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「みどりのかいだーん」では「だ」のところにクレッシェンドが書いてある。フレーズの終わりにクレッシェンドが書いてあるというのは、特別な状態だと思っていい。もちろん組曲全体の中で数回は出てくる書法なので、ものすごく稀有な存在でもないのだが。
フレーズの作り方の基本は真ん中に山。だから入ってクレッシェンドして、山を作ってから収めにかかるようにデクレシェンドする。明確に書いてあるほどのクレッシェンドをするか、ほんの少しにするかは音楽の濃さの問題で、指揮者マター。だけど何の山も感じなければそれは「棒歌い」と揶揄されるよくない歌い方。山といわず、力点の置き方というかもしれない。いずれにせよ、重なっていくフレーズでsempre cresc.という状態ならまだしも、ピアノ間奏で切れるフレーズをcresc.して終わるというのは、ふつう不自然な形なのだ。
ということは何かわけがある。
まず小さな答えはピアノパートにある。ピアノは次の小節で、ファンファーレのような音楽を作る。だからこの直前の2拍分でクレッシェンドをしているというはまこと自然な流れ。この同じ流れに乗って、合唱は「だーん」をピアノパートに受け渡すために自分たちでもクレッシェンドしているという演奏。
もうひとつの見方は「山の...階段」=「阿蘇外輪の春」という図式を現すため、というもの。いろんな状況描写をしてみましたが、それは、それこそが、緑萌え、命あふれるこの源流の地の春の景色なのですよ、と述べるため、「階段」から「阿蘇」までの合唱が休符をもらっても、精神的に、音楽的に切れてしまわないための展開の描写、というような見方。
いずれにしても、このフレーズの終わりを不用意にまとめてしまわず、息の流れを使って空間に解き放つように音を終わらせなければならないだろう。指揮者マターなんだけどね。

どのパートにとってもフォルテから気楽に大きくできるような高めの音域でなく、しかも最後の母音が大きな音で作りにくい「ん」。しかも日本語の語感として、通常「かいだん」の「だん」を大きく作るなどということはないから、油断するとこのクレッシェンドは忘れてしまいやすいか、とってつけたような無理のあるつくりになる。
言葉はどのようにつながっているのか、何を描写しているのか、音楽がどこに向かっているのか、などの意識を高く持って、歌って欲しい。
いや、とりあえず、「ここにちょっと不自然なクレッシェンドがあるぞ、注意しなきゃ」っていうような意識くらいは最低でも持っていて欲しい。