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出来ることなら演奏中はずっと指揮者のことを視界に入れていたほうがいい。複雑なことが出来ないなら、視界に入れる程度ではなくてちゃんと見たほうがいいだろう。指揮者を見ていないたいていの人は楽譜を見ている。もし全部覚えられるなら覚えてしまって指揮者を見たほうがいい。あるいは楽譜を高く持って、楽譜を見ていても視界の中に指揮者を入れようと提案されることも多いだろう。
もうちょっと譲歩するとすれば、ここは是非見るべき、というポイントだけでも見て欲しい。指揮者なんかいなくてもテンポが決まってしまえばあとは楽譜どおりにやっているだけでどうにかなることもあるからだ。

ではここは是非見るべき、というのはどういうところか。一番重要なのはテンポが変わるところ。とくにその冒頭。それと伸ばした音符を切るところ。あとは、いろいろな表情記号が書いてあるところ。たとえばクレシェンドとか、フォルテとか、スタカートとか。
だからたいてい曲の頭は是非指揮者を見るべき。前奏や間奏や、他パートだけが歌っているときなどに指揮者を見ていなくてもまぁ、どうにでもなる。熱い精神論では休符も音楽のうちだから、という理論で気を抜くごとが許されなかったりするけど、とはいえ指揮者を見ていたからどうにかなるものでもない。
手馴れた人なら、そういうあえて見る必要もないところで楽譜を先読みしておき、ここぞというところでは指揮者を見る。アイコンタクトが取れると指揮者は喜ぶものである。というより、振ってるのに誰も見ていないような感覚はつらーーいものなのです。

たとえば、ここ。「ふくらんだ」という言葉に呼応するようにクレシェンドが書いてある。楽譜を見てそのことに気づくのもいいかもしれないけど、指揮者もそのクレシェンドを身振りで示そうとするものなので、敢えて楽譜に固執しなくても指揮者を見ていればどの程度どうすればいいのかを指し示してくれたりする。
そして、特に重要なのがその次にあるようなrit.するところ。川の速さがせき止められて次第にゆっくりになる様子がこのリタルダンドで表現されている。どの程度遅くなっていくかは指揮者にゆだねられるもの。
しかも特に注意が必要なことだけど、本番には本番のrit.がある。それは指揮者の中の音楽が固まっていないとか、バトンテクのレベルがどうとかいう問題でなく、最高級の指揮者であっても、こういうところは本番ごとに程度がかわるものなのです。だから、それまでどれだけ練習であわせてきていたとしても、指揮者を見る以外にテンポを見出すことは出来ません。

楽譜に書き込みをするとき、頻繁に書き込むべきことには、流派にもよるけど記号を使うケースがよくある。
たとえばめがねマーク。これは多くの人が、「ここで絶対指揮者をみる」という意味で楽譜に書き込むときに使う(私は使ってませんが)らしい。
気が向いたら書き込んでください。

ともかく、ここは指揮者を見ましょう。


  
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