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*ジェノヴァ
**ジャーノ・フレコーゾ
調査中。
**トラジェット侯爵夫人
ジュリア・ディ・ゴンザーガ。トラジェット侯爵の未亡人で、絶世の美女と謳われた人物。どれくらい絶世かというと、当時世間で恐れられていたイスラムの海賊ハイルディン氏が、夜陰に紛れてこっそりさらいに来ちゃうくらい。その時彼女は危険を察し、パジャマのまま馬にまたがって無事逃れたという。意外としっかりした女性のようだ。
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お裁縫とお料理を教えてくれる、意外と家庭的な女性のようだ。
*ピサ
**ガリレオ・ガリレイ
1564年~1642年。
物理学者、天文学者。地動説を唱えたことで教会から異端者扱いされた人物。「それでも地球は回っている」
重いものも軽いものも同じ速度で落下することを発見したり(当時は重いものほど速く落ちると思われていた)、望遠鏡を改良して天体観測を行い、多くの発見をした。
*ナポリ
**国王フェデリーコ
?~1504年。
ナポリ王。フランス王ルイ12世に攻められてフランスに連行されるが、そこで悠々自適な隠居生活を楽しんでいたらしい。
彼以降、ナポリは長くフランスやスペインの支配を受けることとなった。
**トマス・カンパネッラ
1568年~1639年。
修道士、哲学者。著作が教会の目に留まり、異端とされて宗教裁判にかけられたが、志を変えることなく主張を貫き通した。そのため幾度となく捕えられ、実に25年以上も獄中生活を送る羽目になった。最後は身の危険を感じてフランスに逃れ、パリで客死した。
ガリレオとも交流があったらしい。
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ヘブライ語を教えてくれる。聖書はヘブライ語だったらしいから、妥当なところか。
**楽師ジェズアルド
1566年~1613年。
カルロ・ジェズアルド。貴族、作曲家。その作品は独創的というか奇抜というか、とにかく同時代人には理解されず、ようやく評価を得たのが20世紀に入ってからだというのだから、時代を先取りし過ぎちゃった人なのだろう。
私生活では不倫した妻を不倫相手もろとも惨殺した挙句さらし者にしたり、幼い我が子を不倫相手の子だと思い込んで殺したり、再婚相手を虐待したりと、どこまでほんとかは分からないが、結構無茶苦茶やっていたようである。晩年はうつ病に苛まれ、創作を続けながら孤独に死んだ。
作品だけでなく、その生涯もまた、後世の作家に大きな影響を与えた。
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楽師を名乗っていることから、家督相続前の気楽な身分であると思われる。なぜか釣りと採集を教えてくれる。アウトドア派だったようだ。
*シラクサ
**ジェーム王子
オスマン帝国第7代スルタン・メフメト2世の子。第8代バヤジット2世の実弟である。
反逆罪で国を追われ、ローマで亡命生活を送る。その後フランスへ身柄を移されることになったが、移動中に病死した。マラリアであったと言われるが、毒殺されたとの説もある。
なお、当時こんな手紙がローマに届いたらしい。
>親愛なるローマ法王さま
>私の弟は異国の地で心細い人質生活を送っていることでしょう。
>兄として不憫でなりません。
>弟をこの苦しみから解き放ち、神の御許へ送っていただけませんでしょうか?
>もし望みを聞いていただけるのでしたら、お礼に30万デュカート差し上げます。
>スルタン
美しい兄弟愛である。
*ジェノヴァ
**ジャーノ・フレコーゾ
調査中。
**トラジェット侯爵夫人
ジュリア・ディ・ゴンザーガ。トラジェット侯爵の未亡人で、絶世の美女と謳われた人物。どれくらい絶世かというと、当時世間で恐れられていたイスラムの海賊ハイルディン氏が、夜陰に紛れてこっそりさらいに来ちゃうくらい。その時彼女は危険を察し、パジャマのまま馬にまたがって無事逃れたという。意外としっかりした女性のようだ。
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お裁縫とお料理を教えてくれる、意外と家庭的な女性のようだ。
*ピサ
**ガリレオ・ガリレイ
1564年~1642年。
物理学者、天文学者。地動説を唱えたことで教会から異端者扱いされた人物。「それでも地球は回っている」
重いものも軽いものも同じ速度で落下することを発見したり(当時は重いものほど速く落ちると思われていた)、望遠鏡を改良して天体観測を行い、多くの発見をした。
*ナポリ
**国王フェデリーコ
?~1504年。
ナポリ王。フランス王ルイ12世に攻められてフランスに連行されるが、そこで悠々自適な隠居生活を楽しんでいたらしい。
彼以降、ナポリは長くフランスやスペインの支配を受けることとなった。
**トマス・カンパネッラ
1568年~1639年。
修道士、哲学者。著作が教会の目に留まり、異端とされて宗教裁判にかけられたが、志を変えることなく主張を貫き通した。そのため幾度となく捕えられ、実に25年以上も獄中生活を送る羽目になった。最後は身の危険を感じてフランスに逃れ、パリで客死した。
ガリレオとも交流があったらしい。
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ヘブライ語を教えてくれる。聖書はヘブライ語だったらしいから、妥当なところか。
**楽師ジェズアルド
1566年~1613年。
カルロ・ジェズアルド。貴族、作曲家。その作品は独創的というか奇抜というか、とにかく同時代人には理解されず、ようやく評価を得たのが20世紀に入ってからだというのだから、時代を先取りし過ぎちゃった人なのだろう。
私生活では不倫した妻を不倫相手もろとも惨殺した挙句さらし者にしたり、幼い我が子を不倫相手の子だと思い込んで殺したり、再婚相手を虐待したりと、どこまでほんとかは分からないが、結構無茶苦茶やっていたようである。晩年はうつ病に苛まれ、創作を続けながら孤独に死んだ。
作品だけでなく、その生涯もまた、後世の作家に大きな影響を与えた。
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楽師を名乗っていることから、家督相続前の気楽な身分であると思われる。なぜか釣りと採集を教えてくれる。アウトドア派だったようだ。
*シラクサ
**ジェーム王子
オスマン帝国第7代スルタン・メフメト2世の子。第8代バヤジット2世の実弟である。
反逆罪で国を追われ、ローマで亡命生活を送る。その後フランスへ身柄を移されることになったが、移動中に病死した。マラリアであったと言われるが、毒殺されたとの説もある。なにせ当時のローマはボルジア親子が牛耳っていたのだ。
なお、当時こんな手紙がローマに届いたらしい。
>親愛なるローマ法王さま
>私の弟は異国の地で心細い人質生活を送っていることでしょう。
>兄として不憫でなりません。
>弟をこの苦しみから解き放ち、神の御許へ送っていただけませんでしょうか?
>もし望みを聞いていただけるのでしたら、お礼に30万デュカート差し上げます。
>スルタン
美しい兄弟愛である。
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