZHKO. :02/06/19 14:10
24がメインでこちらはオマケ・・・
1935年に独立運動が始まってまして、その後に日本統治時代を経て
1945年にベトナム独立宣言。その前の41年に越南独立同盟が結成され、これが
略語でベトミンです。一説にこの呼び方は体制側が呼んだ呼称だとされてます。
で、この軍事組織がベトミン軍と呼ばれます。
1954年に17度線DOZを境に北と南ベトナムに別れ、南ベトナムにはベトナム
民族解放戦線が結成されます。これがベトコン(VC)と呼ばれます。これも
同様に体制側の呼び方のようです。
(75:900)

ベトコンとベトミンて何の略なんでしょうか?

1935年に独立運動が始まってまして、その後に日本統治時代を経て
1945年にベトナム独立宣言。その前の41年に越南独立同盟が結成され、これが略語でベトミンです。
一説にこの呼び方は体制側が呼んだ呼称だとされてます。
で、この軍事組織がベトミン軍と呼ばれます。
1954年に17度線DOZを境に北と南ベトナムに別れ、南ベトナムにはベトナム民族解放戦線が結成されます。
これがベトコン(VC)と呼ばれます。これも同様に体制側の呼び方のようです。
(33:一等自営業 ◆O8gZHKO.)

ベトナム戦争時、ソ連は北ベ側に各種武器を供与してたと思うんですが、ヘリコプターって供与されてたんでしょうか?

ヒップが供与されていますよ
数は少ないけど、これはソ連の武器供与は基本的に有償であるため
ベトナム側に購入余力がなかったからです
(42:565)

ベトナム戦争の時にアメリカは何故北ベトナムに進攻してハノイを占領しようとしなかったのですか。

中国参戦を恐れたため。
(52:733)
それをやると,中国の大規模な介入は不可避ですし,
ソ連もより公然と軍を派遣してきたでしょう.

アメリカも(と同時にソ連も)ベトナム戦争が米ソ間の直接戦争へと
エスカレートすることを非常に警戒していましたので,
これを引き起こすことが必至となる,北ベトナムへの侵攻は起こりえませんでした.

そもそも北ベトナムのカムラン湾に軍需物資を満載して入港する,
ソ連の貨物船の阻止すら行ってませんでしたし.
(52:予備語学陸曹見習い)

ベトナム戦争当時、中国義勇軍が極秘で参戦していたの?

1965年5月から1973年8月まで延べ15万人ほどが派遣されてます
北ベトナム領内でのみ活動
陸海空軍の防空部隊が主、他に輸送部隊、掃海部隊など
(68:727)

解放戦線のテロの成果はどれぐらい?

ちなみに1964年のNLF側のテロ(彼らにとっては「攻撃」)の数字がある。
      殺害    誘拐
政府役人  436人  1131人
一般市民 1356人  8423人

NLFは、米軍人、南ベトナム役人やARVN将兵の集まるレストラン、映画館で
爆弾攻撃を行い、その際、一般市民の巻き添えも多かった。
対敵通報者と見なせば、一般市民でも暗殺、誘拐もためらわない。
一方で、ARVN側も、「ベトコン」「コミー」と見なせば、裁判無しの処刑も行った。
民間人への「誤爆」「誤射」を含めれば、ARVNの方の殺傷数の方が、多いと思う。

「愛国心に燃えて自発的に解放戦線に加わったというところからして幻想的」

イデオロギーを「幻想」というのは自由だが、いつの時代、どの地域でも、
「国を愛する」「民族のため」に命を賭ける人々がいることは、事実だ。
アメリカ軍にも、「自由世界のために」というイデオロギーを信じて戦ったものも多かったはずだ。
ARVNにさえ、カトリック信者の将兵は、確信的な「反共主義」を持って戦った。
一般的にNLFには、「支給物」のためでなく、愛国心から戦ったものが多いと思う。
(ベトナム戦争2:ヤシン市場)

ディエン・ビエン・フ-では人海突撃やって陥落さしてるわけでしょう?

