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4小節目のディナーミクはmp。そこまでアルト以外はppなので、pを飛び越えて突然大きくすることになる。3小節目でアルトが一山作っている分、唐突さは和らぐものの、歌う側は何となく大きくなるのではなく、2レベルアップなのだかいう多少の意識は必要だと思う。
ところがこの小節に向けてブレス記号はない。前に指摘したように、この曲ではやたらとブレス記号を書いてあるので、ブレス記号のないところはパートや団として揃って切る、あるいはためるという流れを作らないと見るほうが自然。だけど久留米音協のCDを聞くとここにタメを作っている。アルトの装飾音の影響もあるし、音量が2レベルなのもあるから、ブレスは書いてなくても音楽の切れ目を感じなくはない場所だ。テキストから見るとむやみに切る場所ではないものの、切れてもいいかもという微妙なポジション。ってことで指揮者マターなところですので、よく見ましょう。

作曲技法として秀逸と思うのが5小節目1拍めのタッカのリズム。ピアニッシモとかレガーディッシモとか、しずかに水面を揺らさないような繊細さと緊張感が4小節続いた流れからならなかなか付点音符は出てこなさそうなところで、敢えて全パート揃ってこのリズム。すでにアルトでこぶしを利かす小技が披露されているところではあるけど、装飾音符は合わせるのは難しくても意見の相違が出る性質のものではない。ところがタッカのリズムは解釈の余地が広い。必ずしも長さを守る必要があるわけではないというあたりは、楽譜から音楽を読み取る自由度として代表例で出てくるような話題。付点の音符をテヌート気味に演奏するか、すぐに引いてしまって跳ねた感じを強く演出するか、軽くアタックしてみるか、16分音符をスタッカートつきのようにやってみるか、など選択肢は広い。小節頭だし、歌詞の自立語部分であることもあり、ややはっきり表現できる箇所。

このアカペラ部分の演奏の基調を乱さず、しかし観客をあきさせないための仕掛けとなりうる組み合わせ。音楽は自由なものかもしれないけど、納得できる、納得させられる音楽の組み合わせは、膨大な選択肢の中に転がっている、わずかな可能性のことではないだろうか。決して自由気ままないい加減さの帰結を指しているのではない。烏合の衆を導く舵取り役の責任は重いだろう。どんな風に漕ぎ出すのか、指揮者マターとはいえ、合唱団ひとりひとりの積極性にも期待したい。