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人は感覚で受け止めるものの中に均質さと変化の両方を求めるので、きれいな音も、同じように鳴り続けていては1分も持たないかも。オーケストラのように個性あふれる楽器が揃っているなら手は多いけど、合唱という枠組みで変化させていくのはなかなか大変なこと。そんな中でとられる手が、女声だけとか、男声だけとか、ちょっと一人だけで歌わせるとか。

もともと合唱という文化が育まれたのは、キリスト教の礼拝の手法によるところが大きい。それほど詳しいわけじゃないけど、ユダヤ教から派生していく中で楽器を伴わずに聖書の言葉やその他いろいろな教えを声に出して、というか歌ったことがグレゴリオ聖歌や多くの宗教曲を生み出す背景になったとか。儀式の名残として、司祭が唱えた言葉を受けて、同じ言葉や次の言葉を会衆が唱える、という形式が宗教曲の中にある。

ソロにしたくなるもうひとつの理由が、一人称のメッセージだと感じたとき。
その言葉は本来一人の人から発するのが適当、と作曲家が判断すればソロにするかも。

短いソロで思い出すのは、まず、ヴェルディの聖歌四篇のひとつのテデウムのラスト。結構長い曲の最後に、ソプラノソロがあるのだけど、学生の頃やったとき、このソロのためだけのソリストを置いたんです。お客さんも、「あのひといつ歌うんだろう?」って心配になったはず。それで、ほんの一言。中出しでよかったんじゃないかなぁ。
短くてさりげないのがプーランクのグローリアのテナーソロ。これはさすがにその団体でも他も歌っているテナーの人が歌った。結構意外な音の動きながら、録音を聞いてもそれがソロだとはわからない程度に存在意義を見出しにくい。そのあたりはプーランクらしい。
いろんなミサで、冒頭にgloria in excelsis deoとか、credo in unum deumとか司祭担当部分をグレゴリオ聖歌どおりに歌うケースは多い。
短くてさりげないけど、おいしいのが落葉松。あれはぐっと来ますね。
中学の校内コンクール級だとソロのある曲は少ないよね。そんな中で異色を放つのが流浪の民。これははっきりひとつの音楽を任されているからやりがいがあると思う。
男声合唱にはちょっとしたソロが多いなぁ。あれはなんでだろ。
とある小さな演奏会で、短いソロを担当するはずだったひとが風邪でダウンして、かわりに歌ったこともあったなぁ。その団体の今度の演奏会では、ある程度長いソロをもらいましたが。