ディエン・ビエン・フ-ではNVAの方が仏軍より火力で優勢だけど

攻撃準備射撃に膚接し歩兵攻撃を行うのはどこの国の軍隊でも行うことですが
北ベトナム軍はただやみくもに旧日本軍のような無謀な突撃は行わない軍隊です
基本はあくまでゲリラ戦です
正規戦を挑むときはそれなりの準備と理由があります
ディエン・ビエン・フ-の場合は間近に迫ったジュネーブ和平会議の前に
どうしても大きな勝利という既成事実が必要なためにやや無理をしたのであり
ケ・サンではテト攻勢の一貫としてアメリカ世論に心理的インパクトを与えるのが目的です

準備もディエン・ビエン・フーでは大口径砲を48門(仏軍は28門)、中口径砲を80門(仏軍は40門)を集結し
対航空機用対空砲を100門も準備してます
ケ・サンでも全般的火力は米軍に劣るとはいえ北ベトナム軍は最多で一日1307回も砲撃
さらに軍の対戦車火器が僅かな無反動砲と携帯対戦車RLしかない陣地に対し
歩兵連隊とともにPT-76軽戦車中隊を投入したりています
(ベトナム戦争2:894,907)

解放後の南ベトナム軍人や旧政府関係者らの扱いはどんなものだったか?

ベトナムでは新しく成立した共産主義政府によって、約10万人にのぼる南ベトナム軍と
旧政府関係者らに当局への出頭が命ぜられ再教育キャンプと呼ばれた強制収容所に送られ、
階級や地位に応じてそれぞれ数週間から10年以上をキャンプで過ごした。
1992年時点で10万人のうち9万4000人は釈放されて社会に復帰していたが、残る6000人は
まだ再教育キャンプに収容されていた。
米越間協議で9万4000人のうち3年間以上キャンプに収容されていた4万5000人については
本人の希望した場合アメリカが家族とともに受け入れる事を同意した
(当時国内の窮乏と異常な失業率の高さに悩むベトナム側は、アメリカへ9万4000人
全員とその家族を引き取るよう要求した)
(ベトナム戦争スレ2:718)

クチの村民たちは、ずっとトンネルの中に潜みながら生活していたの?

そのクチトンネルって、要は昼間の退避壕だよ。
夕方になると米軍が基地に帰っていくので、住民は、畑に行って畑仕事してたと
書かれてるページもあるけど。
結局のところ、硫黄島と比べるものじゃないけど。
http://homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/CuChi.htm
(639:482)

ベトナム戦争ではアメリカの戦闘機がよく損失していますがベトコンの射撃能力は余程優秀なんですか?

戦後は核戦争を想定したり、ミサイル万能主義に走って、戦闘機同士の格闘戦など起きないと考えたから
しかもミサイル万能主義だから機銃がないので、ミサイル撃ち尽くすと反撃手段がなくなる
なのでミグに格闘戦を挑まれると対抗しきれない
(俺初質スレ436:718)
ベトナムでの米機損失はヘリも含めてたしか4000機以上だが
そのうち戦闘機のガンで撃墜されたのは100機程度に過ぎない
(俺初質スレ436:719)
北ベトナムがやった戦術?は下手な鉄砲数撃ちゃ当たる戦術だからな
とにかく大量に乱れ打ち
単発なら引きつけて避けたら追尾出来ないから回避よゆーでもいっぱい撃たれるとそうもいかない
(俺初質スレ436:728)
北ベトナムはSAM乱れ撃ちでベトコンはライフル連射
これが解放側の対空戦術
(俺初質スレ436:729)
空対空ミサイルよりはレーダなんかの設備を大型にできるので命中率は高かった。
(俺初質スレ436:730)
具体的に何発撃って何発当たったの?
4000発くらい撃って100機くらい。
しょぼく見えるけど当時としてはかなり良い数字。
(俺初質スレ436:734)
残りの3800機はどういう手立てで落とされたの?
SA-2の命中率は妨害前は3%ぐらいで驚異的に高かったが、妨害後は0.03%ぐらい、大口径高射砲よりは
ましという程度になった
(俺初質スレ436:738)
特異な例としては両橋に石を結びつけたロープとか、地面に付くまで折り曲げた竹バネで叩き落としたとか
(俺初質スレ436:739)
北ベトナムの戦いを見てると、日本が竹槍でB-29に対抗しようとしたのも
あながち間違いではなかった気もするぐらいだ
(俺初質スレ436:740)
公式データだと米軍の3軍の合計喪失数は2631機。
作戦中の喪失は1884機それ以外は事故等の喪失。
MiGによる撃墜はガンとアートルAAMをあわせて76機、
地上からのAAAおよびSAM883機その他54件残りが不明。
AAA地上砲火って機関銃で地上から撃ってるイメージの人がいるけど
北ベトナムの対空火器は多岐に渡っていてもっとも脅威とされていた
レーダー照準85mm砲は射程距離が最大3,000mもある。
AAAが動きの鈍いSAMや遭遇機会の少ないMiGよりも脅威であってもっとも損害が多いのも当然だよ。
特に損害数の多い攻撃機にとってはね。
F-4の喪失数なんて50機もないよ。戦闘機のロスは少ない。
(俺初質スレ436:780)




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