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「あおばをくぐり」以降の音楽の構成を再確認してみると、ベースの動きで特徴付けられるように、

あおばをくぐり - わかばをくぐり
あおばをくぐり - もだえて
みぎにひだりに - うねり
みぎにひだりに - うねり

と2小節ごとの束を見出すことができる。この音楽をどうやっても3小節目の後で切ることはできない。もしや、といろいろ考えては見たもののそりゃ無理だ。可能性がないわけじゃない、様な気がしないでもない。でもやっぱり無理でしょう。
作詞では「若葉をくぐり」の後で改行。
しばらく音読してみて感じるのは

あおばをくぐり
わかばをくぐり
もだえてみぎに
ひだりにうねり

という7・7・7・7調
丸山があえて「みぎに」をひらがなで書いた理由で唯一思いつくのがその7を伝えるために「左に」とセットで見させない悪あがき。

「もだえて」という言葉の用法で、統計的に見ると「もだえて」に続く音は「い」。もだえているという言葉の活用で用いられるのが最も一般的。『筑後川』の中で丸山が中途半端な改行位置を設定している例がないことを思うと、「もだえてみぎに左にうねり」と書いたのなら、もだえて、でいったん切れるとみるよりも、「いそぐ」という意味の熊本弁?いや、地域のずれ、方言排除の方針から見て、ここでその用法はないだろう。すると単に音節数の数合わせの主張に過ぎない?

しかしやはり出来上がった曲の中に、「もだえてみぎに」と感じられるつながりはない。
皆無だ。
ないものはない。わずかな可能性すらない。
作曲されていない以上、私たちにはそれを表現する手段はない。そこにはもう7はないのだ。

となれば、團伊玖磨がとらえた「もだえ」を、ここを歌っていくしかない。
  (たぶんつづく)

白いたっぷりした肉がもだえてうねる様は
これが俺の妻とは思えないほど、動物的に見える。
「もだえてうねる」をぐぐると、唯一これがひっかかった。
団地妻と團伊玖磨って、何か煮てる グツグツ...w