闇は去り、太陽は昇った~平成の宗教改革~

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第一部 事件


戦争と暴力の世紀となった20世紀。
相次ぐ紛争と対立によって常に民衆は翻弄され続けた。
一方この20世紀は人類史に特質される偉大なる人権闘争の指導者を生み出した世紀でもあった。
非暴力の闘争でインド独立を実現させたマハトマ・ガンジー
人種差別の壁を次々に打ち破ってきたマーチン・ルーサー・キング・Jr
徹底した人間主義の行動で全世界に平和のネットワークを創造し続ける民主運動の世界的リーダー池田大作SGI会長
生命の尊厳を踏みにじる者との間断なき闘争を続けた偉大なるリーダー達。
私たちには夢がある。民衆が主役の時代が到来する夢が。
そして闇は消え新しき世紀は開いた。

闇は去り、太陽は昇った
~平成の宗教改革~

日蓮大聖人の仏法基調とし平和、教育、文化運動を全世界に展開して今や世界190カ国地域に広がる創価学会。
この創価学会の貢献により、かつて日蓮正宗は日本最大規模の教団として隆盛を極めた。
宗教年鑑によると平成2年には寺院数661、信徒数はおよそ1800万人を数えるまでになっていた。
しかし(曲が変わり)
「創価学会を破門に伏し」
平成3年宗門は創価学会を破門、突如として切り捨てを画策した。
創価学会員に告ぐ
宗祖日蓮大聖人はこう予見されている「大悪魔は貴き僧となり」
(大石寺の正本堂が破壊されるシーン)
戸田第二代会長はかつてこう指導されていた「僭聖増上慢が出現」
その意味するところは
日顕「何だ脱会させなさいよ」
本来宗祖日蓮大聖人の御遺命のままに僧俗和合の道を歩むべき宗門にいったい何が起こったのか。

第一部
事件

発端

平成2年創価学会創立60周年、大石寺開創700周年にあたるこの年。
創価学会はこの意義深き時を祝うため様々な記念行事行っていた。
ところがその裏ではこうした学会員の真心を踏みにじる信じられない謀略が進められていたのである。
ここに河辺メモと呼ばれるメモがある。法主の参謀役を務めていた河辺慈篤の手で書かれたこのメモには
その謀略がいかなるものであったのかが克明に記されている。
文化祭よりさかのぼることおよそ2カ月前、都内文京区西方の大石寺主張所に人目をはばかるように役僧達が集まっていた。
法主阿部日顕、河辺、藤本、早瀬、八木、関、秋元の七人による西片会議が開かれた。
池田を追放すべきだ、など強硬意見が出る。特に猊下は「池田追放」と激しい口調で強調されていた。
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日顕「追放だ、追放!(ゼロだ!チョー!)まず トップを(トッポ) 倒す。そう言ったのはおめーだろ!」
「ですから、先ほども申したようにまだ時期尚早かと」
日顕「何年先のことだ……10年か!20年か!」
「いくらxx上人が強調なされてもいまさら治らないでしょう。やはりいま切るべきだと思います」
日顕「 在家のくせにぃ~……!なあ、お前、YO!
「はっ、はい!私も同感です」
日顕「明日だ。みんな、いいな!」
静まり返る室内
「うぅん。明日の連絡会議でやるのはいくらなんでも性急すぎませんか」
「やるにしてもまだ攻撃材料が足りないように思いますが」
「戦う時を間違えばもろ刃の剣になります。返す刀でこちらがやられます」
日顕「んん~」
当時僧侶にあるまじき贅沢ぶりや行状の乱れ、すなわち綱紀の乱れに全国の学会員から苦情の声が上がっていた。そのころ学会と宗門は都内墨田区の常泉寺において定期的に連絡会議を行っていた。
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「今、学会員の間で御僧侶がたの行状の乱れに対する疑問の声が多数上がっております」
「いや、そのような話はうか…」
「会員達は御僧侶がたを尊敬しております。僧俗和合のために、どうか綱紀の自粛をお願いたします」

