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昨日の続き。
たとえば、やや無理やりながら、日本語で一定のリズムをもつ詩をつくるとこうなる。(無意味ですが)

今日からコーラスとっても貢献
強敵ロータスがっちり剛健
教師はノーミス絶対条件
恐怖のオーラスやっぱり冒険

タータタ タータス タッタタ タータン

たとえばラテン語のように長母音と短母音が明確に分かれていて適当な比率で混ざっていると、こういったタータタみたいなリズムの出現頻度が上がるし、もともと格変化で語尾が数音節分、よくある語尾になるので押韻も踏みやすい。それを言えば日本語も「です」「ます」とかで語尾をそろえることができるけど、なんかそれだと味わいがないよね。
1文節の音節数が、人間としてもっとも数えやすい2とか3じゃなくて、簡単に5とかあるいは7くらいまでになる。だから古代の西洋文学にあったような、また、上記例のような短い組み合わせよりも、五七調、七五調という単位に落ち着いたのかと。
和歌や俳句が成立の過程で頭韻、押韻、イントネーションやアクセントをそろえることには精力が注がれなかったみたいですね。変わりに季語を入れるとかの方向に走った。

日本の古来の音楽については詳しくないのだけど、歌会始の人が歌をよみあげるときも、詩吟でも、そのほかのケースでも、抑揚はつけずに、とにかく伸ばす。聴き所を間違えているのもあるのだろうけど、あぁいう日本らしいはずのものに日本語を感じてはいない。

上に挙げた例みたいなのってのはようやく最近になってラッパーによって生まれ始めた詩の領域じゃないかな。
こういう場合は、短くとらえるから、それぞれ語頭にアクセントを感じて音楽作りに入る。でもたとえば実は「絶対」に裏があるんだよね。「ぜったい」を一語でいうなら平板型でLLLLというアクセント。だから気持ちをこめた音楽で語頭にアクセントをつけても不自然じゃない。でも「ぜったいじょうけん」とつなげると「ぜったい」は尾高型に変わってLHHHになる。強いて言えばアクセントは「た」についているというべきか?日本語って難しいよねぇ。
ちょっと話がそれた。

でも、だからといって西洋音楽風の歌を歌うときに、日本語の語感というものを忘れていいわけじゃない。でもアクセントというときには注意が必要。たぶん、そう。