すばらしきわが人生 parn6

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すばらしきわが人生 Part6で田中美奈子さん、宮島達男さん、飛鳥左近さんが話していた言葉です

          おことわり

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         SHINANO

           すばらしき
            わが人生
          ◇◇◇6◇◇◇

シナノガードは突破され、シナノ企画側の大敗北に終わった。


田中美奈子「お願いしまーす」
田中美奈子「ヘィーサ」
ナレーター「今、自分らしく、すばらしい人生を歩んでいる人がいます。
      田中美奈子さん。彼女は、今年の秋に始まる連続テレビドラマの主演女優として、
      スタジオや、ロケーション現場での撮影にと、多忙な日々を送っています。」
トゥトゥトゥン!
(セルフシンメトリーMADが流れる。MADにも手を出す多彩なシナノ企画。)

ナレーター「芸能界にデビューしてから、早十二年の歳月が。アイドル歌手として華々しいスタートを切り、
      また、人気モデルとしても一躍脚光を浴びました。

      そして現在は、映画に、テレビドラマに、豊かな個性が光る女優として、活躍の場を広げています。」
ナレーター「小学校三年生の時に、私も芸能界で活躍したいと言う夢を抱き、それを見事に現実のものとした田中さん。
      幼い頃から彼女は、母に支えられ、共に信仰の道を歩んできました。
      そしてチャンスが巡って来たその時に、信仰の面でも大きな転機が訪れたのです。」

田中美奈子「ほんと、私が発心したのはー十・・・・八のときですかねーその、モデルさんのおーでしょん(オーディション)?
      んーどうしてもこのおーでしょんに、いきたいけれどもー違う仕事がーテレビ局で入ってたって
      そのー二つが重なっちゃったんですよ。
      ほんとに・・・人生を左右するくらいのおーでしょんだったのでー、これにー
      いけなかったら私は何のために、今まで来たんだろうっていう状況でしたから。
      もう寝ずにそれは、お題目ぉあ、あげでぇましたね~。結果はですね、
      時間が土壇場でずれたんですよ。こちらの時間が。それで結局最終審査までのこれてー
      入賞することもできて、それでーほんとにその、お題目ってすごいんだなぁーっていうのを
      もう初めて実感できたんじゃないですかねぇ。」

ナレーター「モデルとしてスタートを切り、仕事に追われる毎日の田中さんでしたが、
      創価学会の芸術部員としても、寸暇を惜しんで活動を続けてきました。
      沢山の芸術部の仲間と触れ合うなかで、一人の人間として、誠実に生きることの大切さを学びます。」
      そして、人生の師、池田先生が言われた、一流を目指す人にと言う言葉を心に刻み、
      人間的にも大きな成長を遂げるのです。
      いつしか田中さんは、一人でも多くの人に感動を、この社会において自分なりの立場で
      何らかの貢献をしていきたいと思うようになっていきました。

      そんな折、あるテレビ番組で動物たちと触れ合ったことがきっかけとなり、
      動物相手のボランティア活動をはじめました。この同じ地球に住む生き物を大切にする心を、
      人々の間に広げていきたい。田中さんは、芸能界で仕事に励む傍ら、友人知人に積極的に呼びかけ、
      ボランティアの輪は、大きく広がっています。
      仕事にプライベートに、充実した今を生きる田中さん。これからの目標は。」

田中美奈子「この、信心とぉー、こういう役者の仕事って両極端な所にあると思うんですよ。
      でもー、ったしはー、ほんとに一流の方と言うのはー、その、 ぎじつ?みょん? (技術面)
      技術も優れてるけれども、でも人間性も伴ってて初めて一流だと思うんですよ。
      だからー、やっぱり、本物になりなさいって先生が仰らぇるってことは、ったしたちからすれば、
      一流に?一流の役者になってそして、一流の人間としても?んー
      っぱりこれが、伴ってなかったら、ったしは先生の仰る本物にはなれないと思うのでー
      そこに近づけるように?ふぉー前を向いて、頑張ります。」


 それは変化し続ける
 それはあらゆるものと関係をを結ぶ
 それは永遠に続く

男性ナレーター「現代アートの第一人者、宮島達男さん。
ヨーロッパ各地で開催される展覧会に最新作を出品するため今年5月下旬から1ヶ月間のスケジュールで、スイス、オランダ、ベルギーを訪れた。
発光ダイオードを用い、デジタルカウンターで数字を点滅させる彼の芸術は海外で高い評価を得ている。
スイスのジェネーブ大学、その建物に設置された宮島達男の作品。
このアトリエから世界が注目する芸術が生まれている。
なぜ芸術表現の方法として数字を用いたのか?」

宮島達男「最初に数字が 兄貴 (ありき)だということはなくて、自分が表現したいものがーあって、そのこの考え方みたいなものをどうしたら自分にこう表現できるかということで数字を選択したわけです。
でー数字というのは、世界共通言語ですので、えー世界の人たちが見てもそれは数字だっていう風にわかりますから、あの非常に便利なツールだったんですね。」

