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NG.泣き出しそうな灰色の空を見上げて ---- 「ちょっとぉ……本当にこっちで合ってるんでしょうね?」 ヨタヨタと傷ついた身体を引きずりながら、前を行く子犬に♀アコは問い掛けたが、子犬はあどけない顔で振り返って頭の上に『?』を浮かべただけだった。 「うぐっ……期待なんかしてないわよ……」 がっくりとうなだれながら♀アコは呟いた。 「てかさぁ、ここ、どこよ?」 打ち上げられた海岸から、叩き落とされた崖を目指して子犬に先導を任せたのだが、西の方角――だと思う――をかれこれ一時間以上歩いているのに、未だに目的の崖に辿り着けない。 どころか、何故か密林めいた森の中である。基本的に楽観思考の彼女だが、さすがにここまでくると不安も多少は浮き上がってくる。 なにしろ禁止区域を教えてくれる地図が手元にないのだ。知らぬ間に迷い込んでBANなんてゾッとしないことも起きえない。 そもそも、自分の今いる場所が禁止区域にならないとも限らない。早急に地図を取りに行かないことには、この島で生き延びることはおろか、あの糞ったれな♂クルセイダーに一撃をくれてやることさえ出来やしない。 「だってのにさ~……あ、ううん。あんたを責めてるわけじゃないよ。あたしもツイてないな~ってだけ」 こちらを見上げて悲しげに鳴く子犬の頭を撫でて、♀アコは愚痴の形に固まってた口角を緩めた。 子犬を責めても仕方が無い。こうなってしまったのも、あの時、アイツの澄み切った死人の眼に怯えて隙を見せた自分のミスだ。あの崖から突き落とされて、命があっただけ儲けものと言うべきだろう。 (そう考えなきゃバチ当たるわね。神様ありがとさん) 胸中とは裏腹に雑な十字を切って祈りを捧げ、♀アコは子犬をひょいと抱き上げた。 「ま、なるようになるってね」 子犬が向かっていた方角――だと思う――に足を向け、彼女は再び歩きはじめた。   * * * しくじった―― 全身を苛む雷撃の痺れと背中を走る痛みよりも、仲間の存在に気付けなかった己の凡ミスが口惜しくて、ひび割れた眼鏡の裏でグラリスは涙を零していた。 (なんて……なんてこと……) 擦り傷だらけの身体は、関節のあちこちから油の切れた機械のように軋みをあげている。一歩進むごとに全身が焼けた鉛を流し込まれたみたいに重さを増してゆく。 増してくる身体の重さに比例して意識にも段々と靄がかかる。恋人の抱擁めいた優しい睡魔に、疲労の溜まった膝が勝手に屈しそうになった。 (寝るなっ。シャンとしなさいっ!) 強く唇を噛み、グラリスは睡夢の園に堕ちかけた意識を強引に引きずり上げた。口内にじわりとにじむ血が粘っこい唾と混ぜ合わさって喉に絡み付く。熱を帯びた肺が野良犬みたいに荒く掠れた息を吐いた。 (……野良犬か。今の私に相応しい姿ですね) 自嘲を浮かべようとしたが、頬肉がユピテルサンダーを連続で受けた後遺症か上手く動かせない。 かわりに死霊(レイス)の衣擦れみたいな音がひび割れた唇から漏れた。 (あれはWでは……なかった……) 彼女が妹と思い込んでいたのは、髪形も年格好も良く似た――けれど決定的に異なる容貌の――商人の少女だった。 (つまり私は……まったくの他人を見て動じたわけか……) そして冷静さを欠いた結果が、この姿だ。戦利品を入れた鞄を失い、切り札とも言えたメイルオブリーディングは度重なる魔術による打撃でひしゃげ、防具どころか拘束具同然だった。留め金を切って外さなければ、ここまで逃げ延びることが出来ただろうか。 (彼らが徒党を組んでいたのは幸いだった……) 例外もあるだろうが、優勝者以外の生存者を認めないこのゲームで、徒党を組むことは暗に『我々はゲームに乗ってません』と言っているようなものだ。 そんな連中がこちらを追い掛けてくるとは考え難く、また手負いが故の反撃や罠を恐れて追撃を仕掛けてくる確率は低い。 (早く……どこかに身を隠さないと……) それでも万が一ということもあるし、他のゲームに積極的な参加者が彼女を見つけないとも限らない。 今のグラリスは虎の檻に放り込まれた四肢のない兎も同然。安全な隠れ家を探しだして傷の回復を―― (駄目よ。そんな時間は私には残されてない……っ!) あと6人。6人なのだ。 それだけ殺せばWを助けられるのに、無駄に時間を浪費すればそれだけWの生き残れる確率が減っていく。いつWの名を、あの糞悪趣味なピエロが読みあげるのではないかと、定時放送の度に彼女は神経を擦り減らした。もしも名前が読み上げられたなら、発狂するのは間違いない。 それでも、放送に彼女の名が挙がらないことだけがグラリスの心に僅かな希望を燈していた。 ――それもさっきまでの話だ。 (本当に……この島にWはいるの……?) 沸き上がる黒い疑念。混濁しかけた意識に浮かび上がる疑問。 Wと同じ髪型の少女を見たことが、彼女の希望を揺るがせていた。 (私は、あの広間でWの姿を見ていない……見えていたら何が何でも側に行く……) 憎まれていても、血が繋がってなくても、グラリスにとって最愛の妹の一人だ。少しでも姿を見たなら、ほんの数秒でも手をつないで励ましてやるくらいはしただろう。 だが、参加者たちが一堂に集められたあの場所で、グラリスはWの姿を見つけることが出来なかったのは紛れもない事実だ。 (……いいえ。姿が見えなかったことなど、どうとでも説明がつきますわ) 怯えてうずくまっていたとか、背の低い彼女のことだから人ごみに紛れて見えなかっただけだとか。 (だから、Wが最初から参加していないなんてあるわけないでしょう!) 胸中をドス黒く染める疑念を感情的に叩き潰す一方で、それは溺者が掴む藁のごとき希望だと、グラリスの中の冷静な部分が指摘する。考えてみればいい。GMジョーカーは特赦などと抜かしていたが、そんな特例をこの国の女王が許すだろうか。皆殺しを推奨するこのゲームを生み出したあの女が。 そもそも、あの道化に参加を強制され、この島に連れてこられるまで、グラリスは一度もWの顔を見ていない。 (うるさい……っ!) グラリスは論理的に暴走する理性のベクトルを感情でねじ伏せた。 保証は無くても道化は『10人殺せばWを見逃す』と言ったではないか。助ける手だてがご丁寧にも提示されているのに、それを疑ってWを助けられなかったら、どうするというのだ。 (それに今更、私は立ち止まれないのですから) 既に己が手を血に染めても愛しい妹を救う道を選んだのだ。もはや、立ち止まることも退くことも叶わぬ。この屍山血河をただ突き進むのみ。 満身創痍だろうと、手足が千切れようと厭わない。出会った奴は必ず殺すだけ。 (問題などない。ただ、私は、Wを救うために、あと6人殺せばいいだけのこと……) 止まりかけた両足に喝を入れ、グラリスは再び歩き始め―― がさり。 草を踏み分ける音を聞き付け、手近な茂みの中へ蜥蜴のように伏せた。 (足音――誰か来るっ!?) スカートの裏に仕込んだ長剣の柄に触れたまま、足音の主がこちらに近づいてくるのをグラリスは待った。 最接近まで、あと5メートル。 相手の姿は茂みが邪魔でよく見えない。だが、聞こえてくる歩幅と歩調が、接近する者の正体を女――それも少女であることを告げている。 あと3メートル。 相手に警戒している素振りは感じられない。容易い相手だ。剣の間合いに入った瞬間、喉笛めがけて刃を走らせればいい。 2メートル。 さっきの失敗は相手一人に時間をかけたこともあるだろう。奇襲とは初撃必殺。敵が体勢を立て直す前に制圧しなければ、先ほどと同じ手痛い反撃を食らうことになる。 1メートル。 グラリスの、間合いだ。 勢いよく茂みから飛び出し、突然の出現に戸惑う相手めがけて剣を叩き込――もうとした瞬間、グラリスの視界はワープポータルに突き落とされたようにぐにゃりと捻じ曲がった。 「あ――――」 裂帛の気を吐こうとした唇から、間の抜けた声が漏れる。肩口に鈍器のような硬い塊がぶつかるのを感じ、それが地面だったことに気づいたのは梢の間から灰色に染まりつつある空が見えたからだった。 「ああ――――Wぅ…………」 今にも泣きそうな空。 グラリスが斬り殺そうとした少女が、彼女の顔を心配そうに覗き込んでくる。おろおろと困惑する瞳にグラリスの泥で汚れた顔が映りこんでいる。 (不甲斐ない姉さんでごめんね……) 自分を抱きかかえて呼びかける少女に詫びながら、グラリスは張り詰めた糸が切れるがままに、意識を抗い難い睡魔の手に譲り渡した。   * * * 「ちょ、ちょっと! しっかりしなさいよ、グラリスってばっ!」 茂みから飛び出してくるなり倒れたグラリスを抱きかかえ、少女――♀アコは困惑気味に呼びかけ続けたが、グラリスが目を覚ます気配は一向にない。 突然現れたグラリスは全身に様々な傷を負い、カプラサービスの制服も所々が焼かれたように汚されていた。その筋では高額で取引されているヘアバンドも失い、彼女のトレードマークである眼鏡さえもレンズにヒビが入ってしまっている。 「っていうか、何でグラリスまで、こんなゲームに参加させられてるわけ?」 それにはいろいろな事情があるのだが、INT1の♀アコに分かるわけがない。分かっていることといえば、彼女が重傷を負っているということだろう。 「……とにかく、このままにしちゃ置けないよね……っと! うわ。グラリスってば、見た目よりスタイルいい……」 ♀アコは意識のないグラリスを肩に担ぎ上げると、徐々に青色を失って灰色に崩れてゆく空を見上げてつぶやいた。 「あちゃあ……さっきまであんなに晴れてたのに。もしかして、一雨来るのかなぁ?」 だとしたら、降られる前に雨をしのげる場所を探さねばならない。ようやく乾いたのに、またずぶ濡れにされるのはご免こうむりたいところである。 「……ま、なんとかなるでしょ。考えたってしょうがないしね」 あっけらかんと言い放ち、♀アコはまっすぐ歩きはじめた。 <♀アコライト> 現在位置:E-7と6の境(本人はわかっていない) 容姿:らぐ何コードcsf:4j0n8042 所持品:荷物袋・地図等含めすべて崖の上(D-8) スキル:ヒール・速度増加 備考:殴りアコ(Int1)・方向オンチ 状態:体力は半分まで回復 <グラリス> 現在位置:E-7と6の境 容姿:カプラ=グラリス 所持品:TBlバスタードソード 普通の矢筒 備考:メイルオブリーディングは破棄。剣はスカート裏の鞘に収めている。 状態:左脇腹負傷 全身に感電による軽度の火傷。気絶中。 関連話:[[150.地図>2-150]] ---- [[戻る>第二回NG]]

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