※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。



練習場の片付けやってて思い出したんだけど、グランドピアノのカバーを一発で掛けようと思うと、YAMAHAって書いてあるところをつかんで、正面からぱっとひらくと、時々うまくいくんですよね。ちょっと投網っぽい。

さて、2度目の「投網がふくらむ」の楽譜面を見てみよう。
その2小節前からフォルテで始まり、わずか2小節でわざわざブレスをとらせてくれて、ベースがフォルテ始まりだから、他パートもフォルテのままここに飛び込んできてと考えることができて、そこから「投網が」で一つクレシェンド、そしてさらに「ふくらむ」の「む」で追加のクレシェンド。この伸ばしているところのピアノパートを見るとアクセントつきのsfで鋭いリズム。そして合唱も最後の音をスタカート&アクセントで締める。大変激しい。楽譜面は兎も角激しく書いてある。

目に飛び込んできた指示に即座に反応できるのはとりあえずいいことだ。だからここをぐわっと大きく歌うのは、まず楽譜に書いてあることをやってみよう的な観点では正しいし、この曲をまじめに選択する合唱団のレベルから言えばそのくらいまでしかできないことも多いとは思う。高い音を勢いだけで歌ってしまうというのは技術的にそれ以外の選択肢を持たない人もいるのだから、一概に悪いとは言えない。ちょうどそれぞれのパートにとって最も大きな声で出しやすいだろう音域に持っていって、フォルテからクレシェンドといわれれば、とりあえず思考を持たないことで有名なテナーあたりは容赦ないクレシェンドをするかもしれないし、見せ場の少ないベースはここぞとばかり吠えてみるかもしれない。

だけどそれじゃお子ちゃまだ。幼過ぎ。描かれているのは所詮静かな川面に投網が膨らむ様子。一部の大規模な合唱曲のラストで絶叫しているのとはまったく異なる。少し考える程度でも、なぜsfまでついているのかわからない、と引っかかるはず。少しは描写する情景を考えてみろ、といいたい。

でもこれって、実のところあのシーンの暗喩ですよね。だから激しくていいのは?
って思って、そこまで考えてそれができるなら、ちょっと赤面ですがありかとは思います。でも、いちおぼくら中学校なわけだし。もうちょっと清い関係がいいなw。

実際に出す音量分以上におなかの支えをしっかり使って、のどだけで作ってしまわない。激しい若さの情熱が色に出でにけりって程度のさりげなさ。

そんなわけで「ふくらむ」の「む」をクレシェンドしながら伸ばすところは押さない!
よろ。



  
添付ファイル