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人は色を見分けるように、音の高さを聞き分けることができる。
いまどき電器やさんに行けばいろんな薄型テレビが置いてあって、同じ番組を見ることができる。テレビなんかどれも同じ色かと思いきや、少しずつ色あいが違う。肌がちょっと赤っぽいかどうかの差は大きいと思う。どれが良いとか、このメーカーの色使いは*○×△で、とか語りだせたらむしろ痛い人かもしれない。でも、健康な視力があれば育ちのよさとかとは無関係にその差がわかる。違いがわかる2つの画像を10秒間目を閉じた後に同じ映像で見せられれば、さっきのがどっちだったか、答えられるだろう。その程度の記憶力は普通の人ならだれでも先天的、つまり自然に備えている能力だ。
音についてもそうだ。音楽教育を受けたかどうかということと、同時に鳴っている音の高さの差を認知する能力とはあまり関係がない。ただ、それを意識してみようと思うか、その差に気づいたことをさらにどういう感情や行動と結び付けるかは教育や才能など個人差や後天的要因に左右されうる。

いろいろわけがあって伴奏楽器なしで歌を歌うと、音の高さはピアノなどで引き続けたとしたときの高さと比較して、だんだん低くなることが多い。そういうものだから。
「銀の魚」冒頭1ページを歌うと、油断すればページの終わり頃には少しくらい下がっているのが良くあること。あっちゃいけないけど、実際には良くある。
狭い意味での絶対音感というものを持ち合わせていなくても、人はさっき鳴っていた音の高さを記憶することができる。ではピアノパート抜きで歌ってきて、「たくましい」と歌っている音が下がっているかどうかを判断できるかどうかでいうと、、、それはやっぱり難しい。残念ながら難しい。
しかし正しい音での練習を繰り返すと、なんとなく正しい音にある程度はなじんでくる。それよりも練習で身につけてほしいのは、自分たちがどの程度下がりやすいのかという、己を知ることと、メンバーの中でだれが中でも正確な音を出せる人なのかを知っておくこと。そして、どうついていけば正しい高さでいられるのか。

ページをめくったとき、合唱とピアノがソシレの和音を鳴らす。ピアニッシモながら、高さの正解、不正解を聴衆が感じ取るには充分な音量と時間が用意されている。あまり情けないことはしたくない。1ページ目の下段あたりからは、とらわれすぎる必要はないまでも、正しい高さへみんなで力を合わせてほしい。もし違ってたら、1小節で取り返そう。