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「かわは、かわは」は2小節あります。どのパートも、ほとんど同じ形ながら2小節目で1音下がります。こういう繰り返しのときは、必ず2回目に何も書いていなくても何かやるべきなのではないか、と疑ってみるべきです。音量の指示は何もありませんが、気持ちの持ち方を変えましょう。

1)音が下がったから気持ちを落ち着けてみる。その結果、少し小さくなったとしたら、それでもいい。
2)同じ言葉を繰り返すのだから2回目はもっと深い感情があるはずだ。音量は敢えて変えずに、気持ちをもう一段強く持ってみよう。その結果、少し大きくなったとしたら、それでもいい。

ここで一つ手がかりがあります。厳密に一致していないのでわかりにくいですが、「中洲のかれんな小鳥たち」の後に出てくる「さようなら、さようなら」や、「白い工場の群れよ」の後に出てくる「さようなら、さようなら」と、構成上同じところに置かれています。たとえばここの特徴として、ソプラノが(シ♭)レドー、(ラ♭)ドシ♭―、の形をとっています。

気持ちに訴えかける言葉として、「さようなら」はわかりやすいですよね。単純にいろんな方法で気持ちをこめることができます。そして、その動きは、いずれも(p.45もpp.47-48も)一回目がフォルテで二回目がピアノ。むしろさきに「さようなら」の作り方を考えてみればいろいろやりたいことがでてくる。
となれば、それに先行して提示される、この「川は、川は」は、その影響を無視して作られるべきではないでしょう。
選択肢として
1)一回目を強く、二回目を弱く。ただし楽譜に明示的な指示がない以上、あまり極端な音量変化には結び付けない。たとえば一回目を積極的に、二回目を内向的に同じ音量で作ってみるとか。
2)楽譜に明示的な指示がない以上、逆説的にぴったり同じ音量でやってみせる。筑後川くらいの有名曲なら、このあとの「さようなら、さようなら」の展開もお客さんは知っている。そこを敢えて同じ大きさで作って見せることで、この部分の音楽の流れや大きなうねりを表現する。
3)楽譜には出だしがmfということがあるだけで、そのあと<や>があるのだから、2回目の音量などそのバランス次第でどうにでもなる。音高を落としているのだから、気持ちを落ち着けてみる方向で、2回目を小さく作ってみようじゃないか。
4)楽譜には出だしがmfということがあるだけで、そのあと<や>があるのだから、2回目の音量などそのバランス次第でどうにでもなる。2回目はもっといろんな気持ちが高ぶるはずだから、単純なテクニックで望むなら大きくなってしまうだろう。
とか、まぁ、他にもありえるかもしれませんが。
5)そんなこと言ったってできっこないよ。その小節に書いてあるとおりに歌ってくれればいいんじゃない。

完全に指揮者マターです。


この件でマイミクさんからコメント
基本路線にはやはりD->Tという緊張->緩和の運動がありますから、
それは意識して音楽を作らないと違和感のある音楽になります罠

つか、音楽を感じていれば自然と強->弱になると思いますねぇ。

自然な流れの音楽ということなら、そういう選択でしょうねぇ。
不自然さをどの程度織り交ぜると意外性があって面白くなるかとか言う音楽と付き合っている時間が長いのと、筑後川がプーランク没年よりあとの20世紀の大人向けに書かれた音楽ということとで、まぁ、いろいろ深読みしてみたりとか。
考えすぎ、考えすぎ。
日本もぼろ負けしたことだし、かなり自暴自棄w

(この文書は2006年06月13日未明に日記として書かれたものです)