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アラム・ハチャトゥリアン

概要

Aram Il'ich Khachaturian
1903-1978

ソ連の代表的作曲家ハチャトゥリアンは、げんざいのソ連邦の一つ、外コーカサスのグルジア共和国出身のアルメニア人である。アルメニア人というのはイラン系民族で、古代には王国を形成したこともあるが、西暦紀元以降は、多民族の制服を受けることが多く、とくにオスマン・トルコ帝国の治下で民族は離散し、中近東諸地域、ロシア寮内に移住するものが続出した。ハチャトゥリアンはグルジアの首都トビリシに生まれたが、彼の両親はその少し前にアゼルバイジャンから移住してきたばかりであった。ハチャトゥリアンは19歳まで正規の音楽教育は何も受けていなかったが、外コーカサス地方のさまざまな民族音楽に親しむ機会は多く、ハチャトゥリアンの音楽性を考える上に、これらの民族要素は重要な意味をもっている。
1922年にモスクワのグニェシン音楽学校に入って初めチェロを、続いて作曲を学んだ。1929年には音楽院に移り、ミャスコフスキーに師事し、ロシア音楽の伝統的手法をマスターして1934年に卒業した。
1936年に「ピアノ協奏曲」で認められて以来、作曲家としての地位を確立した。

代表曲