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愛は難しい

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chikugogawa

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今夜は聖夜。というか聖バレンタインデーと並び、外国のイベントにかこつけた恋人たちの夜。いつぞや、あいてるホテルがなくてずいぶんさまよったこととかあったなぁとか。
愛の宗教といってもキリスト教の愛はもうちょっと違う愛だよなぁ。
  愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない
  愛はいつまでも絶えることがない
なんかないないづくしだよね。
いやそんなことより、今夜訴えたいのは
  愛は子音がない

前置きが妙に長かったけど、「いのちがけで愛するために」の歌い方。
前後を見てみると、「不屈の~」がフォルテでmarcatoとの指示がある。さっとみれば少し後の「水面に~」にlegatoと書いてあるのでこの6小節間がmarcatoなのかとも思える。
しかし、何となく楽譜づらを眺めてみれば、特にピアノパート部分の差から、「不屈の決意をした青年です」の3小節と、「いのちがけで愛するために」の2小節と、「見よ」の1小節という区切りが見えてくる。「見よ」で改めてフォルテと書いてあるくらいだから、この直前はフォルテでなくなっているかもしれないわけだ。

わかりやすい違いを作りたければ「いのちがけで愛するために」をlegatoで歌ってしまえばいい。そうすれば違いくっきり、「見よ」で改めてmarcato基調に戻りアクセントをがんがん付ける効果が際立つ。
しかし、命懸けという激しい言葉と愛という強い意味を持つフレーズを、ただlegatoで歌ってしまってよいのかという疑問。そして、「水面に」にはlegatoと明示してあるのだから、何も書いていない「いのちがけで」は、少なくともlegatoではないという結論にもなりそうだ。
もちろん表現の手段にmarcatoとlegatoしかないわけでもないので、何か違う要素を盛り込んでこの2小節を作りこむという手はある。まぁ指揮者マターだね。

さて、どう作るにしても出てくる言葉が「言葉は大切に」だったりする。
「いのちがけ」という言葉も結構強い意味ではあるのだが、この組曲のテーマである「愛」はもっと重い。小節頭にあることもあり、「あい」にある程度のストレスをおいて歌いたくなるところである。ところがここで大問題。「あい」には子音がない。
これが「いのちがけでパイする」とか「いのちがけでタイする」とかだったら、意味不明なものの子音を使って言葉に重さを持たせて歌いやすい。ところが「あい」はそのままスカッといってしまいがちだ。そこで少し考えちゃうと、その手前を切ろうとか、「あ」に声帯破裂を使ってアクセントをつけてしまおうとか思うかもしれない。(実際そういう演奏がこの部分の解決のために行われたのを聞いたことがある。)しかし、わずか2小節のフレーズをぶつ切りにするのも、「あい」が弾んでいるのも、中途半端に安っぽく、かえってこの言葉を軽んじた歌になり、気持ち先行だったよね、何かやりたいということだけは通じた、とか揶揄されることになる。
やるとしたら腹式呼吸全開で、しっかりした呼吸の中で「あ」を充実させることで対応するってコトなのかと思うけど、多分難しい。難しくても越えなきゃいけない壁もあると思う。

一瞬だけどアカペラの男声合唱になるところ。組曲の構成からいっても男性のかっこよさが前面に押し出されるべきところ。小手先の技でなく、鍛え上げた発声と思いの強さをこの「愛」に込めてみてもらいたい。


(この文書は、2005年12月25日未明の日記として書かれたものです)


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