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前奏がない 伴奏がない

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chikugogawa

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節操がないのはわたしですが...w

「しずかに」というテキスト。中流域の川の穏やかさ。前後の曲の壮大さを演出するためにあえて非常に小さな音量の曲を挿入するという技法。Teneramenteでlegatissimoともなれば、書いてなくてもその音量はppだろうなと。ピアノパートは仮にあったとしても逆説的な静寂を表現できる程度。ここではそもそもピアノなしが選択されたようだ。曲の冒頭に前奏はおろかピアノパートが随伴しないのは「みなかみ」でも用いられた手法なので、ややネタがかぶった気もするのだけど、単調な繰り返しだけのみなかみ冒頭とは異なり、銀の魚の冒頭はいわゆる合唱曲らしい曲をひとまとまりしっかりアカペラで書いてある。
しかもたちが悪いことに、そのひとまとまりの一番最後の音にしっかりかぶせるようにピアノが入ってくるから、ピッチが狂ったら、ページをめくった最初の小節が崩壊する。

この曲を委嘱した久留米音協合唱団は、プロではない。初演の2年後に『筑後川』の2,4,5番を歌って全日本合唱コンクールの全国大会で銀賞を収めたというレベルの合唱団だから、決して巷にあふれている何となく歌っているだけの合唱団でもなかったようだし、まして中学校の合唱コンクールのレベルと比べれば段違いだろう。とはいえ、高さを保つというのは厄介な話。作曲家が組曲の5つ中2つでアカペラ始まりを選択するのを躊躇しなかったことを思うと、そのあたりには信頼を置かれる程度の人たちだったのだなぁとちょっと感心してしまう。

厄介ごとはそれだけではない。前の曲が、べたべた、ミ♭、ソ、シ♭の和音で終わって、ソシレの和音で始まる。どのパートも前の自分の音からはちょっととりにくい。慣れればなんてことはない音だけど、いきなりはちょっと。

わたしは高校生のとき、この「銀の魚」だけを抜粋してやるってことでこの組曲に出会ったので、思い出深い曲です。その程度ではなく、わたしが何もなくソの音を出そうとするときはこの曲を思い出して出すことが多いくらいの染み付いた曲。だから特に苦もなく歌えるのだけど、慣れないと大変かなぁ。
ただ、前の曲から音が取れることがこの組曲の本質ではないし、2曲目と3曲目はアタッカでつながっているわけでもなければ、精神的に途切れることが許されない曲でもない。もし組曲全体の演奏会であっても素直にピアノで最初の音を確認して、合唱団のみんなが安心して歌える状態で歌うという選択肢は何も間違いではない。
ただこの音楽の曲想を考えると、あまりずかずかとぶった切るのも美しくないので、補助の音を出すときに、これから始まる音楽と同化できる空気の中で、そういう呼吸で出して欲しいな、とは思います。


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