その翌日大石寺の大書院で行われた御前会議。河辺メモによると盗聴を恐れていろいろ思案のすえ大書院としあえて障子を全部開放し会議、とある。
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日顕「ここなら盗聴の仕様もないだろう。へっへっへっへ…」
「えー、先日行われました学会との連絡会議について報告いたします」
この会議ではまず池田名誉会長追放の計画を今後どう呼ぶことにするか検討された
日顕「あの野郎だな。永久に追放する作戦だ」
「では学会の頭文字をとってG作戦ですな」
日顕「 それは違う。Cだよ。…C作戦だ
(全員が日顕を見る。日顕は扇で首を刎ねるジェスチャーを見せる)
日顕「これだよ、これ。へーへっへっへ…」
のちに宗門を離脱した日蓮正宗改革同盟故大橋住職に日顕はその意味をこう漏らしている。
故 大橋正淳 住職「あれはだな、名誉会長の、あの野郎の首をはねることだ。こういう風に言い放ちまして
こうC、U、Tとこう書くんだとこう言うんですね。CUTの頭文字をとったですね、C作戦だと言うんだと」



御前会議はこうしたやり取りが延々6時間にわたって続けられた。
「やはり一気に勝負するべきではないでしょうか」
「いや、先日も言ったがすぐにことを起こすのは危険だ。やるとしてももっと分析が必要です。それよりも大事なことは、綱紀自粛を徹底することです」
日顕「 お前ら!分析分析ちゅうが、分析して何ができるっちゅうんだ!
「いえ、やる時は万全の態勢でやるほうがよいということです。まずは8月の教師講習会で綱紀自粛を徹底するべきです!それからでも遅くはない!」
「私もその通りだと思います。今この問題をやればこちらも無傷では済まないでしょう」
「私もそう思います。もう少し奴の証拠を集めましょう!」
(日顕が扇子を握りしめ)
日顕「……… YO! みなはこの意見に対しどう思う? YO! ………まあいい!…とにかく21日の目通りが山になるな」

創価学会分離作戦、通称C作戦と名付けられた卑劣な謀略の目的とは、
池田名誉会長を総講頭職から解任し、日蓮正宗は創価学会と無縁の宗教団体であることを一般世間に公表し、創価学会組織の徹底壊滅を図る。
さらにその実行計画書には恐るべき内容が書かれている。
宗門あるいは学会のいずれかをとるか選択させる。
学会員の中には、ノイローゼ状態に陥り、自殺、一家心中等の不幸が起きる可能性がある。
7月21日、日顕らが次のポイントと睨んでいた名誉会長と秋谷会長の登山があった。
大奥にある対面所で日顕は感情を爆発させ机をたたきながら秋谷会長にこう叫んだ。
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(机をバンバン叩く)
日顕「 憍慢だ!憍慢謗法だ!あぁ!
そして、名誉会長に
日顕「あんたにも言っておきたいことがある。懲罰にかけるから」
平野恵万 参議(元登山部長)「いきなり、あの、いわゆる日顕特有の頭のてっぺんから声が出るような今までにない声で怒鳴ったって感じですね。
ねぇもう、赤誠を尽くしてこられたね、池田先生に対してですね、そういうこと(言い方)は無いだろうと。いくらなんでも」

宗門はC作戦決行の時を見計らいながら、教師指導会では綱紀自粛を徹底する。
渡辺雄範 住職「皆さんが実際に読めば、あの、当たり前のことですね。贅沢な車に乗らない。またスポーツカーに乗ること。
そんなことしちゃいけないのは当たり前のことです。他宗の坊さんの方がよっぽどそんなことわかっています。
だから、今更なんでこんな当たり前のことがということが、ずっと並んでいるんですね」
(犬作が盟友、旧ソ連ゴルバチョフ大統領が握手を交わす)
その頃、名誉会長には大きな仕事が待っていた。モスクワに到着した名誉会長は、当時のゴルバチョフソ連大統領の要請を受け会見を行う。
犬作「誠実な政治家。信念の政治家と賞賛しておくと……」
(ベルリンの壁崩壊)
人間を分断する壁を取り払う戦いを続けてきた、偉大なる巨人達。その魂と魂の共鳴は異例の長時間に及んだ。
各メディアはトップニュースでこれを取り上げた。

