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2曲目も佳境に入ってきたのでここらでちょっと全体の音量を確認。
「ダムにて」で一番小さいのは冒頭のp。「もっとふかさをもつように」も小さく作りそうだけど、指示はmp。
逆に一番大きいのは「はしってゆく」のfff。ここは後にクレシェンドとかがない。ただアクセント記号がある。組曲全体で一番大きいのは曲の最後「そのフィナーレ ああ」でfffからクレシェンドしてピアノパートがsfffアクセントスタカート付きで終わる。
最後の最後にあるクレシェンドなどは気合や勢いやなんかの間違いでやたらめったら出すという選択肢もありそうなところなので、「ダムにて」の最後のfffは文字通りかなり大きいという判断でもよさそうである。
ただ、川がだんだん大きくなる様子を組曲全体で捉えると、しかしまだまだフィナーレではないのだからということで、一段か場合によっては二段分くらいパワーを残した演奏でもよさそう。「ダムにて」のここから先のボリュームを後ろから追いかけてみると、最後がfffで、クレシェンドしてそこに行き着くもとの大きさはffのマルカート。さらに一歩戻ってみるとffのアクセント。「自然に育てられた愛が」についているたくさんのクレシェンド記号の手前がf。
ということは、この「かわは、かわは」と歌うfは、この曲だけを見ても数段階、組曲全体ならもう1,2段階分くらいの余力を残した大きさだということになる。直前はpで終わっているし、フェルマータと二重線でしっかり音楽を切ってから飛び込んでくるので、フォルテと感じ様のあるボリュームならそのうちの出来るだけ小さいところから入ってくるのでよさそう。
生きた音楽を作る上で重要なのは変化をつけること、あるいは変化を強調すること。もちろんそこでの節度の持ちようは社会適合しづらい芸術家といえど十人十色で、テンションが高ければいい音楽というわけではありません。しかし、アマチュアならテンションがありすぎて困ることは稀なので、いつも多めに表現すると心がけるほうが良いでしょう。
そういう意味でひとつの格言。
  クレシェンドをみたら、ピアノと思え!
油断すると、クレシェンドから大きくするので、大きいという印象を持ってしまいがちですが、これから大きくするのだから今は小さいはず。というよりもむしろ、これから大きくしていくためにも、さっきより小さくはじめるくらいの勢いが欲しいぞ、ってこと。
よくよく考えてみればここはleggiero(軽快に)の指示があるわけ。だから大きくても、決して重くなくつくりたいところ。
「もっと重さをもつように」と言われて、ちょっとは重くなったところを見せ付けたいところかもしれませんが、どちらかといえばなんだかんだ言っても、いやぁ若いっていいねぇ、と言いたくなるような無鉄砲さを残していてほしいなぁ、って思います。だから、軽くてもいいんじゃないでしょうか。そう思えば、この期に及んでまだleggieroという指示が出てくる理由になりますよね。