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みなそこ、という言葉で有名なのは土佐日記の十七日の歌。

 みなそこの月のうへより漕ぐふねの
  棹にさはるは桂なるらし

<水底に映った月の上をこいで行く船の棹にからむのは、(月に生えているという)桂であるようだ。>

でも合唱人として水底という言葉を聞けば思い出すのが大岡信の「水底吹笛」

 ♪みなぞこにすわればすなはほろほろくずれ

木下牧子の幻想的なメロディーにのって、重力の支配を離れ、光が揺れきらめく、異質な音の空間で、ひょうひょうとふえをふく。

 みなそこにしづめる花のかげ見れば
  春はふかくもなりにけるかな

というのは坂上是則が詠んだ歌。水底も春も深いもの。

みなそこ、という言葉は水底(すいてい)の雅語。みやびな響き。緩やかな時間。
水底にも都はあるのでしょうか。
都なら、皆そこを目指すのでしょうか。
(そのオヤジギャグ、笑えないんですけど、ってよく言われます。)
むしろ雑踏を離れ、ふと振り返っても街の光は和らぎ、思い返しても身は軽く。