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シームレスな展開

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chikugogawa

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山場を越えて、でもあくまでも軽やかさを忘れない音色で「ぎんのうお」と16音符の刻みを入れる。ベースだけは最後の音で高くなるので油断すると大きく歌ったしまいかねないが、あくまでもデクレシェンドの中。他のパートと同じように収めに行かなきゃいけない。

さてそのあと。再びlegatissimoのハミングになる。もし、この曲特有の不自然なブレス指示を完璧に無視してよく、曲の構成を深く考えずに、前後のブレス記号を隠して、ごくありがちな演奏をするのであれば、「ぎんのうお」と歌ったあと、つまりハミングに入る直前で全員揃ったブレスをとる。
しかし、ここに明示的なブレス記号はない。さらに男声はその2拍後にブレス記号がある。そこで選択肢が2つ:
1) ここは切る。なんとなく自然に切れてブレスして、いい形ではじめる。
2) ここはつなげる。つなげるといった以上、絶対ブレスをしてはいけない。

油断すれば1)を選択してしまうだろう。
問題は2)を選択するときの理論武装と、実践的テクだ。
まずはそこに休符もブレス記号もないから。この曲はブレス記号の扱いが細かい。作曲家團伊玖磨の代表作で作曲家自身が特に気に入っているのがこの「銀の魚」。しかも、作曲から30年以上経て、楽譜は私ので、はや74刷。作曲家自身が初演し、その後何度も初演団体と競演している。なんとなく楽譜に誤りがある可能性は低い。その楽譜のこの部分にブレス記号がない。ピアノパート見ると右手も左手も山場からハミングに入って2拍目までが続いた音で、デクレシェンド記号がそのままつながっている。合唱の音量もデクレシェンドしてそのままピアノで入ることができる連続的な書法。発声上もつなぐ歌い方がありえないほど難しいわけではない。多少ブレスが厳しいだろうから、カンニングブレスを念頭に置きたくなる人は増えるだろうけど、とりあえずは可能なはず。そう、つながるという選択肢の可能性が見えてきた。

ではつなぐとどうなるのだろう。
ひとつは「不自然さ」。当たり前のことが続くと違和感がない美しさがあるものの、退屈さもつきまとう。芸術には意外性や独創性、揺らぎや対比が必要だ。普通なら切れて当然の音楽をつないでみせることで、特別なメッセージを送ることができる。
また、ほかには「連続性」。新たな場面になったのではないということを示す意図。
あるいは音楽に冒頭の音楽を持ち込む力。『筑後川』では頻繁に、冒頭の音楽が帰ってくるという書式がとられているけど、それは安易に書かれるべきものじゃない。そのためのエネルギーのようなもの。
またあるいは、曲の山場の直後に一気に音量を絞って、pでハミングにするという劇的な展開でやらざるを得なかった流れ。

つなぐのであればそれは「不自然」なことで、「不自然」なことには明示的な意図が必要だ。特別なメッセージ。このハミングへの展開で、そしてこのハミングで何を描写し、何を演じるのか。


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