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さて「銀の魚」もあと3小節。直前の動きである「とらえるのだ」をデクレシェンドで終えていて、フォルテからの大きくしてまた戻す音量の動きを考えてみると、ちょっと小さくなって、このフォルテに落ち着く。この点でまとめに入っている感がちょっとある。

さらにほとんど同じ動きである1ページ前の山場の「朝日にはねよ」を見てみると、ソプラノが先行する動きと、クレシェンドの有無が大きな差。楽譜上のねちっこさがあきらかに少ない。

そしてさらに最後の「魚」の「お」がデクレシェンドした先でテヌートなしにスタカートなので、音楽的にかなり軽い。

しかしあくまでも音量はフォルテで始まる。

となればこの2小節、2度目の「朝日にはねよ」は解決に向けた開放感を伴って、軽くて大きな音楽でいいってことになる。そこに飛び込むことになるそのまえの「いきのよい魚をとらえるのだ」も、同じ意味で軽くて大きいという解釈が自然だろう。というのは昨日書いたとおり。

ただ、比較論ではそうであってもフォルテなんだし、全曲中で言えば複雑な和音を使っているし、アルペジオ、テヌート記号とten.という直接表記の併記、わざわざ1度目の「朝日にはねよ」とピアノパートを部分的に書き換えることを重視して、「はねよ」のテヌートまではしっかりちゃんと音楽を作っていくという姿勢もありえる。その流れで2度目となるこのテヌートをかなりしっかり伸ばしてみると「銀の魚」の手前で軽くいい直しが入るのも重要な選択肢になる。ただ、その直後に「魚」の「お」についているスタッカートで音楽をとめてハミングに飛び込み、それこそがlungaという動きと内容がかぶってかなり濃くてくどい演奏にもなりかねないのでそのあたりのバランス感覚にはかなり注意が必要。