男性ナレーター「1から9まで、しかし、ゼロは表現されない。人々にはなかなか理解しがたい。」

宮島達男「もうだから大変ですよ、説明してくれっていうね、『これはじゃあこれはなんでゼロは無いんだろう?』とかね、『なんで数字なんだろう?』と色々これ考えてもらうとこれでいいところはあるんですけどね。ええ。
まあ答えが有るって訳じゃなくてそれぞれの人がそれぞれ答えを見出してくれたらそれでいいんですけどね。」

男性ナレーター「宮島さんは、高校時代に本格的芸術家を目指そうと志を立て、東京芸術大学の油絵科を目指し受験にチャレンジした。
しかし、失敗の連続。(1977年 東京芸術大学 再度受験失敗)
どうしようも無い自己嫌悪といらだちの中で4年の歳月が無為に過ぎて行った。(1979年 東京芸術大学 三度受験失敗)

芸術家を目指すのは諦めよう……(孤独 不安 絶望)

そんな折に、『君は宗教に批判的だけれどもこの本を読んでみるといい』、と学会員の友から1冊の本を渡された。
宗教は弱い者がすがりつくものだと思っていた宮島さんだが……。」

宮島達男「ところが人間革命実際に読んでみると、これがもうめちゃめちゃ感動してー、んー、とにかくこのー読み進んでいくうちにー、涙が止まらなくて。
で、普通のおじちゃんおばちゃんとかそういう人達がこの宿命にー、苛まれてそれを信心で乗り越えたってドラマが カーッ! と書いてあるわ、わけですよ。
で、自分がそういうとんでもない屈強というか苦しんでいる時代でしたのでー、それが スッ☆ と入ってきたんですねー。」

男性ナレーター「ゆうやく(勇躍?「ようやく」の可能性も)四度目のチャレンジで競争率44倍の難関を突破し、宮島さんは入学を果たした。
そして創価学会の学生部員としても活発に活動し、大学3年の時に行われた世界平和文化祭にも参加した。(1982年第2回世界平和文化祭(西武球場)
初めて間近に見る池田先生。
雨の降る中、真心込めて一人一人の友を激励する姿に感動を覚える。
そして学生部2000人の友と心を合わせ演技を終えたその場で『世界に雄飛する芸術家になります』と誓いを立てた。」

宮島達男「自分はもともと才能が無いと思ってますからー。
芸術的な部分に才能が有ったらねー、あのー、大学受けた時一発で受かってますよ、もうすでに。ええ。
それがこう何回受けても落っこちるってのは才能が無いってことなんですよ。
それでここまで来れるってのはやっぱりー、学会と先生のおかげだと思いますけどね。」

男性ナレーター「あの誓いの日から18年の歳月が経ち、現代アートの分野で文字通り『世界のミヤジマ』と称される現在に至ったのである。」
(宮島達男作品が収蔵されている世界の主な美術館
東京都現代美術館
京都国立近代美術館
広島市現代美術館
台北市立近代美術館
サムスン文化財団(ソウル)
国立ニューサウスウェールズ美術館(シドニー)
ダンハイザー財団(ニューヨーク)
サンフランシスコ現代美術館
フォートワース近代美術館(テキサス)
ダラス美術館
カナダ国立美術館
テート・ギャラリー(ロンドン)
カルティエ現代美術財団(パリ)
ミュンヘン近代美術館
デステ現代美術財団(アテネ))

男性ナレーター「一方、国内における活躍も目覚ましい。瀬戸内海に浮かぶ直島で、250年前に建てられた家を舞台に時の流れを超えた文化の融合を見事に表現した。」

(直島コンテンポラリーアートミュージアム
主任学芸員 秋元雄史さん)

秋元雄史「デジタルカウンターを使ったああいう光の点滅の作品をやり始めてですねー、でーすぐにそのーヨーロッパでのー、大きな展覧会である程度有名になってヨーロッパとかアメリカとかですねー、文化の厚みがある、そのーところではですねー、非常に高く評価されているんじゃないでしょうか。」(ファーレ 立川)
(「Naoshima's Counter Window」)

男性ナレーター「1ヶ月間世界を巡って、日本に戻った宮島さんはさっそく地域の友が待つ座談会で。」

宮島さん「結局アートってのは、自分自身のーそのー命の表現ですから、命がこう、鏡のように映し出されるわけですよ。
だからこっちがこう、思いっきりこう命が パッ☆ と開いて、それで活動して、 嬉しいな、歓喜だな! っていうときには歓喜になるんですよ。作品が。」

男性ナレーター「1から9までの数字の輝き、それは仏教哲学をベースに人間のライフサイクルを表現しているという。
世界が注目する理由がここにあった!」


(ここから後半)
女性ナレーター「ブロードミュージカルの名場面を日本舞踊で。
斬新な演出と楽しい振付で、多くのファンを持つ日本舞踊アカデミー『ASUKA』。
庶民の町、大阪に生まれた流派、飛鳥流に所属する舞踊団で、新しい日本舞踊を目指し、情熱の舞台を繰り広げています。

