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幸(さち)といえば海の幸、山の幸しかありません。
国語辞典を見れば、一応、定義っぽく、
「自然からとれる産物。獲物。収穫。」
って書いてあるのだけど、平野部の陸地で採れるものとか、平野部の河川・湖沼で漁れるものはなんとかの幸という言い方をしません。

なんで海の幸と山の幸しかないのか。答えは古事記にありました。
神話をいろいろ織り交ぜて、どうやって天皇家が現れたか。そして初代神武天皇から第33代までの物語を記録に残したのが古事記。その神話の最後が、海幸彦と山幸彦の物語。

神様でもある海幸彦と山幸彦は兄弟。それぞれ漁や狩猟が得意でした。ある日、ふとお互いの道具を交換してなれないことをやってみたがうまくいかない。それどころか山幸彦は兄、海幸彦の釣り針をなくしてしまい、それが海幸彦を怒らせた。自分の槍をつぶして千の釣り針を作って謝ってもダメ。失意の山幸彦を海の神様が海に招きいれ、海神の娘と結婚。3年後、なくした釣り針を見つけてもらい、さらに豊作の助言と、潮を操る玉をもらった山幸彦は陸に戻り、海幸彦に針を返し、畑を耕し豊作が続き、それをうらやみ攻めてきた海幸彦を潮を操る玉で手玉にとって降伏させる。さらに海神の娘との間に子供をもうけ、「鶴の恩返し」的ネタで出産シーンを見られた海神の娘が海に帰ってしまう。でもかわりに息子の面倒を見にきた妹が、その後、息子と結婚して、できた4番目の子供が神武天皇。

というお話。(だいぶはしょったけど長い)
話の冒頭で二人が交換し合った道具のことを、さち、という。
山幸彦も、山佐知毘古、とかいて、もともとは幸という字を使っていない。
口頭での伝承を、ようやく開発された万葉仮名で書き取ったのが古事記だから、佐知(さち)、と幸(コウ)は、もともと別の言葉。


さてさて、いずれにしても、山幸彦は初代・神武天皇のおじいさん。豊作の神様で高千穂で400歳くらいまで暮らしてたとか。昔の人は長生きですねぇ。高千穂ってことは宮崎県?一方、降伏した海幸彦は天皇家を護る隼人の祖先だとか。ってことは薩摩隼人のみなさん?このお話はちょっと九州も南によっていますが、いろんなことのふるさと九州って感じですねぇ。
とはいえ、だからといって、筑後川で「せいかつのさち」と言われて、その意味がすんなりわかるわけではないと思うのですが。