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魅せる演奏

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chikugogawa

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いつだったか、とある音楽系の番組で著名なバイオリニストが話していたこと。「簡単なところは難しそうに弾く。難しそうなところは簡単そうに弾く。」そのほうがお客さんがありがたがってくれる。
姑息というか、プロ魂というか。
さて、「ダムにて」。曲の構成上、盛り上がりの頂点は「はしって」の小節にある。ソプラノについていえばこの曲での最高音である高いラ♭を4ヵ所で歌ううちのひとつがここ。ピアノパートに限っていえば、この曲はやたらffが多い曲であるものの、fffになるのは
  •  「みなかみ」のラスト
  •  「ダムにて」の「はしってゆく」
  •  「河口」の「ありあけの」
  •  「河口」の「そのフィナーレああ」
の4ヶ所だけで、さらに「ダムにて」と「河口」のとどめにあるsfffが最大音量。

先のバイオリニストに従えば、ソプラノは高い音を平然と歌ってみせるのがかっこいい。でも、多分そんなことができる奇特なメンバーは珍しいと思うので、そんなこと求めません。持てる技術を駆使してしっかり歌ってください。必死だったねって笑われるのも一興かと思います。

ところがこの小節でのピアノパートのfffの左手。ここはピアノパートに直前の音がなく、(そこでソプラノが最高音を出し)、合唱が8分休符で音を失っているところでfffのBオクターブのみ。記号はアクセントとテヌート。盛り上げきったところでのこの音の受け渡しという作曲技巧で、この左手はピアノが非常においしい設定になっている。ただ、とはいうもののただの左手のオクターブ。
何も考えなければしっかり大きな音で弾けばよい、ただそれだけの音。Allegroでテンポの小気味よさも重視したいところだけに、とくに何が出来るわけでもない。だから坦々と弾くのが正解。
いや、そうでしょうか。お客さま、聴衆の立場からしてみれば、中盤で一番の山場の一番おいしいところで、ピアノだけがジャーンとなるところ。ぜひここで感動したい、させたい、そう持っていきたい。実際のところ渾身の魂が込められているかどうかはともかくとして、まるでこの一音に、巨大なダムにせき止められていた野心と愛情と汗と涙が、ぶぅわっと開放されたその瞬間を凝縮した描写が、体現されていてほしいなぁって思います。
まぁ濃い演奏好きなオイラがそう思っているだけだけど。
これは指揮者マターじゃなくて、ピアニストの趣味によるところが大きいかな?



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