エア本さん学

ここはエア本さん達について本編等の情報を元に考察するところなんだよ!
もし新しい情報があればどんどん追記お待ちしておりまー(唐揚げを揚げる音)

エア本さん(久本雅美)について

1958年7月9日に大阪府大阪市東住吉区(現:平野区)加美で1歳下の弟の徹と雅美と同じ女優として活躍している妹の朋子の姉として生まれる


母本さん(久本敦子【旧姓:木里】)について

徳島県海部郡美波町(旧・由岐町)伊座利出身。2000年に膵臓がんでこの世を去っている。
祖父には弥三吉といって、地元で評判の良い石工だったらしく、由岐町の資料に記述があるほどである。また小学校に14年にわたって毎年手作りのホウキ100本を贈ったことで地元の新聞で表彰を受けたことがある。父は政岩といい、村芝居で女形 男を捨てた芸風 をやっていたらしい。
職業は保育士であった。同級生によると、着飾らず清潔で、陰口を叩かない淡々とした性格とのことであり、後輩によれば世話好きで頼りになる先輩だったとのこと(何故ああなった)。
とある見合い話で久本雅弘と出会い、昭和32年に結婚した。
大阪府大阪市東住吉区(現:平野区)加美に引越し、その後「雅美」、「徹」、「朋子」を産んだ。
かなり厳しい母だったらしく、雅美がスカートを長くしたり、カバンをペチャンコにするのを次の日には戻したりしてたとのこと。
ある日、雅美がお笑いの女優になると言い出したときはかなりしょんぼりして、東京に出て行った雅美のことをずっと大丈夫か心配していた(結局大丈夫じゃなかったが・・・)。
後に雅美の様子を見に上京するのだが、部屋の真ん中に仏壇があり、「ナナナナンデコレェー!」と驚くのである。どうやらその頃は創価学会に対し悪いイメージしかなかったらしく、雅美が創価に入会していると聞いたときは「よりにもよって」とぼやいてしまった。
上京について「ヒューマントーク2」ではこう語られているが、「自分らしく輝く生き方」で久本雅美の話によると、上京したのは父本(雅弘)さんと弟本(徹)さんで母本さんは上京してなかったとのこと、これについては母本さんと雅美のどっちが間違ってるのか一切分からない。ともかく「自分らしく輝く生き方」での父本さんと弟本さんの雅美の部屋に行ったときのリアクションはほぼ母本さんと同じである。そのあと雅美の様子を聞きつけた母本さんは雅美に電話して嘆きの言葉をかけたとのこと。このとき母本さんは「自分は真言で死ぬ」と言ってたらしく、実家は元は真言宗と思われる。
その後、母本さんは雅美と雅美に折伏された朋子も加わってしつこい折伏行為をされるはめになる。そして雅美や朋子が蓄膿チクチヨ酸(地区の地区長さん)や婦人ブチヨさん(婦人部長さん)などの学会員たちによって色々と助けられたり、自分にも親切してくれる姿を見て、その学会員に「創価の心(創価のハフ)を知りました」というような手紙を送るようになるほどすっかり洗脳されてしまい、その後入会してしまった(GAMEOVER)。入会時期は雅美によると母本さんが入信した3年後に後述の膵臓がんの末期になり、その4年後に亡くなるので大体1991年頃に入会したと思われる。
上記の通り、母本さんは膵臓がんになり亡くなるのだが、3ヶ月の命を何と4年もの延命が出来たとのこと。ちなみに母本さんがインタビューされた「ヒューマントーク2」が発売されたのが1998年である。つまり発売されたときに母本さんは病気で死にそうな状態ということになるが、いつ撮影したんでしょうね。
母本さんの死は雅美によって無理やり学会と結び付けられ、医者の努力を一切否定している。ちょーっとついていけませんね。


倉地透について

「Future2」で男子部の石川に迷惑な勧誘をされた人。ここではいわゆるリア地くんについて書く。

現在株式会社マッスルホームの取締役社長で、2016年の時点で16歳と5歳の子供をもち、家族で旅行、サーフィン、キックボクシングをしたり、仲がよいとのこと。日々筋トレで腹筋を鍛えてるらしい。
小さい頃は両親の愛情に恵まれ、活発で明るい性格とのこと。
しかし中学時代に突然いじめのターゲットになる。
このことについてはFuture2ではあまり語られていないが、倉地が通ってた東京シューレのインタビュー記事によると、当時からワルだったらしく、ある日とあるグループのリーダーを怒らせてしまったため殴る蹴るなどのいじめを受けるようになったらしい。
先生に相談したくても自分もワルのグループだったため出来ず、全員を敵にまわした状態だった。
肝心の親というと、小さい頃の愛情はもう無くなってしまったのか、
いじめを受け学校を休もうとする倉地を徹底的に責め、無理やりでも学校に送った。
Future2でも先生などに言っても全然ダメだったということを言っている。
ある日、父が倉地についてカウンセラーに相談したところ、「北海道の牧場に預けてやれ」というとんでもない答えが返ってくる。ちょーっとついていけませんね。
父はその通りに倉地を「せっかくの休みだから」といって騙して牧場に連れて行き、
そこで倉地を置き去りにして牧場で朝5時起きで過酷な労働をさせる。
過酷な労働に我慢できなくなった倉地は牧場の主が寝ている間に逃げ出し、空港で親に必死に謝罪し何とか家へ帰れた。だが自分にこんな苦しい思いをさせた親が許せず、暴れるようになった。
その後、倉地は叔母さんに一部始終を話し、しばらく叔母の家で暮らし、叔母の勧めによりフリースクールの東京シューレに入る。そこでは友達もでき、楽しく過ごせたとのこと。その後定時制高校に進学するもなぜか一週間で辞め、暴走族になってしまった。インタビュー記事ではフリースクールに通ってなかったら今の自分はなかったと語るほどフリースクールの影響力があったらしいのだが、その後なぜ定時制を一週間で辞め暴走族になったか原因がまったく不明である。
18歳のときに男子部の石川に創価学会の勧誘をされる。ただ元々両親が学会員らしく、宗教勧誘をされたというわけではない模様。
またこの時期に自分を北海道に置き去りにした父に言われしぶしぶ知り合いの会社に就職。勧誘されたのが先か、就職が先か詳しい時系列は分からない。
20歳の前に母が亡くなる。この頃から本気で自立を考え、職場結婚した。
23歳のときに工務店に就職。建築士になりたいという夢を持ち、働きながら夜間、専門学校に通い、小3からやり直しの準備講座も受けた。
27歳のときについに念願の二級建築士の資格を取得し、30歳で自分でマイホームも建て、その後、株式会社マッスルホームの取締役社長になる。すごーい(拍手


引用物

追記していくとどこからの情報か分かりやすくなり便利よ!
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