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意外性があるなら、そこは多分何か隠してあるところ。

「銀の魚」6小節目。冒頭ppで始まったこの曲は3小節目でアルトが膨らんで、4小節目でmp、5小節目でテナーが膨らんで、この6小節目1拍目で男声がmf。そして7小節目に向けてクレシェンド。
この「だんだん大きくなる」という流れに自然に乗ると、女声6小節2拍目はmfあたり、あるいはそれよりも強い音量で入ってくるのが自然。歌詞を持っている男声の邪魔をしないという発想にしても、1拍遅れて入るし、そうそう邪魔にはならない。せいぜいmpくらいの指示でいいはず。

ではなぜmpでもなくpなのか。

もちろん一つの面白みのない答えとしては、6,7小節でのクレシェンドを大きく作って、8小節目のtuttiをこれまでよりも大きく、でも絶対音量として大きすぎないように作ろうと思ったので、テキストを持ってない女声を小さいところから入れることで、つじつまを合わせたから、というのもあると思う。

しかしそれでは歌詞にない「あ」をわざわざもってきたほどの理由がわからない。

テキストを表面的に読んでみると「…漕ぎ出した、川の男の…」。やや田舎な地方公共団体の観光課がパンフレットに載せいて何の違和感もない風景写真。緑の樹木、深い緑の川、木船、編んだ笠、木綿の服。自然と天然素材の中に日に焼けた寡黙な青年。そんな絵が思い浮かぶ。

一つの理性的な答えは、そういう光景に純粋な美しさを見出した女性が「あぁ、すばらしい景色」と、(歌詞にもないのに)思わず声を発してしまったという状態。それをここで演じればよいというもの。
5小節目まで情景を描写する側にいた女声は、ここで客観的、内面的な立場に移って、1拍だけながら一段と大きくなって入った男声合唱を評価、同意、呼応する形で吸い込まれるように、しずかに「あぁ」と入り、そのまま気持ちが高ぶってクレシェンドし、次の言葉からは男声に合流する。

ここで重要なのは音量が小さくなることで気持ちの高まりを抑えてしまわないこと。むしろ高まりすぎて小さくなったくらいの演技が欲しい。

このネタは明日も続けます。

なお写真は鳥取河川国道事務所主催の「第15回千代川写真コンクール」の銅賞受賞作品で、棟尾亘博様の「朝の出漁」です(無断引用)。
http://www.tottori-mlit.go.jp/river/museum/photo/1505.html


  
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