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当て字で書くと、左様なら。普通に書くと、さようなら。古めの書き方でさやうなら。
敢えてこんな「然やうなら」なんて書き方する人って泉 鏡花(1873-1939)くらい?
『春晝(1906)』『春晝後刻(1906)』『五大力(1913)』『継三味線(1918)』に出てきます。

鏡花ワールドって、ステキ系っていうか、不思議ちゃんっていうか、ちょっと実写では表現しにくい世界をつくっているから、輪郭が明確でない芸術の世界に持ち込むとちょうどいい感じ。
何年か前、しばらく演劇のお手伝いをしていたとき取り上げた作品が鏡花の『高野聖』でした。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card521.html
この二十二場で、白痴が出てきて、歌を歌うシーンがあるんです。それがすごくうまい、という設定。文字で書くのは楽ですよね。いや、この歌に、美辞麗句が続くんです。だからそれがつらい。この白痴の役をなさった役者さんは大変見事な演技をなさる方でしたが、突然歌った歌が天使のごとく、、、、とはなかなかいかず、私の担当ではなかったもののでしゃばってこの役者さんの発声指導もやりました。
とはいえ、付け焼刃でできることには限界が。わたしが伝えたのは、「歌を歌うこと、とくにここでのほめ言葉のように、この世のものとは思えないような澄んだ声は、まさに白痴であることがいいんですよ。その役柄どおりにやりきってください。大丈夫うまくいきます」って。
まぁ、やはり多少の無理はあったものの、発声ドシロートでも役者根性部分がかなりカバーするんだなぁ、と感心させられました。

それからちょっとして、鏡花作品ベースの合唱曲をやりました。この合唱曲のできはともかくとして、それの練習のときにイメージをつかもうと、団員でまわし読みした漫画『鏡花夢幻』(波津彬子)が秀逸。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/namibanpa/
演劇で、たとえば
http://www.gpwu.ac.jp/~ichikawa/miike-yasyagaike.html
とかも見たんですが、漫画の方が世界観がわかりやすい。

最近お亡くなりになった岩城さんって、リハで、「旧仮名遣いで歌って」という指示を出す人だったんですが、鏡花の小説は、慣れないと読んでて辛いです。それはそれで味わいもあるのでしょうが、そういう域に達するのは大変なことです。
庶民はマンガがよろしいかと。