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どうでもいいけど、イタリア語だと、さざ波を立てるのもしわが寄るのも髪が縮れるのも同じincrespaturaなんですよね。ここでその連想はまったく不要でしょうが。

練習で何度も指摘されていることですが、この「さざなみがわく、さざなみがひろがる」と歌っている間、ピアノパートは細かくトリルやってます。まぁ團ちゃんなりに漣を描いているんでしょう。音楽的にはピアノがあっちの世界に行っちゃって、ある意味伴奏はしてないので、合唱は合唱でうまく作んなきゃいけません。

構成を眺めてみると、まず低声だけで入ってクレシェンド、遅れて高声が入ってデクレシェンド。もう一回、今度は高声だけが入ってクレシェンド、遅れて低声が入って、今度はさらにfからクレシェンド。伸ばしている音にトリルをやめたピアノパートがフォルテ基調からアクセントやテヌートを伴って広い音域でクレシェンドの上昇音形。
テキスト無視でこの5小節を見れば、かなりねちっこく、かつ激しい音楽が要求されていると感じられる楽譜。だけどテキストの主要キーワードは「さざなみ」。つまり“小さな”波。特殊な現代曲をやっているわけでもないのだから、ここを激しく、荒々しく、むやみ大きな声を張り上げて歌うのはいくらなんでもおかしい。

いや、激しいことはおかしいだろうか?かつてこの川はダムで雲を映すことができるほど凪いてみせることもでき、ほとばしる熱情を持ってここまで下ってきた。5曲中の第3曲。人生になぞらえるにしてもまだまだ若い。とはいえもはや子供ではない。描かれる川、暮らし、愛情表現は、静と動が表裏一体となり揺らぎの中であるときは深くたくましく、と思えば清く。穏やかな川面だからこそ描かれる波紋。静かな中の営み。恍惚。「ゴースト ニューヨークの幻」ならロクロを回すシーンだ。どう考えてもエロい。いや、俺が考えるからエロいのか。ともかく、それはある意味の激しさであり静けさと同居できる。大人ならできる。

それを歌にするなら、とりあえずテクニカルにはテンポをルバートにすることだろう。そしてディナーミクの変化を大きめに、つまりクレシェンドもデクレシェンドもモルトってことで。一応、「さざなみ」という言葉に敬意を表して、最初のsの子音とつぎのzの子音を長い時間を使ってしっかり立てると、乾いた音のおかげでそれなりな音量でも“小さな”感じが演出される。そして最後の4拍伸ばしを目いっぱい伸ばして遠くに投げ出すように音を終える。
 という風に作っていれば、すぐ後の音はちょっと小さめで出られるし、その次の下の段に移ったあとはrit.するしかない音楽になるし、もはや二重線でも引いて仕切りなおさないと音楽が戻ってこない状態まで持っていけるはず。だから、この先の音楽ともぴったりだ。
まぁ、ほんと指揮者マターなんですけど。