創価学会離反の真相(前半)

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(?)はよく聞きとれなかった箇所です。分かる人は修正お願いします。

日蓮大聖人の仏法を正しく受け継ぐ日蓮正宗。
その教えは、七百数十年の間、血脈相承によって大聖人から日興上人へ、
日興上人から日目上人へと受け継がれ、現在の第六十七世日顕上人まで伝えられてきました。

日蓮大聖人の滅後、六人の高僧の内、大聖人の称号を守ろうとしたのは日興上人ただ一人でした。
実に、六人の弟子のうち五人までが師に敵対しました。さらに、地頭・波木井実長(はぎりさねなが)の謗法により、
日興上人は身延の山を捨てて、現在の大石寺へ移られたのです。

このように、七百年の歴史の中では幾度となく危機に直面し、乗り越えてきた日蓮正宗・大石寺。
この度の創価学会の離反は、日蓮正宗にとって信徒のほとんどが一時に消えるという出来事でした。
しかし、それ以上に創価学会はそれまでの信仰を全て失う結果となったのです。


(タイトル『創価学会離反の真相』)


ところで、創価学会はなぜこのような狂気の選択を行ったのでしょうか。
今回の事件の発端は、表向きは一本の録音テープからでした。
創価学会の内部指導に疑問を持った信徒が、平成2年11月16日に
池田大作の講演内容を録音したものです。

「信者、信者ってみんな信者だ。御本尊のよー、坊さんだって。違いますか?
坊さんでもほか拝んでんのかよ。おかしいんじゃないの?みなさんどう思いますか?」

宗内では、その講演内容を聞き、品位の無さ、宗門に対する悪意に満ちた口調に驚きました。
早速宗門はそのテープから問題点を抜粋、質問書として創価学会に提示し、誠実に対応しようと試みました。
ところが、創価学会は宗門の質問書には応じず、宗門批判の文章を送ってきたのです。
さらに追い打ちをかけるように、 宗門の反訳ミスをさも重大な誤りのような指摘をしてきました。
それに対し宗門側は、反訳ミスを認めながらも、大意について何ら問題はない旨を申し送ったのです。
創価学会は、 宗門側が反訳ミスの非を認めた事を大きく歪曲した記事を聖教新聞に発表し、暴虐の限りを尽くす姿勢をあらわにしてきました。

さらに創価学会は、 聖教新聞、創価新報を使って事実に嘘を絡めたり、全くの嘘を事実のように作り上げて、御法主上人や僧侶を非難中傷したのです。

これは、平成4年9月16日付の創価新報の捏造記事です。
見出しには、『リオでは大乱痴気パーティー。ダンサーに抱きつき、坊主狂態』とあります。
しかし、実際は昭和58年1月26日、ブラジルの一乗寺で行われた御新修の時の写真です。
ご覧の通り、どこへ出しても恥ずかしくないお茶の席で、リオのお国柄のショーが入っただけのものです。
創価学会側は、学会の副会長、幹部も同席していたにも関わらず、
このお茶の席を御法主上人や宗門の一行が、ヌードダンサーを呼んで遊んだかの様な卑劣極まる捏造記事に仕立て上げたのです。

この写真は、日顕宗の実態PART2の学会報道です。
ご覧のように、左側に小さく『“密漁”の成果にニンマリ』とコメントしています。
これを見た学会員は、法務をサボってダイビングで遊び呆ける僧侶と受け取るに違いありません。
この写真の人は、青森県専妙寺の住職、沼田凡道御尊師です。

この写真は、御尊師からお借りした同じ時の写真です。
目を黒く塗り潰した人たちは、当時専妙寺所属の学会員で、ほとんどが幹部で、中には副圏長や本部長もいます。
(漁師、もしくは信徒と思われる人々が集まっている写真)

「写真入れてですね、聖教新聞見た時はまぁ、ひどいことするもんだなと、
思いました。当時、あの専妙寺には除雪同好会というものがありまして、
冬の間お寺の雪かきのお手伝いなどをしていたんですけども。
除雪で手伝ってくれた方と家族を、ご住職が招待して下さりまして。
まぁ海に行きまして、交流を深めていたんですけども。
そういった一員からちょうど、何ていうのかな、
宣伝材料に使えるような写真だけを使って、学会員に(僧侶の)悪いイメージだけ与えて、
そういう作戦をしたんじゃないかと、思いましたけども」