C作戦始動

暮れも押し迫った12月16日。一通の封書が宗門院より、学会本部に送付された。「お尋ね」と称するこの文書の内容は
11月16日に行われた本部幹部会での名誉会長のスピーチの中で、宗門と法主を誹謗している。との事実無根言いがかりで、一週間以内の回答を求めてきた。
根拠になっているのは、出所不明の盗聴テープである。しかもそれは、文章の一部だけを切り取ってつなぎ合せるなど
明らかに意図的な改ざんが成されており、敵意と悪意に満ちたものであった。

(犬作のスピーチー)
工夫して折伏する 以外ないでしょう
ね、 日淳上人が一番よく分っていますよ。

工夫して 折伏するのがないでしょう、 ね。
日蓮正宗で、いなかったんですよ。 (改ざん後)

その中には、名誉会長が学会創立70周年にベートーベンの「歓喜の歌」の10万人による合唱を提案したことを取り上げ、
キリスト教の神を賛嘆した内容になっており、 外道礼賛 との批判を行っている。

青木亨理 事長「ベートーベンの第九を歌うのが謗法とはね。 どれほど程度が低いのか!
しかもねぇ、『神々』と書いてある、向こうの文章に。キリスト教というのは一神教ですから、神というのは一つしかない。
神々っていう言葉だけで、キリスト教じゃないってことは明白なんです。 それもわからない、この馬鹿者ねぇ!なんというねぇ、無知無学ね!

これは、とても文書のやり取りで解決できる問題ではない。学会はあくまでも話し合いによる解決を求め、その意向を宗門に伝えた。
しかし、卑劣にも宗門は27日に、臨時集会を開いて宗規を変更。同日に施行するという策略を強行した。
その中には、信徒が法主に批判しただけで処分できるという強権的な条項が新たに加えられていた。
こうして宗門は 池田名誉会長の法華講総講頭職を罷免したのである。
(各新聞に踊る、犬作罷免の記事)
(犬作と日顕?が大石寺やあの正本堂で共に歩くシーン)
これまで、命がけで外護の赤誠を貫いてきた池田名誉会長。その名誉会長を罷免し、創価学会を切り捨てようとする狙いとは、一体なんだったのか。

平成2年12月25日、日顕は高橋公純やその弟の反学会ライター段勲らとマスコミ工作などを協議。日顕はその真意をこう漏らしていた。
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段勲?「まずはメディアを使って、揺さぶりをかけましょう」
日顕「ん……裁判になったら、よろしく頼む」
「分かりました」
日顕「ま、学会員のうち、20万人山に付けばいいだろう」

小板橋明英 住職「20万って数は、もうどんなことがあっても20万は来ると、ま、実際はそれ以上来るんだってそういう甘い考えでしょう」
原田稔副 理事長「学会から金を集めるだけ集めたと。ご供養を集めるだけ集めたと。したがってもう必要ないと。
で、しかも創価学会は、えー厳しく綱紀粛正の事などを言ってくると。口やかましい連中はもういらないと。
一口に言って、彼らの目的は広宣流布ではなくて、 ただ一つ、金を集めるためだけ、金だけが目的であったと

創価学会は電光石火の対応で事に望んだ。総講頭罷免直後、全国各地で緊急の会合が持たれたのである。
池田名誉会長より、常に信仰の真髄を学んでいた会員達は、即座に事の真相を理解した。
つまり、宗門が権威主義を振りかざして、広宣流布を励む学会に牙を向いてきた。
そうであるならば、日蓮仏法に照らしてどちらが正しい信仰なのかはっきりさせてやろう。
会員達は極悪日顕宗との闘争を開始した。



