心の宝石箱 グルメリポーター・彦摩呂の挑戦

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2011年夏、東京・銀座の一角で、東日本大震災の復興イベントが行われていた。
「食の宝庫」と呼ばれる被災地・宮城の特産品を、直接販売して支援しようと立ち上がったプロジェクトだ。

彦摩呂「石巻焼きそば只今焼きたてぇーでーす。今焼きたてです。こんにちはぁ~~~」
(この会場でひときわ大きな声と、親しみのある関西弁で、通行人の足を止める男性がいた。)
彦摩呂「しょうもないこと言ってんでしょ」
(グルメ界のプリンスと呼ばれる彦摩呂。)
彦摩呂「まもなく、石巻焼きそば焼きあがりまーす」
(テレビの情報番組で、東北のおいしいものを知り尽くした彼に、ボランティアから応援の依頼があったのだという。)

男性「実家沿岸なんで…」
彦摩呂「あ、ん、大丈夫やった?」
男性「宮古知ってます?宮古」
彦摩呂「宮古知ってるよ」
男性「実家がだいぶやられまして…」
彦摩呂「大変やったなぁ~~~…」

彦摩呂「今回被害にあわれた被災地の方自らが、地元のおいしいものを東京に売りに来ると聞いて、僕も何回もロケで訪れて、本当においしいものがいっぱいある地域。その皆さんが、自発的に元気を出して頑張るというのを聞いて、やっぱり“食”に携わってる僕としては、少しでもお役に立てるならと思って、今回参加させていただくことになりました」

彦摩呂「彦摩呂です!今日はわたくしオススメのラーメン屋さんを紹介させていただきたいと思います!じゃあ早速行きます!」
(グルメリポーターとして、これまで1万件以上のお店を取材してきた食のスペシャリスト。)
宇都宮節子「はい。塩ラーメンねー」
彦摩呂「えー出来た出来たー」
宇都宮節子「どうぞー」
彦摩呂「ありがとうございまーす!では、いただきます」
(ていみょう?なお喋りと気の利いたコメントが笑いを誘い、視聴者の心を惹きつけている。)
彦摩呂「もー、雷文の塩ラーメンはね、女将さんの愛情がたっぷりなんです!これっ 見てっ この黄金の輝き!」

柳生九兵衛「一番感じるのはあったかさなんですよね。リポートする中に、人間的な温かみっていうんですかね」
柴田理恵「彦ちゃんがグルメリポートすると、ホントにおいしそうに見えるんですよ!『味の宝石箱や~』ってみんながマネするみたいに、ああいう風にこういろんな表現を使って」

彦摩呂「うわっ!おいしそうですね~。見て スイーツがきれいに並んで、スイーツの朝礼やん!」
彦摩呂「(スイーツを食べ)お口の中が温暖化や!」
(明るいキャラクターと時代にマッチしたオリジナリティあふれる表現力が異彩を放っている彦摩呂。彼が持つ言葉の輝きはどこから生まれてくるのだろうか。)
彦摩呂「まさにランチプレートの、なでしこジャパンや~!」
(そのエネルギーの源をたどってみた。)

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彦摩呂の挑戦

彦摩呂「すいません、ありがとうございました」
店員「ありがとうございました」

彦摩呂「よいっしょ!(車に乗り込み)ありがとうございまーす!お世話になりましたー!」
店員「ありがとうございましたー」
(グルメリポーターの日常は、西へ東へ地方を回ることが多い。そんな忙しい毎日の中で彼が大切にしている集まりがある。この日、仕事を終えて向かった先、それは創価学会の座談会だった。)
彦摩呂「こんにちはー!」
「えーといよいよ…」
(月に一度近隣の会員が集いあうこの小さな会合は、ともに仏法を研鑽し、励ましあい、決意をする場。この草の根的な人間の繋がりの中に創価学会の真実の姿がある。)
「あのーまた、元気でやりましょう」
彦摩呂「僕にとって座談会は、人生の充電器。バッテリーが無くなった携帯を差すかのように、ここに来るとまたパワーがいただけて、頑張ろうって思える。そういう場所です。ねぇ 皆さん?えっ!?フッハハハハ(笑)」

彦摩呂さんは大阪の裕福な家庭に生まれた。しかし、幼い頃に両親が離婚。
生活は貧しくなったが、明るい性格の母と人情味あふれる長屋の生活が、
少年に「将来はテレビの仕事がしたい」という夢を与えた。
高校生の時、町で声をかけられスカウト。アルバイトとしてモデルの仕事を始めた頃、
ダンサーをしていた先輩を通して、彼は創価学会に出会った。

彦摩呂「地元でモテモテの先輩がいたんです。あこがれの先輩が。その方はプロのダンサーでもあったんですけど、その先輩が『彦ちゃんの夢は何?』って聞かれて、『ボクは将来テレビタレントになりたいんです~!』って言うたら、『あ~ なるほどね。創価学会に入ったらなれるよ』って言われたんですよ。『えっ?!』って、もう不思議だったんです。表情ひとつ変えずに、『信心したらなれるよ』って言われて、『ちょっと待ってください 先輩。僕がその南無妙法蓮華経を唱えたら、タレントになれるんですか!』って食らいつくように聞いたんです。そしたらまた表情を変えずに『なれるよ!』って言うんですね。えー?っと思って、そんな、そんな宗教とかがあんのかなと思ったんですよ。でもその先輩が『夢を叶えよう!』と『僕もそのおかげで夢が叶って今プロのダンサーになった』と。『一緒に頑張っていかないか!』っていう風に言っていただいて、その誠実な目を見て、やってみようと思ったんですよね」

