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ずいぶん以前は2ちゃんねるのクラ板が、フライングブラボー逝ってよし、だった時代の住人でした。
もともと私は、友人と演奏会を聞きに行っても、わざわざ別のところに座って、演奏直後にむやみに話しかけられないようにしているような性格ですから、静かに終わった曲が、余韻なしにかき乱されるのはちょっとかんべん、って思うほうです。
でも同時に、良いものはよい、とはっきり客席から示すべきだとも思っていて、そういうノリじゃなさそうでも、十分感動したときはブラボーっていいます。
で、拍手はどのくらいのタイミングで出すべきかというと、静かに終わる曲は、指揮者が素に戻ったあと。ただ、大抵私は他の人よりかなり遅く拍手し始める。大して理由なし。
一方大きく終わったとき。音楽の性質によるけど、余韻を楽しむとかじゃなくて、その勢いで割れんばかりの拍手に突入すべきなんじゃないかなって思うところもありまして、これがむずかしい。

日本で、一番演奏機会が多いだろう第九を例に挙げて、ずいぶんといろんな高額チケットの演奏会にも立会った経験で言うと、ざっくり言って最後の小節のつぎの頭?のタイミングでわっと拍手が入ってくる。指揮者がタクトを下ろしていなくても喝采で包んで客席を向かせるって感じ。
いやいや、でもね。実はこの交響曲の楽譜を見ると、最後の小節には休符の上にフェルマータがあるんですよ。フェルマータが。最後の押して切る音符を書いたら、記譜の都合上、その小節の残りを休符で埋めておかなきゃいけなさそうだった、程度のことではなくて、わざわざフェルマータがある。つまり、この静寂は長くあるべきだ、ってのがベートーベンのメッセージととるべきなのかな?ありがちな拍手のタイミングは、まだ休符のフェルマータを演奏中なんですがってところ。
ただ、演奏側が休符なだけで、客席が休符だなんて指示はないし、そもそもクラシックの聴衆は静かに座っていなければならないのかって議論だってあるのだし、やはりお祭り的な第九の終わりに、いまのありがちな拍手とブラボーが入るタイミングは、だいたいそれでいいのかなと思います。まぁ、今あるものを受け入れられたら気が楽ですしね。

で、『筑後川』。意外に忘れがちですが、最後に3拍の休符があります。客席がどう動くかとかはともかく、演奏側は休符を演奏すべき。
もともとあった静寂。そこに時間と言葉とメロディーと和音が徐々に生まれてきて、紆余曲折の末、その旋律が最後に熱い和音となって帰ってくる。眼前の時空間を壮大な音で満たし、見果てぬアジアと未来に思いをひろげて、最後の音を放ち、多少の残響のあとに、最初とは違う無音の世界。


まぁ、そこまで考えなくても、とにかく3拍くらいは余韻をつくろうよってくらいに思ってみましょうか。よほどすぐに気を抜きさえしなければ、3拍ぶんくらいの時間はあっというまですし。