この舞台の第一舞踊主。飛鳥流3代家元、飛鳥左近さん。
飛鳥流初代家元の父・飛鳥峰王さん、母で2代目家元の飛鳥珠王さんの長女として生まれ、
1つ違いの兄は、歌舞伎俳優の市川右近さんという家族全員が伝統芸能の生きる家庭に育ちました。
左近さんはこの舞踊団を創立した父・峰王さんとともに観客に日舞のすばらしさを感じてもらうために魂を込めて舞台を作っていきます。」

飛鳥左近「上げて、上げて、上げて。」

飛鳥左近「見て頂いているお客さん、『あっ、なんか、かっこええやん』とか、『元気になるやん』ってゆっと頂けるような、
そういう舞台を作りたいなって、『見終わった時に元気になったな』って『楽しかった』って言ってもらえるような舞台を作っていきたいなって思ってます。」

女性ナレーター「左近さんは、1986年4歳の時に家族とともに創価学会に入会しています。これまで舞踊家として、飛鳥流の後継者としての自らの人生をひたすらに歩んできました。
幼い頃から踊りの輪の中で育った左近さんは、父である峰王さんから日舞の英才教育を受け、3歳から踊りの稽古を始め、7歳の時に初舞台を踏んでいます。
以来、来る日も来る日も厳しい踊りの稽古、巧く踊れず、涙で頬を濡らしながら夜中まで稽古に励んだ日もありました。」

関西創価学園愛唱歌「この道」 こ~の~~道~よ~~♪ ・・・

女性ナレーター「そして、中学・高校と関西創価学園に学びます。学生時代は、学校が終わると劇場へ向かったり、楽屋で受験勉強をしたり、忙しい苦闘の日々を送ります。
そんな時、学園の創立者、池田先生との出会いがあったのです。」

飛鳥左近「初めて、あのー池田先生にお目にかかったのは中学1年生7月の希望祭やったんです。その時に
『ああ、この方が噂の池田先生やねんやwww』ってのが、すごい実際のところあのー感じたんです。
でー、その後中学・・・・こう1年生ずーっとこう半年ぐらい経ってきた時に、
生まれて初めて『悩み』・・っていうのにぶち当たったんです。
で初めてぶち当たった『悩み』っていうのが、『勉強と日本舞踊』の両立っていうことやったんです。
で、すっごい苦しい・・・。どうしよう・・・。って思ってる時に、初めての池田先生との出会い。
そのあと、し・・・、ご指導があったんですけれども、
『忍耐すべき時に忍耐する。努力すべき時に努力できる人が幸せな人である。自分のいるところが最高である。最高にしようと思える人が幸せな人なんだ』っていうご指導があって、
で、なんてそのー時間がないって愚痴を言っていた自分が恥ずかしくてあのーその時が自分にとって、『噂の池田先生』ではなくて、自分にとっての師匠との、出会い、やったんです。(泣く」

女性ナレーター「大阪東住吉区にある飛鳥流の稽古場。
左近さんは、『庶民に根差した流派を』との両親の意思を受け継ぎ、1999年11月に3代目家元を継承しました。
『一人一人がその人らしく輝ける流派を作りたい』というのが若き家元、左近さんの目標です。」

女性「自分のとこ?」
飛鳥左近「うん。自分のとこ。」

女性ナレーター「左近さんはこれまで、舞踊団とともに、中国・アメリカなど世界各国で公演を行い、
早漏リンピック(ソウルオリンピック)の開会式にも日本を代表する舞踊家としても出演しました。
そして、1992年には池田先生とともに文化親善交流の一翼を担い、エジプト・トルコで公演。
文化を担う踊りへの指名を深く命に刻んだのです。」

飛鳥左近「池田先生がその、あのー『文化が、世界平和への近道や!』ってぉ私達はその使命で行かせて頂いたんですけれども。
向こうの文化大臣はじめ、皆様に喜んで、で、先生からその時にあのー御歌を頂戴したんです。
で、『絢爛と勝利の都(カイロ)で飛鳥王 天に舞いゆき ナイルにひびかむ』『偉大なる平和と文化の劇の旅 飛鳥の舞は 世界をつつみぬ』
これが、ウチの、舞踊団の、原点、なんです。(泣く」

演目「お祭り」

女性ナレーター「信仰の輝きで人々に勇気と希望を送るために、左近さんの挑戦の舞台は続きます。」

飛鳥左近「自分のお題目でいい舞台を作る。お客さんに感動して頂ける。っていうそういう気持ちで、みんな舞踊団員と呼吸合わせて、
見に来てくださったお客さんが納得して頂ける舞台を、悔いない舞台を、生命力いっぱいで一回一回大事に、迎えていきたいなって思ってます。」


女性ナレーター「希望の人生を歩む人は、いつも瞳が輝いています。
再びどんな困難が押し寄せようとも、『私は負けない』と朗らかに進んでいくことでしょう。」
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