高校を卒業して彦摩呂さんは大阪で就職した。しかし、タレントになる夢を捨てきれなかった。彼はこの信仰に自分をかけてみることにした。

彦摩呂「お題目をあげていくとね、なんかその元気が出てくるというか、『必ず自分の夢を叶えるんだ!』っていう思いが、定まってきたんですね。んで、3年間、3年間祈ってチャンスがないならあきらめて、3年間祈ってチャンスがあるなら、芸能界のチャンスがあるならくださいって、祈ったんですよ」

彦摩呂さんはわずかなお金を握りしめて、東京駅の新幹線に飛び乗った。
不安と決意が交錯する中、車中で開いた一冊の本の言葉に目が留まった。
『小心は、青年の最大の欠点である。青年よ、いかなる人生劇場においても、出演者たれ。』
それは、創価学会池田大作名誉会長著作の『人生抄 -青年の章-』に記された一行だった。

彦摩呂「もう大阪から東京へ行くっていうのが、ものすごく不安だったんですよ。その時は自分の将来を本当にかけてましたんで、不安をかき消すかのようにね読んでたんですね。その中でたった一行の池田先生の言葉が胸に刺さったんです。たった一行なんですよ。『小心は、青年の最大の欠点である。青年よ、いかなる人生劇場においても、出演者たれ。』。それが一行に書いてあったんですね。あっ 何をビビってんのやと、自分が歩むべき人生の舞台。これは自分が主役なんだと。自分の人生を降りてはいけない。という思いを感じた時に、涙がポロポロっとあふれてきまして、今まで不安で大変だった自分の心が、一変して晴れやかな気持ちになって、やるんだ!と。負けてはいけない!と」

上京してすぐ、彼の挑戦は始まった。ブロードウェーでデビューできるという華やかなオーディションに合格。
しかし、あこがれの東京は夢を抱いた青年に厳しかった。
苦労してつかんだ仕事、それは原宿のファッションビルで簡単なショーや、女性のエスコートが主な内容だった。

彦摩呂「ブロードウェーはまったく、ウソというか、まぁ歌や踊りのレッスンは受けられるんですけれども、デビューの話はまったくなかったんですね。ちょっと悩み始めて、なんとかしなきゃいけないなぁという風に」

そんな彦摩呂さんの支えとなったのは、創価学会の同志の温かな励ましだったという。

彦摩呂「もうクタクタになって帰ってくると、ドアにメモが挟まってるわけですよ。青年部の地区リーダーからのメモで、『彦ちゃんお疲れさまです。冬は必ず春となる。今は厳しいですけど頑張ってね。満開の彦ちゃんの笑顔の花が咲き乱れる日が必ず来ますから』書いてメモを挟んでおいてくれたりね。その励ましがね、ホントに頑張れるんですよ」

祈り始めて3年、遂にチャンスが巡ってきた。
原宿の仕事仲間10人と「幕末塾」というグループを結成。
テレビ局のコンテストで準グランプリに輝き、念願のデビューを果たした。

彦摩呂「あの時ね、テレビタレントになるんだって決意をして、自分で3年間って期限を決めて、フッて振り返ったら、ちゃんと3年以内にそれが叶ったんですよ。今メールでもドット1個ないだけでエラーでしょ。もう振り返ったらね、あの時あの坂道であの人に会わなかったらとか、あの喫茶店であの人がこの話を教えてくれなかったらとか、全部必然だったんだなと」

1993年、彦摩呂さんは上京の時、生涯の指針を与えてくれた池田名誉会長が出席する会合に初めて参加をした。

彦摩呂「会場の人と人の頭の間から『あっ 先生だ!』と思って、あの時あの池田先生の一行の言葉で励まされた。もうね本当に感激して!」

その後も幾度となく人生の師匠との出会いを重ねてきた彦摩呂さん。彼はその姿から一人の人を大切にする心を学んでいった。

Q 人生との師匠とは
彦摩呂「『太陽』みたいな存在です。必ず照らしてくれてる。必ずそこにいてくれている。自分が見ないと見えない。だから太陽は、当たり前のように光を与えているんですけど、自分が見上げないと見えないんですよ。それで、どんな時もいるよ!見てるよ!僕にとってはね、太陽です!」

彼は今グルメリポーターとして、新たな目標を掲げて挑戦をしている。

彦摩呂「僕がいま目指しているところはね、常に心掛けていることは、味には必ず『味の向こう側』っていうのがあって、目に見えない調理というか、例えば料理人の人生があったり、苦労した人の背景があったり、食べた時にそういうものも感じる人になろうと。キャッチできるおっちゃんになろうと。そういうふうに今思ってるんですよ」

彦摩呂さんがプライベートでもよく訪れるラーメン店。この女将さんは数年前、長男を病で失った。
寂しさのあまり店を畳もうと思ったが、遠くから並んで食べ来てくれる人のためにと、お店を続けている。
この塩ラーメンは女将さんの涙の味。彦摩呂さんの言う『味の向こう側』とは、こんな女将さんの心を伝えることにあるかもしれない。

彦摩呂「うわー、涼しいー」

宇都宮節子「母の日にね、あの大阪にもお母様ね、彦摩呂さんのお母様がいらっしゃるんですけども、こんな私にもねお花をいただいたり、すごく私うれしくって、私の本当は息子じゃないのに、息子のようにして、だからこれからも食べる仕事ですから、本当に体に気をつけて、頑張ってもらいたいなって」

心を伝えるリポーター・彦摩呂。
彼の心には、二十歳の春に出会った生涯の指針が、今も輝いている。

彦摩呂「その人のために祈れる。自分のことを祈ってくれる。その思いのうねりが、原動力になってるんじゃないかなって!」

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