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團伊玖磨の言葉
「東アジアの海の道を、或いは惨敗のかなしみに泣き叫び、或いは敗北の慙愧に震え、或いは勝者への怨念に燃え、或いは暗黒の恐怖と蒼白な諦観に沈みながら、島影を求めて漂白ってきた祖先の道に僕は故里を感じるのである」
また團の言葉
「川の向こうには東アジアの海があり、やがて筑後川の水は揚子江の水と合体する。空から眺めて御覧なさい。揚子江の黄色い水と有明海を経てきた真っ青な水が見事に合流しているんですから」
さらに團の言葉
「日本文化のきょうだいは朝鮮半島、父母は中国」
「日中両国民は世代を越えて友好的に付き合っていくべきだ」

川の物語と思えば、河口でおしまい。詩人、丸山豊は、もしかすると『河口』に人の成長や愛の完結する様を描こうとしたのかもしれない。作詞当初、丸山はこの5番目の詩に「河口夕映」というタイトルをつけていた。一日の終わり、沈む太陽、感傷的でしかし、團は詩そのものはそのままで、唯一、「夕映」の2文字の削除を求めた。
「夕映」を削って、「有明」という言葉に頂点を持ってきた團には、ここで終わるのではない、という思いがあったに違いない。有明海は、さらに東シナ海へと。そしてそこは知らないところではなく、むしろいつか還るところ。
「ありあけのうみへ」
そう思って、このfffに何が託されているか。それは日本人として避けて通れない地に足の着いた未来。

團伊玖磨は中国をこよなく愛し、深い中国コンプレックスを持っていた。『筑後川』作曲の2年前、1966年に訪中して以来、訪中の回数は60数回を数える。1979年、自作のオペラ代表作『夕鶴』を携え、初の訪中公演を果たし、北京をはじめ天津、上海で行われた13回の公演は中国の観客をすっかり魅了したという。また、2001年5月17日、蘇州で急逝。
こういう記事を見ると、その中国で受け入れられてたんだなぁと思います。
http://j.people.com.cn/2005/05/18/jp20050518_50126.html

また、そんな團伊玖磨悲願の「夕鶴」韓国公演が日韓友情年2005の去年ようやく実現したそうです。
http://www.jkcf.or.jp/friendship2005/japanese/about/index.html
http://www.sac.or.kr/eng/bannerPage.jsp?htmlURL=/eng/lab2005/yuzru/index.html
指揮は流域を下る『筑後川』連続演奏会でも指揮を務めている源田先生。