平成3年1月6日。東京・千駄ヶ谷の創価国際友好会館で開かれた第37回本部幹部会。
総講頭罷免以来、初めて池田名誉会長が全国の同志の前に姿を見せた。
犬作「笑うことは素晴らしい。人生において最も厳しい事態を笑えるということ、死ぬという事s」
独裁者ヒトラーの横暴と戦い続けたチャップリンの生き方を語り、会員を励ます池田名誉会長。
犬作「笑いは 太陽 。勇気は 太陽
名誉会長の深き境涯に改めて胸を熱くした会員達。権威や権力の横暴など笑い飛ばしていこうと、皆が決意していく。
(拍手)

阿部日顕とは―

日顕「なんだ、脱会させなさいよ」
「はい」
日顕「脱会を君がさせるのが、君n君の一番の責務なんだ。そんなことをそんな質問をする前にな」
「はい」
日顕「どんどん、さっきここで立った人のように」
「はい」
日顕「一人でもいいから脱会させ、しなさいって言って。やんなさいよそれを。あん?」
「あのー」
日顕「そのな!」
「はい」
日顕「いつまでたっても学会にいるから」
「はい」
日顕「籍を置かせておいてどうのこうの君がブーブー言ったってね」
「はい」
日顕「そんなことで問題は解決しないよ」
「はい」
日顕「学会にいてどうのこうのくぁwせdrftgって言いたい放題なこと言ってんだから。信心が嫌になろうが何しようが、そんなこと関係ないんだ君にとっては」
「はい」
日顕「そんなこー、そんなくだらないことを言ってたらダメだっていうことを、 頭から少しカマシてやりゃあいいんだ。そんな、そんな者に対しては!

日蓮大聖人の御遺命に違背し、僧俗和合の道を断ち切った阿部日顕とは、一体いかなる男なのか。
大正11年12月19日、のちの第60世法主日開と彦坂スマとの間に生まれる。
昭和22年、東京墨田区の本行寺住職。昭和36年には教学部長。2年後には京都の平安寺に赴任する。

小板橋明英 住職「ちょっともう気にくわないというか、もたもたしてるとすぐバーンとやるわけですよね。
世間にもねその気の短い人はいっぱいいますけど、まさに 『瞬間湯沸かし器』 …。
まぁ、いい表現っていうかあのー名前をつけたなぁと思いましたけどね(笑)」

日顕の凶暴性の裏にはその生い立ちが深く影響しているという。

渡辺慈済 住職「お母さんが、なんとか結局この子を猊下に育てようという一つの目標があった。
あまりにも妙修さん(母親)が大事にしすぎて、ねぇ、そして、大事に大事に育ててきた、
そういうものが結局日顕を、あれだけの横暴な人間にしていった」

元々日顕は学会に悪意を抱いていた。昭和27年、学会が宗門外護のために、宗教法人の認可を受けようとした際、日顕は強く反対した。

渡辺慈済 住職「戸田先生から今度『宗教法人を学会でつくった』と、ま、阿部日顕に報告したらものすごく怒ったと、
『それはもう、頭からつぶさなきゃダメだ!』って言って、ものすごい反対ぶりだったね」

戸田第2代会長は日顕のことを警戒し、「阿部は腹黒く、インチキが多い。気をつけよ」と周囲に注意を促していた。
現に、阿部日顕自身、戸田先生により叱責されたことを『戸田会長先生の御逝去に対して』と題する一文の中で、次のように書いている。
「先生の云ういはゆる坊主根性の為か、師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない事があった」
昭和54年5月、総監に就任。そして、その2カ月後。昭和54年7月22日、日達法主が急逝した。
その知らせを受けた日顕は、日達法主の娘婿菅野慈雲遺族らが休んでいた西奥番室に向かう。

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日顕「あと(相承)のこと、君たち聞いてるか?」
3人が顔を見合わせる
菅野「いやぁ~、そりゃ~総監さん(日顕法主)じゃねぇ~んですぅ?」
日顕「あぁ、 そうかぁ…
3人が再び顔を見合わせる
日顕「あぁ、そうだったな…」

