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河童発祥についての中国伝来説として、江戸時代初期に日本にやってきた書物『本草綱目』の影響が挙げられます。
『本草綱目』は中国の本草学史上において、分量がもっとも多く、内容がもっとも充実した薬学著作で、開業医だった李時珍が27年がかりで1578年に完成させ、1596年(万暦23年)に南京で上梓された全52巻の大著。薬草の百科事典だけど、獣その他も含まれて博物学書の一面もあります。当時の出版のメッカであった南京からの物流を考えると陸路で北京に運ぶよりも海路で長崎あたりに来るほうが容易だとかで、10冊程度しか現存しない初期バージョンの『本草綱目』のうち4冊が日本にあります。1604年ごろまでには日本に輸入され、その内容の充実振りからか、輸入だけでなく日本でも何回も版刻・刊行されました。『本草綱目』和刻本と呼ばれる本がそれです。
さらにこの影響を受けて独自に動植物の百科事典を作ろうという風潮が現れる中、『本草綱目』伝来からおよそ100年後の1709年、貝原益軒は『本草綱目』への批判的立場をとりながら、和産品を重視した『大和本草』を書き上げました。
http://www.ndl.go.jp/nature/cha1/index.html

さて、薬草の本である『本草綱目』には当然植物の取り扱いが大きいのですが、とりあえず水虎はというと、42巻、蟲部の濕生類だっけ?、、と思ったけど、原文が出てこないので、襄沔記から引用。
沔水中有物、如三四歲小兒、甲如鯪鯉、秋曝沙上、膝頭似虎、爪常沒水、名曰水虎
膝頭が虎なのはともかく、水場を好む3,4歳の子供のようで甲羅があって、とこのあたりは河童に近い。日本に水虎が知られるようになったのはこの『本草綱目』によるとされています。原文見れないのでなんともいえませんが、
http://honzo.i-apple.jp/
に問い合わせると一巻2千円ちょっとでスキャン品が買えるらしい。いやそこまでして読みたいわけじゃない。
ところが貝原が『大和本草』を書くとなると、日本にいない水虎ではなく、かわりに河童が出てくる。全16巻のうち、ようやく16巻で獣部が始まり、その終わりのほうででてくるのが河童。でもかっぱではなくふりがなつきでカワタラウとあります。原文は
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/yama/pdf/y16.pdf
のp.21で読めますが、肝心な部分をjpeg画像で貼りました。

念のためですが、この本は妖怪図鑑ではなく、薬草やその他の薬の本です。かわうそ、あしか、に続いて河童が出てきます。ヲイヲイってw。
そんなわけで日本の権威ある古い書物に出てくる河童と、中国からやってきた水虎との微妙な関係でした。


  
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