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今日、四月二五日は旧暦でいえば三月二四日。八百二十一年前の元歴二年に山口県下関市、当時の長門国間関壇ノ浦で治承・寿永の乱最後の戦いが行われた日。
いわゆる源平合戦の壇ノ浦の戦い。

わずか二歳で即位した安徳天皇は平清盛の孫。清盛の死後、滅んでいく平家の象徴として、最後の戦いである壇ノ浦で最期を迎えられた。この第八十一代天皇は、記録上最も幼くしての崩御。祖母にあたる平時子(清盛の妻で、出家して尼になり二位殿と呼ばれていた)に抱きかかえられ壇ノ浦で入水する様は、平家物語の中でも非常に有名な涙を誘う場面。
平家物語にはいろんな本があります。
http://www.j-texts.com/
流布本と呼ばれる本ですが、読みやすいよう、漢字を当てはめてみましたので、肝心な部分をべったりと。

主上、今年は八歳にぞならせおはします。御年の程より、遙かにねびさせ給ひて、御形、慈しう、あたりも照り輝くばかりなり。御髪、黒うゆらゆらと、御背中、過ぎさせ給ひけり。主上あきれたる御有様にて、「そもそも尼ぜ、我れをばいづちへ具して行かんとはするぞ」と仰せければ、二位殿、いとけなき君に向かひまゐらせ、涙をはらはらと流いて、「君は未だ知ろし召され候はずや。先世の十善戒行の御力によつて、今、万乗の主とは生まれさせ給へども、悪縁にひかれて、御運、既に尽きさせ給ひ候ひぬ。先づ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御いとま申させおはしまし、その後、西に向かはせ給ひて、西方浄土の来迎にあづからんと誓はせおはしまして、御念仏候うべし。
この国は粟散辺土と申して、物憂き境ひにて候ふ。あの浪の下にこそ、極楽浄土とて、めでたき都の候ふ。それへ具し参らせ候ふぞ」と、さまざまに慰めまゐらせしかば、山鳩色の御衣に鬢面結はせ給ひて、御涙におぼれ、小さう美しき御手を合はせ、先づ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮、小八幡宮に、御いとま申させおはしまし、その後、西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがて抱きまゐらせて、「浪の底にも都のさぶらふぞ」と慰めまゐらせて、千尋の底にぞ沈み給ふ。悲しきかな、無常の春の風、たちまちに花の御すがたを散らし、いたましきかな、分段の荒き浪、玉体を沈め奉る。

現代語訳はこちら:
http://www3.ocn.ne.jp/~mh23/heike241.htm

なんとなく、昔から平家物語好きです。といっても何も知らないけどね。
この、浪の下にも都があるという言葉は非常に多くの人の心を打つらしいです。
っていうか、読んでるとまじで泣けてきます。

この悲運の幼帝を祀る社があれば、お参りしようかって思いますよね。とりあえず化けて出てこないように安らかに、徳をたくさんって感じにしておいて、逆転の発想で、水難や子供を授かることにご利益がありそうで、すごく大きなお金を動かせる立場ならどーんと大きな社を寄進したり、それほどでもなければどどんと花火でも上げて。


(この文書は2006年04月25日01:56に日記としてうぷしたものです)