日顕は呻くようにそうつぶやいたという。その後、枕経の同志を務めた日顕の頭の中には野望がうごめいていた。
「誰も相承を受けていない」
そう確信したであろう日顕は、その後の重役会議にて一世一代の勝負に出る。

小板橋明英 住職「もうとにかくもーそのー、絶対に法主になるっていうことで若い頃からきたわけですからね、
それはもうぜ…そのチャンスは絶対、見逃さないと。実は自分が(昭和)53年の4月15日に
大聖人(日達上人)から内々に相承を受けていたようなことを、その後のそのー…会議で切り出すわけですね」

そして、仮通夜の席上、日顕新法主の就任が発表がされた。
「猊下より自分に対し、内々に御相承の儀に関するお言葉があり」
こうして日顕は第67世法主の座を手に入れることに成功した。しかし、今日に至るまで相承を証明する証拠は何一つ示されていない。

日顕宗の金満体質

♪「敵は幾万」 敵は幾万 ありとても すべて烏合の 勢なるぞ 烏合の勢に あらずとも 味方に正しき 道理あり 邪はそれ正に 勝ちがたく

名誉会長がチャップリンの指導をした同じころ、日顕は全国教師指導会を2回にわたり開催した。
日顕は「粥をすするようなことがあっても、私一人になっても」と嗚咽して、涙を流したという。

小板橋明英 住職「まったくね、もうチャンチャラおかしいと思って、本人はね、なんか泣いてね、チェッ(舌打ち)、まったく泣きたいのはこっち、こちの方だと思って」

その3カ月後のこと、日顕が都内目黒区に時価20億円の超豪邸を計画しているというスクープ情報が公表された。
大石寺出張所とするその豪邸は、プールやジム、サウナまで完備されているが、肝心の仏間はわずか10畳しかない。
宗門の綱紀の乱れ、金満体質は阿部日顕が法主になって、加速度的に宗内に蔓延した。

正木正明 副会長「やっぱり、庫裏(くり)とか坊主の住む、そういうところへあの行った会員の人たちの証言としても、
もうそこに置いてある家具だとかなんだとか、これは普通の庶民が手が出るようなまぁレベルの家具ではない。
500万もする焼き肉セットを買っているとかいうね、馬鹿な話」

渡辺雄範 住職「学会員さんが思っている以上に宗門の金銭感覚は異常でしたし、その堕落の実態というのはすさまじいものでした」

その元凶は法主である日顕の桁違いの供養の私物化であった。超高級旅館に家族で年間何十日も通う日々。
驚くべきことに宗門内に綱紀自粛を命じたその日に息子夫婦らと一人一泊15万もの高級旅館に宿泊し、懐石料理に舌鼓を打っていた。
奉御供養
宗門には奉るご供養といわれるものがある。
日顕に何かものを頼む場合、住職クラスで500万円、高い位につくものは1000万円ものお金を包まなければならなかったという。
日顕ファミリーの常軌を逸した贅沢三昧は、全て信徒の真心のご供養の散財なのである。
大村寿顕 数学部長「私は~~~♪ゆくだけ~~~♪全ては~~~♪心~~~♪……」
宗門の実態は金と欲望に溺れ、出家とは名ばかりの社会常識をはるかに超えた遊蕩三昧であった。

日蓮大聖人はそのような堕落坊主に対しこのように喝破している。
「徒に 遊戯雑談のみして 明し暮らさん者は 法師の皮を著たる 畜生なり 法師と云う名字を ぬすめる盗人なり」

日顕の正体

(拍手)

C作戦決行 3カ月前

平成2年9月、C作戦決行3カ月前に行われた開創700年慶祝記念文化祭。振り返ると既に宗門の不穏な動きが漂っていた。
こともあろうに日顕は懸命に演技する学会員に対し、「あの人たち 謗法でしょ?」と言い放った。