「当時は、その学会員の方にも、うんとすごく(アワビを獲るのが)得意な方もいまして、
いっぱい獲りましたよそういう人たちも。まぁヤス(?)獲ったり色んなもの
ありましたけども好きな魚獲ったりね。で、そういう(獲った)学会員はそういう問題に出なくて、
我々の方だけ獲ったとか見せるだとかもうちょっと考えられんですね本当はね。
で、この中で書いてあるけども、住職さんと私が島入ったんですよ。
住職さんもあまり不慣れな(?)もんですから、私がエスコートして入ってって、
で例えばアワビは私が獲ったんで、住職さんが獲ったんじゃなくて、
で確かに獲りました、獲られてはいませんよと、でこれがアワビですよと
指を差して教えて、で、あ、ウミウシか(?)と見ながら、あ、なるほど、と、
で私がナイフで獲ってそれを持ってきました、と。住職さんが獲ったとかそういう事は不当になりません。
この中(創価新報)に『(住職は)水中銃で魚を獲った』とあるけども、
住職さんは水中銃を持っていませんでしたよ。これは全くのウソですね」

「学会の幹部は当時ね、『凡道(住職)を追っ払うためにね、
うんと悪口をしゃべってしゃべってしゃべりまくれば、居られなくなるだろうから、
そして凡道がいなくなったら、違う学会の僧侶が来るから』と言ったのを、私は聞いてます」

専妙寺では冬、ご信徒が雪下ろし作業をします。
そのため夏になると、沼田御尊師が尽力された学会員を近くの海へご招待し、
家族揃っての楽しい一日を過ごすのが、専妙寺恒例の行事でした。
これらの写真は、その時のものですが、 僧俗和合の麗しい写真を学会首脳は信徒の目を盗んで遊び呆ける堕落僧に仕立て上げたのです。

なぜ創価学会は、すぐにバレる嘘を平気で新聞に発表したり、ビデオに作ったり、さも事実らしく裁判に持ち込んだりするのでしょうか。
それは、創価学会・池田大作の真の狙いが、 学会員を騙して全面的に池田大作に依存させたまま、日蓮正宗から離反、独立することにあったのです。
一方、二代戸田城聖会長は、本来信徒のあるべき姿について、次のように述べられております。

「それで、寺ができた以上には、信心を基調にして折伏することと、
お寺を大事にすることと、御本山に尽くすことは当たり前のことなんだからね。
それが、自慢のようになってはもう信者としては資格がない!
いいか、もう一度言うよ。
折伏することと、お寺に尽くすことと、御本山へのご奉公 は当たり前のことなんですよ!
それをしたからって何にも偉いんじゃないんだよ!」

この教えに逆らうかのように、池田大作は離反謗法路線を繰り返しました。池田大作は離反謗法路線を繰り返しました。(大事なことなので2回言いました)
一回目は、昭和40年代から始まった、「52年路線」と呼ばれるものです。
昭和49年5月10日付の文章がここにあります。これは、北条浩氏の池田大作への報告書で、
文面には、「学会が生き抜いてゆくためには、相手に信心がないのならうまく使ってゆくか、
徹底的に闘って学会の旗を守って死んでゆくか、いずれにせよ先生の最大のご苦心に触れるおもいで決意をかためました。」
また、「長期的に見ればうまくわかれる以外にないと思う。
本質的にはカソリックとプロテスタントのような違いである。」と書かれています。
このように、創価学会の幹部達は、日蓮正宗を完全に支配するか、それが出来なければ、離反しようとしていたのです。

ここに、当時の創価学会の実情と謗法路線について、日達上人猊下のお言葉があります。

「『日蓮正宗国際センター』を造るに当たって、『創価学会と日蓮正宗と、その真ん中に、
そのもう一つ上に、日蓮正宗国際センターというものをつくる』というような趣旨で来られました。
私は、はっきり断りました。(中略)その為に二人は帰って行きました。また、『大石寺の会計も調べる』と。
その会計を調べて、大石寺も宗教法人で、その年その年に税務署へちゃんと会計報告して通っておる。
(中略)その時に北条さんが云うには、『若し調べさせなければ手を分かつ、おさらばする』とはっきり言ったのです。
私はびっくりしました。こういう根性じゃ、これは駄目だと。
(中略)このままじゃ話にもならない。もし、学会が来なければ、もう、それは『正本堂』を造ってもらって有難い、
『正本堂』は、その時の日蓮正宗を、少なくとも信心する人の集まりによって、その供養によってで出来た建物である。
だから若し学会が来なくて、こっちが生活成り立たない、というならば、御本尊はまた御宝蔵へおしまいして、
特別な人が来たならば、御開帳願う人があったら、御開帳してもいい、という、私は覚悟を決めたわけです」


後半へ続く。
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