村上一壽 静岡総県青年部長(当時)「私はね、方々から集めてきた人たちが演技してるのかなっていう、
そういう事を言ったと思ったんですよ。まさか、その時に、そのー、そういう事考えていると思ってませんから、
こちらは、真心こめてやってるわけですから、これは、私としてはですね誰にも言えないことだなと、これは。
だからずーっとともかくもう、自分の心の中にしまっておくしかないんだと。思っていたんですよ。」

(拍手)
日顕には名誉会長に対するどうしようもない嫉妬と怨念が渦巻いていた。

ローレンス・カーター博士「池田博士の業績は大変なものです。博士は世界的レベルの指導者です。
それに引き換え宗門の運動を知る人はまずいません。宗門は創価学会が世界的となり宗門と比べて
格段に違う革命的な発展を遂げてきたことに対し妬ましくて仕方がなかったのでしょう」

「法主としての力を名誉会長に思い知らせてやる」
嫉妬の憎悪がマグマとなって噴火しようとしていた。

C作戦決行 2カ月前

C作戦決行2カ月前、開創700年のホウギョウ(?)も無事終了し、その記念撮影の折

八谷弓子 婦人部総主事「雨が降りましてねあそこのー…大講堂へ、ぇー記念撮影で皆会談のところへ並ぶわけですよ。
それでずーっと待ってるんですよ姿勢正して、先生も真ん中に立たれて、で、しばらくたったらねー、
バッタン、バッタン、バッタンっていう音をさせながら、日顕が降りてきたんです。で、ア~って顔して来ました。
先生はもう、すぐね『申し訳ありません、雨を降らしまして』、『あぁっ、山が泣いてるね!』その答えですよ。
私たち内心で『あんたの山じゃないのよ』って、自分たちが祈ってね、学会が登山しているのをね守るのがあんたたちでしょ。
それが私があの日顕との最後でした。あの時光景忘れない」

かくしてC作戦は発動されたのである。公布の分断を図った日顕。その正体とは?

戸田第2会長はかつて広宣流布を阻む魔の正体についてこう指導されている。

(創価学会第2代会長・戸田城聖の肉声)
「大聖人様の御時代に、あるいは良観とかあるいは法然の弟子とか、そういう者(の弟子などになる連中)は一体どういう奴かというと、
昔仏法をくさした、その外道の者が生まれてきて仏法をやってですね、そうして今度は正法を邪魔するんです。
そうすると今度はどうなるか、あいつらが死ぬと、今度日蓮正宗の中に生まれてくるんだよ。誠にこれはおもしろいもんだぞ」

村上一壽 静岡総県青年部長(当時)「私はもう宗門問題の本質っていうのはその戸田先生の一言に尽きている。
つまりえー…僣聖増上慢。広宣流布の最大の敵がやはり学会の前進を阻もうと現れてきた。それが宗門問題であり、日顕であったと」

つまり世界公布を阻む最大の敵、僣聖増上慢こそが日顕の正体である。

(総監 藤本日潤 破門通告会見)
藤本日潤 総監「ここに創価学会を破門に伏し、以後日蓮正宗とは無関係の団体であるこ、ことを」

平成3年11月28日、策に窮した日顕は笑止千万の破門通告書を送りつけてきた。

その翌日、アフリカ19カ国の大使たちが名誉会長を検証すべく訪れた。

犬作「アフリカこそ、新たなるルネッサンス。すなわち人間精神の復興の母なる大地であります」

宗門と決別した学会のその後の交流を象徴する出来事となった。

(創価ルネッサンス大勝利記念幹部会)
(歓声)
犬作「今日は、えー緊急のえー祝賀の祭典があるってことで」
(拍手)

翌日記念幹部会が行われた。

犬作「……の未来。壮大なる新しい出発しようよ!朗らかに! 堂々たる大勝利の70周年を一緒に迎えましょう!」

大歓喜の幹部会。破門通告の日は、創価学会の記念日となった。

(拍手)

そして、創価ルネッサンスの幕は開かれた。

第一部 完
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